Diary 2005. 1
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1月11日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第11弾! 

「たかやん議員日記」2005.第11弾!  1月11日(火)

団会議
今朝は10時から団会議。9時45分に控え室に到着。部屋に暖房を入れ、ブラインドを上げて、スーツに着替えてみんなを待つ。10時になっても誰も来ない。新年早々足並みが揃わない・・・・?何て事を気にする僕ではないので、悠々と読書をして待っていたのだった。(因みに羽根善保は僕より早く来て、議運に参加していた。彼は議会が始まっても一番に来ている。)
今日の議題は「勉強会」のこと。僕らは前々回と同様、「財政」の勉強会をしようということになった。会派を超えての勉強会である。
今日の団会議には吉田義則県議も飛び入りで参加してくれ、僕の知らないことをたくさん教えてくれた。ありがたいなと思った。

団会議の後は教育委員会へ。今年は委員会とたくさん話をしようと思っている。意見が違うのは当たり前。だからこそ話をすることが大切だと思うようになってきた。あきらめるのは簡単だけど、僕は諦めない。

今朝のランニングで左の膝を痛めてしまった。寒いのにアスファルトの上をいきなり走ったのがいけなかったらしい。明日からはまた土の上を走ろうと思う。

今日の塾は気合が入っていい授業ができた。家に帰ったのは10時過ぎ。いつもの生活のパターンが戻ってきた。忙しいのはいいことだ。明日も元気に頑張ろう!


1月12日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第12弾! 

「たかやん議員日記」2005.第12弾!  1月12日(水)

5時40分
今日もランニングで一日がスタートした。起床は5時40分。まずは近くの神社で色んなことをお願いする。それから公園へ・・・・。車の中で基礎英語2を聴く。いつものようにゴミを拾って、そして体操。20分ランニング。汗びっしょりになった頃、東の空から太陽が昇ってきた。腹式呼吸をしながら太陽のエネルギーをいっぱいもらって、家に帰る。こうして今日も一日がスタートした。


応援団の総会
来月11日に「たかやんの応援団」の総会があります。恒例になっている「味噌造り」と同時に行いますので、興味のある方は是非参加してください。飲み物、食べ物は全て持参です。味噌造りに参加された方は、出来上がった味噌を食べる権利があるので、楽しみにしていてください。
場所  新座市新堀1−13−8  「たかやん塾」
時間  午前10時から味噌造り
総会は午後5時から

以上、たかやんの応援団からの連絡でした。



1月13日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第13弾!

「たかやん議員日記」2005.第13弾!  1月13日(木)

ランニング
今朝も起床は5時40分。まずは神社へ行き、子ども達のことをお願いする。困った時だけ、神社を頼りにするのはよくないなと思いつつ・・・・。公園でのランニングは気持ちがいい。今朝の日の出もきれいだった。太陽からエネルギーをたくさんもらって来た。

今日は午前も午後も役所にいた。ジャージから何度もスーツに着替えた一日だった。
久しぶりに会派のメンバーが全員揃った。5人全員が揃うのは去年の12月議会以来である。



1月14日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第14弾! 

「たかやん議員日記」2005.第14弾!  1月14日(金)

午前10時から大和田公民館で「生きた一票を市政に託す会」との懇談会が 行われた。我が会派も5人全員が揃い色々な意見を聞くことができた。「刷新の会」の5人のメンバーの意見にも大分幅があり、そして「生きた一票を市政に託す会」のメンバーの方たちの意見にも大分幅があるので、2時間と言う時間があっという間に過ぎていってしまった。
僕が一番心に残った言葉は「民意」と言う言葉だ。そう僕は「民意」を知りたい。新座市民が本当はどう思っているのかを知りたい。僕に何を期待して、どうして欲しいのかを聞きたい。今の新座市の財政をそして「教育」をどう思っているのか・・・僕はそれを知りたい。
「生きた一票を市政に託す会」の方たちはいつも議会の傍聴に来ている。本気でなかったら、議会の傍聴には来れない。真剣に市政を考える市民がいるということはいいことだ。次回の会合が今から楽しみである。

大和田公民館
僕の頭の中では「大和田公民館」というのは今の「野火止公民館」のことらしい。僕が新任の時代は「野火止公民館」を「大和田公民館」と呼んでいたらしいのだ。どうも話をしていてイメージが合わないので、おかしいと思っていたらそういうことらしかった。


1月15日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第15弾!

「たかやん議員日記」2005.第15弾!   1月15日(土)

朝から雨
センター試験の1日目は雨だった。予報どおり雪だったら大混乱だっただろうから、まずはよかった。
今日はサッカーもランニングもしないで殆ど一日家で本を読んだり、ビデオを見たりしていた。寒気がして、どうも体調がおかしい。テレビでは10年前の「阪神淡路大震災」のことをやっていた。
10年前の僕らは家の無い生活をしていた。パジェロの中で僕と小学校6年の亮は寝泊りしていたのだ。僕らには住む家が無かった。公立の中学校の教員がホームレスだったのだから面白い。
野寺小学校へ通っていた亮はパジェロから野寺小へ歩いて通っていた。夜は寒かったし、恐かった。雨の音が強烈でなかなか眠れない夜もあった。朝はマイナス5度なんてことがざらだった。僕は10年前、そんな生活を3ヶ月以上続けながら学校に行っていたのだ。


1月16日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第16弾!

「たかやん議員日記」2005.第16弾!  1月16日(日)

続10年前
ホームレスだった僕らは毎日不自由な生活をしていた。お風呂は友達の家に毎日のように二人で入れさせてもらっていたが、机は無いし、テレビも電話も炬燵も無い生活はやはり寂しいものだった。地震が起きた時、学校が避難所になるように僕らも夜は学校の敷地にお邪魔していた。それは安全だったのとトイレと水があるからだ。 朝は早くから練習、夜も遅くまで練習。そして夕飯の後は校庭でよく「天体観測」をしていた。「あれがアルデバラン、あれがカペラ、あれがベテルギウス、赤色巨星で太陽の周りを回る火星の軌道よりも直径が大きいんだよ・・・・・・・。あの明るいのは木星だ。この間と少しだけ位置が違うだろ?」六中の校庭は光がなくて、星がよく見えるのだ。(殿山球場に照明がつかなければ・・・)
今思うと、僕は自分のいた中学校全ての学区域に住んでいたことになる。五中時代は野寺に住んでいた。家から五中までは10秒で行けた。朝練が終わって、朝食を食べに家に戻り、それから学校へ行っていた。熱が出て、年休を取り家で寝ていると、神さんがいつの間にか枕元に座っていて、「たかやん、あんたがいないと学年会が始まらないよ。」と呼び出しがかかったりしたこともあった。夏の暑い日には我が家に来て、シャワーを浴びていく先生たちもいた。
そして10年前、僕は六中の敷地に100日住んでいたようなものだ。その後は畑中に越したのだが・・・・そこは二中の通学区。僕は二中学区から二中に1年間通っていたのだ。当然、子ども達はわんさかやってくる訳で・・・・

今思うと、僕は本当に学校が好きだったのだろう。学校が好きで、子ども達が好きで、家庭のことなんか真剣に考えたことがなくて・・・・学級崩壊や学校崩壊は経験していないが、家庭崩壊はしっかりと経験してしまったのはそのせいだと思う。
もう数時間で1月17日になる。あの日の朝も気温はマイナス5度だった。僕らは真っ白に凍ったパジェロの中であの地震を知ったのだった。


1月17日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第17弾! 

「たかやん議員日記」2005.第17弾!  1月17日(月)

6433名
10年前に阪神大震災で亡くなった人の数である。これだけの人が亡くなり、家を家族を失った人たちがたくさんいたのに、政府の反応は冷たかった。自衛隊の出動に時間がかかりすぎたし、その後の援助もひどいものだった。よく「愛国心」という言葉が最近でてくるが、愛国心というのは自分の国を愛すること、つまり自分の国の人たちを愛することだと思う。自分の愛する人たちがあれだけの被害にあったのに、十分な援助をしないというのは、「愛国心」が無いからだと僕は思う。国の為に死ぬのが愛国心ではない。愛する人のことを想うのが愛国心である。君が代を大声で歌っても、日の丸に敬礼しても、愛する人を想い、愛する人が救われなければ、それは見せかけの愛国心にしか過ぎないのだ。
この10年でどれだけの人たちが自殺しただろう・・・・彼らはどこかの「敵国」に殺されたのではない。日本の政府が死に追いやったのだ。6433という数字は今も増え続けている。


1月18日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第18弾! 

「たかやん議員日記」2005.第18弾!   1月18日(火)

ガラス
また新座市内の学校のガラスが割れた。今度は中学校だけでなく、小学校2校も・・・・
ガラスを割った犯人は分からない・・・。自分の学校の子ども達を疑いたくはない。先生としての本能である。世間の評判も気になるから、本気で情報を集める気にもならない。確かにそうだ。先生たちはどこまでも子ども達を信じた方がいい。裏切られても、裏切られても信じる。それが大事だ。 だけれども、自分達の生徒指導には大いに疑問を感じた方がいい。子ども達は信じ、自分達には疑問を感じることが大事だと思うのだ。
誰かのせいにするのは簡単だ。分からないから、誰かのせい・・・自分達に間違いはない。一番楽な考え方だ。そうではなくて、分からないから自分のせいかも知れない。そう思うことが、原点だと思うのだ。
この財政難になんてもったいないことをするんだ!と思う一方で、相手が人間じゃなくてよかった。と思う自分がいる。ガラスが傷ついている時は、人も傷ついていることが多い。
「いじめ」も見ようとしなければ見えてこない。先生達の言葉で傷ついているたちもたくさんいるのだ。子ども達同士で傷つけあうことはもっと多いだろう。SOSを出している子ども達はたくさんいる。まずは先生達が自分達のアンテナを磨くことだと思う。このガラス事件も子ども達からのSOSかも知れないのだ。


1月19日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第19弾!

「たかやん議員日記」2005.第19弾!   1月19日(木)

お母さん
教え子のお祖母ちゃんの告別式に参列した。久しぶりに会ったお母さんが「先生の顔を見たら泣けてきた。お祖母ちゃん、この子のことずっと心配してくれてたから・・・・」と泣いた。おばあちゃんと孫、孫とおばあちゃん。きっとお互いに大事にし合って、凄くいい関係だったんだろうと思う。
お父さんが最後の挨拶で「母は私達こどもにとっては・・・いつでも若くて・・・・」そう言った時、僕も自分の母親のことを思って、泣いてしまった。お祖母ちゃんは90歳を越えていたが、残された子ども達にとってはいつまでも若い頃のお母さんなのだ。
我が家にいる母さんも80歳。膠原病とサルコイドーシスという難病をかかえながら、一生懸命、孫と一緒に遊んでいる。あと何年一緒にこうして居られるのだろう・・・・。お母さんの葬式は辛いだろうなあ・・・・。嫌だなあ・・・。だけど、母さんよりも先に死んだら、本当に親不孝だから、それだけはしないようにしないとなあ・・・。
今の毎日を大事に生きていくしかないのだろうなあ・・・。

研究授業
4中の研究授業にお邪魔した。受付はどこだろう・・・と思ってうろうろしていると、教育長が来て「一緒に行きましょう。」と校長室まで案内してくれた。教育長との距離がまた5センチほど縮まったように感じた。校長室には教育委員会の先生方、要するに「指導者」の先生方がたくさん揃っていたので、僕は何だが場違いな所へ来たような感じで、少し小さくなっていた。
4中は去年部活動が大活躍した。バスケットが県大会優勝。陸上とブラスバンドが全国大会出場。ソフトテニス部も県大会で活躍したらしい・・・・。

この研究授業では五中時代の友達や先輩にたくさん会えて嬉しかった。教頭になった友達が3人、校長が3人。五中時代の同僚達はみな偉くなっていた・・・。
そして新任で五中に居た頃の「理科」の教師の四分の三が理科室に揃ったことにも驚いたのだった。20年前には誰も予想していなかったなあ・・・・。
授業の感想はまたの機会にしますね。
跡見学園大学の堀内先生の言葉「しかし最後は(原点は)教師の「今日は、何が何でもこれを教えるぞ、分からせるぞ」という迫力、熱意。が気に入った。確かにその通りだと思う。



1月20日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第20弾! 

「たかやん議員日記」2005.第20弾!  1月20日(木)

ボーリング大会
朝のランニングが終わり、神社にお参りをして・・・朝ごはんを食べて、仕事をしていると電話が鳴った。農業委員会事務局からの電話だった。「今日ボーリング大会なんですけど・・・」「あーっ!忘れてました。スイマセン。今からでも間に合いますか?」
僕は自転車に飛び乗り、タナボールへ。試合開始にギリギリ間に合ったのだ。そう今日は四市の農業委員会対抗ボーリング大会。僕は朝霞の橋本さんと和光の石田さんと同じチームでやることになった。ボーリング・・・・多分30年ぶりくらいである。投げ方は覚えているけど、感覚はゼロに近い。周りを見ると、みんな上手い、上手い。早速上手な人のを真似て投げ始めた。真似るのは得意なのだ。結局は110点というスコアーだったが・・・・隣りの中田議員は109点。危ない、危ない・・・・。そして2ゲーム目は少しコツをつかんで150点とまあまあの結果を残したのだった。新座市は全員がかなり頑張り、総合優勝!僕も何と個人で9位に入ったのだった。いつも仕事があるから泊まりの研修にも参加していないし、飲み会にも参加できない。その分少しでも参加できてよかった。今日一番嬉しかったのは「邑さん」と呼ばれたこと。いつも「邑議員」とか「議員さん」とか言われているので、そういう風に呼ばれて嬉しかったのだ。どうも議員がつくと距離があっていけない。「たかむらさん」か「たかやん」がいい。議員と呼ばれるのはどうも嫌だ。

自転車
塾の帰りに子ども達と一緒に自転車で帰ってきた。道々色々な話をするのが楽しい。車より疲れるけど、それにはかえられない何かがある。丁度教え子の家があったので、ふざけて「奈月―っ!」と叫んだら、「えっ?」と教え子の奈月が登場し、思わず二人で抱き合ってしまった。どうやら仕事帰りらしい。自転車で走るといいことがあるのである。


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