Diary 2005. 4
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4月21日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第111弾! 

「たかやん議員日記」2005.第111弾!  4月21日(木)

議会便りの原稿
今までの一般質問の原稿と比べるとかなり分厚い。そんなに喋ったかなあ・・・・と考えていたら分かった。市長の答弁が長いのだ。いつもは教育長だけなので答弁がそれほど長くはないのだが、市長の答弁はかなり長い。それで原稿そのものが分厚くなったのだ。
今回の市議会便りは「財政問題」。あの東久留米志木線のことが中心になる。本当にいらない道路だと思う。52億だもの・・・・。

赤ん坊の不思議な力
この間車の中で、ちょっとした夫婦喧嘩をした。空は黙ってチャイルドシートで座っていたのだが・・・・車から降りると母親の手を握って歩き始めた。そして僕のほうを見てニヤっと笑って、僕にも手を繋げという(ジェスチャーで)。僕達は空を真ん中に手をつなぎながら笑ってしまった。どうやら空にやられたらしい。
そして今日はお袋とずっと手を繋いで歩いていた。僕が行っても「嫌だ!おばあちゃんがいい!」と一日お祖母ちゃん子になりきっていた。お袋は明日富山に帰るのだ。空は空なりに一生懸命おばあちゃんのことを考えているのだと思った。お袋はお袋でそんな空にべったりの一日だった。

充実した一日
今日も奥さんの体調は回復せず、家事育児に追われた。それでも夕方からは塾。仕事は休めない。その塾が今日はとってもいい感じで嬉しかった。子ども達ができないところができるようになるのを見るのは楽しい。子ども達の表情が変わっていくのを見るのは楽しい。物凄く疲れたけど、物凄く充実した一日だった。こういう一日が毎日続くといい。


4月22日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第112弾!

「たかやん議員日記」2005.第112弾!  4月22日(金)

茶碗
お袋が富山に帰った。家の中がなにかガランとした感じで寂しい。夕飯の洗い物をしていると、洗い篭の中にお袋の茶碗が入っていた。それを食器棚にしまうとき、物凄く寂しいと思った。今夜は兄貴たちと何を食べたのだろう。昔話に花が咲いたのだろうか・・・・。

反省とおわび
小泉純一郎が先の大戦の反省とおわびを表明したらしい。そう間違ったことは「ごめんなさい。」と言えばいいのだ。どこの国だってそうだ。戦争に勝った国だって、あの戦争は間違っていました。ごめんなさい。そう言えばいい。世の中に正しい戦争などあったためしがないのだ。どんな理由をこじつけたって、戦争は戦争。人殺しは人殺しである。何人の命だって尊いのだ。広島でなくなった人も、長崎で亡くなった人も、東京で亡くなった人も沖縄でなくなった人も、中国で亡くなった人も、東南アジアで亡くなった人も、シベリアで亡くなった人も、ヨーロッパで亡くなった人も・・・・みな同じように大切な命だったのだ。僕は東京大空襲のことも、原爆のことも決して忘れはしない。父さんの大切な弟が殺されたことも決して忘れない。だけれどもアメリカという国を恨んで生きることはしない。アメリカ人全部を否定などできない。大好きなアメリカ人だってたくさんいるから。僕の息子の亮は“諸葛亮孔明”からとった。中国を否定するということは息子を否定することになる。そんなことはできない。自分ができることは、そういうことを繰り返さないように生きることだ。戦争は間違っていると胸を張って主張することだ。僕の中には仏教の血が流れている。僕はそのDNAを大事にしたいと思う。


4月23日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第113弾! 

「たかやん議員日記」2005.第113弾!  4月23日(土)

ばったり!
今日は教え子達とばったり会う日だった。それも同じ場所で・・・・・。ひばりが丘のA整骨医院は五中の卒業生が院長。そこへ親子三人でお邪魔すると「たかやん?」と声をかけられた。六中の卒業生のYちゃん。もう25歳の奥さんというから時の流れは恐ろしい。そして僕の番が来て中に入ると、「あれま!」五中時代に担任したYがいるではないか・・・・。「お久しぶりです。」とY。「いくつになったの?」「もう36です。おっさんです!」とY。時の流れは本当に早い。あの3年8組の子達は今どうしているんだろう・・・・。そろそろ同窓会をやりたいなあ・・・。

文芸新座
教育委員会から郵便が来ていたので開けてみると「文芸新座」が入っていた。折角送ってくれたのだから、と読み始めると止まらない。なかなかの作品達なのである。その中でも僕は山口恭男さんの「銀盤上の指」に心が動いた。ピアノの発表会の話である。名前を確認しないで読み始めたので、最初は若い女の人かと思ってしまった。作者は72歳の男性である。ピアノを始めて12年・・・・・。(おいおい、60歳でピアノを始めたということかい?)ベートーベンのソナタにショパンのノックターン・・・・(この人はいったいどういう人なんだろう・・・。)そんな風に思ったのだ。僕が感動したのは72歳になってもまだ緊張から指が振るえ、頭の中が真っ白になるということだった。僕も幼稚園の時にそういう思いをしたことがあるのだが、70を過ぎて尚そういう気持ちになれるという素晴らしさに感動したのだ。僕はまだ50歳になったばっかり。山口さんに比べたら雛だ。まだまだこれからドキドキハラハラしながら生きていけるのかと思ったら、何だか幸せな気分になった。ハラハラドキトキするということは心が若いということだから。

「文芸新座」みなさんも一度読まれるといいかも知らない。教育委員会の先生方、ありがとうございました。


4月24日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第114弾! 

「たかやん議員日記」2005.第114弾!  4月24日(日)

日の出
今日も日の出前に起きてみた。最近の日のでは5時前。いつの間にかそんな時間にお天道様は昇っていたのだ。今朝の日のではきれいだった。まるで今日一日が素敵な一日になる。そんな予感を抱かせるようなきれいな日の出だった。

サッカー、テニス、そしてサッカー
7時からはサッカーに燃えた。ゴミ拾いをしてからやるサッカーは気持ちがいい。公園に散歩にくる人たちともすっかり顔なじみになった。8時からはテニス。小学校3年生が二人、4年生が一人、6年生が一人。中学生が一人、高校生が二人、20大が三人、40代が一人・・・そして僕。そんなメンバーで2時間テニスをやった。そしてその後にまたサッカーをやるところが僕らの凄いところだ。今日も走ることでは負けなかった。

うどん祭り
お昼前にみんなでうどん祭りに行った。知っている顔があちこちにあった。うどんは美味しかった。昔、自分がうどん屋だったことを思い出した・・・・。そうそう朝日新聞にダチョウ牧場のことが出ていた。「観光都市新座」どうやら民間の方が一歩リードしているらしい。その民間をどれくらい、そんな風にバックアップするかだと思う。

幸せな一日
家具屋さんに行ったら六中テニス部の教え子のKに会った。お母さんも一緒だった。彼はプロのテニスプレーヤーのコーチもしている才能溢れるコーチだ。六中のテニスコートで学んだことが彼の今の基本になっていると彼はいつも言っている。彼の目は本当にいつもあの頃のように輝いていて、一緒にいるだけでエネルギーをもらえる。それだけでも幸せだったのに、家に帰ってくると玄関に不思議な袋が下がっていた。見ると「うど」だった。友達のMさんが届けてくれたのだ。早速我が家の食卓に「うど」が出た。美味しかった。今日は本当に幸せな一日だった。


4月25日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第115弾! 

「たかやん議員日記」2005.第115弾!  4月25日(月)

学校
普通なら、やっと教室は落ち着いてきた頃だ。新座市の小中学校はどうだろう。落ち着いて授業ができているだろうか・・・・。というのも色々な話を聞くからだ。先生からも生徒からも、親からも情報がどんどん入ってくる。親の情報は又聞きだから信頼度は余り高くはないとしても、子ども達と先生たちからの情報は信頼性がかなり高い。それから考えると心配な学校が多い。高校も同じである。どんな授業をして、子ども達はどういう勉強の仕方をしているのだろう。心配なところである。だから、そろそろ学校訪問の季節なのかも知れない。自分の目で確かめないことにはなんとも言えないのだ。

学校というものは、世間の評判など気にしないで、本気で子ども達にぶつかっていけば、そんなに悪い結果にはならないものだ。学校は先生と生徒の表情で作られるものだと思う。「辛くても逃げ出さないこと。」普段子ども達に言っていることを実践すればいいのだ。
朝早くから夜中過ぎまで学校にいる先生もいる。肉体的、精神的限界になっている先生もいるだろう。若いからといって、何でも押し付けてしまうのはよくない。辛い時期だからこそ、みんなで協力しないといけないのだ。

もうすぐゴールデンウィーク。まずは、それまで何とか持ちこたええるのだ。そしてエネルギーを補充してまた夏休みまで頑張ればいい。子ども達はマニュアル通りには動かない。子ども達をよく見ることだ。見て、そして作戦を考えるのだ。色々な手を使って、自分にしかできない手を考えるのは楽しいことだ。少なくても子ども達に言葉で負けてはいけない。頭で勝負して負けてはいけないのだ。学級に問題児がいる。授業がうまくいかない。だからこそ担任は楽しいのだ。幸せなのだ。うまくいかなかったことがうまくいくようになる。それが楽しくて教師をやるのだ。できなかったことができるようになると子ども達が幸せなのと同じだ。もうすぐ5月。学校の姿が見えてくるころ。


4月26日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第116弾! 

「たかやん議員日記」2005.第116弾!  4月26日(火)

安全第一
悲惨な事故が起きた。まだ原因ははっきりしないが、どうやら人為的事故の可能性が高い。だとすると、一番大切なものが欠けていたのだと思う。「安全第一」ということだ。これは学校も同じである。子供のためといいながら、子ども達の体や心を傷つけてはいけないのである。子ども達の言葉遣いが問題になっているが、間違いなく大人の言葉遣いが悪くなっているのだ。子どもはなんでも真似するのである。
子ども達に本気で勉強して欲しかったら、先生が本気で勉強すればいい。子ども達に本気で挨拶して欲しかったら、先生が本気で挨拶すればいい。掃除も部活動もなんでも同じだ。先生は言葉で教えてようとしてはいけない。それは教育ではない。子ども達は先生の後姿で育つのだ。
そう考えると、先生達は毎日幸せに生きていったほうがいい。何かに燃えて、生きがいを持って生きていたほうがいい。大人が人生を楽しんでいれば、子ども自然に楽しめるようになる。僕はそう思っている。

友達からのメール
ご無沙汰いたしております。
上の娘がこの春に中学生になりました。以下は卒業した小学校の担任の先生からの手
紙です。(原文のまま)

 卒業式が終わって待ちに待った中学校生活。今、どんな気持ちですか?
卒業式の日は朝からみんなが黒板いっぱいにたくさんのメッセージを書いて待ってい
てくれましたね。すごく嬉しかったです。
 教室に入るときには、目隠しをされたので「なんだろう?」と思いましたが、急に
クラッカーがパンパンとなったのにはびっくりしました。同時に「先生ありがとうご
ざいます」の声に包まれて、今までの苦労がぱあーっと晴れて、どこかにすっ飛んで
いくような気がしました。聞けば、数日前に校長先生にこの計画の許可を取っていた
とのこと。その行動力とやさしい気持ちにすごく、すごく感動しました。
 家族の人たちもそうだと思うのですが、先生というのも「これだけやったから、相
手からその分返ってくるだろう」という見返りは余り期待していないのです。だから
こそ、こんな風に感謝の気持ちを表してもらえたのは、ほんとうに大感激だったので
す。
 この2年間で一番成長したなと感じる子の一人です。覚えていますか?5年生の初
めの頃のこと。余り表情のない女の子だな・・・という第1印象でした。大声で笑っ
ているところは余り見なかったように思います。それがどうでしょう。たくさんの友
だちといろんなことに挑戦するファイトまんまんの,とびっきり明るい女の子に変身
しましたね。中学校でもその調子で、頑張ってくださいね。
 たまには小学校へも遊びに来てください。

娘は小学校の最後に素晴らしい先生に出会えました。今、中学校で軟式テニス部に入
部して毎日、いろいろなところが筋肉痛だと言っております。


素晴らしい先生はいたるところにいる。新座にもこういう先生がたくさんいてくれたら幸せである。いい先生は新座市の財産なのだ。


4月27日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第117弾! 

「たかやん議員日記」2005.第117弾!  4月27日(水)

靖国
僕の叔父さんは靖国に祭られている。登叔父さんは少年飛行兵として出兵し、そして戦死した。だけど僕は靖国に行ったことはない。お祖母ちゃんと登叔父さんの弟の猛叔父さんは毎年お参りしていたが・・・・登叔父さんは富山のお墓に眠っていると僕は思っている。

海ゆかば
小さい頃、この歌のメロディーが好きでよく一人で歌っていた。テレビでも流れていたし、とっても気に入っていた歌だった。ところが父さんの前で歌ったら、「ダラめ!(富山弁で馬鹿め!)そんな歌、歌うな!」と一括された。僕は不満で、「何でいけないの?」と泣きながら抗議した。すると父さんは「歌には歌詞がある。歌詞には意味がある。お前はその意味が分かっているのか?」というから僕は分からないといった。(だって多分6才か7才だったから。)すると父さんは歌詞の意味を僕に教えながらこう言ったのだ。「いいか、ともや。兵隊さんはな。みんな“お母さん”っていいながら死んでいったんだ。天皇陛下万歳!と叫んで死んだやつはおらんがやちゃ。」
父さんは目に涙をいっぱいにためながらそう言った。僕はそれ以来“海ゆかば”を歌わなくなった。

中国と韓国
60%以上の人が日本を嫌いだという。先の大戦を忘れたい日本と忘れたくない中国、韓国。それにしてもお互いの国民感情がこじれていくのはマイナスにしかならないだろう。国連の安保理の常任理事国問題もそうだが、日本企業の中国での業績がどんどん落ちて言ったら・・・・経済的にも大打撃だ。その一番の理由が靖国参拝だとしたら・・・・・取るべき道は決まってくると思う。

いじめも同じだ。いじめた方は、そんなことで・・・と思うし、下手をすると忘れてしまう。ところがやられた方は、決して忘れない。謝罪し和解しなければ、何十年たっても忘れないのである。


4月28日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第118弾!

「たかやん議員日記」2005.第118弾!  4月28日(木)

自転車通学とヘルメット
昔僕のいた学校で違反自転車をむきになって取り締まる先生達がいた。彼らは違反自転車(ステッカーのないもの、無許可自転車)を見つけるとチェーンを巻きつけ、鍵をかけた。すると子ども達はチェーンを切って、自転車を持ち帰った。今度はその先生たちは自転車のサドルを取ってしまった。すると子ども達は人のサドルを取って自分の自転車に付け、持ち帰っていった。
校則にあまりにもこだわると、こういう馬鹿げたことが起こるのである。生徒の自転車のサドルを取ってしまうというのは泥棒に近い。そしてそれを真似る子ども達が出てくるのも当然である。違反自転車を取り締まれば取り締まるほど、近所の家や施設に迷惑をかけることも達が増えていくという事実を彼らは知らなかった。

同じ学校でヘルメットを着用の校則を厳しくするという親への通達があったようだ。保護者から渡されたプリンとには、ヘルメットを着用していないと、その回数によって自転車通学を禁止する期間が定められていると書いてあった。この決まりは職員会議で決まったのだろうか・・・・。それとも例によって一部の先生たちで決めてしまったのだろうか。第一そのヘルメットの安全性の科学的根拠はどこにあるのだろう。どんな実験をしたのだろう。もし本当にヘルメット着用が大切だといいたいのなら、先生達が率先してヘルメットを着用すべきである。もっと大切なことはヘルメットを着用することが安全なんだよと本気で教育することである。(もし本当にそうなのならだが・・・)今時、校則だからただ守れ。守らないと罰則があるぞ。では子どもは勿論、保護者も納得しないだろう。こういう学校に通わせたい親がいるだろうか。親が期待するのは授業に厳しい学校である。授業を本気でやってくれる先生たちを親は期待しているのだ。校則を取り締まることに一生懸命になって、教材研究をしないようでは困るのである。

地球の温暖化を考えたら、子ども達の自転車通学は教師達の自動車通勤に比べて立派である。排気ガスを撒き散らしながら地球の温度を平気で上げている大人達に「ヘルメットを被らないなら歩いて来い!」と言われる子ども達はかわいそうである。そういう車がいなければ子ども達は安全に自転車で通学できるのだから・・・・・。「スイマセンが安全の為にヘルメットを被ってはもらえませんか・・・」くらいが適当だと僕は思う。そしてそれを被るか被らないかは子ども達の自由なのだ。

内申を気にして何も言えない保護者と生徒の代わりに、「私見」を述べさせてもらいました。
因みにそのプリントにはヘルメットの無着用と二人乗り、信号無視が同列のように書いてありましたが、二人乗り、信号無視は法律違反であり、違反の程度は上にあるべきです。
それよりも校内で煙草を吸うのは禁止されています。これは条例です。それを守らないで校則を守れという先生たちを子ども達は疑問に思って当然です。


4月29日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第119弾! 

「たかやん議員日記」2005.第119弾!  4月29日(金)

2歳の誕生日
今日は空の2歳の誕生日。「動物園に行こう!」前々から決まっていて、行く気満々でいたのだが・・・・道路の交通情報を見ると“大渋滞”しかも天気予報は“かなり暑くなります”ということで、急遽志木のMデパートの屋上の「アンパンマンショー」を見に行くことになった。真夏のような暑さの中、1時間以上前から席を取って、始まるときにはもう熱中症になっているような子ども達もたくさんいた中で、僕らは15分前に到着。お茶をたくさん飲ませて日陰のあるところで立って見ることにした。アンパンマンは大人気で、親の気持ちもわからないではないが、子ども達は汗だく状態。肌が真っ赤になっている子もたくさんいて、見ていて本当にかわいそうだった。

午後からは自転車とサッカーボールとテニスラケット、グローブ、カメラ、ビデオカメラを車に積んで、隣の市の公園に遊びに行った。空はその公園で泥んこになって遊んだ。テニスもやったし、サッカーもキャッチボールもやった。でも一番喜んだのはたまたまその公園に遊びにきた卒業生と一緒にやった砂遊び。本当に真っ黒になって嬉しそうだった。僕ら夫婦も大笑いしながらキャッチボールをし、テニスをし、サッカーで勝負して結構遊んだのだった。

ゴールデンウィークで海外へ・・・・という家族もたくさんあるみたいだが、僕らはMデパートの駐車料金600円とバースデーケーキ1000円の1600円で空の2歳の誕生日を祝い、そして小さな思い出をまた一つ作ったのだった。



4月30日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第120弾! 

「たかやん議員日記」2005.第120弾!  4月30日(土)

ミニ集会
今日は塾で「市民の声を聞くミニ集会」をおこなった。スタートは4時半で終了は11時。新座市民だけではなく、西東京市民、所沢市民も参加しての集会は本当に楽しかった。現役の学校の先生の話もたくさん聞けたし、保護者としての意見もたくさん聞けた。総勢15名というミニ集会だったけど、得るものは大きかった。市議会議員として一番大切なことは市民の生の声を聞くことだと僕は思っている。そういう意味でも色々な問題、悩みを聞くことができて本当に有意義だったと思う。毎月一度くらいの割合でこういう集会をしていけたらと思う。

ひき逃げ
その集会の最中に目の前の道路でひき逃げ事件があった。犯人の車は白いワゴン車。そして犠牲者は白と黒の斑の猫。即死だった。僕の腕の中にいたときはまだ痙攣しながら生きていたのだが・・・・とても可哀想だった。白いワゴンはもの凄いスピードで逃げていった。轢いた瞬間は物凄い音がしたから、絶対に気付いているのに・・・・。ああいう人間が人を轢いても逃げるのだろう。


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