Diary 2011. 4
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4月11日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第100弾! 2011.4.11(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第100弾! 2011.4.11(月)   たかやん

口内炎
昨夜のさくらの当選を確認して、パソコンに向かい・・・寝たのは3時過ぎ。それからいつものように空の登校班を確認してから、ダッシュで東門へ。どんなに辛くても、習慣になってしまえば大丈夫。そう気持は大丈夫なのだが、体は正直で・・・また口内炎ができてしまった。人間て不思議ね。

子離れ
「毎日学校へ行くなんて・・」「子離れできてないんじゃないの?」と言われることがある。今日もある人に言われたのだが・・・・それは大きな勘違い。原発の事故を“想定外”というどこかのお馬鹿さんと同じである。学校の不審者対策は万全ではない。どこからでも入ってこられるようになっている以上、黄色い腕章を付けている大人が学校の周りをできるだけ、ふらふらしていることは重要なのだ。昔、中学校の女子トイレに不審者が入ったことがあったが・・中学校なら、男子生徒が大勢いるから大丈夫というのも、想定外と同じである。勿論、僕らが一日中張り付いていることなどできないし、そんな暇もない。大体いい大人が「子離れ」できなくて学校へ行くなどありえないではないか。今の時代にそんな暇な社会人がいてたまるか。俺はただ、やれることだけはしておきたい。悔いが残らないようにしたい。ただそう思うのである。東門に大人がいなくても、今までは事故が起きなかった。それは、この間の新座小だって同じだ。今までなくても、これからは分からないのである。だから、毎朝立っているのだ。それを「子離れ」と結び付けるとは・・・余りにも想像力が貧困である。想像力のある大人なら、毎朝、自分の時間が1時間以上取られる事を考えてみれば直ぐ分かるだろう。この歳になって、意味のないことをするほど、俺は暇じゃあない。人生とは時間そのものだ。残り時間が少なくなってきた今、俺の残された全ての時間に意味があるように生きていきたいのだ。

物を大切に
言葉でいうのは簡単だ。でも、そのことを子ども達に伝えるのは難しい。学校の先生も一度被災地へ行くといい。自分の目で、被災地の学校がどんな風になってしまったのかを見てくるといい。子ども達は色んな県から届けられた服を着て、ランドセルをしょって、ノートを使っている。教科書のない子達もいる。制服のない子もいる。学校そのものが避難所になっていて、授業ができないところもあるのだ。被災地の子ども達は「ものを大切にする」ということを今、身をもって学んでいる。ノート1冊、鉛筆1本がどれだけ大事なものだったか・・・被災地の子ども達は、今それを感じて生きているのだ。その子達とは関係がない。そういうのなら、それでいい。でも、学校が「こういう○○はいけません」「こういう柄の○○はいけません」と言えば、親は新しいものを買わなくてはいけないのである。中学校だって同じだ。こういう靴は駄目だ!と先生が言えば、真面目な親は新しい靴を買うことになる。「物を大切に」するとはどういうことか、今こそ先生達は真剣に考えて欲しい。世の中の普通の人間の生活が、前より苦しいということを公務員の先生達は知らな過ぎる。先生にとっては無印良品であっても、親にとってはそうではないこともあるのである。

きまり
昔、掃除の時間に制服で真面目に掃除をしていた子ども達が怒られ、ジャージで遊んでいた子ども達が怒られない・・・そういう不思議なことがある中学校で起きた。その学校では掃除よりも「きまり」を守ることが大事だったのだ。掃除をすることよりも、掃除の時間にジャージでいることが大事。そういう価値観を持った教師がいたのである。学校の外から見れば、大爆笑ものだが・・・学校の中にいると、結構見えないし、笑えないことでもある。同じようなことに、時間を守る・・・というきまりがある。一般社会で時間を守るというのは、「時間前に来る」ことを意味するが、学校によっては「早くきすぎてはいけない」というきまりもある。学校に8時前に行って、怒られた子達がいたが、彼らは一般社会では誉められることはあっても怒られることはなかっただろう。夜明け前に来たのならともかく、門が開いているのならOKではないか。昔の六中を思い出す。「テニス部は朝早く来すぎだ!」と職員会議で問題になった。朝練の時間は7時15分からだという決まりがあったのである。他の部活は7時15分に集合して練習をしていた。しかし、顧問はついていなかった。テニス部は6時から練習をしていた。でも、顧問は一緒に練習をしていた。どっちが正しいとみなさんは思うだろう。朝練でも事故は起きるのだ。実際、僕は何度も他の部活の子ども達を病院に連れて行った。子ども達よりも前に登校していたから、対応できたのである。学校のきまりは学校という社会でしか通用しない。それも学校によって違うのだから笑える訳で・・・。交通ルールとは本質的に違うものなのである。

笑顔と挨拶
そんなことより、先生達には笑顔でいることと、挨拶をすることの大切さを背中で教えて欲しいと思う。いい学校には先生の笑顔が溢れ、荒れている学校にはしかめっ面の教師が溢れている。いい学校では気持のいい先生の挨拶が溢れ、程度の低い学校にはそれが少ない。口で言っても子どもはできない。子どもは親や教師の背中を見て育つから・・・・。笑顔の少ない先生に習った子達は不幸である。挨拶をしなさい!と、言うくせに、自分からは笑顔で挨拶できない先生にならう子どもは不幸である。笑顔で挨拶できなかったら、できるようになるまで練習しましょうよ。

今日の写真1
僕の先生。河合隆慶先生です。河合先生はいつも笑顔でした。その笑顔の先生が怒ると、恐いのです。いつもは笑顔の先生が怒る顔は、鬼のように見える訳で・・・・。これもプロ教師の芸のうちだと思います。いつも怒った顔では、それが普通に見えるから・・・本気で怒っても、子ども達には通じないのです。自然に笑顔が出る先生は、それだけでいい先生ですよ。子ども達に笑顔がうつりますからね・・・。僕らも先生の笑顔がうつったくちでした。若い経験のない先生にも「自然の笑顔」という武器があります。どうか、それを大切にしてください。子ども達が、卒業した後でも言うことを聞くのは・・・「好きな先生」の言葉です。「恐い先生」の言葉はその場でしか通用しません。河合先生は僕らが大好きな先生でした。だから、僕は今でも先生の教えを守っているのです。

今日の写真2
1年2組の花壇です。好子先生と子ども達が植えた球根からこんなに綺麗なチューリップが咲きました。先生は蕾しか見ていないので、この写真を掲載しました。これを見つけた時の、好子先生の笑顔が目に浮かびます。

今日の写真3
八石小からの帰り道。黒目川の遊歩道の桜です。夕方の雨で散ってしまったかも知れませんね。毎年、人の心を綺麗にしてくれる桜・・・穏やかな気持にさせてくれる桜。ありがたいですねえ。

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4月12日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第101弾! 2011.4.12(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第101弾! 2011.4.12(火)   たかやん

お帰り!
我らの支援部隊の第2陣が石巻方面から帰って来たのは今朝だった。金土日月火で車中1泊の4泊5日。ずっと運転の幸弘は大変だったと思う。炊き出しをして、泥かきをして、支援物資を運んで・・・これからの支援を考えて・・・地震で高速が止められても向かい、そして帰って来た仲間達に拍手を贈りたい。どうやら毎週、金土日での支援ということになりそうである。勿論、僕も今後参加可能な日程であれば、又東北に行くことになるだろう。金土日での継続的支援・・・ボランティアの数は全く足りていない。若い人にも是非経験して欲しい。幸弘からの伝言である。

笑顔
今朝は学校でたくさんの笑顔に会えた。まずは用務員のIさんの挨拶つきの笑顔。次に、交通指導員さんのOさんの挨拶つき笑顔。そして、いつも元気なM教頭先生の挨拶つき笑顔。次に、1年2組のH先生の爽やかな笑顔。校長先生の挨拶つきの笑顔。そして、校庭に出てきた2年2組のO先生のとびっきりの笑顔。どの笑顔からも元気をもらった空父であった。

地震
「地震がきました!校庭にいる人はその場に座ってください。教室にいる人は机の下に隠れてください」という放送が入った。1年生の教室を覗きに行くと・・・みんな机の下に隠れていて・・・可愛かった。後は窓を開けられたら完璧かな。地震になると、窓が開かなくてなって、外に出られなくなるからねえ。

空父―っ!
校庭にいると、2年生の子ども達が飛びついてきた。「空父―っ!」すず、さら、ゆうき、はるか・・・あかな、ななみ、なぎさ・・・男の子たちも次々とハイタッチしていく。空はニヤっと笑って、手を振って・・・一人でうんていへ。空父はみんなと遊びたいのをぐっと我慢して、チャイムが鳴り終わって、みんなが教室に入るまで周囲を見渡していたのだった。

学級委員
「空、学級委員になったよ!」と嬉しそうに帰って来た空。僕は小中高と一度も学級委員にはなったことがない。昔は、頭のいい子しか学級委員になれなかったのだ。中一のときの偏差値が42だった僕は地域のガキ大将ではあったが、学級委員の経験はない。どうやら立候補したらしい空。2年生になってもやる気満々である。

何となく・・・
基礎英語を始めて半月。アルファベットの大文字小文字が書けるようになった空達は、テキストを見ると「何となく読めるようになってきた」と口を揃える。文字と音が繋がってきたのだ。アルファベットが書けないチームの2年生にもダイアログを4つ連続で暗誦した子がいるが、アルファベットが書ける子達はその倍のダイアログを暗誦できている。耳だけで覚えるのもいいが、文字の持っている力はやはり凄いのだ。漢字を覚えることに比べたら・・・中学生レベルの英語など、1年後の彼らには朝飯前になるのかも知れない。楽しみ、楽しみ。

第3ラウンド
統一地方選の第1ラウンドが終わり、民主党の惨敗に終わった。今の管政権を見ていれば当たり前である。第2ラウンドは後半の市議選・・・流れは変わらないだろう。そして第3ラウンドは僕にとって一番大事な新座市議選。これには絶対負けられない!(そして最終ラウンドは新座市長選挙と続く。)第3ラウンドはどういう結果になるのだろう。僕は完全無所属なので、どこかの政党の風に乗ることもなければ、逆風が吹くこともない。自分の道を精一杯歩いて、それを評価してもらうしかない。第3ラウンドまでは10ヶ月。そろそろ気合を入れていかなくてはいけない・・・・。

4月号
議会報告の4月号(第67弾!)の作成に取り掛かった。統一地方選も終わったので、駅立ちの日程もそろそろ決めなくては・・・・。

今日の写真1
空父が立っていた場所は東門も正門も通用門も見える場所。どこから不審者が入ってきても見える場所だ。1階に普通教室があり、2階に職員室があるという学校は特に気をつけないといけない。どうしても目が行き届かないのである。特に先生達の職員会議の時間帯には気をつけたい。

今日の写真2
五中の7期生の3年8組の修学旅行だと思います。もう大半はお母さんになっています。それも中学生のおかあさんが多いんじゃあないかな。孫達?に会いたいですねえ・・。

今日の写真3
二中の3年2組の職場体験の時の写真です。僕より大きかった学とのぶが小さな子たちと遊んでいる姿はなかなかいいですね。2組の子達と会いたいなあ・・・。

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4月13日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第102弾! 2011.4.13(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第102弾! 2011.4.13(水)   たかやん

幸弘からの伝言
これまで、相馬・南相馬には、4月6日、日帰りで野菜をトラック1台分届けました。参加者3人。
石巻・鮎川・女川には、4月8日〜4月12日までの3泊5日で、現地に長靴100足を届け、300食の炊き出しを3回行いました。参加者6人。

さまざまなことが明確になってきました。
1、ボランティアが不足している。ボランティアコーディネーターも不足している。
2、行政は、地域内生活者の問題点を把握していないため、行政をあてにして現地入   りしても、課題と必要とされる作業が見えてこない。
3、その地域の課題と必要とされる作業は、「地域の力」サイドで発見と掘り起しをしな  ければならない。
その結果、「地域の力」では、次の取り組みが早急に検討対象です。
※1、南相馬・相馬・女川地区では、圧倒的に不足するボランティアの受け入れ態勢づくりの一環として、ボランティアの宿泊施設の確保が必要。

そこで、「地域の力」が常設テントを設置する、こと。建設職人と提携し、現地で古家の修繕等をする、こと。 この方式で、ボランティアの宿泊所を確保します。
設置したテント・整備した古家の管理は、地域のボランティアセンターと提携する。

※2、石巻地区のボランティアコーディネーター不足を解消し、現地情報を収集し、「地域の力」の送り込むボランティアを有効にコーディネートするため、現地ボランティアセンターに「地域の力」の専従ボランティアを置く。以上です。

と言うわけで、若い人で金土日の週末ボランティアが出来る人、あるいは長期間東北へ行き、ボランティアコーディネート(報酬がでます)が出来る人を募集しています。若いという意味は色々ありますが、僕よりも若ければ十分大丈夫です。勿論、10代、20代は大歓迎です。いい経験になると思いますよ。この日記を見ている、僕の教え子達。興味があったら連絡ください!たかやん

挨拶運動
東門には大人が溢れていた。そう、今朝は挨拶運動の日だったのだ。もともと体育会系の僕は、挨拶運動よりも、挨拶練習の方がいい・・・そんな風に思っている一人である。僕が生徒だったら・・・・たくさんの大人に何度も何度も挨拶するのはちょっと辛い。きっとそう思うから・・・。子ども達は練習することは嫌いじゃない訳で・・・。体育会の挨拶の仕方を教え込みたい・・・そう思ってしまうのだ。嫌だねえ・・・・体育会系は・・。

式辞
嫌いなのが式辞とか告辞とかいう言葉。その言葉だけで固っくるしいのである。それでも校長の式辞はなかなかよかった。みやもと先生の話は僕もよく塾の子達にしているし、92歳を越えて詩人になった人の話もなかなかよかった。型通りの言葉に失敗はないかも知れないが、子ども達の心にはこれっぽっちも残らない。要するに本当の意味での失敗である。

* 3月15日の日記にこんな言葉を書いた。読んだ人の読解力にもよるだろうが、この文は当時の五中の校長の式辞をけなしたものではない。「なかなかよかった」と書いてある通り、かなり誉めているのである。だって、上手だったから・・・。心に残ったから・・・。僕は式辞や告辞は嫌いだよ。でも五中の校長のはなかなかよかったよ!そう言っているのだ。式辞は告辞は子ども達の心にはこれっぽっちも残らないのが普通だよ。そう言ってはいる。それは教員時代も今も同じだ。でも、時々この五中の校長のように、心に残るものがある。そう言っているのだ。型通りの式辞や告辞には確かに失敗はない。でも、子ども達の心には残りませんよー。そう言っているだけだ。誰かの告辞や式辞をけなしているのではない。誰がやっても、型通りじゃあ、心には残りません。僕がやってもそれは同じ。そういっているだけだ。もっと深く読めば・・・だから、型にはめるのもいいけれど、ちょっと脱線してもいいから、自分の言葉で子ども達の心に残る言葉をかけてくださいね。そう言いたかったのである。大体俺が五中の校長の言葉をけなす訳がないだろう。あの栄光の五中を一緒につくった同期の仲間なんだから・・・。

今日の写真123
日記と繋がりませんが・・・今日の写真は全て六中の写真です。白い旗を持っているのは六中テニス部のキャプテンだった伊藤慎吾。全国優勝のときのキャプテンでもあります。
放送しているのは真備、彼も六中テニス部でした。そして、コートに倒れこんでピースをしているのがキカッチ。彼もテニス部でしたねえ・・・。3人とも一緒にコートで汗を流し、校庭で3キロ走り、サッカーにも燃えて、コート整備も一緒にやった仲間達です。もうああいう馬鹿な練習はできないでしょうねえ。昔、「わたしはこれで会社をやめました!」というコマーシャルがありましたが、今こんなことをやったら、間違いなく「わたしはこれで家庭から追われました!」になるでしょう。でも、あの時代を後悔はしていません。年齢が戻って、もう一度やれと言われたら・・・やるかも知れません。でも・・・・

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4月14日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第103弾! 2011.4.14(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第103弾! 2011.4.14(木)   たかやん

東久留米
ホームでいつもの笑顔と会った。東久留米に僕が立っていると、必ず笑顔でチラシを取ってくれる若者がいるのだ。六中時代の教え子かも・・・と思ったこともあったが・・・どうも記憶にない・・・・。勿論、名前も知らない訳だが・・・僕を見ると、僕と同じように反応した。「おはようございます!」と。そして、僕らは練馬まで話をしたのだった。原発の話しだったり、学級通信の話しだったり・・・。テニスとサッカーの話だったり・・・。ああ、名前を聞いておくんだった。もし、この日記読んでいたら・・・メールください。駅立ちって、こういう縁があるから面白いんだよなあ・・・。

言うのとやるのじゃあ大違い
今日は東京オープンの初日。シングルスの1回戦が有明であった。教え子達が試合の時は「緊張なんかしてどうするんだ!普段通りにやれば大丈夫なんだ。打って、打って、打ちまくれ!」と、言っていた人間が・・・・打てなかった。ファーストこそ6−0で取ったのだが、セカンドはずっとリードを許し、4−6で落とす。そしてファイナルは10ポイントタイブレイク。何とか10−2で勝ったものの・・・冷や汗ものだった。明日の相手は第8シード。打たなければ確実に負ける。普段通りに打って勝つしかない。それにしても、言うのとやるのとでは大違い。全く情けない顧問(コーチ)である。偉そうな顔をして、「打てー!」と叫んでいた自分が恥ずかしい・・・。子ども達の(選手の)気持がよくわかった一日であった。明日はやるよー!!

自粛は自粛
ボランティアに行って分かったこと。“自粛するのは自粛した方がいい。”ということ。そう、お花見もいいし、スポーツもいい。楽しめることは楽しんだ方がいい。その上で、東北の為に一肌脱げはいいのだ。仕事にも、遊びにも集中した上で・・・経済を廻して・・・できる限りのことをやっていったほうがいい。そう思っている空父である。

会議
今、僕が幸せなのは・・・夕方から6時間、子ども達と一緒に学べるということ。小中学生達の脳みそを鍛えるのは実に楽しい。そして、授業でのやり取りは面白すぎるのである。学校と違うところは・・・職員会議がないということ。学年会議もない。公務分掌会議もなければ、教科部会会議もない・・・会議が大嫌いだった僕にしてみると、塾は天国である。会議・・・そう僕は会議が大嫌いだった。子ども達と一緒にいられないからである。クラスの子達と放課後語ったり・・・テニスコートでみんなで燃えたり・・・。そういう時間が会議に取られるのは嫌だったのだ。会議・・・でも、僕は今、その会議を仕事にしている。人生って不思議なものですねえ・・・。

北野広大の眼鏡
どうも北野広大の眼鏡は「その子のいいところだけが見える」眼鏡らしい。僕もそういう眼鏡で子ども達を見ていきたい。「その子の駄目なところだけが見える」眼鏡をかけている先生も世の中にはたくさんいるだろう。「いいところも、駄目なところも見える」眼鏡をかけている先生もいるだろう。どの眼鏡がいいって・・・学校では、そりゃあ北野広大の眼鏡がいい。子どもを見る時は・・・北野広大の眼鏡。子ども達は自分のいいところに気づいてくれる先生が大好きだから・・・・。でも、議会にいるときは、両方見える眼鏡でなければならぬ。議会では北野広大の眼鏡は要らないし、かけてはいけないのである。

シャツ
実はつい最近まで、Tシャツとかを上手に畳めなかった。(畳めるけど、綺麗じゃない)それが、ちょっとしたコツを覚えたら(3〜5秒で畳める)・・・畳みたくて、畳たくてしょうがなくなって・・・面白いのだ。という訳で、僕の衣装ケースはかなり綺麗ですよん。うふふ。

今日の写真1,2
今日の有明の様子です。桜が綺麗でした。桜が綺麗でぽかぽかした中でのテニスの試合。東北のことを考えると、本当に幸せです。でも、テニスの試合も参加費の中から、義捐金が出たりするんですよ。そういう意味でも自粛、自粛はよくありませんね。2枚目は帰りのモノレールの中からの写真です。無人電車なんです。だから一番前の席からこんな景色が見える訳です。

今日の写真3
五中の4期生。1年3組の昌人です。いつの時代にもこういう子がいるんですねえ・・・。今は、整骨医院の先生になっています。みんなに会いたいなあ・・・

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4月15日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第104弾! 2011.4.15(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第104弾! 2011.4.15(金)   たかやん

花粉
どうも花粉が辛い・・・。薬を強い薬に変えたのだが、鼻にきて、喉が痛い。そして、薬のせいで眠くなる。体が動かない・・・と、まあこんな感じになるのである。朝、起きると目が腫れて亀さんのような目になっている。早くゴールデンウイークが終わらないかなあ・・・。その頃になると、僕の花粉症は終わるのである。

校庭
東門に立った後は、今朝も校庭での見守りに・・・。子ども達の歓声が僕の心を癒してくれる。学校の校庭には子ども達の歓声が一番よく似合うのである。サッカーにボール当て、ブランコ、うんてい、そして紅白帽を被った一団が鬼ごっこをやっている。赤帽が鬼で、白帽が逃げる。最初の赤帽は二人だけだが・・・それがどんどん増えていく。男女関係なくみんなでやる遊びは実に楽しそうである。遊んでいるうちに、色々ルールが変わってくるのも子ども達の遊びの特徴だ。それでいいのだ。そうやって、遊びは進化していく。楽しさが増していくのだ。

ダブルフォールと16本
東京オープンの2回戦はとんでもない試合になってしまった。風が強く、トスが流れたのはみんな同じ。その2セットで僕が犯したダブルフォールとは16本。普段、1セットで1〜本の僕としては考えられないようなダブルフォールとの数で、しかも40−40からのダブルフォールで6回ゲームを失ったのだ。つまり、ダブルフォールとだけで1セットを落としたことになる。何をやっているのだ俺は・・・人生で最低の試合をやって、2回戦で散った空父であった。ああ、穴があったらはいりたい。っていうか、団体戦じゃなくてよかった。サービスの練習しなくっちゃ!とほほ。

水泳と塾
帰りはひばりヶ丘で下車して、空の練習に付き合った。最近は、コーチがプールの中に入って、フォームをチェックしてくれている。そして、平泳ぎでも横に泳いだり、裏返しで泳いだり・・・見ていて面白いのである。子ども達からも笑顔がこぼれる。コーチも笑っている。そして、フォームが段々綺麗になって・・・タイムも伸びていく・・・水泳の練習を見ていると、塾で使えそうなことがいくつもあって面白いのである。

野寺小
今回の地震の影響で、野寺小の大規模改修が延期になった。八石小は来年だから、それも延びる可能性が大きい。資材不足にもなるだろう。人材不足にもなるだろう。子ども達が楽しみにしていた大規模改修・・・学校だけは何とかならないものかな。うーむ。

今日の写真1、2、3
昔はテニスの強い学校やクラブがあると、よく練習を見学に行きました。自分が高校や大学でやった練習など、全く役に立たないことが分かったからです。ここは桜田クラブ。あの松岡修造がいたクラブです。強い選手がいる影には必ず優れた指導者やトレーナーがいる。僕らが学ぶことは山ほどありました。



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4月16日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第105弾! 2011.4.16(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第105弾! 2011.4.16(土)   たかやん

ダブルス
今日は東京オープンダブルスの1回戦。パートナーの昭は昨夜遅く、茨城からこの試合のために戻ってきた。そして午後にはまた茨城に帰る・・・そういうハードスケジュールの中での試合だった。僕らが試合に出るのは、あの救急車で運ばれた“毎日選手権”以来である。サービスを思い切り打った瞬間に肺に穴があいたので、あれ以来、本気でサーブを打ってない。まあ、そんなことはどうでもよくて・・・兎に角、楽しみにしていた試合がやっときたのだ。ところが・・・相手が来なかったのである。詰りデフォ(棄権)勝ち。しかも、次の試合は月曜日で今度は僕らがデフォしなくてはいけない訳で・・・。もう大ショックである。ああ、強いところと試合したかったなあ・・・・。

昼寝
なんだかどっと疲れが出て・・・(多分、花粉症の薬のせい)、ソファーにねっころがったら、あっという間に眠ってしまった。「この薬を飲んだら車の運転はしないでください」と、言われた理由が分かる。なにせ、昨日も小竹向原で寝過ごしたのだから・・・・

お風呂
午後練が終わった後、空と一緒にお風呂に入った。「何をしているところか当てるゲームね!」と空。空のジェスチャーは料理を作っているところが多く、なかなか難しい。最初のジェスチャーは「カレーを作っているところ」だった。一方の僕のジャスチャーはブランコに乗っているところやうんていをしているところで、空は簡単に当ててしまう。最後に口をパクパクするジェスチャーをすると、「基礎英語の勉強をしているところだ!」と英語を口にする空。『そのまま言ってごらん・・・』と9つのダイアログを暗誦させる空父。4月号のダイアログは全部で12。あと3つ覚えれば完全制覇。こういう小さな成功が大きな自信に繋がっていく。

明日から
統一地方選の後半戦が明日から始まる。全開は川越の啓介の応援に通った僕だが、今回はふじみ野市の潤子の応援に行くことになりそうである。啓介は前回2位当選だったし、若いので心配はしていない。潤子は前回繰り上がり当選で・・・人の選挙の応援ばかりしていて、自分の選挙の準備をあまりしていない。そういう情報が入ったのである。やはり応援するからには、役に立つ方がいい訳で・・・・。明日から上福岡に通うことになりそうだ。

今日の写真1〜3
2008年の市長選の写真です。この中に潤子もさくらも写っています。枝野さんもいますねえ・・・。色んな人が応援してくれた選挙でした。いやあ、懐かしい・・・。

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4月17日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第106弾! 2011.4.17(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第106弾! 2011.4.17(日)   たかやん

幸弘からの報告
本日朝6時半に、石巻へ向けて、佐光さんをリーダーに石巻・女川救援隊第2陣が出発しました。 今回は、女川の海泉閣にて、炊き出しを行います。石巻から海岸線沿いに、女川原発へ向けて、点々と避難所があり、そのサポートを行います。さらに、鮎川にも向かうかもしれません。
月曜日には、泥掻き作業を、石巻ボラセンの傘下にて行います。帰りは、月曜日となる模様です。今回は、佐光さん、西塚さん、田中くん(田中の倅)の3人で出かけ、女川現地で所沢の県議藤本さんと合流します。

明日は、中山さんをチームリーダーに相馬・亘理に向かう予定です。南相馬は、政府の避難地域設定で揺れる地域で、現地での状況変化について、後日戻ったら中山さんに教えていただきたいと思います。
ゴールデンウィークに救援ボランティアとして参加したい方、大募集します。
現在、すでに何人か申し込みがあります。         2011.4.15 田中

5時
目が覚めて、パソコンに向って仕事・・・。起きて、最初にすることがパソコンのスイッチを入れる・・・それが当たり前になるとは、数年前まで想像もしていなかったかも・・・。いつもじゃあないけれど、別に普通になっている。

8時40分
バイクに跨り、ふじみ野市を目指す。そう、今日から統一地方選の後半戦に突入したのだ。9時過ぎに潤子の事務所に到着するが誰もいない・・。(選挙の当日に誰もいない?)大丈夫なのかね・・・ちょっと心配になる。

テキスト
そういう時の為に基礎英語のテキストを持ってきている。子ども達が暗誦できるのに、僕が出来ないわけにはいかない。こっちはイメージで覚えているので、かなり適当なのだが・・・子ども達はそれを許さないのである。

9時10分
無事、潤子の事務所に入る。そして、久しぶりに潤子と再会。妙に落ち着いている潤子。選挙がある度に声がかかっているスーパーウグイスなのだから、当たり前か・・・でも、妙にまったりした、家庭的な雰囲気で・・・また、心配になる。

10時
マンションの前で、初めての演説。そう、久しぶりにマイクを握っての応援演説だったが、たくさんの人が聴いてくれ、そして拍手をしてくれたのだった。

10時半
今度は公園での演説。いよいよ選挙モード全開という感じで・・・気合が入ったのだった。それにしても、俺が応援弁士で大丈夫なのかね・・・。

12時
午前中の遊説を終え、お昼ご飯。手作りの昼ごはんが並べられ・・・かなり満腹に。おにぎり、サラダは勿論、パンまで手作りで杏のジャムも手作り・・・いやあ、美味しかった。

18時
午後の遊説は18時までぶっ通し。だけど、楽しかったので、あっという間に時間が過ぎていった。潤子が話す。次に僕が応援演説。それが終わると、選車の中で掛け合いでのアナウンスが始まる・・・ちょっと頭を使うというか、反射神経を使う掛け合いなので、緊張感があって面白いのだ。

20時
そして、20時ギリギリまで僕は付き合った。明日は塾があるし、色々やなねばならぬことがあるので、おやすみ。次回は水曜日になりそうである。

20時半過ぎ
我が家に到着。空が飛んで来て・・・「ねえ、きてきて・・・」と僕の部屋に。そしてピアノを弾き始める空。『おいおい、いつの間に左手をつけて弾けるようになったんだ!』“ともだちになるために”を両手で弾いてみせる空。『すごーい!』と誉めると、ニヤっと笑って、「上手?」って聞くから『すごーく上手だよ』と誉めた空父であった。

気がつくと
それから、お風呂に入って・・・気がつくと、真夜中で・・・こうして日記を書いている。明日の朝(もう今日か)はいつものように学校へ行って・・・午前中に病院にも行って、銀行に行って、塾の準備をして・・・議会報告を完成させなくてはいけない。うーん、楽しみ、楽しみ。

今日の写真1〜3
いいぬま潤子の演説風景です。兎に角、話すのが上手なので一緒にいて勉強になります。
友だちの選挙を手伝うと、兎に角勉強になります。色々見えなかったものが見えてきたりもします。自分の選挙に足りなかったものが浮かび上がってきたりもします。もし、選挙に点数が付けられるとしたら、僕の選挙などはまだまだ20点くらいでしょうか。

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4月18日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第107弾! 2011.4.18(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第107弾! 2011.4.18(月)   たかやん

笑顔
今朝の東門は笑顔がたくさんだったなあ・・・。子ども達の笑顔もたくさんだったけど、先生達の笑顔もたくさんだった。僕が幸せな気持になるくらいだから、子ども達はもっともっと幸せな気持になるだろう。大人の笑顔を見て、子どもは安心するのである。そして、子どもの笑顔を見て、大人は元気になるのである。

勘違い
今まで色々な呼ばれ方があった。「ともちゃん」「とんちゃん」「とんすけ」「ともや」「ともさん」「ともやさん」「ぞうさん」「とっつあん」「たかむら君」「たかむらさん」「たかやん」「とうやん」「パパ」「お父さん」「空父」そして「先生」「議員」「理事長」。最低なのは勿論「議員」という呼び方である。これは役所の人しかいないが、本当に勘弁してほしい。おれの名前は「議員」じゃない!(本当にいやになるからやめてよね・・。)「理事長」というのも嫌だ。これは我がマンションの管理委託会社の人がそう呼ぶ・・・。
微妙なのは「先生」だ。何せ21年間も「たかむら先生」「先生」と呼ばれていたし、塾の子も時々「先生」と間違えて呼ぶので、それ程の違和感はない。定年退職した先生が教え子からは「先生」と呼ばれるのと同じである。しかし、この先生という呼び方は・・・時々人間に勘違いをさせる。25歳の大学を出たばかりの若い学校の先生と20年以上社会でもまれていきてきた45歳のおっさん。どっちが背中でものを教えられるかと言えば・・そりやあ、おっさんの方だろう。だけど、45歳のおっさんは、自分の子どもの担任の若造を「先生」と呼ぶのである。そこで勘違いが生まれるのである。勿論、僕も勘違いをした一人だ。2年目くらいから「俺はプロの教師なんだ!」と胸を張っていたのである。なーにがプロなものか・・・大学を卒業して直ぐにプロになれるような仕事だったら、大した仕事じゃあない。教師の世界だって、本来は職人の世界なのだ。大事なことは師匠から学ぶ・・・ということだ。どんな職業でもそうだが、師匠から学びがないところには成長がない。先生という仕事もそう。これでいい・・・そう思ったら、もう成長はない。成長がない人には魅力がない・・・。いくつになっても、学ぶ人に、魅力を感じるのだと思う。60歳になっても魅力のある先生はいる。素敵な先生はいる。だから世の中は面白い。勿論、魅力のないベテランもたーくさんいる。そうならないように、こんな俺でも、昨日の自分より、ちょっとマシな自分でいたいから、毎日人生の師匠から何かを学び続けるのである。

恐れていたことが・・・
クレーン車が小学生の集団登校の列に突っ込んだ。恐れていたことがおきてしまったのだ。集団登校の恐さがここにある。勿論、バラバラに歩いていても、事故に遭うことはあるだろう。でも、だ・・・集団登校の子ども達が、下を向いて歩いていることは多い訳で・・・こういう事故の場合、一瞬の判断が生死を分けるのではないだろうか・・・。その時に、集団の方が危険・・・相手が車の場合は特に危険なんじゃあないだろうか・・相手が人間の場合はどうなの?と聞かれても、相手が凶器を持っていたら・・・やはりバラバラの方がいいような気がする。車にしろ、人間にしろ、自分の本能で危険を察知するには・・・やはりバラバラの方が・・・・。今朝の事件は他人事ではない。現に東門を毎朝通る車の中にも、携帯を見ながら運転する阿呆がいるのである。

4月もあと少し
僕は「校長の仕事」の中でこう書いた。“あなたが校長を目指すなら、次のことは覚えていて欲しい。「校歌」は一日で覚えて、大声で歌えるようにする。「先生達の名前」着任前に完全に覚える。「子ども達の名前」は、最初の一ヶ月で全員覚える。”
勿論、校歌はもう覚えただろうが、子ども達の名前はどうだろう。優秀な先生達の中で何倍もの管理職試験に合格するだけの脳みそがあるのだから、1ヶ月もあれば子ども達全員の名前は覚えられるはずである。それ程難しいことではないが・・・普通の人は多少努力しなければできないかも。それができて、やっと「校長」になれる。僕はそう思う。それが校長の仕事の第一歩。子ども達の名前を覚えること。それが僕の基準・・・そんなところである。(まあ、市教委はそんなことは言わないだろうから、気にしないでください。あくまでも僕の基準です。)4月もあと少し。本物の校長がたくさん増えることが新座の学校のレベルを上げていくことになる。頑張って!

今日の写真1
古いほうからいきます。高校時代のテニス部の仲間との写真です。場所は全く記憶にありません。誰が撮ったのかも(多分ジブかな)分かりません。もう直ぐみんなで会う予定なのですが・・・

今日の写真2
父さんが、元気に笑っている最後の写真です。猛おじちゃんが雪を抱いてくれています。撮ったのは上野駅。勿論、僕のカメラです。

今日の写真3
僕が21年間で最も好きだった校長です。山口常義。本当に素晴らしい校長でした。僕はこの人が大好きで、大好きで・・・僕の「一生懸命」を愛読してくれました。僕が教師として、一番幸せな時代だったかも知れません。

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4月19日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第108弾! 2011.4.19(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第108弾! 2011.4.19(火)   たかやん

東門で・・
スピードを出している車にジェスチャーで(少しスピードを落として!)とお願いすると、殆どの車がスピードを落としてくれた。昨日の事故のせいか、大型トラックの運転手さんも、みな協力的だった。今朝は雨・・・。昨日の事故が常に頭をよぎる。今朝は雨・・・子ども達が外遊びをしないので、適当な時間で引き上げた空父であった。

時間
つくづく時間が大事だなあ・・と、思う。やることが山ほどあるのに、自分のもち時間は限られている訳で・・・今日は限られた時間を上手に使えた気がした。

母さんとの時間
残り時間は少ない。当たり前のことなのに、なかなかゆっくりと話ができない。きっと、後悔するから・・・元気な内に沢山話をしなくっちゃ・・・毎朝、「おはよう!」と僕が言うと、「大丈夫?」と僕の体を心配してくれる母さん。僕が余りにも忙しいので、話したいのに我慢している母さん。母さんとの残り時間は本当にあと少し・・。悔いのないように、毎日少しでもお話をしたい。

叔父との時間
大好きな叔父との時間も、それ程沢山は残されていないだろう。高邑家の男達は、どちらかというと短命で・・・じいちゃんは40代で、父さんは50代で逝ってしまった。叔父は70代・・・高邑家の男達の期待の星である。思い切り頑張ってもらって、あと20年。それまで俺達が生きていられるかどうか・・・・二人の時間がある内に、囲碁を教えて貰わないと・・・・。

友だちとの時間
高校時代の友達とは1年に1度会う。大学時代の先輩達とは年に4回程会える。毎年、誰かがいなくなる・・・それが現実だ。そう、会えるときに会って、話せるときに話しておかないと、やはり後悔しそうである。向こうで待っている友達もたくさんいる。彼らとは、後でゆっくり語るとして・・・こっちに残っている友達との時間を大切にしたい。そう思うのである。

今日の写真1
小笠原の母島での記念写真です。海釣りも経験したし、素潜りも頑張りました。テニスも教えました。お祭りにも参加しました。そして、中学校で授業もやらせてもらいました。友だちの有賀さん夫婦とのフォーショット?です。

今日の写真2
最強のチームでした。僕が補欠だったのですから・・・埼玉県の一般男子のチャンピョンもいれば、国体選手もいます。全てが教え子達でのチームは無敗でした。

今日の写真3
六中の緑ジャージの子達です。亮太がまだ小さいわ・・・・。今はもうみんな立派な社会人で、お母さんで・・・・

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4月20日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第109弾! 2011.4.20(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第109弾! 2011.4.20(水)   たかやん

挨拶
東門。1・2年生の挨拶が元気があっていい。新しい班長(6年生)の挨拶もなかなかいい。五中生の挨拶も気持がいいし、そうそう高校生の挨拶はかなりのものだ。顔見知りになった人達との挨拶も気持がいい。今日も気持のいい挨拶で一日が始まった。

校庭
4年生に『その鬼ごっこなんていうの?』と聞くと「増え鬼」という答えが返ってきた。赤帽子の鬼が、どんどん増えていくから増え鬼というのだろう。今朝の校庭は増え鬼、サッカー、ブランコ、めちゃぶつけ・・・・で、遊ぶ子ども達で溢れていた。

ふじみ野市
今日も一日、ふじみ野市議会議員選挙の応援に行ってきた。9時半から選車にのり、カラスをやったり、応援演説をしたり・・・暖かい天気だったので、なかなか気持よかった。そう言えば、少し花粉に反応しなくなったような気がする。いいぞ、いいぞ・・・。

選挙
横浜の次はふじみ野・・・どちらの選挙も勉強になる。自分の選挙に何が欠けているのか・・・自分のチームのいいところは何なのか・・・そういうことも浮き彫りになる。本当にいい勉強になるのである。

基礎英語1
4月号のテキストの暗誦が明日で終わる。小学生にしては、なかなかいいペースである。中学生の子達との違いは、発音が綺麗だということ。特に、学年が下の子達の発音が凄くいい。中学生達のジャパングリッシュは直すのがなかなか難しいのだ。まあ、教わっている先生にもよるのだろうが・・・。それにしても、小学生達の伸びること、伸びること・・・ゴールデンエイジって本当にあるんだよなあ・・・。まるでスポンジのような吸収力だわ。

今日の写真1・2・3
六中の緑ジャージの1年4組の駅伝大会の様子です。全員が赤い鉢巻をしての参加でした。勿論、4組は優勝!!子ども達の表情が明るいでしょ?1年間、笑いっぱなしのクラスだったような気がします。今はみんな立派なお父さん、お母さんになっている子が多いですね。中には空の同級生のお母さんも・・・不思議ですねえ。



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