Diary 2004. 7
メニューに戻る
7月21日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第127弾!

「たかやん議員日記」2004.第127弾!   7月21日(水)

学校教育だより2
中学校には「チャイム着席」という言葉がある。チャイムが鳴ったら席について静かに授業を受ける準備をしよう!という訳だ。ごもっともな話に聞える。だが子ども達はパブロフの犬ではないのだ。教師が来もしないのに、黙って座って待っていたら・・・これは病気である。チャイムではなくて、先生が来たら席に着く。それでいいではないか。朝、先生が笑顔で「おはよう!」と教室に入ってきたら「おはようございまーす!」と笑顔で言って席に着く。それが僕のイメージしている学校の姿だ。少なくても僕達はそういう学校で育ってきた。先生も生徒もチャイムが鳴ったら心が授業に向う準備をしていたのだ。席に着くのは先生が来た時。チャイムが鳴ったのに席についていない!と怒る先生など一人もいなかった。
子どもはチャイムが鳴ったら黙って座らせる。教師は10分も20分も平気で遅刻していくでは「教育」は成り立たない。こどもは腹が減っても我慢しろ!教師は休み時間コーヒー飲んで、煙草吸って、お菓子を食べて・・・・では「教育」は成り立たない。

「我慢」することがそんなに大切だと本気で思うなら、教師も一緒に我慢すればいい。それがマナーだと僕は思う。

清掃の時は体操服に着替えること。(制服が汚れるから)・・・・うーん。ごもっともに聞える。だがそれを判断するのは子ども達ではないのか?ほとんど毎日着ている制服はかなり汚れているからそのまま掃除しちゃお!でもいい。雑巾がけにはじゃまだから下だけジャージに着替えよう!でもいい。
だけどこれが「規則」になるとこういうこどが現実に起きるのだ。制服を着て一生懸命掃除をしている生徒が「お前、着替えないで何やってんだ!」と教師に怒鳴られる。そしてジャージで掃除をサボっている生徒は何も言われない。要するに僕達が小さい頃から親に言われてきたこと、「人を外見で判断してはいけない。」ということと全く正反対のことを教師が生徒にしている訳だ。

「規則を守るのは当たり前だ」というが、みんなが納得できない規則を勝手に作って守らせようという方がおかしいのではないか。
学校によってバラバラの規則を守らせることに必死になるより、みんなで「子どもの権利条約」を守ることが大事なのではないかと僕は思うのだ。     たかやん



7月22日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第128弾! 

「たかやん議員日記」2004.第128弾!   7月22日(木)

夏休み1
久しぶりに北海道へ行くことになった。東北大学との定期戦「東北戦」(とんぺいせんと呼ぶ)を見に来ないかい?と先輩に誘われたのだ。羽田で東京海上の保険に入る。1000円で4000万円の補償とあった。もし僕が死んだら、息子の亮にはそのお金で大学に行って欲しい。そう思った。あの子にはもっともっと勉強して欲しいのだ。僕よりもはるかにいい頭をしているから。そんなことを思いながら暑い新座から札幌へと飛んだ・・・
札幌駅は涼しかった。気温23度。半袖では寒いくらいだ。見知らぬビルが立ち並んでいて、時の流れを感じてしまった。そう札幌に暮らしていたのはもう30年も前の話なのだ。昔の淡い思い出が脳裏をかすめた。20歳の自分達・・・・まだ教師になろうと思う前の自分がそこにはいた。


7月23日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第129弾! 

「たかやん議員日記」2004.第129弾!  7月23日(金)

夏休み2
北大植物園の隣りの先輩の設計事務所に僕らはお世話になった。大学の先輩というやつはいつまでも先輩な訳で、僕が「札幌に行きます!」というと『うちの事務所に泊まりなさーい!』といってくれたのだ。横山さんというその先輩は有名な建築家で特に「シックハウス」のことでは全国で講演をいて歩いている人なのだ。横山さんは札幌国際大学の助教授も兼ねていて、学校のことにもかなりの専門的な知識がある。そういう先輩と話をしていると、いつも新しい何かを発見するのだった。


7月24日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第130弾! 

「たかやん議員日記」2004.第130弾!  7月24日(土)

夏休み3
懐かしい大学のコートはいつの間にかオムニコートになっていた。僕たちが生まれる前に卒業した先輩方も何人かコートサイドに来られていた。東北戦は実に賑やかだった。僕達がいた頃の応援とは明らかに違う応援にかなりの違和感を覚えたが、応援している子達はめいっぱい楽しんでいるように見えた。
僕は2年先輩の川西さんと高田さん小田さん、そして横山さんと一緒に応援した。横山さんは北大庭球部の監督も兼ねているのでなかなか忙しそうだった。僕はこの先輩達に本当にかわいがってもらった。1年生の時から試合に出ていたからかも知れないが、先輩達と一緒にいた時間がかなり長かったような気がする。現役の子達は「スーパーショット!スーパーショット!」と連呼し踊るが、僕らは「ナイショッ!」と昔ながらの応援で選手を盛り上げたのだった。


7月25日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第131弾!

「たかやん議員日記」2004.第131弾!  7月25日(日)

夏休み4
昨日の夜は久しぶりに先輩や同級生そして後輩と飲んだ。同級生には誰も会えないのではと思っていたが、中田、遠藤という二人の女の子?に会えてゆっくりと話せてよかった。高田さんが「邑!ほんまにお前とはいい思い出がないわ。」「お前に試合では負けるわ・・」「お前の見送りになんで俺がつきあわないかんねん。」話は当然のように20年前のことになり・・・・その頃本気で好きになった女の子の話になり・・・・その時の気持ちが思い出されて、胸が痛くなってしまったのだった。


7月26日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第132弾! 

「たかやん議員日記」2004.第132弾!  7月26日(月)

夏休み5
二日がかりの東北戦は結局3−6で負けた。この東北大学との定期戦はもう70回を軽く越えている。僕が生まれる20年以上前から行われているのだ。僕もこの定期戦には何回か出場したが、テニス部員にとってはあの「箱根駅伝」のような気持ちになる大会である。僕は昨日能勢さんという先輩と組んで試合をした。能勢さんはその東北戦で二日がかりの試合をやり、ドクターストップをかけられて引き分けにしたという伝説のプレーヤーである。驚いたのは60歳を遥かに越えた年齢で走り回る体力と「負けない!」という集中力を持っていたことだ。それは干場さん川西さんという先輩も同じだったが、どの先輩達も決してあきらめない。勝つにはどうしたらいいか、必死になって考える。そういう目、まるで若者のような目をしていたのが印象的だった。「勝負は勝ち負けではない!」とよく言うが、それは違う。必死になって相手を倒しにかかったあとの勝ち負けはどうでもいいのだ。プレーをしている時は100%で相手を倒しにいく、それがスポーツマンシップだ。そう僕に改めてこの先輩達が教えてくれたのだと思った。


7月27日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第133弾!

「たかやん議員日記」2004.第133弾!  7月27日(火)

夏休み6
羊蹄山の見える友達のペンションにお邪魔した。朝は絞りたての牛乳に色とりどりの「自家製」のパン。色々なジャム。そしてご飯の人はおかずもたーくさん。夕飯にはお寿司を目の前で握ってくれ、大きな毛蟹が茹でたてでポンと出てきた。俊ちゃんとは大学の3年4年と同じ講座で教育実習も一緒にやった仲だ。本当に良い奴で奥さんのあけみちゃんの料理の腕と笑顔は最高だ。北海道に行くとこういう友達と会えるのが嬉しい。「ラミーナ」という名前はアイヌ語のラム「心」とミーナ「微笑む」からとったそうだ。ラミーナは「木の香り」と「光」と「風」を大事に建てられたペンションだ。
http://www3.lap.dion.ne.jp/ramina/


7月28日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第134弾! 

「たかやん議員日記」2004.第134弾!  7月28日(水)

北大のコートで横山さんと中島先生と試合をした。中島先生(先輩)は63歳。今年の8月に庭球部部長を引退、そして来年の3月に退官される。横山さんは大学3年4年でインカレ・・・・どうなるかと思ったが、我々が6−0で勝った。握手をしようと思った瞬間「セカンドセット!」と横山さん。プライドが許さなかったらしい。セカンドセットの二人のテニスは素晴らしかった。ファーストセットよりも目が真剣になりそしてショットもどんどん確実になっていった。水を一滴も飲まないで、何という人たちだろう・・・・・結果は3−6。僕はここでもいいものを見せてもらった。「どんな相手でも100%の力で相手を倒しにいけ!それがスポーツマンシップだ!」そう子ども達にいい続けてきたのだが、それはこの先輩達から学んだものだった。そして先輩達はそれを実践し続けていたのだ。「一勝一敗か、これで美味しいビールが飲めるな。」と中島先生。最後に北大のコートでテニスができて、たくさんご馳走してもらって本当によかった。


7月29日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第135弾! 

「たかやん議員日記」2004.第135弾!  7月29日(木)

ポプラ並木
あそこは僕らのランニングコースだった。毎日の練習のあと必ず走った。ポプラ並木を走りぬけ、農場の端まで行ってまたポプラ並木を走り、クラーク像の前を通り、中央ローンからコートに戻ってくるというコースだった。そのポプラ並木が「進入禁止」と書いてあったので、先輩に「いつから進入禁止なんですか?」と聞くと「昔から進入禁止だったよ。」という答えが返ってきて驚いた。要するにポプラが老木になり、倒れる危険があるから30年以上前から「進入禁止」だったというのだ。そこを僕らは駆け抜けていたのだ。勿論今回も久々のポプラを歩いては来たのだが・・・・・知らなかった。そんなことなら農場まで行って見るんだった。
久しぶりの北海道。そこには僕の何かの「原点」があることは確かだった。


7月30日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第136弾! 

「たかやん議員日記」2004.第136弾!  7月30日(金)

社会
教師はよく「社会にでてこまらないように学校でルールを教えているんだ。」という。しかし教師というのは一般社会を知らないことが多いのだ。勿論僕もそうだった。小学校、中学校、高校、大学そして新座五中。六中。二中・・・・学校という特殊な社会には詳しいがそれ以外の社会を知らない。だからそのルールが一般社会では全く通用しないということに気がつかない・・・・・。僕の中にもそういうものが確かにあったと思う。学校はサービス業だと思う。お客さんは子ども達だ。子ども達がどれだけ気持ちよく学校生活を送れるか・・・それは教師の接し方一つにかかっているのだ。そういう勉強を教師達はしていない。そんなことをしなくても朝教室へいけば、お客さんは教室に満員。努力をしなくても客が集まれば、サービスしようと思わなくても当たり前かも知れない。授業が下手だということは致命的なことのはずだが、これまた給料が自動的に上がるシステムになっていれば努力しようという気にならなくても当たり前かもしれない。客へのサービスが悪くても料理が下手でも首にならないのだから、サービス業には思えないのだろう。同じ教育でも塾ではそうはいかない。料理が下手なら客は来ない。だから塾の教師達は日々努力しているのだ。社会は厳しい。学校の規則など全く通用しない。「規則は人の為ならず。」などとのんきなことを言っている場合ではないのだ。


| 1 | 2 | 3 | 4 |
2004/7
SuMoTuWeThFrSa
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

前月     翌月