Diary 2004. 7
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7月1日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第107弾!

「たかやん議員日記」2004.第107弾!  7月1日(木)

藍先生
松岡修造の少年時代の師匠は飯田藍という人だ。そして飯田藍は僕の心の師匠でもある。僕が初めてテニスで誉めてもらったのが藍先生。18歳の時だった。その藍先生と再会し、修造のいた桜田クラブに遊びに行くようになったのが五中時代の終わりの頃だから28歳の頃。藍先生は当時の桜田クラブの練習の全てを僕に教えてくれた。五中の生徒達は修造と一緒に手つなぎ鬼をし、テニスをやらせてもらった。ずべてタダでである。

僕は藍先生に尋ねたことがある。「藍先生、練習をみんな教えてしまっていいんですか?」すると藍先生はこう答えた。「大丈夫。あたしはいつも勉強しているから、あなたに全部教えても次から次と新しいことを勉強していくから大丈夫!。」そう一流の人というのは隠すことをしないのだ。真似られるのならどうぞ!くらいの気持ちで実にオープンなのだ。
藍先生はヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアへどんどん出かけ、そして勉強を続けていた。僕は桜田に行くたびに新しい練習方法と考え方を学んだのだった。

僕は藍先生とテニスをするとまるで子どもになってしまう。そう中学生のような気持ちになってしまうのだ。藍先生は不思議な力を持っている。僕はその不思議な力も藍先生から学びたいと思った。子ども達を「こどもの心にする・・・・」大人も「子どもの心にもどしてしまう・・・」僕はそういうことも藍先生から学んだ。

藍先生のおじいさんのお兄さんは中村天風という人だ。この有名な哲人の本を読むと、心が洗われる気がしてやる気になる。きっと藍先生は天風先生のDNAをたくさん受け継いでいるのだと思う。僕はそのDNAは持っていないが、その心意気は受け継いでいると思っている。中村天風と飯田藍、僕の心の師匠である。         たかやん


7月2日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第108弾!

「たかやん議員日記」2004.第108弾!   7月2日(金)

発熱
朝から息子の空が熱を出した。お昼前に38度6分だったので、さとうこどもクリニックに連れて行った。そこで熱を測ると・・・40度。段々心配になってきた。家に帰ってきてもいつもの空とは別人。ぐったりとしている。病院でもらった座薬を入れても熱は下がらない・・・・。食いしん坊の空がヨーグルトしか食べない。いつも寝る時間になってもぐずって寝ない。結局朝まで交代で抱き続けて、さっきやっと寝た。

陵平のお母さん、お父さんもきっと同じようなことをしたのだろう。熱が出ると心配で、お腹が痛いと心配で・・・・できることなら自分と代わりたいと親は思うのだ。そして僕も母さんや父さんに同じように抱かれたのだと思うと涙が出てくる。

僕はこれから塾のこどもたちとサッカー。空が寝ている隙に出かけてくる。眠いけれど、こどもたちが待っているから・・・・。


7月3日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第109弾!

「たかやん議員日記」2004.第109弾!  7月3日(土)

発熱2
サッカーはさすがにボロボロだった。体が動かないのだ。得点は4点ほど入れたが、走れない。寝不足でも中学生や高校生に走るので負けると頭にくる。

お医者さんに「熱が下がるのには3日ぐらいはかかると思いますよ。」と言われたのに、空は二日で下げてしまった。朝は38度以上あったのだが、夜には37度まで下げたのだ。昨日は全然笑わなかったのに、今日は随分笑うようになった。親はこの笑顔で救われるのだ。元気になる。「こどもは親に育ててもらっているのではない。親がこどもを育てさせてもらっているのだ。」という言葉は本当だと思う。どうやら今夜はゆっくり眠れそうである。


7月4日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第110弾! 

「たかやん議員日記」2004.第110弾!  7月4日(日)

都営住宅
都営住宅にポスティングをした。少子高齢化を肌で感じた。若い人が少ないのである。階段は狭く、エレベーターは無い。膝の悪いお年よりにはきついだろうなあと思う。ゲートボールはさかんだが、子ども達の歓声はなかった。そして空き部屋が目立っていた。

ポスティング
自分の選挙ではやったことが無いので、これが初挑戦だった。東久留米市の市議の方から「ポストの中まで入れないと駄目ですよ。」とポスティングの基本を伝授された。「どうしてですか?」と聞くと「OO党は抜いていくんです。」という返事が返ってきた。「嘘!」「本当です。常識ですよ。」と言われた。ちょっとびっくりしたたかやんであった。


7月5日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第111弾! 

「たかやん議員日記」2004.第111弾!  7月5日(月)

AET
新座のAETは3年以上いられないのは何故だろう。新座の学校に慣れ、指導にも自信がついた頃に「ハイ、3年たったのでさよならです!」と杓子定規に追い出してしまうのは何故だろう。勿論、この人は子ども達とうまくコミニュケーションができないから、さよなら・・・それはいいと思う。だけど子ども達ともいい関係が出来る人で、授業も上手な人まで3年という期限を切ってしまうのは納得ができない。いい先生というのは新座市の「宝物」なのである。勿論AETに限ったことではない。いい先生というのは「宝物」なのだ。その宝物と3年たったからもう契約しませんというの馬鹿げていると思うのだ。誰がそういうルールを作ったのか聞いてみたいと思う。

英語特区
どうも聞こえてくるのは悪いことばかりである。小学校の高学年になると「英会話」の時間は成立しなくなっているという声をたくさん聞くのだ。AETの先生自体が疑問に感じているこのシステムをどこかで真剣に見直さないといけないのではないだろうか・・・・。
1週間に1時間の授業が9年間続いて、英語を話せるようになると思っている人は多分いないだろう。お金をかけないでNHKの基礎英語を毎日聴いたほうがよほど効果があると思うのだが・・・・・・。


7月6日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第112弾! 

「たかやん議員日記」2004.第112弾!   7月6日(火)

研究事業
明日はR中の研究授業がある。「朝30分掃除やるんだよ。」と子ども達。「普段の授業見せればいいのに・・・」とまともなことを言う。「掲示物が突然増えたよ。」「何で先生たちってそういう時だけ頑張るのかなあ・・・」子ども達の目はなかなか鋭い。
しかも午後は授業カット。教育委員会に見せる授業の為に子ども達の大切な授業がこうしてカットされていく。だから「研究授業」とか「授業公開」は好きではないのだ。普段の授業でなければ意味がないではないか・・・・。そういう特別に作られた授業を見てもつまらないのである。見たいのは普段の授業だ。そう言っても「公開授業を見てください。」と教育委員会はなかなか普段の授業を見せてはくれない。自信が無いのは分かる。確かに新座の学校の評判は極めて悪い。最近はいい話をほとんど聞いたことがない。だからこそ本気で良くしていこうという気持ちが必要なのだ。
学校のレベルが上がれば新座市に転入してくる人は多くなる。観光で人を呼ぶより確実にしかも長期間税収入を増やすことができるのだ。「新座の学校はいい学校です!」などと自画自賛したって、子ども達の目も親の目もごまかせないのだ。新座市を本当に愛しているなら、新座の学校の現状を本気で見て欲しい。そして教師も教育委員会の先生達も自分の子ども達を自信を持って新座の学校に通わせて欲しい。「自分の子どもは絶対に新座の学校には通わせたくない。」そういっている先生を僕はたくさん知っているから・・・・。



7月7日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第113弾! 

「たかやん議員日記」2004.第113弾!  7月7日(水) 七夕

市民にとって住みやすい町というのはどういう町だろう。親としてはまず学校である。僕は40年程前新宿の西戸山という小中学校に通っていたが、その学校は授業のレベルが高いので有名でたくさんの友達が新宿区以外のところから越境して通っていた。要するに先生の質が高かったのである。市民にとっては授業のレベルの高さと同時に安心して通える学校かどうかが問題になってくる。同級生や上級生、そして先生によるいじめはないか、自分の子どもを先生がよく見てくれるかどうか・・・・学校の様子と言うのは口コミでどんどん広がっていくものだ。そういう意味でも新座市の現状は苦しい。

環境の問題も大きい。きれいな空気が吸えて、おいしい水が飲めて、歩道が整備されていて、近所に散歩の出来るような公園があって、買い物が便利で、駅への便が良くて・・・・川がきれいで・・・町全体にゴミが落ちてなくて・・・大きな道路を作っている場合ではないと思うのだ。


7月8日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第114弾! 

「たかやん議員日記」2004.第114弾!  7月8日(木)

熱中症
暑い日が続く。運動部では熱中症に気をつけなくてはいけない。まさか「水を飲むな!」という指導者はもういないと思うが、子ども達の様子に神経を配らないと危険なこともある。顧問はクーラーの効いた職員室で仕事。子ども達は炎天下で運動・・・。こういうパターンでの事故も多いのだ。
この暑さの中でよくもまあ一日練習をしたものだと思う。僕も子ども達も倒れなかったのは「エアコンに慣れない。」という約束だったように思う。全国大会は炎天下での試合が多い。普段からエアコンに慣れた生活をしていると、体が気温についていけなくなるのだ。だから寝る時のエアコンは勿論、普段もなるべくエアコンに近づかないようにしたのだ。ただ水分だけはどんどん取るようにした。帽子は必ず被り、首に直射日光が当たらないように気をつけていた。子ども達の体というのは大人が考えているよりも順応性があって、丸一日練習しても全然平気になっていく。今はその練習がいい練習だったとは思っていないのだが・・・・・。子どもは大人が考えているより弱いこともある。そして強いこともあるのである。大事なのは子ども達の様子をいつも見ていることだ。子ども達の表情をいつも見ていれば、学校での事故の大半は防げるものである。


7月9日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第115弾! 

「たかやん議員日記」2004.第115弾!  7月9日(金)

卒業生
六中のテニス部を支えてくれたのは5中6中の卒業生達だった。彼らはいつも六中テニス部の中学生達の練習を見てくれた。球出しは勿論、ボールを寄付してくれたり、ラケットをプレゼントしてくれたり、シングルスポールを作ってくれたり、ジュースやアイスの差し入れをしてくれたり・・・・。そんなOB達に中学生達は「ボールボーイ」と元気のいい「挨拶」でお返しをする。それが六中テニス部の伝統だった。テニスが強くなるにはどうしてもヒッティングパートナーが必要である。そういう意味でも卒業生達が来て、一日何試合も中学生達と試合をしてくれるのはありがたかった。現役のインカレやインターハイ選手、国体選手が練習をしてくれるのだから、中学生が強くなるのは当たり前だった。勿論僕とやるのを楽しみに来てくれる子達もたくさんいた。6中のコートに行けば、僕と必ず会える。だからコートにみんな来てくれたのだ。六中ではOB達が威張って中学生達が使われるというようなことは全然なかった。6面のテニスコートで10人のOB達が交代でボール出しをするのが当たり前だったのだ。基本練習ではトップチームも1年生も同じ練習ができたのはOB達のお陰なのだ。
卒業生は勿論、卒業生の保護者、弟、妹達、色んな人たちがテニスコートに遊びに来てくれた。全日本のチャンピョンが来てくれたこともある。僕らは六中のテニスコートを愛する人、六中の子ども達を愛する人全ての人を受け入れた。それが六中テニス部だった。

六中の校歌にこういう一節がある。「やさしい瞳に守られて、山桜立つこの庭は、いつの日も故郷、いつの日も故郷、我等の第六中学校。」僕らはこの校歌を毎日大声で歌っていた。そして関東や全国の会場でもこの校歌を歌っていた。六中はいつの日も僕らの故郷だと信じて・・・・・。


7月10日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第116弾! 

「たかやん議員日記」2004.第116弾!   7月10日(土)

痛くない
腰に巻いたゴムバンドがよかったのか、卒業生の整体がよかったのか・・・・痛めていた左膝の痛みがとれた。痛くないというのは素晴らしいことで、僕は久しぶりに思い切り走り、そして蹴ったのだった。体のどこも痛くないというのは本当に幸せなことだ。今朝はTシャツがグチョグチョになるまで走り回ったたかやんであった。

朝公園のごみを拾って、いい空気を吸いながら子ども達とサッカーをやる。僕のエネルギーの源である。参加するのは塾の子達だけではない。近所の小学生も参加するし、おじさんおばさんの飛び入りもある。お年寄りがラジオ体操で集まってくると、(一人来たところで)ぴたっとやめてしまうのも自分達で考えたマナーだ。そう言えばこういう公園が新座市にはないなあと思う。緑がたくさんあって、ボール遊びができる公園が増えたらいいなあ。


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