Diary 2005. 7
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7月11日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第195弾! 

「たかやん議員日記」2005.第195弾!  7月11日(月)

雨とフランス語
前の日からの雨は朝まで降っていた。今朝も6時前に目が覚め、シャワーを浴びてからコンビニへ。寒いのでおでんを買ってくる。荷物をまとめ、フロンとで宅急便で送る。
8時半に札幌駅で真帆ちゃんと会い、自転車の鍵を渡した。「来年までよろしく!」「わかりました。」少しテニスの話をしてから僕は快速に乗った。真帆ちゃんのお母さんとはテニス部でも学部でも同級生。昨日久しぶりにテニスコートで会ったら、エマニュエル君というフランス人の留学生と一緒で、彼女はフランス語で話していた。エマニュエルは免疫学の勉強をしに、北大に来ているのだそうだ。そして真帆ちゃんの家にホームステイしているらしい。彼は英語も話せるので、僕は英語で話をしたが、初めてフランス語もいいなあと思った。

非常口
初めて非常口のところの席に座った。スチュワーデスの人と向え合わせに座るので、どうしても目がいってしまった。彼女達の動作はかなり訓練されていると思った。電話に応対するのもまるでシンクロのようだった。1時間15分の間は英語の先生から送ってもらった本を読んでいた。

亜熱帯
羽田はまるで亜熱帯のように暑かった。でももうすぐ空に会えると思ったら、暑さもそんなに気にならなくなった。

笑顔
空は飛びついてきた。そして抱っこを要求してきた。僕らは久しぶりに三人で買い物をした。三人ともずっと笑顔だった。

胃カメラ
塾が終わり、札幌にメールをして・・・・明日は胃カメラを飲む。何ともなければいいのだが・・・・・


7月12日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第196弾! 

「たかやん議員日記」2005.第196弾!  7月12日(火)

胃カメラ
喉に麻酔をかけた。段々喉の感覚が無くなっていった。マウスピースをしてからカメラが入っていった。苦しい・・・・情けないことに、目から涙が出てきた。「これか・・」先生の声がそれ程緊張していないのだけは分かった。結果は「逆流性食道炎」。胃酸が食道に溢れて、食道の一部に炎症を起こしていたのだ。薬で胃酸を抑えれば大丈夫らしい。一番いけないのは煙草。次はアルコールの飲みすぎということだった。

政務調査費
名古屋市議が月に50万もの政務調査費を受け取っていると知って驚いた。しかも領収書もいい加減なものらしい。それでは市民が怒るのも無理はない。新座市の場合は一人2万円。勿論領収書は必要で、今年からは本を買うにもどんな本を買ったのかを書くことになっている。政治家の給料も政務調査費も視察費も全て市民の税金から出ているのだ。そのお金を道路やダムばかりにつぎ込まないで、人に使って欲しいと思う。橋梁談合でいったいいくらの税金が無駄になったのだろう。あちこちでそういう無駄遣いがされているのだ。老人からも、障害のある人からも、収入の少ない人からも容赦なく税金は取って、政治家や役人がいい加減にそれを使っていく。そんな国がいい国な訳がない。自衛隊がサマワから撤退すれば、地震や洪水で避難生活を強いられている人たちをもっと援助できるのではないかと思う。テロの可能性も少しは低くなるだろう。アメリカには笑顔を振りまいて、国民にはしかめっ面ではどうしようもない。

全国一斉学力テスト
日本で一番の学校も決まれば、日本で最下位の学校も分かる。日本で一番の生徒も決まれば、最下位のこどもも分かってしまう・・・・。そんなもので人間の価値が決まるわけではないのだから、別にいいんじゃないかと思う。大学入試の模擬試験で自分が全国で何千番なんていう数字がでてきても、それほどショックを受けないのと同じである。特に僕のような超劣等生だった経験がある人間には、たいしたことに感じないのだ。ただ学校はそうはいかないだろう。世間の目も厳しくなるだろう。教師も「平均点を下げてやった。」などとバカなことを言っている暇はなくなる。不登校の子ども達が学校に行かなくても、テストで点数を取れたら自信を持つかも知れない。何が起こるか分からないけど、要はその結果を上手に使うことだと思う。それで子ども達を追い込むのはいけないし、それが絶対になってもいけない。でもちょっと本気で勉強したら全国で順位が10000番上がったりしたら楽しいと思う。今の子ども対は勉強、勉強で大変だという人もいるが、「かなり数の子ども達、かなりの数の先生達は勉強しなさすぎ。」僕はそう感じている。


7月13日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第197弾! 

「たかやん議員日記」2004.第197弾!  7月13日(水)

団会議
小雨降る中、自転車で市役所へ。水曜日は「ノーカーデー」。雨の日は車のことが多いが、水曜日だから意識的に自転車にした。9時45分に会派の控え室に着く。誰もいていないので、不安になって幸弘に電話した。「そうだよ。あるよ。今向ってる。」10時から久しぶりの団会議があった。5人で今後のことを色々話した。じっくり話すのは久しぶりのことだ。
5人の考え方は色々だ。バラバラすぎるという人もいるらしいが、色々なカラーを大事にしていこうという幹事長の文さんの考え方が僕は好きだ。「共通理解」「共通行動」とは反対の考え方がそこにはあるのだと思う。
団会議が終わってから、昼ごはんを一緒に食べた。お金を払う時、「あ、財布がない・・・」と幸弘。代わりに払おうとすると、「お金はあるけど、財布がない。どこ行っちゃったのかなあ・・・」と笑わせてくれた。

9.11
僕達はあの9.11の1週間後にはニューヨークにいた。9.17にはマンハッタンにいたのだ。ニューヨークの中の南半分が全部煙に包まれているようだった。その煙の中、僕らはグラウンドゼロを目指した。警察や軍隊の監視を潜り抜けて、僕らはそこに立った。驚くことに、1週間が過ぎてもまだ何かが燃えていた。あの時の悪臭を今でも思いだす。ビルが粉々になった匂いである。そして、もしかしたらその中にアスベストが入っていたかも知れないのだ。「静かな時限爆弾」は僕達の体内にも仕掛けられている可能性がある。煙草の煙に、Mパーテーションの煙、そしてアスベスト。どれも本当に嫌だけど、どれもなかなか避けることができない。煙草の煙だけは、吸う人のマナーで避けることはできるけど・・・・・残念なことに、周りの人のことを考えて煙草を吸う人は殆ど存在しない。




7月14日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第198弾! 

「たかやん議員日記」2005.第198弾!  7月14日(木)

秘書公聴課
川越の市民団体「かわごえNウエーブ」からの要請で、秘書公聴課にお邪魔した。「パブリックコメント条例について色々説明をして欲しいのですが・・・」とお願いしたこところ、快く引き受けて頂いた。流石秘書公聴課だと思った。とっても感じがよかったのだ。新座市の進んだ部分を他の市が勉強する。とてもいいことだと思う。

赤ジャージ
僕がいた時代の六中はジャージの色が三色に分かれていた。僕の学年は赤ジャージだったのだが、途中で3年の担任を続けたことで緑ジャージに・・・・。ちなみに息子の亮は青ジャージだった。3年間隔で子どもを生まない限り、兄弟でジャージを譲れないし、同じ色のジャージの方がいいと思っていたのだが・・・・記憶には色が関係するのだ。

「六中で先生に理科を習いました。」「ちょっと待った!何ジャージだった?」「赤です。」「赤ってことは僕の学年・・・・」でもその子達はもう30歳。彼女はずっと若く見える・・・僕が緑学年で赤を教えたことが一度だけある。2クラスだけ他学年を教えたのだ。「M君の代です。Aちゃんもいました。」テニス部の子ども達の顔が10人程浮かんだ。
「授業中に手紙回していて、凄く怒られました。」前から感じのいい子だなあ・・・と思っていたら実は教え子だったのだ!この間も大泉のテニスクラブで同じ代の子ども達に会ったっけ・・・・。今日はそんな楽しい出会い?があった一日でもあった。

今月の相談会
30日(土)にいつものように新堀の塾で行います。時間もいつものように16時〜20時です。連絡をお待ちしています。


7月15日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第199弾! 

「たかやん議員日記」2005.第199弾!  7月15日(金)

三つのプロ
“教師や親は「聞く」「伝える」「学ぶ」の三つのプロになる必要がある。子供が発する言葉にならない思いを聞く力。こちらの思いをきちんと伝える力。大人が自ら学ぶ意味を示す、学ぶ力だ。学級崩壊が子どもの問題として論じられているが、三つのプロでない教師には授業をする力もない。”

新聞を読んでいたらヤンキー先生のこんな言葉が目に飛び込んできた。なるほどな・・・と思う。だけどこの三つのプロになるには相当の努力と時間とそして素質がいるような気がする。大学を卒業したばかりの先生には無理な相談だし、そういう努力をしてこなかった先生達には余りにも高すぎるハードルかも知れない。
でも、大事なことはそうなることじゃあなくて、そうしようと努力することだと思う。それなら大学を卒業したばかりの先生にもできるし、定年間近の先生にもできる。学級通信を書いたり、子ども達とノート交換をしたり、一緒に放課後勉強したり、休み時間に遊んだり・・・・勿論教材研究に燃えたりして、そうやってみんなプロになろうと一生懸命やっているのだ。一生懸命な先生には魅力がある。一生懸命な子ども達の目が輝いているのと同じように・・・・。素質というのは、そういうことを無理しないでできること。そういうことが好きでしょうがないこと。好きなことは続くから・・・・。そういう先生で溢れている学校の子ども達は幸せである。

障害者自立支援法案
自立支援法案が衆議院本会議で可決された。ここまでやるか・・・・税金の無駄遣いをしたい放題しておいて、障害をもった人たちからまで毟り取る・・・。どうかしているんじゃないかと思う。自立支援とはなんだ。国語の勉強からやり直した方がいい。



7月16日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第200弾! 

「たかやん議員日記」2005.第200弾!  7月16日(土)

サッカー
5時過ぎに起きて、少し勉強してから公園へ行った。久しぶりのサッカーは3対3という過酷な人数での試合だった。左足で1点、右足で2点、ヘディングで2点と活躍したのだが、カウンター攻撃に結局2点差で負けてしまったのだった。スポーツは攻撃だけじゃあ駄目なのよねえ・・・。

絶不調
家族みんなが体調を崩した一日だった。咳が出たり、熱が出たり・・・午後はみんなで寝込んでしまった。

土堂小学校
陰山英男さんの本を読んだ。土堂小学校の生活指導の三本の柱が「友だちの心と体を傷つけない。」「怠けない。」「うそをつかない。」なのだそうだ。自分が小学生だったら、一番目の柱はいけそうだが、二番目と三番目は駄目だろうなあと思う。遊んでばかりいたし、都合が悪くなると、よく嘘をついていたような気がするから・・・・。
新座の学校の生徒指導の柱はなんだろう。まさか「共通理解」と「共通行動」ではないと思うが・・・。

僕は小学校で出会った先生が大好きである。1年生の時の向後美佐子先生。向後先生の産休で来られた片岡先生(多分佐知子だったと思う)。3年、4年の田口亨先生、そして5,6年の桑名喜久枝先生。向後先生と片岡先生はお元気だろうか。田口先生と桑名先生は亡くなってしまったから・・・・。会いたいなあ、二人とも大好きだったから・・・・。


7月17日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第201弾!

「たかやん議員日記」2005.第201弾!  7月17日(日)

手帳か携帯か・・・
最近スケジュールを携帯に打ち込むことが多くなった。ちょっと前までは手帳だけ。携帯のそういう機能は知っていたが、とても使う気にならなかったのだ。でも一度入力すると、絵文字やら何やら、結構楽しくなってきて(子どもやねえ)2ヶ月くらい続いている。
今のところ、約束を忘れたり、遅刻をしてはいないから、携帯も悪くはないのかも知れない。

早起きが苦手な子が増えてきた・・・・
そう感じるのは僕だけではないだろう。昔の子ども達はテレビの誘惑と戦っていればそれでよかったが、最近はテレビゲームに携帯、早起きのできないお母さんと戦う相手が増えてきた。規則的な生活ができない子達に、早起きは難しいのだ。親が出来ないことを子ども達に求めるのは無理。子ども達は親の背中で育つのだ。早起きは続けよう。いくら朝早くても、空と一緒にご飯を食べよう。そう思う。「早寝早起き朝ごはん」が基本なのは、今も昔も同じなのだから・・・。

サッカー
その少年達はどうやら夜中中起きていたらしい。公園の入り口に陣取り、寝っころがってる子もいた。テニスをしに来た、大人の人たちはその入り口から入ることができず、あきらかに彼らを避けて遠回りして公園に入ってきた。彼らに危険な雰囲気を感じていたのかも知れない。だけど、僕らはその子達に声をかけた。「サッカーやんない?」彼らは徹夜で疲れきっていたらしく、サッカーは実現しなかったが少しの間、サッカーを通じて友達になれたような気がした。「先生ですか?」と一人の少年。「違うよ。」と僕。まだまだどこかで「教師」らしい雰囲気を出していたのだろう。反省、反省。
みんなで大量のゴミ拾いをした後、僕らは死ぬほど走り回った。家に帰って体重を測ったら、2キロ減っていた。2日続きのサッカーで僕の体は少しだけ、引き締まった気がする。



7月18日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第202弾!

「たかやん議員日記」2005.第202弾!  7月18日(月)

海の日
家族で海に行った記憶が一度だけある。葉山か館山の海だったと思う。父さんは水泳が得意で海ならどこまででも泳げたし、あの冷たい黒部川も褌一つで渡りきったと言っていた。僕は田舎の川で泳ぎを習った。人工の滝の上から突き落とされ、必死になって犬かきをして岸まで泳いだ記憶がある。長男の亮に同じことをやったら、亮は水が恐くなって泳げなくなったしまった。息子だからといって、性格が同じだとは限らないのである。スキーも同じで、生まれて初めてスキーを履いた僕は、明治大学で日本一になった叔父にいきなり山を三つ越えさせられて、転んで、転んで雪まみれになって帰って来たときは夕方。「叔父ちゃん、ここは何?」「朋矢、これはゲレンデだよ。滑ってごらん。」そう言われて滑ったら、きれいにパラレルができた。そのスパルタを見習って、亮も同じように山のてっぺんまで連れて行ったら、「止まれない!」と半ベソをかかれてしまった。
そんな亮が50ccのバイクで富山のお袋のところまで行った。高速に乗らないで下道だけで400キロを走るのはかなり大変だ。僕の教え子でバイクで青森まで行った子達がいるが、亮は彼らの話を覚えていたのかも知れない。親子というのは変なところが似るものだ。僕も小さい頃無謀なこと、危険なことが大好きだった。行きは9時間で行ったらしいが、帰りは何時間かかるのだろう。亮は明日帰ってくる予定である。

哺乳類の赤ちゃん
「哺乳類の赤ちゃんは無条件反射で息を止めて、目を開ける。」そう本に書いてあったので、(ほんまかいな?)と上の娘の雪で実験したことがある。お風呂の中で黙って沈めてみたのだ。確かに雪は目を開けて、息を止め、そして僕に助けを求めて両手を差し出した。それはもう今から25年以上前の話なのだが・・・・亮と空には何故かその実験ができなかった。結果が分かっていたせいなのかどうかは分からない。その時の雪の必死な目を忘れられないからかも知れない。その間数秒。抱き上げると雪はびぇーびぇー泣いた。お風呂の中で確かめても、プールで確かめても同じなのだが、聞こえはプールの方がいいのは何故だろう・・・・。ま、いっか。


7月19日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第203弾! 

「たかやん議員日記」2005.第203弾!  7月19日(火)

ゴミの日
今朝は5時過ぎに起きた。新聞をゆっくり読んで、6時からの基礎英語を聴いて暗誦。それからゴミだしだ。僕はゴミ担当大臣なので、毎回ゴミを運ぶのは僕の仕事だ。朝霞市で廃プラの問題が話題になっていたが、どうもゴミの業界は怪しいところがある。
種分けしてもプラスティックは再生していないという話も聞いた。種分けしてもみんな混ぜてしまうとう話も聞いた。不法投棄は当たり前。日本のゴミを中国が船で大量に運んでいって、8割は徹底的に再利用して、それでも残ったどうしようもないゴミは適当に捨ててしまうという話も聞いた。毎日大量に出る僕らのゴミは、最終的にどうなっていくのだろう。

大学の実習で船に乗っていたとき、湾内に入る前に大量のゴミを海に捨てたのを見たことがある。「何てことをするんですか!」と怒ったら、「湾内では捨てられないんだよ。」という返事が返ってきて、ますます頭にきて、喧嘩になったことを覚えている。大学の練習船でさえそういう感覚なのだ。ゴミは海に捨ててしまえ・・・そういう感覚を持った人たちもたくさんいるのではないだろうか・・・・。

いろんなゴミを燃やして大気中に色んなものを撒き散らすのは頭のいい方法ではない。二酸化炭素の問題もそうだが、危険な物質を回収するのが不可能になるからだ。高温で気化した金属の人体への影響はかなり危険らしい。アスベストよりも危険なものを毎日排出している可能性もあるのだ。

空も海も無限ではない。有限だし、かけがえのないものである。それをどんどん汚していく訳だから、どこかで限界がくる。もしかしたら、もう限界がきているのかも知れない。ゴミを出しながら、朝からそんなことを考えていた。


7月20日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第204弾! 

「たかやん議員日記」2005.第204弾!  7月20日(水)

通知表
僕の通知表の付け方は変っていた。「平均90点以上を取ったら、誰でも5だよ。」と宣言していたのだ。「平均70以上は4だよ。」「本当ですか?」「本当さ。どんなに俺に逆らっても、絶対に5をつけるよ。」それは僕が中学時代に通知表を燃やした経験からきていた。中学2年生の理科のテストで僕は満点を取り、学年でトップになった。ところが評価は4。授業態度が悪かったというのだ。僕は頭に来て、その通知表を燃やしてしまった。だから僕は授業態度を評価したことはない。テスト以外で点数をつけたことが無いから、子ども達は安心して通知表を見ていたと思う。要するに、自分の感情を通知表に付けたくは無かったのだ。教師も人間だから、感情が評価に影響してしまうのだ。

相対評価が当たり前の時代だったから、風当たりは強かった。だけど僕は“絶対評価”を通した。「理科で全員を5にするのが、僕の夢なんだよ。」と子ども達には言っていた。

音楽で「1」を付けられた子は「お前は歌わなくていい。」そう言われたような気がするだろう。美術で「1」を付けられた子は「お前は絵を描かなくていい。」そう言われたような気がするだろう。だから僕は「1」をつけたことがなかった。高校へ提出する調査書以外で「1」をつけたことは一度もない。

僕のやったことが正しかったかどうかは分からない。周りの先生達と歩調が合っていなかったのだから・・・・。だけど、子ども達が首をかしげるような評価はいけない。通知表の評価を脅しに使うのもいけない。そういう人たちをたくさん見てきたから・・・・。

夏休みの宿題はいつも「自然の中で遊ぶ!」という課題だった。勿論それを評価に入れたことはない。夏休みが始まった。宿題をすることよりも、「早寝早起き朝ごはん」の習慣をつけることのほうが大切なような気がする。


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