Diary 2005. 12
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12月21日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第351弾!

「たかやん議員日記」2005.第351弾!  12月21日(水)

風邪
久しぶりに熱がでた。余りにも寒気がしたので、午後には“1リットルの涙”を見ながら1時間ほど昼寝もした。ボロボロ泣いて、普段飲まない薬を飲んだら、結構効いて・・・復活した。今年の風邪には涙と薬が効くのかも知れない。

小学生
図形が全く苦手だった小学生達が、いつの間にか問題を見た瞬間に答えが分るようになってきた。子ども達の可能性を信じることが本当に大事なんだと思った。子ども達の限界を大人が勝手に決めてはいけない。子ども達の人生を勝手に予想してはいけない。出来ないことができるようになると子ども達は、本当にいい顔をする。その顔が見たくて、僕は教え続けているんだと思う。小学生たちから学ぶことは多い。

借金
来年度予算の財務省原案にあらためてうんざりした。悪代官が農民から年貢を搾取しているようだ。80兆のうちの30兆が国債。「借金が止まらないの!」と言っているようだ。国がそういう調子だから、県や市も借金をすることにそれ程の罪悪感がないのだろう。借金をしたら返さなくてはいけないのだ。いったい誰が?未来の国民、未来の県民、未来の市民が借金を払うことになるのだろう。悪代官は次の悪代官にまかせるか、年貢を増やして借金を返そうとするのだからふざけている。


12月22日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第352弾! 

「たかやん議員日記」2005.第352弾!  12月22日(金)

農業委員会
今年最後の農業委員会があった。少し早めに行ったので、農業委員のYさんと色々話すことができた。農業委員になって、よかったことは、そういう農家の人たちと話をして「農業」の実態を少し知ることができること。そう言えば暫く農業の手伝いをしていない。土と格闘していないと、農業を忘れてしまいそうである。日本の運命は第一次産業が握っているのに・・・・。

忘年会
今夜は与党会派と執行部の忘年会だった。恒例になっている忘年会なのだろうが、どうせやるなら議員を全員呼んで、忘年会をしたらいい。会派を超えて新座の市政を語るのは楽しいし、勉強になると思うから・・・。それでも普段あまり話すことのできない執行部の人たちと話すことができて、楽しかった。煙の中でのお酒は後で響くから、押さえ気味に飲んでいたのだが・・・途中からペースが上がり、かなり飲んだと思う。兎に角色々な人と話ができて楽しかった。この忘年会に参加するのも今回が多分最後になるだろう。来年は誰と忘年会をしているのだろうか・・・。

議長
僕は今のM議長が好きだ。彼しか知らないから、他の人がどういう風に議長職をするのかは分らない。でも、この2年間・・・公平な態度で何度も僕のピンチを救ってくれたと思っている。2年間、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。


12月23日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第353弾! 

「たかやん議員日記」2005.第353弾!  12月23日(金)

お見舞い
義母のお見舞いに防衛医大へ行った。「明日退院できることになったの!」と義母の声は明るかった。同室の人たちは殆どが糖尿からくる目の病気の人たち。食事を制限されて、大変らしい。義母が「糖尿って本当に危険な病気なのね!」と気付いてくれたようだ。義母の家に行くと、それほどいつもご馳走攻めで、僕はちょっぴり危険を感じていたのだ。我が家は糖尿の家系。運動して、食事とお酒の量を控えめにすることが肝心なのだ。

通知表
子ども達の通知表を見るのが楽しみだ。今はパソコンやFAXが普及しているので、塾がなくても見ることができる。僕はずっと昔から絶対評価で、授業の最初に「どんなに授業態度が悪くても、テストで平均90点以上取ったら、必ず5をあげる。」と約束して、その通りにしてきた。同じように4は70点以上というように決めていたから、子ども達の期待を裏切ることはなかった。その代わり、サプライズもなかった訳で・・・・・。でも職員室にいると感情点が入ることはたくさん見てきた。特にマイナス点で・・・・。これはもう教員の人生観みたいなものとも関係してくるから、どうしようもない訳で・・・・。そういうことも含めて、通知表は面白いと思うのだ。特に担任と親の短いコメントのやり取りが・・・・。

集団下校
例の事件以来、各地で集団下校が見られるようになった。その集団下校も昨日の終わり。この冬休みはいったいどうなるのだろう。「外で遊びなさい!」と言えなくなってしまったら、日本中の子ども達が病気になってしまう。かと言って、遊びに夢中になって、暗い道を帰ってくると・・・・
でも、僕らの時代にも「人攫い」はいたし「通り魔」もいたのだ。子ども達は、子ども達なりの知恵と勇気と勘でその危機を乗り切ってきたのだと思う。大人がその知恵と勇気を教えることが、「集団下校」よりも大切な気がする。集団登校、集団下校で学校の責任は問われないかも知れない。けれどもそこへトラックや車が突っ込んでくる時代なのだ。だからこそ、自分の目で見て、自分の脳みそで危険がどうかを考えて、勘を働かせる能力を身につけることが大切なのではないかと思う。大人が付きっ切りでの集団登校と集団下校・・・残念ながら、冬休みにはそれは機能しない。



12月24日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第354弾! 

「たかやん議員日記」2005.第354弾!  12月24日(土)

サッカー
今朝のサッカーはなかなか面白かった。テニスのウォームアップでのサッカーなのだが、もう汗びっしょりになってしまった。10代の少年少女も50代のおっさん達二人もみんな同じように走りまくっていた。

クリスマス・イブの夜は
小さい頃、近所の家ではお父さんが三角帽を被って、ケーキを買ってくるのにうちのお父さんはただ酔っ払って帰ってくるだけ。「うちはクリスマスやらないの?」と聞くと父さんは「ダラめ!うちはクリスチャンじゃあなかろうが!」と相手にされなかった。

どうやら今時の若者達はみんなデートらしい。僕の周りの子ども達も大学生は勿論、高校生、そして中学生まで・・・僕らの時代には考えられなかったことである。
そういう僕も「恋人」と久しぶりにお風呂に入った。「1.2.3.4・・・・・」最近日本語でも英語でも12まで数えられるようになったらしく、お風呂の中の時計の数字を指差してはしきりに数を数える。発音は父親譲りで?なかなか上手だ。

「パパ、いっしょにねよう!」と珍しく僕を誘ってきた。いつもはママなのに、クリスマス・イブだけはパパということらしい。クリスマス・イブは愛する人と一緒に過ごす。そして愛する人たちの夢を見れたら幸せなのかも知れない。


12月25日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第355弾! 

「たかやん議員日記」2005.第355弾!  12月25日(日)

テニス
久しぶりに新豊テニスクラブへ行った。「たかやんだ!」駐車場で4人の教え子たちと会った。「りっぺ!」「お久しぶりです!」どうやらみんなレッスンに通っているらしい。そのレッスンのコーチも六中の卒業生。五中の卒業生もいるし、なんだかみんな繋がっているのだ。
空は大分言葉が通じるようになって、お姉ちゃん達に遊んでもらって、ご機嫌だった。僕らは空の面倒を見ながら、交代でテニス。二人で4連敗と結果は散々だったが、楽しくテニスができて大満足。初めて声を掛けてくれた人もいて、本当に楽しくテニスができた。

サンタクロース
「空君、サンタさんになに貰った?」「空君、サンタさん来た?」といろんな人に聞かれた。空は何のことだかわからない・・・。「空君、まだサンタさんのこと知らないんだよねえ・・・」「ふーん、そうなんだ。」

靴下
サンタと言えば、靴下の話。前々からテニスの靴下のゴムがきつくて、テニスやサッカーをした後は足が痛くなっていたので、26センチ〜28センチという緩めの靴下を試しに穿いてみたら・・・・足が痛くならなかった。穿くのも楽だし、脱ぐのも楽。そして何より、足そのものが楽なのだ。靴も大事だけど、靴下も大事なのだなあと思った。

12月議会報告(通算8号)
16日に終わったのに、色々あってなかなかできなかった。やっと完成しそうである。


12月26日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第356弾! 

「たかやん議員日記」2005.第356弾!  12月26日(月)

新年の挨拶
議会事務局のUさんから電話があった。議会便りの原稿がまだ未提出だったのだ。締め切りは今日。自転車に乗って市役所へ・・・・控え室で3分で新年の挨拶を書いた。去年何を書いたかも、みんながどんな文章を書いたかも忘れてしまった。ただ思ったことを書いた。

武蔵パーテーションの煙
洗濯物を取り込んだ時に匂いを感じた。だけど煙は見えない。気のせいかと思った。だけど下に下りると明らかに匂いがする。そして良く見ると、煙突から黒い煙がモクモクと出ていた。今日は風が強かった。その風に紛れるように何かを燃やしていたのだろう。市役所に電話したが・・・・何がどうだったのかという報告はない。

アンケート
議員定数に関するアンケートが来た。僕は前から言っているように、議員定数削減に賛成である。そりゃあ削減すれば選挙が大変になるわけだから、自分の首を絞めている気もするが、今の議会のままでいいと思っている人はいないだろうし、居眠り議員にも少しは緊張感があっていいのではないかと思う。ほんの少しではあるけれど、財政の建て直しにも役に立ちそうだし・・・・。僕は議員定数削減に大賛成である。

韓国語
今日も少し勉強したが、まだまだ英語の100分の1も分らない。語学は難しく、そして楽しい。もっと、もっと色々な言葉を話せるようになって、色々な国の人と話したい。

議会報告
遂に?12月の議会報告が完成した。めでたし、めでたし。


12月27日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第357弾!

「たかやん議員日記」2005.第357弾!  12月27日(火)

議会便りの原稿
市議会便りの原稿の校正に議会事務局へ行った。前から疑問に思っていたのだが、どうして議会事務局の人が「議会便りの原稿」を書くのだろう。最初から議員が自分で書けばいいと思うのだ。自分が質問したことなのだから、その時の雰囲気も、質問の意図も自分が一番知っている訳で・・・・。昔からの慣習なのだろうが、どうも納得できない。「自分で書けない議員が昔いたんだよ。」という話も聞いたことがあるが、本当なのだろうか・・・・。

空君?
市役所の2階を空と二人で散歩していたら、笑顔の女性から声をかけられた。「空君ですか?」「はい。そうです。」どうして空の名前を知っているのかなと思っていたら、「ホームページを読んでるんです。」という言葉がかえってきた。何だか嬉しいやら恥ずかしいやらで、変な気分だった。今日は声をかけてくださって、ありがとうございました。

夜泣き
その空が夜中の3時半から5時半くらいまで夜泣きをして大変だった。1時間半は僕が抱っこをして、後半の30分はママが抱っこ。さすがに6時には起きられなかった。子育ては楽しく、そして大変だ。

あと数日
師走とはよくいったもので・・・あっという間に12月が終わりそうである。あと4日・・・不思議なのはこの議員日記の号数。357に4を足すと361にしかならない。1月1日から毎日書いているはずだから、どこかで数字を間違えたのだろう。まいっか・・・。



12月28日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第358弾! 

「たかやん議員日記」2005.第358弾!   12月28日(水)

HP
「たかやん、議員日記って普段のこと書いてるの?」とK。「そうだよ。普段のことしか書けないもん。」「空君のこととか書いてあるから・・・」「そうだね。いつも政治のことばかり考えている訳じゃあないしね。」

金八
中学生が薬物・・・・。そんな馬鹿な。僕も少し前まではそう思っていた。でもそれは現実だ。東京の中高生達に広がれば、埼玉の中高生達に行き着くのに時間はかからない。政府公認の麻薬(煙草)が中学生の体を蝕むように、薬物もまた中高生の間で広がり始めている。 これを防ぐには“教育”しかない。煙草も薬物も“百害あって一利なし”と教え続けることが大事なのだと思う。

子どもの姿
公園に子供たちの歓声が聞えない。子供たちの姿が見えない・・・。国が滅びてしまうのではないかと思ってしまう。もう冬休みに入って随分たつのに、そういう感じがしない。子供たちが外で遊ばなくなった。家でゲームをしているのだろうか・・・・家の中のほうが安全・・・うーん、そうかなあ・・・・。

僕らが小さい頃だったら、間違いなく犯人探しをしていたと思う。みんなで探偵団を組んで、「お前は囮な・・・」とかみんなで決めて・・・・携帯電話を駆使して、怪しい奴を追いかけることが冬休みの遊び。だって、悪い大人の為に、自分達の自由な遊び場が奪われるのは子どものプライドが許さないと思うから・・・・小学生も中学生もみんなで協力してやったら、結構良い線いったりして・・・当時の腕白坊主達だったら、多分そう考えると思う。そういう意味では大人の世界にも「地域社会の力」があって、うるさいおじさん、おばさん達がたくさんいたが、子どもの社会にも「子供たちだけの世界」「ガキ大将の力」のようなものがあったのだ。少なくても大人のいいなりにはならない子供たちがたくさんいたと思う。


12月29日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第359弾! 

「たかやん議員日記」2005.第359弾!  12月29日(木)

江古田 梅吉
石神井高校時代の友達と忘年会に久しぶりに参加した。6時に始まったのだが、11時過ぎまでの5時間がそれこそあっという間に過ぎていった。
幹事の哲ちゃんは校長先生。ハンド部のゼンはコンピューター関係の仕事。タッチフットの島田は都立高校の先生。サッカー部の萩原は市役所勤務、ラグビー部の宏剛は材木会社の社長。サッカー部の柏岡はインク関係の仕事。サッカーの国体選手の淳は・・・あれ、あいつ何やってるって言ってたっけ・・・そして伊藤は、あいつは確か大泉高校だって言ってたなあ・・・ゼンたちと中学校が同じだったらしい・・・。酔いがまわって、記憶が飛んでいる・・・。

おかしかったのは、石神井で俺達はみんな劣等性だったり、不良?だったということ。そしてみんなに共通していたのは・・・・ん?ないかも知れない。宏剛とゼンは授業を抜け出して麻雀していたし、(僕も時々参加していた。)淳も俺も学年で最下位のほうだった。「俺も馬鹿だったけど、お前も本当に馬鹿だったよなあ・・・」「修学旅行は本当に楽しかったよなあ。覚えてるか?蔦温泉。」「みんなで女湯覗いたよな。」「俺は麻雀してて、見てないよ。」「俺は目が悪くて陰が動いていただけだった。」「あの旅行、中国から東北にしたの俺だからな。」「帰りに佐久間達が汽車の中で酔っ払ってな。」そう、あの修学旅行は何故か今でも覚えている。「青森の食堂で石神丼(いしがみどんぶり)高校様って書いてあったよなあ・・・」もうみんなで大笑い。

「うちの娘が北大へ行ってるんだよ。あの頃俺は東京の大学しか頭に無くてな。視野が狭かったんだなあ・・・本当にいいところだな、邑。」と宏剛。宏剛は現役で慶応に合格していながら、「嫌、俺は慶応ってタイプじゃあないから・・・」と浪人をして早稲田に落ち、明治に行ったという変り種。ゼンは理科大。柏岡は農工大。島田はICUって言ってたなあ。笑ったのは淳。3年生の面談で担任の稲垣さんから「あなたの取り得はサッカーしかないから、推薦で体育大にいくしかないわね。」と言われて頭にきて、「もうサッカーはやめた!」と決意して、浪人して法政へ行ったというのだ。教師の一言って、こういう風に人生を変えてしまうことがあるから恐いと思う。
「俺達みたいなのが大学に入るんだから、石神井って結構いい高校だったのかもな・・・」「ああ、本当に良い学校だったよ・・・。」「クラスで煙草吸ってなかったの5人しかいなかったんだぜ・・・・」「最後の授業は古川さんの数学さぼって、みんなでソフトやってさ・・・」

今度島田とテニスをする約束をした。みんなが元気なうちにサッカーもやれたらと思う。



12月30日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第360弾!

「たかやん議員日記」2005.第360弾!  12月30日(金)

鮭とイクラ
北海道の後輩から今年も鮭とイクラが届いた。北大テニス部の1年後輩の三浦圭司は毎日のように僕のアパートでご飯を食べ、酒を飲んでいた。僕が「教師になる!」と決心した時、教職の単位を取ってなくて・・・・札幌の本学に「日本国憲法」の授業を受けに行った時に、僕の代わりに水産の授業を全部受けてくれたのが圭司だった。僕は彼がいなかったら、100%単位は取れなかったのだから、感謝してもしきれないくらいなのだが、そんな僕に毎年彼は鮭とイクラを送ってくれるのだ。「たかやん塾日記」の購読料です。と言って・・・・
卒業式で、僕の代わりに卒業証書まで受け取ったのも圭司なら、その卒業証書を東京まで届けてくれたのも圭司。僕が新座五中に赴任できたのはみんなこの男のお陰なのだ。それから僕が21年間、楽しく学校で過ごせたのも、彼がいてくれたからなのだ。そんなありがたい後輩から、今年もまた、鮭とイクラが届くのだから・・・僕は本当に幸せな男だと思う。

たかやん!
空のスイミングスクールで、英語の勉強をしながらウトウトしていると・・・・「たかやんですよね!」と中年のおじさんに声を掛けられた。「はい。」「長谷川です!」「まさかずがお世話になりました!」「家庭訪問の時と全然変わってないなあ・・・」お父さんは、僕と家庭訪問で会ったことがあったのだ。そして15年経っても、僕のことを覚えていてくれたのだ。六中の4年目のクラスは3年2組。みどりジャージの子達だ。たったの1年間しか一緒に勉強しなかったけれど、全クラスを教えた、珍しい学年だった。9クラスに出たのは前にも後にもその時だけ。同僚の理科のK先生が病気になって、その分も授業をやって、目茶区茶忙しい学年だったっけ・・・・。そして冬には家出事件。朝霞の自衛隊が管理している所へ、夜中に探しに行ったりもしたなあ・・・。

そのクラスからも教師になった子がいる。そして今でも「たかやん!」と呼んでくれるお父さんがいるのだか、やっぱり僕は幸せだ。



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