Diary 2010. 10
メニューに戻る
10月1日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第270弾! 2010.10.1(金)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第270弾! 2010.10.1(金)  たかやん

都民の日
そう言えば、10月1日は都民の日で昔も学校は休みだった。どういう理由だかは知らないが、八石小も今日はお休み。朝の見守りもない・・・塾もない・・・議会もない・・・テニスもやらない。完全休養日じゃ。

録画
こういう時は、ソファーにごろんとして、録画した番組を見るに限る。韓国ドラマを見て、笑い転げる・・・。

ハングル
教えもしないのに、空がハングルを書くようになった。僕のアイフォン4のアプリに韓国語の勉強アプリが入っているのだが、それを勝手に使って勉強しているのである。そして「これ読める?」「どういう意味?」と僕に挑戦してくるのだ。いやあ、負けそうである。

命日
今日は陵平の命日。朝からどうも落ち着かない・・・心の中がざわざわしている感じなのだ。理由は分からない。今年で10年経つからだろうか・・・それとも父さんが死んで30年経つからだろうか・・・父さんの命日は10月3日。そして10月5日は二郎の命日・・・10月は大切な人の命日が続くのである。

味噌
毎年“陵平味噌”を造っては政江さんに届けていたのだが、今年は“たかやん味噌”を届けた。陵平のおじいちゃんが大豆を収穫できなくなってきたので、陵平味噌を仕込むことができなかったのだ。

10年
陵平の家に行ったのは19時頃かな。そして語りに語って、出たのが0時過ぎだったか・・・。その間、陵平の友達は来てくれたが、先生は一人も来なかった。今日だけではない。この10年間、誰一人として来ていないのだ。僕は歩いて、歩いて1時過ぎに6中の前を通って・・・(お!職員室の電気が消えてるじゃん!)と感心して・・・家に帰ったのだった。

職員室の電気
僕がいたころの2中は真夜中も職員室の電気が付けっぱなしだった。その伝統?は暫く続いていたし、他の学校に伝染していたようだが、今はどうなっているのだろう。教育は生徒を信じるところから始めなければいけない。そういう意味で、真夜中に職員室の電気が消えているのは嬉しいことなのである。(市の財政のためにもね)

今日の写真1
陵平に手を合わせて、お線香をあげました。陵平からの言葉はなにもありません。ただただ、僕が陵平に語りかけるだけでした。写真の陵平は13歳のまま・・・友達は23歳、24歳になっています。

今日の写真2
陵平の同級生のたくや君と弟のともや君です。お母さんが「ともや!」と呼ぶたびに、反応している自分に笑いました。同じマンションに住む友達も、毎年来てくれているのです。

今日の写真3
陵平の同級生のひろや君とお兄ちゃんの走太です。ひろや君と二人で帰り道、色々話しました。「毎年来てるの?」「あ、いや20歳になるまでは来れませんでした。」「そうなんだ」「何か、来れなくて・・・・こころの整理ができなくてっていうか・・・」「何で来れるようになったの?」「会いたかったからです。」「誰に・・」「お母さんや、走太さんに・・・会いたかった。」「そっかあ・・・会いたかったか」「はい」
ハイチュウを陵平に渡した13歳のひろや君はそれから7年間も悩んだのだ。陵平が死んだのは自分の責任じゃあないのかと・・・。
「ひろや、青森にも陵平と全く同じように死んだ子がいるんだ。その子はライターをつけようとしたところを見つかったんだけどね。ひさゆきに火を付けてみて!って言った子もきっとひろやと同じように悩んでいると思うぞ。だけどな・・ひろや。ひろやがやったことも彼女が言ったことも間違ってない。ライター持ってたら、「本当に火つくの」「火付けてみて」って言いたくなるのが子どもだよ。ハイチュウ持っていたら、友達にあげたくなって当たり前なんだ。俺が教師としてその現場に居たら・・俺にもくれ!って間違いなく言ったよ。だって、休み時間だったんだろ?」「はい」「他の先生が見ていたら、ゲンコツの一つはやったかも知れん。だけど、それで終わりだ。ひろやがやったことはその程度のことなんだ。俺はどうしてもひろやにその事が言いたかったんだよ。」「・・・はい」
「ひろや、また来年な!」「はい、おやすみなさい」「おやすみ」

そりゃあ教室でライターに火をつけることはよろしくはないことだろう。だけど、それはライター没収、ゲンコツ一つで済むことではないのか。休み時間にベランダでハイチュウを食べることなど、どうでもいいことだろう。俺ならそこに一緒に座って、ハイチュウを食べながら人生を語るね。「授業中は駄目だぞ!」「ゴミは捨てるな!」とはいうけどね。いつの時代も「取り締まり系教師」はいるものだが、本物の悪には本気で立ち向かえない奴が多い。本物の悪もまとめて、面倒みるくらいの器量がないと、いかんのじゃないのか!そんなことを考えながら、僕は一人歩いて家に向かったのでした。

20101001-1.jpg 20101001-2.jpg 20101001-3.jpg



10月2日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第271弾! 2010.10.2(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第271弾! 2010.10.2(土)  たかやん

9時
昨夜飲んだ60度の泡盛は利いた・・・。さらに飲みながら録画した韓国ドラマを見て、寝たのは4時過ぎ。8時半、「たかやーん、コートに来てね!」と電話があり、久しぶりに6中生との試合をやった。


「君達の目標はなにかな」「関東にでることです」「県大にでることです」「それはまた随分、ちっちゃい夢だねえ・・・関東に出るのが目標だと、関東じゃあ勝てないぞ」「県大に行くのが目標だと県大にでて終わりだぞ」「・・・・」「関東で優勝する、とか、全国で優勝するとかじゃなけりゃあ、俺達には勝てないぜ・・・」「あ、はい」6中生と試合をするのは何年ぶりだろう。最後に全国大会に行ったのは・・・もう8年前か・・・もしかしたらそれ以来かな。

才能
結局6−0.6−1で相手にならなかったけど、二人に才能は感じられた。10年前だったら、「日本一のチームに日本一のダブルス」を作ったかも知れない。しかし、今の僕にはそういう時間がないのである。もったいないけどね・・・。


練習から戻り、直ぐに市役所前の滝山小児クリニックへ。空の咳が酷く、喘息のようになってしまったのだ・・・。吸入をして・・少し落ち着いたので、三人でうどん屋さんへ。そこでたらふく食べて・・・100円ショップでお買物。空が欲しがっていた、ハロウィンの魔女の帽子を買ったのだった。幸せ、幸せ。

練習
3時半過ぎからは練習。ひとみが試合前なので、1時間半ほど付き合った。ひとみの肉離れ?も大分回復してきたみたいだ。試合はボロボロだったけどねえ・・・。

600人
陵平のお葬式には600人の参列者。学年が進級する時には、先生達が行列で来たのだそうだ。でもこの10年で陵平に会いに来た先生はゼロ。お墓参りに来た先生もゼロ。友達は沢山来ているのに・・・・どうしてそうなるのかなあ・・・。10年の月日が、あの時の先生達の過ちを証明しているのじゃあないだろうか。過ちを認めないと・・・また同じことが起きるのに・・・そういう大人の背中を見て育った子ども達は可哀そうだなあ・・・。

30年前の今頃
父さんの手を握って、僕は母さんと話をしていた。段々父さんの呼吸数が減ってきて、手が段々冷たくなって・・・とうとう父さんは呼吸をしなくなった。そうやって、父さんはやっと楽になったのに・・・人工心肺が取り付けられ・・・父さんは再び息をし始めた。(何でそんなことするんだ!)と悲しかったが、父さんの冷たかった手が、また温かくなると、嬉しくて・・・僕は父さんの手をずっと握ったまま暫く手を離さなかったのを覚えている。父さんの手の温もりは今でも思い出すことができるから不思議だ。あの時の父さんは57歳。僕はもう直ぐ、父さんに追いついてしまう・・・・。


川掃除のメンバーへ
明日の掃除は9時11時くらいを目安にやりましょう。佐藤君達が上流で魚類調査をしているので、協力してやりましょう。反省会は各自で昼食をとり、シャワーを浴びてから、夕食前までにしましょう。子ども達は次の日学校ですから・・・。各自の飲み物・ツマミだけ持参でどうぞ!たかやん

今日の写真1
この間、駅立ちの師匠の事務所に遊びに行きました。来年の選挙を控え、忙しそうなよしのりです。(すみませんね。「たかやん」「よしのり」と呼び合うことにしていますので・・・)
最近は公明党の新しい看板が目立ちます。自民党と共産党の候補は決まったんでしょうかねえ・・・。

今日の写真2
本当にくだらない写真なのですが・・・何年か振りで「カップラーメン」を食べました。「空は人生でまだ1回しか食べてないんだよ。食べたいよ!」という息子の声に負けてのカップ麺。それでも「孫は優しい」を目指せばこんな風になります。

20101002-1.jpg 20101002-2.jpg



10月3日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第272弾! 2010.10.3(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第272弾! 2010.10.3(日)  たかやん

第一週
今日は第一週の日曜日。川掃除の日だ。空と二人、自転車で栗原1丁目公園に向かう。今日のメンバーは直弘、祐晴、文夫、純一、勝将、美穂と子ども達。わいわいガヤガヤ掃除が始まった。

途中参加
そんな中で途中から参加してくれたのが、カン君と真弓ちゃん。二人とも五中の卒業生である。二人とも初参加で・・・特に真弓ちゃんとは懐かしい話で盛り上がり・・・

理科
「先生の理科の授業は面白かったですよ」という言葉に僕は驚いた。だって、当時の僕は15歳の彼女達に、何かを教えるという技量がなかったと自分では思っていたのだ。今の自分の100分の一の力もなかった気がするのだから、どうしようもない。でも「面白かった」「楽しかった」という真弓ちゃんの言葉を聞いて、申し訳ない気持ちが、少しだけ弱くなった気がする。

男子テニス部
「女子テニス部はみんな男子テニス部が羨ましかったんですよ。」と真弓ちゃん。「え、そうだったんだ。」「練習が楽しそうだったから・・・・」「そう・・・」真面目に軟式テニス部を教えたことのない僕には、それも意外な言葉だった。

余り物
当時の五中は新卒に甘い学校ではなく・・・いきなりの3年生の担任で、しかも2学年の授業をやらされて・・・部活動も男女一緒に教えたかったのに、男子テニス部になって・・・・クラスも最後に残ったクラス・・・余り物ばかりだったのだ。いやあ、とことん鍛えてくれたなあ・・・先輩達は。

反省会
明日は学校があるし、僕は駅立ちなので、今日の反省会は14時スタート。今日の反省会には大人が10人(男女5人ずつ)子どもが7人集まり・・・盛り上がりに盛り上がったのであった。

家庭訪問
「家庭訪問でビックリしちゃったのよ。」「何かあったの?」「うちの子、学校ではどうですか?って先生に聞いたら・・・」「僕は新任なので、お子さんのこと見ていません、って言うのよ。」「嘘だあ・・」「いや、それが本当なの。もうびっくりして、家庭訪問の目的はなんですか?って聞いたら、家での様子を聞きにきました、って言うのよ。」「それは酷いね」「論外だよ、そりゃあ・・・」と、話が異常に盛り上がり・・・・色んな学校があって、色んな先生がいるのだなあと感心?したのだった。

命日
30年前の今日、父さんは死んだ。57歳だった。当時の僕は26歳。五中の4期生の3年の担任だった。僕ももう直ぐ父さんの死んだ57歳になる。超えてはいけないものを超えてしまうような気がしてならない。父さんを超えられるのは、それくらいしかないかも知れないが・・・・・こんな俺が、父さんより長生きしていいのかな・・そんな気になってしまう。父さん!お父さん!お父ちゃん!!30年経っても、お父ちゃんは僕の心の中にしっかりと生きています。それだけは、僕の人生の中で確かなことです。お父ちゃんの子どもに生まれてよかった。心からそう思います。

ひばりヶ丘
明日の駅立ちはひばりヶ丘でスタートです。雨の時は水曜日になりそうです。火曜日は東久留米に行くことになっていますので・・・・5時55分、いつもの時間にスタートします。

今日の写真1
9時過ぎの栗原1丁目公園です。小さな子どもたちも、小さな戦力になるところが川掃除のいいところです。子ども達も、大人も、みんな言い顔していますよねえ・・。

今日の写真2
子ども達の掃除風景です。トングを持って歩いていると、沢山の方たちから「ご苦労様」「ありがとう」って言われます。子どもたちも、沢山の「ありがとう!」を貰ったようです。

今日の写真3
今日は魚類調査も同時に行われました。栗原1丁目第二公園には沢山の人が集まりました。「アブラハヤ」「オイカワ」「スミウキゴリ」などが多数採れました。ザリガニも沢山採れて、子ども達も大喜びでした。

20101003-1.jpg 20101003-2.jpg 20101003-3.jpg



10月4日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第273弾! 2010.10.4(月)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第273弾! 2010.10.4(月)  たかやん

5時
外は真っ暗・・・そして霧雨。どうするか・・悩みに悩む。天気図を見る限りではいけそうな感じだったから・・・。それでもいつ降ってくるか分からないというテレビの情報に納得し・・・5時30分、ひばりヶ丘での駅立ちは、明日に延期することに決めたのだった。

7時45分
空と一緒に家を出る。雨は降っていない・・・。交通指導員さんのIさんがお休みなので、子ども達を置いて、先回り。でも、そこにはM教頭先生の笑顔があった。僕は安心して、東門に。そこには純一の笑顔があって・・・さらに安心したのだった。

Tさん
交通指導員のTさんは、空たちが予定時間になっても帰ってこないと・・・・迎えに行ってくれるのだそうだ。僕はそのことをこの間初めて知った。自分の持ち場にいるのではなく、子ども達に何かあったら大変だ・・・と、迎えに行ってくれる。お母さんのような交通指導員さんと会えたのも、空たちの「縁」である。先生たちとも「縁」。交通指導員さんとも「縁」。友達も勿論「縁」。空は「縁」に恵まれている。

8時20分
僕と純一と順子は4教室の見守りを始めた。なかよしの教室で泣き出してパニックになる子がいたので、優しい言葉で解決する順子。1年生の教室もちょっとしたことで大声を出す子も・・・そこは空父が落ち着かせる。何もなければそれでよし。何かあった時に、役に立てればさらによし。中学校では「担任のいない時間帯、特に休み時間が危険」と言われているが、小学校でもそれは同じだろうと思う。外部からの侵入者に対しては勿論、緊急事態やいじめに対しても大人は知恵を出し合って、対応しなければいけない。

お喋り
東門の前で三人でお喋り。「それにしても、温かいクラスだよねえ。子ども達の言葉が優しいよね。」「そうですね、表情が明るい。」「クラスの雰囲気がいいもの」「先生の力って凄いねえ」「ですよねえ・・・」お喋りは暫く続いたのであった。

めだか症候群
僕は子どもたちに「めだか症候群になるんじゃない!」と、よく言っていた。弱いめだかは群れてもいいけれど、ある程度強くなっても群れるようとするめだかが多いからだ。そんなメダカには魅力を感じないどころか、危険な匂いを感じるのである。それは教師も同じこと。昨日、五中の1期生と話していて思い出した。
「あの頃の先生ってさ、みんなバラバラだったよね。」「1組は甲神先生のルール、2組はカサジのルール、3組は帯刀先生、4組は俺、5組は神さん、6組は原さんのルールがあったよね。」「はい、随分あたし達も反抗しました」「嘘!甲神嵒に反抗したの?」「しましたよ。女子は大変だったんですよ。」「そうなんだ・・・知らなかった。」「だから、先生の理科の授業が楽しみだったのかも知れない・・・」「えーっ!」

そう、1組では許されないことが4組では許されたり・・・その逆があったり・・・そんな馬鹿な・・と、思うかも知れないが、当時の子ども達はそれはそれで納得していたのだと思う。僕は靴下の色や長さには拘らなかったが、靴の踵を踏む子には厳しかった。太いズボンを履いてきても、長いスカートを履いてきても、ルーズソックスを履いてきても、怒らなかったが、弱いもの苛めや卑怯なことは許さなかった。僕の原点は、やはりあの最初の学年なのだ。いいんだか、悪いんだか分からないけれど、新任の僕に救いの手を差し伸べる先輩はいなかった。僕が助けを求めなければ・・・・。でも、「ちょっと相談があるんですけど・・」というと、みんな優しくアドバイスをしてくれたのだ。みんなこころの端っこに僕のことを気にかけてくれている。そんな先輩達だったと思う。

あの学年で、陵平が休み時間にハイチュウを食べたとしたら・・・21人の子達が食べたとしたら・・・
1組の甲神嵒。全員の胸をつまみあげて、終わり。2組の笠原進。学級会で解決。3組の帯刀俊雄。帰りの会で大説教でおしまい。4組の高邑朋矢。「俺にも食わせろ!」で何事も起こらず。5組の神宮司久子。勿論、神宮司チョップで21人全員ダウン。6組の原日出夫。不明。(何をしているか1年間分からなかったので)

いずれにしても、そんなことでの親を呼び出す確立は0%。学年集会を開くなどは論外というところだ。誰かがそんなことを提案したら「俺達はそんなに暇じゃないだろ」と帯刀先生が一喝して終わり。陵平がどこのクラスにいたとしても、死ぬ確率は0%。当たり前の話だが・・・当時の二中の失敗は、誰もが同じことを言ったこと。表面だけならよかったかも知れないが、子ども達の側に立つ教師が誰もいなかったことが悲劇だった。勿論、僕らだって、下らない事ではバラバラだったが、ここ!と言うときにはみんなで一致団結したものだ。二中の悲劇、央侑の尾上中学校の悲劇は「ここ」を間違えてしまったこと。さらにはその対応が余りにも人間味の無い対応だったことによるものだ。

メダカ症候群のメダカの悲劇は・・・自分がメダカだと気がつかないことだ。周りと同じだと安心することが全てだから、気がついていても気がつかないふりをすることもあるかも知れないが・・・おっとっと、明日は東久留米での駅立ち。愚痴っている場合ではないか。

調整
よしのり事務所、神風事務所、共産党市議団と調整した結果。明日は東久留米に、木曜日はひばりヶ丘ということにした。明日のひばりヶ丘は神風さんに、水曜日のひばりヶ丘は共産党に、水曜日の新座は神風さんに譲ったのだ。来年は統一地方選がある。解散総選挙もあるかも知れない。駅立ちにも調整が必要なのである。

今日の写真1
昨日の反省会の写真です。圧倒的に五中人が多い中、六中人もいますねえ。五中は1期生、4期生、8期生、11期生、14期生と揃いました。昨夜は体育祭の話でも盛り上がりました。

今日の写真2
空が作ったお弁当です。最初見たときにビックリしました。「なんでこんなん作れるん!!」
「えへへへへ」友達に見せるんだ、と張り切る空でした。

今日の写真3
お弁当の中身です。ハンバーグに野菜、エビフライにウィンナーソーセージにパスタのお弁当。裏にはバーコードまで付いていました。「ハンバーグ触っていいよ」と空が言うので、触ったら・・・「うわっ!」まだ絵の具が乾いてませんでした。とほほ。

20101004-1.jpg 20101004-2.jpg 20101004-3.jpg



10月5日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第274弾! 2010.10.5(火)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第274弾! 2010.10.5(火)  たかやん

二郎の命日
今日は二郎の命日。若くして亡くなった教え子は多いが、奥さんと子ども二人を残して逝ったのは二郎だけかも知れない。サッカーが上手くて、格好よくて、バイクが大好きで・・・そのバイクで死んでしまった二郎。僕は、時々兄貴の直弘のことを「二郎!」って呼んでしまうことがある。ちょっとした瞬間に似ているのだ。二郎・・・空の上でサッカーやってるかい?

5時
外は真っ暗。そっと布団を出て・・着替えて、新聞に目を通し、駅立ちの仕度に取り掛かる。今日は東久留米なので自転車。スーツで自転車・・・・東久留米の駅には5時55分に着いた。

馬鹿だねえ・・
今日一番楽しい瞬間は小学生の集団に会った時。みんなが僕に挨拶をしてくれるので、僕は小学生に手を振り、挨拶をして、チラシまで渡していた。東久留米の小学生にチラシを渡してどうするの・・・・。でも、余りにも可愛くて、止められなかったのだ。本当に馬鹿だねえ・・・。

やったあ!
笑顔で綺麗な女の子が近づいてきた。「あのお・・Fです!」「ああ、わかったあ!!」ツイッターで連絡を取っていた、六中の教え子との再会である。彼女jが中二の時に教えただけという関係だけど、懐かしい笑顔が目の前にあって、本当に嬉しかった。

おいおい・・・
たまにはいかんという話も。駅立ちをしていると、色々な人に出会う。完全無視タイプもいれば、猪突猛進で突っ込んでくる危険な奴もいる。「政治家嫌い」なのかも知れないが、おいおい・・と言いたくなる。笑顔で「おはようございまーす!」と声をかけていると、彼らの人間性まで見えてくる。(それじゃあ友達はできないぞ・・)(それじゃあ、仕事はできないだろう・・・)(部下が可哀そうだなあ・・)(奥さんが気の毒だなあ・・)

基準
僕の判断基準はチラシを持っていってくれるか、くれないか・・・ではない。「おはようございます!」という声にどう反応するか・・・それだけである。チラシを持っていかなくても、笑顔付で「あ、おはようございます!」と言える子ども達もいるのだ。(全く知らない子どもなのに・・・)

教え子達
そんな中で、教え子達の存在は特別である。みんな本当に嬉しそうな顔をしてくれるのである。そして、みんな「行ってきまーす!」と言ってくれるのである。今朝は何回の「行ってきまーす」と「行ってらっしゃい!」を体験したのだろう・・・

700
5時55分から、8時55分まで3時間やったということも。久しぶりということもあり、久々に大台に乗った。新座駅と志木駅は、今回も無理そうである。ひばりヶ丘に明後日立つと、残りは殆どなくなりそうだから・・・。恐るべし東久留米。もっともその半数は東久留米の方たちに渡っている気もするが・・・。

トレーニング
午前中はトレーニングをして体を鍛えた。やっと気胸から脱出した気がする。脳内出血から脱出し、マラソンに挑戦しようという友達もいるのだ。ここでヘバってはいけない。もう一度、ここから全日本を狙わないと。


馬場にある清さんの実家のうどん屋さんが“プレオープン”した。お昼過ぎに顔を出してみると、既に沢山の人たちが・・・・どうやら大繁盛しそうな雰囲気である。

議運
13時半からは議運。ところがまた遅刻をしてしまい・・・・反省、反省、大反省。メモを落としてしまったのがいけなかったあ・・・。

発言
議運での発言が多かったのが、政和会の平野さんと公明党の白井さんの若い二人。頭が柔らかいというか・・・頷ける意見が多く、一人で感心したのだった。

日本脳炎
市役所の帰りに滝沢小児科で待ち合わせ。空の予防接種に付き合った。空は不思議な子で、赤ちゃんの時から、注射で泣いたことが一度もない。誰に似たんだろう・・・。


5時からは楽しい小学生塾。何を教えても、スポンジのように吸収していくので、あっという間に時間が過ぎていく。

0時過ぎ
中学生の塾が終わり、家に帰って来たのがついさっき。気がつくと0時を回っている。今日はツイッターをやっている暇がないくらい忙しかった。明日は駅立ちがなし。だから小学校へ行く。楽しみ、楽しみ。

今日の写真1
槇(まき)のうどんです。肉盛りにてんぷら。きんぴらにお稲荷さん、擂り胡麻もあり、「孫は優しい」にかなり近いです。僕らは満腹になり、お稲荷さんはお土産にしてもらいました。勿論、我が家の今日の夕飯はお稲荷さん。美味しかったあ!!

今日の写真2
清さんの奥様と妹さんのツーショットです。本当に感じのいい二人なので、槇は繁盛するでしょう。結局、お店って感じでしょ?美味しいだけじゃあ駄目だものね。美味しい上に感じがいい。しかも店内禁煙です。美味しいうどんを食べている時にタバコはいけません。本当にほっとできるお店です。

今日の写真3
びっくりしないでくださいね。今の僕の写真です。坊主にパジャマ・・・似合いませんねえ。7月に入院してから、寝るときはパジャマを着て寝るようになりました。明日は5時起きでトレーニング。それではお休みなさーい!!たかやん

20101005-1.jpg 20101005-2.jpg 20101005-3.jpg



10月6日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第275弾! 2010.10.6(水)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第275弾! 2010.10.6(水)  たかやん

ヨジラー
世の中には毎日4時に起きて、勉強や仕事に燃える人がいるらしい。その名を「ヨジラー」僕は「ゴジラー」だから、ヨジラーには勝てる気がしない。早く寝ることさえ出来れば「ヨジラー」にもなれるのだが・・・

挨拶運動
今日はどうやら挨拶運動なるものがあったらしい。僕らでも不思議な光景に見えるのだから、子どもたちにはもっと違和感があるのかも知れない。朝の挨拶運動って、そもそも何のためにあるのだろう・・・。

毎日の法則
何事もそうだけど、「毎日」やっていることは大きい。毎日ということは「継続」に繋がるからだ。そう「継続は力なり」なのである。僕は毎日「学級通信」を書き続けたが、やはりその11年間には何か大きな成果があったと思うのだ。当時の日本には「個人情報保護法」なんていうおかしな法律はなかったので、自由に子ども達の名前も書けたし、写真も掲載できた。そういう時代だったから、毎日書けたのかも知れないが・・・。

連絡網
学級通信に学級連絡網も書けないなんて、どうかしている。事情がある家庭の情報は載せないというのなら分かるが、全員載せないというのだから・・・卒業アルバムに住所がないのも後々困る。クラス会をやるのが大変でしょう。

バスケット
久しぶりにバスケットの試合を見に行った。総合体育館に行くと、事務室に笑顔で手を上げている人が・・・僕が大好きなA部長である。隣にはI課長の姿も見えて・・・3人で少しだけ語ったのだった。

全力
7月の毎日選手権以来、初めて全力でサービスを打った。気胸が怖くてずっと打てなかったのだが・・・今日はいけそうな気がして・・・いい感じで打てたのだった。ほんの少しの練習だったが、全日本への第一歩という感じがした。

スイミング
久しぶりに空の泳ぎを見た。何だか楽しそうに泳いでいた。1年生で4種目泳げたら・・・いいだろうなあ。僕がバタフライを泳げるようになったのは大人になってから・・・。五中の水泳部の子達に習ってからだ。兎に角、楽しいのが一番だ。

オリンピック
空と一緒にお風呂に入った。「黒帽になりたいんだろ?」「うん、上級になりたい。」「だったら、お風呂の中で毎日100回“黒帽、黒帽”って唱えるといいよ!」「空ね、上級よりオリンピックに行きたいんだ。」「え?」「オリンピック」「・・・・そっかあ、オリンピックかあ・・じゃあ、毎日オリンピックって100回言うんだね」「うん」どうやら空はオリンピックに出る気らしい。黒帽になるよりオリンピックに行くといのだから笑える。子どもの夢は馬鹿でかい方がいい。

今日の写真1
清さんは三中バスケット部のコーチ。二中との試合ではかなり気合が入っていました。テニスでは選手を怒鳴るということは絶対にないので、ちょっとビックリしました。でも、バスケットをやる子達って、運動神経の塊なんですね。五中でも六中でもバスケットの経験者が随分、全国大会に行きましたから・・・。

今日の写真2
ウィームアップでバタ足をする空です。1級になって、初めて先頭で泳ぐところを見ました。少しずつ黒帽(上級)が近づいているようです。Fヘッドコーチに「1年生で1級は凄いですよ。過去にもそんなにいませんから。」と言われ、ひとみも安心したようでした。最近、なかなか進級できず、少しテンションが落ちてきていたので・・・・。

今日の写真3
平泳ぎをする空です。僕も小学校では平泳ぎが学年で一番速かった時期がありましたが、空の泳ぎの方が格好いいかも・・・2歳の時から泳ぎ(浮かんでいただけだったど)始めた空。もう5年もやっているのですねえ・・・。

20101006-1.jpg 20101006-2.jpg 20101006-3.jpg



10月7日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第276弾! 2010.10.7(木)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第276弾! 2010.10.7(木)  たかやん

ヨンテンゴジラー
目覚ましを4時半にセットし直したのは僕の睡眠が90分サイクルだから・・・。0時に寝なおして・・4時間半後にちゃんと目が覚めた。4時なら「ヨジラー」5時なら「ゴジラー」だから、今朝の僕は「ヨンテンゴジラー」

5時55分
暗い内に朝風呂に入り、少し勉強して・・・ゴミを出してから、ひばりヶ丘へ。ヨンテンゴジラーだと時間がたっぷりあっていい。ひばりヶ丘には55分ピッタリに着いた。

駆け引き
たかがチラシ配りだが、そこには微妙な駆け引きがある。前に一度でもチラシを持っていってくれた人には、優先的にチラシを差し出すようにしている。だから、同時に3人くらい両方のサイドから来られたときは大変だ。大忙しで手渡すことになる。困るのは、向こうのタイミングが予想よりも遅くて、チラシを引っ込めるのが0.数秒速すぎることがあること。そうすると、こちらが引っ込めるチラシを向こうが追いかける展開になる訳で・・・それをまた「あ、すみませーん!」とバックステップして手渡すのが、なかなかの技術なのである。このバックステップは公明党の川上さんの技術を見て真似ているのだが、相手の顔を覚えるのは自分の脳みそだのみ・・・毎回の積み重ねで覚えていくしかない訳で・・・

元気出して!!
チラシを持って行こうが、行くまいが・・・余りにも元気のない人がいると、すれ違いざまに「元気出して!」と囁くことにしている。駅に立つようになって、5年ほど経つが・・・景気が悪くなって、元気のない人が多くなってきたことは確かである。悩みを抱えている人の朝は辛そうである。少しでも元気を分けてあげたいと思うのである。

覚える
中にはわざとぶつかってきたり、舌打ちをしたり、色々な嫌がらせをする人たちもいる。僕はそういう人たちを真っ先に覚えることにしている。こっちから避けるようにするのだ。そうすれば、必要のないトラブルは防げるから・・・。人相の悪い人が来たら逃げる。因みに、僕のチラシを持っていく人で、人相の悪い人は殆どいない。

タバコ
「なんでそこにタバコ捨てるかなー!!」「道路はゴミ箱じゃないだろうが!!」タバコを道路や側溝に捨てる人がいると、大声を出すことにしている。ところが、その瞬間にタバコを拾ってくれる人もいるのである。そういうとき、僕は「ありがとうね!」と笑顔で言うことにしている。「溝は川に繋がっているんだよ!!」というと、殆どの人が「すみません・・」とペコリと頭を下げるのも面白い。みんな心の中では悪いと思っているのだ。

1000枚
8時55分までの3時間はあっという間だった。いつもの人は勿論、初めてチラシを貰ってくれる人も随分たくさんいた。新座駅、志木駅の分だけでなく、ポスティングの分も足りなくなってしまった。増刷するしかないか・・・でも、お金がないのよねえ・・。とほほ。

トレーニング
お昼過ぎまで90分程トレーニングをして汗を流す。体の機能が少しずつ回復していることを実感する。

ノーベル賞
北大の先生がノーベル賞を受賞するらしい。ノーベル賞といえば京大か東大。北大からノーベル賞というのは凄いことだと思う。北大の先輩には内村鑑三や新渡戸稲造がいるが・・・ノーベル賞だからねえ・・・僕ら凡人は「ノーヘル賞」か「脳減る賞」が精一杯のところか・・・。とほほ。

今日の写真1
たまには議場の写真も・・・。何を言っているのか・・・本人も分かりません。最近、思うのです。議会で質問して、討論して、議会便りを発行して・・・それが市民の幸せに結びついているのかなって・・・。みんなの党じゃあないけれど、議員提出議案で条例案を出すようじゃないといけないなあ・・・勉強が足りないなあ・・・頑張らねば!!そんなことを考えている今日この頃です。

今日の写真2
小学生にも英語を教え始めました。国語と算数の基礎ができ始めてきたので、平行して英語の基礎もやっておこうという訳です。子ども達は確かに「いい耳」は持っています。でも、読み書きは弱い・・・それではどこでも通用しないし、第一面白くありません。読み書きができれば、自然に喋れると僕は思っています。小学生達との勉強は刺激があって、面白いです。毎回、わくわくドキドキしながらの塾になります。   たかやん             

20101007-1.jpg 20101007-2.jpg



10月8日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第277弾! 2010.10.8(金)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第277弾! 2010.10.8(金)  たかやん

ゴジラー
今日からヨジラーでいくつもりだったのに・・目がさめたらゴジラーになっていた。ヨジラーになるには11時半には寝ないと難しい。なかなかその時間には寝れないのよねえ・・・。

東門
今朝の東門には純一の他にも腕章をつけたおじさん(失礼)が立っていた。どうやら、色々な学校を回ってくれている方らしい。子ども達への挨拶にも気合が入っていて・・・なかなかの人だった。

オーマイガッ!
「空君のパパ、今日読み聞かせですよね」ふゆちゃんママにそう言われ、ドキッ。「え、今日は第一週だから無いでしょう。」「今日は二週ですよ。」「嘘」8時15分。1年2組の教室に入って、絵本を探し始める。「参ったなあ・・・空父、すっかり忘れていたよ・・・」というと、わた君が「先生に言ってみようよ。図書室の本、借りていいってきっと言うよ!」とアドヴァイスしてくれた。それを信じて、Y先生に「あのう・・・すっかり忘れてまして・・・」「忙しい方ですからねえ」と笑顔のY先生。「図書室の本借りられますか」「はい、どうぞ、どうぞ!」8時20分、僕は靴下のまま階段を駆け上がって、図書室へ。残り時間8分・・・・探すこと3分。やっと読みたい絵本を見つけて・・・階段を駆け下りて・・・8時27分。「さあ、みんな席に着こうか・・」と、読み聞かせが始まったのであった。

ママだってウルトラセブン
読み聞かせは拍手で始まった。初めて読む絵本なので、もうヤケクソで読んでみたのだが・・・どういう訳だか、それがうけた。絵本の世界に入っていく子ども達。時々、こうたが過剰反応すると、すずちゃんが「静かにしなさいよ!」と叱ってくれて助かった。途中でそのこうたが「空父!どうやって空くんのママをゲットしたの?」って聞くから、「静かにしていたら、後で教えてあげるよ」とヒソヒソ声で言うと、それからこうたはおとなしくなった。可愛い、可愛い。

ハッピバースデー
絵本の中にハッピバースデーの歌を歌うシーンがあったので、2組みんなで歌を歌った。それでまた盛り上がり・・・絵本をヒントにして、色々と質問をする僕に、しっかり答える子ども達。その答えに大笑いしながら、絵本は進んでいったのだった。

バイバイ
絵本が終わり、ちょっとしたゲームも終わり・・・「じゃあね!」というと「空父、バイバイ!」と大合唱。嬉しくなった。来週の金曜日は1年1組。楽しみ、楽しみ。

禁煙
市役所で僕が大好きなMさんに会った。「実は禁煙したんですよ」とMさん。「本当に!!」僕は嬉しくなって、思わずMさんの手を握ってしまった。大事な人には、タバコをやめて欲しいと思うのだ。大事な人には元気でいて欲しいから・・・・。大事な教え子も、大事な友達も・・・みんな元気でいて欲しいから・・・。

今日の写真1
前の議長であり、今の議運の委員長の並木傑さんです。慶応の経済の出身なので、僕が今話題の北大に行かなければ、後輩になっていたかも知れません。彼も原稿なしで、自分の言葉で話せる人です。考え方は違っても、僕はそういう人が好きなのです。人はいろんな育ちかたをしているのですから、「みんな違って、みんないい」のです。大事なのは自分の言葉を持っているかどうかということ。傑さんはしっかりと持っているので、僕は好きな訳で・・・そういう意味では須田市長も好きです。市長与党ではない僕がいうのもなんですが、立派な人だと思います。

今日の写真2
教え子のゆきです。教え子といっても、五中でもなければ六中の卒業生でもありません。当時のゆきは川崎に住んでいました。僕は時々、彼女の家庭教師をしていたのです。勿論、報酬は0円。代わりにゆきのお母さんに英語のレッスンをしてもらっていました。物々交換のようなものですかね。今はイギリスに住んでいて、「家族みんなで遊びにおいで!」と、誘われています。時間とお金があったら、行きたいですねえ。

20101008-1.jpg 20101008-2.jpg



10月9日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第278弾! 2010.10.9(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第278弾! 2010.10.9(土)  たかやん

祐二
久しぶりに祐二に会った。もう45歳になっているのに、まるで30歳くらいにしか見えないのには驚いた。「会いたかったんなよー、祐二」というと、にこっと笑って「そうっすか・・」とこたえた祐二。さあ、語るぞ!っと思ったところで目が覚めてしまった。夢の中でもいいから、祐二と話がしたかったなあ・・・。村田祐二。どこで何をしているのだろう・・。

愛してる
昨日の読み聞かせの中で「お母さんに大好きって言ったことのある人」という質問には9割くらいの子が手を上げた。それに対して「お父さんに大好きって言ったことのある人」という質問には7割くらいの子が・・・やはりお母さんには勝てないのだなあ。笑ったのは「お父さんがお母さんに愛してるっていうのを聞いたことのある人」という質問。絵本の中のウルトラセブンはママに「愛してる」と子どもの前でも言っているらしいのだが・・・どうやら日本?のお父さんは恥ずかしがり屋さんのようである。子ども達のいる前では言えないのよねえ・・・。


そんな空父であるが・・・イトーヨーカ堂へ行った時に、ひとみと空が手を繋いでいるのを見て、ちょっと悔しくなってひとみの手を握ってみた。すると・・・「空、お父さんと手を繋いであげて!お母さん、恥ずかしい・・」両手に子どもなら恥ずかしくはないし、真ん中が子どもでも恥ずかしくないのだろうが・・・両手に7歳と56歳じゃあねえ・・・二人だと平気な癖に・・でも、分かる気がして、僕は手を離したのであった。とほほ。


今日は一日ポスティングの予定だったのだが、雨で流れてしまった。駅立ちもポスティングも雨には勝てないのである。その代わり、資料の整理をしたり、空と神経衰弱をしたり・・本を読んだり・・ちょこっと勉強したり・・色々できてよかった、よかった。

86400秒
昔は一日の中に好きではない時間(例えば職員会議とか、学年会議とか)があったのだが、今の僕にはそういう時間がゼロなので、86400秒があっという間に過ぎてしまう。困ったものである。このスピードで時間が過ぎていくと・・・僕の人生はあっという間に終わってしまいそうだから・・・86400秒を楽しんで、かつ有意義にじっくり味わいながら生きて生きたいものである。

今日の写真1
二人で笑い転げる空とひとみです。僕も1年生のときは母さんにこんな風にしていたのかなあ・・・いや、いや・・毎日こんなふうにしているのですから羨ましい限りです。空は僕にも抱きついてきますが、ひとみとの比率は5対1で完敗ですね。こんな風にできるのもあと数年なんでしょうね。時間がゆっくりと進んでいって欲しいですね。

今日の写真2
すみません。再び、今の僕の写真です。パソコンの前でアイフォン4を使って、自分で撮影しました。そう言えば、眼鏡をかけることに違和感がなくなってきました。眩しい時はサングラス。小さな字と格闘するときは老眼鏡・・・この老眼という言葉が嫌ですね。近視に対しては遠視という言葉があるのですから、「遠眼鏡」が正しい。え?遠視と老眼は違うって?確かに・・・・。とほほ。明日こそヨジラーになるのでお休みなさいませー!
たかやん

感想はこちらへ
<takayanchan@jcom.home.ne.jp>

20101009-1.jpg 20101009-2.jpg



10月10日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第279弾! 2010.10.10(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第279弾! 2010.10.10(日)  たかやん

継続は力なり
「やめられない、とまらない、かっぱえびせん」というコマーシャルがあったが、学級通信を書き続けるコツはやめないことだと思う。そりゃあ書けない日だってある。書きたいことを書けない日もあれば、書きたいことがない日だってあるものなのだ。それでも、子ども達の表情を思い出して書く。子ども達の顔が思い出せない時には、読んだ本の感想を書いたっていい。兎に角、やめないで何でもいいから書き続けるのだ。

やめる理由
学級通信をやめる理由はいくつもある。物理的に時間がない。病気をして、高熱が出た。トラブルが発生してしまった。祖父母が死んでしまった・・・・二日酔いが酷い・・・寝不足・・・・などなど。そのどれも経験したが、それでもやめられなかったのは・・・それまで書き続けてきたという力が強かったからだ。1年間書き続けた力。5年間書き続けた力。10年間書き続けた力・・・その力が、やめるという誘惑に打ち勝ったのである。

11年間
21年間の学校生活のうち、最後の11年間は毎日「一生懸命」を書き続けた。やめられたのは、学校を辞めるという予想外のことが起きたからである。それがなければ、僕は今でも、毎日書いていたはずだ。11年間が21年間になっていたことは間違いない。しかし、人生ってやつは、本当に予想外のことが起こるわけで・・・

先生と政治家
小さい頃、絶対になりたくないと思ったのが先生と政治家。先生の方は21歳の時に、突然目覚めて、猛勉強・・・北大100年の歴史の中で「奇跡」とまで呼ばれた方法で教職を取った。そこまでしてなりたかった仕事だったし、子ども達との出会いは素晴らしいものだったから・・・どんなに管理職試験を受けるように校長達に勧められても、僕は「生涯一教師でいきます!」「校長になっても、クラスを持てて、授業が出来て、部活ができるのなら、やりますが」と、一度も受けることはなかった。

夢にも・・・
だから、自分が学校を辞める、教師を辞めることになるとは夢にも思ったことはなかったのである。僕の「一生懸命」は今も続いているはずだった・・・。でもね・・・「生徒と仲良くするな」なんていう管理職が威張る学校にはいられなかったのですよ。「さあ来い、子ども達!」と大改造した理科準備室に「私物を持ち込むな!」と毎朝、毎朝、職員会議で言われ続けたら・・・2ヶ月で僕はギブアップ。「来年の春は、一緒に卒業しような!」と自由人になる決心をしてしまったのだ。


結局は、その勘は正しかったのだと思う。僕にとっては・・・・。陵平にとっては間違いだったかも知れないが・・・。僕一人で命を救えたかどうかは分からない。でも、あの時学年が違っても、それを知っていたら・・・「気にすんな、陵平!」と声をかけていたに違いない。人生は終わってみなけりゃ分からないが・・・進学も、就職も結婚するのも、一番大事なのは勘なのかも知れない。そんなことを考えていた、連休の二日目であった。

今日の写真1
今月の川掃除の一こまです。川掃除を始めて、今月で丸2年になります。最初は3人だけの寂しい出発でした。それがいつの間にか若い人たちが集まってくれて・・・いい「気」がどんどん僕の方に流れてきたような「気」がします。

今日の写真2
若い人たちは、黒目川の悪い「気」をどんどん取って、捨ててくれているのでしょう。タバコを吸わない集団が、ところかまわずタバコを捨てる集団の後始末をしている。そういう構図ですが、もしかしたら得をしているのは我々の方かも知れません。そりゃあ、タバコアレルギーの僕にはうんざりするような作業なのですが・・・どうも、この川掃除をするようになってから、神様が僕らの味方をしてくれているような気がしてならないのです。我々の周りで、いいことが次々と起こっているのです。

今日の写真3
川掃除が終わった後の気持ちは格別です。地域の方たちに「ありがとう!」と言われた時は、本当に嬉しい気持ちになるものです。だから、みんな笑顔になれるのだと思います。掃除をすると、自分の「気」の質が高まっていくというのは本当のことです。きっと、自分の心の汚れも一緒に綺麗にしてしまっているのでしょう。そういうことに気づくのに、僕は2年かかりました。川掃除もやめられないものの一つになりそうです。たかやん

20101010-1.jpg 20101010-2.jpg 20101010-3.jpg



| 1 | 2 | 3 | 4 |
2010/10
SuMoTuWeThFrSa
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

前月     翌月