Diary 2010. 12
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12月11日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第341弾! 2010.12.11(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第341弾! 2010.12.11(土)  たかやん

1800m
今朝も空の朝練に付きあった。たった1時間の練習だったが、1800Mしっかり泳いだ。まるで小笠原の母島小中学校の体育の授業である。あの島の子ども達は体育の授業でイトチンに同じくらい泳がされていたっけ・・・。空は夕方も2000M以上泳いだから、小笠原の母島の授業を完全に越えてしまったが・・・。

正樹ちゃん
久しぶりに従兄弟の正樹ちゃんが来てくれた。兄貴と一緒に、お袋を昭島の従兄弟の家に連れて行ってくれたのだ。小さい頃は、もの凄く上のお兄ちゃんだと思っていたが、この年になってくると、それほどの差があるようには見えないから不思議だ。

通告2
今度の一般質問での通告の続き。
道路と公園問題
第4時基本構想では(仮称)道場公園の整備が掲げられています。観光都市新座づくりの核となるべき公園です。保谷・朝霞線によって分断されると公園としての機能が大幅に低下することが考えれます。市民は大きな道路よりも大きな公園を求めています。道路よりも公園を優先すべきではないでしょうか。
(資料要求 道場公園用地を購入するのに予想される費用、借地の場合に予想される費用)
*観光都市新座づくりという割には、住民が嫌がる道路の建設には熱心で、市民が強く望む大型公園の建設には消極的なのである。道路に20億使うなら、公園に使いましょうよ!っという質問。

健康問題
受動喫煙防止の観点から、市内の公園、公共施設の敷地内での喫煙は禁止すべきと考えています。特に、観光都市新座の核ともなるべき公園や遊歩道などは禁煙地域に指定すべきです。健康の為のウォーキングや体操ともっとも対極にあるものが喫煙だと考えますがいかがですか。前回も質問しましたが、市役所の玄関はどこもタバコの臭いがします。市民のみなさんの健康増進の為にも、市役所敷地内での喫煙は禁止すべきと考えます。そして、小中学校での先生方の喫煙も勤務時間内は禁止にすべきと考えますがいいかがでしょうか。
*みなさんも経験があるでしょう。煙草臭い匂いで閉口したことが・・・。僕は何百回もあります。僕が感じるのだから、子ども達はもっと敏感に感じているはずです。


放課後学童保育室問題
学童保育室の指導員の雇用条件が悪すぎます。直接雇用にして、雇用条件を整えていく必要があると思いますがいかがですか。また大規模学童保育室の解消に向けての市の考え方を伺います。
* 学童保育の指導員の方達の仕事は大変です。この間、半日体験させてもらいましたが、かなり神経を使います。そして体力も・・・。でも夢がないんです。若い指導員さんの涙が心に残っています。市の直接雇用だったらなあと思います。

英語
10時まで中3の子達と英語に燃えた。テキストは「中学3年間の英語を10時間で復習する本」である。10時間どころか、1時間で3年間を復習してしまったスプリンター達であった。

日記
僕がこの日記を書くのには理由がある。一番の理由は・・・息子へのメッセージである。空のことを毎日どれだけ見ていて、どれだけ愛していたか。僕がこの世にいなくなっても、この日記があれば・・・空が苦しくなった時に、自分を愛した父親がいたことを思いだして元気になるかもしれない。そう思って書いているのである。昔はそれが学級通信だった。そこには雪や亮への思いを書いてきたし、担任した子ども達への思いも書いてきた。だから、今は空の為の日記なのである。勿論、政治家としてのものの考え方も、父親としてのものの考え方も、教育に携わるものとしてのものの考え方もこの日記には書いてきた。背伸びをしないで、等身大の自分の言葉で書いてきた。それこそが、空へのメッセージなのだ。父さんは僕に3冊の本を残してくれた。その本を読むと、今でも父さんの声が聞こえてくる。僕は人生で苦しいことがあると、父さんの本を読んできた。そして、元気になったのだ。だから今度は僕の番だ。空が大きくなって自分の写真と一緒にこの日記を読んだら・・・きっと僕の声が聞こえてくるはずだ。そして「空ならできるよ」「空、がんばれ!」「お父さん、見ているよ!」と笑顔で言っている僕の顔が見えるはずだ。僕は本の代わりにこの日記を残していく。空を世界中で一番愛した男の、生きた証がこの日記なのだ。僕がいなくなっても、この日記は残るのだ。もう直ぐ僕は父さんが死んだ年になる。いつ死んでもおかしくない年になってきたのだ。もう直ぐ57歳、まだまだ死ぬわけにはいかないが・・・・。

今日の写真1
五中テニス部の山中湖合宿です。この中にはひとみも写っています。人生は分からないものですねえ。この時は圧倒的に僕が強かったのですが、今では全く逆転しています。母は強しというべきか、女は強しというべきか・・・とほほ。

今日の写真2
六中で髪の毛があった頃の最後の写真です。この後、「関東大会で勝つぞ!」「みんな坊主になれ!」「俺は頭を剃る!」となってツルツルになりました。髪の毛があるといっても、かなり額は広く見えますね。高邑家の遺伝子はハゲツルってことなんでしょうねえ・・・。
亮も空も気をつけてくださいねえ・・。

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12月12日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第342弾! 2010.12.12(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第342弾! 2010.12.12(日)  たかやん

稲城市
幸弘に言われて、稲城市議選の手伝いをした。一日中ポスティングに燃えたのだ。歩き疲れ、(何で俺が稲城にいるの!)と思ったところで目が覚めた。もう直ぐ統一地方選がある。4月にはきっとどこかの陣営にいるのだろう。前回は川越だったが・・・今回はどこにいるのだろうか・・・ふじみ野市か、それとも横浜市か・・・。

通告3
町内会問題
近年、町内会への参加率が低下してきています。町内会の組織率を高める為にも、町内会という組織は、その活動が公開され民主的に運営されなければいけません。また市も補助金を出している以上は各町内会の収支報告書等には目を通し、不適切なものがある場合は指導していく必要があります。収支報告や総会の開催などに対して、最低限のルールを提示すべきだと考えますが、いかがですか。
(資料要求 各町内会から提出された収支報告書。)
* 最近、新座市の町内会への参加率は低下してきています。近隣の市の中では高い参加率なのだそうですが、中には住民が一度にごっそりと抜けてしまった町内会もあるようです。町内会が地域のつながりに必要なものであるならば、その活動はきちんと公開され、運営は民主的にされなければいけません。今回、12月議会の通告前に市民のみなさんから寄せられた意見の中で、一番多かったのが、実はこの町内会問題でしたので、取り上げることにしました。

田中幸弘
夢に出てきた田中幸弘が20時に我が家に登場した。話の内容は勿論、選挙のことが多かった。今度の統一地方選、来年の市議選、市長選。そして、町内会問題も幸弘から提案があって・・・なるほどなあと感心したのだった。今度の統一地方選は勿論、来年の市議選もそして市長選も既に始まっているのだ。語る会も頑張れねば・・・・。

本音
11月の議会報告第62弾!で臨時議会のことを書いた。議員のボーナスカットに対する本音を書いた。「何も金額まで書かなくても・・・」と応援団員。「でも、いいんじゃない本音を書いた方が」と幸弘。僕もそう思うのだ。今の政治は本音を言わないからおかしなことになっている。選挙に当選するのが目的になっているから、本音が言えない。僕の目的は少しでも新座市をよくしていくこと。選挙に落ちるのは怖いけれど、本音で語れないようでは議員失格だと思っている。僕は新座市26人の議員の中で、もっとも報酬が少ない議員だ。一人会派には「あて職」なるものが回ってこないシステムがある。あて職とは「農業委員」「朝霞一部事務組合」「志木地区衛生組合」などで、毎月1万数千円〜3万数千円程度の別払いの報酬があるのである。それに加え、語る会は「政務調査費」を一番使っていない会派?なのだ。それも入れると、もっとも税金のかからない議員ということになる。自慢できることじゃないが、事実なのである。

民主党は嫌いだ!
12月号にも書いたが、民主党は嫌いだ。マニフェスト=嘘の公約というイメージを植えつけたからだ。あれだけマニフェストといいながら、肝心なことは何一つやろうとしない民主党。事業仕分けを本気でやるなら、思いやり予算や政党助成金も仕分けろよ!と、いいたくなる。吉田よしのりや神風さんが毎朝のように駅立ちしていても、風当たりは相当酷いはずだ。市議会では佐原さんや柴崎さんが「議会報告」を書いたり、「議会報告会」を開いたりしているが、国政があれじゃあ・・・たまったものじゃあないだろう。アメリカに物を言えない自民党より、中国やロシアにも物が言えず、アメリカや大企業のいいなりの民主党の方が恐ろしい。個人的には好きな人が沢山いるが、今の民主党が嫌いだということは宣言しておこう。そう民主党より自民党の方が嘘がないだけ、まだいい。新座市議会だって「俺は市長与党だ!」「須田市長を支えるんだ!」と堂々といっている自民党の方が筋が通っていて気持ちがいいのである。

今日の写真1
六中の最初の卒業式の写真です。1年2組自慢のダブル「ひろこ」です。二人とも元気なのかな?そうそう2組の太陽のようだった古都が岡山でお好み屋さんを始めました。NHKの「てっぱん」を地でやっているのです。古都の故郷は「尾道」ですからね。場所を知りたい人は僕に連絡してね!

今日の写真2
長女の運動会の写真です。長女雪の娘はもう五中の3年生ですから、この時の雪より大きくなってしまいました。可愛かったですねえ・・・。

今日の写真3
これも野寺小の写真です。長男の亮がまだ病気だということを知らないときの写真です。心臓が悪いのに「何でマラソンが遅いかねえ・・・」と無理なことをいっていた亮父がいました。心臓は悪くても、心は気づいていませんでしたから元気いっぱい。そして笑顔いっぱいの亮です。最近、この頃と同じ笑顔を見せてくれるようになりました。

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12月13日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第343弾! 2010.12.13(月)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第343弾! 2010.12.13(月)  たかやん

悪寒
寒くて、寒くて・・・どうしようかと思った。2時になっても、3時になっても寒くて眠れないのだ。こんなことはインフルエンザで倒れて以来で・・・それでも朝になると、「学校に行かなきゃ!」と少し気合が入ったのだった。

ブルル
こんな日に限って、風が冷たい。子ども達のテンションも低く・・・何とか元気を出させようと、いつもより大きな声を出した空父であった。

1年2組
「空父!おはよう!」「おはよう!空父!」1年2組の子達は本当に暖かい。体は寒いのだが、心がぽかぽかしてきた、朝の見守りだった。

順子
こういう時に仲間がいるといことはいいことで・・・「順子、後はお願い!」と僕は早めに家に向かった。兎に角、寒くてしょうがないのだ。


久しぶりに薬を飲んだ。スーツの下に暖かいシャツをしこたま着込んで・・・市役所へ。頭がボーッっとしていたせいか、折角作ってもらったお弁当を忘れてしまったのだった。

意見書
この議会に意見書を出すかどうかで、少し悩んだ。議場はそんなに寒くはなかったのだが・・・頭がボーッとして困った。流石に寝ることはなかったけれど・・・・。

トンカツ定食
地下の食堂で500円のトンカツ定食を食べた。清さんはカツカレー。体調が悪いのに、無理してトンカツを食べて、大失敗。なにやってんだか・・・。ああ、気持ち悪りー!

16時
一般質問が終わり、地下の駐車場へ行くと・・・ひとみが迎えに来てくれていた。「お疲れー!」「大丈夫だった?」の一言が嬉しい。「うん!」「塾頑張らないと!」と僕。人は言葉で生きているんだなあと思う。

たんぽぽ
掛け算の九九、二桁、三桁の足し算、三桁、二桁の引き算、漢字に燃えた。たんぽぽは全員が一年生なので、可愛いったりゃありゃしない・・・。寒いのだが、段々暖かくなってきたのだった。

すみれ
いつものように、4桁から5桁の足し算、5桁から4桁の引き算、2桁から9桁の掛け算、9桁から2桁の割り算でウォームアップ。それから漢字とパズル、英語に燃えた。

ばら
中3はいよいよ入試が近づいてきた。数学と英語、時々歴史に燃えたたかやんであった。

選挙は怖い
茨城県議選の結果は予想通りだった。つくづく選挙は怖いなあと思う。特に「風が吹いて当選」してしまった人は怖いと思う。語る会に風が吹くことはない。風も吹かないけれど、逆風もない。僕はいつものように地道にやるだけだ。

今日の写真1
この間の大雨で水浸しになった、六中のコートです。水はけが悪くなったのは、コートの前の道路をコンクリートにしてから・・・。きっと、その下の雨水管が埋もれてしまったのでしょう。可哀そうに、これじゃあ練習できませんよね。

今日の写真2
今から16年前の我が家の写真です。そんな馬鹿な!と、思うでしょうが・・・本当の話です。僕と亮は住む家が無く、パジェロの中で生活していました。丁度、今の季節です。僕と亮は100日以上、この家で過ごしました。16年前のお正月はこの家。あの阪神大震災の時もこの家。ホームレスの教師だったんですねえ、僕は・・・。お陰で、テニス部の朝練には遅れることはありませんでした。六中の中にこの家はあったのです。亮は六中から歩いて、野寺小まで通っていました。いやあ、この写真がなかったら・・・忘れてしまいそうな話です。今なら、ふざけるな!って怒られていたんでしょうねえ・・・。そういう意味でも六中は僕の実家?のようなものなのです。大分、敷居が高いですが・・・。

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12月14日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第344弾! 2010.12.14(火)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第344弾! 2010.12.14(火)  たかやん

熱が下がった!
朝起きたときは、まだあった熱が、八石へ行く頃になると37度まで下がっていた。体はずいぶん楽だ。その代わり、空が「だるい」、といい、熱を測ると平熱。そして、今度は母さんが「7度7分ある・・・」。僕の半世紀以上の人生の中で、母さんが熱を出したのは2,3回しかない。かなり心配になったが、それでも学校に向かったのだった。

半袖
その少年は、今日も半袖だった。どんなに寒くても半袖・短パンなのだ。僕も小学校の頃、冬でもランニングみたいな格好をしていたことはあったが・・・凄いなあって思う。彼をだけで空父の熱はもっと下がってしまったのだった。

ハッピー
東門にいると、僕の大好きなN先生が声を掛けてくれた。それだけで、今日はツイている!と思ったし、まあ熱は上がったかも知れないけれど、間違いなく元気になった空父であった。

元気
N先生の笑顔も見たし、熱が37度しかなかったので、自転車で市役所へ。「行ってらっしゃーい!」スーパー豊田のおばちゃん(失礼)がいつもの笑顔で手を振ってくれた。僕はますます元気にペダルをこいだのだった。

カサジ
気安くカサジなどと呼んでいるが、今日の一般質問も圧巻だった。教職員の多忙解消に向けての、市教委の取り組みの不十分さを思い切り突いたのだ。僕らも資料を読んだが、市教委は教職員の多忙をそんなに重く見ていないことが見えてきて、驚いた。僕や、カサジの時代はよかった。学校には今の先生より長くいたかもしれないが、殆どの場合、生徒が一緒にいたのだ。僕らには事務的な仕事は殆どなかった。パソコンなどに向おうにもパソコンが無かった時代だったのだ。報告書も始末書も学級通信も手書きの時代だったのである。本当に今の先生達が可哀そうでならない。

陽子
3年4組の陽子がなかなかいい質問をし、そしていい答弁を引き出していた。担任も負けるわけにはいかない・・・が、負けるんだろうなあ。僕の質問に、いい答弁など返ってきたためしがないものねえ・・・。ま、いっか。教え子の成長の方が担任としては嬉しい訳だし・・・。五中の1期生の学年には今の市議会議員の26分の3がいるのだ。担任が二人に生徒が一人。しかも3年4組では担任と生徒が一人ずつ。これって、結構凄いことだよねえ・・。

河合隆慶
塾から帰ってきて、メールを開けると河合先生のお嬢さんからメールが来ていた。先生が78歳で先月亡くなったというメールだった。10月の15日が先生の誕生日で、その時に久しぶりに顔を見に行こう・・・そう決めていたのに・・・その日に予定が入ってしまって・・・結局行けなかったのだ。僕は9月4日に先生の夢を見た。きっと先生が「たか、顔を見せろ!」って教えてくれたんだと思う。それなのに・・・僕は先生のお宅に電話しただけで、奥様と話をしただけで・・・ああ、本当に悔いが残る。
僕はメールを読みながら、ずっとパソコンの前で泣き続けた。いい年をして、とは思うが、自分の心の中では、先生はいつまでも先生だし、先生の前では僕は15歳なのである。

今日の写真
すみません。あまりにも悲しすぎるので、今日の写真はお休みさせてください。もう、本当にショックで・・・先生の声をもう一度聞きたかったです。もう一度、先生に褒めてもらいたかったです。

誓い
悪いことばかりしていた僕らを、先生は助けてくれました。僕らはその時、誓ったんです。二度と悪いことはしないって。それから、本当に出来なくなりました。全部、先生のお陰なんです。僕は先生から貰った愛を、自分の子ども達に伝えていきたいと思いました。河合隆慶から貰った愛の100分の1でも子ども達に返せたとしたら、僕は幸せです。それ程、先生の愛は深かったし、大きかったのです。先生・・・きっとこれからも僕のことを見ていてくれますよね。僕は先生のような立派な先生にはなれなかったけれど、先生の教えは子ども達に伝えてきた積りです。先生、お嬢さんが・・・桂子ちゃんが僕にメールをくれたんですよ。インターネットで調べてくれたんです。今度、野方の家にお邪魔しますね。先生!また夢の中に出てきてください。そして、ずっと僕のことを見守ってください。そっちへ行ったら、色々語りましょう。政治や歴史や地理は勿論、教育と愛を語りましょう。


12月15日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第345弾! 2010.12.15(水)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第345弾! 2010.12.15(水)  たかやん

プリンと薬
友達のアドヴァイスで昨夜、プリンと薬を一緒に飲んだら・・・朝には熱がすっかり下がっていた。もう、大丈夫だあ!と、自転車に乗った空父であった。

頭悪―い!
自転車で小学生の子ども達を追い越していく時、必ず「おはよう!」と大声で声を掛けていく。昔は反応があっても無くても気にしなかったのだが・・・最近はこっちから挨拶して何の反応もないと・・・「おはよう!と言ってんだろうが・・・何て言うんだ?」「教えてもらってないのか?」「頭悪いぞ!」とうるさい近所のおっさんになっている。すると、向こうも負けてなくて・・・「頭悪くないもん!そっちこそ、頭ハゲツルの癖に・・・」と食いついてくる。「あ〜あ、人の弱点をそんなに攻撃して面白いんだあ・・頭悪−い!」といじめることにしている。「おはよう!って言われたら、なんていうんだ?」「おはよう!」「それでよろしい!」空父はちょっと嫌われ役になりながら、今朝も集団登校の見守りをしたのだった。子ども達は可愛い。可愛いから鍛えなくてはいけないのだ。

肖像権
議場に座っていると、教育長がツカツカと寄ってきた。今までのパターンではこういうときは怒られる時だ。果たしてそれは、僕の日記の写真のことだったのだ。高校の5年先輩で五中でも六中でも同僚だった松枝先生の写真を掲載したことで教育長は怒っていた。「無断で写真を載せるなんて、肖像権の侵害ですよ。」「すみません。直ぐに直します。」と僕は頭を下げて、謝った。休憩の時に、松江先生に電話をした。「ごめんねえ・・・。無断で載せちゃって・・・」「そうよ、私の知らない写真よあれ・・・」「でしょう?俺も出てきてビックリして、思わず載せちゃったんだ・・・本当にごめん。」「それに、蛙って書いてあったけど、あれ蛇だったじゃないのよ!」「えーっ!蛇もやりましたっけ?」「そうよ!私が蛇嫌いなの知っていて・・・・」「本当にすみません」僕は電話口に平謝りに謝ったなのであった。これから気をつけます。前もって了解とってからにしますね。金子先生、松江先生。ごめんなさい。何だか、今日は校長に呼び出された時を思い出して、ちょっぴり幸せな気分になったのだった。

14時08分(ギルティー)
市長が答弁している。議場は暖かく、一番眠い時間だ。僕は風邪薬を飲んでいたので心配だったのだが・・・資料を読み込んでいたり、計算したりでそれどころではなかった。そして、勿論市長の答弁にも耳を傾けていた。(だって、時々重要なことを議場で生で言うから・・・ああ、それなのに、それなのに・・・休憩の時に刷新の会の佐原さんから「寝てちゃだめでしょ?」と笑顔で言われ、耳を疑った。1列目は確かに目を閉じている人がいたけれど、僕は0.1秒も目を閉じていないのだ。あの発言はどういう意味なんだろう・・・。刷新の会にもずっと目を瞑っていた人はいたのに・・・。語る会は無実である。大体、仕事をしている時は、僕の席から佐原さんの席は見えない。背中を起こして、体をクルっと回転しないと見えないのである。どういう意味なのか明日聞いてみよっと・・・。僕が一睡もしていないことは、僕の目の前の執行部の人が証言してくれるだろう。「俺は殺ってない!」「無実じゃあ!」という死刑囚の気持ちが少し分かる気がした。

先生
河合先生のお宅に電話をした。懐かしい奥様の声が受話器の向こうから聞こえてきた。途端に、涙があふれてきた。それが止まらないのだ。嗚咽になってしまって、何を言っているのから自分でも分からない。先生の存在は、僕にとって全ての始まりくらい大きかったのである。本当に情けない・・・56歳のおっさんが、電話をしながらオイオイと泣いたのだから・・・

38度2分
やばい・・・21時半の時点で、熱が38度を超えた。マスクをしていて、咳もでないから、子ども達にうつることはないと思うが・・・何なんだこれは・・・母さんは「大丈夫、37度まで下がったわよ。新聞も読めるし、テレビも見れる。」と元気になって、今は風呂に入っている。大正女は強いのである。それに引き換え、昭和20年代男の軟弱なこと・・・とほほ。

今日の写真1
休み時間は頭が寝ないように、目覚ましを兼ねて、体を動かすことにしています。控え室でバックハンドの素振りをする私です。「何しに議会へ行ってるんだ!」と怒られそうですが、肖像権は僕自身にあるので大丈夫。安心して掲載できます。これを掲載することで票は減るかも知れませんが、テニス仲間は喜んでくれると思います。特に、北大と東北大の先輩方は・・・(お、練習しちょるな!)って。ボールは打てなくてもテニスは上手になれますから・・ね。仕事には息抜きも大事ですよねえ・・・。甘いかな・・・。

今日の写真2
これは今日の議場です。これが今日の僕の机なんですねえ。決算資料を持ち出し、委員会の議事録を読み込んで・・・明日の一般質問の準備までしていました。どうです?状況証拠でも無罪っぽいでしょう?っていうか、僕が今まで議場でうとうとしたのは一度だけ、花粉症の薬をたんまり飲んだ、2年半前の3月議会の時だけです。その時は「数秒」いったかも知れません。それは事実です。大体、みんなが寝ているのをチェックしている僕が寝るはずがありません。議員も執行部も傍聴人もちゃんと記録をとっていますから。勿論、いつもやっている訳ではありません。ふと、議場を見た時間に不規則にチェックしています。ここには書かないだけです。データは全部あります。そう、議場でも嫌われ者の空父なのです。(嫌だねえ・・一人会派は・・・おー嫌だ。人の嫌なところを記録してどうするの。)昔、苛められた経験がそうさせているのかも知れませんね。とほほ・・・。

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12月16日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第346弾! 2010.12.16(木)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第346弾! 2010.12.16(木)  たかやん

まずい・・・
朝になっても熱は下がらなかった。それでも東門には行かなくては・・・と自転車に乗った。空の班に追いつき、もう一つの班にも追いつき、ハイタッチして東門に回った、空父であった。

東門
ぎりぎりで間に合い、ホッとする。遠くに見える交通指導員さんが、手を振って挨拶をしてくれる。僕も黄色い旗でこたえる。(黄色い旗は振るな!)と、怒られそうだが・・・ま、いっか。今朝も半袖少年が元気よく登校し、嬉しくなる。お腹と背中にホカロンを入れたので、大分楽だった。1年2組の子達に「オハロー!」「バイバーイ!」と、挨拶をしてダッシュで我が家へ・・・。

眩暈
学校で気を張っていたせいか、家に帰ると眩暈がして、倒れるかと思った。熱を測ると38度5分。(ちゃんと質問できるのかね・・)と、やや心配になる。が、悩んでもしょうがないので市役所へ。ひとみが車で送ってくれた。

傍聴
トップバッターの白井さんの傍聴人数が半端ではなかった。ざっと26人以上いたと思う。まるで並木平八さんの応援団のようだった。旧新座小の問題だというが、白井さんの熱い質問に惹かれている人が沢山いるということだろう。

眩暈2
議場では平気な顔をしていたが、実は眩暈がしていた。戦う前にばれては困るので、何食わぬ顔をしていたが・・・実はかなり参っていたのだ。熱のせいで水分が欲しくなり・・・控え室で飲みに飲んだ。控え室で体温を測ると38度8分。(げーっ!知らなかったことにしよっと)体温のことはもう忘れることにした。

3時半
そんな状態だったので、3時半には終わらせたかった。スターとが2時過ぎだったので、それくらいしか体力が持たないと思ったのだ。壇上での最初の質問の時から、ボーッとしていて・・・傍聴席にはバレたかなあ・・と、心配しながら話していた。もう気合だけだったのである。

4時5分
ところが終わってみれば16時05分。熱く?語っているうちに、風邪で熱いんだか、話していてカッカしているのだか、分からなくなってしまった。時間配分などは滅茶苦茶で最後の町内会問題などは、殆ど再質問ができなかったくらいである。

一般質問の内容
では、少しずつ質問の内容と答弁を紹介していこうと思う。最初の質問は集団登校だ。
これに関しては事前に他市や区の教育委員会の見解を確認してあった。少し長いですが読んでください。
1.清瀬市
集団登校は指導していないし、意味が無いものと思っています。交通事故などではかえって被害が拡大することもあります。ただし、小学校1年生では入学後の数週間限り、行っている小学校が数校ありますが、大部分の小学校は1年生が入学した数週間、教師や地域の方々、警察官、保護者が登下校時、路上に立って見守るということを行っています。あくまで、児童が自分で身を守れることに主眼をおいています。

2.東京都練馬区
教育委員会では集団登校の指導を行っていません。児童や保護者の危機回避意識を育てることが大切であります。ただし小学校1年生に限っては、数校、入学後の相当期間だけ集団登校を行っています。集団だと安全では無く、かえって危険なことが多いと思いますよ。

3.東久留米市
集団登校は実施していません。 埼玉では行っているようですが、当市では、デメリットが多いため、実施をしていません。

4.西東京市
児童のつながりを保つ目的で、埼玉県では集団登校を行っているようですが、そういったことは、他でも行えるものです。当市では、特にメリットを感じておらず、集団登校は指導していませんし、行っている学校も把握しておりません。必要性もありません。

5.国分寺市
集団登校はデメリットが多く、事故の被害が大きくなる。 児童自身で危険から身を守る力の養成が大切。当市では、1年生の新入生の時に1学期だけ保護者の付き添いをした上、集団登校をしている学校があるようです。

6.埼玉県教育局集団登校指導は行っていません。 各市町村教育委員会か各学校、PTAが自主的に行っているのでしょう。

これが近隣市と県の回答です。集団登校は安全面で問題がある。そう各教委は判断しているのです。一方新座市教委はどうか・・・気になりますよね?答弁はこうでした。
1. 集団登校は安全面から保護者の要望が強い。
2. 市教委としては各学校に任せているので、たかむら議員は一保護者なので、直接学校に言っていただきたい。
3. 市教委としては各学校長が判断していることなので、集団登校について、これからも校長に指導することはない。
熱があったので、100%ではないでしょうが、概ねこういう答弁でした。
そして、市教委から提出された資料はこういうものでした。市民のみなさんはどう思いますか。

メリット
1. 保護者の願いや要望がある。(特に低学年の児童の保護者にとっては、上級生がいることで安心である。)
2. 異年齢集団であり、そこから上級生としての自覚が芽生え、リーダーの育成につながる。
3. 災害時の集団下校などと想定すると、日常の人間関係や地域とのつながりが必要であり、毎日の集団登校はそれらのつながりを醸成している。
4. 自動車の運転者からは、集団での同色の通学帽子をかぶった児童の集団は目に留まりやすい。
5. 不審者対応としての事故防止の観点から集団の方がより安全である。(登校時、一人でいるときに被害に遭っている事例がある。)

デメリット
1. 万が一、自動車等との衝突事故が生じた際には、被害が大勢に及ぶ可能性がある。
2. 個々の家庭において、登校時間を合わせるなどの必要がある。
僕は、この資料の1〜5の全てに反論することができますが、みなさんはどうでしょうか。

* 僕は入学式の次の日から120日以上、集団登校の子ども達と一緒に登校してきました。そして安全面で問題があるという結論に達したのです。班長と呼ばれる6年生に任せて本当に安全だとはどうしても思えません。(息子の班のことを言っているのではありません。)小学校6年生に1年生や2年生を守る・・・そういう意識を持たせることに無理がある。そう思うのです。親が安心したいのは分かります。でも、道路を渡るときに班長が走って渡れば、下級生は何も見ないで走ってついていく・・・それが集団登校の現実なのです。班長が左側を歩けば、下級生も左側を歩く。班長が交通指導員さんに挨拶をしなければ、下級生も挨拶をしなくなっていく・・・これが集団登校の実態です。僕は学校の先生よりも集団登校を経験しています。毎日楽しく通っている僕がそう感じているのです。学校や親の理想とはかけ離れた現状があるのです。安全面を考えるのなら・・・集団登校はやめたほうがいい。練馬区・東久留米市・清瀬市・西東京市・国分寺市の教育委員会と同じ考え方なのです。120以上一緒に登校している僕が、「確かに危ない」と感じているのですから、これほど確かなことはありません。明日も僕は子ども達と一緒に登校します。交通指導員さんも地元の方も毎朝立ってくださっています。その方達も多分、僕に近いことを感じていらっしゃると思います。集団登校はわが子を守るにはふさわしくないシステムだ。僕はそう思っています。たかやん日記の読者のみなさんのご意見をお寄せください。

今日の写真1
誰だかわかりますか?そう昔からテニスをしている人なら分かるかも・・・ウィンブルドンで優勝した、あのアーサー・アッシュです。この時僕は彼に聞いたんです。(勿論英語で、ですよ)「アッシュさん、僕の学校はコートが1面で部員が80人います。あなたなら、どういう練習をしますか?」そうしたら彼はこう答えました。「いくらなんでもそれはクレイジーだろう。僕にはそんな練習は考え付くこともできないよ。アメリカではコート1面で生徒は3人というのが当たり前なんだ。」僕はそれを聞いて、安心しました。(じゃあ、1面で80人を育てることに関しては僕がアッシュより上になれるかも知れない・・・)そう思ったのです。それから練習を工夫して、工夫して、工夫して・・・ここに一緒にいた5中の子達は全国で2位。その練習にさらに改良を加えて・・・六中が全国制覇をしたのです。ある意味ではこのアーサー・アッシュの一言のお陰なのです。因みに、アッシュの隣にいるのは親友のイトチンです。

今日の写真2
左から大、亮、雪、秀行、後ろが僕です。僕の可愛い血のつながった子と教え子達なので無断ですが、「肖像権」とやらは大丈夫でしょう。五中の3年1組の二人が大学に合格したことを報告に来た日の写真だと思います。大は東大に秀行は京大に合格しました。二人とも塾ヘは行かず、2年間担任の僕と「朝勉」をしただけ・・・。それでも川越から東大・京大に進学したのですから、当時の五中のレベルの高さが分かります。今、大は電通で秀行は大阪大学で活躍しています。

今日の写真3
今日の一般質問直前の「8番、高邑朋矢」の机です。一般質問にはこういうノートを用意します。原稿は書きません。通告書は読みますが、それ以外は原稿はゼロです。自分の頭で考えたことを、自分の言葉で話すようにしています。教師時代の癖で、議場を見渡して話しますから・・・(おいおい、寝てるんじゃないよ!)(たまには人の目を見て話を聞いたらどうなんだ?)(お、笑った)(お、よく聞いてるね)とか、人を観察しながら話します。今日もど真ん中で寝ていた兵がいたので、途中で名前を意識的にあげると目を開けました。どうやら熟睡してはいなかったようです。因みに一列目の政和会の方ではありません。
ここまで書いて、時計は0時30分を回りました。熱は相変わらず38度以上あります。市役所から帰ってきて、塾も気合でやりました。明日には気合で治します。朝の見守りも行きます。土曜日に東北大の先輩達とテニスをする約束があるのです。熱などに負けてられるか!  おおサブっ!      たかやん

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12月17日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第347弾! 2010.12.17(金)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第347弾! 2010.12.17(金)  たかやん

気合
今朝になっても熱は下がらず・・朝食抜きで東門へ。体が熱いんだか、寒いんだか分からない不思議な感じだっのだが、小学生達が笑わせてくれたのでかなり元気になれた空父であった。

五中生
毎朝会五中の1年生の女の子。僕の顔を見た瞬間、「(おはようございます。)寒いですねえ。」と笑顔で話しかけてくれた。それがまた凄く自然で、「(おはよう!)うん、本当に寒くなったよねえ」と僕も笑顔でこたえたのだが・・・・これこそが「毎日の法則」なのだと思う。いっつも笑顔で挨拶てくれる五中の2年生の女の子もいるし、僕が「いってらっしゃい!」というと、笑顔で手を振ってくれる1年生の男の子もいる。僕は教員人生の半分を五中で過ごした。それも、若い頃の10年である。五中のイメージはいいものしかないのだ。楽しい思い出しかないのだ。できたてのホヤホヤの五中の頃と、今の五中と・・子ども達の本質は何も変わってはいないように思うのだ。今朝は五中生のお陰でちょっぴり幸せになれた空父であった。

読み聞かせ
東門の見守りの後は読み聞かせ。「空父!おはよう!」「読み聞かせ?」「やったあー!」1年2組はみんなお話が大好きである。25分にはもうみんな席について、お話が始まるのを待っている。その目の輝きをずっと持ち続けて欲しいと願う、空父であった。

忘年会
11時からはテニス仲間との忘年会。教え子の家でのノンアルコール忘年会になった。そこで、テニスやバレーボールの話に笑い転げる。僕は炬燵で横になり・・少し眠る。久しぶりにそんな時間を持てたのだった。

2時
ドキドキしながら我が家のポストを開けた。沢山の郵便物の中から1通の封書を見つけた。その封書は「埼玉県人事委員会事務局」からのものだった。そう採用試験の2次試験の結果が入っていたのだ。封筒の中身は薄い。薄い封筒には苦い思い出がある。それは新座市の採用試験の「不合格通知」。そう亮は新座市の採用試験には落ちているのだ。余り勉強していなかったのだから、無理もなかったのだが・・・それでも落ちるということはやはりショックだった訳で・・・・。今回の封筒も薄かったので、その時の記憶が蘇ってきたのだ。しかし・・その紙には「合格通知書」が入っていた。亮は合格したのだ!来年から社会人になれるのだ。試験の直前だけだったけど、久しぶりに本気で勉強した亮を見ていてくれた人がいたのだと思う。亮のことを本気で心配してくださっていた方達。本当に応援ありがとうございました。

埼玉県警
4月からの亮の勤め先は埼玉県警に決まった。息子が県警にお世話になるとすると、父としては今まで以上に安全運転をしなくてはと思う。例えば、横断歩道を渡ろうとしている人がいたら、必ず止まる・・・そういう運転を心がけるということだ。警視庁には沢山の友達がいるが、埼玉県警には数名しかいない。これから亮が連れてくるであろう県警の友達と会うのが今から楽しみである。

それでも塾
暮れの学習塾には休みというものがない。中学校3年生にとっては、今が一番大事な時なのだ。だから、少しくらいの熱があったって、悪い病気にでも感染していないかぎり、僕にも休みはないのである。休会だからと、羽を休める間もなく・・・・中3のスプリンター達と3時間、燃えに燃えたのであった。

一般質問のつづき
さて、今回の12月議会の一般質問では新座市の先生方がかなり多忙であることが再認識された。その多忙度は限度を超えるものであるのだが、どうやらこの1年間、市教委が有効な手を打ってこなかったことも、笠原さんの要求資料から明らかになった。今の先生が可哀そうでならないのは、子ども達と一緒にすごす時間が余りにも少ないことだ。兎に角、事務処理が多いらしい。研究授業の指導案の作成などは僕らの時代もあったが、自己評価カードなどはなかったし・・・大体、事務処理で部活ができないなどということはまずなかった。僕などは休み時間は勿論、昼休みも放課後も子ども達と遊んでいたのだ・・・勿論、授業は気合を入れていたし、空き時間も他の授業に乱入したり、一緒に参加したりしていたから・・・多忙度は今の先生達のよりもきつかったかも知れない。それでも僕は幸せだったから、気持ちの上で限界がくることはなかった。僕の気持ちが限界を超えたのは、子ども達とのそういう時間を奪われた、最後の学校(新座二中・・今のではありませんよ。当時のです。)だけである。自分のクラスの子ども達と朝、自分のクラスで一緒に勉強しただけで、管理職に呼びつけられるのだから・・・信じられない学校だった。最初の職員会議で管理職に質問をしただけで・・・まあ、大変な報復が待っていた訳だ。その時の負のエネルギーが今の僕をつき動かしてくれているのかも知れないのだが・・・。

物にも心がある
先生達は物ではないのだ。仮にあなたが管理職になったとしても、それは人間的に優れていたからでも、教育に情熱的であったからでも、偏差値が高かったからでもない。管理職試験が簡単だったか、競争相手がいなかったか、強いコネがあったか・・・そんなに大した理由ではないかも知れないのだ。管理職が優秀であるかどうかは、管理職になってから決まるのである。先生達をやる気にさせ、元気にさせる。それが管理職の第一の使命だ。(大学に受かり、勉強せずに遊ぶ大学生と管理職試験に受かり、それだけで優越感を感じてしまうあなた達はよく似ている。)そんな当たり前のことが分からない管理職が多い地域は必然的に子ども達の学力は落ちていく。そう、管理職に偏差値はいらない。馬鹿(失礼)だっていいのだ。先生達をやる気にさせ、子ども達がやる気になれば、後はそれ程大したことではない。子ども達の安全も、地域との連帯も・・・先生達がやる気になれば自然に出来上がってくるのだ。そう管理職が人間的に優れていれば、先生達はやる気になるのである。それを勘違いしている管理職が多すぎる。どうしても威張りたければ家の中で威張ればいい。それを職場でしてはいけないのだ。先生達は人間だ。しかも、たいていの場合、管理職よりも優秀な人が多いのだ。そういう人たちを相手にするのだから、管理職は懸命に勉強して人間性を磨かなくてはいけない。管理職になってからが本当の勉強なのである。校長になって、授業もやらず、学校の事務もせず、難しい仕事は教頭や教務に任せ、夜は自分にゴマをする人間か、自分がゴマをする人間と飲み歩く・・・そんな校長では学校のレベルが急降下するのは当たり前。先生達から学ぼうとせず、下の人間や物にしか見えない管理職では学校力はどんどん低下していく。“学校長よ!自分を磨け!自分を磨いて、先生達をやる気にさせよ!”と、僕はいいたい。五中や六中で僕を育てた優秀な管理職を見て、当時の仲間で管理職になった先輩同僚を見て、僕はそう思うのである。先生の生きがいは、子ども達と一緒にいることである。その時間を作りだせないようでは、管理職としての能力は無いに等しい。一般の会社のように社長が会社を経営して、社員に給料を払っている訳ではないのだ。学校という会社はどんなに傾いても、給料が出るから、社員(先生)達は社長(校長)についていっているだけなのだ。決してあなたに魅力を感じているのではない。頭のいい人なら、ここに書いてあることが理解できると思う。学校をよくするには校長の力が必要なのだ。先生達を元気にする、それが校長先生!あなたの仕事です。校長である時間は短い。どうせやるなら、いつまでも先生や子ども達の記憶に残る校長になってください。教育委員会のご機嫌ばかり伺わず、自分の教育観で自信を持って仕事をして下さい。そうすれば、先生たちもやる気になり、学校は今よりずっと明るくなるでしょう。先生達が息抜きできるように、自分の経験で処理できることは自分でやるか、やりかたを教えてあげてください。その分、先生達が子ども達と接することができるんですから・・・・。そして、休みの先生がいたら、真っ先に手をあげて、その教室の子ども達の前に立って、どうか素敵な授業をしてください。校長先生、あなたは校長である前に、先生なのです。その力を使わずに、引退するのでは教員免許が泣きます。どうか、毎日人間を磨いてください。こんな若造(でもないか・・)に好き勝手なことを言われないように、勉強してください。応援しています!

今日の写真1
卒業おめでとう 3Gの諸兄姉よ で始まる、河合隆慶先生の15歳の僕らへのメッセージです。僕らは卒業式の前夜に書かれたであろう、このメッセージを読み涙を流しました。河合先生はこの時、37歳。今の僕より20歳も年下ということになります。この文からも、当時の東京学芸大のレベルの高さが分かります。勿論、僕も卒業式の前夜には教室を綺麗に片付けて、子ども達との思い出に涙を流しながら・・・最後の学級通信を黒板に書いていました。そう、全てこの先生の真似なのです。僕を「たかやん」と呼んでもらっているのは当時の西戸山の「ひょうちん」教頭先生の真似ですし、基本的なことは全て僕と出会った素敵な先生達の真似ばかりです。本物の先生は、死んでも子ども達の心の中で生き続けられます。河合先生の魂は僕の教え子にも受け継がれていることを願っています。

今日の写真2
初代六中テニス部のメンバーです。彼らはテニスの試合で林間にも修学旅行にも参加できなかったのです。そこで、旅行に行けなかったメンバーで北海道旅行をしました。9泊11日くらいの豪華な旅行で・・・かかった費用は修学旅行より安かったくらいの記憶があります。函館でお世話になった大家さんの家、札幌では北大テニス部の後輩の家、北見では先輩の家、帰りの札幌では居候していたおばさんの家、そして富山の我が家。中学生対北大の後輩との対抗戦もやりました。流石に勝てませんでしたが、惜しいところで負けた記憶が・・・そんなこともできた時代だったんですねえ。

今日の写真3
朝の気温が下がると、八石小の東門前のカーアブミラーがこんな風に曇ります。車から見えなくなるので、こういう時は道路の真ん中に出て、車も誘導します。運転手さんが嬉しそうに手を上げてくれます。黄色い旗を持っていると目立つので、車も徐行してくれるようになってきました。明日は東北大の先輩達との練習です。一晩で熱を下げてみせます。
おやすみなさい。 たかやん

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12月18日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第348弾! 2010.12.18(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第348弾! 2010.12.18(土)  たかやん

痙攣
夜中に左足が攣った。久しぶりに攣った。痛かった・・・・。東北大との練習は大丈夫なのかなあ・・・・と、思った。

朝練
空の朝練に付き合った。選手コースの練習は厳しい・・・。空は懸命に頑張っていた。それだけで嬉しい空父であった。

昭和の森
午後からは東北大の先輩達との練習。最初の試合は小山先輩と組んで、相手は石川・熊野。スコアーは6−3だったが、楽勝だった。2試合目はインターハイベスト4の戸田と組んで、相手は滝口・辻村。ところが、戸田が酷いテニスでマッチポイントまでいってしまった。そこから、根性で挽回。何とか勝ったのだった。そして、最後の試合は辻村君と組んで西谷と悦三郎のペアとの対戦。その3ゲーム目で足が攣り、どうしようもなくなった。この1週間、ずっと熱があったので筋肉を使わなかったのが原因だと思う。3−5から5−5まで粘ったが、最後はやられて・・・久しぶりにOB線で負けたのだった。

今日の写真1
左が1年上の渡辺辰さん。右が僕のパートナーの西谷昭。大学時代のライバルとまさかダブルスを組むとは思っていませんでした。来年は二人で全日本優勝を目指します!

今日の写真2
左が僕の宿敵、悦三郎。悦三郎とか呼び捨てにしていますが、僕が1年生の時の4年生です。1年の東北大戦で戦って、コテンパにやられました。その借りを今、返しているところです。そして右が大田さん。僕は暫く北大の先輩かと思っていました。本当にいい先輩です。

今日の写真3
おっさんの写真ばかりでは詰まらないので、こんな写真を載せてみました。僕の教え子なんですが、彼女は全日本のチャンピョンなんです。我が家に居候していた時期もありました。今はイギリスに住んでいます。「おいでよー!」と、言われていますが、なかなかチャンスがありません。

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12月19日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第349弾! 2010.12.19(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第349弾! 2010.12.19(日)  たかやん

361日
今日の日記は349弾!自然に数えると今月末で361弾になる予定である。普通の1年は365日あるのだが、僕の日記は毎日書いているのに361弾で終わり・・・きっとどこかの4日で、2回同じ弾数の日記を書いていることになる。まいっか・・・。大した問題じゃあない。誰かが泣いたりすることでもないし、書いている本人が気にしていないのだから・・・。来年こそは365弾で終わりたいと思うが・・・。

液晶
アイフォン4の液晶の様子がおかしい・・・時々画面が見えなくなるのである。東久留米のソフトバンクに持っていくと、データ量が重いですねえ・・と、軽く言われてしまった。そんなに重いもの・・・無いと思うんだけどなあ・・・。ようわからん。

青葉もゆる
我が北大には「都ぞ弥生」という有名な寮歌があるが、東北大には“青葉もゆる”という名歌がある。僕はこの歌が好きで・・・3番まで覚えてしまったほどだ。昨夜の東北大との練習会(夜の部)では“青葉もゆる”を東北大の先輩達と肩を組んで歌わせてもらった。すると、最高齢の藤井先輩が「都ぞ弥生も行くぞー!」と言われ・・・僕一人の為に「都ぞ弥生」も歌ったのだ。東北大の先輩達が“都ぞ弥生”をすらすらと歌うことに感動したのだった。きっと、僕が“青葉もゆる”を好きになってしまったように、東北大の先輩たちも、きっと“都ぞ弥生”を好きになってくれたのだと思った。

味噌の蔵出し
今日は味噌の蔵出し。本当ならとっくに終わっているはずだったのだが、一早が忙しく、なかなか日程が合わなかったのだ。明日は12月議会の最終日。色々と討論があるだろうから・・・のみ過ぎないようにと、22時には解散したのだった。

応援団長
一早はたかやんの応援団の応援団長である。その団長からなかなか厳しいことを言われた。それは「新座駅も志木駅も立ちなさい!」という命令だった。「営業マンから言わせて貰うと、行きずらい所ほど行かなくてはいけないんだよ。気持ちのいい場所だけじゃあ、意味がないんだよ。」とのことだった。昔は僕が圧倒的に有利で一早などは「鼻くそ」だったわけだけれど、今はその立場が逆転している。僕は応援団長の前では一兵卒という感じで・・・「わかった!新座駅も志木駅も立つよ!」と、答えてしまったのだった。という訳で、27日の月曜日から「ひばりが丘」「東久留米」「新座」「志木」の順番で駅立ちをします。駅立ち仲間のみなさん、よろしくお願いします。

今日の写真1
前列左から小山さん、阿部さん、藤井さん。2列目・・西谷、悦三郎さん、滝口さん、熊野さん。後列、戸田くん、たかやん、大田さん、渡辺辰さん、辻村君です。僕以外は全員東北大という不思議な会でした。「今度は北大から何人か連れて来いよ!」と言われています。

今日の写真2
空が八石小から鮭の稚魚を貰ってきました。イクラをお腹に付けて、泳いでいるのが鮭の稚魚です。それがまた可愛いのです。

今日の写真3
瓶の中で泳いでいた鮭の稚魚を新しい水槽に移しました。水産学部出身で、遥か北方領土で鮭を何万と捕獲してきた空父としては、この稚魚たちを死なせるわけにはいきません。理科の教師としての意地と誇りをかけても生かせないと・・・という訳で、高邑家として初めて水槽を買ったのでした。

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12月20日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第350弾! 2010.12.20(月)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第350弾! 2010.12.20(月)  たかやん

朝霞
久しぶりに朝霞の甲神嵒の家に遊びに行った。嵒は丁度留守で、僕はいつものように勝手に二階に上がり、嵒の書斎から本を引き出しては寝っころがって読んでいた。いつの間にか夕飯になり、奥さんがお酒を持ってきてくれた。そこに登場したのが川島勝治と木下保則、3人で飲んでいると嵒も帰ってきて、4人でわいわいガヤガヤやりはじめた。そこに教育実習の女子大生が数人加わって・・・僕は記憶を失った。目が覚めると、僕はまだ甲神家で・・・(また、泊まってしまったか・・・)と頭を掻きながら下の部屋へ。そこには朝ごはんが用意されていて・・・僕は道路の向かい側の5中へ。五中の体育館には立派なエアコンが設置されていて、体育の増田先生が「どうです、いいでしょう!」と髭を触りながら僕に自慢してきたのだった。僕はこの増田先生が二中時代から大好きで・・・今朝はそんな夢を見ていたのだった。

発熱再び
風邪は悪化の一途をたどり・・・朝は声がでなくなっていた。しかも、熱が出てきて・・子ども達に風邪をうつしたら大変ということで、今朝の見守りは取りやめることに。東門は純一に1年生の見守りは順子にお願いしたのだった。

議運
9時からの議運にも、ぎりぎりの58分に到着。ボーっとしているので、何が何だからよく分からないうちに終わってしまった。本会議は9時40分から・・・議案の最初が第55号の「第4次基本構想総合振興計画」その反対討論で、僕の一日がスタートした。

議案86号はアメリカ合衆国軍隊の構成員等の所有する軽自動車に対する自動車税の賦課徴収の特例に関する条例。要するに、アメリカの軍隊の関係者は税金を半分にするよー、みたいな条例で、これには勿論反対。それにしても、なぜ合衆国なのだろう。正しくは合州国なのに・・・。

議案87号、88号と続けて賛成し、89号の新座市部設置条例の一部を改正する条例では一人で反対(討論つき)。続く、90号でも反対討論をしたのだった。

議案91号、94号、97号と賛成し、98号の北口の土地区画整理事業には一人反対。
99号、100号、101号、には賛成したのだった。

陳情10号の志木駅南口の商業振興に関する陳情は採択したかったのだが、全会派一致がよかろうという意見に負けて、趣旨採択に渋渋賛成したのだった。

陳情11号の東久留米・志木線の早期全面開通を求める陳情には、採択ではなく、趣旨採択を選んだ。そりゃあそうだ。住民が望んでいなかった都市計画道路を無理矢理作り始めて、最後まで抵抗している地権者がいると、数の力で押し切ろうとする。確かに不便だし、危険なのだが、そのやり方には無理があるだろう。だから、僕はこの道路に最初から反対しているのだ。東久留米・志木線の1440mに53億の価値があるとは思えないのである。

意見書
今回の意見書は3つ。TPP交渉の参加に反対する意見書については、「民主党はマニフェストのマの字もやらないくせに、頼んでもいないことをやろうとする。日本の政党ではなくて、アメリカの民主党なのじゃあないか。本当にろくなことをやらない。」とまあ、これに近いことを言い、民主党をこきおろした気がする。“巧遅は拙速に如かず”というが、このTPPに関しては巧遅もあり得ない。一度破壊された農業はなかなか復活はできなくなるのだ。レア・アースであれだけグラついた国なのだ。オイルショックなんていうものじゃないぞ、食料ショックは・・・あの太平洋戦争の戦死者だって、かなりの数が餓死者だったのだ。

国民健康保険
国保を広域化していこうという動きがある。要するに市の一般会計の繰入金をなくしていこうという計画で、国が国庫負担を増額しない限り、保険料が上がっていくのは間違いない。この広域化に反対という意見書に黙って反対したのが、政和会(自民)、刷新の会(民主・無所属)、公明党の市長与党。自分達の保険なのに、賛成も反対も言えないのは何故だ。市民の代表の僕らが、国保の保険料を払っている代表として、「これ以上は無理だ」と言うのが筋じゃあないのか。「もっと負担しても大丈夫だ」というのなら、それはそれでいい。何も言わずに反対というところが気に入らない。高額の国保で悩んでいる市民のみなさん!同じ国保を払っているのに、痛みが分かる議員は市長与党(政和・刷新・公明)にはゼロですよー!そう叫びたくなってくる。

疲れた・・
声が出ないということは大変なことで・・・今日は思ったことの半分も喋れなかった。本当に情けない。熱が高かった一般質問の時の方がまだましである。あの時は声はでていたから・・・。今日で12月議会が終わった。本当に疲れた・・・。明日、明後日で12月30日号を書いて、27日から駅立ちをして・・・お正月もポスティングと塾に燃えるぞ!

ありがとう!
「高邑議員、ウォッシュレットいいわー、らくちん、らくちん」とHさんに言われて嬉しかった。市役所のウォッシュレットは全て1,2階に配置するとうい案だったのを、“どの階にも平等に設置しましょうよ”と僕が提案していたのだ。市民は1,2階だけに来るわけじゃあないし、市の職員だって、色々な階で働いているのだから・・・どの階にも必ず1つはウォッシュレットがあるような職場にしましょうよ!“という僕の提案が実ったという訳だ。そのお礼をしてもらって、本当に嬉しかった。同じお金をかけるなら、みんなが幸せになる方法を考える。それが大事だと思うのだ。

今日の写真1
左から2番目の可愛い女の子が麻季子です。中学校1年生ですから、まだ13歳か14歳ですね。僕が六中にいた最後の年の六中テニス部はこんな雰囲気でした。家庭科室でみんなでうどんを作って食べているところです。よくこういうことをやっていました。

今日の写真2
六中最後の年の3年生です。左から朋子、由樹、ゆか。全員全国メンバーです。練習はハードでしたが、楽しい部活でした。男女の仲もよく、今でもみんなで集まっています。強い卒業生達がどんどんコートに戻ってきてくれて、親がどんどん協力をしてくれる。そんな幸せな時代の六中テニス部です。

今日の写真3
左が立教中学の西村先生です。僕が教師を辞めても付き合ってくれるテニス仲間です。立教大学の120周年記念教育講演会にも講師として呼んでくれた人です。右が川又浩さん。部員のお父さんですが、この時代は毎日のようにコートに来て一緒にテニスをしていました。そして、全国大会のときは引率もしてくれました。僕の方針は「誰が来ても一緒にテニスをしてもらう」というものだったので、近所のおじさん、おばさん、小学生、高校生、大学生、他の学校の先生、ヨネックスの人、ブリジストンの人、ダンロップの人・・・・兎に角、色んな人が六中のコートには来てくれました。誰が来ても、必ず楽しい練習や試合を入れていく・・・それが僕の得意技だったのです。誰も拒まない六中、それが僕の全てかも知れません。来る人は、誰も拒まない。六中テニス部はそれができた部活だったのです。地域の人たちから、応援されていたのも当たり前かも知れませんね。誰も拒まなかった男が、一番愛したコートから拒まれる・・・六中テニス部のすばらしい伝統が受け継がれることはなかったのです。人の心は悲しいですね。   たかやん

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