Diary 2010. 8
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8月21日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第232弾! 2010.8.20(金)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第233弾! 2010.8.21(土)  たかやん

ヒロベー
姪の弘美から僕の日記やホームページの中の“学校を辞めたいと思っている先生達へのメッセージ ”に感じるところがある。そういうメールがきた。(自分で書いた文章なのだが、改めて読んでみるとなるほどなあ・・・と、思うところもあったので、この日記で紹介してみようと思った。
学校を辞めたいと思っている先生達へのメッセージ
1. 他に本当にやりたいことがありますか?
結婚をするのにもエネルギーがいりますが、別れるのにはもっとエネルギーがいるものです。就職も同じで、新しい仕事をやることは大変ですが、辞めるのにそれ以上のエネルギーが必要です。その理由が「他の仕事をどうしてもやりたい」というプラスものであれば、僕は止めません。そういう理由であれば辞めたことに悔いを残す率も少ないものです。しかし、辞める理由が「今の職場を辞めたい」というマイナスの理由だとなかなか上手くはいきません。何故なら、簡単に上手くいく仕事など、どこを探してもないからです。嫌な管理職、嫌な同僚、嫌な親、そして嫌な生徒達・・・学校を辞める理由はいくらでもあるでしょうが、他の仕事についてもそれはみな同じなのです。“嫌な上司”“嫌な同僚”“嫌な取引先”“嫌な客”“思い通りにならない自然”探せばいくらでも出てきます。世の中はそんなものなのです。学校という社会しか知らない先生達に「社会」の話をしても分からないかも知れませんが・・・・・僕のアドバイスはこうです。
我慢すれば大抵のものは変わります。「嫌な管理職は3年もすればみんないなくなる」「嫌な同僚も3年もすれば異動していく」「嫌な親も嫌な生徒も3年で確実にいなくなる」そう石の上にも三年で、嫌なことは全てなくなります。僕はそのことに気づきませんでした。たった1年でも我慢できなかった。たった1年で病気になると思い込んでいた。そして辞めてしまったのです。だから我慢しなさい。馬鹿の言うことは“馬耳東風”で受け流す。存在そのものを気にしないようにする。子供たちに本気になっても、授業に本気になっても、嫌な奴のことには決して本気にならない。それが僕のアドバイスです。辞めると、4月の入学式のシーズンに涙がでてきます。6月のボーナスの時期には必ず後悔します。世の中は意外と厳しい。学校の先生って、思ったより楽な仕事なんです。馬鹿はどこにでもいます。馬鹿の為に自分の大切な人生を駄目にすることはありません。あなたは、先生になりたくて先生になった。だったら、嫌な奴のために辞めることはない。あなたに給料を払っているのは、嫌な奴ではないのです。あなたは十分な仕事をしている。だから給料を貰える。そう自分を肯定することで、今の心の状態からは抜け出せます。言いたいことを言いましょう。それで飛ばされたって先生ではいられます。飛ばされれば、確実に嫌な奴とはさよならできる。だからどんどん言いたいことを言えばいい。誰もあなたのことをくびにはできない。辞める理由がパワハラだったら、証拠を作って、相手を首にしてしまえばいい。大事なのは事実です。大事なのは記録です。これはどの世界でも通用します。だから、辞める前にもう一度考えましょう。他にやりたいことがあるのか。今の嫌な気持ちを何とか切り抜ける方法はないのか。石の上にも三年でいけないかどうか・・・。大切なのは、あなたと出会うことを待っている子供たちがいるということです。あなたはその子供たちのために先生になったのです。僕はあの時、そのことを忘れていました。一番大切なことを忘れていたのです。それでも僕には他にやりたいことがありました。その結果今の僕があります。今の人生そのものには後悔はしていません。でも、あの時一番大切なことを忘れていたことは事実です。“僕を待っている子供たちがいる”教師になったときには確かに感じていたことが、嫌なことから逃れたいという気持ちが余りにも強くて、感じられなくなっていたのです。塾での生活も、議員としての充実感も、そして家族とのゆとりのある時間にも、とても満足しています。きっと先生を続けているよりいい生活を送っています。それでもあの時、そのことに気づいていたら・・・そう思うのです。最後にもう一度、「他に本当にやりたいことがありますか」
* その1で言いたかったことは、「嫌な奴らの為に辞めないで欲しい」ということ。嫌な奴の為に、自分の人生を台無しにして欲しくないということ。僕の今の生活は、教員時代よりも間違いなく充実はしているけれど・・・それでも、中学校での子ども達との“縁”が途中で切れてしまったことには変わらない。勿論、新しい“縁”がそこいらじゅうで出来ているのだけれど・・・・。そして、それは「やりたいことがあった」から出来た“縁”だと思うのだ。だから、後悔はしていない。感謝はしているけれど・・・。そして、新座市の先生達は、途中で学校を辞めてほしくない。そう思っているのだ。子どもたちは僕らの宝だが、先生達もまた学校の“宝物”なのだ・・・。先生達が光って、はじめて子どもたちが輝き始める。学校はそういう場所だ。

今日の写真
我が家のマシーンです。ガット張り気を最初に買ったのは、五中時代。ヨネックスの中古のガット張り機(15万くらい?)をテニス部で買いました。それくらい子どもたちがガットを切るようになったからです。バネ式のお粗末なガット張り機でしたが、五中の子どもたちには有難いものでした。六中時代に2台目を買いました。定価が96万もする外国製のものでした・・・・。だけど、十分元を取るだけの活躍をしてくれました。そしてこれが3台目です。機能は驚くほど進歩しています。この数十年の進化には感動を覚える程です。やっぱり僕はテニス馬鹿なんですねえ・・・・。気胸が治ったら、日本一を目指します!

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8月22日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第234弾! 2010.8.22(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第234弾! 2010.8.22(日)  たかやん


小沢一郎
久しぶりに小沢一郎と碁を打った。何年ぶりだろう・・・彼と碁を打つのは。昔は俺が黒だったのだが、今では僕が白。僕の囲碁も強くなったものだ。難しくなってきたところで、僕が長考・・・そこで目が覚めた。俺が小沢一郎を知っている訳がないか・・・。

3時
昨夜は早く寝たので、夜中の3時に目が覚めてしまった。明日から駅立ちだから、3時でもいいか・・・と、思ったのだが・・・いつものように5時まで寝ることにした。

5時
活動開始。今日は色々とあるので、朝の時間が大事になってくる。メールをチェックして、仕事が始まった。

9時35分
八石小体育館9時35分に到着。体育館前で須田市長とばったり・・・挨拶をする。体育館の外では、少年野球が練習をしていた。市の職員が「ボールが入るかもしれないから扉を閉めます!」と、いうから、「やめましょうよ!熱中症になりますよ。」と、提案する。ボールが入ってきても何ということはないが、締め切った体育館で人間が倒れたら致命的である。扉は開けたまま説明会が始まった。

10時01分
説明会がスタートした。「会場の都合で11時半には終了します!」というアナウンスがあった。この時点での参加者は102名。その後110名に。市議会からは4人(嶋野・石島・島田・高邑)。県議会からは1人(吉田よしのり)、市からは9人。市長の挨拶と説明が終わった段階での残り時間は1時間と12分。市の職員の紹介が終わって1時間10分。市の担当職員からの説明終わったのは10時35分、残り時間は55分になった。それから約10名の市民が質問し、体育館は熱気に包まれたのだった。

打ち合わせ
説明会が終わり、午後からは一般質問の打ち合わせ。道場の方からの要望もあり、それも付け加えることになった。午後は大忙しだった。
学校を辞めたいと思っている先生達へのメッセージ その2
2.生活をしていけますか?
定年前に辞めたい。そう思うのは、今の学校での生活がどうしても苦しいのでしょうね。授業がうまくいかなくても、生徒指導がうまくいかなくても、辞めたくなることはあるでしょう。大学を卒業して教師になった人が多いでしょうから、僕のように海外へ行きたくなったり、他の仕事にチャレンジしたい。そう思う人がいたって全然おかしくありません。ただ貴方が学校で得た知識や技術は学校でしか通用しないかも知れない。そう思っていた方がいいでしょう。大学を卒業して直ぐに「先生」と呼ばれてきた僕達は、頭を下げることに慣れていません。まず営業には向いていませんよね。そして自慢できるくらい他の仕事のことは分かりません。ところが学校を一歩外に出た世界は「頭を下げる」ことばかり。偉そうに腕組みなどはしていられないのです。

格好よりも大事なことは生活です。やめる前に、辞めた後の生活設計ができているか、もう一度確かめる必要があります。勢いで外に飛び出しても、外の世界は意外と厳しい。年金受給資格は25年。辞めた後も国民年金を納めないと、年金は受給できません。共済をやめると、国保に入ります。それも毎月払わないといけません。辞めると次の年の所得税は大変です。退職金をごっそり持っていかれます。学校の先生が自分から辞める。失業手当はでません。知ってましたか?今、貯金はありますか?お子さんの学費は?ローンは大丈夫ですか?

生活のために教師を続けていたって、全然恥ずかしくはありません。それどころか立派なことだと思います。学校という世界で燃えられなくなったら、それはそれで割り切って「先生」をやればいいのです。大事なことは「背中で教える」ことです。燃えられなくても、生活のために頑張る姿は子供たちには「格好のいい背中」に見えるでしょう。そして何かの瞬間に、また燃えてくるかも知れません。突然授業に燃えることだってあるでしょう。貴方の努力や魅力を理解できる同僚や上司と巡り合えるかも知れないのです。そして何より素晴らしい子供たちと巡り合えるかも知れない・・・

僕は学校を辞めて、たくさんの人と知り合うことができました。学校の外には魅力のある人たちがたくさんいました。僕は今、その出会いに感謝しています。その代わり、後輩を育てることも、可愛い子供たちと出会うこともなくなりました。学級通信を書くことも、通知表を書くことも、内申書を書くこともなくなりました。どっちもどっちなのです。同じように見える「教師」という仕事にも毎年出会いがあります。それが“縁”です。学校の中でも、学校の外でも“縁”はあるのです。我慢ができない学校でも、来年はいい“縁”がある。そう思うことが大切です。僕はそのことが信じられませんでした。21年間子供たちとの縁は最高でしたが、管理職との縁はそれまでと比べて最低。そのショックに耐えられませんでした。しかし、それも今思えば最高の縁。そのお陰で学校を辞めるエネルギーが出てきたのですから。そして議会で発言するパワーもその時の“怒り”が、今も源になっています。世の中に理不尽なことがある。弱い人たちのために理不尽なことは許さない。「弱い人たちのために理不尽なことと戦う」そう決めて、発言し、そして発信を続けているのです。ですから、今ではその方たちに感謝しています。僕に新しい人生を提供してくれたからです。新しい人生は時間的に「ゆとり」のある人生でした。家族との時間が十分に取れる人生という意味です。生活ができて、新しい人生のほうがゆとりがある。そういう自信があるのなら辞めることを止めません。世の中は大恐慌・・・なかなか現実は厳しいですが。
*随分前に書いた文章なのですが、(なるほどなあ)と思うところもあれば、(何を偉そうに)と思うところもあります。昨日も書きましたが、僕は先生という仕事を辞めて欲しくないと思っています。僕が居た頃の先生達にも、今の先生達にも大きな魅力を感じているからです。その魅力ある先生達がたくさん辞めていくのを僕は見てきました。子ども達を愛してやまなかった先生達が、学校を去っていったのです。定年ならばしょうがない・・・でも、定年を何年も前に去っていく先生達がたくさんいました。100%の力を発揮できてば、まだまだやれる先生達でした。そういう先生達が多かったのは管理職の力のなさだと、僕は思っています。先生が思い切り子どもたちのことを考えて生きていく仕事なら、管理職は思い切り、先生たちのことを考えて生きていく仕事です。ところが、自分のことばかりを考えている管理職が多いと、先生達は苦しくなっていくのです。先生達が上ばかり見ていると、子どもたちが苦しくなっていくように・・・・。校長が自分のこと、つまり上ばかり見ていると先生達が苦しくなっていくのです。
校長だって、やがては辞めていくのです。その時に、どれだけの教え子の名前を覚えているでしょう。その時にどれだけの先生たちの名前を覚えているでしょう。そして、その時にどれくらいの教え子や先生達になまえを覚えてもらっているでしょう。校長先生たちは、そういうことを考えて生きて欲しいと思います。先生でいられるのも、校長でいられるのも人生の一時期です。できることなら、みんなの心に残る先生であって欲しいし、校長であって欲しい。僕はそう思うのです。

今日の写真1
説明会の様子です。立って説明しているのは須田市長です。今日の質問に対しては殆ど須田市長が答えていました。
今日の写真2

吉田よしのり県議会議員です。駅立ちの僕の先生です。明日は僕がひばりヶ丘に立ちます。参議院選挙や入院で2度も延期になりました。久しぶりの駅立ちです。

今日の写真3
後ろ姿で分かる人は新座市議会通です。嶋野さんと島田さんがわかりますか?

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8月23日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第235弾! 2010.8.23(月)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第235弾! 2010.8.23(月)  たかやん

校長
某中学校の校長に採用されることになった。所謂、民間採用である。学校現場に戻る夢がかないそうだ。でも、市議会はどうするの・・・困ったことになってしまった。9月議会はもう直ぐスタートする・・・校長になるのは来年の4月。それまでは議会で頑張ればいいか・・・。そんな悩みを教え子達にしていたら・・・目が覚めた。最近の夢はおかしな夢ばかり。色気のある夢の方がいいのに・・・滅多に見なくなったかも・・。

説明不足
昨日の日記の「説明会」って何の説明会だったの?と、教え子に聞かれた。なるほど、説明不足。昨日の説明会は「保谷・朝霞線の説明会」。都市計画道路の「保谷・朝霞線が今、どういうことになっているのか。27mでやるのか、20mになるのか。産業道路より先はどうなるのか。いったいいつ頃認可されるのか・・・」そういったことが市から住民に説明されたのだ。

3時
駅立ちの日はどうしても、早めに目が覚めてしまう。どんなに遅く寝ても起きてしまう。一種の職業病みたいなもかもしれない。3時は暗かった・・・4時半過ぎまで寝ることにした。

5時
お風呂に入って、着替えて、ゴミだしをして・・・バイクに跨る。自転車だと汗びっしょりになりそうだった、ので、今朝はバイク。明日の東久留米も多分バイクで行くことになりそうだ。バイクだと汗をかかない。風が気持ちよく吹いていく。

5時55分
予定通り北口に立った。夏休みとはいっても、通勤の人の顔は通常とほぼ同じ。勿論、お休みの人もいましたが・・・。

赤ジャージ
「もしかして、たかむら先生ですか?」と声を掛けられた。「うん」「僕、六中だったんです!」「何ジャージだった?」「赤です」「赤・・・」「伊藤慎吾たちの代です」「おう、名前は」「きくちです」ひばりヶ丘の駅立ちは本当に楽しい。時々、こういう教え子達に会える体。きくち君は僕の学年ではなかったけれど、僕のことを覚えてくれていたのだ。

8時55分
今日は丸まる3立ってみた。いつもは8時30分で終わるのだが、何となく立っていたくなったのだ。

東久留米
明日は東久留米。その結果によっては新座と志木はまた行けない。チラシがどんどん無くなっていくのだ。かといって、これ以上印刷するとなると・・・お金が持たない訳で・・・。よしのり君がバイトをした意味がわかるのである。

今日の写真1
朝のひばりヶ丘の僕です。Iphone4で撮りました。近いのでおかしな顔してますね。

今日の写真2
いなげやで、六中テニス部の弘子に会いました。話が盛り上がって、かなり長い間話しました。弘子のお腹の中にはもう一人。元気で生まれてくるんだよ!と、弘子のお腹も頭も撫でました。弘子は関東優勝、全国3位の時のメンバーでした。

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8月24日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第236弾! 2010.8.24(火)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第236弾! 2010.8.24(火)  たかやん

東久留米
今朝の駅立ちも暑かった。それでも沢山の人から笑顔を貰って、かなり幸せな気持ちになった。ひばりヶ丘に比べると、チラシの減る割合は低い・・・。しかも、半分は東久留米市民に渡っているような気もする。それでも、今回もチラシはかなり無くなった。新座駅と志木駅には行けなくなってしまった。とほほ。

耳が聴こえない・・・
駅立ちの最中に、突然耳が聴こえなくなった。周りの音は勿論、自分の声が聴こえないのには参った。「おはようございます!」も「ありがとうございました!」も聴こえないのだ。
(これじゃあ、歌が歌えない・・・・)僕が思ったのは、そのことだった。9月には奈月の結婚式がある。そこでギターを弾いて歌わないといけないのだが・・・耳が聴こえなければ、歌えない・・・それは困るなあ・・・そう思ったのだ。耳は家に帰ってくると治った。脳に何かしょう害があるのかも知れない・・・・。ちょっと心配になった。

市役所
議会事務局に行った。通告の出具合を聞くと、「3人です」という答えが返ってきた。みんな、ギリギリまで粘るのだなあ・・・。先週の16日には一番で出せたのだが、今回も26日の終わり頃に出すことになりそうである。議会事務局のみなさま、申し訳ありませぬ。

視察
堀之内2丁目の方からお願いされていた件で、現場を見に行った。なるほど、そこには市の土地があり、そこに道路ができればみんなが喜ぶ・・・・そんな場所だった。

抜糸
昼から病院で抜糸するはずだったのだが・・・ソファーで横になっていたら、意識を失った。ちょっと疲れているのかも知れない・・・おっさんやなあ・・

誕生日
明日は(正確には今日)亮の28回目の誕生日だ。思い切り、お祝いをしてあげたいなあと思っている。物心がついてから、ずっと一緒に生きてきた亮。我が家が二つに分裂した時も、僕について来てくれた亮。亮のおかげで今の僕がある。亮が傍にいてくれたから、僕は生きてこれたのだ。明日は亮のやりたいことをしてあげられたらいいな。

今日の写真1
今朝の私です。東久留米にも3時間近くいました。沢山の笑顔と会えて、幸せでした。

今日の写真2
今朝の朝ごはんです。いつも同じようなものが並んでいます。孫は優しい朝ごはんって、どうしても同じようになってしまうんですよねえ・・。

今日の写真3
我が家の朝顔がまた新しい蕾をつけました。そして、朝咲きました。新しい芽も出てきました。まだまだ楽しませてくれそうです。

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8月25日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第237弾! 2010.8.25(水)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第237弾! 2010.8.25(水)  たかやん

28回目の誕生日
今日は亮の誕生日。いつも夏休み中なので、小さい頃から殆ど祝ってあげたことがなかったような気がする。田舎のお袋のところにいたり・・・部活でそれどころじゃなかったり・・・。でも、今回の誕生日からは別だ。新しい命を頂いた訳だから・・・これから毎年、そのことを忘れないためにも、色々な人への感謝を忘れないように、祝っていきたいと思う。

キッカーズ
亮はたけしのキッカーズというサッカーチームに所属していた。小さい頃から怖いもの知らずで、虫が好きで、サッカーが大好き。だけど、長く走るのは苦手だった。「根性がないだけだろ・・」と笑っていたのだが・・・よく「胸が苦しい」と訴えていた。僕は親なのにそれに気づかないでいたのだ。

小学校6年
僕はついこの間まで「小学校5年生のときに病気が見つかった」と思っていて、そういう風に書いていたが・・・本人から「6年生だよ!」と訂正された。どうやら僕の思い込みだったらしい・・・。6年生の時に、学校の健康診断で「心雑音」が見つかり・・・精密検査の結果、「大動脈弁閉鎖不全」「大動脈狭窄」という二つの病気が見つかった。

離婚と病気
本人に言わせると、「親が別れたことより、病気の方が遥かに辛かった。」らしい。両親が最後まで仲良かった僕には想像できないショックだったろうが、それ以上というのだから、物凄いショックが小学校6年生を襲ったのだ。

感謝
一番感謝したいのは、28年間生きてくれた息子に対してだ。丁度、僕の半分の歳になった亮。その28年間のうちの14年間は苦しいことばかりだったはずだ。思うように体が動かないもどかしさ・・・そして無理して動かした時の、胸の苦しさと未来への恐怖。同じような子どもたちが世の中には沢山いるのだとしても、どうして自分のところにやってきてしまったのか・・・悩みに悩んだはずだ。そんな亮が我慢して生きてくれたことが、諦めないで生きてくれたことが嬉しい。陵平や央侑(ひさゆき)君のように絶望して、命を絶たなかったことに感謝している。


亮は頭のいい子だった。21年間で僕が教えた全ての中学生と比べても、何本かの指には入ると思う。頭の質は僕より遥かにいい。あの病気が見つからなければ、どこかで爆発的に勉強したはずだ。運動も勉強も100%でぶつかれなかった亮。これからは、思い切って、色々なことに挑戦して欲しいと思う。体も頭も思い切り使って・・・・。

卓球とうどん
そんな亮の新しい誕生日に僕はうどんを打った。亮も空も大好物なのだ。そして、空は亮にプレゼントを作り、卓球をして遊んだ。空の可愛いところは、自分で作るということだ。久しぶりのうどんに、息子二人は「おかわり」と言った。6人前のうどんはあっという間になくなった。

今日の写真1
卓球をする亮と空です。21歳上の兄と21歳下の弟。親子のような年齢差ですが、二人にとって兄弟は世の中に一人だけ。上の娘の雪と亮が物凄く仲がいいように、空と二人の兄、姉もずっと仲良しでいて欲しいと思うのです。

今日の写真2
僕の手打ちうどんです。今度作るときは8人前くらい作らないといけないかなあ・・・。手打ちうどんは「安くて旨い」料理の見本みたいです。

今日の写真3
今の僕があるのは、この二人の息子たちのお陰です。僕の心の支えはこの息子たちなのです。三人とも、今、健康でいられることに感謝、感謝です。

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8月26日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第238弾! 2010.8.26(木)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第238弾! 2010.8.26(木)  たかやん

13歳
昨日、陵平と央侑君のことを書いた。13歳で絶望し、死を選んだ少年達のことを書いた。僕はいつも思うのだ。陵平が亮だったら・・・央侑が空だったら・・・と。そして胸が苦しくなって、どうしようもなくなるのだ。陵平の両親と、央侑の両親はどういう思いで生きてきたのだろう。きっと、僕が父さんを失った時の、何十倍もの苦しさを味わって、生きてきたのだと思う。そして、それはきっと、これからも続くのだ。苦しみが無くなったのではなく、苦しみに慣れたから生きていける・・・二人の両親を知る僕にはそう思えてしょうがないのだ。唯一、救いがあるとしたら・・・それは、もう二度と同じ過ちを学校が繰り返さないということだ。先生達が二度と同じ過ちを繰り返さないということだ。それには、自分達の過ちを認めるところからスタートしなくてはいけない訳で・・・それができていないから・・また、同じことが繰り返されるのである。大人は13歳の少年の命の尊さを考えよう。13歳の少年達のガラスの心に優しくなりたいものだ。

通告
11時55分。通告を議会事務局に提出した。僕の一般質問は最終日の最後に決まった。ここで少し内容を紹介しておこう。

教育問題1
大阪の池田小学校事件から10年近くが過ぎようとしていますが、市内小学校の外部からの侵入者に対する安全対策は十分でしょうか。特に職員室が2階にあり、1階に普通教室のある学校は注意を払う必要があると思いますが、市教委は具体的にどういう対策をたてていますか。
(資料要求  市内小中学校の各階見取り図。1階に普通教室のある学校と、そうでない学校を分ける。)

教育問題2
学校をよくしていくには先生たちの待遇をよくしていくことが大事です。そういう意味でも市内の先生方から駐車料金を徴収することは止めなくてはいけないと考えます。また新座市独自の教育を推し進める為に採用された、市採用の先生方の待遇も改善すべきです。職員トイレに温水暖房便座を設置することとあわせて市と教育委員会の見解を伺います。(資料要求 市内小中学校において、正規雇用と非正規雇用の先生方の割合。県採用と市採用の先生方の割合。市採用の教員と県採用の教員の待遇の違いが分かるもの。)

今日の写真1
抜糸の前の最後のテニスです。写っているメンバーは一人を除いて、全員五中の卒業生です。五中時代の僕は、それは、それは怖い顧問でした。六中時代のようにコートで子どもたちの名前を呼ぶことはありませんでした。上下関係にうるさく、上級生に挨拶しなかっただけで、「走って来い!」と、言うような顧問でした。この中で引っ叩かれなかったのは、右から3番目の人だけ・・・そう、我が家のカレーだけです。当時の鬼顧問は我が家では“福神漬け”か“ラッキョ”程度になってしまいました。少し、寂しいですがこれも人生です。ラッキョの眼鏡は100円ショップで買ったものです。テニスの試合では十分に使えるのだから笑えます。そうは見えないでしょう?

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8月27日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第234弾! 2010.8.27(金)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第234弾! 2010.8.27(金)  たかやん

議運
9時半から議運があった。激しい運動は駄目なので、最近はバイクに乗ることが多い。ネクタイをして、坊主頭にサングラス。怪しいなあ・・・。いよいよ9月議会が始まる。1日に開会して、閉会は27日。3月議会の次に長い議会になる。

ヒアリング
議運が終わると、早速ヒアリング。4人の課長の方と2階のロビーでのヒアリングとなった。途中で左の胸が痛くなったが、我慢。怪しいなあ・・・。

先生!
帰ろうと階段を下りていくと・・・「先生!・・ですよね?」と声を掛けられた。(はて・・・どこかで見た顔だが・・・)「ちとせです。高橋千登世の母です」「千登世!?」千登世はこころと同級生で、一時期我が家にいたことがあった気がする。(たくさんの子がいたので、確証は無いが・・・多分いた。)千登世は小学校5年生の男の子のお母さんになって登場したのだった。

児童センター
午後は本田の児童センターに行った。亮と空と三人で卓球をしたのだ。亮との真剣勝負は2勝1敗。お互いに胸に傷を抱えての戦いだったが・・・亮の方が終わった後、元気だった。よかった、よかった。

本屋
その後はイトーヨーカ堂の本屋へ行った。亮に2冊、空に1冊本を買った。亮も空も本が好きだ。エジソンが1日3冊の本を読んだ、と本に書いてあったので・・・空も頑張って読んでいるらしい。我が家に来る小学生達は、中学生達より本を読んでいる気がする。いいんだか、悪いんだか・・・。


夕方からは中学生だけの塾。今日は英語に質問が集中した。どうも英語が苦手な子が多い。音読の少なさが、そのまま英語の弱さに直結していると思った。

今日の写真1
青森の友達に写メールを送ったら、「たかやんかと思った!」と返信がありました。どこか、雰囲気が似ているんですかねえ・・・。長男ですから、似て当たり前なのですが・・・。

今日の写真2
お兄ちゃんに遊んでもらって、大喜びの空です。空は小さい頃の僕によく似ています。この間、「空テニスがしたい・・」と初めていいました。「お父さんに習いたい」とも。嬉しいですねえ・・・。

今日の写真3
帰ってきた千登世です。いつの間にか30歳を超えたんですねえ。色々と苦労をしたようです。理科準備室で語った担任と生徒。お互い何があっても、担任と生徒は一生、担任と生徒です。それが嬉しい・・・。明日は五中の4期生の合同クラス会。笑いと涙のクラス会になりそうです。楽しみ、楽しみ。

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8月28日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第235弾! 2010.8.28(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第235弾! 2010.8.28(土)  たかやん

合同クラス会
今日は、五中4期生の合同クラス会。3年1組と3年4組のクラス会。正確に言うと、2年1組と2年4組の合同クラス会でもある。そう、僕の21年間の教員生活で唯一持ち上がったクラスでもあった訳で・・・。

担任
「どうやって持ち上がったの?」とよく聞かれるが・・・真相はこうだ。僕は1年3組の時から、「持ち上がりましょう!」と言ってきた。そりゃあそうだ。愛してやまない子ども達と別れたくはなかったのだ。だから・・・・21年間、卒業の時以外は常に「持ち上がりましょう!」と、言ってきた。30年前のあの時もそうだった。ところが、T先生とMが難色を示した。そこで、あの手この手を使って、懐柔したのだ。彼女達は最終的には僕の案に乗ってきた。しかしだ・・・問題はあった。2年4組の担任が異動になったのだ。「それでもいいよ!」と、言ってくれたのだが川島勝治と笠原進の二人。二人とも「それでもいいから担任をやりたい!」と、言ってくれたのだ。普通では考えられないことだった。他の人が作ったクラスを引き継いで担任をして卒業させるのだから・・・・そして、彼らは廊下に出て、ジャンケンをした。勝った方が担任をやるという約束で・・・・その世紀のジャンケンに勝ったのが川島勝治だったのである。

2年B組
当時はあの金八先生が始まった時だった。我が2年1組のプレートはマジックで2年B組と書き換えられた。そして、殆どのイベントに優勝したのである。一方、2年4組は何をやっても勝てないクラスだった。ところがだ・・・全く同じメンバーで持ち上がった3年4組は違った。イグンダ(渡辺豊先生)から川島勝治に変わった途端・・・僕ら1組のライバルになったのである。それは一人の生徒(大狭 清泰)の「先生1組に水泳大会絶対に勝ちますよ!」という、一言で始まった。

清泰
彼は1年生のとき、僕のクラスだった。テニス部ではババツ(馬場 英幸 3年1組)と組み、新座市のチャンピョン。負けず嫌いだったのかも知れない。僕ら1組は4組なんぞ眼中になかった。ライバルはあくまでも3組だったのだ。ところが、その水泳大会に負け・・・体育祭に負け・・・そして合唱コンクールまで負けてしまったのだ。優勝したのは全て4組。父さんが死んで、3〜4週間、僕がいなかったとはいえ、1組は4組に負け続けたのである。頭にきた僕は、僕は廊下に詩を張り出した。タイトルは“憎き川島勝治”である。

全員
その4組の子達と30年ぶりに会った。不思議だったのは全員の名前がフルネームで言えたこと。担任の川島勝治が分からない子も僕には分かった。それだけ、当時の子ども達とは深い関係だったのかも知れない。つづく

今日の写真1
乾杯、直前の4組のテーブルです。左から、川島勝治、真紀江ちゃん、久美ちゃん、暁子ちゃん、美佐子ちゃん、そして僕です。このときの時間は18時30分頃。20時30分までの時間が、あんなにもはやく過ぎていくとは・・・この時は思っていませんでした。

今日の写真2
同じく4組のテーブルです。左から文夫、いづみちゃん、薫ちゃん、そして坊主頭のイグンダです。イグンダ先生は新潟から駆けつけてくれました。「いくつになったの?」と聞くと「61だよー!」と返ってきました。随分先輩だったことに、今日気づきました。当時の僕は25歳。生意気な後輩だったんだろうなあ・・・。

今日の写真3
そして我が1組の女の子達です。左から有希子、僕、尚美、そしてポッポです。本当に久しぶり・・・嫁いだ娘達というよりは、妹達に会えた。そんな感じがしました。僕とは11歳しか違わないんです。我が家のひとみよりも年齢が近いんですねえ・・・。

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8月29日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第236弾! 2010.8.29(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第236弾! 2010.8.29(日)  たかやん

禁煙
1次会は会場全てが禁煙だった。幹事だった智と美香が僕に気を使ってくれたのだ。話は多いに盛り上がり、僕は殆ど食べることなく、ひたすらビールを飲んで、語りに語ったのだった。

9時
30人を軽く超えていたので、2次会は4組と別れて、1組はバス通りの「ロサ」というスナックへ。そこは一般のお客さんもいるので、勿論喫煙もOK。次の日にどうなるか分かっていた僕も、彼らと過ごす時間の誘惑には勝てず、5時間以上・・そこで煙草の煙を吸い続けた・・・帰宅したのは3時頃だったか・・・

ゲロゲロ
昼過ぎまで僕は吐き続けた。煙草アレルギーなのである。酒だけなら何ということはないのだが、煙草の煙を吸うと次の日は半日吐くようになってしまったのだ。酒はとっくに抜けているのだが、煙草の匂いはずっと残っていて・・・夕方まで苦しんだのだった。それでも昨夜の楽しさを思い出すと・・・しょうがないかな・・・と、思えるのである。

気胸
夕方、左胸が痛み出した。やはり煙草の煙は肺には悪いらしい。余りの痛さに、呼吸をしたくなくなる・・・。でも、暫くすると痛みは止まった。何としても手術だけは避けたいところだ。

さて
昨日は僕が忘れていたことを子どもたちが思い出させてくれた。「合宿やったよねえ。」「やったやった」「所沢の先生の家で」「クラスがいくつかに分かれて」「航空公園で肝試しやって」「わたしなんか、押入れで寝たんだよ」

流 由美
「あたし流とはずっと連絡とっているよ!」と絵里マン。『本当に!会いたいなあ・・・あいつ鼾が凄かったよなあ。』「そうだっけ?」『覚えてないの?生徒会の合宿でさ!』「行った、行った。でも、あたし生徒会じゃないのに・・・」『久美ちゃんも生徒会じゃなかったよ。』

村田祐二
どうしても会いたい子がいる。3年間、担任をした祐二だ。劇団に入って、学校などを回ったところまでは連絡が取れていたのだが・・・祐二!この日記をもし見ていたら・・・連絡しておくれ!俺はお前に会いたいのだよ。

もやし
「俺なんか、半年強制合宿でさ」「最初は俺と田村」「毎朝、もやしの味噌汁だぜ」「みんなでお米もって行ったねえ」『ばか、お前ら10キロの米、何日で空にしたと思ってんだ!』『毎月、大赤字だったんだぞ!』

毎年
1組4組の合同クラス会の企画は大成功!「来年もやるぞ!」「来年は2組か3組を入れてやろう」「毎年、1クラスずつ増やしていこう」「後半は7組に声掛けをお願いして・・・5年後くらいに全クラスでやろう!」と、大いに盛り上がったのだった。少なくとも、1組・4組の合同クラス会は来年もやることに決定した。毎年、夏休みに楽しみが一つ増える訳で・・・。東久留米に住んでいる川島勝治や僕は歩いても行ける距離だが、新潟から出てくるイグンダは大変なあ。

今日の写真1
30年前の新座市のチャンピョンペアーです。左のババツが後衛で、右のハザマ(清泰)が前衛でした。「先生怖かったあ!」『そっかあ?』「試合前の前衛の特訓が凄かった。ラケット持たせないで、アタックするんだもん。」『でも、どんなアタックもラケットがあれば怖くなくなっただろ?』「そうそう。でも怖かったあ」「俺、前衛じゃなくてよかったよ。」
毎日、ずっと一緒だった二人が会うのは卒業以来。合同クラス会にはこういう再会もあるのです。

今日の写真2
最後のスピーチで「俺は生徒を殴ったことは殆どないんだが・・・大狭が3中との出入りに行った時は、危なかった。誰か止めてくれなかったら、大怪我させていたかもしれない。」『ハザマも行ったんだっけ!俺は1組で3人と決闘したけどねえ。』「俺の人生で女の子を引っぱたいたのは二人しかいないんだ・・・」と告白する川島勝治。「その一人が師岡・・・」『そうだったの?僕は女の子は殴ったことはないなあ・・・』「嘘、嘘!」川島勝治の話にみんな大笑いしているところです。

今日の写真3
るり子の旦那様の友和です。彼は5中の1期生で僕のクラス。本当の弟のような存在でした。二人はひばりヶ丘にあった、「アヴァ」という喫茶店で知り合い。僕の話で盛り上がり・・・結婚したのだそうです。遅くなったるり子を迎えに来て、そのまま話に加わってくれた優しい友和でした。

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8月30日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第237弾! 2010.8.30(月)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第237弾! 2010.8.30(月)  たかやん

塾日記から
『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第830弾! 2010.8.30  たかやん

背中
最近、思うのです。「読書好きの子どもを育てたい」のなら、自分が本を沢山読むのが一番簡単な道だ。「大きな声で挨拶できる子を育てたい」のなら、自分がいつも笑顔で挨拶するのが一番の早道だ。「勉強が好きな子に育てない」のなら、自分も常に勉強して輝いていれば、子どもは勉強に違和感がなくなる。自分にやれないことを子どもに押し付けるのは、子どもからしてみたら・・・「そりゃあ無理だよ」な訳で・・・。やはり「子どもは親の背中を見て育つ」のだなあと痛感するのです。そして、一番大事なことは、人生を楽しんでみせることだと思うのです。人生って、面白くてたまらない。家族があるって、本当に幸せなことだ。子育ての楽しさも含めて、自分の生き方を毎日子どもたちに伝えていくことが、一番大事な「家庭教育」なのではないか・・・そんな風に思えてならないのです。

孫は優しい
さて、「孫は優しい食事を!」と書き続けてきましたが、塾の感想を見ていると・・・なかなか実践は難しいようですね。子どもたちが食べてないとすると、親もまたそういう食事になっていない。そんな気がしてなりません。子どもたちの健康の為には勿論、自分達の健康の為にも、是非「孫は優しい」食事をお願いしたいところです。

朝は忙しい
早起きが得意でない方には「朝は忙しい」ものです。そういう方は夜が強い訳ですから、夜に準備すればいいのです。まさか、夜は飲んだくれて、朝寝坊ってことはないと思いますから、夜に仕込んでおく。それが大事ですね。昆布や煮干のダシなら、それで簡単にとれるし・・・きんぴらの胡麻和えあたりなら、夜のひと手間でどうにでもなります。みなさん、夕飯のメニューに悩んでいるようですが、朝のメニューはいつも同じでいいんです。味噌汁の具をちょっと変えてあげるだけで十分。我が家のように給料日前は「もやしの味噌汁に限るねえ」というのもありです。ほうれん草、小松菜を茹でておくのだって、悪くありません。要は習慣です。栄養たっぷりの食事を考えるという習慣が、元気な子どもを育てていくキーポイントになるのではないでしょうか。それでも、面倒くさいのなら、子ども達にも少し手伝ってもらう。それも手かも知れませんよ。どうせやらなきゃいけないことなら、楽しんでしまう。それも、子ども達に伝えていきたいことですね。

* 「アメリカには親子三代、料理を作ったことのない人がいたんだ。ばあちゃん、母親、娘・・・誰も料理を作れない。缶詰を開けることしか知らないんだ。」と、アメリカの研修旅行から帰ってきた先生が言っていた。流石、貧困大国アメリカである。勿論、大金持ちの中には、自分で料理をしたことのない人もいるだろう。いずれにしても、料理という文化を伝えていかないことは、子どもたちに対する“犯罪”に近いのではないか・・・と、僕は思うのだ。料理は智恵の塊である。“お袋の味”は金では買えないのだ。スーパーの惣菜のような人工調味料たっぷりの料理と、愛情たっぷりの料理では何もかもが違うのである。買ったものを並べるのは料理とはいわない。だから買ってきたパンには愛情はこもっていない。そんなものを朝から食べさせていい訳がない。違うかな・・・。

今日の写真1
今回の4組の幹事の智です。1年3組では賢一とクラス1位の座を競っていました。要するに秀才だったのです。この智と美香のお陰で今回のクラス会が実現したのです。28日の写真はいつまで続くのでしょう・・・。今日の写真でも何でもないですよねえ・・。

今日の写真2
僕と理子(さとこ)です。この子達が卒業した後、勉強が苦手な子がいると、僕は理子の話をしました。昔々、クラスで一番勉強が苦手だった女の子がいました。分数で躓いていましたから、かなり危険な状態でした。その子が理科準備室に来て言うんです。「担任、あたし看護婦さんになりたいんだ。無理かなあ?」って。僕は一瞬ためらいながら「理子ならできるよ!」と、言いました。その時の理子の瞳の輝きが忘れられません。「本当!」「頑張る!」と、言って彼女は帰って行きました。理子は努力して、努力して新座高校に合格しました。そして、ある時、みんなで僕の家に遊びに来ました。ところが、途中で帰るというのです。「あたし、今、手話ならっているから・・・手話教室に行かなくっちゃ!」。それから数年経って、20歳のクラス会の3次会は我が家。そのときも、理子だけが早く帰るというのです。「明日、手話教室があるんだ」そう、理子は手話教室で手話を教えるようになっていたのです。そして、理子は看護婦さんになって帰って来ました。「理子ならできるよ!」という、僕の言葉を理子は信じてくれたのです。
そんな理子と久しぶりに会ったら、こんなにだらしない顔になってしまいました。

今日の写真3
賢一とるり子です。二人とも3年間、僕のクラスでした。二人とも学年で10番以内に入っていたことがあったなあ・・・。賢一は僕のことを「父やん」と呼ぶ、数少ない生徒です。昔、我が家に住んでいたからかも知れませんね。るり子は3人の娘の母親。とっても素敵な女の子達です。

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