Diary 2006. 12
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12月21日 (木)  「たかやん議員日記」2006.第355弾!  12月21日(木)

「たかやん議員日記」2006.第355弾!  12月21日(木)

自転車
9時に東久留米の銀行へ行った。自転車で5分で行くからいい。駅立ちも楽しみだ。

土地開発公社
10時から土地開発公社の理事会があった。「都市計画道路」に大反対している僕が、土地開発公社の理事なのだから、おかしいと言えばおかしい訳で・・・・。今日の話は、金利の安いところに借り換えをして、かなり得をした・・・とか、地道な交渉の結果、高額な補償費を払わなくてよくなったというような話ばかりで、ちょっと安心した。

五味太郎
「これっておかしいんじゃないかって感じたら、たぶん、それは本当におかしいんだ。大事なのはそう感じる自分を信じることなんだ。おかしいのは、自分がおかしいと感じなくなることだ」五味太郎は朝日新聞のオーサービジットの中でそう生徒たちに語りかけている。12月になって、僕は「おかしい!」と思うことの連続だった。殆どが学校関係者たちの言動だが・・・・・

忘年会
今夜は執行部と与党会派の忘年会。僕は一人会派「語る会」になり、執行部の提出した議案に反対することもあるので、どうやら呼ばれないらしい。反対に、与党会派は全てに「賛成」する訳で・・・議会のチェック機能は無いに等しいなどと思うのは考え過ぎだろうか・・・。貧乏人の僕としては呼ばれない方が嬉しいのだが、どうせ忘年会をやるのなら、議員全員を集めてやればいいのに・・・そうしたら、結構みんな本音で新座の将来を語れるかも知れない。

命の応援団
陵平の仲間が集まっての忘年会がもうすぐある。僕は「命の応援団」のレポートをまとめる係り。昔の集会の原稿を読み直せば、読み直すほど、当時の二中と教育委員会の「非人間的」な言動に驚く。学校長と彼らを指導する立場の教育委員会が、子ども達に顔向けできないようなことを平気でしていたのだ。余りにもこどもの命が軽い・・・そう思った。学校って子ども達に何を教えるところなんだろう・・・3月議会で聞いてみたい。

議会報告
明日は一日議会報告の校正に燃えよう。やりたいことは山ほどあるが、まずは「議会報告」。議会で発言し、そして報告する。当たり前のことをしっかりやらねば・・・・僕を応援してくれる人に申し訳ない。無理をしないで、じっくりやるぞ!  たかやん


12月22日 (金)  「たかやん議員日記」2006.第356弾!  12月22日(金)

「たかやん議員日記」2006.第356弾!  12月22日(金)

ウォークマンスティック
昨夜の話。ウォークマンスティックで完全英語モードになりながら、自転車をこいでいると・・・・向こうから来た車がプップッと合図して止まった。運転席から20代後半か30代前半と思われる、まあまあ綺麗な女性が手を振るので、きっと卒業生だろうと思って笑顔で手を振った。
するとスルスルっと窓が下がったので、耳からイヤホンをはずして(誰だろう・・・)と車の中を覗くと・・・「パパ!」とママが笑顔で手を振った。僕はその時、初めて自分の車だと気付いたのだが、そ知らぬ顔をして「空は?」と聞くと、「寝てるよ・・・」「ふーん・・」とまあ普段の会話になったのだった。ウォークマンをしていると、少し注意力が落ちるのかも知れない。自転車に乗っている時は気をつけようっと・・・。

通知表
今日は二学期の終業式。子ども達は“通信簿”を先生からもらい、喜んだり・・・落ち込んだり・・・。東久留米市の中学生達はもうひとふん張りして、月曜日に終業式だけどね。所沢の子ども達は終業式のある日も授業。みんな授業時間の確保に気合が入っているという訳・・・・。

先生方、お疲れ様でした。長い、長い2学期が終わって・・・ほっとしている方も多いでしょう。授業そのものよりも、生徒指導に時間がとられ、子供たちとの時間よりも、親を指導?するのに時間がかかったという話もよく聞きます。本当にお疲れ様です。この冬休みにリラックスして、たくさん笑って、免疫力を高めて・・・3学期は笑顔で登校してください。3年生の先生方は調査書がありますが、子ども達の未来のためです。素敵な調査書を書いてあげてください。嘘はいけませんが、いい文章というものはあるはずですから・・・。

校長先生もお疲れ様でした。校長とはいっても、常に市教委の目を気にしている訳ですから、何かと大変だったでしょう。学校内で事故や事件が起きれば、常に「校長の責任」が問われます。子供たちも、先生達も我が子のようにみるなど、普通の人にはできません。保護者にも気をつかい、市教委にも気をつかい・・・・変な議員にまで気をつかって・・・大変な仕事です。どうぞ僕のことは気にしないで、自分の教育観をしっかりと持って、新任の時と同じように「教育」に燃えてください。

教育委員会の先生方もお疲れ様でした。毎晩12時近くまで市役所に残って仕事をされて、本当にご苦労さまでした。特に今回の議会では「いじめ」のことを質問した議員が8名もいて、答弁書を作るのにも苦労されたと思います。議会のないときは、各学校をまわり、
「指導、講評」するのですから大変です。本当なら子ども達のいる学校にいたいのに、教育委員会での仕事・・・僕なら3日も持ちません。おまけに変な議員がチョロチョロと・・・申し訳なく思っています。でも、僕は「新座の学校を愛する」「新座の子供たちを愛する」ことにかけては誰にも負けません。僕は僕なりの方法で、何とかこの“危機”を乗り越えていきたいと思っています。やり方が違っていても、目指すものが同じなら、いつの日か一緒に笑える日がくるはず・・・・委員会で疲れた時は、いつでも僕の控え室に来てください。教育と愛を語りましょう!    たかやん



12月23日 (土)  「たかやん議員日記」2006.第357弾!  12月23日(土)

「たかやん議員日記」2006.第357弾!  12月23日(土)

朝テニス
久し振りに土曜日のテニスができた。いつの間にか、中学生達よりもおじさん、おばさん達の方が多くなっているから笑える。ウォームアップをやって、走り回って・・・クールダウンをしながら大笑いして・・・みんなで免疫力を高めている。

自立
母さんの買い物に付き合った。「ノートが欲しい」というから「自分で見てきたほうがいいよ」と、あえて買ってこなかった。何でもしてあげると、母さんはどんどん弱くなってしまう。だから、なるべく自分のことは自分でできるようにと、色々我慢している。それは空も同じで、何でも言うことを聞いていると、どんどん我が儘になってしまう。自立支援法には「愛」が全くないが、我が家の自立政策には「愛」がある。それが大きな違いである。

命の応援団
今日は陵平の同級生達が初参加の「命の応援団」があった。前回、彼らと会ったのは陵平の6回目の命日。その時はみんなでワイワイやっただけだったが・・・・・今回の「忘年会」は第26回目の「命の応援団」の会合でもあったのだ。あの事件に、大人達がどのように関わってきたのか、そして当時の二中や教育委員会がどのように「子ども達」「命の応援団」に対応してきたのか・・・僕達は、その事実を彼らに伝えたかった。そして彼らしか知らない事実を僕らもまた知りたかったのだ。
僕らは2時に大貫家に集合し、冊子を作り、そして4時過ぎからは料理の準備をした。そして彼らは次々とやってきた。

話は11時近くまで続いた。美味しい鍋をつつきながら、人生を語りながら、僕らは時々6年前に戻り、彼らは中学校2年生の少年に戻っていった。そして彼らしか知らない事実を僕らに語ってくれた。あの時、どんな指導があり、そして彼らが何を感じたのか・・・・それなしに、教育委員会は「あの事件は学校の指導とは関係がない」と言い切っている。常識では考えられないことだと思う。

26回
僕が命の応援団の存在を知ったのは朝日新聞を読んでからだ。陵平が死んでから、二中の先生方や教育委員会に毎回、会合の内容と「参加案内」を届けたのだが、ただの一度もその関係者には参加してもらえない。そういう記事を読んで、僕は(ああ、二中の内情を話せるのは僕しかいない・・)そう思ったのだ。そして初めて参加した「命の応援団」で僕は「学校が陵平を殺したのだと思う」。そう発言した。その発言がもとで、六中のテニス部は廃部に追い込まれそうになり、僕は六中のテニス部とさよならして、子ども達も泣いたのだ。今思うと、本当に理不尽なことだと思う。でも、それでも僕はもうそのことを恨んではいない。今の僕があるのはそのお陰だから・・・・。あのこと以来、僕の愛した新座の教育と全く違う何かが、はっきり存在していることが分かった。その何かと僕は闘い続けるだろう。どんなにごまかしても真実は一つしかない。26回の会合を重ね、僕らはそう実感している。   たかやん




12月24日 (日)  「たかやん議員日記」2006.第358弾!   12月24日(日)

「たかやん議員日記」2006.第358弾!   12月24日(日)

DNA
僕のじいさんは42歳で小学校の教頭を辞め、民間の会社に入った。どうやら家族の為に、その道を選んだらしい。僕のおばあちゃんも小学校の先生だった。僕の父さんは茨城の労働基準局長を辞めたとき、茨城県知事候補だと新聞の記事に載ったらしい。僕が21年間、中学校の教師でいたのは、きっとじいちゃんとおばあちゃんのDANだろう・・・。大好きな学校を42歳でやめたのはじいちゃんのDNA。そして議員になったのは、多分父さんのDNAだと思う。DNAは恐ろしい。僕が小さい頃、絶対になりたくないと思った職業は「教師」と「議員」。その二つとも、なってしまうのだから凄いと思う。

イブ
午前中は春日部の中学生達と一緒に勉強。3時間があっという間に過ぎていった。お昼はマルフジで待ち合わせをして買い物。塾と家の間にマルフジがあるのでなかなか便利。
今日はお昼過ぎに父さんの一番下の弟の“猛おじちゃん”と僕の二人の兄貴が我が家に集合した。母さんを中心に久し振りにみんなが集まった訳で・・・3時ごろから、みんなで飲み始めたのだった。クギヤで頼んだクリスマスケーキを食べて、空も大満足。みんなで大いに笑った、クリスマスイブだった。

交通事故
もう40年以上前の話。新大久保の駅前でタクシーを降りた達矢と朋矢は、おじちゃんに貰った50円を握り締め、道路の向いのおもちゃ屋に走り出した。先頭の僕は車に気付き、Uターン。ところが僕を追い越そうとした達矢はそのまま車にはねられ・・・・かなりの距離飛んだらしい。僕は後ろを向いていたので、そのシーンを見逃してしまったのだが、母さんは飛んでいくところを目の前で見てしまって・・・寿命が縮まったと言っていた。幸い、達矢は軽症で、まもなく朋矢へのいじめを再開したのだった。とほほ。

白山
僕らは富山へ帰るとき、よく「白山」という列車に乗った。その白山は「特急だよ」と主張したのは猛おじちゃん。「いや白山は急行だった。俺は汽車には詳しかったんだ」と言ったのは和矢。そして「白山は最初は準急じゃなかったっけ?」と言ったのが僕。
正解は“準急、急行、特急と格上げされ、最後は「はくたか」にとってかわられ、消えていった。”というものらしい。まあ僕の記憶が正しかった訳なのだが・・・準急白山とトンネルの記憶は、小さい頃の僕らには余りにも強烈だった。

まきこ
あれからもう2年が過ぎようとしている。六中テニス部のキャプテンだった女の子は20歳の短い生涯を終えてしまった。僕は1年生で入ってきた時の彼女を今でも覚えている。そして関東大会や全国大会で大活躍した姿は勿論、普段のコートでの彼女の笑顔を忘れることができない。そして、あの冷たい霙交じりの雨が降る戸田の斎場での最後の別れも・・・・
たかやん




12月25日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第359弾!  12月25日(月)

「たかやん議員日記」2006.第359弾!  12月25日(月)

いじめはどこの学校にも起こりうる・・・
12月議会でそう言ったのは教育長。僕は「どこの学校にも起こりうるのではなくて、どこの学校にもあるものだ」と言った。どこの学校にも起こりうるというのは、起こることが稀であるというニュアンスがある。今、新座市内の23校で「いじめ」の無い学校などあるのだろうか・・・。

いじめはなくならない
子ども達がいじめをするのは、大人がいじめをしているからだ。大人がいじめをやめない限り、子ども達はいじめをやめない。だから悲しいけれど、いじめは無くならない。「いじめゼロ宣言」をするのは結構だが、その前に宣言をしているその当人がいじめをしないで欲しい。

17年度
昨年度のいじめの件数は小学校が16件。中学校が20件。単純に計算しても、小学校にはいじめのない学校があり、中学校にはいじめのないクラスが殆どで、いじめのない学年も存在しそうだ・・・・。そんな馬鹿な・・・。
僕は「この数字は一桁違うのではないか?」と言った。教育長は「正規のルートで報告された数字なので、間違いがない」と答弁したが、「その正規のルートが危ない」と僕はいった。

色んな教師がいる・・・
どんな学校にも色々な先生がいるものだ。一番凄いのはいじめをかなり早い段階で察知し、親が気づかない前に解決してしまうような凄腕職人タイプ。次はいじめには気づくが、なかなか解決できないタイプ。3番目はいじめに気づいていても気づかないフリをするタイプ。4番目はいじめに気づきもしないタイプ。そして5番目は率先していじめをするタイプだ。
1番、3番、4番、5番のタイプはまず「いじめ」があったことを報告することはない。いじめを報告するのは2番のタイプ。しかもいじめを報告することで、自分の責任が問われることから逃げない先生だけだ。そして校長にも二つのタイプがいる。教師達からの報告を教育委員会に報告するタイプとしないタイプ。これは圧倒的に報告しないタイプが多い。そう考えると、桁が一つ違うのではという見方は甘いのかも知れない。

パワハラ
学校の先生達がうけるパワハラもかなり深刻である。これも日本全国で行われているのだが、新座市はゼロだという。パワハラを報告する馬鹿な校長はいないから、教育委員会は独自の調査をしなくてはいけない。それをしもしないで、「パワハラの報告はありません!」と自信満々に言ってもらっても困るのである。まあ校長に対する教委のパワハラなんていうのも、全国的にありそうだからなかなか認めたくはないだろうが・・・・。報告がなければ「無い」という感性は、「行き過ぎた生徒指導は無なかった」という陵平のことにも通じる。いじめを受けた生徒の気持ちになったり、パワハラを受けた先生の気持ちになったりすることができないのだろう。そういう感性を持った人間が上にいると「いじめ」は起こりやすくなるのだ。 
 たかやん


12月26日 (火)  「たかやん議員日記」2006.第360弾!  12月26日(火)

「たかやん議員日記」2006.第360弾!  12月26日(火)

出現率
いじめの件数がかなり怪しい数字なのに対して、不登校の数字には信憑性がある。17年度の小学校の不登校の件数は18人。中学校では169人。合計で187人。問題なのはその出現率(100人当たりの不登校児数)だ。小学校では新座市の出現率が0.21に対して、県の出現率が0.33。これは県の平均を下回っているということだ。それに対して、中学校では新座市が4.76なのに対して、県は3.13。県全体で考えると、中学校は小学校の9.48倍の不登校出現率だが、新座市は22.66倍の不登校児出現率ということになるのだ。要するに新座市の学校では・・・小学校は県平均と比べてもかなり「暮らしやすい」が中学校は小学校と比べて22倍以上不登校が多く、県の中学校の平均の倍以上「暮らし難い」環境にあるということになる。この差はいったい何だろう・・・・市教委は本気で考えたことがあるのだろうか。12月議会で「この不登校の子供たちの中でいじめが原因の子ども達は何人ですか?」という僕の質問に、教育委員会は「把握していません」という答弁だった。勿論、この中には友達からのいじめもあれば、先生からのいじめもあるのである。陵平の時もそうだったが、体罰だけがいじめなのではない。言葉によるいじめの方が、後々まで心を傷つけるものなのである。校長からのいじめの報告に、実態など見えてこないのは当たり前なのである。そういうことが分かる人もいるはずなのだがなあ・・・・。

パワハラ
一方でパワハラの例もかなり耳にする。自分の子どもの卒業式に「年休」を取らせなかったとか・・・・1年、2年と学年主任を続けて、生徒からも、学年の教師からも信頼されていた先生が学年を外されたとか・・・職員会議で原案に反対したら、校長室に呼ばれて叱責されたとか・・・みんな当事者以外から聞いているから、相当有名で酷い内容なのだ。言葉によるパワハラなどごまんとあるのである。僕も進路の査定会議で「進路指導」などしたことのない教頭にみんなの前で叱責されたことがある・・・子供たちと一緒に卒業する積りだったから、どうでもよかったが、そうでなかったら、本当に困っていたと思う。学年の先生達で僕をかばってくれた先生はいなかったし・・・当たり前だが、子ども達は全員希望校に入ってくれたけれど・・・・。
この2年間だけで、中学校3年の担任が3人も学期の途中で辞めていることが気になる。9月に二人。11月に一人・・・普通じゃ考えられないことが2年で3人というのはかなり異常なのである。僕は3人のうちの2人を知っているが、そんなに無責任な先生達ではない。何があったのかは分からないが、中学校の先生達のストレスは大変なものだろう・・・・。言えることは「共通理解」に「同一行動」などという北朝鮮のような指導方法では子ども達はまともに育たないということだ。   たかやん


12月27日 (水)  「たかやん議員日記」2006.第361弾!  12月27日(水)

「たかやん議員日記」2006.第361弾!  12月27日(水)

締め切り
今日は議会便りの原稿の締め切り日。新年号の議会便りの編集後記と新年の挨拶文を議会事務局へ届けた。そして一般質問の原稿の校正・・・・。住所変更届を2通書いて・・・銀行口座の変更も提出して・・・朝から、なかなか忙しかった。

組み立て
ちょっとだけ複雑な棚の組み立てをやった。2時間ほど汗をかいてできあがったのだが、その間、たまっていたビデオを見ながらやったので、結構楽しかった。

14才の母
そのビデオが「14才の母」。結局あのドラマは「家族愛」がテーマなのだと分かった。中学生の恋愛ドラマではなくて、家族愛のドラマ・・・最終回を見ながら、僕は母さんのことを思って泣いてしまった。

母さん
今日は久し振りに母さんが外出して、空はスイミングで・・・僕が家に一人だった。石神に越してきてから、初めてのことである。テレビを見て、泣くにはもってこいのチャンスな訳で・・・命がけで僕を生んでくれた母さんに一人、感謝して泣いたのだった。

ひさ子
母さんの名前はひさ子。そして神さんは久子。僕はまだ神さんがこの世にいないことが信じられない。8880の車に乗っていた、神さんの姿が忘れられない。

鶴亀算
今日は小学生達と「和算」に挑戦した。小学校6年生の教科書には面白い「クイズ」のような問題がたくさん載っていて面白い。鶴亀算の考え方は、色々なところで応用できるので、ちょっと気合を入れて教えてみた。

ホームページ
今回の議会で、市教委の指導力の凄さを僕は再確認した。「ホームページの更新日」を資料要求したら・・・・あっという間に殆どの学校が更新したのだ。それまでは数ヶ月(1年以上もあったかな?)もほったらかしにしておいた学校も、市教委の指導でつい最近の更新という資料が出来上がったのだから、市教委の力の凄さが分かる。ただホームページの内容にはかなり問題がある。学校によって余りにも差があるし、どうも魂が入っていない感じがするのだ。その点、杉並の和田中のHPは凄い。学校長の気合がビンビン伝わってくるのだ。ああいうリーダーが新座にも出現しないかなあ・・・・・
たかやん


12月28日 (木)  「たかやん議員日記」2006.第362弾!  12月28日(木)

「たかやん議員日記」2006.第362弾!  12月28日(木)

朝の公園
今日は今年最後のゴミだし。ついでに目の前の公園の掃除をする。煙草の吸殻、お菓子の箱、ジュースの缶、酒の缶・・・飲んで、食べて、後は邪魔だから捨てていく・・・そういう大人ばかり見て育ったか、そういう教育しか受けていないか・・・・いずれにしても可哀そうな育ち方をしているなあ・・・
天気は上々、公園は綺麗。今日もいい一日になりそうな予感。

布団
母さんの布団を干した。畑中時代は工場の煙で、布団を干すのは土日だけ。でも石神にはそういう匂いはないから嬉しい。小さな親孝行ができたような気がする。

ソフトバンク
携帯の電波が入らない。しかも僕のだけだ。電話がこない・・・メールがこない・・・流石に困って、今日携帯を変えた。でも、アドレスもあるからやっぱりヴォーダフォン、いやソフトバンクにした。
「音楽とか・・」「いや、聴きません」「インターネットとか?」「いや携帯では使いません」「写真は?」「撮りません」「ああ・・・そうですか・・」「はい、そうです」結局、3500円払って、薄い携帯になったのだった。勿論、テレビは見れないし、くるっと回ったりもしない。でも電波がいいので、OKである。

640円
12時から16時まで西堀でテニスをやった。子ども達にテニスを教え、おばさん達にテニスを教え、教え子達とテニスを楽しんで・・・我が家は一人320円ずつのコート代を支払った。安いちゃあ安いが、税金で作ったコートなのだから、もう少し安くしてよという気もする。
 
怪我
今日は空がラケットで怪我をした。隣で並んでいた子の振ったラケットが空のおでこに当たったのだ。「振るな!」「危ない!」と叫んだが、間に合わなかった。中学生でも小学生でもテニスの事故で一番怖いのが、このタイプの事故である。子どもたちは嬉しくてしょうがなくてラケットを振る。間違いなく怪我をしたのは僕のせいである。目に当たると失明することもあるのだから怖い。本当に危なかった・・・・。カメラに集中している場合ではなかった。

友達
今日は友達の家族が遊びに来た。僕よりちょうど一回り若いのだが、子どもの歳は同じ。奥さん同士も仲がよく、みんなで大いに笑った。その後、応援団長の一早も野寺から自転車でかけつけ・・・0時近くまで、飲んで語ったのだった。    たかやん


12月29日 (金)  「たかやん議員日記」2006.第363弾!  12月29日(金)

「たかやん議員日記」2006.第363弾!  12月29日(金)

散歩
朝ごはんを食べる前に塾まで歩いて行ってみた。風が冷たくて体がなかなか温まらない。それでもウォークマンスティックの英語をブツブツいいながら歩けるので、飽きることはなかった。往路にかかった時間は23分。そして復路は・・・黒目川を歩いてみた。車が走っていないので、行きより英語に集中できた。結局往復で50分。飲んだ次の日の朝は散歩に限る。

ブランコ
空と家の前の公園で遊んだ。空はブランコが大好きで、「パパ、もっと大きい!」と背中を押せとうるさい。まだ自分で上手にこげないし、「大きい」というところがおかしい。そのくせに、結構高くまで押すと「オッケー」となまいきな口をきく。今日はその「オッケー」を何度聞いたことか・・・

太陽
「空ちっち!寒くないの?」と聞くと「さむくないよ。たいようがいるからさむくないよ。」と眩しそうに太陽を指す空。ブランコを握る手は冷たくなっているのに、太陽がいるから平気だという。「あしたもここにこようね!」と空。家から30秒のところに公園があってよかった・・・・。

スイミング
「空が上手になったよ」というので、久し振りにスイミングクラブに行った。「あら、空君のパパ、ひさしぶりです!」と先生達も声をかけてくれる。そして空の泳ぎは・・・前に見たときとは比べられないくらい進化していた。子ども達の可能性は本当に凄いと思った。

整骨院
余りにも肩と背中に激痛が走るので、久し振りに阿部整骨院に行った。「どうしちゃったんですか?」「もうカチカチですよ」と先生達に言われた。首、肩、背中、腰、膝・・・痛みのある場所が限りなくある。なんだかオッサンになってしまったなあと思った一日だった。

浦和レッズ
レッズ対アントラーズの試合の後半を見た。一番好きなチームがレッズで、次がアントラーズだから、かなり複雑な思いで見た。小野伸二が活躍して2−1でレッズの勝ち。アントラーズも頑張った試合で、かなり満足できた試合だった。そういえば、最近サッカーをやっていない。サッカーもテニスも見るより、やらないとつまらない。年が明けたら、みんなでボールを蹴りたい。    たかやん


12月30日 (土)  「たかやん議員日記」2006.第364弾!  12月30日(土)

「たかやん議員日記」2006.第364弾!  12月30日(土)


母さんが「庭に花が欲しいわね」と言ったので、みんなで花を買いに行った。その花たちを庭にセッティングしていると・・・空が「お花かわいいね」と花たちと話をしながらずっと見ている。高いところに置くと、空に見えないので、低いところに置くことになったのだった。

ホームページ
どういう訳だか、ホームページの調子がおかしい。例によって、サーバーがやられたのかも知れない。でも日記は普通に書き続けている。そのうち復活するだろうから・・・。

幸弘
そんな訳で、暇だから人のホームページを見てみると・・・幸弘のホームページにぶつかった。12月28日に更新している。なかなかやるじゃん!笑ったのは「小学校のころの宿題で一番苦手だったのが日記。というところ・・・(俺と一緒じゃん。)それにしてもホームページの幸弘の写真は若い。気合が伝わってくるホームページだった。

忘年会
今日は江古田で石神井時代の友達と忘年会があった。集まったのは8人ほどのメンバーだったのだが・・・・僕らは6時から11時くらいまで、語りに語って、飲みに飲んだ。

哲ちゃん
久し振りに哲ちゃんに会った。哲ちゃんは小学校の校長先生。昔から、優しいオーラを体中から出している奴だったが、さらにそれに磨きがかかったような気がした。子どもたちといつも一緒にいると、そういう“気”が強くなるのだろう。哲ちゃんのような校長先生だったら・・・子どもたちを安心してまかせられる。そう思ったのだった。

お風呂
学生の頃、僕はよく哲ちゃんの家に居候をしていた。北海道から帰ってきては、哲ちゃんの家に転がり込んだのだ。23時間の夜行列車に揺られて、汚い格好で「江古田」に来る僕。そんな僕を哲ちゃんのお父さん、お母さん、妹がいつも笑顔で迎えてくれた。「お帰りなさーい!」「さあ、お風呂に入った、入った!」僕の為にお風呂が沸かされ、そして風呂から出ると温かい夕飯が用意されていた。まるで本当の家族みたいにわいわい話しながら食べ終わると・・・・「さあ、さあ疲れているんだから、哲夫の部屋で寝なさい。」と僕を哲ちゃんの部屋に連れて行き・・・僕は安心して、眠るのだった。
哲ちゃんがバイトから帰ってくるのは真夜中過ぎで・・・僕が目を覚ますと「おう、起しちまったか?悪い、悪い」と僕に謝る哲ちゃん。「悪いな、お前のいない間に・・・」と僕。「何言ってんだよ」「飲むか?」「そうだな・・少し飲むか」「おう・・」毎回、そんな会話があったような記憶がある。今夜もそんな話をしていたら、泣いてしまった。いくら感謝してもしきれない人達が、もういなくなってしまっていたのだ。
最後はみんなで西武線に乗って帰った。東久留米の駅に降りると、見慣れた車が僕を待っていてくれた。たかやん



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