Diary 2006. 6
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6月11日 (日)  「たかやん議員日記」2006.第162弾! 

「たかやん議員日記」2006.第162弾!  6月11日(日)

朝練
4時半に起きると外は曇り空だった。6時前になり、小雨・・・・「テニスしたかったなあ・・・」と呟く奥さん。「じゃあ、行くだけ行ってみようよ・・」と僕。テニスをしたかったのは、僕達だけではなかったらしく、一早とまり子も参加しての小雨の中の朝練は本当に楽しかった。たったの40分くらいの練習だったけど、充分に幸せを感じたのだった。

グオン・サンウ
久しぶりに韓国映画を見た。相変わらずハングルはゆっくりじゃないと読めないし、聴き取りは3%くらいしかわからない・・・・全く進歩していないのだ。これからは英語以外の言葉も(中国語と韓国語くらい)中学校で選択できるようにした方がいいのかも知れない。

新座市議会会議録検索システム 
http://niiza.gijiroku.com/voices/srchtop.asp?fimode=1&rst=1
新しい議事録がUPされたようだ。「語る会」になっての最初の発言を読んでいると、なんだか恥ずかしくなってくる。現在「邑朋矢」で検索するとヒット数は24件。新人議員としては発言回数は1番多いが、先輩議員たちにはまだまだ遠く及ばない。この検索システムは実によくできていると思う。自分が投票した人が、自分の前ではなく、議会ではどういう発言をしているのか・・・または発言をしていないのかがよく分かるのだ。文字になっているからこそ、自分の言葉なのかどうかも分かる。議員の本当の意味での「若さ」や「情熱」も見えてくるかも知れない・・・必見である。

Milkyway
星川さんのブログが面白い。今回は僕が槍玉にあがっていて、なお面白い。
http://www.milkywayclub.com/ ブログはそうでなくっちゃと思いながら、なかなか彼女のようには書けない自分がいる。ちょっと羨ましい気もする・・・・。

二郎のボール
ワールドカップが始まった。五中の3年8組のセンターハーフの二郎のことを思い出す。あの頃の五中の体育は「毎回」サッカーなの?というくらいサッカーばかりやっていた。その授業に全て乱入する担任。自分の空き時間と自分のクラスの体育の時間が一致するように「時間割係」をやったこともあれば、「時間割係」に頼んだこともあった。あの時のサッカーでいったいどれくらいのパスを二郎に出し、それくらいのパスを二郎から受けたのだろう・・・・僕がどれくらい二郎にセンタリングを上げ、彼からのセンタリングをどれだけ僕はヘディングしたのだろう・・・今年の10月であいつが逝ってしまってから3年。「ワールドカップが始まったら、どうしても二郎のこと思い出して・・・」と兄貴の直弘から電話があった。直弘の声も、お母さんの声も聞くことができるのに、二郎の声だけはもう二度と聞くことができない。だからせめて、二郎のボールを直弘と一緒に蹴ろう!あいつの分もワールドカップに燃えよう。僕らができるのはそれくらいしかない・・・。そしてお母さんにたくさん泣いてもらって、少しでも元気になってもらおう。人はとんでもない悲しみを、そうやって乗り越えてきたのだと思う。きっと息子をなくしたお母さんは、毎日、毎日、毎晩、毎晩、泣いて、泣いて・・・自分の中にいる息子に語りかけながら、生きてきたのだと思う。
守、真治、さかえ、バンナ、二郎、隆治、麻季子・・・・みんな本当に親不孝者だ。お前たちの母さんや父さんがどれだけ泣いたことか・・・・。でもね、みんな僕らに今生きていることの大切さを教えてくれたんだよね。残された人間は「一生懸命」お前達の分も生きるしかないんだよね。

こんな夜は、もう一度お前達の声が聞きたいなあ・・・・。 たかやん


6月12日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第163弾!

「たかやん議員日記」2006.第163弾!  6月12日(月)

一般質問
6月議会の一番手は最大会派のS議員。要するに通告書を一番で提出したということだ。僕のように最終日の17時ちょっと前に出すナマケモノとは根本的に何かが違う、といつも感心してしまう。防犯、就労、経済、行政問題と質問は多岐にわたっていた。

二番手は最大会派のN議員。何といっても常に数十名の傍聴人が応援に来るのだからたいしたものである。僕のようにネチネチ質問しないで、サラッとやるところに人気があるのかも知れない。N議員の質問が終わると、傍聴人がゼロに・・・ちょっと寂しかった。

午前中の三番手も最大会派のH議員。質問内容は教育、行政、観光問題。若手のNO2の彼は教育問題で新教育長と堂々と渡り合っていた。H議員の質問の途中で昼食休憩。お昼休みは社会福祉法人のスワンベーカリーがパンを売りにきて、高校時代のパン屋さんを思い出した。

昼休み
今日は珍しく1人だったので、本を読みながらお弁当を食べた。大抵の人たちがパンだったようだが、我が家ややはりお弁当だ。


歯を磨きに廊下にでようとすると向こうから長女の雪が長男を連れてやってきた。「あっくん!抱っこするか?」と両手を出すが、「かあちゃん!」と逃げられてしまった。何人かの人が空とあきのりを間違えたみたいだった。雰囲気が何か似ているのかも知れない。

四番目は最大会派のM議員。M議員は教育問題一本。難しい質問だったので、新教育長は答弁にかなり苦しんでいた。

そして最後は公明党のT議員。質問は行政、福祉、教育問題。今日の教育長は見ていて気の毒になるくらい答弁の回数が多かった。

学校選択制
驚いた答弁が「学校選択性」を検討しているという答弁。もしかしたら新しい教育長になり、考え方に変化が起きたのかも知れない。答弁の内容も僕の考え方に近いものがかなりあり、今までとは随分違う印象を受けた。これからの市教委に期待できると思った人も多かったのではないだろうか・・・・。
期待
オーストラリアに負けた。坪井の退場が一番痛かったのかも知れない。ケネディーが入って流れが明らかに変わった。ヒディングマジックは生きていたのだ。愚痴を言うのはやめよう。選手は全力でやったのだし、まだ負けが決まった訳じゃあない。スポーツの世界には色んな事件が起こるものだ。クロアチアもブラジルも強い!そのチームと日本が本気で戦う・・・それだけでワクワクしてくる。

寝不足
明日は寝不足の人が多いのではないかな。それでなくても時々意識を失くしている人が多いのだから・・・・僕も早く寝ないと・・・・。


6月13日 (火)  「たかやん議員日記」2006.第164弾!

「たかやん議員日記」2006.第164弾!   6月13日(火)

寝不足
ワールドカップで興奮した脳みそは眠ることを拒否し・・prison breakを最後まで見てしまった。それでも朝は普通に目が覚め・・・完全に寝不足状態。

ゴミの日
そういう日に限ってゴミの日だったりする訳で、毎回ゴミ当番の僕はゴミを抱えての出勤となった。

ベルマーク
川上議員の話は今回もなかなか面白かった。ベルマーク・・・・かなり遠い記憶にはあるのだが、最近は気にもしていなかったのだ。確かに市をあげて、ベルマーク運動に取り組んだら・・・子供たちに色々な物を買ってあげられるか知れない。そう思った。

1秒
亀田議員は最初の質問で残り時間「1秒」を表示させ、議場をわかせた。僕にはあんな芸当はできそうもない。一人で喋り続けろというのなら、3時間くらいは話せるとは思うが・・・・。
メタボリック症候群の話では議場を笑わせてくれた。今日はメタボリックな男たちが、あちこちで「ウエストいくつよ?」と聞きあう姿が見られた。

お弁当
久しぶりに議会事務局でお弁当を食べた。刷新の会の時も1人だけお弁当だったので、いつも指定席で食べさせてもらっていたっけ・・・・。今日の話題は「ワールドカップ」と「映画」だった。みんなで食べるとご飯が美味しいや。

コーヒーブレイク
最後の長い休憩の時、語る会の控え室はコーヒーを飲む人で賑やかだった。久しぶりに文さんが来てくれて、幸弘、星川さんに勇さん・・・「四幹事長が揃ってるねえ・・・」と幸弘。なかなか面白いことを言う。話題は町内会のこと。僕以外はみんなベテランなので、昔からのことを本当によく知っている。文さんと星川さんのやり取りが、余りにもおかしいので僕は笑いっぱなしだった。

鍼灸院
塾が始まるまで少し時間があったので、鍼灸院に行った。背中の筋肉がガチガチで前から気になっていたのだ。綺麗な女の先生だったので、少し緊張したが実に丁寧に鍼を打ち、そして筋肉をほぐしてくれた。効果は直ぐに現れた。夜のトレーニングで身体の動きが楽だったのだ。一月に一回は通ってみようかな・・・・・          たかやん



6月14日 (水)  「たかやん議員日記」2006.第165弾!

「たかやん議員日記」2006.第165弾!  6月14日(水)

ノーカーデー
水曜日はノーカーデー。最近あまり、車に乗っていないから、ノーカーデーと言われても、ピンとこない。今日も自転車で市役所へ・・・。時間を計ったら5分30秒だった。

朝からお客様
体協の会長さんが控え室に来られた。僕の前に議員だった方らしく、他の議員とも親しげに話されていた。その後平八さん、文さん、幸弘とお客様?が続き、大忙しだった。

「星川を落選させる市役所の会」について市長の認識を問う
そんなタイトルの一般質問をするのだから、星川さんも気合が入っている。気合が入りすぎて、市役所の男子職員を「変なおじさん達」と呼び、市長をはじめ、部長達からブーイングを浴びていた。そういう僕も50を過ぎたおっさんなのだけれど・・・・確かに僕は「変なおじさん」かも知れないけど・・・議会でそんなにストレートに言わなくても・・・とおじさん達は思ってしまうのだ。

男は外で働らくだけ・・・女は・・・
女は外で働いて、家でも働いているんです!と星川さんは吼えていたが、僕は役所で働いて、塾で働いて、家でも働いている。それが嫌だと思ったことはない。議会もやりがいがあるし、塾は滅茶苦茶楽しいし、家は面白い。風呂の掃除や換気扇の掃除、ガスレンジの掃除などは僕の仕事だ。もちろんゴミだしは毎回僕。空をお風呂に入れたり、オムツを代えたりもする。料理だって作る。洗い物をすることもある。それが楽しいのだからしょうがない。働くことは楽しいことなのだと僕は思う。男も女もみんな一人一人違う個性を持っているのだ。男はみんな同じなんて・・まさか本気で思ってないですよね?

緊張
「いやあ質問の時はやっぱり緊張するのよ。」と幸弘。そうだったんだ・・・・いつも堂々と話しているから、緊張などしていないと思っていた。「勇さんは緊張するタイプだよね!」「ところが議場を一歩でると別人だからなあ・・」と二人で勇さんをからかう。勇さんは控え室にいると実によく喋る。歌も歌う。休憩の時には時々鼾もかく・・・・でも議場では蚤の心臓。可愛らしい人なのだ。考え方は180度以上違うけど、なかなか面白い人なのである。

空に会えない
塾から帰ってくると空はもう寝ていた。早寝早起きでいいのだが、ちょっと寂しい。夜中に泣いて抱っこすることもなくなってきた。つまらないなあ・・・・ たかやん


6月15日 (木)  「たかやん議員日記」2006.第166弾! 

「たかやん議員日記」2006.第166弾!  6月15日(木)

トレーニング
今日も自転車で出勤した。思い切り汗をかいたまま、控え室でトレーニングをする。最近大分体が軽くなってきた。バランスボールを使い、チューブを使いながらのトレーニングで腰痛も消えていった。

肩揉み
昔から「とんちゃんは肩揉みが上手だ」と親に誉められていたせいか、今でも肩揉みをすると喜ばれる。休憩の時に平八議員の肩を時々揉むのだが、今日もそうしていると・・・星川さんがやってきて、「あら、あたしにもやってよ!」と一言。(本当に恐いもの知らずのおばちゃんだ)気の弱い僕は抵抗できず、控え室にお客さん(卒業生)が来ている前で、星川さんの肩揉みをしたのだった。何でこうなるのだろう・・・・

一人会派
一般質問の最中に意見書が回ってきた。一人会派のいいところは全て自分の頭で判断するというところ。賛成の時は「賛成」と言えるし、分からない時は「これの意味が分からないんですけど」と聞くこともできる。誰かに相談して決めるということはない。それがいいのだ。

陵平
この2年間で6回陵平のことを質問してきた。あの時の生徒指導に間違いはなかったのか?と質問を続けてきた。「もうやめた方がいい」「いつまでやるの?」「どういう答弁を期待してやってるの?」「落としどころはどこ?」「暗い話はもうやめて」同僚にも先輩にも色々言われた。それでも僕が続けてきたのは、多分みんなとは違う思いがあったからだと思う。今夜も陵平のお母さん、お兄ちゃんと話をした。また少し泣きそうになった・・・。

カサジ
明日は一般質問の日。21番目の最後だ。僕の前がカサジ(笠原先生の昔のあだ名)だから、声の張りで負けないようにしないと・・・・。五中で最初に担任した頃(今から30年も前)からそうだったけど、いつも自信溢れる話し方だった。1組甲神嵒 2組 笠原進
3組 帯刀俊雄(多分こんな字)4組 邑朋矢 5組 神宮司久子 6組 原日出夫とまあこんなメンバーの中で、僕は最年少の23歳。カサジは28歳。嵒が32歳で「若手三羽烏」と呼ばれていたっけ・・・。それが今じゃあ全員メタボリックなおっさんなのだから、時の流れは恐ろしい・・・。ちなみにうちの奥さんはカサジの教え子。だから我が家でも「カサジ」で通用する。カサジが議員になったときは本当にビックリしたが、その僕がまたカサジと同場所で同じ仕事をしているのだから人生はわからない。  たかやん


6月16日 (金)  「たかやん議員日記」2006.第167弾!

「たかやん議員日記」2006.第167弾!  6月16日(金)


今朝は雨。車で市役所まで送ってもらった。地下の駐車場で降りると「おはようございまーす!」と向こうの方で声がする。「おはようございまーす!」と言ってから、N君の笑顔に気付き「おはよう!」。五中時代の教え子だった。

一番
最終日ということもあるだろうが、8時40分に着いたのに、一番乗りだった。10分しても誰も来ないので、「今日普通にありますよね?」と議会事務局で聞くと「今日は休会ですよ」「・・・?」「冗談ですよ!」とUさん。安心してトレーニングをスタートした。

優等生
最初の質問は石島議員。彼女は僕の最初の卒業生で優等生だった。体育は余り得意じゃなかったが、それ以外の教科は全部5だった記憶がある。担任というのは不思議なもので、いつまでも教え子を応援する気持ちがあるのだ。休憩の時に「お疲れ!クラス会のことだけどさ・・・・」と久しぶりのクラス会を楽しみにする僕らだった。

人気
「市役所で一番人気があるのは笠原議員の一般質問です。」という話を市役所の人から聞いたことがある。数字や要綱を示しての具体的な指摘は確かに説得力がある。しかも相手を見ての、我々を見ながらの質問は迫力がある。執行部が一番緊張する時間帯である。

新教育長
星川さんや笠原さんは市長と正面衝突するシーンが多い。僕は須田さんの答弁にどうも納得させられてしまう・・・あの笑顔に負けてしまうのかも知れない。新しい金子教育長になり、新鮮な答弁を期待したのだが・・・・「前教育長の言っていた通り・・・・・」と臼倉路線を継承していくぞという答弁にはガッカリしたのだった。

指導体制
「共通理解」「共通行動」「一枚岩」この指導体制こそが危険なのだという話をしたのだが、伝わらなかった。この体制側にいる人間は自分たちが北朝鮮と似ているとは気付いていない。そこにいる生徒は勿論、教師も苦しめているということを感じることはない。「この学校はいい学校だ」「ここの指導は最高だ」自画自賛することを疑問に感じなくなった時、北朝鮮化している自分たちは全く見えなくなっている。一枚岩の一部になった人たちが「この学校は素晴らしい」と言ったとき。それは自分たちへの賛美なのだ。その自画自賛を「みんながそう言っている。」「みんながそう思っている」そう言い出した時、一枚岩は完成する。そしてその岩にぶつかってくる人間はことごとくつぶしにかかるのである。

陵平の事件はその一枚岩を解体するチャンスだった。ところが教育委員会がその一枚岩を守ろうとして、一枚岩に吸収されてしまっておかしくなったのだ。二中の一枚岩はさらに大きな頑丈な一枚岩になっていった。

「裁判になったときに、不利な発言はできない。」そう判断したことも不幸の始まりだった。陵平の命はお金では買えない。命の応援団であれだけ糾弾し、議会での延べ12回の質問があって、あれだけひどい答弁が返ってきても・・・陵平の両親は訴えることをしない。それは陵平がそれを望んでいないからである。陵平が望んでいないことを両親がする訳がない。両親が知りたかったのは真実だけ。そして望んだことは他の子達が陵平のような苦しみかたをして欲しくない。そういう思いだった。

一方では真実を知りたいということに集中したのに、一方は賠償金に心がいってしまった。だから人として当たり前な謝罪すらできなかった。言葉にすれば「証言」「証拠」になるからだ。それがこの事件の出発なのだ。たくさんの録音されたテープや資料を読めば読むほどそれが分かってくる。

今はもうその当時の一枚岩はない。緘口令を敷き、総力を上げて守ってきた当時の二中の一枚岩は今はないのだ。でも新座の各地にそれを同じような一枚岩はできているのではないか・・・・生徒や教師が「苦しい」と感じる空間があるのではないか。僕が心配しているのはそこなのだ。

朝鮮人は嫌いではない。僕ら日本人には必ず彼らと同じ血が流れている。でも北朝鮮という国は大嫌いである。それと同じような「一枚岩」を壊すこと・・・子供たちを守ること。それが僕の愛国心かも知れない。一枚岩を見つけるのは簡単である。「自画自賛」をしている集団。誰の発言だから全部支持、誰々の発言だから全部無視、そういう集団は怪しい。弱いものに強く、強いものには弱い集団。それも一枚岩の特徴である。

一枚岩・・・弱いものが強いものに対して造るとき。それは正義の岩になる。正義の岩は守ることはしても、相手を潰しに出撃することはない。だけど当時の二中の「一枚岩」は強いものが弱いものに対して造った「一枚岩」だった。それが陵平の心をズタズタに傷つけ、そして陵平の仲間達の心を今でも傷つけたままにしている。僕は今、その幻の一枚岩と戦っているのかも知れない。新座の子供たちと新座の先生たちのために。二度とあのようなバケモノ岩が現れないように・・・・。                           たかやん


6月17日 (土)  「たかやん議員日記」2006.第168弾! 

「たかやん議員日記」2006.第168弾!  6月17日(土)

指導法
陵平たちに対する指導法はいくつかに絞られる。
1. 事実を確認する
2. 説教する
3. 反省文を書かせる
4. 親を学校に呼ぶ
5. 親に電話で事実を伝える
6. 学年の教師全員で指導にあたる
7. 学年集会で決意表明させる

全て問題がないように見える。しかし事実確認と言っても、仲間を売るようなことをさせていることは問題である。いじめなどの緊急事態の時は必要だが、たかが「アメ」である。

説教はいい。上手な説教で子供たちは泣くこともあるから・・・。「アメ」じゃあ本気で説教する訳にはいかないが・・・下手な説教をしてきたから、子供たちには効かなかったのかも知れない。

反省文も結構である。しかし普通ならそれで終わりである。休み時間に食べた「ハイチュウ」なのだから、「反省文」でチャラ。それくらいが妥当だろう。

親を学校に呼ぶ。論外である。学校にライターを持ってきたくらいで、親を呼び出すのだからどうかしている。

親に電話で事実を伝える。軽いのだ。本当に学年集会で決意表明させるような事件だと思うのなら、家庭訪問という手段を選ぶべきだった。

学年の教師全員で指導にあたる。それこそ「アメ」でこんなことをしていたら、本当の事件が起きた時には自衛隊に出動要請しなくてはいけなくなる。

学年集会で決意表明させる。最悪の方法である。これは体罰よりも悪い。こういうことを中学生を教える先生達が思いつくこと自体がどうかしている。法律で禁じられている体罰よりも遥かに悪い最悪の方法である。これさえ考え付かなければ陵平は死なずに済んだのだから・・・。

若い先生達に伝えたいのは4・6の指導法は普段はしてはいけないということ。親を呼ぶなら自分が行きなさい。学年全員で指導するなら、生徒も教師もバラバラにいくつかのグループに分かれて指導しなさい。そして7は絶対に駄目である。これは指導法には当てはまらない。これだけで「不登校生徒」や「自殺する生徒」を簡単に作れるのだ。
学年集会で全教師が全生徒に説教をする。これはありである。ただ話が下手だと子供たちには伝わらないから、絶対に伝えるんだという気合がないときはやめたほうがいい。

陵平達にとって悲劇だったのは、1から7の指導法を全部同時に使われたことだった。たかが休み時間の「アメ」で「本気」になってしまった教師集団の経験の無さが、陵平達には致命的になった。

そして「共通理解」「共通行動」「一枚岩」に縛られた教師たちは、誰一人として一人の教師として、人間として陵平達に向かうことはなかったのだろう。それもまた子どもたちにとっては致命的なことだった。

一人ひとりの教師達が「学年で決まったからしょうがないけど、私はそうは思わない。」もし担任がそういう教師だったら・・・・陵平は救われたはずだ。しかしあの当時の二中でそういうことを言える教師はいなかったのかも知れない。それ程、窒息してしまいそうな空気の中で教師達も生きていたことになる。

子ども達が思い出すのは「学校」ではない。やはり「先生」なのだ。「共通理解」「共通行動」と叫んだ教師達だって、自分が生徒の時は、ひとりの人間としての「先生」に接してきたはずだ。そういう意味で陵平たちは学校へは行ったが、先生には会わなかったのかも知れない。「共通理解」「共通行動」「一枚岩」これらの言葉の後ろには温かみのある人間が存在しない。

家の中に父親ばかりがいたら、子どもが息苦しくなるように、家の中に母親ばかりがいたら、うっとうしくなるように・・・同じ価値観の中で生きる子どもは不幸である。

「共通理解」「共通行動」「一枚岩」は世界はおろか、日本でも埼玉でも通用しない。本当に狭い世界での、限られた時間での共通語なのだ。

新座の中学校は軍隊でも体育学校ではない。「連帯責任」という言葉は当時の二中で当たり前のように使われていたと子ども達が言っていたが、当の大人たちは連帯どころか、誰も責任を取らないのだからあきれてしまう。「命より大事なものはない」そういい続けていた大人たちが、ものの見事に逃げてしまったのがあの事件の真相である。

それは違う!というのなら、堂々と僕の前で論じて欲しい。僕は誰とでも議論する用意がある。決して逃げたりはしない。

若い中学校の先生達。中学生は色々やるのだよ。昔あなた達がそうしてきたように・・・・教室で授業を邪魔したら真剣に怒りなさい。「勉強をするのはみんなの権利なのだ。それを邪魔する権利は誰にもないんだ!」と。下手な説教をするくらいなら、教室から出してしまえばいい。

休み時間に子ども達と一緒に遊びなさい。そうしたらアメを一緒に隠れて食べることもできるし、いじめの情報も自然に入ってくるから・・・。子ども達の悩み相談が増えるとは思うが・・・。

「教師と生徒は友達じゃあない!」そういう年配の教師がいたら、(そうだ。友達よりも大事なものなんだ)と思いなさい。だから今の瞬間、瞬間の授業、部活、給食、昼休み・・・その時、その時で自分の色々な面を見せることだ。それこそケジメをつけてね。子ども達との時間はもう二度と来ないのだから・・・・・。       たかやん





6月18日 (日)  「たかやん議員日記」2006.第169弾! 

「たかやん議員日記」2006.第169弾!  6月18日(日)

感謝状
法事で館林の親戚の家に行った。隣の家は昔の谷津農林大臣の家。かなり大きな家だったが、その家よりも大きな家に僕らは入った。その家にはたくさんの感謝状があって・・・・自民党総裁中曽根康弘とか・・・・そうか、ここは群馬だったんだ。その中に昭和18年の感謝状があった。色はかなりあせていて・・・署名を見ると陸軍大臣東条英機と書いてある。「東条英機!」そうあの東条英機からの感謝状だった。ああビックリ!

一般質問が終わり・・・

本気
ジャージの件については「本気でやります!」と教育長は明言していた。でも「デザインの切り替え時期があり・・・・」と本気にしては怪しい発言もあり、今後の状況を厳しく見守る必要を感じた。「学校現場でおかしいことは直ぐに是正する」という強い姿勢が欲しい。スポーツ屋と一部体育教師との繋がり・・・そんなことを言われたら、体育の先生達も迷惑だろう。市外業者の独占状態はそれほど異常なことなのだ。僕が主張しているのは独占である。その業者を締め出せとは言っていない。複数業者で競争させることが大事だといっているだけだ。市内でも市外でも独占はよくない。

開かれた学校
言葉は格好いいのだが、実際に市民に開かれなければ意味がない。図書室を市民に開放するくらい簡単にできることはないだろう。校庭開放ができて、図書室開放ができない訳がない。一石三鳥だと思うのだが・・・・どうもマイナス思考である。それこそ試しにどこかの学校でやれることである。

貸してやる
テニスコートを市民に借りていただくのか、貸してやるのか・・・その意識の差は大きい。ガラガラのテニスコートを1時間単位で貸し出せない理由がない。土日はともかくとして、ウィークデーは1時間単位での貸し出しにすべきである。「検討してみます」という部長答弁に期待したい。

市民の憩いの場
総合運動公園は「運動するところ」という発想が今までは強かったのだと思う。勿論基本は運動するところでいいのだが、15億も使って造ったのだから、たくさんの市民に利用してもらえる施設になって欲しいのだ。税金は運動する人たちからだけ頂いた訳ではないのだから・・・・。市長の答弁からは市民の憩いの場にしていきたいという思いが伝わってきた。

新教育長
他の議員の質問に苦しんでいる教育長をみると(がんばれ!)と応援している自分がいる。僕の質問に対しては、(いろいろ立場もあって言えないこともあるんだろうなあ・・)と思いながらも突っ込む自分がいる。でも議会で馴れ合うことは嫌だから、本気でぶつかるしかない。アスベストの時に当時の教育総務部長と本気でやりあったが、それはそれでよかったと思う。本気で議論して「新座市」がよくなっていけば、それでいい。自分の意見が通ることが大事なのではない。新座市がよくなっていくことが大事なのだ。そういう意味でも新教育長には本気で議論して欲しいと思う。もっともっと自分の考えをぶつけて欲しいと思う。




6月19日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第170弾! 

「たかやん議員日記」2006.第170弾!  6月19日(月)

朝までワールドカップ
今日は休会日だったので、朝までワールドカップを観戦した。韓国が引き分けたのを確認してから寝たのだが・・・やはり目は覚めてしまうもので・・・8時過ぎにはパソコンに向かっていた。

資料
(この間の一般質問の時に教委から出された資料1)

お菓子を持っていかない遠足をしている市内小中学校

小学校・・・14校(内3校は1,2年生のみ持参可)
中学校・・・・5校

修学旅行でカメラを持っていくことを禁止している市内小中学校

小学校・・・15校
中学校・・・・0校

教育委員会の答弁は「学校長の判断に任せている」というもの。どういう理由でお菓子の無い遠足をしているのは掴んでいないということだった。カメラについても同様。学校に任せるのはいいが、市教委はその理由くらいはちゃんと掴んで欲しいし、説明できるようにして欲しいと思った。

(この間の一般質問の時に教委から出された資料2)
今年度の各中学校のジャージ・体育着指定業者一覧

新座中学校 トップスポーツ(高橋文具)
第二中学校 トップスポーツ(星野衣料店)(浅川カンパニー)
第三中学校 トップスポーツ、(有)ぬくい、シナノヤ、スクールベン
第四中学校 トップスポーツ(星野衣料店)
第五中学校 トップスポーツ(さつき文具店)
第六中学校 トップスポーツ(メンズアメリカ)
*(  )内はトップスポーツのジャージを扱っている市内のお店の名前。三中以外はトップスポーツの独占状態が続いている。いつからこんなことになったのだろう・・・・本当に不思議なことだ。                         たかやん


6月20日 (火)  「たかやん議員日記」2006.第171弾! 

「たかやん議員日記」2006.第171弾!  6月20日(火)

絶不調
8時半に自転車で家を出た。ゴミを出して、暫くして「携帯」を忘れたことに気付く・・・・。一瞬迷ったが、かなり時間はあるので家に取りに戻る。

9時前に市役所に到着。おかしい・・・勇さんが来ている。まだ9時前なのに・・・議会事務局により、さあトレーニング!その前にコーヒーを入れる用意をして・・・。流しの方へ行くと、廊下の向こうから「たかやん!」と声がする。それも何だか太い声だ・・・誰かいな?と思って見ると・・・勇さんだった。「たかやん!議運だよ!」「まじ?」「みんな待ってるよ!」僕は短パンだけズボンに履き替え、Tシャツのまま議運に向ったのだった。

「申し訳ありませーん!」と入っていくと、みんな思いのほか優しい。誰からも責められることなく、席に着いたのだった。朝から何やっているんだか・・・・

最終日
4委員長の報告があり、質問、討論、採決が続く・・・手を挙げようと思ったシーンが少なくても4回はあったのだが・・・とうとう最後まで手をあげるタイミングを逸したままだった。「語る会」の存在感はゼロ。全く何をやっているんだか・・・・思ったことを言わないなんて・・・僕を選んでくれた人たちに申し訳ない・・・ああ恥ずかしい・・・。

一番最後
結局議会は6時前に終わった。それから市長・助役・収入役・教育長の四役、議長・副議長・議運の委員長の三役が控え室に挨拶に来て・・・・僕が控え室を出たのは6時半過ぎ。一番最後だった。

宿沢
早稲田の宿沢が倒れた。まだ55歳。大男の中で身体の小さい宿沢が俊敏な動きで動きまわる。頭を使って相手を翻弄する・・・そういう早稲田のラグビーが僕は大好きだった。これから全日本に監督として復帰することを期待していたのに、残念でしょうがない・・・

心筋梗塞・・・恐い病気だ。僕も最近ずっと左胸が痛いから気をつけないと・・・・。まだまだ死ぬ訳にはいかない。息子達を残しては逝けないし、遣り残したことがありすぎる。人生はこれからだ。これから始まるのだ。
                                    たかやん



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