Diary 2009. 11
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11月1日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第304弾! 2009.11.1(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第304弾! 2009.11.1(日)  たかやん

5時55分
外には雨が降っていた。小田桐家の脇を汽車が走る。昨夜「眠れないかも・・」と言っていた加代子さん。「いや、小さい頃山手線の直ぐ脇のアパートに住んでいたので、電車の音は大好きなんです」と僕。そして、その通り僕は6時前までぐっすりと眠ったのだった。

6時25分
仏壇のある部屋からお経が聞こえてきた。央侑君のお姉ちゃんの後姿がそこにはあった。どうしてお姉ちゃんの亜衣ちゃんがお経を唱えられるのか・・・僕は不思議でしょうがなかった。お経の間、後ろで手を合わせながら、僕は央侑君のことを思った。お経が終わって、振り返ったのは亜衣ちゃんではなく、お母さんの加代子さんだった。暗かったせいもあったが、後姿がすごく似ていたので間違えてしまったのだった。

1年
「どうしてそんなにお経が上手なんですか?」と僕。加代子さんは「1年くらいかかりました・・」と言っていたが、下手糞な坊さんよりも遥かに上手なお経だった。

6時45分
お祖母ちゃんがお経を唱えた。そして6時52分には亜衣ちゃんが仏壇の前で手を合わせたのだった。きっとお父さんはもっと早い時間に仏壇の前に座ったのだと思った。

遺書
陵平の遺書とあまりにも似ていたので、背筋が冷たくなった。乱れた文字の一つ一つに心が震えた。学校が・・学校の先生が13歳の子どもたちにこの字を書かせたのだ。

8時半
六中テニス部のキャプテンだったまき子のお墓参りに出発。県道31号線まで案内すると言ってくれた修二さんが、鰺ヶ沢まで連れて行ってくれた。巌が教えてくれた通り、エネオスの渡辺さんにお墓の場所を聞いて・・・そして僕らはまき子のお墓の前に立った。

5年
あれからもう5年経とうとしている。六中のコートに僕がいれば・・・まき子は死ななくて済んだかも知れない。かわいそうにまき子は誰にも相談できず、死んでしまった。そのことが悲しい。本当に気持ちのいい子だった。キャプテンとしても最高だった。雨が降り、強い風が吹いている中、「また来るからね!」と僕らはまき子にさよならしたのだった。

りんご畑
帰る前に、僕らはりんご畑で「りんごもぎ」をやらせてもらった。生まれて初めてりんごをもいで、僕らは自然に笑顔になった。そう、今回の旅で僕らは泣いてばかりいた訳ではない。たくさん笑って、たくさん語り、そしてたくさん泣いたのだ。

渋滞
11時半に小田桐家を出発し、僕らは東京?に向かった。途中渋滞に飲み込まれたが、加代子さんの作ってくれたおにぎりを頬張り、たくさん話をしながら渋滞に耐えたのだった。石神に着いたのは10時過ぎ。いなげやで買い物をし、肉うどんを作って、遅い夕飯を食べた。

将棋
久しぶりに亮と将棋を指した。疲れているのに、楽しくて、1時過ぎまで指してしまった。そしてパソコンの前に座り・・・うとうと・・・

今日の写真1
まき子のお墓の前で手を合わせる亮。大きくて立派なお墓でビックリした。

今日の写真2
りんごをもぐ僕。いやあ、楽しかったなあ・・・。

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11月2日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第305弾! 2009.11.2(月)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第305弾! 2009.11.2(月)  たかやん

寝坊
昨夜、寝たのは2時半過ぎ。そして今朝、起きたのは8時過ぎ。おっと、久々にぐっすり眠ってしまった。

台所
ひとみと空は所沢のお祖母ちゃんの家に泊まりに行っていたので、朝ごはんの仕度に取り掛かる。鰹節を削り、鮭を焼き、オクラを茹でて、葱を刻み、納豆をかき混ぜ、とろろ汁を作り、味噌汁を作って・・・・大体いつもの朝ごはんが出来上がった。勿論、「孫は優しい」の朝ごはんである。

落ちていたりんご
小田桐家のりんご畑に1個のりんごが落ちていた。そのりんごも貰って来たのだが・・・食べてみたら「旨い!」のである。「りんご農家はりんごを食べないんだあ」と修二さん。「うそ・・」「いや、本当だあ」「え?」青森のりんごは旨いのである。特に小田桐家のりんごは美味しい訳で・・・また行かねば!そう思ったたかやんであった。

ワード復活
PCデポへ行き、外付けのドライブを買い、ワード問題は解決した。ワードができないということは僕には致命的な訳で・・・・いやあ、よかった、よかった!


3時過ぎ、久しぶりに空に会えた。嬉しそうに纏わりついてくる空。「うーん、なんにしようかなあ」と空。「何が?」「うん、クリスマスのプレゼント。サンタさんに何をお願いしようかなあと思って」と空。「スケートボードじゃなかったの?」「それは誕生日だよ」「そう」「うーん、悩むなあ・・」幸せそうな空であった。


今日から塾も再開。子どもたちと一緒にいると、やはり楽しい。それは反則だろう!という質問もあり、今日も笑ったのだった。

今日の写真1
央侑君の通っていた学校。平川市立尾上中学校。敷地面積の広さといったら・・・六中の3倍以上はあるのだから恐れ入る。

今日の写真2
平川市の支所をバックに左から亮、僕、加代子さん。支所の周りには駐車場と公園がふんだんにあって・・・豪華すぎて、どこかの市役所が鼻くそに見えてきたのだった。

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11月3日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第306弾! 2009.11.3(火)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第306弾! 2009.11.3(火)  たかやん

完全休養日
青森行きの疲れがどっと出てきて・・・体が動かない。目が覚めたのは7時過ぎ。完全にいつものペースが狂っている。

お雑煮
朝ごはんはお雑煮。正月でもないのに、我が家ではよく食べる。お餅を2つ焼いて、お雑煮に入れて食べた。

10時
芽衣(都内の中二)が勉強に来た。イオンと天体の特別授業だ。「半年経つとあの太陽の向こう側に僕たちはいるんだよ」「そうなんだ・・・」「西から東に頭をグルリと回してごらん」「あ!」「それが日周運動だよ」「わかった」「今が真冬だとするとね、あの太陽の向こう側のはるか彼方にさそり座があるのさ。」「なるほど」宇宙の広がりを感覚的につかむと、天体は面白くなる。芽衣は大満足で帰っていった。

1勝1敗
昼過ぎ、亮が遊びに来た。一昨日の将棋は完勝したのだが・・・今日は序盤のリードを守りきれず、亮のカウンターに沈んでしまった。僕には考え付かない攻めを思いつくから凄い。頭の質は僕より遥かにいい亮である。

兄弟
空がスイミングから帰ってくると、三人で裏の駐車場へ。兄弟でサッカーボールを蹴るのは初めてのことである。亮に頭を撫でられて嬉しそうな空。大満足だったらしい。

ジェスチャーゲーム
お風呂の中ではジェスチャーゲーム。「何をしているところだ?」と空。「何それ・・・分かんないよ」「これはね、とうもろこしをももいでいるところ」「参った!!」お風呂の中で大笑いしながらのジェスチャーゲーム。明日は何が飛び出すことか・・・。

第39号
嶋野さんの議会報告がポスティングされていた。最大会派政和会でコンスタントに「議会報告」を出しているのは嶋野さんくらいかも知れない。(違っていたらごめんなさい)議員が市民に「議会報告」を出すのは当たり前だが、その当たり前のことを普段からやっている人は少ない。人の議会報告を見ると刺激になっていい。同じ事柄を違う角度から見ることができるから・・・・。

今日の写真1
青森でお世話になった、小田桐家の前で。左から亜衣ちゃん、修二さん、加代子さん、僕、亮。この素敵な笑顔の影に、胸が押しつぶされるような悲しみがあるのだ。亮が・・空が・・もし同じ目にあったら・・・考えるだけで、気が狂いそうになる。

今日の写真2
央侑君の遺書。字が乱れに乱れ・・・陵平の遺書と極似している。学年集会で反省文を読み上げる・・・その恐怖に央侑君は耐えられなかったのだ。自分のせいで文化祭が中止になるかも知れない。その恐怖に央侑君は耐えられなかったのだ。

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11月4日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第307弾! 2009.11.4(水)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第307弾! 2009.11.4(水)  たかやん

腹痛
空が「おなかが痛い」という。幼稚園を一度も休んだことがない空が、「お休みする」と弱気になった。滝山小児クリニックに電話で予約を入れ、「寝てなさい・・」とお休みを決める。子どもが病気になると、代わってあげたい・・・親はそう思うものである。

ライターとゲンコツ
陵平が学校に持っていったものはライター。そして、央侑君が学校に持っていったものもライター。タバコでもなければ麻薬でもない。ただのライターだ。花火遊びをした後に、家に寄る時間がなくて、ライターを持ったまま学校へ行った央侑君。「本当に付くの?つけてみてよ」と友達に言われ、付けて見せたところを教頭に見つかって取り上げられる。それが文化祭を中止させるような出来事だろうか。それが、学年集会で反省文を読ませるような出来事だろうか・・・俺たちだったら、ゲンコツを一つで終わりである。俺はゲンコツを体罰だとは思っていない。ゲンコツで怪我をした奴など見たこともない。ゲンコツで心が傷ついたという話も聞いたことがない。僕らは先生によくゲンコツを食らった。思い切りのゲンコツもあれば、軽いゲンコツもあった。休み時間にハイチュー程度のことだったら、軽いゲンコツだろう。学校にライターだったら、中くらいのゲンコツだろう。央侑君も陵平もものを盗んだ訳でもないし、弱いものいじめをした訳でもないし、人を傷つけた訳でもない。平川市立尾上中学校も当時の新座二中も共通していたことは「最初が肝心」「小さなことも見逃さない」という考え方だった。その上、二中には「共通理解」「共通行動」という金科玉条があったのだから、子どもたちはたまらなかっただろう。
学校の常識は世間の非常識とよく言われるが・・・僕らはその非常識の世界に愛する子どもたちを通わせているのだ。

先生の言うことを聞きなさい!
僕らはそう習ってきた。先生にビンタを食らっても、ゲンコツを食らっても文句を言う親はいなかった時代だ。そして、それだけ先生にも魅力があった時代でもあったのだ。一人一人に個性があって、それだけでも学校という場所は子どもたちに魅力的なところだった。今は違う。「共通理解」「共通行動」とかで、どこを切っても金太郎飴みたいな先生が多いのである。そしてそういう校長が多いのである。

先生の言うことなど聞いてはいけない!
極端かも知れないが、場合によってはそう教えないと央侑君や陵平のようにならないとも限らないのである。昔なら、先生の中に「そんなこと気にするなよ。」「俺は信じてるよ」という先生が必ずいた。そしてゲンコツ一つで解決する先生が必ずいたのだ。ネチネチと説教し、学年集会で謝罪させるような「いじめ体質」の教師は皆無に近かったのである。ゲンコツ先生がいないとしたら、親が代わりにゲンコツをくれたり、「たいしたことないよ」と励ましてあげなければいけない。それが子どもたちの命を救うのだ。央侑君の両親はそれすらできなかった。学校から帰ってきた央侑君と会うこともできなかったのだから・・・

学校公開週間
31日と4日5日で学校公開週間である。たった3日なのに公開週間というところが新座の学校らしい。たくさん見て回りたい人間には3日という時間はあまりに少ない。本当に大忙しの一日だった。

今日の写真1
4年前の11月1日にあっちの世界に行ってしまった和彦。大学時代の親友である。青森に行っていて、すっかり命日を忘れていた。時々思い出しているのに、命日をスルーするとは・・・でも、きっと和彦は笑っているはず。「高邑、俺のことは気にするな。奥さんと空君を大切にするんだぞ」ってきっと言ってくれるはずだ。あんなにいい奴が、俺よりはるかに頭のいい奴が先に行っちまうんだから神様も人が悪い。(人じゃないけど)亮と空のためにあと50年ほど生きることにしたよ、和彦。もう少し待っていてくれよな。たかやん

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11月5日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第308弾! 2009.11.5(木)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第308弾! 2009.11.5(木)  たかやん

6時
散歩スティングに出かける。散歩をしながらの歩スティングは面白い。結構知り合いにも会えるし、色々な人と朝の挨拶ができるのだ。

8時
散歩スティングから帰ってきて、朝ごはん。これがまた美味い。朝の運動と仕事をした後の気分は最高である。

公開週間2
たった3日の公開週間・・・他の市も、こういうことをやっているのかねえ。市民の信頼を余計失う気がするんだがなあ・・・

ある教室での出来事
そのクラスは余りにも落ち着いていない・・・と、誰もがそう感じていた。僕がいる間は立ち歩く子はいなかったが、殆どの子達が授業に集中していなかった。「授業じゃないね」「休み時間みたいだね」お母さんたちもそんな話をしていた。

余りにも酷いので、僕はほかの学年やクラスも気になり、学校中を見て回った。そして、それは僕が他のクラスに行っている間に起きた。

「ふざけるな!」「お前ら、これでも授業やってんのか!」「見ている親達が恥ずかしいわ!」「こんな授業、見ていても何も面白くないわ!」「子どもたちをまとめられないで、お前はそれでも先生か!」と、あるお父さんが叫んだのである。教室中がシーンとなったらしい。どうやら僕がいなくなった直後から立ち歩く子も出てきたらしいのだ。

公開授業
特別な参観日でこの状態だったら、普段の授業はどうなってんだろう・・・と、誰もが心配になっただろう。私立へ入れなきゃ・・・1年生から塾へ行かせなきゃ・・と色んな声が聞こえてきそうである。もしも、空がその学校に入ることになったら・・・自分で勉強を教えよう。そう思うかも知れない。北大テニス部の友達で本気でそれをやった女の子がいる。「学校は娘の勉強に一切口を出さないでください。」と学校の先生に言ったのだ。そして、自分で娘の勉強をみた。娘は親の期待にこたえ、有名道立高校に入り、そして北大の医学部にストレートで入った。勿論、今では医者をやっている・・・。空を医者にしようとは思わないが、公立の学校にまかせていては危ない・・・そんな気がした。勿論、魅力ある先生たちもたくさんいた。しかし、明らかにエネルギーを感じない先生もたくさんいたのだ。プロの目で見なくても、誰が見ても感じるのだから、子どもたちが可哀そうである。悲しいけれど、新座の教育力がかなり落ちていることは間違いない。悲しいけれど・・・

今日の写真
北大庭球部の1年先輩の多喜志。先輩なのに、何故呼び捨てか・・・これはなかなか難しい問題なのだが・・・高校までは同学年だったのと、恋愛ではこっちが先輩だったのと・・・色々ある訳で・・・二人でダブルスを組んで北海道で優勝したこともあったし・・・兎に角、親友なのです。もう一人、仁康という1年先輩がいて、やはり高校時代は同級で・・・仁康は獣医学部で同じ下宿だった。北33条にあった菱和荘という下宿で、僕らは麻雀をし、人生を語った。今、その仁康が北見の病院に入院して、難病と戦っている。僕にできることは毎日メールをすることくらいしかない。兎に角、もう一度元気になって、またテニスをやる約束をした。19歳の頃の僕らには、今の自分たちを想像することなどできなかった。36年後の自分たち・・・考えたこともなかった。ただ只管ボールを追いかけ、遊んで、そして恋をしていた。そんな時代だった。19歳・・・僕はまだ教師になろうと思ってもいなかったなあ。テニスをして、恋をする・・・それだけで精一杯だった時代である。

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11月6日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第309弾! 2009.11.6(金)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第309弾! 2009.11.6(金)  たかやん

散歩スティング
今朝のスタートも散歩スティング。朝の少しの時間を使って運動を兼ねたポスティングをする。天気もよかったし、本当に爽やかな一日の始まりである。

井戸端会議
久しぶりに空を幼稚園に送りに行った。片山幼稚園の前で、お母さんたちの井戸端会議に参加。「たかやん、何とかして」「聞いて、聞いて!」お母さんたちの話題は尽きることがない。その9割が学校のことである。やはりお母さんたちの神経は「教育」に注がれえているのだ。会議の時間は30分をはるかに越えた。それでも語りきれない様子で・・・今度まとめて話を聞くことになった。

中央公民館
毎週中央公民館を使っている教え子から「バレーボールのネットを何とかして欲しい」と言われた。「予算がないので、新しいネットは買えません」と言われたらしいのだが、ワイヤーが切れそうなネットを使わせているのでは、「使用料」を取るのはおかしい。安全第一を考えたら、新しいものに交換するのは当たり前のことだ。ネットごと代えなくても。ワイヤーだけ代えればいい。多分数千円の話しなのだ。市民の安心・安全が一番なのだから、交換してもらわなくては困るのである。

先生を元気にする
空の場合は自分が勉強をみればいい。北海道の友達のように、小学校を卒業するときには中学校3年生まで終わらせてしまう。そんなことも可能だと思う。でも、他の人たちはそうはいかないだろう。やはり勉強は学校の先生にお願いするしかないのだ。だとしたら、先生たちを元気にするしかない。そう思う。元気のない、エネルギーのない先生たちにパワーを持ってもらうにはどうしたらいいのだろう・・・。それを考えるのが、僕の仕事のような気がする。新座の先生たちを元気にする。そして子どもたちを元気にする。そうすれば、新座市が元気になる。

東北戦
明日はOB東北戦。昭島昭和の森で東北大学との対抗戦がある。ようするに、おっさん同士の意地の張り合いのようなテニスの試合がある訳で・・・教員時代はテニス部の練習があったので、一度も参加できなかった試合である。それが、辞めたお陰で楽しませて貰っている。自分の時間を自分のために使えるのは幸せなことだ。素振りの成果を試すときがきたのである。うふふふふ。

今日の写真
五中4期生の3年1組のメンバー。左から昭弘、サッカー部のキャプテン。ゴシ君、京大へ行った秀才。僕と空。賢一、剣道部で全国3位。道哉、所沢の居候。ババツ、五中テニス部のエースで羽根よしやすと島田久仁代の選対本部長。この内の二人が社長。一人が部長。一人が大学の先生。一人が公務員。いたずら小僧たちが、社会では元気印なのである。
僕はこのうちの4人をぶっ飛ばし、二人とサシで戦った。「体罰」などという言葉がどうでもよかった、信頼関係のあった時代だった。

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11月7日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第310弾! 2009.11.7(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第310弾! 2009.11.7(土)  たかやん

散歩スティング
今朝も100軒ほどポスティングをした。少しの時間だけど、地道にポスティングをする。100軒はたいした数ではないが、100日続ければ10000軒である。継続は力なりである。

朝練
いよいよ東北戦ということで、朝練をすることになった。試合は午後からなので、1時間ほど練習をしていこうと思ったのだ。暖かい一日になりそうだという天気予報。よせばいいのに、最初から短パンでやったのがまずかった・・・。余りにも調子がよかったので、ガンガン打っていたのだが・・・サービスを思い切り打ったところで、右足を痛めてしまったのだ。ピリっと痛みがきて・・・練習は終わり。午後までに治る訳はなかった。

昭島昭和の森
先月のオープン大会で怪我をしたのも昭島昭和の森。今日の東北戦も昭和の森。絶好調のはずが、足をかばいながらの試合になってしまった。相手は東北大学最強ペアーの小山・西谷。僕らは川西・高邑の北大ではNO1チーム。(多分)試合は最初から緊迫した。1−1.2−2.3−3.そこでブレークして4−3とするが、ブレークバックされて4−4.またブレークして5−4とするが、そこで回ってきたのが僕のサーブ。左足の痛みがピークに・・・結局らブルフォールとをしてしまい、ブレークされてしまった。最後は小山さんのサーブをキープされて5−6で負け。6ゲーム先取というルールだったので、しょうがない。でも、本当に楽しい試合だった。東北大の小山さんは64歳。西谷は54歳。川西さんは58歳。僕は55歳という中でひとり60代なのだが、そんなことはまったく感じさせない堂々としたプレーで、北大を蹴散らした。9年後、小山さんのようなプレーをするのが、僕の目標になったのだった。

都ぞ弥生
試合の後は宴会。立川での大宴会となった。91歳の東北大の川西さん、82歳の北大の山口さんをはじめ、70代、60代の先輩たちがゾロゾロ・・・50代の僕らなどは、ヒヨっ子である。テニスっていうのは本当にいいスポーツだと思う。あと30年はテニスができそうだ・・・そんな夢を大先輩たちが見させてくれるから・・・。宴会の最後は都ぞ弥生。僕の大好きな東北大の「青葉燃ゆる」も歌えたし、本当にいい気持ちになった。あっという間に青春時代に戻るから不思議。

今日の写真1
当時、東北で無敵だった小山小次郎さん。僕はその頃、小学生か中学生だったはず。今年はこの小山さんに2連敗。来年はもう負けられない。よき先輩であり、よきライバルであり、よき目標ということにさせて頂いている。

今日の写真2
左が2年後輩の東北大の戸田君。インターハイでベスト4に入った程の選手である。右が僕らの代で東北のNO1だった西谷。2年前は完勝したのだが、今年は西谷にやられた。大学時代にも2年生の時に、NO1同士で戦っている。そのときはセットカウント1−3で負け。そろそろ借りを返さないといけない。その時までお互い元気でいような、西谷!!

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11月8日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第311弾! 2009.11.8(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第311弾! 2009.11.8(日)  たかやん

87歳
今日は父さんの才の誕生日。生きていればの話だが・・・57で死んでしまったのだから、もう30年も僕の人生に父さんはいないことになる。55年間生きてきて、父さんがいない時間の方が長くなったということが不思議である。それくらい父さんは僕の心の中で生きているのだ。小学生の時に言われた言葉。「朋矢は作文が上手だ」その一言が、今でも僕の心にしっかりと残っていて、この日記を書かせている。「朋矢、文章っていうのはな。難しい言葉を使っちゃだめなんだ。誰にでも分かる言葉で書くんだよ。そしてな、朋矢。お前の、自分の言葉で書くことが一番大事なんだ。」父さん!僕の書いている日記や議会報告は、合格点が貰えますか?貰えているといいのですが・・・

命日
そして今日は僕が大好きだった正照叔父さんの命日でもある。陸軍中野学校出身のおじさんは武道の達人だった。そして、スキーで日本チャンピョンだったおじさんに僕はスキーを習った。生まれて初めてのスキーなのに、山を三つも越えさせれて、下が見えない深雪の急斜面で直滑降。転倒。転倒。また転倒。それでもゲレンデに戻ってきたときには、綺麗にパラレルができるようになっていたっけ。兎に角、凄いの一言に尽きるおじさんだった。きっと今頃、雲の上で父さんと語っているのだろうなあ・・・。

川掃除
今日は黒目川の川掃除。9時にスタートして、11時前には大満足で終わった。今日のメンバーには五中の卒業生が4人。ひばりが丘の「駅友」が二人。石神小関係が一人。そして、子どもたちが5人という構成だった。毎回、初めての人がいるところがいい。楽しい、楽しい川掃除だった。

練習
痛めた左足を休ませようかとも思ったのだが、ライバルの小山さん、西谷に一歩でも近づかなくては・・・と、少しだけ練習した。サービスが打てないハンディーはきつく、3試合すべて負けたのだが、3試合ともすべて楽しかったのがよかった。そう、テニスは負けたって楽しいのだ。そりゃあ勝つほうがいいに決まっているけれど、負けたって幸せな気持ちになれる。それがテニスのいいところである。

公園
テニスの後はスーパー公園でサッカー。亮が来てくれて、あっくんと空と僕の4人で遊んだ。今日のスーパー公園には六中の教え子が二人いて、そこに五中の卒業生の次郎が登場。お父さん達とも友達になり、本当に楽しい時間をすごすことができた。公園には笑顔が溢れている。心が穏やかになれる場所である。

懸垂
次郎に「たかやん、懸垂やったほうがいいよ」と言われ、今日は公園のブランコを使って、懸垂を試みた。中学時代には25回くらい出来たのだが・・全くの駄目。それでも次郎に手伝ってもらって、9回ほどやったのだった。きっと明日は筋肉痛・・・

今日の写真1
今日の川掃除のメンバー(一部)。子どもたちもたくさんゴミを拾ってくれた。例によって、川に入ってくれたのは直弘と勝将。みんなお疲れ様でした!!

今日の写真2
スーパー公園でサッカーをする亮と空(長男と次男)とあっ君(孫)雲の上の父さんもきっと笑顔で見てくれていたと思う。本当に幸せなひと時だった。





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11月9日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第312弾! 2009.11.9(月)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第312弾! 2009.11.9(月)  たかやん

散歩スティング
今朝も朝ごはんの前に散歩スティング。少しでも配れると気持ちがいい。兎に角、地道に続けようと思う。「継続は力なり」である。

孫は優しい
今日の朝ごはんも「孫は優しい」朝ごはん。「鰹節おねがい!」とひとみに言われて、鰹節を削る。その香りが小さい頃から好きだったなあ・・・・。納豆・とろろ汁・発芽玄米ご飯・豆腐とわかめと油揚げの味噌汁・ふりかけ・オクラの胡麻和え・サツマイモ・鯖の味噌煮・・・そんなメニューだった。

テニス
今日も2時間ほどテニスをやった。血糖値を下げるには運動が一番。どうせ運動をやるならテニスという訳だ。県の50歳以上のチャンピョンに相手をしてもらって、大満足だった。

議運
13時半からは議運。今日の議運は議題が多く、終わったのは16時を過ぎていた。議長の嶋野さんが新しい試みの提案をするのだが、なかなかその通りにはならない。僕はもっと議長を立ててもいいのじゃあないか・・・そう思うのだが・・・。

77日
今日で素振りを始めて77日。「三日坊主」の僕が連続してやっているのだから笑える。きっとテニスが好きなんだろうなあ・・・この日記はもう2000日を越えていると思うが、はやり書くことが好きだから続いているのだと思う。素振りをしていていいことは、たくさんの人に気軽に声をかけてもらえること。昨日も若いお兄ちゃんに「お帰りなさーい!」と言うと、「ただいまー!」と返事が返ってきて嬉しかった。今夜も同じマンションの人に声をかけられて・・・何か地域で生きているんだなあって実感できるのだ。

つるわれ
青森の友達から段ボールいっぱいのりんごが送られてきた。しかも、つるわれのりんごである。市場には出回らない、美味しいりんごである。うふふふふ。

今日の写真
我が家で採れた「ゴーヤ」。空の手より大きい。そして、夕飯はゴーヤチャンプル。苦いものが苦手の空が珍しく、美味しい!と喜んでいた。はやり自分で収穫したものは美味しく感じるのかも知れない。とろろ汁が少し苦手な空だが、ひとみがとろろ芋を空に擂らせて、出汁を入れてとろろ汁を作って見せると・・・「とろろってお芋だったの」「明日は食べる」と自分から言ったらしい。そういう体験って大事だと思うのだ。女も男も料理という技術と精神を学ばなければいけない時代なのである。

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11月10日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第313弾! 2009.11.10(火)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第313弾! 2009.11.10(火)  たかやん

30周年
今日は六中で開校30周年記念式典があった。僕が六中に教員として在籍していたのは1987年4月から1997年3月までの10年間。その後2003年の途中まではテニス部を教えていたから、六中との係わりは16年にも及ぶ。30年間のうちの半分以上は六中生と一緒にいたことになるのだ。

控え室
9時半の受付だったので35分過ぎに行ったのだが、既に中村議員が来ていた。そして初代の神山校長先生や4代校長のキノッピー、六中で同じ学年だった松江先生や川島先生といったメンバーに加え、伊藤教育委員長、金子教育長、須田市長、細田議員、北村議員と議場で顔馴染みの方たちも登場。賑やかな控え室になった。

10時
開会の言葉で式典が始まった。君が代斉唱は起立して、みんなの歌を聞いていた。来賓、先生方は殆どの方が歌い、子どもたちも6割以上は歌っていたようだった。そして校歌。陽子先生の指揮に合わせて歌うのは久しぶり。僕は来賓席で一人大声で歌ったのだった。

起立・気をつけ・礼・着席
実行委員長の挨拶に始まり、学校長式辞、来賓祝辞、PTA会長挨拶と挨拶・祝辞が続いた。その度に「起立・気をつけ・礼・着席」の号令が繰り返された。その回数は僕が確認しただけでも22回。六中生はよく耐えていたと思う。

神山先生
祝辞の中で一番心に残ったのは初代校長の神山先生の言葉だった。「18歳で先生になった僕に、生徒だった高橋君が“先生が校長になったら、何か作ってやるよ!”と約束。そして本当に校長になった時に、六中のあの池を作ってくれました。」「プール開きの時に、ミュンヘンオリンピックのキャプテンが中央大学の水泳部の現役の選手を連れてきてくれました。」「開校3年の六中が県大会で優勝し、関東大会でも勝ち、全国大会へ行ったことは本当に誇らしかった。」「君たちにお願いがあります。あと、70年生きて欲しい。其の時は、六中開校100年祭になっています。人のため、国のため、地域のため、そして君たち自身のために生きていって欲しいのです。」神山先生はそのようなお話をされた。神山先生のお話は六中に対する愛情に溢れていた。それを聞きながら、僕だったらどんな話をするだろう・・・そんなことを考えていた。

ブラスバンド部
嘗て、テニス部のライバルだったブラスバンド部が見事な演奏を披露してくれた。僕らの時代のブラバンより上手(ごめんね)なことは確かである。ブラスバンド部は本物である。そういう部活が増えていくことが六中の再生につながっていくのだと思う。第二部ではコーラスや朗読もあった。どれもが、とても素晴らしかった。

校歌
阿保校長が式辞の中で、校歌の歌詞に触れていた。「いつの日もふるさと、いつの日もふるさと・・・」という部分である。あの校歌を本気で歌った人は誰でもあの部分が大好きなはずである。そう六中は僕にとっても、子どもたちにとっても「ふるさと」なのである。(そのふるさとに帰れない卒業生達がいるのだから悲しい・・・)今日の六中生はよくがんばったと思う。だけど、六中が本物になったとき、六中の体育館は子どもたちと先生たちの歌声で揺れるはずである。残念ながら、今日は生徒は勿論、先生たちの歌声も聞こえてはこなかった。あの歌で、体育館が揺れる・・・そういう六中が復活する日を僕は願っている。

招待状
色々な来賓の姿があったが、平松文教経済常任委員長や吉田よしのり県議会議員そして六中出身の平野議員の姿がないのが気になった。六中学区に住む議員だけに招待状を出したのかも知れないが、県議や文教の委員長や本当の卒業生の議員にも来て欲しかった、そう思うのは僕だけだろうか・・・。

沿革
気になったことがもう一つ。それは学校の沿革に間違いがたくさんあったこと。テニス部に関する記述だけでもかなりの間違いがある。今日配布されたもの同士を見比べても違っている箇所が数箇所。このさい、見直しておかないと、そのままズルズル引き継がれてしまうような気がする。記録は正確でなければ意味がない。年金記録と同じである。


今日の写真1
六中の正面玄関にある池。神山先生の教え子が作ってくれた池だということを僕は今日まで知らなかった。4階の左側が理科準備室(生物準備室)。あそこから見える富士山は本当に綺麗だった。「りじゅん」という言葉はあの準備室から生まれたのだ。勿論、教材研究に燃えた場所でもあるが、子どもたちの補習の教室になったり、遊び場になったり、保健室になったり、時には先生たちの相談室にもなった場所。それがりじゅんだ。あの空間と同じ温かい空間を二中で作ろうとして、当時の管理職から攻撃をされ、僕はそれに我慢できずに退職したのである。そういう意味では、今の僕の原点になる。

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