|
12月11日 (土) 『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第341弾! 2010.12.11(土) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第341弾! 2010.12.11(土) たかやん
1800m 今朝も空の朝練に付きあった。たった1時間の練習だったが、1800Mしっかり泳いだ。まるで小笠原の母島小中学校の体育の授業である。あの島の子ども達は体育の授業でイトチンに同じくらい泳がされていたっけ・・・。空は夕方も2000M以上泳いだから、小笠原の母島の授業を完全に越えてしまったが・・・。
正樹ちゃん 久しぶりに従兄弟の正樹ちゃんが来てくれた。兄貴と一緒に、お袋を昭島の従兄弟の家に連れて行ってくれたのだ。小さい頃は、もの凄く上のお兄ちゃんだと思っていたが、この年になってくると、それほどの差があるようには見えないから不思議だ。
通告2 今度の一般質問での通告の続き。 道路と公園問題 第4時基本構想では(仮称)道場公園の整備が掲げられています。観光都市新座づくりの核となるべき公園です。保谷・朝霞線によって分断されると公園としての機能が大幅に低下することが考えれます。市民は大きな道路よりも大きな公園を求めています。道路よりも公園を優先すべきではないでしょうか。 (資料要求 道場公園用地を購入するのに予想される費用、借地の場合に予想される費用) *観光都市新座づくりという割には、住民が嫌がる道路の建設には熱心で、市民が強く望む大型公園の建設には消極的なのである。道路に20億使うなら、公園に使いましょうよ!っという質問。
健康問題 受動喫煙防止の観点から、市内の公園、公共施設の敷地内での喫煙は禁止すべきと考えています。特に、観光都市新座の核ともなるべき公園や遊歩道などは禁煙地域に指定すべきです。健康の為のウォーキングや体操ともっとも対極にあるものが喫煙だと考えますがいかがですか。前回も質問しましたが、市役所の玄関はどこもタバコの臭いがします。市民のみなさんの健康増進の為にも、市役所敷地内での喫煙は禁止すべきと考えます。そして、小中学校での先生方の喫煙も勤務時間内は禁止にすべきと考えますがいいかがでしょうか。 *みなさんも経験があるでしょう。煙草臭い匂いで閉口したことが・・・。僕は何百回もあります。僕が感じるのだから、子ども達はもっと敏感に感じているはずです。
放課後学童保育室問題 学童保育室の指導員の雇用条件が悪すぎます。直接雇用にして、雇用条件を整えていく必要があると思いますがいかがですか。また大規模学童保育室の解消に向けての市の考え方を伺います。 * 学童保育の指導員の方達の仕事は大変です。この間、半日体験させてもらいましたが、かなり神経を使います。そして体力も・・・。でも夢がないんです。若い指導員さんの涙が心に残っています。市の直接雇用だったらなあと思います。
英語 10時まで中3の子達と英語に燃えた。テキストは「中学3年間の英語を10時間で復習する本」である。10時間どころか、1時間で3年間を復習してしまったスプリンター達であった。
日記 僕がこの日記を書くのには理由がある。一番の理由は・・・息子へのメッセージである。空のことを毎日どれだけ見ていて、どれだけ愛していたか。僕がこの世にいなくなっても、この日記があれば・・・空が苦しくなった時に、自分を愛した父親がいたことを思いだして元気になるかもしれない。そう思って書いているのである。昔はそれが学級通信だった。そこには雪や亮への思いを書いてきたし、担任した子ども達への思いも書いてきた。だから、今は空の為の日記なのである。勿論、政治家としてのものの考え方も、父親としてのものの考え方も、教育に携わるものとしてのものの考え方もこの日記には書いてきた。背伸びをしないで、等身大の自分の言葉で書いてきた。それこそが、空へのメッセージなのだ。父さんは僕に3冊の本を残してくれた。その本を読むと、今でも父さんの声が聞こえてくる。僕は人生で苦しいことがあると、父さんの本を読んできた。そして、元気になったのだ。だから今度は僕の番だ。空が大きくなって自分の写真と一緒にこの日記を読んだら・・・きっと僕の声が聞こえてくるはずだ。そして「空ならできるよ」「空、がんばれ!」「お父さん、見ているよ!」と笑顔で言っている僕の顔が見えるはずだ。僕は本の代わりにこの日記を残していく。空を世界中で一番愛した男の、生きた証がこの日記なのだ。僕がいなくなっても、この日記は残るのだ。もう直ぐ僕は父さんが死んだ年になる。いつ死んでもおかしくない年になってきたのだ。もう直ぐ57歳、まだまだ死ぬわけにはいかないが・・・・。
今日の写真1 五中テニス部の山中湖合宿です。この中にはひとみも写っています。人生は分からないものですねえ。この時は圧倒的に僕が強かったのですが、今では全く逆転しています。母は強しというべきか、女は強しというべきか・・・とほほ。
今日の写真2 六中で髪の毛があった頃の最後の写真です。この後、「関東大会で勝つぞ!」「みんな坊主になれ!」「俺は頭を剃る!」となってツルツルになりました。髪の毛があるといっても、かなり額は広く見えますね。高邑家の遺伝子はハゲツルってことなんでしょうねえ・・・。 亮も空も気をつけてくださいねえ・・。
|
12月13日 (月) 『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第343弾! 2010.12.13(月) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第343弾! 2010.12.13(月) たかやん
悪寒 寒くて、寒くて・・・どうしようかと思った。2時になっても、3時になっても寒くて眠れないのだ。こんなことはインフルエンザで倒れて以来で・・・それでも朝になると、「学校に行かなきゃ!」と少し気合が入ったのだった。
ブルル こんな日に限って、風が冷たい。子ども達のテンションも低く・・・何とか元気を出させようと、いつもより大きな声を出した空父であった。
1年2組 「空父!おはよう!」「おはよう!空父!」1年2組の子達は本当に暖かい。体は寒いのだが、心がぽかぽかしてきた、朝の見守りだった。
順子 こういう時に仲間がいるといことはいいことで・・・「順子、後はお願い!」と僕は早めに家に向かった。兎に角、寒くてしょうがないのだ。
薬 久しぶりに薬を飲んだ。スーツの下に暖かいシャツをしこたま着込んで・・・市役所へ。頭がボーッっとしていたせいか、折角作ってもらったお弁当を忘れてしまったのだった。
意見書 この議会に意見書を出すかどうかで、少し悩んだ。議場はそんなに寒くはなかったのだが・・・頭がボーッとして困った。流石に寝ることはなかったけれど・・・・。
トンカツ定食 地下の食堂で500円のトンカツ定食を食べた。清さんはカツカレー。体調が悪いのに、無理してトンカツを食べて、大失敗。なにやってんだか・・・。ああ、気持ち悪りー!
16時 一般質問が終わり、地下の駐車場へ行くと・・・ひとみが迎えに来てくれていた。「お疲れー!」「大丈夫だった?」の一言が嬉しい。「うん!」「塾頑張らないと!」と僕。人は言葉で生きているんだなあと思う。
たんぽぽ 掛け算の九九、二桁、三桁の足し算、三桁、二桁の引き算、漢字に燃えた。たんぽぽは全員が一年生なので、可愛いったりゃありゃしない・・・。寒いのだが、段々暖かくなってきたのだった。
すみれ いつものように、4桁から5桁の足し算、5桁から4桁の引き算、2桁から9桁の掛け算、9桁から2桁の割り算でウォームアップ。それから漢字とパズル、英語に燃えた。
ばら 中3はいよいよ入試が近づいてきた。数学と英語、時々歴史に燃えたたかやんであった。
選挙は怖い 茨城県議選の結果は予想通りだった。つくづく選挙は怖いなあと思う。特に「風が吹いて当選」してしまった人は怖いと思う。語る会に風が吹くことはない。風も吹かないけれど、逆風もない。僕はいつものように地道にやるだけだ。
今日の写真1 この間の大雨で水浸しになった、六中のコートです。水はけが悪くなったのは、コートの前の道路をコンクリートにしてから・・・。きっと、その下の雨水管が埋もれてしまったのでしょう。可哀そうに、これじゃあ練習できませんよね。
今日の写真2 今から16年前の我が家の写真です。そんな馬鹿な!と、思うでしょうが・・・本当の話です。僕と亮は住む家が無く、パジェロの中で生活していました。丁度、今の季節です。僕と亮は100日以上、この家で過ごしました。16年前のお正月はこの家。あの阪神大震災の時もこの家。ホームレスの教師だったんですねえ、僕は・・・。お陰で、テニス部の朝練には遅れることはありませんでした。六中の中にこの家はあったのです。亮は六中から歩いて、野寺小まで通っていました。いやあ、この写真がなかったら・・・忘れてしまいそうな話です。今なら、ふざけるな!って怒られていたんでしょうねえ・・・。そういう意味でも六中は僕の実家?のようなものなのです。大分、敷居が高いですが・・・。
|
12月14日 (火) 『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第344弾! 2010.12.14(火) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第344弾! 2010.12.14(火) たかやん
熱が下がった! 朝起きたときは、まだあった熱が、八石へ行く頃になると37度まで下がっていた。体はずいぶん楽だ。その代わり、空が「だるい」、といい、熱を測ると平熱。そして、今度は母さんが「7度7分ある・・・」。僕の半世紀以上の人生の中で、母さんが熱を出したのは2,3回しかない。かなり心配になったが、それでも学校に向かったのだった。
半袖 その少年は、今日も半袖だった。どんなに寒くても半袖・短パンなのだ。僕も小学校の頃、冬でもランニングみたいな格好をしていたことはあったが・・・凄いなあって思う。彼をだけで空父の熱はもっと下がってしまったのだった。
ハッピー 東門にいると、僕の大好きなN先生が声を掛けてくれた。それだけで、今日はツイている!と思ったし、まあ熱は上がったかも知れないけれど、間違いなく元気になった空父であった。
元気 N先生の笑顔も見たし、熱が37度しかなかったので、自転車で市役所へ。「行ってらっしゃーい!」スーパー豊田のおばちゃん(失礼)がいつもの笑顔で手を振ってくれた。僕はますます元気にペダルをこいだのだった。
カサジ 気安くカサジなどと呼んでいるが、今日の一般質問も圧巻だった。教職員の多忙解消に向けての、市教委の取り組みの不十分さを思い切り突いたのだ。僕らも資料を読んだが、市教委は教職員の多忙をそんなに重く見ていないことが見えてきて、驚いた。僕や、カサジの時代はよかった。学校には今の先生より長くいたかもしれないが、殆どの場合、生徒が一緒にいたのだ。僕らには事務的な仕事は殆どなかった。パソコンなどに向おうにもパソコンが無かった時代だったのだ。報告書も始末書も学級通信も手書きの時代だったのである。本当に今の先生達が可哀そうでならない。
陽子 3年4組の陽子がなかなかいい質問をし、そしていい答弁を引き出していた。担任も負けるわけにはいかない・・・が、負けるんだろうなあ。僕の質問に、いい答弁など返ってきたためしがないものねえ・・・。ま、いっか。教え子の成長の方が担任としては嬉しい訳だし・・・。五中の1期生の学年には今の市議会議員の26分の3がいるのだ。担任が二人に生徒が一人。しかも3年4組では担任と生徒が一人ずつ。これって、結構凄いことだよねえ・・。
河合隆慶 塾から帰ってきて、メールを開けると河合先生のお嬢さんからメールが来ていた。先生が78歳で先月亡くなったというメールだった。10月の15日が先生の誕生日で、その時に久しぶりに顔を見に行こう・・・そう決めていたのに・・・その日に予定が入ってしまって・・・結局行けなかったのだ。僕は9月4日に先生の夢を見た。きっと先生が「たか、顔を見せろ!」って教えてくれたんだと思う。それなのに・・・僕は先生のお宅に電話しただけで、奥様と話をしただけで・・・ああ、本当に悔いが残る。 僕はメールを読みながら、ずっとパソコンの前で泣き続けた。いい年をして、とは思うが、自分の心の中では、先生はいつまでも先生だし、先生の前では僕は15歳なのである。
今日の写真 すみません。あまりにも悲しすぎるので、今日の写真はお休みさせてください。もう、本当にショックで・・・先生の声をもう一度聞きたかったです。もう一度、先生に褒めてもらいたかったです。
誓い 悪いことばかりしていた僕らを、先生は助けてくれました。僕らはその時、誓ったんです。二度と悪いことはしないって。それから、本当に出来なくなりました。全部、先生のお陰なんです。僕は先生から貰った愛を、自分の子ども達に伝えていきたいと思いました。河合隆慶から貰った愛の100分の1でも子ども達に返せたとしたら、僕は幸せです。それ程、先生の愛は深かったし、大きかったのです。先生・・・きっとこれからも僕のことを見ていてくれますよね。僕は先生のような立派な先生にはなれなかったけれど、先生の教えは子ども達に伝えてきた積りです。先生、お嬢さんが・・・桂子ちゃんが僕にメールをくれたんですよ。インターネットで調べてくれたんです。今度、野方の家にお邪魔しますね。先生!また夢の中に出てきてください。そして、ずっと僕のことを見守ってください。そっちへ行ったら、色々語りましょう。政治や歴史や地理は勿論、教育と愛を語りましょう。
|
12月15日 (水) 『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第345弾! 2010.12.15(水) たかやん
『一生懸命』幻のたかやん塾日記 第345弾! 2010.12.15(水) たかやん
プリンと薬 友達のアドヴァイスで昨夜、プリンと薬を一緒に飲んだら・・・朝には熱がすっかり下がっていた。もう、大丈夫だあ!と、自転車に乗った空父であった。
頭悪―い! 自転車で小学生の子ども達を追い越していく時、必ず「おはよう!」と大声で声を掛けていく。昔は反応があっても無くても気にしなかったのだが・・・最近はこっちから挨拶して何の反応もないと・・・「おはよう!と言ってんだろうが・・・何て言うんだ?」「教えてもらってないのか?」「頭悪いぞ!」とうるさい近所のおっさんになっている。すると、向こうも負けてなくて・・・「頭悪くないもん!そっちこそ、頭ハゲツルの癖に・・・」と食いついてくる。「あ〜あ、人の弱点をそんなに攻撃して面白いんだあ・・頭悪−い!」といじめることにしている。「おはよう!って言われたら、なんていうんだ?」「おはよう!」「それでよろしい!」空父はちょっと嫌われ役になりながら、今朝も集団登校の見守りをしたのだった。子ども達は可愛い。可愛いから鍛えなくてはいけないのだ。
肖像権 議場に座っていると、教育長がツカツカと寄ってきた。今までのパターンではこういうときは怒られる時だ。果たしてそれは、僕の日記の写真のことだったのだ。高校の5年先輩で五中でも六中でも同僚だった松枝先生の写真を掲載したことで教育長は怒っていた。「無断で写真を載せるなんて、肖像権の侵害ですよ。」「すみません。直ぐに直します。」と僕は頭を下げて、謝った。休憩の時に、松江先生に電話をした。「ごめんねえ・・・。無断で載せちゃって・・・」「そうよ、私の知らない写真よあれ・・・」「でしょう?俺も出てきてビックリして、思わず載せちゃったんだ・・・本当にごめん。」「それに、蛙って書いてあったけど、あれ蛇だったじゃないのよ!」「えーっ!蛇もやりましたっけ?」「そうよ!私が蛇嫌いなの知っていて・・・・」「本当にすみません」僕は電話口に平謝りに謝ったなのであった。これから気をつけます。前もって了解とってからにしますね。金子先生、松江先生。ごめんなさい。何だか、今日は校長に呼び出された時を思い出して、ちょっぴり幸せな気分になったのだった。
14時08分(ギルティー) 市長が答弁している。議場は暖かく、一番眠い時間だ。僕は風邪薬を飲んでいたので心配だったのだが・・・資料を読み込んでいたり、計算したりでそれどころではなかった。そして、勿論市長の答弁にも耳を傾けていた。(だって、時々重要なことを議場で生で言うから・・・ああ、それなのに、それなのに・・・休憩の時に刷新の会の佐原さんから「寝てちゃだめでしょ?」と笑顔で言われ、耳を疑った。1列目は確かに目を閉じている人がいたけれど、僕は0.1秒も目を閉じていないのだ。あの発言はどういう意味なんだろう・・・。刷新の会にもずっと目を瞑っていた人はいたのに・・・。語る会は無実である。大体、仕事をしている時は、僕の席から佐原さんの席は見えない。背中を起こして、体をクルっと回転しないと見えないのである。どういう意味なのか明日聞いてみよっと・・・。僕が一睡もしていないことは、僕の目の前の執行部の人が証言してくれるだろう。「俺は殺ってない!」「無実じゃあ!」という死刑囚の気持ちが少し分かる気がした。
先生 河合先生のお宅に電話をした。懐かしい奥様の声が受話器の向こうから聞こえてきた。途端に、涙があふれてきた。それが止まらないのだ。嗚咽になってしまって、何を言っているのから自分でも分からない。先生の存在は、僕にとって全ての始まりくらい大きかったのである。本当に情けない・・・56歳のおっさんが、電話をしながらオイオイと泣いたのだから・・・
38度2分 やばい・・・21時半の時点で、熱が38度を超えた。マスクをしていて、咳もでないから、子ども達にうつることはないと思うが・・・何なんだこれは・・・母さんは「大丈夫、37度まで下がったわよ。新聞も読めるし、テレビも見れる。」と元気になって、今は風呂に入っている。大正女は強いのである。それに引き換え、昭和20年代男の軟弱なこと・・・とほほ。
今日の写真1 休み時間は頭が寝ないように、目覚ましを兼ねて、体を動かすことにしています。控え室でバックハンドの素振りをする私です。「何しに議会へ行ってるんだ!」と怒られそうですが、肖像権は僕自身にあるので大丈夫。安心して掲載できます。これを掲載することで票は減るかも知れませんが、テニス仲間は喜んでくれると思います。特に、北大と東北大の先輩方は・・・(お、練習しちょるな!)って。ボールは打てなくてもテニスは上手になれますから・・ね。仕事には息抜きも大事ですよねえ・・・。甘いかな・・・。
今日の写真2 これは今日の議場です。これが今日の僕の机なんですねえ。決算資料を持ち出し、委員会の議事録を読み込んで・・・明日の一般質問の準備までしていました。どうです?状況証拠でも無罪っぽいでしょう?っていうか、僕が今まで議場でうとうとしたのは一度だけ、花粉症の薬をたんまり飲んだ、2年半前の3月議会の時だけです。その時は「数秒」いったかも知れません。それは事実です。大体、みんなが寝ているのをチェックしている僕が寝るはずがありません。議員も執行部も傍聴人もちゃんと記録をとっていますから。勿論、いつもやっている訳ではありません。ふと、議場を見た時間に不規則にチェックしています。ここには書かないだけです。データは全部あります。そう、議場でも嫌われ者の空父なのです。(嫌だねえ・・一人会派は・・・おー嫌だ。人の嫌なところを記録してどうするの。)昔、苛められた経験がそうさせているのかも知れませんね。とほほ・・・。
|
|
|
|