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3月21日 (日) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第81弾! 2010.3.21(日) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第81弾! 2010.3.21(日) たかやん
先生の誕生日 今日は小学校1年生の時に担任だった向後美佐子先生の誕生日。もう50年前に担任だった先生なのだが、物凄く大好きな先生だったので、誕生日まで覚えているのだ。僕らが1年生の時は松本先生だったのだが、結婚して向後先生に・・・そして産休で来た先生が「片岡」先生。“原爆”というデコピンをする女の先生で、僕はその先生も大好きだった。結局向後先生には3年生まで担任をしてもらった。多分、その頃の先生は25歳くらい。若くて綺麗で、優しい先生に僕らはみんな強い憧れをもったのだ。
立ち読み 風が強かったので、テニスクラブには行かず二人で本屋へ行った。いつもなら3冊は買うのだが、高邑家経済状態は悪く・・・その3冊を立ち読みすることにした。たって読むわけだから集中する訳で、僕は1時間でその3冊を完全読破したのだった。立ち読みすれば自分の家の本棚は一杯にならないし・・・頭の中に記憶として残しておくことはできるし・・・今日はそれで2500円は節約できたのであった。
2時間 韓国語の勉強を2時間ほどしてみた。昔はソ・ウジンに今はコ・ウンソンに恋をしているのだ。恋の力は大きい。ちっとも辛くはない。今、一番いきたい国は韓国。アメリカ語もいいけれど、お隣の国の言葉も勉強しないとね。
空のいない世界 所沢のおばあちゃんのところにいる。いつも聞こえてくる空の声がない。こんなに不思議なことはない。聞こえてくる音がないのだ・・・。いつもは隣に寝ている空の寝顔もない。お風呂にも独り・・・ご飯の時もいない。空がいないということは、こんなにも寂しいものなんだ・・・そういうことを気づかせてもらっている。昔、亮が二ユーヨークへ行ってしまったときも、脱ぎ捨てた靴下をみて、同じことを感じたなあ・・・。“こどもを育ててやっているのではない。こどもを育てさせてもらっている”のだ。家でも学校でも、子どもがいなけりゃ何も始まらないのである。
今日の写真 北大3年目、キャプテンの和泉公太君です。1年生の時から注目していた選手で、綺麗なテニスをします。ただ、この写真で分かるように、ボールを落として打つ癖があります。落として思い切りヒットするのもいいですが、ライジングで素早くヒットするのも大事。相手にとって同じリズムでくるボールは怖くありません。回転だけではなく、踏み込み方を変えることも大事なのです。テニスの面白いところは、(もう伸びないなあ)と思ったら伸びず、(伸びる気がする)と思ったら伸びるところにあります。彼にいいコーチが付いたら・・凄い選手になるでしょう。鍛えるところがまだまだ沢山あるからです。
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3月22日 (月) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第82弾! 2010.3.22(月) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第82弾! 2010.3.22(月) たかやん
いよいよ 明日は亮が入院する。担当医との最終打ち合わせがあるので、10時には病院についてなくてはいけない。8時過ぎに家を出て、市役所に寄ってから行く予定だ。
傍聴の感想 ある市民から傍聴の感想がメールできたので、その一部を紹介します。
高邑議員の議員席からの答弁中は 議員席のあちこちからヤジが飛んだり、教育長から個人攻撃されるなどして見ていて大変不快でした。
市長の態度も「子どものためだけに税金を使うわけにはいかない」とか「高邑議員とは視点が違う」とか「子育て応援都市にいざ」を謳う長として 耳を疑う発言がありました。 子どもには選挙権はありませんもの 議会では言いたい放題ですよね
結局 市長は残り任期のなかで今 まだ新座に住んでもいない人たちにむけて、今後 担税力のある人たちにいかに住んでもらうかを考えた政策を推進し、地図に残る仕事を推進し(不要な道路や箱もの造り)ワイナリー構想をふくめた観光地化 新座駅前の高級住宅地構想などそんなことばかりに 一生懸命税金を使うことしか考えてないようです。
これを 税収が豊かな市のすることなら、こんな「絵に描いたもち」の政策ばかりも立派な施政方針になるのでしょうが・・・
お金持ちはわがままですから 付け焼刃の文化要素なんてすぐに飽きるし、簡単に新座になんか引越して来ないと思います。そりゃ私たち子育て世代は景気の影響を真向に受け、 現役をリタイアした親世代とは違い、給料は右肩上がりではないし雇用も不安定なうえ収入も多くはありませんから。新座の担税率をみれば低い部類なのかもしれません。
他市に根強いファンを持つ須田市長だからこそ小手先をごまかすような市政ではなく、 苦しいときにも一生懸命納税している現市民がいかに満足して、今後も喜んで税金を払いたくなる政治をするか、それこそが語り継がれる市長ではないかと思うのですが。
子どもたちの環境改善 = 子育て世代の不安解消 = 安心して働ける自治体作り= 市民の定住化 = 安定した税収 = 未来の新座への投資・・・という解釈はいまの須田市長に想像することはできないようですね。須田さんも商売人だったのだから、自分の給料はお客さま(ここでは市民ですね)から頂いているという視点がもう少しあるかと思ったのに残念です。
* 僕はもう慣れてしまって、個人攻撃とは感じなかったですね。ヤジもいつものことなので、ダメージは全然なかったですね。話し辛かったのは事実ですが・・・。一人会派の僕だけですから、ああいう野次が飛ぶのは。同じ野党でも共産党にはああいう野次は飛びません。どうしても弱い奴のところにいくんですよ。どの世界もそれは一緒でしょ?大丈夫、僕は負けませんから。メール本当にありがとうございました!!たかやん
卒歌 テレビで卒歌特集をやっていて・・・ちょっと見だしたら止まらなくなり・・・最後まで見てしまった。歌はその当時の自分に直ぐに戻ることができるから凄い。自分にとっての一番の卒歌はなんだろう。「帰らざる日々」「さようならの歌」「悲しくてやりきれない」「交差点」卒業式の日。最後の学活で、随分歌った記憶がある。同じ僕のクラスでも、その年代によって多分違う卒歌があるのだろう。
よこ糸からのメール こんにちは桜の花も、もうすぐですね! 3月19日をもって長山舞ちゃん(石神小)のボランティアは全て無事終了しました。 2006年6月から舞ちゃんの援助を始めましたがよこ糸としてもこんなに長く、また大勢の方に援助を受けたのは初めてのことでした。何事もなく無事終了したことはひとえに皆さんのおかげです。長い間本当にありがとうございました。 ついては舞ちゃんの卒業を祝う会を3月31日(水曜)午後2時30分ー3時30分頃まで 宮本宅でします。よろしくお願いします。 また、よこ糸は今後とも続くので協力をぜひよろしくお願いします。 みやもと
* 舞ちゃんの卒歌はなんだろう。31日はギターを持ってかけつけよう。暫く歌ってないから練習しないと・・・。
今日の写真 ひとみのフォアーハンドです。僕より遥かに綺麗なフォームで、速いボールを打ちます。サウスポー独特のスウィングですねえ。
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3月23日 (火) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第83弾! 2010.3.23(火) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第83弾! 2010.3.23(火) たかやん
8時半過ぎ 亮を車に乗せて市役所へ。控え室で着替えて、そのまま病院へ。午前中の議会は欠席になった。随分迷ったのだ。何といっても一般会計の予算が午前中の議案だったのだから・・・・しかし、お医者さんとの約束は10時。informed consent(インフォームド・コンセント)、要するに、医療行為の説明をよく聞いて、納得した上でその方針に合意するというもので・・・沢山の危険な場合を知った上で、手術することに合意したのだった。
手術費 「そうですねえ、少なく見積もっても100万以上はかかります」と軽く言われて仰け反った。でも、亮の命が100万だと思ったら安すぎる訳で・・・心臓リハビリテーションの入院も入れると、1ヶ月近くは入院することになりそうである。
最低 父親として最低のことはやり、市議会に向かった。午後には教育委員会委員の任命が議題になっていたのである。この3月議会までは思いもしていなかったことを午後には発言することになった。「教育長の再任に合意はできない。」という反対討論をしたのである。
3つの理由 僕は3つの理由をあげて反対討論した。まずはこの3月議会で出された資料だ。市内23校の教員の平均年齢の変化を5年間分要求したのだが、出てきたのは2年だけ。しかも、学校名は隠され、その2年分がリンクしていないというお粗末なものだったのだ。4年前に教育長に就任した時に、先生達の平均年齢の格差を是正していきたいというようなことを言っていた人がそういう資料を出すようではどうしようもない。僕個人に出した資料ではないのだ。議会に出した資料なのだ。新座市議会も軽く見られたものである。2つ目は小学校のプール指導の件。沢山の保護者と子供達から「先生が水着も着ていないし、プールの中にも入らない」という話を聞いている。(複数の議員も同じことを違う学校で聞いている)それを議会で「あり得ない」「証拠を見せて欲しい」と教育長は言ったのだ。まさかプールの写真を取りにいくことはできない訳で・・・正しい情報が入っていかないシステムになっているか、情報を知りながら「あり得ない」と言ってしまったかのどちらかだろう。多分、前者だとは思うのだが・・・。そういうことを調べるのが仕事でしょうに。あの答弁には本当にがっかりしたのだった。もう一つは「新座カップ山田杯」についての答弁が余りにも冷たかった。中学校の先生達が手弁当で32年間もやってきた大会なのである。毎年プログラムも送っているし、30回大会の時には市長も教育長も来賓として招かれ、記念写真も撮っているのだ。「その団体は後援申請を出しておりません」「今後このようなことが二度とないように厳しく指導いたしました」というような感じで冷たく言い放ったのである。小学校しか経験していない人には休みの日も部活動をやる中学校の先生達の苦労は分からないだろう。真夜中にも出動していく先生達の苦労も実感できないだろう。
質問 だから僕は市長に質問したのだ。議会には中学校の先生と、小学校の先生がいた方がいいんじゃあないですか?という意味の質問をしたのだ。しかし、市長は意味がよく分からなかったらしく、教育委員の中には中学校の校長だった方もいらっしゃるので・・・バランスは取れていると思います」と答弁していた。僕が言いたかったのは議会でのバランスだ。教育長が小学校出身だったら、学校教育部長は中学校出身。それがバランスというものだ。逆に中学校出身の教育長だったら、学校教育部長は小学校がいいバランスだと言いたかったのだ。
野次 今日の僕の討論に野次はなかった。かなりの人たちが僕の顔を見て、僕の話を聞いてくれていた。みんな議案には賛成したけれど、僕が言ったように(おかしいものはおかしい)と、感じてくれていたように感じる。1対24ではあったけれど、僕は後悔していない。新座の先生達のために、新座の子ども達のために発言したつもりである。新座の子ども達が伸びていくのならどんな協力でもしていこう。でも、駄目なものは駄目と認めないことからは何も生まれてはこないのだ。違うかな・・・。
ちょっと・・不思議 夕飯の次は塾。流石にちょっと疲れたかも知れません。朝から色々ありましたから・・。でも、子どもたちといると元気になるから不思議です。
今日の写真1 議会が早く終わったので、空のプールを見に行きました。最初のバタ足では楽しそうに泳いでいました。
今日の写真2 今日は記録会でした。クロールと背泳のタイムを計りました。僕のストップウォッチでは両方とも基準タイムを切っていました。3級から2級に進級できるかも知れません。
1時 現在の時刻は夜中の1時。亮はちゃんと眠れているかな・・・僕は久しぶりに空の隣で寝ます。ちょっと幸せです。たかやん
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3月24日 (水) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第84弾! 2010.3.24(水) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第84弾! 2010.3.24(水) たかやん
雨 議会最終日は雨。朝ごはんの後、ひとみに市役所まで送ってもらった。色々あって、今回の議会は一度も歩かなかったなあ・・・。反省、反省。
意見書 今回の議会は今までで一番多くの意見書が提出された議会のような気がする。政和会2本、公明党4本、語る会2本、民主党2本、そして共産党2本の計12本である。
ツイッター 今日の日記もツイッターで再現してみよう。 「議会最終日です。意見書を日本提出しました。「後期高齢者」問題と「普天間移設問題」両方とも没になりそうですが・・・」 * 没になっても言いたいことはいわないとね。
「意見書で30万平方メートルを30万haと言ってしまい訂正。1ヘクタールは1万平方メートルなので・・・ああ恥ずかしい。」 * 大和田通信基地は最初30ヘクタールだったが、今は117ヘクタールもあるのだ。
「午前中は意見書が2つ採択された。午後に僕の提出した意見書の二つが採決される。後期高齢者医療制度の早期廃止に反対するのは誰だろうなあ・・・」 * 反対したのは自民党・公明党のみなさんと民主・刷新の会のみなさんだったなあ。
「午後に入り、議会が妙に活気を帯びてきた。公明党の川上さんの提出議案に対して、共産党の笠原さんが噛み付いた!!」 * 公明党はどうやら全国どこでも同じ意見書を提出しているらしい。それはおかしいでしょ?とカサジ。
「僕が提出した“後期高齢者医療制度の早期廃止”の意見書に刷新の会の嶋田さんが質問しながら、マニフェスト違反ではない。と言った。“4年という時間は若い人には待てるかも知れないが、お年寄りには待てない時間の長さだ!”と僕は反論した。」 *民主党の長妻さんは選挙の前、テレビで何度も後期高齢者医療制度は直ぐに廃止します!と言っていたのだ。それを信じて投票した人はかなりの数になるだろう。4年は直ぐだという島田さん。お年寄りの気持ちがまるで分かっていない。長妻さんと同じように、厚生労働省の役人の言葉を信じているのだろうが・・・
「温室ガス削減関連」の意見書を民主党の柴崎議員が提出。それに対して、自民党政和会が3人も質問した。嶋野・榎本・平野さんがきつい質問を続けている。自と民の対決である。活気があっていいねえ・・・。 * 意見書に同じ会派が3人も質問するというのは異例なことだ。
マジ? 高校の無償化から朝鮮学校を排除せず、学ぶ権利をすべての子どもに保障することを求める意見書に賛成したのが共産、公明、語る会。これで過半数を超えた。共産と公明の二つの政党が自民・民主と対立した構造になった訳で・・・そんなこともあるんだ・・・とビックリしたのである。
将棋 亮の病院に行った。面会時間ギリギリまで二人で将棋を指した。「続きは後でな」「うん」と携帯のカメラで途中経過を記録した。亮は玄関まで見送ってくれた。僕らは握手して、そして手を振って別れた。
祈り お風呂の中でいつものように祈った。亮の手術が成功するように・・・・。きっと天国の父さんが亮のことを守ってくれると思う。
今日の写真1 3月議会最後のお弁当です。パソコンの画面はツイッターです。勿論、議会の様子を呟いています。
今日の写真2 議会が終わり、控え室に挨拶に来た森田議長(左)と並木傑議運の委員長(右)です。後ろに副議長のカサジがいます。森田さんの議長は兎に角よかったです。声が大きくて、言葉がはっきりしていて、常に緊張感があって、最高でした。本当にお疲れ様でした。
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3月25日 (木) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第85弾! 2010.3.25(木) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第85弾! 2010.3.25(木) たかやん
雨 いよいよ手術が始まる。7時過ぎには病室に行かないと・・・最後の別れになる可能性もあるのだから・・・そんなことを考えながら車で254を走っていた。
川 手術室に入る前の会話。「麻酔でも夢は見るのかなあ」と亮。「見るだろうけど・・・川があったら渡るんじゃないぞ!」「じいちゃんに会ってもついていっちゃ駄目だぞ!」と僕。「何それ!」と笑いながら亮。大安吉日でも一応言っておかないと・・・
8時45分 中央手術室に亮は消えていった。家族待合室で独り本を読みながら待つ。途中で5組以上の家族が呼ばれて出て行ったが、亮の名前はなかなか呼ばれない。
12時17分 執刀医の秦先生がいきなり現れる。(心臓がドキドキする。)「無事終わりましたよ」「23ミリの人工弁をつけました」「三尖弁が二尖弁だったんです。もうボロボロの状態でした。」「一つ問題がありました。大動脈の狭窄が酷く、弁が上手くつきません。ですから、その部分を切り取って、亮さんの心膜を使って、形成手術をしました。」「輸血もしなくて済みました」僕は秦先生と握手をして「ありがとうございました!」と頭を下げた。嬉しくて、嬉しくて涙がでてきた。
15時 ICUに入室を許された。亮は口の中にチューブが入れられた状態なので話せない。それでも目で僕を追い、こっちの言葉に反応していた。傷口よりも、口に入れられたチューブが苦しいらしい・・・。「夕方にはとれますよ!だから、寝ないで大きく深呼吸頑張ってね!」と看護婦さんに言われた。
疑問 「手術の時、肋骨はどうするんですか?」と僕。「切らせて頂きました」と看護婦さん。「その後は?」「ワイヤーで固定します」「人工心肺はどうやってつけるんですか?」と質問は続く・・・心臓を止めながら、どうやって人工心肺をつけるのかが疑問だったのだ。
電話 嬉しくて、嬉しくて沢山電話した。我が家には勿論、兄貴や叔父、そして議会事務局の方たちや議長の森田さん、議運の委員長の並木さん、そして何度も声をかけてくれた平野さんにも報告した。亀田さんにも電話したかったが、番号が分からないのでかけられなかった。いつも遠く青森で祈っていてくれた加代子さんにも電話した。本当に有難い応援だった。そして、この日記を読んでくださっている全ての方に感謝します。息子の手術は無事終わりました。本当にありがとうございました。たかやん
弟 「亮ブー、心臓の手術したの?」と空。「そうだよ。大変な手術だったんだよ」お風呂の中で空に三尖弁と二尖弁の説明をする。小さな空がお兄ちゃんの手術が大変な手術だったと知るのは、まだ少し先のことだろう・・・。
今日の写真1 中央手術室に入っていく時の亮です。握手をしてから、亮は手術室に消えていきました。勿論不安でしたが、先生を信じる気持ちがその不安を小さくしていきました。「信じるものは救われる」のです。
今日の写真2 ICUの亮です。この沢山の管が少しずつ減っていくのだそうです。明日には食事もできるくらいに回復すると言われて驚きました。兎に角、たくさんの方たちに感謝の気持ちで一杯です。
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3月26日 (金) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第86弾! 2010.3.26(金) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第86弾! 2010.3.26(金) たかやん
鍵 いつも必ず持ち歩いている鍵の束を失くした・・・・。どう考えても、失くす理由が分からない。ママに怒られ、空に責められ・・・苦しくなって・・・・目が覚めた。真夜中に飛び起きて確認する。鍵はちゃんといつもの場所に置いてあった。ほっ!
阿部整骨院 体が余りにも痛いので、午前中に阿部整骨院を予約した。するとババツ(五中時代の教え子)のお母さんにバッタリ。「あらまあ、分からなかったわ」とお母さん。中に入ると、今度は康恵のお父さんにバッタリ。「先生、元気そうだね」とお父さん。若い頃、随分お世話になったなあ・・・・。
バイク 石神の我が家から板橋まで35分で行った。車だと60分くらいかかるのに・・・バイクは速い。400ccよりも速く走ったのだから笑える。ありとあらゆるテクニックを使って走った。
嘘 亮はベッドの脇に立っていた。「嘘!何でそんなに回復してんだよ・・」と驚く父親。「将棋盤持ってきた?」と亮。「持ってくるわけないだろう。ICUだぜ、ベッドに寝ているって誰だって思うだろ?」「まあね」それ程、亮は回復していた。「お腹が減って死にそう・・パンかなんか買ってきて!」と言いたい事を言う。口のチューブが取れるということは聞いていたけれど・・・本当にびっくりした。
電話 夜、知らない番号から電話が来た。「たかむら先生ですか?」「そうです」「由美の兄のともはるですけど・・・」「うん、どうした?」「母が昨日・・・・」「え!!」それは教え子のお母さんが亡くなった知らせだった。僕は塾が終わると、福島家に飛んでいった。亮が命を貰った日に、由美のお母さんは旅立ったのだ。お通夜は28日、告別式は29日。新座霊園で行われる。由美と同級生の緑ジャージ、由樹と同級生の緑ジャージ。これを読んでいたら、行ってあげてね。
今日の写真 集中治療室の亮です。管はたくさんついていますが、ベッドから降りて座れるようになりました。胸の傷は20センチから30センチ。そこが痛むらしいですが、経過は順調です。もしかしたら、日曜日には個室に行けるようになるかも知れません。集中治療室にいるということは危険な状態である、ということも言える訳で・・・なるべく早くここを出てほしいと思います。
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3月27日 (土) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第87弾! 2010.3.27(土) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第87弾! 2010.3.27(土) たかやん
筋肉痛 どうも体中が痛くていけない。特に腹筋が妙に痛い。硬いしこりは筋肉なのだろうか、それとも・・・いかん、いかん。
駅立ち 29日からやろうか、5日からやろうか、12日からやろうか・・・で、悩んでいる。29日がベストなのだろうが、春休みでいつもの子達と会えないのがなあ・・・。それは5日も同じことで・・・どうせやるなら12日にやるか。
という訳で ひばりヶ丘は4月12日、東久留米13日、新座14日に決めた。駅立ちをしているみなさん、よろしくです。
賢と千明 ひとみの同級生の賢から電話がきた。そして同じ日にやっぱり同級生の千明からもメールが来た。二人とも、どこにいるんだろうねえ、会いたいねえ・・・といっていたのだ。見えない何かで繋がっているかのように、連絡が来るから不思議だ。
キム・ヨナ オリンピックの重圧から開放されたキム・ヨナ。世界選手権では信じられないようなショート・プログラムを見た。あんなキム・ヨナに勝っても、浅田は嬉しくはないだろう。フリーでは見違えるようなキム・ヨナを見てみたい。彼女に7番は似合わない。
亀田 ずっとボンサクレックを応援していた。そして、ボンサクレックが勝った。でも、負けたあとの亀田はよかった。四方に深深とお辞儀をしていたのだ。品のない亀田兄弟は嫌いである。だけど、礼儀正しい亀田なら応援したくなる。
今日の写真 亮は集中治療室から個室に移りました。恐ろしいほどの回復力です。左が兄、右が弟です。21歳違いますが、小さい時の表情や仕草がよく似ていて笑えます。空は亮の体についているチューブが気になるらしく、「この赤いのは亮ブーの血なの?」「この青いのはなあに」「どこからでてくるの」「これは?」と質問攻め。それでも亮は「これはねえ・・」とちゃんと説明していました。空が亮に書いた手紙です。“りょうブー。はやくたいいんして、いっしょにあそうぼうね”空。テニスもサッカーも将棋もきっと亮が空に仕込んでくれると思います。僕ら夫婦のダブルスが兄弟のダブルスに勝てなくなるのに、そんなに時間はかからないでしょう。
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3月28日 (日) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第88弾! 2010.3.28(日) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第88弾! 2010.3.28(日) たかやん
寝坊 久しぶりによく寝たような気がする。昨夜は遅くまで仕事をしていたので、睡眠時間はいつもと同じくらいだが・・・
7−5.6−3 午前中はひとみと組んで、男子ダブルスと2試合やった。何度も負けそうになりながら、最後まで諦めずにやって勝てたのが嬉しかった。どんなにいいことがあっても、どんなに辛いことがあってもテニスはやる。そう決めておいてよかった。1時間半のテニスでストレス解消である。
気胸 突然、亮の右胸に穴を開けることになった。「気胸が発見されました」と言うのだ。病院で同意書にサインして、直ぐに手術。レントゲンを見る限りでは右の肺の体積は通常の7割から8割しかなく・・・かなりの隙間があったのだ。
痛み 心臓の手術の後、胸の傷が痛いと笑っていた亮だったが、気胸の手術の後のほうが痛みが強いらしく。声を出すこと自体が辛そうだった。自然に心臓の方の痛みは分からなくなるらしく・・・「よかったねえ・・痛みが消えて」と僕。「・・・・・」と亮。心臓の手術をしていなかったら、気がつかなかった病気もこうやって治してもらえたのだ。亮は幸せ者である。
お通夜 6時過ぎからは由美のお母さんのお通夜。久しぶりの龍太郎、沙都子、ひろ、まいちゃん、こころ、そして大介、亜希子・・・由美の学年の子達とは笑顔で話せたのだが・・・由美のお母さんの前では涙しか出てこなかった。兎に角、元気なお母さんで・・・僕のことをいつも応援してくれていて・・・大好きだったのだ。
大介 お通夜の後、大介と我が家で語った。ひさしぶりに愛と人生を語った。1年4組で出会った時は13歳。あれからもう20年近く経とうとしているのだ。大介には本当に幸せになって欲しい。担任はいくつになっても、そう思うのである。
今日の写真 気胸の手術をした直後の亮です。僕は笑っていますが、亮は無理して笑っています。早く歩けるようになって欲しいです。
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3月29日 (月) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第89弾! 2010.3.29(月) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第89弾! 2010.3.29(月) たかやん
胃カメラ やはり胃カメラを飲むことになった。どうもお腹のシコリが気になる。インターネットで調べると、嫌な病名が出てくる。胃カメラを飲んで、もし“癌”が見つかったら・・・ 覚悟を決めなくてはいけない。
ひとみへ お墓は高い。俺が死んでも墓を造ることはない。俺の骨はいくつかに分けてしまえばいい。小さな小瓶をいくつか買ってきて、雪・亮・空で分け、余った骨は富山の墓に入れるもよし、俺の好きだった場所に撒くもよし・・一番安い小さな仏壇を買って、そこに入れるもよし。年に一度の墓参りより、毎朝、毎晩思いだしてくれる方が嬉しい。
会葬御礼 親友の和彦は自分の葬式の会葬御礼の文を自分で考えていた。病院のベッドの上で書いていたっけ・・・。もしも、癌で駄目だったら、俺も書こうと思う。今までお世話になった人達に、そして先に逝ってしまう申し訳なさを母さんや叔父さんや兄貴達に。
健康が一番 いつも思うのだ。俺は裕福ではないけれど、健康であることは大金持ちと一緒なんだと。もしも自分の腕を売るとしたら、いったいいくらで売るだろう。1億?2億?いや100億でも売らないと思う。テニスができなくなってしまったら・・・100億なんて糞くらえだ。足はもっと高そうだ。目も耳も口も高そうだ。健康な俺の体は、他人にはそれ程の価値がなくても、自分には兆でも売れないくらい価値があるのだ。だから俺が大金持ち。健康なら、それだけで大富豪なのである。
告別式 由美と由樹のおかあさんの告別式が新座霊園であった。おかあさんの友達がワンワン泣いていた。本当にいい人だったのだ。金曜日も泣いて、昨夜のお通夜で泣いて、今日もまた泣いてしまった。
テニス ひとみの仲良しと久しぶりにテニスをした。朋矢・恵子6−7優子・ひとみ。試合をしながら考えた。もし、残りの時間がわずかだったら・・俺は何をしたいと思うだろう。きっと、青空の下でひとみとテニスがしたい。そう思うに違いない。テニスができるということは本当に幸せなことなのだ。そんなことを考えていたら、タイブレークの5−6でバックのハイボレーをミスって負けてしまった。とほほ。明日の胃カメラの結果がどうであっても、明日もテニスができたらいいな。
今日の写真 卒園式の朝、担任のあゆみ先生と空です。元気があって、明るくて・・・僕はあゆみ先生が大好きです。不思議ですねえ。娘の雪よりもずっと若いのに・・・先生はやっぱり先生なのです。この後、卒園式であゆみ先生はたくさんの涙を流します。その涙を見ていたら、胸が痛くなって・・・中学校の卒業式を思い出して、泣けてきました。
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3月30日 (火) 『一生懸命』幻のたかやん日記 第90弾! 2010.3.30(火) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん日記 第90弾! 2010.3.30(火) たかやん
運命の朝 しこりのことはひとみと兄貴にしか言ってない。食道炎くらいだといいのだが・・・昨夜から食事も水も抜き。朝はうがいだけで病院へ。
11時 予約は11時。麻酔を口に含んで待つこと5分。舌がしびれてきた。マウスピースを加えて・・・若い女の先生が胃カメラを入れていく・・・これがまた苦しいのだ。ゲーゲー言いながら、涙と涎を垂らし・・・それでもモニターを見ていたのだった。
食道炎 検査の結果は「癌はなし」。食道が炎症を起こしているということだった。どうやらアルカリイオン水だけでは胃酸を中和できなかったらしく・・・特に「甘いものと油っこいもの」は胃酸が出やすくなるので、やめるように言われたのだった。ホッ!!
テニス 安心したので、早速テニスをやった。僕とアベちゃんが組んで、ひとみ・優子に5−7で惜敗。かなり楽しかった。兎に角、テニスができるのだ。東京オープンも川崎オープンも出られそうだ。めでたし、めでたしである。
バイク 川越街道をバイクで走る。今日も板橋まで33分で走った。病室に入ると、亮の高校時代の友達がお見舞いに来てくれていて、びっくり!だって、亮は高校に1年間しか通ってないからだ。高校時代の親友のちはや君は綺麗な奥さんと赤ちゃんを連れてきていて・・・病室は大いに盛り上がったのだった。
今日の写真1 友達と話しながら笑う亮です。久しぶりに、こんな笑顔の亮を見ました。小さい頃は本当によ笑った子だったのですが・・・11歳で病気が分かってからは、こういう笑顔にはならなかった気がします。
今日の写真2 亮の親友のちはや君と奥さん、そして娘のきらりちゃんです。狭山から電車で来てくれました。友達っていいですよね。親は逆立ちしても友達の代わりはできません。人生の宝物だと思います。
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