Diary 2005. 12
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12月11日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第341弾!

「たかやん議員日記」2005.第341弾!  12月11日(日)

カメラ
年賀状用の写真を撮りに大泉の公園へ行った。三脚を立ててみんなで笑顔。寒い風の中の撮影だったが、結構楽しかった。僕のカメラは高校生の頃に買った、ニコンのカメラ。(ニコマートFTN)石神井高校時代にコーラの瓶を集めては10円で売り、そのお金をコツコツ貯めて、郵便局のアルバイトと合わせて65000円で買ったカメラがニコマートFTNだった。あれから33年。いつの間にかデジタル時代になり、僕もデジカメ(EOSKiss)を使うようになった。アッと言う間に撮れ、あっという間に確認し、あっという間に送れる。そんなデジカメだが、僕の心の底にはいつもニコマートがある。

市民の声
僕のホームページを見ている市民の方から電話があった。「いつも見てますよ。」「ここをこうするともっといいと思います。」本当にありがたい言葉だった。僕の視野は狭い。学校という社会とテニスという社会しか知らないで議員になってしまったから・・・・。毎日少し、視野が広くなっていくといい。

隙間時間
ちょっとした時間を見つけては資料を整理したり、9月の議会報告を届けに行ったり・・・そんな一日だった。

忘年会のお知らせ
たかやんの応援団の方へ
17日に応援団の忘年会を行います。参加される方はいつものように一品持って、(飲み物も持ち寄りです。)たかやん塾に集まってください。予定では午後3時くらいからスタートする予定です。終了予定時間は決まっていません。みんなで決めましょう。


12月12日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第342弾! 

「たかやん議員日記」2005.第342弾!  12月12日(月)

一般質問
最近やっと他の人達の一般質問の意味が分かってきた。最初聞いたときは何が何だか正直いって分らなかったのだ。25分という感覚も分らなかったし、再質問のやり方も分らなかった。「答弁漏れ」に対してもさっぱりだった。今日の一般質問は分り易くてよかった。ノートにたくさんメモを取った。もっともっと新座市の財政に明るくならないと・・・。

うどん
久しぶりに外へ食事に行った。幸弘と二人でうどんを食べにいったのだ。僕もお喋りな方だが、幸弘はもっとよく喋る男な訳で・・・二人で喋りっぱなしだった。

一人会派
今日の議会はちょっと寂しい時間帯があった。僕以外の会派の人たちが一瞬いない時間帯があったのだ。いつも周りにいてくれる人達が誰もいない・・・これが一人会派の感覚なんだなあと思った。

喋る人
議会で一番喋るのは市長だ。議会の半分は市長が喋っているような気がするくらい、よく喋る。きっと頭がいいのだろう。そして次がH議員とK議員。僕も頑張って、喋る人になりたいと思う。「男は黙ってサッパロビール」の時代に育ったが、議会で喋らないのはよくないと思う。選んでくれた人たちの思いを喋るのも仕事の一つなのだ。


12月13日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第343弾!

「たかやん議員日記」2005.第343弾!  12月13日(火)

ゴミ係
今朝は燃えるゴミの日。ゴミを捨てに行こうとすると、空が「パパ行ってんしゃい!(行ってらっしゃい!)」と言う。今日は粗大ゴミを持って行ってもらう日でもあるので、大荷物だったが、その一言で元気になった。

出勤1
Yシャツに着替えて、「行ってきます!」と玄関へ向うと、空がbye- bye daddy! と言ったので、bye-bye Sora! See you!と言って家を出た。

資料
一般質問の資料を読むのに時間がかかった。原稿を作る気はないので、ひたすら資料を読む。「六中テニス部」の資料を読んでいたら、あんなこともされた。こんな嘘もつかれた。と色々思い出してしまった。すっかり忘れていたのに・・・・。昔の教え子達や、六中の先生達、そして保護者と話をした。「本当にひどかったね。」と思い出?話に花が咲いてしまった。それにしても沢山の記録を残していてくれたものだ。テープ起こしも大変だったと思う。みんな子ども達の為に頑張ったのだ。

電話
今日も色々なところへ電話をして、資料を入手した。どこの教育委員会も実に親切だった。

出勤2
市役所から帰って来て、また出かけようとすると、空が「パパ、また行くの?」と悲しそうな顔をした。「ごめんね、お仕事なんだ。」というと「パパ、行かないで!」と言う。「ごめんね、空。いい子にしてパパが帰ってくる頃には寝てるんだよ。」と言って出かけた。帰ってくると、空はちゃんと寝ていた。

資料2
膨大な資料を読み終え、明日の一般質問を迎える。これで質問は8回目。例によって原稿は無し。時間との戦いになるだろう。新座の子ども達の為に頑張ろうと思う。


12月14日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第344弾!

「たかやん議員日記」2005.第344弾!   12月14日(水)

一般質問
「たかやん!何だか楽しそうだね。議会を楽しんでるんでしょう?」と幸弘に言われた。別に楽しんではいないが、妙な緊張はしなくなった。

通告書
教育委員会の答弁を聞いて、ホンマかいなとあっけにとられた。何のための通告か分らないと思った。毎回まともに答弁をしてもらってなかったので、もうああいう答弁には慣れてしまったが・・・・・。あとで議事録を読んで恥ずかしくはないのだろうか・・・。

真実
嘘は必ずバレる。真実は必ず理解される日が来る。嘘は人の人相をどんどん悪くしていく。正しいことをしていれば、人相はどんどんよくなっていく。嘘つきの顔は直ぐ分るものだ。

六中のみんなへ
六中テニス部の子ども達。あの頃の君たちは学校のきまりを守っていたこと。毎朝、学校の周りの掃除をしていたこと。決して強くはなかったけど、実にいいチームだったことを僕は議会で発言しました。
あの頃の六中の先生方。議会に提出された職員会議の議事録では先生達の発言は完全に抹消されていましたが、先生達が勇気をもって「それはおかしい!」とたくさん発言されたこと、そのことを議会で発言しました。職員会議で管理職の提案に反対したら、校長室に呼ばれ、報復されるのでは病気になって当たり前です。そのような状態の中で子ども達の為の勇気ある発言、ありがとうございました。
当時の保護者の方。この間、当時の3年生の男女と一緒にサッカーとテニスをやりました。途中で急に行けなくなったので、時間を取り戻した気がしました。内申で人質に取られた状態でのあの騒動。しょうがなかったのかなと思います。みんな子ども達の為を思っての行動です。子ども達のことをこれっぽっちも思ってなかった校長がいたことが不幸でした。
そしてコーチの国井さん。あれから今まで本当にご苦労様でした。ずっと一緒に仲良くやってきて、いいコンビだったのに本当に残念でした。情熱がないとボランティアもなかなか続きません。テニスが大好きな子ども達を育ててください。心から応援しています。その内、一緒にテニスをしたいですね。
そしてテニス部の顧問だった角ちゃん。何度もテニス部が廃部になる危機を救ってくれたのに、校長からは毎日のように、そして最後には保護者から「辞めて欲しい」と言われた角ちゃん。校長室に毎日のように呼ばれ、職員室にもいられなくなって、毎日更衣室で隠れていた角ちゃん。子どもの卒業式に出席するために年休を取ろうとしたら、校長から「認めない」と言われた角ちゃん。僕が「命の応援団」で二中批判をした為に担任まではずされ、他市へ異動させられた角ちゃん。いつも、いつも子ども達の為に一生懸命動いてくれてありがとう。本当に感謝しています。「六中テニス部の心」をずっと持ち続けてくれた東村先生、和久井先生、ゆみ先生、そして角ちゃん。本当にありがとう。そしてご苦労様でした。角ちゃんのあとも子ども達の為に顧問を引き受けてくださった先生方、ありがとうございました。いつの日か、みんなで六中のコートで集まりましょう。六中のテニスコートは「誰も拒まない。どんな人でもテニスが好きなら受け入れる。」それが「六中テニス部の心」でしたから。



12月15日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第345弾! 

「たかやん議員日記」2005.第345弾!   12月15日(木)

角ちゃん
蕨の中学校はなかなかいいらしいね。「新座から蕨にこれてよかったね。」と言われたらしいけど、本当によかったのかも知れないね。蕨の中学校は雰囲気が自由らしいね。そして学力も高いという話だよね。子どもが硬直していちゃあ学力も上がるわけないものね。

職員会議で意見を言えるのは当たり前だけど、今の新座では幸せなことなのかもね。ちょっと管理職の提案に意見を言ったら、報復が待っている・・・そんな学校がまともに機能する訳がないよね。力のあるいい先生が管理職にちょっと意見を言ったら、学年主任をはずされるなんてこともあったよね。角ちゃんは担任をはずされたしね。あれを見ていたら、周りの先生はビビるよね。

角ちゃんは林間学校を3500円でやって、教育委員会に睨まれたんだよね。子ども達のことを思ってやったことなのに・・・・。僕は二中にテニス部を作ろうとして睨まれたんだ。やりたいって子ども達がいたからね。でも、まさか退職してからも「報復」が待っているとは思わなかったよ。事実を言っただけなのに・・・・。

僕はよく教育委員会に逆らっているとか、嫌われているとか言われているけど、そうじゃないんだ。僕は事実を言っているだけなんだ。新座の学校をよくしていく為には、子ども達のことを本気で考える人たちが管理職にならないといけないと思っているだけなんだ。「報復」の為になら、子ども達がどんなに犠牲になってもいいと考える人たちがいる限り、新座の学校はよくならない。角ちゃんもそう思うでしょ?

新座には優秀な先生が沢山いるのに、みんなその力を発揮できないでいるよね。そういう先生達の実力を理解できない人が管理職になっていることが悲劇なんだと思う。どう思う?


12月16日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第346弾! 

「たかやん議員日記」2005.第346弾!  12月16日(金)

たかやん
おはようさん。ホームページ見たよ。悔しかったこと。子ども達のこと。あの日、有明でたかやんと泣いたこと。思い出しちゃったよ。
昨日の夜中に見て、涙がでちゃったよ。たかやん、これからも頑張ってね。

角ちゃん
愛や季達の時に、校長に「このチームは絶対に全国に行く。大変だから顧問を辞めろ。」って言われたんだよね。それで角ちゃんが「やります!」って逆らったら、関東や全国の要綱がとどかなくて、危うく関東にも全国にもでられなくなりそうだったんだよね。子ども達の夢をそうやって潰していく管理職がいるなんて、信じられなかったよね。

そう言えば、二中でも同じことがあったんだよ。夏休みに大会があって、その時要綱が来なくてね・・・・慌てて専門委員長に電話したら、「確かに二中に送りました!」って言われてさ、それから何とか大会に出してあげようと、必死に頼み込んで子ども達を連れて行くことになって・・・・その日が日直でね。今考えると、それもそう仕組まれていたんだね。子ども達を出さないために、大会の日に日直をやらせたんだと思う。友達が誰もいなくて、管理職に連絡してもつながらなくて・・・・怒られるのを覚悟で子ども達を大会に連れて行ったら・・・・学校から電話がかかってきて、「職務だから、直ぐに帰って来い!」と何度も言われて・・・・要綱が届かないのも、日直にして大会に行かせないようにしたのも、みんな計算されていたことだったんだよ。学校に帰ったら、校長と教頭が揃っていてさ・・・二人いるなら「俺達がいるから、子ども達の為にそっちにいてくれ。」というのが普通なのに、「兎に角かえって来い!」だもの・・・・子ども達を残して帰って来ると、校長室行きさ。その時の説教は今でも忘れないよ。

項羽
「君は本をよく読んでいるようだから、三国志は知っているだろう。」「・・・・」(そりゃあ知ってるさ、長男は諸葛亮孔明から亮とつけたんだから・・・)「君は、三国志でいうと項羽だな。」(項羽は三国志にはででこないぜ・・・)「いくら勇ましくても最後には失敗するタイプだな。」(じゃあ誰が劉邦だっていうのさ・・・それにしても三国志だと思っているとは・・・・・ああ俺はなんでこんなに教養のない人たちに説教をされなくてはいけないんだ・・・)そう思ったことを忘れないよ。

でもね、角ちゃん。今の僕があるのはその人たちのお陰なんだ。角ちゃんもそうでしょ?今、蕨の学校で楽しくやっていられるのは、あの人たちのお陰なんだよね。あの人たちのせいで教育長は毎回、僕の質問に苦しい、恥ずかしい答弁をしなくてはいけないんだから・・・そういう意味では彼も被害者かも知れないよ。真実はいつの日にか、必ず分る。僕達のことを信じてくれる人の方がもう断然多いと思うよ。あの人たちは随分適当なデマを流してくれたものね。当時の新聞を見てもそれがよく分る。「地域の人がこういってる。」「職員のみんながこういってる。」「総合的に判断して・・・」いつもそういうセリフだったよね。子ども達のことなんて、これっぽっちも見てはいなかったものね。

僕は不思議でしょうがないんだ。新座には優秀な先生がたくさんいるのに、どうして子ども達のことを全く見ない人たちが管理職になっていくんだろうって。先生達がやる気無くすのも当たり前だよね。子ども達への影響は計り知れないよね。それこそ他市の先生達が新座に来たがらない訳だよ。そういう事に市長も教育長も気付いていないんだろうね。今、先生達にもっとも人気のない市だということに・・・・。お互いによいしょして、「新座は素晴らしい!」と誉めあっているだけ。悪いことには全て蓋をしてね・・・・。

角ちゃん、この間あの時の子達をみんなで一緒にサッカーとテニスをやったんだよ。本当にみんな笑顔だったよ。みんなでゴミ拾いもしたよ。「六中の心」を彼らは失ってはいなかったんだ。本当に楽しかった。
角ちゃん、教育委員会には素敵な先生もいるんだよ。教育に熱い先生もいるんだよ。だから、きっと新座はこれからよくなっていく。そう思うんだ。先生達も昔のようにどんどん本音を言って、子ども達の為にどうしたらいいか考えてくれると思う。

「共通理解」「共通行動」・・・そういうことを全面的に出した学校ほど、数年後には荒れてしまうんだね。「共通理解」だけならいいけどさ。「共通行動」となると北朝鮮と同じだものね。

角ちゃん、また一緒にテニスしようね。蕨の子達とまた一緒にやろうね。子どもはどこの子も同じだから・・・・。





12月17日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第347弾!

「たかやん議員日記」2005.第347弾!  12月17日(土)

12月議会
昨日、12月議会が終わった。言いたいことが言えなかった議会だった。自分らしくないなあって思った。終わってから、打ち上げになった。久しぶりにみんなで政治や教育を語った。真夜中近くまで語った。かなり楽しい会話だった。

久しぶり
本当に久しぶりにこころとテニスをやった。こころはいつの間にか二人のお母さん。お腹の大きい茜も見に来てくれた。僕は彼女達の中学生の時のことを思い出していた。お母さんになっても、あの時の目の輝きを持っている二人を見て、とっても嬉しかった。二人のお母さんのヒロミさんともテニスをした。50歳を過ぎてからテニスにはまっているヒロミさんは、まるで中学生のようにボールを追いかけていた。彼女もまた「六中テニス部の心」を持っているのだと思った。

忘年会
今日は応援団の忘年会だった。色々な馬鹿話をしながら、これからの作戦を練った。みんなの持ち寄り料理で、机の上が一杯になって、さらに特制鍋が出て・・・・デザートのケーキが出て、もうみんな苦しくなるくらい、食べて、そして飲んだのだった。

新年会
2月11日に決定しました。味噌造りをしますので、みなさん気合を入れて参加してください。6ヵ月後、自分達で仕込んだ味噌を食べるのを楽しみにしてくだいね。


12月18日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第348弾!

「たかやん議員日記」2005.第348弾!   12月18日(日)

防衛医大
義理の母が緊急入院した。朝早く病院まで連れて行った。手術は明日。網膜はく離の手術はそれほど難しくはないらしい。それでも失敗することもあれだろう。痛みもかなりあるらしいから、心配だ。「ババ・・・ババ・・・」母達が病院に入っていくのを見て、空は泣き出した。小さいながらに何かを感じているのだろう。

海軍省
お袋と海軍省で一緒だった鈴木のおばちゃんと38年ぶりに会った。この間会った時はおばちゃんが42歳で僕が13歳。南浦和の駅で待ち合わせたのだが、「やだあ!ともやちゃん。全然分らないわよ。嘘・・・・。知らないおじさんみたいだわ・・・」「おばちゃんは全然変わらないね。」おばちゃんとお袋は虎ノ門の海軍省にいたころの親友。どうやら彼女達も8年ぶりの再会ということらしい。

戦争
「ともやちゃん、おばちゃんねえ。もう80歳になったらね。恐いものなんて何もないのよ。いつ死んでも平気。でもね、戦争だけは嫌。戦争をやってもいいなんて人はあのB29の恐ろしさを肌で感じたことのない人たちなのよ。」「あたし達本当に凄い時代を生きてきたわよね。」「海軍は戦争反対の人がたくさんいたわよね。」二人の話は尽きない。

きつねうどん
おばちゃんのリクエストでお昼にきつねうどんを作った。「美味しい!お店のより美味しいよ!」おばちゃんの笑顔に僕も笑顔になる。そう言えば、毎日うどんを作っていた時期もあったなあ・・・。

ママ
今日は一日空の面倒をみた。ご飯を作って、トイレトレーニングをして、遊んで・・・寝かせて・・・そしておばちゃんを送って、また防衛医大へ行って・・・空からみたママの大変さをちょっぴり味わった。物凄く楽しかったけど・・・・・。

音楽
最近ギターもピアノも弾いてない。どうも心の中に何か足りないものを感じていたのだが・・・・音楽だったか・・・。僕が9教科の中で一番好きなのは体育ではなくて、音楽だったのかも知れない。歌はいい。暫く歌を作っていない・・・・。

議会報告
12月議会の議会報告を書かなくては・・・・。これで議会報告は8号。毎年4号のペースでじっくりいこう。


12月19日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第349弾! 

「たかやん議員日記」2005.第349弾!  12月19日(月)

シリコン
網膜はく離の手術にはシリコンが使われる。はく離した部分にシリコンを入れ、圧力をかけて元に戻すのだ。麻酔をしても痛みはかなりあるらしい。我が家は親父も目が半分見えなかったし、兄貴も生まれつき目が悪い。長女の雪にもそれが遺伝してしまった。雪が小さい頃、順天堂病院で目の中に色々入れられて検査された日のことを今でも覚えている。可哀そうで涙がでてしょうがなかった。義母の手術は無事終わったようだが、ちゃんと元に戻ることを祈ろう。

パークタウン
防衛医大は所沢のパークタウンの隣りにある。懐かしい昔の我が家の傍を何度も通った。「ベランダからゲロ事件」「所沢警察事件」「かにもどき事件」「目覚まし事件」「クイント事件」「ジョニ黒事件」「NHK取材事件」「喘息とハイライト事件」「大貧民で告白事件」「航空公園肝試し事件」などを懐かしく思い出していた。そして昔一早と一緒に五円玉を投げた北高へ・・・・敦子や一早達が練習し、その後愛達が練習したコートで3人の子達がテニスをしていた。ああ懐かしや江島先生。


今日は久しぶりにみんなで歌を歌った。ギターは思ったよりも上手く弾けた。声も思ったよりちゃんと出た。五中でも六中でも二中でも歌はよく歌った。理科の授業は覚えてなくても、歌を歌ったことはみんな覚えているらしい。歌は記憶を呼び戻す。歌っている時に、タイムマシンに乗っているような気がしてしまった。

教育長
僕が五中に赴任していきなり三年生の担任を持たされたとき、校長に「硬式テニス部作ってはいけませんか?」と聞いたことがある。すると校長は「邑、今軟式をやっている子達の気持ちはどうするんだ?」と僕に尋ねてきた。僕は何も言えなくなって「分りました。軟式をやります。」と答えた。子ども達の気持ちを大事にする校長だった。その校長の名前は中村敞一郎。その人がたった1年で五中を去っていった時、僕は泣きながら校長に怒った。「校長!何でいっちゃうんですか!まだたったの1年ですよ!」校長はこう言った。「すまん、俺はこれから新座市全部をみなきゃあならんのだ。邑、いつも子どもの気持ちを考えろ。しっかりやるんだぞ。」「はい。」中村敞一郎は教育長になった。僕は校長との約束を守りながら子ども達と一緒に生きた。五中に硬式テニス部ができたのはそれから5年後だった。当時の子ども達が「先生、硬式をやりたいです!」と言ってきたのだ。僕には寝耳に水だった。


12月20日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第350弾! 

「たかやん議員日記」2005.第350弾!  12月20日(火)

神宮司チョップ
五中の職員室にはおばさんの用務員さんがいた。もの凄いデブで、髪の毛はボサボサだった。最初の学年会議へ行くと、その用務員のおばさんがいた。(何で用務員のおばさんがいるの?)と思っていたら、その人が僕らの学年主任になってしまった。そのおばさんこそ、我らの神さん、神宮司先生だった。
神さんには必殺技があった。「神宮司チョップ」である。僕も何度かくらったことがあるが、ばあさんの空手チョップなど痛い訳がない・・・。だけど、みんな不思議と「神宮司チョップ」を恐れていた。
ちょうど12月のある日の夜。職員室には僕と神さんだけが残っていた。(勿論用務員の佐倉田さんは用務員室にいたが・・・)もう8時半を過ぎていたので、「神さん、何やってるんですかこんなに遅くまで・・・」と言うと、神さんは「あたしゃ、学校が好きなんだよ。家に帰ったって、一人だからねえ。」そう言った。神さんはその時、3年5組の担任をしていた。僕は3年4組の担任。僕は初めての3年生で(当たり前)プレッシャーがあったのだろうし、神さんは神さんで、担任と学年主任という両方のプレッシャーがあったのだと思う。僕らは調査書を書いていたのだ。

ソックス
昔の職員会議は今のように、校長の原案だけに賛成するような雰囲気は全く無かったから、「校則」を決めるときなどは大変な騒ぎだった。僕はだまっているしかなかったのだが・・・“靴下は白いソックスを三つ折りのこと。”と決まりそうになったときに、僕は初めて会議で発言した。「なんでソックスを三つ折りにしなきゃあいけないんですか?」すると神さんが立ってこう言ったのだ。「三つ折りの靴下のことをソックスと言うんです!」それはまるで小泉純一郎が自衛隊に行くところは、戦闘区域ではありません。自衛隊が行くのだから・・・そう言っているのに似ていた。僕は笑いそうになったが、何故か納得してしまった。
僕のクラスの4組の子達はよく職員室で正座させられていた。それは靴下を三つ折りにしていなかったからだ。僕は最初の年から、そういうことに無頓着だった。子ども達には「神さんに見つかったら、黙って怒られておけ。」と言っていた。子ども達は担任の言葉通り、神さんに見つかると神妙な顔をして怒られていた。神宮司チョップを体罰だと騒ぐ親はいなかったし、生徒もばあさん相手にやられたふりをしていた。子ども達は知っていたのだ。神さんが子ども達のことを本気で思っていることを・・・・。だから180センチ以上ある3年生も神さんには弱かったのだ。僕はこの人から、子どもを愛すれば、子どもから愛されることを学んだ。厳しくしても、心の中が暖かかったら、子どもにはその暖かさが伝わることを学んだのだ。
神さんはピアノが本当に下手だった。まるで打楽器のようにピアノを弾いた。だけど、神さんの校歌は凄かった。神さんのハレルヤは凄かった。あの全校生徒の歌声は多分、日本一だったんじゃあないかと思う。体育館も校庭も揺れていたから・・・・神さんにはそういう不思議な力があった。子ども達の集団を惹きつけることの大切さも、僕はこの人から学んだ。
一度ふざけて神さんのズボンを穿いたことがある。僕と同期の誠と二人一緒に穿けたのだから笑ってしまった。あの頃の五中の職員室は笑顔が溢れていた。僕はそこで素敵な仲間達と出会うことができた。




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