Diary 2004. 10
メニューに戻る
10月1日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第198弾! 

「たかやん議員日記」2004.第198弾!  10月1日(金)

陵平
マンションの10階から下を見る。陵平が飛び降りた場所が遥か下に見える。胸が震えてくる。恐かっただろうなあと思う。この恐さを乗り越えた陵平が耐えられなかったのは何だったのだろう。あの学年集会だったのかい?それとも学年の先生全員に自分を否定されたことだったのかい?僕は陵平に尋ねた。きっとどちらもしんどかったんだろうなあ・・・・。あの頃の二中でリーダーとしての自分の存在が無くなってしまうと思ったのかも知れないね。いずれにしてもあの恐怖よりも辛いものがあったから、陵平は飛んでしまったのだ。

陵平が亡くなって、毎日来ていた校長はあれから一度も来ていない。担任も学年の教師たちも誰も来ない。まるで自分たちとは関係がないといっているようだ。カウンセリングマインドが聞いてあきれる。口では何とでも言えるのだ。今年も陵平の友達は集まってくれた。料理を作って集まってくれた。明日も何人か来てくれる。あの学校の教師達の冷たさと、友達の温かさとを感じた一日でもあった。


10月2日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第199弾! 

「たかやん議員日記」2004.第199弾!  10月2日(土)

お年寄り
父さんが亡くなって25年になる。母さんに電話するとあたしももうすぐ80だからねえ・・・はやいわねえ・・・。そこで僕はこう言った。「80歳。凄いよねえ。あの時代を生き抜いてきたんだから・・。立派なもんだよ。最近社会はお年寄りに冷たいけどさ。本当にみんなすごいと思うよ。」すると母さんはこう言った。「そうよね。欲もないし、何にも恐いものはないわ。子ども達にも孫達にも思われて幸せよ。」

父さんや母さん達はあの戦争を乗り越えて生きてきた。戦後の焼け野原から立ち上がって今の日本の繁栄を築いてきたのだ。何もないところから、絶望しないで生き抜いてきたお年より達を僕らは大事にしているだろうか・・・・。今の日本を作ってきた人たち、そしてこれからの日本を作っていく人たち。主役はどんどん交代していく。今の主役もやがては脇役になる日が来る。その時に邪魔者扱いされたくなければ、今も大事にすることだ。お年寄りと子ども達を大事にしないと日本の未来は危ない。

さて、9月議会が終わったばかりなのですが、6月議会の議事録ができたので、それを掲載します。僕は3月議会でも4点、6月議会でも4点、教育長に質問しました。議会便りでは二中のことしか載っていませんが、他のことも質問しています。どうぞ教育長の答弁をご覧ください。

 ◎高邑朋矢議員
 
〇議長(三村邦夫議員) 続いて、11番、高邑朋矢議員の一般質問を許可いたします。
 11番、高邑朋矢議員。
   〔11番(高邑朋矢議員)登壇〕
〇11番(高邑朋矢議員) 11番、高邑です。通告書に従って4点質問いたします。
 2000年秋の二中の2年生の自殺について、再度質問します。この事件は、もう皆さんおわかりだと思いますけれども、2000年9月28日、二中の2年生のある生徒が昼休みにベランダに出ていて、そこでハイチュウというお菓子を食べていたことが発覚し、その後放課後教室で担任の先生に聞かれて、9名の生徒が学年全体の先生に指導されます。その後、その数が21名になります。学年全員の先生プラス生活指導担当の先生に生徒たちが指導をされたと。その時点で反省文を書かされています。その反省文については、3月の議会で読ませていただきました。その後、親に連絡が行き、それから次の週の学年集会で決意表明をしてもらうと。それから、ライターを持ってきた生徒に関しては、親を呼び出すと、そういう指導がされたわけです。大貫陵平君は、その次の日、担任からの突然の電話によって母親にその内容を知られ、そして少しの会話の後10階から下に飛び降りました。この重大な事件、子供の命が亡くなってしまったという重大な事件に対して、私は3月にこういうふうな質問をしました。大貫陵平君が自死してから3年以上の月日がたちました。ベランダで休み時間にお菓子を食べた生徒に対する指導で起きた事件を今どのように考えていますか。また、事件以降どのような努力をして、再発を防いできたのでしょうか。こういう質問をしたのです。ところが、教育長の答弁を聞いて、全く納得ができませんでした。
 大貫陵平君です。13歳と10か月しか生きられませんでした。今もし生きていれば、17歳と7か月です。高校3年生になります。高校3年生というと、先月の末の所沢高校の3年生のカンニング事件による自殺のことを皆さん連想すると思うのですけれども、私も同じでした。同い年というのももちろんあるのですけれども、カンニングしたかしないかは別として、複数の教師によって1人の生徒が指導を受け、そして母親にごめんなさいというメールを残して、遺書を残してそして死んでしまった。非常によく似ているのです。この事件が起きたときに、私のところにやはり10通以上のメールが届きました。どうしても陵平君のことを連想してしまう、そういうメールが届きました。その中から、陵平君のお母さんの政江さんから来たメールをちょっと読ませてもらいます。「きょうは、勤務先の運動会です。もうすぐ出勤します。3年8か月前のあの日の翌日も同じように運動会でした。あの年も5年生を担任していて御神楽という民舞に取り組んでいました。なぜか同じシチュエーションです。男子生徒のご家族のことを思います。表現などできない怒濤のような感情の渦の中に今いらっしゃるであろうことを思います。私に何ができるのだろうか、私は何をしなければならないのか。また、この問いを真っ正面に突きつけられたように感じています」これが、陵平君のお母さんの政江さんからのメールです。あれから4年近くたとうとしていますけれども、親の納得できない気持ち、悲しみ、ちっとも減っていないのです。そのことをまず教育長には知っていただきたいというふうに思います。
 私も21年教員やりましたので、この集団の指導というのはやったことが何回かあるように思います。例えば、五中時代の子が三中に殴り込みに行って、竹刀を持ったり、チェーンを持ったり、バットを持ったりして三中へ殴り込みに行ったときに、学年の教師が慌てて引き戻して、みんなで必死になって彼らのことをしかった記憶があります。ただ、やっぱり人を傷つけてはいけないと、君たちはけがをしたらどうするのだと、そういう怒り方だったし、しかり方だったし、そういうすごく重大な事件のときでさえ必ず学年の先生の中には、もちろん怒る人は当然いるわけだけれども、肩を抱く先生もいるわけです。全員が同じように休み時間にお菓子を食べたということで、とんでもないことをしたのだというようなこういう指導をしたことは、私は21年間に1度もありませんし、何でこういうわけのわからない指導を平気でするのかと、今でも全然納得できません。
 やっぱり、私が習ってきたこと、先輩から習ってきたことというのは、しかるときはなるべくみんなにわからないようにしかる、褒めるときはなるべくみんなの前で褒めるということなのです。この学年集会でみんなの前で決意表明をするというのは、みんなの前で謝れに等しいわけです。だから、やはり生徒が、子供たちがどれだけの大きなプレッシャーを感じていたのかということを、やっぱり教師たちは知らなくてはいけないと思います。
 中学校というのは、子供たちは非常に今ぴりぴりしています。昔の子供たちよりも、はるかに今の子たちの方がぴりぴりしている。それは、どうしてかというと、ふだんの生活態度が内申書に関係あるということを子供たちは常々言われているからなのです。陵平君もリーダーと呼ばれていたようですけれども、1年生のときはそうでもないのでしょうけれども、2年、3年になると突然委員会の委員長に立候補する子供たちがふえてきます。何で、おまえそんなにやる気があるのだいと聞くと、やはり内申書のことがもう頭にあるのです。14歳、15歳の子供たちは、内申書をよくするために一生懸命先生の印象をよくしようと、そういうことを考えているわけなのです。その中でのこういう指導だったと、そういうことをまずわかっていただきたいというふうに思います。まず、その点に関して前回と同じように今どう思われているのか。あの所沢高校の事件、同じような事件があった後、教育長はどう思われているのか、その答えをまたお聞きしたいと思うのです。
 大きな問題です。新座市の教育界がこの問題をどう解くのかと言われている大きな問題だと思います。前回の質問のときは、私の中ではいまだ大きな課題です、そういうような答えでした。それから、校長が判断をしたことに私はとやかく言えませんと、そういう答弁が返ってきました。これは、だれも納得しません。教師というのは、子供たちに問題を解かせます。時間内に解かせます。50分でできなければ、答えが出なければ、いまだに課題ですと言ったら、零点なのです。零点なのですよ、答えがまだ見つからないというのは。もう4年近くたっていて、まだ私の中で課題ですとか、答えが見つかりませんというのは、零点の回答だと私は思っております。今どのように考えているのか、まずその点をお聞きしたいというふうに思います。
 事件から1か月の間、具体的に学校や教育委員はどう動いたのか、この問題を解決するためにどういう仕事をしたのか、どう解決しようとしたのかの具体的な動きを資料要求しましたので、お願いします。
 2番目は、同じように3月の議会で決まりを守るということが非常に大事なのだと、そういうことを教育長は言われました。そして、お菓子を食べることは大したことではないと、私はこう言ったのです。ここらあたりから見解が大分違うかなと、私も確かに違うと思います。小さなことの積み上げが大きなことになる、私はいつもそう思っています。そういうふう教育長は答弁されました。言ってみると、悪い芽は小さいうちに摘んでしまえと、そういう指導が教育長のベースにあると。私のベースは、いい芽は、小さいいい芽はどんどん伸ばせという、育てていけと、それが私の教育理念なのです。大きく違って当たり前なのですけれども、その悪い芽を摘んでいく、子供の中の悪い芽を消していくということは、本当にその教育として、新座市の教育としてどうなのだろうかということを考えてもらいたいと思います。
 資料要求として、現在どのような校則がありますか、小中学校でどんな校則がありますかということを要求しました。要求しながら、ではほかの学校はどうなっているのだろうか。いわゆる有名である中学校です、例えば麻布だとか、武蔵だとかちょっと頭に浮かんだもので、問い合わせをしてみました。そうしたら、武蔵は、学校の校則はありませんと、明文化されたものはありませんという回答でした。麻布は、学校の規則はない、標準服はあるが制服はありません。運動部の生徒が外へ、対外試合に行くときだけ着ますと、そういう答えが返ってきました。それから、筑波大附属は、決まりはない、マナーに関するものはある。だけれども、そういういわゆる校則のようなものはないと、こういう返事が返ってきました。
 あとは、おもしろいなと思ったのは開成なのですけれども、3枚ファクスが返ってきたのです。これ、結構あるではないかと思ったのですけれども、例えば生徒が集会等を行うときはこういう届け出をしなさい、生徒が講師を呼ぶときはこういう届け出をしなさい、生徒がこういう印刷物を出すときはこういう届け出をしなさい、つまり生徒が何かをしたいときはこういう許可を得ればできるよという、そういう生徒心得が2ページ半ぐらいあるのです。そして、服装規程というのもあるのですけれども、黒の詰め襟の学生服であれば所定のボタンをつければいいと、制帽の着用は任意とする。運動着も白であれば何でもいいと、体育館履きと運動場履きだけは分けなさいと、こういう決まりなのです。
 それから、立教中学もちょっと送ってもらったのですけれども、立教中学にはちょっと関係あることが書いてありました。飲食は、昼休み及び放課後とし、それ以外の休み時間等での飲食はしない。ただし、モーニングブレイク、第2時限と第3時限の間20分の休み時間では軽食はとってよい。要するに、学校の中で教室の中で休み時間どうぞ食べなさいと、そういうことが書いてあるわけです。子供はおなかがすきますよね。私も朝の6時から練習したりしていたので、よく休み時間に何か食べた記憶があるのですけれども、どんなきょう校則が出てくるのかちょっと楽しみなのですけれども、お聞きしたいのは、その校則を通してどういう子供を育てたいと思われているのでしょうか。こういう校則があるから、こういう校則を守ることで新座市の学校というのはどういう子供を育てたいと思われているのでしょうか、そのことをお聞きしたいと思います。
 それから、3番目ですけれども、全小中学校の管理職についてお聞きしますということで資料要求したのですけれども、何でこんなことを、やっぱり陵平君の事件にもちろん関係があるわけで、2001年5月20日、「朝日中学生ウィークリー」という新聞にこういう記事が載っているのです。学校長は、「原因に思い当たる節はない」、陵平君の自殺について思い当たる節はない。ああいう指導をして1人の生徒が亡くなって、思い当たる節がないという、こういう能天気なことをどうして言える管理職が新座市から出ているのだろうか、この人はどういうところからこういう言葉を出すのだろうか。こういう人が管理職になってもらったら本当に困るなと思ったので、ちょっと調べてみたいと思ったのです。管理職試験、県の教育委員会にも問い合わせたのですけれども、10倍だとか15 倍だとか17倍だとか、物すごい倍率なのです。でも、学校としては自殺の原因に思い当たる節がないという、その共感能力のなさというか、こういう人がどうして管理職になっているのか、ちょっと私は知りたくて、20年間分の資料を要求しました。ところが、3年間分しか出せませんと言われました。それで、きょうは3年間分の資料要求ということになるのですけれども、よくわからないのは教育委員会が評価をして県に推薦を出すわけです。それで、何十倍もの難関を通って管理職試験に合格をした、物すごくめでたいわけです、新聞に載っけたっていいぐらいです。私は、21年間教員やってきて、だれが受かったかと正式に聞いたことはないし、見たことはないのです。何となく暗黙のうちに、だれが合格したってさというので終わっているわけです。なぜ教育委員会が3年分しかつかんでいないのか、これ物すごい疑問なのですけれども、それしか能力がないのか記憶力が悪いのかよくわかりませんけれども、私は21年間教員やって、そこに石島陽子議員いますけれども、布施陽子という名前で私のクラスにいました。どこの高校に行ったか覚えています。普通調査書を書いたら、担任なので私は3年生だけで360人ぐらい卒業生出しましたけれども、どこの高校に行ったか名前もみんな覚えています。27年も昔のことだけれども。だから、何で3年間分の記憶しか今の新座市の教育委員会はないのだろうかというのが、非常に疑問です。
 最後です。小学校の施設の市民への開放は定着してきましたけれども、市内の六つの中学校の施設、体育館、球技コート、校庭等の市民への開放はほとんどされていないと思います。市内中学校の施設を積極的に市民に開放していく考えはありますか。これは、非常に今中学校の校庭や球技コート、体育館もそうですけれども、あいていることが多いのです。私たちがやっていたころは、それこそ元旦から大みそかまでやっていたりしましたので、余りあいていなかったと思うのですけれども、土曜日、日曜日も休みになった関係なのか、顧問が高齢化したのか理由はわかりませんけれども、非常に中学校が、市民の大事な施設が非常にすかすかにあいている、あいていることが目につきます。これは、ぜひ小学校と同じように市民の方に積極的に貸し出しをしてもらいたいというふうに思っています。そういう声がたくさん聞かれます。そのことについて、積極的に開放していく考えがおありかどうか。
 以上、4点についてお答えいただきたいというふうに思います。
 以上です。
 
 ◎資料提出要求
 
〇議長(三村邦夫議員) お諮りいたします。
 ただいま高邑朋矢議員から資料の提出要求がありましたが、これを市長に求めることにご異議ありませんか。
   〔「異議なし」と言う人あり〕
〇議長(三村邦夫議員) ご異議なしと認めます。
 よって、ただいま高邑朋矢議員から提出要求のありました資料の提出を市長に求めることに決しました。
 
 ◎資料配付
 
〇議長(三村邦夫議員) ただいま要求されました資料が送付されましたので、配付いたします。
   〔事務局職員配付〕
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 教育問題4点にお答えをいたします。
 最初に、改めて大貫陵平君に哀悼の意を表します。
 1点目の質問でありますが、その件について今どう考えているかと、こういうご質問であります。前回も同じご質問がございました。私といたしましては、二度とこういうことがないように、自分として重い課題として受けとめておるということを申し上げたとおりでありまして、つい先日も中学生に続いてこういう事故があったと新聞報道等がありました。本当に胸が痛む思いであります。もう決して起こらないようにというのが、私の重い課題であります。それを3月に申し上げました。
 それで、そのことにかかわって決まりのことに絡んで小さい芽を小さい芽のうちにつぶしていくということを3月に答弁を申し上げたわけでありますが、小さい芽というのは問題のある、直さなければいけない芽であります。当然小さいよい芽は、これはもう認めてどんどん伸ばしていく、これが教育であります。事が大きくならないうちに先手必勝、これはいつも校長にお願いをしております。素早く対応して正しい指導をして子供の成長を助けるというのが基本であるということはいつもお願いをしているところであります。それを申し上げました。
 それから、校則の問題であります。麻布とか開成とかという話が出ましたが、校則というのは学校の実態に応じてつくるものであります。教育目表達成のために学校として、この実態だったらこういう校則が必要だなと、その実態に応じて基本的につくるものでありまして、学校によって当然これは違ってまいりますし、またある時期になったら要らなくなる場合もあります。それは、学校の実態に応じておりますので、どこの学校はなくていい、こっちの学校はあって問題と、そういう考えは私どもは持っておりません。
 3点目の管理職の件についてですが、ちょっと質問の意味がよくわからなかったのですけれども、教育委員会、その3年きり資料がないということでありますが、これは志願書とセットで3年の保存期間というのがあります。それにのっとって以後3年で処理をいたします。
 それから、校長はどういう子供の成長を願っているか、どういう子供に成長させようとしているのかというご質問でありますが、これは各学校の学校要覧にすべて載っております。一番上には教育目標があり、学校像があり、児童像、生徒像が載っております。すべて学校それぞれ地域の保護者の皆さんのお声を聞きながら全部それは表示をされておりまして、保護者の皆さんにも学校だより等で年度初めには必ずお知らせをしております。
 4点目の貸し出しの件でありますが、現在もこれは中学校は貸し出しをいたしております。目的外使用の場合には、手続をきちんと踏んで校長の判断で貸し出しをいたしております。原則生徒と一切関係のないことで、学校の経営に、部活動等に影響のないあいている日ということであります。ただ、これも大変学校としては難しいわけであります。といいますのは、校庭をお貸ししたら、その前に自分たちの練習の日に雨が降ってしまったと。3日も4日も雨が続いて、ようやく晴れたらその日貸してしまってあったと、練習したいのだと、こういうようなことも出てきております。できるだけ話し合いをしながら、基本的には学校優先、教育優先ということでお貸しをしているということであります。
 以上4点、ご答弁を申し上げました。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) ありがとうございました。
 その教育目標ですか、私が聞いたのは学校ごとの目標を聞いているのではなくて、教育長は新座市の子たちをどういう子供にしようと思っているのかということをお聞きしているのです。学校ごとにそれは違うからとかいうことを聞いているのではなくて、あなたはどういう子供たちにしたいと思っているのかということを聞いているのです。
 この問題を、教育委員会は学校の責任にしてはいけないと思うのです。普通常識としては、教員というのは校長に管理されているわけで、校長は教育委員会の指示を受けているわけです。学校であったことが、その学校の判断に任せるとか、何かこういう大きなことがあったときに学校長に任せてあるとか、そういう逃げの答弁をしていただきたくないのです。
 資料を見ているのですけれども、教育委員会にお願いしましたけれども、校長は出張していると。私は、具体的な動きと書いているのに、校長出張ではどこに出張したかわからないではないですか。一、二、三、四、五個、校長出張と書いてあります。どこに何の用事で、この大きな事件のときに校長はどこに出張したのですか、それをお聞きしているのです。何で1か月かというと、陵平君の両親が何があったのか、学校で何があったのか、どんな指導があったのかと聞いたことに対して、10月31日、この資料の一番最後にありますね、両親との話し合い。そこまでわからないのです。両親は、そこまで何があったかを把握することはできなかったわけなのです。なぜこんなことが起きるのですか、普通の社会では考えられないではないですか。学校で起きたことなのです。いろいろファクスで幾ら質問しても、電話をかけても忙しいとか、出張があるとか、研修があるとか、陵平君の命よりも大事なものって一体何なんですか、学校にとって生徒の命よりも大事なものがあるように受け取れてしまうのです。それは何なのでしょうか、全然わからないのです。
 私がお聞きしたいのは、教育長の考えなのです。前も言いましたけれども、新座市の学校のリーダーなわけですから、教育長の考えをお聞きしたいのです。今新座市は、実に細かい指導というのですか、そういうのが本当に行き届いているように思うのです。例えばある小学校では、げた箱に靴をそろえるときに、げた箱のへりから1センチ中に入れなさいと。それをチェックしている先生がいるわけです。実にきめ細かい指導です。そういったことが新座市の学校で行われている。私なんかもちっちゃい子がいますから、非常に不安なのです。そういう細かい、ちょっとしたことで怒られると。今そういう目で新座市の学校というのは見られているのです。ちっとも伸び伸び育っていないと。子供が命を失っても学校はちっともそれに対して真摯に向き合っていないと、納得できない、こういう声が非常に強いのです。その辺、ちゃんとお考えを言っていただきたいと思います。
 陵平君が亡くなったときに、学年主任や教頭は申しわけありませんでしたと、頭を下げています。申しわけありませんでした、学校のその場にいた人が、責任者が言っているのです。その後、どうして1か月たった後に、申しわけありませんでしたが、学校の指導に間違いはなかったと、そんな自信満々に言い切れるのですか。そして、それについて教育委員会としては学校長が判断したことだから、私の方では判断できない。では、教育委員会なんか要らないではないですか。校長が判断したことに間違っていると言えるのは、教育委員会だけではないのですか。我々が幾ら言ったってだめでしょう、それが言えるのは教育長が一番言えるのではないですか。教育長の考えを、本当の考えを聞かせてください。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度のご質問にお答えいたします。
 1点目、教育長はどういう子にしたいか、教育長自身の考えを。これも何度もいろんなチラシ、あるいは広報等で市民の皆さんに知らしめているように思っているわけでありますが、子供が幸せな人生を送るには小中学校の段階でどういう力をつけたらいいのかと、これが一番私の出発点であります。当然それには知、徳、体、決まりを守る、社会生活をしっかりできる、個人の力を十分発揮して、自分の力を存分に伸ばして、自分の人生を切り開いていくたくましい力、強い子を育てていく、これずっと申し上げているところであります。どういう子に、そしてそういう子を求めて各校長もそれなりの学校の子供たちの実態を見詰めて、うちの学校ではそういうふうに進めるためにこういうことにしようという教育目標を徹底している。これは、当然もうそういう順番は議員におかれては承知をしていることと思います。校長の判断に任せるというのは、何任せているのだかちょっとわかりませんけれども、校長の権限でやるものと教育委員会の権限でやるものとがあります。このいろいろと起こった一連のことについての判断、これは私ども教育委員会ではこれをどうするこうするということをできる立場に、それほどの情報は持ち合わせておりません。ただし、相談をずっと続けております。事実を聞いては相談し、事実を聞いては相談し、もう何十回もやっております。そして、最後にこういう判断でどうだということで話をしているということでありまして、最終的にはこれ校長の判断、権限でありますから、私ども指導はずっと続けております。任せては決しておりません。
 申しわけありませんでしたという言葉につきましては、いろいろな意味があるかと、ちょっとわかりませんけれども、こういうことが起こるのを発見できなくて申しわけなかったかもしれないし、何があれだったか、前の方はちょっとわかりません。ただ、少なくとも原因が現在わかっていない、それは重い課題であろうと思っております。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 子供が幸せな人生を送れるように、そう考えて指導した結果、子供が死んでしまったのです。
 決まりを守ることが大事だ、そういう指導をしたことで子供が死んだのです。それで何も感じないのですか。学校と何十回も話し合いをしていると、何十回も話し合いをした結果、学校には責任はありません。私たちには全然責任はないのですというのが、それが答えなのですか。では、だれが、何がいけないのですか。わからないでは、答えになっていないわけです。子供は納得しませんよ。子供は、こういう答えをテスト用紙に書きなさいと、わからなければバツになるわけですよね。こんなに大きな問題が起きて、あなたが言っている一番大事なものを失って、何十回も話し合いをした結果が、自分たちに間違いはなかった、悪いのはだれかほかにいるだろうという結果を出しているわけではないですか、その当時の二中は。それを教育委員会としては指導できない、それはおかしくありませんか。教育長自身も何回か陵平君の両親から一度会ってくれと言われていますよね。でも、忙しいから会えないという返事をしていますよね。教育長自身は、両親の話し合いにどうしてこれ出られなかったのでしょうか。それとも直接会ってお話をしていますか。10月31日の両親との話し合いにどうして教育長は参加されなかったのでしょうか。今たくさん資料があるのですけれども、教育長の名前が全然出てこないのです。
 それから、さっき、どこに出張したのかというお答えをされていないのですけれども、校長の出張は一体どこだっだのでしょうか、教えていただきたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 学校教育部長。
〇学校教育部長(金子広志) 高邑議員の校長の出張についての質問にお答え申し上げます。
 校長は、出張という用務がありまして、日々そういう用務を日常こなしているわけですけれども、こういう大きな事件、事故があったということでありまして、その後臨時の校長会を開催をしております。その校長会に出たり、あるいは定例の校長会等も10月5日には開催をして、教育長から命の大切さということについて各学校で子供たちに教育をするようにというような指示もこのときも出ておりますし、また10月13日におきましては県の訪問がございまして、この県の訪問の担当者からの全体指導がございましたので、新座市役所に出張しております。また、10月19日等につきましては、子供たちの新人の陸上競技会がございましたので、そういった競技会に校長として引率をしたということもありますし、10月25日におきましては朝霞地区の予選会に引率をしたということでございます。そういったことで出張をしております。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度のご質問にお答えをいたします。
 幸せな子供をつくるために決まりを守らせたから、そういう指導をしたからこういうことになったのではないかと、こういう質問でありますが、この決まりを守る指導と守らせる指導とこの件と、イコールでつながるかどうか、私は別に考えたいと思っております。学校としては、教育委員会としては、子供たちが社会生活をしっかりできるように決まりを守らせる、守る、そういう指導はずっと今後も続けていきますし、必要なことと考えております。それとイコールにつなげることができるのかできないのか、これは全くわかりませんけれども、私どもとしてはこれは全然別の次元の問題かなと思っております。
 それから、ご両親との話し合いの件につきましては、答弁を差し控えさせていただきます。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 差し控えさせていただきたいと、どういうことなのでしょうか。差し控えないでください。
 だって、子供が亡くなっているわけですよ、わかりますか。私だって同じことをしますよ、自分の子供がそうやって亡くなったら。校長にも言いますよ、教育委員にも言いますよ、教育長にも行きますよ。それで、忙しいから会えないと言ったら、自分の子供を命は何なのだと思うではないですか、そういう態度が不信感を招くわけです。
 それから、あの指導とあの事件とを別に考えたい、それは別に考えたいですよ、学校側としては。教育委員会としても、別に考えたいのはわかります。私が、どうしてもわからないのは、こんなことで、いいですか、こんなベランダに出てお菓子を食べたということで、その友達の名前を全部言わせて反省文書かせて親に通報して、学年の前で、みんなの前で決意表明までさせる、これに驚くわけです。これで、そんなに大ごとになったらほかのことのときはどうするのですか。法を破ったときは、どうするのですか。何で、こんなちっちゃなことで。私は、ちっちゃなことだと思いますよ、ベランダでお菓子を食べるなんて。本当に許せないことですか、本当に正しいことなんですか、それでみんなで寄ってたかって、学年全部の先生が来るわけですよ、そのときの中学生の気持ちがわかりますか。
 教育長、この間こう言われましたよね、「何でおまえが」、小学生のとき「何でおまえが」と言ったときに涙を流したと。1人の先生に言われたって子供は泣いてしまいたい気持ちになるのです。それを、学年全部の先生と、ほかの学年の先生にまで責められて、陵平君はどんな気持ちになったのですか。突然母親に電話をされて、陵平君だけ違うのです。ほかの20人の子たちは、死んでいません。でも、陵平君だけは死にました。だから、陵平君がおかしいのではないかという考え方はおかしいです。陵平君だけ違うことがあります。それは、担任が陵平君に予告なしに母親に電話を入れたということです。それから、ライターの件を母親に尋ねさせているのです。12人の教師が、おまえたちとんでもないことをしたのだよと言った後に、13人目が母親なのです。そういう役割を母親にさせているのです。陵平君が亡くなった夜のことです。陵平君の母親です。「陵平、大事な話があるんだ、テレビ消して」、陵平、無言でテレビのスイッチを切る。母、「今池田先生から電話があったんだけど、学校でお菓子を食べたって本当」、陵平「うん、ごめんなさい」、母「ライターを学校に持っていったっていうのも聞いたんだけど、そうなの」、陵平「うん、ごめんなさい」、母「ライターで何をしようと思ったの」、陵平「ただ持っていっただけ」、母「まずいことしちゃったね、ライターを持ってきた子供の親は来週学校へ呼び出しだって。でも、私は月曜日ちょうど休みだからいいよ、行ってくるよ。来週学年集会もあってね、そこで決意表明をしてもらんだってさ、陵平はその準備をしておかなくちゃいけないね」最後に母親と陵平君はこういう会話をしているのです。そのときの陵平君の気持ちがどんなだったかわかりますか。
 学校の先生全員に、おまえたちはとんでもないことをしたんだ、リーダーなんだから。とんでもないことをしたんだ、反省文、立派な反省文書きましたよ。陵平君の遺書を覚えていますか、「死にます。ごめんなさい。たくさんばかなことして、もう耐え切れません。ばかなやつだよ。自爆だよ。じゃあね。ごめんなさい」私、これを読んで涙が出たのですけれども、すごいなと思ったことが一つあるのですよ。それは、だれも責めていないのです、だれの名前も出していないのです。二中のニの字も、先生のセの字も、何も出していないのです。自分が悪いと言っているのです。でも、中学校2年生の子供が、お父さんとオートバイの試合に出ることを楽しみにしていた13歳の子が、何で死ななければいけないのですか。これ、絶望したからではないですか。未来に絶望したのですよ、何で絶望しなければいけなかったのですか。お母さんが、このたったこれだけのことを言ったから、それが原因で死んだのですか。教育長自身が言われていたではないですか、一言一言の中に重みがあるのだと。その重みを12回ぶつけられて、母親から13回目が来たのです。母親は、しようがありませんよね、担任の先生にそう聞いてくれ、ライターの件聞いてくれと、学年集会で決意表明をしてもらうということを伝えてくれと言われたのだから、そう言うしかありませんよね。私が親でも多分そうしますよ、いや、そんなことやらなくていいと言えたら、これは大した親です。普通は、担任の先生ですから信頼していますから、やっぱり言ってしまいますよ、そのとおり。それを悔いているのです、お母さんは。そのときの陵平の気持ちがわからなかったと、わかりませんよ、でも学校でそんなことがあったのわからないのですから。
 両親は、教育委員会に、あるいは二中に幾つか要望を出しています。例えば大勢の先生で少数の生徒を指導するやり方はやめてほしいと、あるいは反省文を書かせるような指導、あるいは自分の友達を売ってしまうような、そういうような指導はやめてくれと。あるいは、アンケート調査をしてほしいとか、そういうことを二中に要望を出しています。全部ことごとくノーなのです、返事は。そういうことが、教育委員会は逐一知っているはずなのです、違いますか、それとも知らなかったのですか。
 それとも、教育委員会の指導でそういうことを二中はやられたのですか、教えてください、何があったのか。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度のご質問にお答えをしますが、ちょっと意味が十分理解できないところがありますので、もし外れていましたらまたお願いしたいと思いますが、両親との話し合いにつきましては、ご両親とのお約束がありますので、差し控えさせていただきます。
 それから、お菓子の件につきましては、この当時の議会でもご答弁をし、経過を説明してあるのですが、改めて申し上げますと、発見されて担任が指導をしたと。そうしたら、またしばらくしたらそれが広がっていたと。おさまっていない、それで数人の関係ある担任の教師がその関係のある子供たちを集めて指導したと。それでも、何日かたっておさまらなくなって学校でどんどん広がっていったということで、学年で指導し、学校全体で指導しと、順番を踏んで指導していったと、こういうことの経過であります。急に1人の生徒をみんなの教員で囲んでやったと、そういう指導ではありません。段階を踏んで、結局指導しても指導しても広がっていった、そういう事実を何とか改善したいということで学校全体が今度かかわってきたと、最終的にはそうなったと、こういう経過であります。
 そういう指導について、特に問題はないと考えております。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 両親が要望しているのに、両親との話し合いの結果のことがあるので申し上げられないと言ったのですか、そういう意味ですか。ちょっと、さっきの答えがわからなかったのですけれども、どうして両親と話し合いをされなかったのかと私は尋ねたのですけれども、両親との話し合いの結果、控えさせていただくということなのですか。
 なぜ一番、この大問題、私は教育長が直接携わっていないのかが非常に気になるところなのです。それが、さっき順を追って、こういう手はずでやった、こういう段階を踏んでやった、だからこの指導に間違いはないと、だって死んだら間違いではないですか、どんな手続とろうが。何で子供が死んだのに、段階を踏んでいったから正しいのだと、そんなばかな発言があるわけですか。子供が死んだわけです。この間の質疑のときに、学校の決まりと子供の命とどちらが重いかなんていうそういうことをはかりにかけられないと言っておきながら、それほど子供の命が大事だと言っておきながら、段階を踏んだ指導だったから間違いはないというのは、これは何なのかなと思います。段階を踏んでいたら子供が死んでいいのですか。所沢高校は、同じことをやったではないですか。私が、何でこれしつこくやっているかというと、また新座市の子供でこういう子が出たら困るから言っているのです。段階を踏んだ指導で殺されたらかなわないのです。
 自分の子供たちが学校へ行って、細かいことまで積まれていって、ああ、またこれやったからだめ、学校の決まりだからこれはだめだと言われて、休み時間にお菓子を食べたことで、また同じことやりますか、では。もう一度同じことを本気でやりますか。段階を踏んで正しかったことだったら、では同じ子供が出たときに、いいですか、ベランダでお菓子を食べた子がいたときに、同じことをやりますか、正しかったのだから、では。二中であの事件があったときに、では何で六中は同じような指導をしなかったのですか。ベランダに出ている子なんかうじゃうじゃいました。何で学校によってそういう正しい指導の方法が違うのですか。学校任せなのですか。教育委員会というのは指導して監督をする、そういう立場ではないのですか。いいですか、もう一度お尋ねします。
 正しい指導だったのですか、段階を踏んでいたから、子供が死んでも。そういうお考えなのですか。また、このことを繰り返しますか、新座市の学校で。ベランダに出てお菓子を食べた子がいたら、同じ指導をして、それでいいのですか。私は、もう心配でしようがありません。答えてください。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度のご質問にお答えをいたします。
 両親との話し合いを持ったのかということにつきましては、ご両親との約束があるので、それについては答えは差し控えさせてもらいたいと、こういうふうに申し上げています。
 それから、段階を踏んだ指導につきましては、これはケース・バイ・ケースであります。何でもこれやるというわけではありません。その場、その場に応じて学校で指導を考えることだということを申し上げているので、ああいう指導をしろ、こういう指導と、そこまで教育委員会は指示はいたしません。これは校長の責任でやることであります。
〇議長(三村邦夫議員) 以上で、11番、高邑朋矢議員の一般質問を終わります。
 これにて一般質問を終結いたします。


10月3日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第200弾! 

「たかやん議員日記」2004.第200弾!  10月3日(日)


昨日掲載した6月議会の議事録を読み直してみた。どうして質問と答弁がこんなにもかみ合わないのか・・・。国会中継に似ているかも知れないなと笑ってしまった。議会便りを読んで、なんで二中の事件ばかり取り上げているの?という声も耳にする。議会便りは「一般質問」のほんの一部が掲載されるだけである。いくつかある質問のさらに一部が議会便りに載るのだ。
あの議事録を読んでもそう思うだろうか。3月の議事録、6月の議事録を読んでもそう思うだろうか。子どもの命に関わることを、そんなに簡単に終わらせていいのだろうか。自分が親だったらそれで諦めがつくだろうか。
学校側、教育委員会側はそれは終わりにして欲しいだろう。忘れてしまいたいだろう。だけどああいう答弁しか返ってこないまま、このまま終わらせてしまったら陵平の死はどうなるのだ。無駄死にという言葉があるけれど、まさに無駄死になってしまうではないか。13歳のこどもがあの10階から飛び降りる時の気持ちを考えられたら・・・・そんなことは人として許されないと思う。
そう人として僕はこの問題を取り上げ続けるつもりである。教育で一番大事な問題だから。学校での「いじめ」もこういう感覚で起こるのだ。本人達に「いじめ」の意識はない。当たり前の「指導」だと思っている。「規則」を守らなかったのだから当然だという理論だ。
ベランダで休み時間に「お菓子」を食べた。ではみなさんが教師の立場だったらどうしますか?
プロの教師はそんなつまらないことでは「本気」はだしません。中学校というところは色々な事件が次々と起きます。そんなことにエネルギーを使っていたら神経が持ちません。勿論ぱっと叱って「はいおしまい!」これはありです。「ふざけるな!」と本気で怒るふりをする教師が一人いるのもOKです。こどもたちはあの人に見つかったら「運」が悪かったと諦めます。だけどそういう先生から親に連絡が入ることはありません。プロの教師は普通、指導に親の力はかりません。親に連絡をするということは自分達がアマチュアだということを認めているようなものなのです。だから親に連絡をするということはまずしないのです。するときは「褒める時」です。それがプロってもんです。
プロの教師はもっと「授業」に気合を入れます。子ども達の目を輝かせるにはどうしたらいいか・・・・。ここにポイントを置くのです。

新座の中学校は北朝鮮でもなければ帝国陸軍でもない。お菓子を食べて死ななきゃいけない訳がない。きまり、きまり、きまり、きまり・・・・糞食らえだ!くだらない「きまり」を守らせることは教育でも何でもない。決まりの意味も教えられないで、ただただ決まりだから守れ!といって怒ってばかりいるアマチュアに習う子ども達は不幸である。
新座にはプロの教師が山ほどいたのだ。今だっている。だけどやりにくいだろうなあ・・・上にいる人たちがほとんどプロじゃないから・・・・。プロが管理職になっていかないからプロの弟子達が育たないのだ。教師は職人だ。「人を外見でしか見られない。」ような素人ばかりになったら、教育の質はどこまでも落ちていく。本物の職人を大事にしよう!子ども達の目を輝かせ、勉強の楽しさを伝えられる職人を棟梁にしたいものだ。


10月4日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第201弾! 

「たかやん議員日記」2004.第201弾!  10月4日(月)

議事録
インターネットで「新座市議会」を検索すると6月までの議事録を読むことができる。自分の選んだ議員がどういう質問をしているのか、そしてまた質問をしていないのか、その仕事振りが少しは見えてくるので面白いと思う。そしてその議事録を読んでいれば、その言葉が自分の言葉か、人からの借り物の言葉かも分かってくる。原稿を読んでいるだけなのか、頭の中から出てきた言葉なのかも大体察しがつく。傍聴に来ないと、どの議員が真剣に人の意見に耳を傾けていて、どの議員がいつも居眠りをしているのかというようなことは分からないが、議事録で分かることもあるのである。その質問に対する執行部の答弁もじっくり読んで欲しい。

市議会は市民と近いところになくてはいけない。だからこそ議事録に意味があるのだ。議事録を読んだ市民が「今度の一般質問ではこういうことを是非聞いて欲しい!」そういう声を上げ始めたら市議会はどんどん近い存在になっていくだろう。


10月5日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第202弾! 

「たかやん議員日記」2004.第202弾! 10月5日(火)

グリーン車
今日は「文教委員会」が9時半から行われた。教育基本法のことをみんながどういう風に思っているかがよく分かった。今の教育が危機状態にあるのは「教育基本法」に問題があるからだという人もいれば、もう60年近く前にできたものなんだから変えたほうがいいという人もいた。僕達はこの「教育基本法」が一番大事だという教育を受けていた世代だから、はいそうですかというわけにはいかない。古いからもう変えたほうがいいというなら、漱石や鴎外の文も変えなくてはいけない。古くてもいいものはいいのである。変えたほうがいいというのなら、どこをどう変えたほうがいいといえなくてはいけない。

来週に委員会の視察があるというので、議会事務局の方から切符を渡された。丁寧に番号が振ってあり、小学生の修学旅行のようでおかしかった。驚いたのは新幹線がグリーン車だということ。この不景気に議員がグリーン車に乗っていいのかなあ・・・と思う自分と生まれて初めてのグリーン車に喜んでいる自分がいた。そうグリーン車に乗るのは初めてなのだ。ずっと貧乏だったから・・・・・。新座市の財政のことを考えるとグリーン車でなくてもいいし、視察も絶対行かなくてはというものでもないと思う。

新幹線に乗るのは二中の修学旅行で広島に行って以来だ。あの修学旅行は本当にいい修学旅行だったのに、当時の管理職は「平和教育は偏向教育だ!」と言って奈良・京都に変更してしまったのだ。修学旅行と全国大会以外で新幹線に乗るのは初めてだ。いつも子ども達と一緒だったから変な感じなんだろうなあ・・・・。2泊3日の視察。いろんな人とじっくり話せたらと思っている。


10月6日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第203弾! 

「たかやん議員日記」2004.第203弾!  10月6日(水)

たかやんの応援団
10月30日(土)から応援団の団会議を行います。食べ物飲み物は各自で用意してください。時間は17時から夜中くらいまで?場所は新堀の「理科準備室」つまり「りじゅん」です。
参加は勿論自由です。どなたでも歓迎します。内容は「愛と教育と新座市を語る」です。

刷新の会
11月20日(土)新座市民会館第一会議室で17時半から21時半まで「市政報告会」を行います。刷新の会のメンバー5人は勿論全員参加します。「一般質問」へのリクエストも受け付ける予定でいますので、「こういう質問をして欲しい!」という方、是非参加してください。お待ちしています。

りじゅん
僕は理科の教師だったので、「理科準備室」にいることが多かった。そこには子ども達がよく遊びに来て色々な話をしていった。彼らは卒業してからも準備室にはよく来てくれた。「りじゅん」。職員室では話せないこともりじゅんでなら話せたのだ。しかし、最後の二中のときだけはそれが許されなかった。「子どもと仲良くしてはいけない!」というのだ。毎朝職員会議で管理職に「準備室に私物を持ってきている人がいます。」「準備室を私物化している人がいる。」と言われ続け、さすがに参った。テニス部を作ることを認められなくてもやめようとは思わなかった。僕は基本的にはクラスと授業が大事だから・・・・。でも毎朝いわれて参ったのだ。この学校ではもうやっていけない。そう思ったのが6月。3年2組の子ども達にはその時点で「みんなと一緒に卒業することにしたよ。」と宣言した。だから僕のたくさんの卒業生達が帰ってこれるように、僕は自分の塾の名前を「りじゅん」にしたのだ。今日も最初の教え子が「りじゅん」に帰ってきてくれた。42歳の教え子が帰ってきてくれたのだ。


10月7日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第204弾! 

「たかやん議員日記」2004.第204弾!  10月7日(木)

大井町
志木で大佑と待ち合わせをして、朝から満員電車に乗った。スーツで満員電車の辛さを初めて味わった。池袋で乗り換えて山手線で田端まで行き、そこから京浜東北で大井町まで行った。そこでbusiness sensibility trainingというセミナーを受けたのだ。講師の明賀義輝さんの話は面白かった。ぐいぐい引き込まれていくのだ。こういう人を是非新座市の教育界に欲しいと思った。今までの自分の視野が100度だとしたら、明賀さんの話で180度くらいになった感じがするほどだった。午前9時半から午後6時までびっしりのトレーニングだったのだが、これがまた面白くて本当に時間があっという間に過ぎてしまった。要するに「経営」とは何か!ということを実践的に学んでいくのである。資本金1億円の資金で会社を作り、2年間経営をした。パソコンを使って、損益計算書や貸借対照表も作った。簿記の勉強もした。それをゲームをしながら行うわけだ。それが楽しかった。

セミナーのメンバーとは色々な話ができたし、行き返りの電車の中では大佑と色々話ができたし、実に中身のある一日だった。明日は二日目。今日の勉強の成果を試す一日だ。そしてこの二日のトレーニングが終わったら・・・・・今度は自分の人生に、子ども達の人生に新座市の為にそれを生かすことができたらと思っている。


10月8日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第205弾! 

「たかやん議員日記」2004.第205弾!   10月8日(金)

右脳
business sensibility trainingの二日目は実にドラマチックだった。僕の会社は実に3年もの間低迷をしていて、倒産寸前だったのだが4年目で立ち直ったのだ。それも奇跡的な伸びで・・・・ところがそれは3期目の設備投資の結果だったのだ。付加価値をつけることで会社がどんどん伸びていくことを僕は右脳で体験した。本で読んで「成功体験」を積む場合は左脳なのだろうが、このbusiness sensibility trainingでは右脳に刻み込まれる。それが大きいのだ。この成功体験(反省すべき点は山ほどあったのだが。)をこれからの人生に生かそうと思った。

素敵な中間達
一緒にbusiness sensibility trainingを受けた人たちは実に魅力的な人たちだった。もうすぐ税理士になる大谷さんは素敵な女性だった。一緒にいるとドキドキするような女性だった。大学生のイガちゃんもよかった。こういう若者がいる限り、日本はまだまだ大丈夫だなあと思った。新潟から出てきたこの少年は、新潟の米のような少年だった。
成績トップの飯岡さんも楽しかった。最後の最優秀賞は飯岡さんに取られたけれど、飯岡さんならしょうがないかなと思った。大佑と五十ちゃんは勝負にならなかった。まあ人生経験てやつが違うからしょうがないのだろう。若いとどうしても目先のことばかり考えてしまうからなあ・・・おほほほほ。
それにしても明賀先生の話の面白かったこと。新座でもこの講座をやって欲しいなあ。志水先生にも本当にお世話になりました。ありがとうございました。

台風
雨が強いからというわけではないが、朝霞台で兄貴と卒業生の猛と飲んだ。兄貴の一言が嬉しかった。「弟の教え子は自分にとっても子どものような気がするんですよ!」猛はもう42歳。石島議員と同級生だ。兄貴の言葉にちょっと泣けてきた。

というわけで、僕は今結構酔っ払っているかも知れませんが・・・みなさんおやすみなさい!

追伸  僕は新座市が大好きです! 新座の子ども達が大好きです!    



10月9日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第206弾! 

「たかやん議員日記」2004.第206弾!  10月9日(土)

自治基本条例
インターネットで色々な市の自治基本条例を読んだ。新座市はちょっぴり遅れをとっているんだなと思った。

政治家それとも・・・
今日ある人から「あなたは政治家なの?それとも教育者でいたいの?」というような意味のことを聞かれた。
僕は・・・僕は何なのだろう。選挙に当選したのだから、みんなが応援してくれたのだから議員であることは間違いない。僕にはみんなに期待されていることに向っていく義務がある。だけど・・・僕はやはり政治家の前に議員の前に教育者でありたい。そして教育者である前に、一人の人間でありたい。そう思う。

僕を選んでくれた人達のために、一生懸命仕事をしたいと思う。だけれども、その前に子ども達に一生懸命でありたい。そして自分自身に嘘をつかないで生きて生きたい。

今日は台風が来て、家から一歩の出ない一日だった。


10月10日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第207弾! 

「たかやん議員日記」2004.第207弾!  10月10日(日)

学級通信
僕が毎日何かを続けることを覚えたのは「学級通信」のお陰だと思う。五中時代はとうとう毎日書くことは出来なかったが、六中に行った途端に僕は「一生懸命」という学級通信を毎日書き続けた。毎日はそれから11年、二中を1年でやめるまで続いた。その習慣で「塾日記」を書き続け、そして「議員日記」をこうして書き続けている。
「学級通信」を書く原動力は子ども達の「期待」だった。僕の書く通信を帰りの学活で目を輝かせて読む子ども達が、僕に書き続ける力をくれたのだ。
学級通信の面白いところは、子ども達を見ていないと書けないということ。一緒にいてもよく見ていないと全然書けない。ところがよく見ているといくら書いても書ききれないのだ。昔の「学級通信」を読んでいると、いつの間にか泣いていることがある。自分の書いた文章に泣くなんて・・・・と思うが、あれはあの時の自分が書いた文章なのだ。今の自分とは全然違う感性を持っていたのかもしれないと思うと面白い。
そしてその時の子ども達の表情があの時のまま、僕の脳裏に蘇ってくる。子ども達の声が聞こえてくる。テニスコートや校庭の匂いがするときもある。

さてこの「たかやん議員日記」はいったい何年続くのだろうか。そして20年後に読んだら、どんな匂いがする日記になるのだろうか・・・・。




| 1 | 2 | 3 | 4 |
2004/10
SuMoTuWeThFrSa
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

前月     翌月