Diary 2007. 10
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10月1日 (月)  「たかやん議員日記」2007.第273弾!  10月1日(月)

「たかやん議員日記」2007.第273弾!  10月1日(月)

中学生の笑顔
Mちゃんを石神小に送り、坂を降りて行くところで、中学生二人の笑顔に会った。下を向いて、うつむき加減に歩く子達が多い中で、彼女達の笑顔は新鮮で嬉しかった。学校が楽しいということはいいことだ。久し振りの笑顔に僕も笑顔になってしまったのだった。


雨の中
Mちゃんを送り、次は空の番。ところが突然雨が降ってきて・・・空にカッパを着せ、自転車で空を幼稚園に送って行くことに。カッパを着ていても、手が冷たかったらしく、「パパ、ちょっとさむい」と空。夜中に咳が出ていたし心配だったのだが・・・・

電話
幼稚園から電話が来た。「運動会の練習は頑張ったし、給食も全部食べたのですが、途中でちょっと気持ち悪くなって・・・熱が37度5分あるので・・」「直ぐ行きます!」と飛んでいった。空は意外と元気で、家に帰ってきてからも妙にテンションが高かったのだった。

病院
空が小児科へ行っている間、僕は市役所で議会事務局、教育委員会、高齢者福祉課の3つをハシゴした。どこも親切に質問に答えてくれて、めでたし、めでたし。今日もついていると思った。

教育委員会
本当にみなさん忙しそうだった。忙しいのに僕の話を聞いてくれ、そして資料も出してくれたのが嬉しかった。12月議会の委員会関係の資料は極力少なくなるようにしようと思った。今までの資料を使って質問するかな・・・・・。

都民の日
「今日学校休みなので、行ってもいいですか?」とAちゃんから電話が来た。「え?何で学校休みなの?」「都民の日です」「・・・・ああ、都民の日か・・そっか」僕は18年間も都民だったのに、余りにも埼玉県が長くなりすぎて、すっかり忘れてしまっていたのだった。そう言えば、今も昔も10月1日は「都民の日」なのだ。うーむ、忘れてた・・・・。

えいご
中学生達と勉強していると、空も「えいごやる」と参加してきた。僕の膝の上に乗り、英語の絵本を開く空。昔の亮と同じことをやるから面白い。

郵政民営化と年次改革要望書
米国の1995年の日本政府に対する年次改革要望書に、「郵政民営化」があげられていたことを知る人は少ないかだろう。要するに郵政民営化は小泉純一郎の悲願というよりは、アメリカの悲願だったのだ。アメリカが欲しいのは350兆円の郵政資金。郵政民営化は日本の富がどんどんアメリカに流れていく仕組みを作ったようなものだ。自民党が毎年米国債を30兆円買う約束をしたと言われているのも、この「年次改革要望書」のせいだとか・・・・。不景気のアメリカがイラクで戦争できるのは日本が米国債を買うからだと。はて、そのお金はどこから来るのかな?うーむ。考えるだけで嫌になってくる。
                                  たかやん


10月2日 (火)  「たかやん議員日記」2007.第274弾!  10月2日(火)

「たかやん議員日記」2007.第274弾!  10月2日(火)

小学生の笑顔
今朝もMちゃんのお迎えで一日はスタートした。雨が心配だったが、今日も何とかギリギリセーフ。中学生のMちゃんが今日も乗り降りを手伝ってくれて、本当に助かった。そして、小学生達のこぼれんばかりの笑顔に心が洗われたような気がした。大人たちも何十年か前はああいう笑顔ができたのだと思う。小学校の先生が羨ましくなった。

幼稚園
今日も自転車で空を幼稚園へ。黒目川沿いの道を走り、坂をフルスピードで登って・・・畑の横を通って・・・幼稚園へ行く途中、顔見知りのおじいさんが「よっ!」と手を挙げて挨拶してくれた。そして幼稚園に着くと、お母さん達が「おはようございまーす」と笑顔で挨拶してくれる。だから、僕は空と一緒に幼稚園へ行くのが大好きなのだ。

資料整理
午前中は資料整理と片付け。部屋が少し綺麗になり、仕事もしやすくなった。資料の料が多く、読み込むのが大変だった。議会報告に載せたいからなあ・・・

エリカ
沢尻エリカの不機嫌な顔をテレビで見た。どんなに綺麗な子でも、ああいう顔になるとブスに見えるから面白い。きっと何かがあったのだろうが、プロなのだからねえ・・・。まだまだ子どもだということだ。想定内かな・・・。

時津風
それに比べてこのおっさんは許せない。17歳の少年を殺しているのだから・・・。どうして警察は早く捕まえないのだろう。僕が裁判官なら死刑にするな。僕が法務大臣なら、死刑執行の判を3秒で押すな。時津風も人相が悪いが、北の湖も人相が悪い。相撲協会など社保庁の前に解体した方がいい。人殺しが「国技」じゃあ困るのだ。

ポルシェ
昔、家庭教師をしていた女の子がポルシェに乗って、我が家に登場した。見慣れない車だったので、「この車どこの?」と聞いたら「ポルシェ」と答えたのでびっくり!先生の車は40万円のカルディナなのに・・・生徒はポルシェねえ・・・。久し振りの由紀の話は面白くて、我が家は大笑い。由紀は今、ゴルフにはまっていて、タイガーウッズとゴルフをやるのが夢らしい。家には照明付きのオムニコートがあって、もう少しであのフェデラーが来そうだったというのだから凄い。「今度フェデラーが来たら、呼んでね」と言うと「あいよ」と由紀。彼女なら本当にやるかも知れない。

家庭教師
由紀の家庭教師をやったのは六中にいた頃。そう現役の先生の時代に、由紀と美紀の二人の姉妹の中学生を教えていたのだ。普通なら「反則で退場!」なのだが、僕は彼女達のお母さんに英語を習っていた。それでチャラ。要するにお互いにタダで勉強を教えあっていたという訳。新座から川崎は遠かったけど、勉強の為に僕は随分通った気がする。今からもう20年近く前の話である。お母さんは今でも僕に英語の本をたくさん送ってくれる。僕の英語は一向に上達しないが、二人の姉妹はアメリカの大学に行って、二人ともアメリカ人状態。そして二人ともちゃんと自分の仕事を持っているのだから凄い。やっぱり先生がよかったのかなあ・・・・。
そして美紀は今年の1月にお母さんになり、由紀も来年の1月にお母さんになる。由紀のお腹に手を当てると、赤ちゃんが返事をしたような気がした。       たかやん


10月3日 (水)  「たかやん議員日記」2007.第275弾!  10月3日(水)

「たかやん議員日記」2007.第275弾!  10月3日(水)

命日
1日は陵平の命日。そして2日は父さんの命日。それなのに、僕はそのことを忘れていた。あろうことか来月と勘違いしていたのだ。完全に忘れていたのだからどうしようもない。頭の中にあったのはMちゃんのお迎えを忘れてはいけない!それだけだった。忘れてはいけない日だったのに・・・・陵平は生きていたら20歳。父さんは84歳。陵平は13歳で亡くなり、父さんは57歳で死んだ。そして陵平の誕生日は来月の13日。父さんは来月の8日。二人に申し訳ないなあ・・・・陵平味噌だって、もう出来上がっているのに・・・お祖父ちゃんと,お祖母ちゃんに持っていかなきゃ・・・それも忘れていた。駄目だなあ・・・
久し振りに、自分にガッカリした。

運動会
政江さんは運動会の季節になると思い出すと言っていた。あの時の季節を、神楽の音で思い出すと・・・・。政江さんのお姉さんの礼子さんは、先週、僕が陵平の話をしたら突然泣き出した。それを見て、僕も泣きそうになった。僕もこの季節になると、やっぱり陵平のことをたくさん思っていたのだ・・・それなのに、今年は完全に1日のことを忘れてしまった。酷い話だ。何をやっているんだろう、俺は・・・

花と笑顔
今年の命日も陵平は、沢山の花と友達の笑顔に囲まれたらしい。月曜日の僕は、普通に塾をやり、子ども達と英会話に燃えていた。これっぽっちも1日の意味を思い出さなかったのだ。そして2日の意味も・・・

新太郎
父さんが死んで、もう27年になるが、今でも一日に一度は父さんのことを考える。「父さん」という響きがいいのだ。生きている母さんのことを考えなくちゃいけないのは分かっているのだが、どうしても「父さん」と言ってみたくなる。そんな自分が不思議でしょうがない。

議会
このところ、議会で取り上げてないからこういうことが起こるのかも知れない。僕が忘れていたら、みんなも忘れてしまうだろう。12月にはもう一度陵平のことを質問しよう。みんながあの事件を決して忘れることのないように・・・陵平の仲間たちは覚えている。あの日のことを。そしてあの時の二中のことを・・・。
                                 たかやん


10月4日 (木)  「たかやん議員日記」2007.第276弾!  10月4日(木)

「たかやん議員日記」2007.第276弾!  10月4日(木)

続命日
「母さん、ごめんよ。父さんの命日忘れちゃった!」「いいのよ」「1日は陵平の命日で、2日が父さんの命日で・・・両方忘れちゃったんだ」「お父さんの命日は3日よ」「え?」「一回息を引き取って、それから人工心肺でもう一度生き返って・・次の日だったでしょ?」「ああ、そうだったっけ・・・」
そう、父さんは確かに2日の夜に一度死んだのだ。僕が父さんの手を握っている時に、息を引き取ったのだから、よく覚えている。だけど、一度冷たくなった父さんの体が、人工心肺装置で温かくなっていったことも覚えている。死んだのだから、そのまま逝かせてよ・・・という思いと、冷たくなった父さんの手が、再び暖かくなっていく喜びと・・・とても複雑な心境だったことを覚えている。陵平の命日は10月1日。父さんは10月3日。もう忘れないぞ。

お墓参り
命日と言えば、シンジとガンモ。バンナ、隆治、二郎、さかえ・・・みんな忘れちゃいけないな。18歳、16歳、22歳・・・みんな若すぎた。お墓参りにいかなくっちゃ・・・。

1年1組
満寿子とジャンコ。二人とも1年1組の女の子である。いや、だった。五中の7期生の1年1組は数々の記録を作った。陸上競技大会で作った記録はずっと破られなかったらしい・・・・。
そんな話は全く出なかったのだが、兎に角我が家に二人が集合した。一緒に料理を作って、一緒に夕飯を食べ、ゲラゲラ笑って話が弾んだらしい。そう僕は塾へ行ってしまったから・・・・よくは知らないのだ。女三人で話が弾んだらしい。こういう時、男は邪魔である。

原と落合と岡田そして古田
ジャイアンツが優勝した。アンチ巨人のはずなのに、心のどこかで応援しているのは原監督のせいだと思う。落合や岡田が嫌いな訳じゃあないが、原は昔から好きだった。その差はでかい。そして古田。僕は彼が大好きかも知れない。弱いヤクルトの責任を取ったが、最後にドラフトで一番籤を引くあたりは只者ではない。
心配なのは王監督。どう見ても病気が治ってない感じがする。

幸弘日記
どうでもいいけれど・・幸弘日記が面白い。学校とテニスしか知らない僕からすると、妙に面白い世界を知っている。議員の日記で、面白いものは余り見たことがないが、幸弘の日記は妙に面白い。加えて議員20年以上の議員経験。僕の知らない話を色々書いてくれないかなあ・・・・・。                     たかやん


10月5日 (金)  「たかやん議員日記」2007.第277弾!  10月5日(金)

「たかやん議員日記」2007.第277弾!  10月5日(金)

印刷
Y事務所で「議会報告」の印刷をさせてもらった。大佑の2000部に対抗して僕は5000部。どれだけ配れるか・・・・来週の月曜は休日だから、火曜から駅立ちの予定である。誰かとバッティングするかも・・うーむ、それもいいかも・・・。

ちょっと嬉しかった・・・
僕の議会報告を読んで、「いいこと書いてありますね」「その通りですよ」と言われて、ちょっと嬉しくなった。みんなちょっとした一言で元気になるのだ。いくつになっても、何気なく誉められると嬉しいし、自信がつく。Kさん、ありがとう!

3時間
5000部の「議会報告」。印刷に要した時間は3時間。でも、途中で色々話ができたので楽しかった。印刷で手が真っ黒になった。

ご褒美
午後から少しだけテニスをした。朝から結構頑張ったし、夕方からは塾だから・・・コートはガラガラで気持ちがよかった。

運動会
明日は空の初めての運動会。どうやら親の出番もあるらしく・・・ちょっとドキドキしている。怪我に気をつけよっと。

おもちゃの木琴
空がアンパンマンのおもちゃの木琴に夢中である。「これからおんがくかいだよ」と一人だけの音楽会を企画して、みんなを巻き込もうとする。音楽が好きなのは僕らの遺伝・・・かな?とにかく簡単に音がでるのが嬉しくてしょうがないらしく、ピアノよりも熱心に向っている。

四分音符
「音符が読めないんだ。」と裕人。「これは四分音符だよ」「これは八分音符」「これが四分休符で・・・」小さい頃から♪と仲良くしてきた僕は、自然に音符が読める。音符が全く分からないという裕人を見ていたら、自分が恵まれていたのだと思った。そう言えば、兄貴達も音符が読めないと言ってたっけ・・・。スポーツも音楽も環境か・・・うーん。亮は2歳でラケットを振っていたのだが、空はなかなか振らないなあ・・・・たかやん


10月6日 (土)  「たかやん議員日記」2007.第278弾!  10月6日(土)

「たかやん議員日記」2007.第278弾!  10月6日(土)

幼稚園の運動会
長女、雪の幼稚園の運動会は所沢だった。もう25年くらい前の話だから、僕もまだ20代。雪の演技そのものはよく覚えていないが、とにかく可愛かったのだけは覚えている。親の出番は、それこそ断トツの速さで一位だった記憶がある。亮の時は、障害物競走で亮が勢い余って、転がった記憶だけがある。そして空の運動会は・・・なかなか楽しい運動会だった。

徒競走
僕らは、ちゃんと真っ直ぐに走れるかどうかを心配していたのに、空は堂々先頭(1着か2着かは微妙)でテープを切っていた。リレーでも一人抜かして、僕らはビックリ大喜び。僕は幼稚園の頃は2月生まれで足が遅かったと思うし、ひとみは幼稚園の頃までは走ればペケだったらしいから・・・。

ペケ
空は頑張っていたのだが・・・パパは煎餅食い競争でペケ。ダッシュは一番だったのだが、煎餅がなかなか銜えられなかったのだ。ショック!運動会でペケはないだろう・・・。

The pursuit of happiness
ウィル・スミスの映画を見た。父子で駅のトイレで寝るシーンでは、ウィルと一緒に泣いてしまった。僕と亮が住む家が無くて、二人でずっとパジェロの中で生活していた日のことを思い出した。僕らも貧乏だったけど、毎月給料は入ってきたし、寝る場所だけはあったから、ウィル達よりも全然幸せだと思った。

昭和43年
BS2を見ていたら、昭和43年特集をやっていた。西戸山中学3年生の頃の話だ。僕らがフォークルの歌を歌い、新宿西口広場で「ベ平連」と反戦歌を一緒に歌った時代だ。社会の授業では「全共闘と機動隊との衝突」の話があり、僕らは新聞報道だけが真実じゃあないことを、河合先生から学んだ年でもあった。

ヴォーカル
中三の謝恩会で僕は初めて人前で歌った。貧乏でギターが買えず、「たかはボーカルな」と言われた時のショックは今でも覚えている。僕も楽器をやりたかった・・・。その頃はボーカルが格好いいなんて知らなかったし・・・。でも、歌った後にみんなから誉められて・・・それが自信になって、僕は歌を歌うようになったのだと思う。人生の恩人、河合先生、そして歌と出合った年、それが昭和43年だった。
                                 たかやん


10月7日 (日)  「たかやん議員日記」2007.第279弾!  10月7日(日)

「たかやん議員日記」2007.第279弾!  10月7日(日)

六中
職員室の前には車がたくさん止まっていた。まずは三中の万所先生とお話。どうやらブラスバンドの練習会があるらしい。二人で色々話している五中の小松先生が乱入・・・「もう、ブログになんで載せるのよ!」「この人、私が言った事そのまま書いちゃうんだから」と笑いながら言う小松先生。僕は五中の体育祭でロックソーランを指導した柳田先生にご挨拶。前から一度お話がしたかった方だったのだ・・・・。

六中のコート
本当に久し振りに、6中のコートで6中の子達にテニスを教えさせてもらった。顧問の中島先生にもコーチの国井さんにも快く迎え入れてもらって、感激した。午前中は男子だけということで、男の子達としかできなかったけど、本当に楽しいひと時だった。顧問の中島先生ともボールを打ち合った。若いだけあって、パワーのあるボールが飛んできた。僕らは汗びっしょりになるまでBコートで打ち合った。

一方Aコートでは六中OGのおばさん二人と六中男子NO1、NO2のペアーが戦った。このおばさんチームは県大会一般女子のトップの二人なので、子ども達が完敗。試合の後で、子ども達が「アドヴァイスお願いします!」と目を輝かせてきていた。

今日は女の子達とはできなかったけど、今度機会があったら、彼女たちともテニスがしたいなあ・・。天気がよくて、六中のコートは昔のように暖かかった。

アフターサービス
このところ、教え子達からの人生相談が多い。僕のアフターサービス期間は長いのである。今日のアフターサービスは45歳の女の子。45歳とは言っても、30年前は中学生。その頃僕はまだ23歳だったのだが、子ども達から見ると「先生」には違わなかった訳で・・・その関係はどうやら、何年経っても変わらないらしい。
その30年の間に、僕も色々な体験、そして失敗をしてきた訳で・・・多少、まともなアドヴァイスができるようになってきたと思っている。歳は取るものである。今考えると、20代、30代はまるで子どもだった。40代になって、少し人間に近づき・・・やっと今、一人前・・・そんな気がしないでもない。そして今の僕も、70代80代になった僕から見たら、「まだまだだったなあ・・」と映るのだろう。
今日来た教え子は30年前、頑張り屋だった女の子。偏差値10の壁をものともせずに私立の付属校に入った女の子。彼女はあれからずっと30年間、頑張り続けてきたらしい。多分、休憩をしないで走り続けてきたのだと思う。だからきっと僕のところで、ちょっと休憩したかったのだ。                            たかやん


10月8日 (月)  「たかやん議員日記」2007.第280弾!  10月8日(月)

「たかやん議員日記」2007.第280弾!  10月8日(月)

市民大会
今日はテニスの市民大会。僕は子ども達のお守りで、朝から栄コートへ。天気予報はかなりの確立で雨。しかも、何度も雨が降っては止みの状態でのクレーコート。僕が大会本部役員なら、かなり早い段階で中止決定をしていたと思う。
有明で関東中学の「中止」を決定した時、茨城や群馬から参加の学校から怒られたことがある。「遠くからバスで来たのだから、そんなに簡単に中止を決めないで欲しい」というのだ。もっともな話だと思ったので、その次からは駄目だと分かっていても、少しだけ時間を置いて「中止決定」を出すようにした。優柔不断であっても、怒られるし、早すぎてもいけない。大会運営は難しい。
関東中学は16面、全日本ジュニアは23面くらいのコートを使っていたが、コートが5分でも空くと大変だった。いかにコートを空けないで大会を運営していくか・・・それが大会本部の腕の見せ所。そしてすべての選手に気持ちよくプレーをしてもらい、観客に気持ちよく見てもらう。それが本部の仕事だった。(新座の市民大会の運営はまだまだ改善の余地があるなあ・・・)そんなことを考えてしまうのも、関東、全国中学の大会をやってきた癖だと思う。嫌だ、嫌だ。

ホームページ
午後は少しホームページの手直しをした。日記の更新だけでは詰まらないので、写真を入れたり、言葉を書き込んだり・・・その内、昔書いたことに自分で(そうだったっけ)(凄い!)と思い出したり、感動したり・・・学級通信や部通信は書いておくものだと思った。特に、子ども達の感想や親達からの感想が面白い。そんなことをしていたら、更新が余り出来なくなってしまった。

初めてのプロポーズ
4歳の空「ねえ、空がおとなになったらゆかちゃんとけっこんしてもいい?」
5歳のゆか「けっこん?うーん、それはちょっと・・・」
4歳の空「なんで?」
5歳のゆか「あたしじゃなくて、もっときれいなおねえさんにすれば?」
4歳の空「そっか・・・じゃあ、そらはりょうぶーとけっこんする」
5歳のゆか「りょうぶーってだれ?」
4歳の空「そらのおにいちゃん。」
5歳のゆか「へえ・・・」
車の後ろで、空は人生最初のプロポーズをして、そしてしっかり振られていた。それにしても、ゆかちゃんが駄目ならお兄ちゃんというところが面白い。子ども達の会話は面白い。
                                  たかやん




10月9日 (火)  「たかやん議員日記」2007.第281弾!  10月9日(火)

「たかやん議員日記」2007.第281弾!  10月9日(火)

5時
最近の5時は暗い。今朝は曇っていたので、特に暗かった。夜が明けてくるのは5時半頃。いよいよ駅立ちのスタートだ。

5時55分
ひばりヶ丘には6時五分前に着いた。久し振りなので、ちょっと緊張する。(えーっと、何て言うんだっけ?)そんな感じである。

おばさん
「おはようございまーす!」いつも駅前のゴミを拾ってくれているおばさんに挨拶する。おばさんに「やっぱり煙草の吸殻が多いですか?」と聞くと「そうだよ!まったくそれがなけりゃあ、あたしの仕事も少しは楽になるのにねえ。東京みたいに罰金にして欲しいよ」とボヤきながらもせっせとゴミを拾い続ける。まったく脱帽である。

スーツケース
6時半頃、もの凄く重そうな旅行鞄を持った女性が来た。一瞬迷ったのだが、「持ちましょう」と言って、階段の上まで運んだ。彼女は「ありがとうございます。いつも読んでますよ」と笑顔で言ってくれた。もうその一言で、今朝の駅立ちのエネルギーが補充された気がした。

顔見知り
僕の議会報告を持っていってくれるのは、サラリーマンの男性が多い。そういう人たちと何となく顔見知りになっていくのが楽しい。勿論、女の人もそして時々中高生が持っていってくれるのも嬉しい。そして教え子達。「たかやーん!」「がんばって!」みんな笑顔で励ましてくれるのだ。


今朝はMちゃんを小学校に送る日なので、7時半で駅立ちは終了した。丁度雨が降り始めたので、ラッキーだったかも知れない。雨の中、ダッシュで家まで自転車をこぎ、車に乗り換えて舞ちゃんの家に・・・。雨の日は少し早めに動かないといけない。だけど、今朝も六中生のMちゃんが乗り降りを手伝ってくれたので、本当に助かった。今日は朝からついているのである。

川づくり懇談会
夜の7時からは清瀬で川づくり懇談会。国交省と民間企業と市民団体の懇談会だ。今月の20日に行われる、「新河岸川流域フォーラム」の打ち合わせがメインテーマだった。会議が終わったのは9時過ぎ。その後、暫く国交省の方達と雑談をして、分からないことを色々と聞いた。東久留米駅に着いたのは9時半。そこから僕と幸弘は色んな話をしながら、黒目川沿いを家まで歩いたのだった。

明日
駅立ち二日目。初日の今日よりちょっぴりリラックスできるといいな。「おはようございまーす」も何百回と言っていると、口が回らなくなったりするのだ。爽やかな笑顔と元気のいい声が出るといいなあ。                       たかやん



10月10日 (水)  「たかやん議員日記」2007.第282弾!  10月10日(水)

「たかやん議員日記」2007.第282弾!  10月10日(水)

真っ暗・・・
今朝も外は真っ暗だった。早起きは三文の徳いや得らしいが、電気代は確実に損をすると思う。それでも早起きは気持ちがいい。この数ヶ月それがずっと続いているのだから、かなり気持ちがいい。

5時50分
今朝は6時10分前からひばりヶ丘に立った。6時前の“売れ行き”は凄く・・・今度は5時半からやってみようかなと思うくらいだった。

昨日貰ったよ!
笑顔でそう言ってくれた人が多かった。僕は「昨日のとは違うんです!」とさっと差し出す訳で・・・それに驚いて「そうなの?」と、持っていってくれるので、それがまた嬉しかった。

陽子
7時過ぎに陽子議員が登場した。どうやら毎週水曜日にひばりヶ丘に立っているらしい。我が教え子ながら、凄いなあと思う。「新座民報」も彼女が毎週編集しているのだ。月に一度の僕と比べると4.5倍の頻度で発行していることになる。

名前
今日の駅立ちで初めて自分の名前を言ってみた。今までは「おはようございます」と
「ありがとうございます」と「いってらっしゃい」だけだったのだ。どうも自分の名前を叫んでいると、選挙運動みたいで嫌だったのだ。でも、顔を上げて歩いている人ばかりではなく、ウォークマンをしている人も多いわけで・・・ちょっと大きな声で、自分の名前を言いながら、初めて配った。恥ずかしいけれど、慣れてくるから面白い。

1年2組と1年4組
今朝もたくさんの教え子達と会うことができた。その中でも嬉しかったのが、「よっ!」と笑顔で僕の肩を叩いてくれた六中の最初のクラス1年2組だった久美子。「おーっ!久しぶり!」と僕もびっくり。8年振りくらいだったのだ。
そして六中最後の卒業生で、1年1組だった恭美。もの凄い美人が僕に笑顔で「たかやん!」と言ってきたので、僕は嬉しくて手を握り、頭をなでなでしてしまった。

片山FC
空がサッカーを始めたというので、殿山グラウンドまで見に行った。カメラとビデオを持って行くのだから、親ばかである。片山FCというと厳しいというイメージがあったのだが、さすがに年少さんの練習は「楽しい」の一言。コーチのお兄さんも笑顔、笑顔・・・
亮がいた「たけしのキッカーズ」と片山FCはライバル関係にあったから、ちょっと違和感があったのだが、練習を見て安心した。兎に角子ども達が可愛いのだ。大満足のパパであった。

駅立ちっていいな
その殿山グラウンドで智美ちゃんから「先生、駅に立ってますか?」と聞かれた。どうやら智美ちゃんの旦那様が、ひばりヶ丘で僕のチラシを貰ってくれたらしい。「楽しみにしてるんですよ」と言われて、本当に嬉しかった。智美ちゃんは五中の最後の卒業生。そして今は空の幼稚園のお母さん。いつも、素敵な笑顔のお母さんなのだ。     たかやん


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