Diary 2004. 10
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10月21日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第218弾! 

「たかやん議員日記」2004.第218弾!  10月21日(木)

伊勢湾台風
僕は5歳だった。新宿の公務員住宅に住んでいたのだが、アパートの前のヒマラヤスギが何本も横倒しになったのを覚えている。あの台風での死者・不明者は5098人。考えられないくらいたくさんの人が命を落としている。海・山・川のそばに住んでいた人の被害が多かったのだろう。

台風23号
今回の台風23号での死者・不明者は84人。伊勢湾とは比べられないが・・・・多すぎると思った。亡くなった人たちはまさか自分がと思っていたはずだ。新座市も石神地区は家の前の道が川になったところもあったらしく、眠れなかったという話を聞いた。自然は人間の考える範囲を超えて襲ってくるのだ。

大雨
高校生の頃、富山に大雨が降って黒部川が氾濫したことがある。たまたま前の日の晩に従兄弟達と愛本橋に出かけたのだが・・・黒部川は橋の上から見ると10メートル以上下を流れていた。それが次の日にはその橋の上10メートル以上のところを川が流れたのだ。愛本橋は黒部川に流され、近くにあった家も跡形もなく消えてしまった。我が家の前の道路は川になり、水がどんどん家の中に浸入してきて、みんなでパニックになったことを覚えている。

市民がパニックになったとき、冷静に判断をくだすのが行政である。情報を的確につかみ、その情報を市民に伝えなければいけない。それには普段からトレーニングを積むことだ。どんな小さな災害でも情報をつかみ、また情報を的確に流すという仕事を確実にこなしておくことだと思う。今回の台風で新座市はどういう被害を被ったのだろう。


10月22日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第219弾! 

「たかやん議員日記」2004.第219弾!  10月22日(金)

議会便り
議会だよりの原稿はまず「議会事務局」で作成される。その原稿を議員が手直しするのである。議会便りには一つの質問、しかもその一部分しか掲載されないが、実際の質問はいくつもあるわけで、一般質問の様子は傍聴してみないと分からないということになる。

9月議会の「議会だより」も陵平の質問を選んだ。今の新座の教育委員会や学校、先生が子ども達一人一人をどう育てようとしているかが見えてくるからである。同じことを何度もしつこいという声も聞こえてこないわけではない。だけど僕がしつこく質問しなくて誰がしてくれるというのだ。誰が子ども達の命を本気で守ってくれるというのだ。

9月の議会で教育長はこう発言している。
「学校としての指導はこれまでずっとやってきたことと同じことでありまして、一つの学校の指導のあり方を踏襲しただけであります。特にこのときだけ新しいことをやったわけではありませんし、またこういう指導を何か守らなかったり、あるいは問題行動を起こしたりした場合にはこういう指導を受けるというといことを生徒はもう承知をしている、みんな学校では承知をしている、そういう指導方法をとっております。したがいまして、普段のそのままの指導方法をとったので、後は原因が考えられない。したがって学校は特に関係ない、こういう風に判断したところであります。」

ようするにあの指導は間違っていなかった。と本気でいっているわけだ。これからも堂々と同じことを続けると議会で宣言した訳だ。要するに僕に対する宣戦布告である。僕はここでああそうですか、と引き下がるわけにはいかない。新座市の全小中学生の命がかかっているのだから・・・・。

プロの目からみたら、本当にどうしようもない「素人」のような生徒指導が間違っていなかったというのだからひっくり返りそうになってしまう。いくら中学校の経験が半年しかなくてもあまりにも無神経だと思うのは僕だけではないだろう。カウンセリングマインドはいったいどこへいったのだ。

今、中学生達は「内申」にビクビクしている。内申をたてにとって生徒を脅す教師は昔からいたけれど、子ども達にとって恐いのは教師ではなくて「内申」なのである。親だってそうだ。人質を取られた気持ちになって学校に接しているのだ。子どもの内申のためにと役員をやる親だってたくさんいる。決して心から学校が好きなわけではないのである。本当に新座の学校をよくしようと思ったら、ダメなところはダメと認めることからはじめなくてはいけない。新座にはプロフェッショナルがたくさんいるのだ。そういう先生を大事にして欲しい。

議事録を読んでいたらまたエネルギーがわいてきた。子ども達の為に頑張ろう!


10月23日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第220弾!

「たかやん議員日記」2004.第220弾!  10月23日(土)

サッカー
六中時代の卒業生が来てくれて塾のことたちと体育の授業(今日はサッカーだけ)に参加してくれた。近所の小学生も参加してくれた。スポーツのいいところは大人も子どもも一緒になってやれることだ。特にサッカーは人数も何人でもできるし、女の子達も一緒にやれるし・・・そういう中で体と体がぶつかりあい、多少の怪我はするわけだけれど、それもまたいいことだと思っている。今日は僕が中三の男の子をちょっと押したらすっ飛んでしまって、みんなで笑った。体重が軽いのだ。勿論僕のファールで試合は続行。3年の女の子に接触し、転ばせた男の子は「ごめん、大丈夫?」と真剣に謝っていたっけ。僕らは1時間半一緒にボールを追いかけた。そしておばあちゃん達が来て試合終了。そう「朝体操」のおじいちゃん、おばあちゃん達が一人でも来ると危険だから終了というシステムなのだ。どんなにいい場面でも、お年寄りが一人でも来たら終了!そういうルールで僕らは体育の授業をしている。「おはようございまーす!」という挨拶と同時に今朝も体育の授業は終わったのだった。

地震
「たかやん!地震だ!」『真実子!揺らすなよ!』「失礼な!たかやんのほうが体重おもいでしょ!」丁度授業中で、そんな冗談を言っていたのだが・・・ラジオをつけると事態は思ったよりも悪かった。揺れが何度もきたことで、不安な顔の子ども達。
『大丈夫だ、ここはどこよりもおんぼろだから・・・・安心しろ。窓だけ開けとこっか・・・・。』
「何で窓あけるの?」『外へ出られるようにだよ。』震源が新潟だと聞いて、富山のお袋のことが気になる。
お袋に電話すると「大丈夫よ。地震に一番強いんですって、この家。」という返事。関東大震災の時におばあちゃんが裸足で家を飛び出して、振り返ったら家が無かったという話を小さい頃よく聞いた。お袋が生まれる前の年のことだ。そのせいかどうかは分からないが、地震の時はどうしたらいいかを昔からよく知っていた。大きな地震がくると台所へ行き、火をぱっと消していた。父さんはどうしたらいいか分からず、頭から座布団被っていたのに・・・・。教育の力は凄いなあと思う。とにかくみんな無事でよかった。
あとは被害が少ないことを祈るしかない。



10月24日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第221弾! 

「たかやん議員日記」2004.第221弾!  10月24日(日)

OB会
すっかり忘れていたのだが、今日は高校のOB会だった。僕は石神井高校の24期生だ。毎年この時期にテニス部のOB会があり、僕らは懐かしいコートに集合する。しかし今年は忙しすぎた。すっかり忘れていたのだ。それでも何とか時間を作り、午後になって石神井にでかけた。ところが先生の姿が見えない。『先生はどうされたんですか?』と先輩に聞くと「腰痛がひどくて来られないのよ。」という返事。昔から腰を何度も痛めていた先生だったが・・・毎年一番楽しみにしていた一日だっただろうに・・・・。

僕は女の先輩達とダブルスをやった。50になった僕の先輩で、しかも女性な訳だから楽勝かと思ったら大違い。強いのである。パートナーになった先輩に『彼女は高校時代どんな選手でした?』と聞くと「2年連続でインターハイに行ったわよ。」という返事。『旧姓は?』
「中川よ。」『ああ、そうかあ・・・』彼女の名前は先生からよく聞いていた。「昔、強い女の子がいたんだ。邑。」と。中川さんは結婚してからは秋田県の代表でもあったらしい。要するに百戦錬磨という奴だ。何とか6−4で勝ったけど、先輩の実力を肌で感じられて嬉しかった。

その後はボールボーイをしてくれた一年生の女の子達の練習を見た。久しぶりにボールをだして、大きな声をだした。彼女達は練習に飢えていた。フォアアンドとフットワークとオーバーヘッドの練習をしてあげると目を輝かせてついてきた。「また練習にきてください!」「お願いします!」と何度も言われた。「私達も強くなれますか?」みんなまるで中学生のような目だった。思い出のコートで伝説の先輩とテニスができて、キラキラした後輩たちの瞳に出会えてよかった。強い弱いは関係ない。僕は下手糞でもテニスが好きで「本気」な子ども達が好きなのだ。また石神井に行こうと思った。少しでも後輩たちの役に立てたらいいなと思った。

来年は先輩にも後輩にも声をかけて高校へ行こう。先生に腰を治してもらって、久しぶりにテニスをしてもらおう。先生は教育大学のテニス部。なかなか優雅なテニスをされる。この3月に僕が大好きだった一つ上の高野さんが亡くなった。『テニスで勝負しましょうね!』と約束していたのに・・・・。みんながそういう年齢になってきた。だからみんなが元気なうちにまた集まって、先生に喜んでいただけたらと思っている。高校時代は先生に迷惑ばかりかけてしまったから・・・・。


10月25日 (月)  『たかやん議員日記』2004 第222弾! 

『たかやん議員日記』2004 第222弾!  10月25日(月)

車の中・・・
新潟の地震でたくさんの人が車の中で生活していると聞いて、10年前の僕たちを思い出した。ちょうどあの阪神大震災の時、僕と息子の亮は車の中で生活していたのだ。僕たち二人には11月から家が無かった。しばらく友達の家に居候させてもらっていたのだが、その時小学校6年生だった息子と「パジェロのなかで生活してみようっか?」という話になり、僕らは100日以上の車内生活をスタートさせたのだった。そして約一月たったころ、あの震災が起きたのだ。僕らは車の中に毛布を敷いて、その上に寝袋を敷いて寝ていた。それでもマイナス5度の日などは寒くて寝られない。亮はスヤスヤ寝てしまうのだが、僕は駄目。温かい息子の体に温めてもらうようにして、僕はなんとか眠れたのだった。だから車の中で毛布だけで寝ることがどれだけ寒いかもよく分かるし、エンジンをかけて寝たい気持ちも分かる。だけどガソリンはもったいないし、同じ体勢は疲れるし・・・
一番辛いのはお風呂に入れないことかも知れない。トイレも結構辛いはずだ。子供たちには勉強したくても明かりが無いかも知れない。準備をして車内生活を始めた訳ではないから、きっと不足しているものがたくさんあるだろう。
温かい食事。温かいお風呂。温かい寝床。そして温かい心。いつも当たり前のようにあるものが、今は無いかもしれない。

お袋も隣の県にいるし、ボランティアに行けたらなあと思う。だけどボランティアだって、かなりの準備をしていかないと足手まといになるだけだろう。食事や寝る場所を確保できないと大変だ。ボランティアへの指揮系統はうまくいっているのだろうか・・・・物資は行き届いているだろうか。今日は雨。冷たい雨のはずだ。もうすぐ雪も降るだろう。新潟だけではない。あの台風で避難生活をしている人たちもまだいるはずだ。

家がないというのは辛いことだ。こういう時にこそ、国民の税金をたっぷりと使って欲しいと思う。


10月26日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第223弾! 

「たかやん議員日記」2004.第223弾!  10月26日(火)

幹事長
僕らの会派の幹事長は文さん。今日は午後から僕らの会派「刷新の会」の団会議がある予定で、僕は午前中から役所に行っていた。(農業委員会)お昼に僕らの控え室で本を読んでいると大佑から電話があって「幹事長が新潟へ救援物資を届けに行っているんです。」と言う。朝ボランティアに行こうかと幸弘と話をしていたのだが、我らの幹事長はもう新潟へ行っていたのだ。僕らの会派で一番年長の人が真っ先に行動に移していたことに僕はちょっと(実はかなり)感動した。新幹線はストップしているし、関越道も通行止めになっている状態で、とにかく何かをしなくちゃと行動できる若さが凄い。今の僕にはボランティアをする自信がない。(自分の食糧と寝床を確保する自信がないから・・・・。)だけど今、文さんは冷たい雨の中きっと働いているのだろう。本当に頭が下がる。若いやつに行けというのではなくて、誰にも言わないで自分で行く。凄い!
幸弘もあの阪神大震災のときにボランティアに駆けつけたと言っていたが、刷新の会はフットワークが軽い人が多いのだなあと思った。そういう仲間達に囲まれて僕は幸せである。


10月27日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第224弾! 

「たかやん議員日記」2004.第224弾!  10月27日(水)

充実した一日
建築家でもあり、大学の助教授でもある大学の先輩と僕の最初の英会話の先生でもあり、外国から来た人たちの日本語の先生でもある友達と三人で朝から「教育」を語った。教育問題に限らず、視点が違えば色々な意見があるわけで・・・三人それぞれが自分の教育観を熱を入れて語ったのだ。でも僕ら三人には共通の何かが流れていたことは確かなことでもあって・・・それがまた心地よく、時間があっという間に過ぎていったのだった。その内容は録音されていたので、やがて活字になるだろうし、たくさんの人に是非読んで欲しいと思っている。

この間、午前中に空を連れて買い物に行こうとしたら、近所の方から「いいわね!お父さんお仕事お休みなの?」と言われた。僕は夕方から働いているんですよ!というわけにもいかず、えへへへへと笑っていた。そう僕は議員をしながら勿論「たかやん塾」をやっている。自分の学校を作ることが夢だった僕にとって、「たかやん塾」は夢以外の何ものでもない。

議員の仕事は今まで経験したことのないことばかりなので刺激的で面白いし、たくさんの人に会えたことも嬉しい。学校という世界を違う角度から見れるようにもなった。だけど、子どもに何かを教える楽しさは格別なのだ。子ども達はできないことができるようになっていく。その瞬間瞬間に一緒にいられることが幸せなのである。「たかやん塾」は土曜日もあるから、基本的には学校よりも授業日数は多い。年間300日近くは授業をするのだ。日曜日の朝に体育をやったりしているから、子ども達と一緒にいる時間は結構ある。こんなに楽しいことを簡単にやめるわけにはいかない。

今日は久しぶりに音楽もやった。新潟で寒さに震える人たちのことを思って、松山千春の「こんな夜は」を子ども達と一緒に歌った。小学生とも中学生とも高校生とも勉強した。算数も漢字も英語も数学も化学もやった。本当に充実した一日だった。


10月28日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第225弾! 

「たかやん議員日記」2004.第225弾!  10月28日(木)

適応指導教室
不登校の子ども達が勉強している場所を初めて見学させてもらった。ボロボロのアパートのような庁舎の1階にその教室はあった。スタッフは全員女性でとても感じのいい方ばかりだった。教室も狭いけれどもなかなか明るくて、色々工夫がされていた。今日は中学校の女の子ばかり8人ほどが勉強していた。『わからないことあったら、聞いてね。』というと、どんどん質問してくる子ども達。ああ、みんな勉強ができるようになりたいんだなと思った。できたら毎日でも通って、勉強を教えてあげたくなった。

小学生が一人もいなかったのは、場所が遠くて通えないからなのか、それとも・・・・
男の子達はいったいどうしているのだろう・・・・。

一番気になったことは体を動かしたり、音楽をする場所がないということ。僕は人間が元気になるには「体育」と「音楽」が必要だと思っている人間だから・・・。
もう少し、きれいで広い場所を考えてあげる必要があると思った。市の財政は確かに厳しいが、子ども達の教育には夢がある。投資する価値があるのだ。一本の道路(東久留米志線)に50億つかうなら、子ども達に予算を使った方がいい。子ども達は僕らの宝物なのだから・・・。



10月29日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第226弾! 

「たかやん議員日記」2004.第226弾!   10月29日(金)

研修
今日は前に「経営セミナー」でお世話になった明賀先生を講師にお招きして、「刷新の会」で研修を行った。10時からの研修だったので、9時半に新座駅での待ち合わせだったのだが、先生は時間通り(3分前)に来られた。一流の人というのはまず「遅刻」をしないものだが、明賀先生にもそういう「気合」のようなものが感じられた。
話は面白かった。昼食をとりながらも話は続き、たっぷり3時間は話を聞いたのだがあっという間に感じだ。勉強は面白い。色々なことが分かっていくのは本当に楽しい。

自転車
自動点火装置?の付いた自転車を買った。嬉しくなってウォークマンで英語を聴きながら塾まで走ってみた。なかなか気分がよかった。12月の議会は走るか自転車で行くことに決めた。控え室にスーツを置いて、着替えて議場にいけばいいのだ。そして着替えて塾へ。これで運動不足は解消される。
水道道路を走っていて思ったこと。「危険な道路だ。歩道があったりなかったりでは全然ないほうが安全だ。片側だけでもずっと歩道を作ることは不可能なのかな?歩道が道路の左右に不規則にあるのは非常によくないと思う。」

ダイエット
体重が78キロになったのでダイエットをすることに決めた。1ヶ月で73キロにして、3ヶ月で68キロにする。自転車と朝6時からのランニングで体重を落とすのだ。おほほほほ。


10月30日 (土)  『たかやん議員日記』2004.第227弾! 

『たかやん議員日記』2004.第227弾!   10月30日(土)

団会議
今日は「たかやんの応援団」の団会議だった。雨だったせいか、開始時刻の5時には人がほとんどいなかった。しょうがないのでいるメンバーだけで歌を歌った。「松山千春」と「長渕剛」の歌を歌った。しばらくてて応援団長の一早をはじめ、総勢15名が集まってくれた。ひょんなことで「刷新の会」の幸弘も参加してくれたのが嬉しかった。
3月6月9月と3回の議会であったできごとをみんなに報告した。幸弘の話は新鮮で、みんなかなり真剣に聞いていた。他のメンバーも今度は来てもらえたらなあと思った。みんなが驚いていたのは新座市の財政状態。4市の中では飛びぬけて悪い状態で、お隣の朝霞市より悪いと聞いてみんながっかりしていた。
雨が降っていたのに来てくれたメンバーに心から感謝しています。今日は本当にありがとう!  たかやん


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