Diary 2004. 5
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5月21日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第68弾!

「たかやん議員日記」2004.第68弾!  5月21日(金)

問題集再び
これは昨日の新座のF中のお話。「問題集の答えくれたけど、試験範囲のところのコピーだけしかくれなかった!」と子ども達。『あいかわらずだねえ新座の学校は・・・。』と僕。
解答を配ればタダ。コピーをしたらお金がかかるという簡単なことが分かっていない。前にも書いたが、問題集の答えを配らないまともな理由はない。(あったら教えて欲しい。)
子ども達が自分自身で勉強する権利を奪い、税金を無駄遣いしているだけである。公立の子ども達の中にだって、自分の学年を先に全部終わらせて、次の学年の分もやってしまおうという子はいるのだ。ましてや受験生ともなれば、3年生の分は夏休み前に終わらせて、夏休みからは3年間の復習と考えている子もいるのだ。学校の問題集には答えがないというのでは、自分の力で勉強しようにもできないではないか。そういう子には他の問題集を買えとでも言うのだろうか・・・・。
この先生たちは受験勉強をしたことがあるのだろうか・・・・。答えのない問題集で勉強した経験でもあるのだろうか・・・。一度聞いてみたいところだ。勉強のやり方を知らない先生に教わる子ども達は不幸である。子ども達は楽しく勉強する方法を教えてくれる先生に習いたいのだ。本屋に売っている問題集には答えがついている。ところが学校で買う問題集には答えがついていない・・・というかもらえない。新座の子ども達の学力が低くなってきている原因がここにもあると僕は思うのだ。


5月22日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第69弾!

「たかやん議員日記」2004.第69弾!

茜の結婚式
今日は茜の結婚式。全日空ホテルというところでやったのだが・・・・ホテルの喫茶店でビックリ!コーヒー一杯が1000円以上するのだ。サンドイッチなどは2000円を越える訳で・・・・もう目玉が飛び出そうだった。
結婚式では賛美歌を歌った。何度か前に歌ったことがあったので、聖歌隊と一緒に大声で歌った。披露宴はなかなか面白かった。あそこまではしゃいでいいのかなあ・・・と思うほど新郎側の友達が盛り上がっていた。そして最後の最後に僕と太陽の出番が来た。半年練習したといっても、太陽にとっては初めてのステージ。スピーチまで付いていたので、かなり緊張していたが、やっていくうちに僕らのペースになり、例によってみんなを泣かしたのだった。茜は本当にきれいだった。茜はオードリーヘップバーンにちょっと似ていた。
僕が茜に初めて会ったのは今から13年以上前。茜は身長143センチ、体重37キロ、足のサイズ24センチ、色が白く、目がくりくりっとした女の子だった。茜は仮入部の一日目から僕の目に止まった。「手つなぎ鬼」をやった時に、最後まで残るのがいつも茜だったのだ。僕は彼女のバランスのいい走り方を見て、この子はいける!と直感した。そして僕は入部して1ヵ月後の試合に茜を使ったのだ。結果は勿論負け。いくらなんでもラケットを握ってまだ1ヶ月もたたない子が試合で勝てるわけがない。だけれども、その時の緊張感がその後の茜のテニスにきっと役に立つ日が来ると僕は思った。(茜は高校で全国大会団体3位、インターハイにも出場した。)

茜は機械のようなテニスをする。力の抜けた綺麗なフォームで深いボールを打ってくる。僕は女の子とテニスをして恐いと思ったことは余りないのだが、茜には恐いと思った。パスのコースが読めないのだ。だから茜との試合のときは「読み」と「駆け引き」が重要になった。

反対にダブルスは一番リラックスしてできるパートナーだったと思う。ミスをしても笑顔、エースを決めればもっと笑顔の茜と一緒にダブルスを組むと、本当に気持ちよくテニスができたのだ。勿論技術的な信頼関係もあるのだが・・・とにかく茜とのテニスはシングルスもダブルスも楽しいのだ。

披露宴の最後の最後に至は泣いた。声を詰まらせて泣いていた。茜は幸せな子だなと思った。みんなに愛されて、たくさんのものをもらって大きくなったんだと思った。
さあ次は太陽の番かな?それとも亮?うーん・・・こればっかりは分からない。いずれにしてもきっとまたギターで歌を歌うのだろう。ちゃんと指が動くように練習しておかないとね。それともピアノで歌うかなあ・・・・。           たかやん


5月23日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第70弾!

「たかやん議員日記」2004.第70弾!  5月23日(日)

ひさしぶりに快治が参加してのテニスとサッカーはなかなかハードだった。快治は何でも一生懸命やるから、ついつい僕も走らせてしまうのだ。たった1時間の練習なのにみんな汗びっしょり、その後のサッカーでみんな燃え尽きたのだった。午後は塾。中学生も高校生も試験前なので気合を入れなくてはいけない。ああ忙しい。


5月24日 (月)  『たかやん塾日記』2004.第70弾!

『たかやん塾日記』2004.第70弾!  5月24日(月)

結石の再検査をしに志木中央病院へ行った。「レントゲンにはもう写ってませんね。どうやら外へ出たようですね。薬もいいでしょう。たら腎臓の腫れはすぐには治りませんから、1ヶ月したらまた来て下さい。」と先生に言われた。ちょっと体が疲れやすくなっているが、これで一安心。気合を入れなおそう。


5月25日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第71弾! 

「たかやん議員日記」2004.第71弾!  5月25日(火)

久しぶりに市役所に行った。午前中は農業委員会。農業委員会というところは「新座市の農業をどうするんだ!」という話をするところだと思っていたのだが、この3ヶ月は「農地転用」の話だけ。疑問に思ったので、質問してみたら「そういう話はしたことがないですね。」ということだった。農地を駐車場にする。農地を宅地にする。ただそれにOKを出していく・・・新座の農業はやがてなくなるのではないかと心配になってくる。農業委員会は一月に一回。行くだけで報酬が3万円以上もらえる。新座の農業のことを本気で論じるのならばいいが、何もしないでただ賛成するだけでその報酬をもらうのは気が引けるのだ。そんなことを思うのは僕だけだろうか・・・・。


5月26日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第72弾!

「たかやん議員日記」2004.第72弾!   5月26日(水)

テニスコート
昨日はスポーツ振興課へ行って、テニスコートのサービスについてI課長のお話を聞いた。僕が疑問に思っていることは新座市の市営のコートは電話の予約ができないということ。他市ではインターネットを使って予約ができるところもあるのに、電話予約もできないというのは市民の側からみると、不便でしょうがないと思うからだ。特に当日はコートに行ってみなければ使えるかどうかが分からないというシステムはおかしいと思っていたのだ。

いろんな話をしていくうちに、I課長は卓球で全日本に出場したこともある有名な選手だということを知った。あの三中の全国大会3位の選手達を育てたのもI課長のコーチがあったらしい。僕はその時のチームの子達をなぜか覚えている。目を輝かして練習していた女の子達を見て、僕もいつかこういう子ども達を育てたい。そう思ったのだ。今あの三中の卓球部は無い。新座にはこんなに凄い指導者がいるのに、子ども達はその指導を受けることができない。もったいないなあと思う。僕は今度Iさんに卓球を習おうと思う。一度でいいから本物のコーチに教えて欲しかったのだ。いい指導者に巡り合えた子達は幸せである。子ども達が学ぶのは技術だけではないから。Iさんは本当に優しい目をしていた。僕が中学生の時に出会ったら、きっと卓球にのめり込んでいただろう。


5月27日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第73弾! 

「たかやん議員日記」2004.第73弾!  5月27日(木)

テニスの試合
昨日は六中から蕨東中に異動した角ちゃんに誘われて、久しぶりに吉見の総合グラウンドへテニスの試合を見に行った。といっても知っている子はほとんどいない。本部の先生たちも半数以上が知らない人になっていた。
男子の団体戦。応援で盛り上がっている志木中の隣りで六中の子が試合をしていた。テスト前のせいか応援もほとんどいないし、ベンチにも誰も入っていなかった。角ちゃんの学校の子達に初めてあった。「みんなこの人がいつも話をしているタカヤンです。」「あのタカヤン?」「そうだよ。」蕨東中の子達は硬式テニスを始めてからまだ数週間しかたっていない。緊張からか自分の力をまったく出し切れずに0−3であっという間に負けてしまった。だけど僕の話を聞く目は真剣だった。
「朝練に来てくれるかもしれないからね。」と角ちゃん。子ども達の目を見たら行かなくてはいけないな、と思ったたかやんであった。それを知った、志木中の東村先生「駄目ですよ、蕨よりも志木のほうが近いじゃないですか。うちにも来て下さいよ!」とうるさい。どこへでも呼ばれた行こう。朝しか時間はないけど、自分が必要とされているのだからやれることはやろう。そう思った。子ども達は新座の子も、志木の子も、蕨の子もみな同じなのだ。
六中テニス部のOBの佐々木悠が女子の個人戦の応援に来ていた。彼は新豊テニスクラブというところでジュニアのコーチをしているのだ。彼の育てた子は強かった。いいテニスをしていた。物凄く嬉しい反面。六中のOBが男子の団体戦に見向きもしていなかったことが淋しかった。人のつながりがなくなってしまったのだ。嬉しくてちょっぴり淋しい半日だった。


5月28日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第74弾!

カンニング
所沢高校でまた悲劇が起きた。カンニングを疑われた3年生が新座市野火止のマンションから飛び降りたのだ。彼もまた4人の教師から問い詰められたという。カンニングをしたとしても、しなかったとしても何故複数の教師が問い詰めるのだろう。担当の教師は一人だけ、あとは自分の目では見ていないはずである。詳しく事実を調べて見ないと分からないが、学校が警察のように「取り調べ」をしたのではと疑ってしまう。所沢高校は今回の事件をどのように受け止めるのだろう。3年生の男子生徒は陵平と同じ年。また若い命が一つ散ってしまった。彼は飛び降りる前にお母さんにメールを送っていた。「迷惑をかけてごめんね。」というメールだった。陵平が遺書を残したのと同じように彼もメッセージを残して飛び降りたのだ。              たかやん


5月29日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第75弾!

高邑さん、塾日記を読みました。
今朝の新聞で記事を読みました。
4チャンネルでは短いニュースとして流れました。

たくさんの事が胸に突き上げてくるような思いです。
新座市野火止で起きたこと、
陵平の同級生に当たること、
…………………………………。

今日は、勤務先の運動会です。
もうすぐ出勤します。
3年8ヶ月前のあの日の翌日も、同じように運動会でした。
あの年も5年生を担任していて、「御神楽」という民舞に取り組んでいました。
何故か、同じシチュエイションです。

男子生徒のご家族のことを思います。
表現などできない、怒濤のような感情の渦の中に今いらっしゃるであろう事を思いま
す。

私に何ができるのだろうか、
私は何をしなければならないのか、
またこの問いを真正面に突きつけられたように感じています。

陵平のお母さんの政江さんからこういうメール届いた。「表現などできない、怒濤のような感情の渦」を当時の二中の先生達は理解しようとしなかったのか、それともできなかったのか・・・・今の教育委員会はどうだろう。理解しようとするだろうか、それともできないのだろうか・・・一般質問で少しは明らかになるだろう。


5月30日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第76弾! 

「たかやん議員日記」2004.第76弾!  5月30日(日)

富山
母さんのお見舞いで富山に来ている。兄弟三人と息子の亮という男ばかり4人のメンバーである。母さんは透明の眼帯をかけてはいたが、思ったより元気そうだった。同じ部屋に同じ眼帯をかけた人が3人いたので何となく安心した。みな白内障の手術をしたのだそうだ。僕は今まで白内障と緑内障の違いを知らなかった。白内障の手術は白くにごったレンズを取り出して、人口のレンズを入れるのだということも初めて知った。緑内障は眼圧で視神経に障害が起きてしまう病気。こちらの方が病気としてはやっかいな方だ。白内障の手術は全然痛くなかったらしく、母さんは何より目がよく見えるようになったと喜んでいた。「本も読めるし、テレビも見えるようになったのよ。」母さんがそういうと、すかさず次男の達矢が「余り見ちゃ駄目だよ。」と釘を刺していた。
それにしても道路は本当に便利になった。関越が完成するまでは車で13時間はかかっていたのに、今では3時間半で行けるのだから・・・・。


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