Diary 2005. 11
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11月1日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第301弾! 

「たかやん議員日記」2005.第301弾!  11月1日(火)

13時44分
今、僕の目の前には和彦と空と僕が写った写真が置いてある。日付は9月19日。和彦入院したと聞いて病院に初めて駆けつけた日の写真だと思う。少し痩せた和彦だが、目には力があってカメラの方をしっかりと見つめている。

通常の人は10万から40万の血小板数値なのだが、入院時は2万5000.ホスピス入院時は1万で、余命一週間と言われた和彦。「あと1週間」「あと数日」「11月の声を聞くのは無理でしょう」と医者に言われながら、和彦は今日まで頑張った。

昨夜も今朝も僕のメールに反応してくれた和彦。言葉は喋れなくても、僕のメールにはうんうんと頷いてくれていた和彦。そんな和彦が今日13時44分に逝ってしまった。

和彦の奥さんから電話があると、僕はいつも涙声になってしまう。そんな僕のことを奥さんの方が気遣ってくれて、今日も知らせをくれた奥さんに「大丈夫ですよ。夫は邑さんのことが大好きだから、いつもそばにいますからね。」と逆に慰められてしまった。奥さんと三人の素敵な娘さんたちは、この一月半でどれだけ神経をすり減らしたことだろう。僕とは比べ物にならないくらいの涙を流しているはずだ。

だけど、あいつは幸せだったんだ。そう思うことにした。愛する家族に一月半も看病してもらって、家族全員に見守られながら逝ったのだから・・・・。

和彦からの最後のメールは30日の17時26分。「不慮の幸運もあったようで、悪いことばかではないのが嬉しい。君もがんばれ」だった。その前のメールは「大丈夫、忘れないよ。また会おうな。」だった。

和彦。また会おう。約束だぞ。俺も頑張るよ。今度会うときはお前がちゃんと迎に来てくれよな。ちゃんといい場所を見つけて待っていること。おれが爺さんになっても、ちゃんと見つけてくれよ。じゃあな、和彦。またな!

駄目だ。一人になると涙がでてくる・・・・。胸が痛くなって・・・・あいつの笑顔が浮かんでくる。あいつの手のぬくもりを思い出す。僕の大事な人がどんどんいなくなってしまう・・・。素敵な人と出会えば出会うほど、別れる時は辛い・・・・。

18歳の頃、北大で出会った僕ら。同じ35組というドイツ語専攻のクラスで「邑」と「土肥」・・・出席番号が近かっただけなのに、それで友達になった僕達。圧倒的にあいつの方が成績が良くて、僕は劣等生で・・・・それでもこうして、僕達は今まで繋がって生きてきた。函館の七重浜の丸山アパートで、あの頃の僕らは「未来」を語っていた。毎晩のように酒を飲み、毎晩のように麻雀をしながら恋の話をした・・・僕らは30年前、青春真只中だった。あいつはいつも僕のことを心配してくれた。そして僕の恋の話の聞き役でもあった。

3日の御通夜ではあの頃の友達とも会えるだろう。昔のあいつのことを沢山思い出せるかも知れない。4日の告別式も僕は「じゃあまたね!」と言うつもりだ。

僕は今日、久しぶりに髭を剃った。「邑、ありがとな!」そういう和彦の声が聞こえたような気がした。


11月2日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第302弾! 

「たかやん議員日記」2005.第302弾!  11月2日(水)

高校の授業参観
新座市内の高校の授業を見るのは初めてである。議会事務局を通して「普段の授業を見せてください。」とお願いしたのだが、県の教育委員会からは教育週間にお願いします。という返事だったらしく、そういうところは市の教育委員会と似てなくもない。という訳で、今回は小中学校は諦めて高校に集中してみようと思った。

頭髪検査
1年生の教室の前に頭髪検査の貼り紙があった。
「定期考査中に頭髪検査を行う。→考査後に該当生徒を呼び、美容院指導を行う。→期限内に美容院へ行き、ヘアマニュキア(ブラック)を使い、直す。→領収書を持参し先生のチェックを受ける。」K高では地毛が伸びるまで継続的な指導を行っている。
先生達の気持ちが分らないでもない。それくらい子ども達の髪型は凄い・・・・でも、36年前の僕達の都立高校だって頭髪は自由で、僕らの髪は肩まであったのだ。勿論私服もOKで、女の子達はミニスカートをはいていた。ただ化粧をしている子達はいなかったと思うが・・・・。

ジュース
授業中の机の上にジュースを置いている生徒が多いのに驚いた。飲みながら授業を受けているのだ。ただこれも感覚の問題だから、絶対的にNO!ではないかも知れない。ただパンまで机の上に堂々と出して、それを食べながら話をしている生徒がいたのには驚いた。先生は何も言わない・・・。

携帯
授業中に携帯でメールをしたり、音楽を聴いたりという子もたくさんいた。驚いたのは、机の上に携帯を置いてやっているのに先生がそれを見逃していることだ。それが当たり前になっていることの方が、頭髪なんかよりも何百倍も問題だと思った。

睡眠
どのクラスにも必ず寝ている子達がいた。あるクラスでは3分の2が寝ていた。昔の自分を見ているような気がして、恥ずかしかった。中学校までは一度も寝たことはなかったが、高校時代は部活で疲れてよく寝ていたから・・・・。

化粧
授業中に鏡を出して化粧をしている子ども達もいた。ここまでくると、訳が分らない・・・

出入り
授業中なのに、廊下に出たり、また教室に入ったりしている女生徒がいた・・・・。中を覗くと先生がいた。

気合
1年から3年まで全てのクラスを覗いたが、何人かの先生の授業では子ども達が真剣な目で授業を受けていた。前の授業ではだらけていたクラスが、その先生だとピシっとなるのは中学校と同じだ。その先生達は別に恐いオーラを出している訳ではなかった。そういう先生達の中には年配の女の先生もいたからだ。声がよく通る男の先生のクラスでは笑いが絶えなかった。その先生達に共通していたのは「気」だ。授業を大切にする「気」。生徒に真剣に教えようという「気」があったのだ。

挨拶
休み時間を挟んで2時間見ていたので、沢山の高校生とすれ違った。その中で4人の生徒達が僕に挨拶してくれた。それもごく自然な笑顔で・・・・。

時間
人生の大切な時間を何と無駄に過ごしているのか・・・・しかも授業料を払って、何を学んでいるのか・・・・この子たちには「時間」の持つ意味を教えてくれる人がいなかったのだと思った。一日は86400秒。世界中共通の時間を持ちながら、あの子達はその時間にトレーニングをすることなく、ただやり過ごしているのかと思ったら可哀そうになってきた。先生達だって、給料は出るわけだから時間が過ぎていけばいいという訳ではないだろう。仕事には充実感がないと人間は生きている実感がわかないからだ。教師という職業は子ども達の「変化」に生きがいを感じる仕事だと思う。子ども達の「可能性」に感動する仕事だと思う。給料は公立中学校の先生より高いのだろが、幸せ度はかなり低いのではないだろうか・・・・・。大きなお世話かも知れないが・・・。因みに授業公開日は今日一日だけで、参観者は僕一人だった。(お昼前の時点で)

英会話
K高校の隣りにある中学校を少しだけ覗いてみた。2−2のクラスの英会話の授業である。廊下から見ていると中で気付いた先生が「どうぞ!」と言ってドアを開けてくれた。するとWelcome! welcome!という笑顔のAETの先生とこども達。K高校とあまりの違いにちょっと感動してしまった。
帽子をとって入っていくと、「うちのパパだよ!」と女の子。「違うよ、うちのパパだよ!」と別の女の子。なんだか可笑しくて、僕も笑ってしまった。
授業はもう終わりの方で
What do you want to do in the future?
I want to go to the U.S.A.
That sounds interesting!
So, I have to study English.
という内容だったのだが、聞えてくるのは日本語が9割。先生の実力はかなりのもので、僕が生徒になって受けてみたいと思ったくらいだから、中学生にはレベルも内容もいい感じだと思ったのだが、子ども達は「大事な授業」だとは思っていないようだった。隣りの高校生達もそうだが、「本気」で自分の頭を使うことの重要性を分っていないのだろう。
貧乏な新座市が年間5000万円もかけて行っている事業なのだ。頼むよ、中学生諸君!僕はそう叫びたかった。先生は間違いなく良い!だけど子ども達がその価値に気付いていない。気付かなければいくらいいプログラムでも失敗だ。僕はそれが悲しかった。



11月3日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第303弾! 

「たかやん議員日記」2005.第303弾!  11月3日(木)

でたよー!
今朝は空の「でたよー!」の声でスタートした。寝ている間おしっこをしなかったので、オマルに座らせたら・・・おしっこがでたのだ。そこで「でたよー!」と報告してくれたので、駆けつけると確かにおしっこがたくさん出ていた。「凄いね!空」と拍手をすると、空も拍手。ママも駆けつけてきて「偉いねえ、空」とまた拍手。上の子二人がどういう風雨にオムツが取れたか覚えてないし、自分のことも覚えていないのだが、こんなに大事件だったのだなあと今は感じている。若い頃よりも時間がゆっくり進んでいるのかも知れない。

シチズンの腕時計
止まらないはずの時計が止まった。1秒の狂いもないはずの時計が動かない・・・。2週間前、買ったMデパートへ持って行くと、結局「修理には2週間以上かかります。」「修理代は9000以上だと思います。」ということだったが、昨日電話すると「あと15日ほどかかります。」「修理代は9600円ほどです。」という。
僕にしては凄く高い時計だったのに、修理に時間はかかるし、修理代は高いし・・・高い意味が分からず、どうも納得できなかったが、それでも修理を頼むしかないので、そのまま待っている状態だ。

困ったのは他に腕時計がないということ。ベルトが切れた腕時計なら二つあるのだが・・・・
引き出しを開けて、あちこち探していると、出てきたのが父さんの時計。もうボロボロになってしまったシチズンの腕時計だった。(これ動くのかいな?シチズンの時計やで・・)使われなくなって、もう30年近く経つはずの時計なのだ。
ところがその時計が快調に動くのだ。しかも正確に時間を刻んでいく・・・・。新しいシチズンの時計よりも、古いシチズンの時計の方が性能がいい。そんな馬鹿な・・・・。父さんはよく「朋矢、物にも心があるんだ。」と言っていたが、新しいシチズンの高級時計のお陰で、古いシチズンの時計は息を吹き返した。そして僕は毎日ほんのちょっぴり父さんを感じながら生活をしているのだ。今日はその父さんの時計を空が腕にはめて遊んでいた。「空、おじいちゃんの時計だよ。」「ちがう。ちっちの。」空もいつの日が、僕の時計を子どもに見せながらそう言う日が来るのがろうか・・・。その日の為にもシチズンの時計は大事に使わなくてはいけない。

御通夜
横浜のこどもの国で和彦のお通夜があった。6時からというので家を出たのが2時。途中で地図を買ったり、ガソリンを入れたり色々やっていたら、ギリギリの時間になってしまった。
お通夜に駆けつけてくれた人たちは300人以上いたと思う。余りの多さに葬儀社の人たちがバタバタしていた。
今日の御通夜で僕は遠くにいて来られない友達の分も涙を流してきた。悲しくて、悲しくて・・・どうしようもなかった。

全員の焼香が終わってから、僕は和彦に会いに行った。魂の抜けたあとの和彦がそこには横たわっていた。僕は和彦の魂に「じゃあ、またな。俺が来るのをちゃんと待っててくれよ。約束だぞ。」と言ってきた。よく分らないけど、あいつの魂とはいつでも交信できそうな気がした。これから色々な問題にぶつかった時に、僕は和彦の魂に相談するかも知れない。「和彦、お前ならどうする?」

帰りには雨が降っていた。空が「あめふってきちゃったよー」と難しいことを言うので笑うと、何度も「あめふってきちゃったよー」を連発して僕らを笑わせてくれた。悲しくて、悲しくてしょうがなかったのに、空のお陰でこんな日でも笑うことができる。和彦の魂もきっと笑っていると思った。

北海道の仲間達。和彦は家族四人とお父さんに手を握られて、最後の時を迎えました。1日の午前中には意識があり、声をかけるとしっかりと反応したそうです。苦しまず、幸せな表情で大きく息を吐いて亡くなったそうです。きれいな死に顔でしたよ。メールを送ってくれた仲間達。ありがとう。あいつは心から感謝していました。そして富山の清志のことを心配していました。僕は今月の19日にお袋を迎えに富山へ行ってきます。清志の病院にも行く積りです。



11月4日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第304弾! 

「たかやん議員日記」2005.第304弾!  11月4日(金)

ノーチャイム
今日お邪魔した高校は「ノーチャイム」の学校だった。時間になると授業が終わり、時間になると子ども達が教室で準備するらしい。中学校で何回か経験したことはあるが、大抵失敗だった。時間に遅れるのは生徒よりも教師の方が多かったのもその原因の一つかも知れない。

携帯
全学年を通じて、授業中に携帯でメールをしている生徒は一人しかいなかった。耳にイヤホンを刺している生徒もゼロ。2日に見学した高校とは大違いで、基本的に授業を受ける姿勢ができていたのだ。

ジュース
全校で机の上にジュースをのせている生徒はゼロ。当たり前と言えば、当たり前なのだが・・・余りの差に驚いた。

集中
プログラミング室、T.S.S室、ハードウエア室での実習を見た。久しぶりに高校生の集中した目を見た。先生も自信に満ちていて、教室全体を完全にコントロールしているのがよく分った。

睡眠
各教室に2〜3人は寝ている生徒がいたが、実習室や気合の入った先生の教室では全員がシャキっとしていた。特に電気の授業「直列回路とインピーダンス」と「中国語」の授業は面白くて、僕がのめりこみそうになった。それ以外にも「有価証券取引」の授業も面白かったし、「英語」の授業もよかったし・・・・食物調理科の「和食」の実習もなかなか凄かった。僕が今中学校3年生だったら、この高校を選ぶかも知れない。そう思った。

PTA
多分PTAの方だと思うが、ずっと一緒に教室を案内してくださった。とても感じのいい方で子ども達のことを色々と話すことができた。

母校
実は僕の奥さんは大昔のこの高校の卒業生。長女の雪の母校でもある。「昔は秋山先生っていういい先生がいたのよ。」と自慢していたのを思い出した。母校を誇りに思えるということはいいことだ。僕の母校、都立石神井は今どんな学校になっているのだろう。

先生
若くて魅力的な先生が多かったように思う。若いというのは年齢のことだけではなくて、若い雰囲気を持った先生という意味だ。学校が新しくてきれいだったこともあるが、学校全体から何かエネルギーのようなものを感じたのだった。


11月5日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第305弾!

「たかやん議員日記」2005.第305弾!  11月5日(土)

サッカーボール
今日は小中学校で公開授業というところが多く、人数が集まらなかったので朝のサッカーは中止になった。数人で公園の掃除をした後、サッカーボールでリフティングをしたりして遊んだ。太陽が色々な技を教えてくれたので、それに挑戦した。最初はできないと思っていたが、何度かやっていたら大成功。人間は練習すればできるということを再認識した。大抵の場合は練習する前や、練習の途中で諦めてしまうことが多いのだ。

「今日の格言は年寄りに不可能はない!だね。」「何それ?」「年よりは時間があって色々なことに挑戦することができる。若い人より時間がある。だから不可能だと思っていたことが可能になる。」「ふーん、たかやんは年寄り?」「馬鹿言ってんじゃないよ。俺は若年寄り!」「だー!」

テニスが終わったのは9時。「たかやん授業見に来てね!」という子ども達のリクエストにこたえて、太陽と二人で我等の母校へと向った。

山桜
テニスコートの脇の門から久しぶりに母校に入った。太陽の母校、息子の亮の母校、そして僕自身が10年生きていた母校は余りにも変わってしまっていた。
汚いのだ。ゴミが散乱しているのだ。部室の前もゴミだらけ、非常階段の下には煙草の吸殻、そして2階への外階段などは掃除をした形跡もなかったのが悲しかった。
校舎に入っても、階段も廊下も汚れている。4階の1年生の廊下、教室はまあまあだったが、2,3年の廊下、教室はひどいものだった。「これはひどいっすね。」「ひどいねえ。普段掃除をしていないんだね。」「公開授業の時くらいすればいいのに・・・」

あの頃の六中はテニス部が毎朝ゴミ拾いをしていたから、校庭は勿論、部室の裏も外トイレも朝みんなが登校する時には綺麗だった。担任も生徒も半袖・短パンで掃除に燃えていた学年もあった。学校全体に「六中をきれいにしよう!」という当たり前の意識があったのだ。花や植木もいつも手入れが行き届いていた。「緑化委員会」が頑張っていたのだ。みんな六中が好きだったから・・・・。

授業
3年生の授業中、廊下でジュースを飲んでいる男子生徒達が数人いた。廊下と複数の教室を行ったり来たり・・・それを注意していたのは若い女の理科の先生。何かがおかしい・・・先生と子ども達の関係が完全におかしくなっているのを僕は感じた・・・・。2年生、3年生の授業を見て、ピシっとした授業をしている先生が数人いた。子ども達からも「あの先生の授業は楽しい。分る。」と評判の先生だ。そういう有能な先生がいるのに、全体的には授業の質は前に比べてガタ落ちだと思った。公開授業なのにあんなに集中していない子ども達・・・・普段はどうなっているのだろう・・。想像すると恐くなる。先生達の表情が暗い訳だ。学年会議や職員会議ではどういう話し合いがされているのだろう。愛する母校なのだ。今もこれからも新座の子ども達が通う学校なのだ。責任は重大だ。

合唱コンクール
1年生は合唱コンクールの練習で授業を見ることができなかった。公開授業日なのに、6時間のうちの3時間が合唱ということになる。学校の基本は授業だ。合唱コンクールなどどうでもいいとは言わないが、授業が成立していないのに、合唱に燃えてもしょうがないと思う。「授業が見せられないから、合唱コンクールを見てもらう。」と思われてもしょうがない。勿論、教育委員会に言わせれば、「それも大切な授業です。」ということなのだろうが・・・・・。

教育長
帰るときにばったり、教育長に会った。「一人なんですか?」「うん、一人で歩くのが好きなんだよ。」僕と同じ日に同じ学校を見て、教育長はどう感じたのだろう・・・・。後でそれを聞いてみたい。そしてどうしたらいいと思っているかも・・・・。

N中
次に教え子の子ども達が通っているN中学校にお邪魔した。3時間目の3年生の理科の授業を見ようと待っていたのだが、その授業はどうやら「自習」らしかった。「先生はどうしたの?」と聞くと「県大会へ行きました。」今日は中体連の県大会が行われているのだ。今日の選手の子達の授業カット数はそれでも3時間なのだろうか・・・・そしてプリントで自習をしていた子ども達は、勿論理科の授業をしたとカウントされてしまうのだろう。県全体で行われている「教育週間」に大会をぶつける。普通の感覚では理解できない。

国語と英語
2年生の国語と英語の授業を見た。二人とも女性の先生だったが、笑顔が素敵で僕も空いている席について授業を受けたくなった。英語の先生はその時間中に全員の子達に発言をさせていた。テンポがよくて気持ちがよかった。そして二人に共通していることは板書が物凄く綺麗だということ。あれがプロなんだと思った。表情がよくて、子ども達の名前と性格を全て把握しているように見えた。子ども達との信頼関係もいいのだろう。ああいう先生に習える子ども達は幸せである。久しぶりにいいものを見させてもらった。

清潔感
この中学校は、校舎は勿論子ども達にも清潔感があった。新座で一番古い学校のはずなのに・・・・一番新しい学校よりも遥かに清潔感があった。

クラス会
五中の4期生達と久しぶりに会った。3年1組の子達だ。アキ、ババツ、ケンイチ、ミチヤ、ナス・・・・久しぶりに「とうやん」という言葉を聞いた。みんな所沢の僕の家に住んでいた子達だったのだ。今考えるとどうみてもおかしいのだが、あの頃その子達は我が家から学校に通っていた。貧乏な我が家は毎月数万円の赤字。食べ盛りの男の子ばかり9人もいたのだからどうしようもない。3年1組以外の子達も何人が預かっていたのだ。「毎朝のもやしの味噌汁が美味かったよなあ。」「肉なんか滅多にでなかったよな。」「あのパークタウンがあったから面白かったんだよな。」「俺達何も分ってなかったな、あの頃。」「この間雪に会ったんだよ。なんだか涙がでそうになってさ。」雪のおしめを何度も換えたケンイチが笑う。クラス会というより、久しぶりに家族が集合したような雰囲気だった。

煙草アレルギー2
彼らは全員煙草を吸うのだが、僕が煙草アレルギーだということを知っていて、1次会の個室の中でも、2次会のお店の中でも煙草を我慢してくれた。「何年経っても、40過ぎてもさ、たかやんは担任だからね。」その気持ちが嬉しかった。僕は12時近くまで、煙草の煙にさらされることなく美味しいお酒を飲んだのだった。



11月6日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第306弾! 

「たかやん議員日記」2005.第306弾!  11月6日(日)

煙草アレルギー3
結局あれから3次会に行って・・・そこは煙もうもうで・・・・僕は今朝、吐きまくった。吐いた後に「朝ごはん食べるよ。」と言ったら「嘘!どうして吐いた直後に食べられるの?」と聞かれた。ま、それが水産学部の特技っていやあ特技だ。

石神井高校
僕らの母校が新校舎に建て替えられるらしい。今日のOB会は懐かしいテニスコートでの最後のOB会だった。コートへ行くと2年先輩の杉原さんが手を振っていた。高校時代は口をきくことも大変だった1年生と3年生だが、最近はよきダブルスのパートナーだ。最初に僕達に挑戦してきたのは若手のOBの二人組み。玉の速さは向こうの方が上だが、コントロールの正確さとゲームの流れを読む感覚は僕らのほうが上。結局6−1でおっちゃんチームの勝ちだった。その後も現役の子達と試合をして、6−0,6−0,6−0,6−1とおっちゃんは勝ち続けた。僕らが勝つのはいいけど、現役の子達にもう少し練習して頑張って欲しいと思った。

あの頃
15歳の僕達は毎日吐くような練習をしていた。始発電車に乗り、帰ってくるのは夜の9時、10時。夕飯は喉を通らなくて、風呂にも入れず寝る。授業中は目を開けていることができず、ひたすら眠り続けた。休み時間に弁当を食べ、腹が減るから昼休みにパンを買って・・・・毎日ボールボーイとトレーニングだけの練習。夏休みに入るまではボールを打つことなど一度もなかった。たくさんいた1年生は夏休み前に半数以下になっていた・・・・。

秘密
僕達の代のテニス部は8人が最後まで残った。その内の4人はそんな練習をしていたにもかかわらず成績優秀者の上位20人に常に入っていた。そして残りの4人はそんな練習だったので常に学年の下位20人にはいる「成績劣等者」だった。勿論上位の4人は早稲田、東工大、電通大、都立大と殆ど現役で進学した。だけど下位の4人も全員浪人したけど、日大、法政、武蔵工大、北大と大学には入ったのだ。その秘密は受験勉強が石神井テニス部の練習やトレーニングに比べたら「楽」だったことだった。どんなに勉強してもあの苦しいトレーニングと比べたら屁みたいなもの。だから僕らは大学へ行けたのだと思う。先輩達も同じで、杉原さんは早稲田だし、国体選手の鍛治さんは慶応、都のチャンピョンだった松田さんは立教、そして松田さんのパートナーだったキャプテンの高野さんは上智。同じように苦しんで練習して耐えてきた先輩達がそうやって大学に入っていくのを見て、なあんだ早稲田や慶応は結構簡単なんだ・・・・僕らはそう思うことができたのだ。
そして僕らの後輩達も、僕らが大学に入っていくのを見て「なあんだ!大学って結構簡単に入れるんだ。」そう思ったはずだ。1年後輩の岡本は東大へ行ったし、井上は早稲田。2年後輩の角野は立教・・・・同じ苦しさを支えに僕らは「受験」という山を登ってきたのだと思う。1年先輩の高野さんが1年生の最後の春休みにコートで言った言葉を今でも覚えている。「お前達はこれから何でもできる。石神井のトレーニングよりも苦しいことなんか無い。受験勉強だって辛く感じないはずだ。」これが当時の高校2年生の言葉なのだ。多分その言葉は高野さんの先輩からの言葉でもあるのだろう。そして僕自身も後輩達に同じ言葉を伝えていったのだと思う。
そういう意味では今の現役の子ども達は可哀そうである。厳しい辛い練習をしないから、テニスも強くならないし、進学もどうもぱっとしないらしい。15歳くらいで、一度自分の体の限界、精神力の限界を体験しておくのはいいことなのかも知れない。

偶然
高校の近くにできた新しいラーメン屋さんでばったり教え子に会った。何しろ40歳になっている子なので確信はもてなかったのだが、声をかけないで後悔するのは嫌だったから思い切って「藤森さんですか?」と声を賭けて見た。最初はキョトンとしていたのだが、僕が「晶子のお兄さんですよね?」と聞くと「先生ですか!」とお兄ちゃん。お兄ちゃんには理科を妹には理科とテニスを教えたのだ。隣に座っていたお母さんとも久しぶりに会って今日も素敵な偶然に感謝したのだった。

先輩
最後は杉原さんの家で軽い飲み会。ビールで乾杯した。消防庁で偉くなっている同級生の石田も来て、昔話に花が咲いた。実は杉原さんの奥さんもテニス部の1年先輩。現役の頃は話ができるような雰囲気ではなかったのだが、もう笑いっぱなしで話しまくった。ひさしぶりの空を見て「大きくなったねえ。」「おりこうさんだねえ。」と笑顔一杯の杉原さん。最近本当のおじいちゃん、おばあちゃんになったので顔がそういう顔になっていた。あれからもう35年も経っているのに、こうして何も考えずに、気を使わないで話せる先輩がいてくれる。本当に石神井のテニス部でよかったと思った一日だった。煙草の後遺症でまだ頭は痛いが、心は今日も爽やかである。




11月7日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第307弾! 

「たかやん議員日記」2005.第307弾!  11月7日(月)

団会議
今日は久しぶりの団会議。9時からの会議だった。議題は色々あって、会議は早めに終わったのだが、その後久しぶりに幸弘と12時前まで話しまくった。

カメ
市役所から帰ってくるとカメムシの大群が群舞していた。どうやら11時半から12時半くらいがカメムシが飛び回る時間帯らしい。マンションの人たちから「市役所はどう対応してくれるんですかね?」「薬をまいてくれるんですよね?」と何度も聞かれた。「市長が議会で約束してくれたことだから、大丈夫だと思いますよ。」といつも答えているが、「住民と相談したという話はまだ聞いていない。流石にもうどこの林からカメムシが発生しているか、くらいはつかんでいるとは思うのだが・・・・風呂に入っていたら、バスタオルの中からカメが一匹這い出してきた。気付かなかったらひどいことになっていた。どの家も同じような体験をしているのだろう。住民は須田市長を信じて、我慢しながら待っている。

学校崩壊の原因
学校というものは面白いもので、良くなっていくには時間がかかるが、悪くなるのはあっという間のことが多い。そして教育には時間差というものがでてくることが多いのだ。
例えば、滅茶苦茶な生徒指導をする。力と暴力で上から押さえつける「教育?」をすると、それに反抗できない子ども達はおとなしくなる。ところが心の中では大いに疑問を感じている訳だから、それがいじめに繋がったり、そういう暴力教師が去ったあとの学校は荒れに荒れることが多いのだ。これは普通の教師ならみな気づいていることで、なかなか口にはしないが心の中ではみなそう思っている。特に女の先生達にとばっちりが、いくことが多い。良い学校とはベテランの先生も女の先生も安心して自分の授業が出来る学校である。おじいちゃんやおばあちゃん先生が偉い!そういう学校がいい学校である。反対に悪い学校は力のある体育教師が偉そうにしている学校だ。そういう学校は力が支配しているから、表面上は落ち着いて見えても中味はレベルが低いことが多い。教師集団が力を発揮できないのだ。勿論子ども達の間でも力が人間関係を支配するようになるから、勉強どころではなくなってレベルは落ちていくのだ。

学校の悪口
よく教師が「学校の悪口を言わないでください。」とか「教師の悪口を言わないでください。」というが、本当のことは言わないといけないと思う。悪くいう必要はないが、本当のことを言わない限り、学校はよくなっていかないと思うのだ。まずは本当のことをみんなが知ることが大切だと思う。本当のことを知るのは怖いが、どんなに現実が悲惨でも、そこからスタートしてよくしていけばいいだけのことだと思うのだ。僕はこの日記で自分の見た新座の学校の様子を書いているが、それは「学校の悪口」ではない。学校の現実だ。そしてそれは何とかして、新座の学校をよくしていきたいという願いが心の中にあるからなのだ。新座の学校をよくしていこう。その為には駄目なことは駄目と勇気を出して認めるところからはじめないといけないと思うのだ。別に校長や教師集団を責めているのではない。

対策
学校をよくするには「授業」に燃えることが一番だと思う。教師は役者だ。授業は舞台だ。その舞台で観客に寝られたら・・・プロとしては負けである。半分以上がつまらなそうな顔をしていたら、分からないという表情をしていたら、それは子ども達が悪いのではない。教師の教え方が下手なだけだ。本物の役者は観客が来なければメシが喰えない。教師は下手な授業をしても、分からない授業をしても高い給料が入ってくるという職業なのだ。昔の観客はこうではなかった!と言っても今の観客にうけなければそれはただの言い訳で、稼ぐことはできない。そういう人ほど自分のことを「先生はね・・・」と生徒に言ってしまうのだ。先生というのは教えてもらう方が教える人に対して尊敬の気持ちが入った呼び方であって、教える方がそれを強要するのはみっともない。赤ん坊に「パパ」や「ママ」というのとは訳が違うのだ。
荒れている学校はすぐ判る。授業中の生徒の表情がよくないのだ。そして教師の表情はもっとよくない。そうまずは授業中の教師の表情から意識してよくしていく必要があるのだ。子供達の表情が悪いのは、大人の表情が悪いせいなのだから・・・・

掃除
学校は綺麗なほうが良い。生徒が掃除をやらないのは先生が掃除の楽しさを教えてないからだ。これは家庭にも問題がありそうだが、家庭では集団で掃除をするなどということはあり得ないのだから、集団で掃除をする快感を子ども達に教えるのは先生の仕事だ。
汚れた学校は先生も掃除をしていない。子ども達は実は掃除好きなのだ。仕事をして先生に誉められたいと思っているのだ。どんなにグレてしまった子でも、心の底ではそう思っている。掃除を先生も生徒もサボるということは、両方でそういうチャンスを逃しているということなのだ。
学校をきれいにすることに、学校も市も教育委員会ももっと真剣になっていい。そういうことには税金をどんどん使ってもいいのだ。学校というのは日本の、世界の未来がかかっているところなのだから・・・・。つまらない道路を作るお金があったら学校を綺麗にすることに使ったほうがいい。

教育問題に関心のある方、メールをお待ちしています。特に学校の先生方、待っています。
takayanchan@jcom.home.ne.jp


11月8日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第308弾!

「たかやん議員日記」2005.第308弾!  11月8日(火)

誕生日
今日は死んだ父さんの誕生日。生きていれば83歳。どんなお爺さんになっていたのだろう・・・。最近父さんの夢を見ることが多い。まだそっちに行くわけには行かないんだよ、父さん。

カメムシの毒
今日もベランダにカメムシが無数にいた。実はカメムシには猛毒がある。子供がその毒を知らないで目をこすったりすると、失明するというからかなりの猛毒だ。ネオアーバン朝霞台には小さい子ども達がたくさんいる。何かが起こってからでは遅いのだが・・・・このままだと12月議会でまた質問?まさかね。

新座高校そして三中
今日が授業公開日だということで、午前中から新座高校にお邪魔した。すると・・・・「公開は午後からです。」という訳で、隣りの中学校に突然押しかけていった。何の連絡もしていなかったし、公開日でもないのにその中学校は実に気持ちよく授業を見せてくれた。そして僕は感動したのだ。
まず学校全体が綺麗に明るくなっていた。校門から校舎までは勿論、廊下も教室の中も昔に比べると格段に綺麗になっていたのだ。そして授業をしている先生達の表情も昔とは比べ物にならないくらい明るかった。だから生徒達の表情もよかった訳で・・・・
学校があれだけ綺麗になるには生徒が本気で掃除をしないと無理だと思う。校庭にゴミは全く落ちていなかったし、学校の中も我が母校と比べると100倍以上綺麗だった。そして授業を受ける雰囲気も、前と比べてかなり進化していた。よほど地道な努力をしてきたのだろう。子ども達を見捨てないで、みんなで力を合わせてきたのだろう・・・・。いつもそこにいると気がつかないかも知れないが、久しぶりに見た三中は素晴らしく変化していた。勿論問題はあるだろうが、きっとみんなで力を合わせて乗り切っていくだろう。

午後からは新座高校へ行った。この高校も予想に反してかなり綺麗だった。授業も予想を遥かに超えるほど良い感じの授業が多かった。机の上にジュースを置いていた子は3人。耳にイヤホンを付けていた子は一人しかいなかった。そして携帯はゼロ。公開授業とはいえ、たいしたものだと思った。
僕は教員なりたての頃、偏差値が60を越える子達を新座高校に送り込んだことがある。「新座の学校をよくしていこう!」という目に見えない運動があったのだ。その子たちは大学に進学していったが、退学に追い込まれた卒業生達もたくさんいた。子ども達を見捨ててしまう学校。それが僕のイメージだったのだが・・・・。新座高校は激変していた。先生達の表情がよかった。現在進行形で、新座高校が変化しているのを僕は肌で感じた。数日前に母校で感じたのとは正反対のショックを感じて、とても嬉しかった。まだまだ色々問題はあるだろうけれど、先生達と生徒達のやる気が僕には伝わってきたのだ。




11月9日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第309弾! 

「たかやん議員日記」2005.第309弾!  11月9日(水)

笑顔
嫌なことがあっても、空の笑顔を見ると思わず笑顔になっている自分がいる。子どもの笑顔には邪念がない。無邪気な笑顔は人の心を和ませてくれる。僕は昔、教室でそういう笑顔を探した。その笑顔を見つけて、自分も無邪気な笑顔にするのだ。その笑顔をキープしていると、それがどんどん伝染していって、教室中がその笑顔になっていく・・・・・職員室で頭にきても、僕はそうやって笑顔を保つことができた。
朝、家で嫌なことがあっても校舎に入るときは無理やり笑顔を作る。テニスコートでは無理やり怒った顔を作ることもあるが、校舎の中は笑顔を意識していた。本物の教師はきっと無意識に笑顔になれるのだろう。だけど、僕はまだ半人前だったから、意識して笑顔になっていたのだ。
自分が生徒になってみれば直ぐ分る。朝一番に担任の先生の心からの笑顔を見るのと、しかめっ面を見るのとどっちが笑顔になりやすいだろう。どんな問題児だって、まだ13、14、15歳なのだ。「こいつらは無理だ。」と決め付けないで、笑わせてやるくらいの意気込みが欲しい。教師も人間だから、生徒の嫌な顔を見ると、どうしても反応してしまう・・・・。だけどそれでは子どもと同じレベルだ。ちょっと我慢して、かわして、笑顔。それがなかなか難しいのだが、ベテランはそれをやる。教師は「役者」でなくてはいけないのだ。
生徒に挨拶をさせるのは簡単だ。自分が飛びっきりの笑顔で先に挨拶をすればいいのだ。それを毎日数週間続ければ、殆どの子ども達は自分から大声で挨拶するようになる。チャイム着席も簡単。自分がチャイムが鳴り終わる前に教室に入っていればいい。そして遅刻した子どもがいたら「1秒で1回、腕立て伏せ」自分も一緒にやれば体罰にはならないし、自分の体も鍛えられて一石二鳥。掃除をやらせるのはもっと簡単だ。自分が楽しく一緒にやればいい。清掃監督はいけない。そもそも監督することがおかしい。生徒だろうが教師だろうが自分が使ったところは一生懸命きれいにする。掃除はやらせるものじゃあない。掃除の心を伝えるのに、自分が楽をしてはいけないのだ。生徒にジャージを強要するなら、自分もジャージでやる。生徒に短パン半袖を強要するなら、自分も半袖短パンになる。それを一月も続ければ、自分が休んでも生徒達だけでやってくれるようになる。学校の掃除は人数が多すぎるのだ。だからみんなで本気でやればあっという間に綺麗になってしまう。汚かったら学活は終わらないくらいの気合も必要だ。今、汚れている学校は先生が掃除の仕方を知らないのではないだろうか・・・少なくても掃除の本当の楽しさを知らないような気がする。
毎日何度も鏡で自分の顔を見てみることだ。その顔を子ども達は毎日見ているのだから・・・・
教師は大変な仕事だ。親の代わりはできないし、滅茶苦茶な親はいるし・・・でも、笑顔になることはできるはずだ。笑顔の表情筋を鍛えるのだ。

自転車
夕方はこぐと汗をかいたが、夜はいくらこいでも寒かった。もう11月なのだから当たり前と言えば当たり前。それにしても新座の道路は走りにくい。歩行者や自転車には実に不親切な道が多い。車椅子ではもっと走りにくいだろう。そういう発想がなかったのかも知れないが・・・・。


11月10日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第310弾!

「たかやん議員日記」2005.第310弾!  11月10日(木)

大掃除
今月の20日過ぎに母さんが富山から帰ってくるので、午前中は部屋の大掃除をした。母さんが気持ちよく過ごせるように、4つの部屋を全て模様替えしてみた。掃除をすると見た目も綺麗になるが、無くしていたものが見つかったり、部屋が機能的になったりして面白い。部屋が変化するとやる気も起こるから、やる気が出ないときは掃除をするのが癖になっている。今回はピアノの場所を動かした。毎日少しずつ練習しようと思っていたのだが、なかなか思いどうりにいかなくて・・・今度はきっとうまくいくと思う。

音楽
クラスを一つにするのに僕は音楽を使った。毎日のように教室で歌を歌ったのだ。「松山千春」「長渕剛」「アリス」「スピッツ」「徳永英明」「尾崎豊」「中島みゆき」「PPM」「ビートルズ」上の兄貴達は楽譜が読めないが、僕だけはオルガン教室に通わせてもらったので、楽譜は読める。中学時代、僕が5を貰った教科は・・・体育、音楽、国語だけだった。いつも5だったのは体育と音楽。理科と英語はどんなに頑張っても4だった。そんな僕に理科を習った訳だから、子ども達は僕の理科の授業を余り覚えていないというのも頷けるかも・・・。覚えているのは「歌」だそうだ。そして何十年たっても、その頃歌った歌を歌うと中学時代に戻れるのだ。悲しいような、嬉しいような話である。

議員研修会
今日は会派で13時に集合し、14時からは市民会館で研修会があった。小千谷市の消防本部から二人の講師の方が来て、講演を聞いたのだ。前にも一度聞いた講演なのだが、内容が少し変わっていてなかなか面白く、勉強になった。最後に質問をする時間があったのだが、誰も質問しないので手を挙げて質問してしまった。ちょっぴり生徒の気持ちになった今日の研修会だった。

新座高校からのメール
この間の授業公開に参加したことへのお礼のメールが届いていた。現在進行形で変化している高校らしいと思った。先生達の意識が今までとは違うのだろう。教育は熱意だ。和光国際が伸びたように、新座高校も伸びるような気がする。学校は国民の財産だ。その価値を高めるのは先生達の熱意だろう。


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