Diary 2005. 7
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7月21日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第205弾! 

「たかやん議員日記」2005.第205弾!  7月21日(木)

水道道路
今日も暑かったが、自転車で水道道路を走った。左側を走っていると、トラックがすれすれに僕の脇を走り抜けていく。(渋滞の時は僕が走り抜けるのだが・・・・)兎に角狭い。歩道が無い部分はどうしようもないのだ。石神、西堀に入ると遊歩道があるので安全なのだが・・・・人や自転車には極めて危険な道路である。東久留米志木線や保谷朝霞線を作るお金があったら、歩道を整備した方がいい。僕は毎日そう思いながら水道道路を走っている。

40日
五中、六中時代。夏休みには40日ほど練習をした。亮を富山の田舎に連れて行くときも真夜中に出発し、日帰りで戻ってきて練習していた記憶がある。あの頃も暑かったのだろうが、朝から晩までひたすらボールを追い続けた。日曜日に部活動を1日やると500円の部活動手当てが出た。僕の場合、6時から20時までは最低練習していたから、自給に直すと36円。好きじゃないとやってられない“仕事”だったのかも知れない。学校を辞めて六中のコーチになってからは完全にボランティア。子ども達といることが、やっぱり好きだったのだろう。あの頃の練習を今やれと言われてもできないと思う。そういう時間がもう自分にはないのだ。一日は86400秒。今の僕にはやらなくてはいけないことがたくさんあり過ぎるから・・・。

アンパンマン
今日アンパンマンを見ていて気付いたこと。アンパンマンとジャムおじさんは同じ顔をしていて、二人とも禿げ。こむすびマンも禿げ。子ども達はツルツル頭が好きなのかも知れない。そう言えば、バイキンマンもドキンちゃんも禿げているかも・・・・。一番不思議なのは食パンやネギ、納豆やがい骨まで喋るのに、犬だけは話ができないところ。空はなでしこさんが大好きで、今日も撫子さんの歌を歌っていた。“なでしこなでしこなーでなで・・・。”



7月22日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第206弾! 

「たかやん議員日記」2005.第206弾!  7月22日(金)

朝練
休みの日も、普通の日も僕らは6時から朝練をやっていた。学校に来るのが一番早かったから、大抵校門は僕かテニス部の子が開けていた。(その頃は学校の門に鍵はかかっていなかったから・・・。)

学校の規則では朝練は7時半以降ということになっていた。テニス部の集合時間は6時45分。それ以前に来た子達はコート整備をして、僕と試合をしていたのだ。練習は6時45分からゴミ拾いで始まった。学校の周りは林だらけで、そこに大人達が毎晩のようにゴミを捨てていく。それをテニス部の子達は毎朝拾っていた。「こういう腐った大人になるんじゃないぞ!」と僕はいつも言っていた。

テニス部の朝練が早すぎると職員会議で問題になったことがあった。普通の感覚では早く練習に来たら「頑張るね!」と声をかけるのだが・・・・規則を守ることが一番大切だと思っている人たちには面白くないらしい。子ども達は誉められるどころか、随分怒られたらしい。僕は何ヶ月もずっと黙って我慢していた。勿論朝練の集合時間は変わらなかった。

そしてある朝の職員会議で僕はこう言った。「確かにテニス部はルールを破って、朝早くから練習しています。では他の部活の顧問の先生方は朝練に参加されていますか?朝練には顧問がつくこととなっているのではありませんか?僕は確かに時間を守っていません。でも必ず子ども達と一緒に練習をしています!」それからテニス部の朝練に文句を言う人はいなくなった。

テニス部の早朝練習を応援してくれる人たちがいた。近所の早起きの人たちだ。僕らはその人たちと「おはようございます!」という挨拶で仲良くなっていった。

朝練が7時半以降というのは顧問の為のルールのような気がする。やる気のある子ども達はどうしても早起きになる。大人だってそうだ。やる気の無い奴ほど遅刻してくるものだ。
顧問が知らない間に子ども達は朝練をしていた。ただ顧問が知らないだけだった。テニス部よりも早くきていた子ども達もいた。勿論僕は「おはよう!頑張るね。」と声をかけた。頑張っている子ども達に水をさしてはいけない。逆に大いに誉めるべきだと思う。社会でも通用する子ども達を育てたいと僕は思っていた。その考えは今も変わっていない。




7月23日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第207弾! 

「たかやん議員日記」2005.第207弾!  7月23日(土)

30年ぶり
今僕は仙台にいる。東北大学との定期戦の応援に来たのだ。北大庭球部と東北大学庭球部の戦いは今年で75回。僕は大学1年から、3年まで選手として出場させてもらった。1年の時は仙台で負け。2年の時は札幌で勝ち、そして3年の時は仙台で勝った。僕は大学3年の時、突然教師になろうと思った。必修の憲法を取って無くて函館から札幌に通ったり、それ以外の単位もギリギリのところだったから、学生王座やインカレは諦めるしかなかった。それから大学のテニス部とは明らかに距離を持つようになったと思う。ところが去年の夏、札幌に行くと・・・たくさんの先輩達が僕のことを覚えていてくれた。そして来年も仙台に応援にいってやってくれ!そう僕に言ってくれたのだ。「僕は必ず行きます!」そう約束した。そして約束通り、今日30年ぶりに仙台に来た。

大学生
今日の試合には興奮した。東北大の10連覇を阻止しようと、北大は学生とOBが一体となって戦った気がする。一日目はダブルス。明らかに硬くなっている選手にアドヴァイスをいくつかしてみた。顔もよく知らないおっさんのアドヴァイスに今時の大学生がどういう反応をするか、少し心配だった。だけど彼らはまるで中学生のように僕のアドヴァイスを聞いてくれ、そして試合中に何度も僕の応援に頷いてくれたのだった。そして僕がつきっきりで応援したダブルスはぎりぎりのところで勝ったのだった。僕は何度もガッツポーズをし、何度も飛び上がった。そして勝った選手達と抱き合って喜んだのだった。

青春
仙台に来たといっても、朝からご飯も食べないでずっとコートで応援していただけである。だけど全く飽きない時間が流れていくのを感じたのだ。彼らが必死になってボールを追いかけていく姿を見て、僕はいつの間にか彼らと同じ青春を生きていた。「桑野、ゆっくりだ、ゆっくり。ファーストを入れていけ!」「大久保、相手が動いたらストレートだ!」僕の声に北大の二人も東北大の選手達も反応しているのが分かり、面白かった。「よーーーーし!」「でかい!」北大の高田さん、安達さんといった嘗ての野次将軍達も大声を出し、上品に観戦していた東北大のOBの方たちとは実に対照的な応援だったと思う。

勝敗の行方
今日のダブルスは結局2−1。明日のシングルスで3勝すれば北大の10年ぶりの勝利ということになる。勿論勝って欲しいけど、彼らの最高のパフォーマンスを見ることができれば僕は満足である。今夜のホテルは2年先輩の横山さんとツイン。なかなか豪華なホテルである。明日は5時半起き。OBも気合が入っているのだ。


7月24日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第208弾! 

「たかやん議員日記」2005.第208弾!  7月24日(日)

10年ぶりの美酒
シングルスの応援は大変だった。3面同時展開なので、ここと思った試合をいくつか選んで大声を出す。北大の子達は勿論、相手の東北大の子達も気になるような応援をしないと意味がない。試合はタイブレークのない、昔ながらの5セットマッチ。昨日のダブルスは一試合6時間という試合もあった。勿論野次は無しだ。少しでも彼らを元気つけられれば、それはじわじわとスコアーに出てくるものなのだ。今日も殆どの選手と少しずつ話しをした。みんな真剣に僕の話を聞いてくれた。
そしてシングルスの3で入山選手がファイナルセットの末勝った時に、北大の10年ぶりの勝利も決まったのだった。僕達OBは万歳をして飛び上がった。高田さんなどは泣いていた。上田部長と抱き合い、横山監督と握手をして、たくさんの先輩達と握手をしていると、選手の入山君が駆け寄って来た。「応援ありがとうございました!」「やったね!」僕らは抱き合って喜んだ。今まで一度も練習を見たこともない、ただのおっさんの応援に彼は何度も頷き、こたえてくれていた。一緒に苦しみ、そして一緒に戦ったという一体感が僕らにはあった。
最後のシングルスの1のキャプテン同士の試合がファイナルセットになり、悦木選手が2度のマッチポイント凌いで、逆転勝利したとき、北大庭球部は完全に一体化し、東北大のコートに嵐のような雄叫びが響きわたったのだった。

僕はレセプションにも参加した。新幹線の最終9時24分を気にしながら、8時20分まで北門食堂で学生達と一緒にいた。帰るときには北大の子達は勿論、東北大学の子達も僕を見送ってくれた。彼らもまた、僕らと一緒に至福の時間を過ごした仲間だったのだ。いいライバルがいれくれるお陰で75年も大会が続いているのだ。僕らの時代の東北大の選手たちとも会いたいと思った。西谷、佐藤・・・・懐かしい。

朝霞台に着いたのは11時40分頃だった。家に着いたのは0時頃。疲れたけど、本当に楽しい二日間だった。30歳も年の離れた後輩たちと気持ちが一体化できるなんて、思ってもいなかったから・・・・。「来年も応援に来てください!」「もちろんいくよ。」僕らは来年の再会を約束した。

二日間は議会のことも、塾のことも全く考えなかった。ただただ東北戦の中にいた。4年生の時に参加できなかった東北戦をこの二日間で取り戻したような気がした。僕のやり残したことを、今年の選手たちがやってくれたのだと思った。

明日から現実に戻る。午後には秘書広報課と農業委員会に行くことになっている。


7月25日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第209弾!

「たかやん議員日記」2005.第209弾!  7月25日(月)

6時。ラジオを聴く。昔は録音して聴いていたのだが、ラジオそのものの方が集中できると分かったので、生の番組を聴くことにしている。昨夜寝たのが3時頃になってしまったので、ちょっと辛かった。

パブリックコメント条例
14時。川越の市民団体「かわごえNウェーブ」と一緒に秘書公聴課でパブリックコメント条例の勉強をさせてもらった。パブリックコメントそのものは知っていたが、新座市がどういう経緯で「パブリックコメント条例」を制定してきたのか、そして今までそれがどう生かされてきたのか・・・・等を一緒に勉強させてもらった。

農業委員会
15時。定例農業委員会に出席した。前回で全員の名前を記憶したので、発言がある度にそれを確認していた。隣のK議員から五中の先生の事故の話を聞いた。僕は仙台に居てその事故のことを教え子のメールで知った。片山の交差点でそんな事故が起こるとは・・・・・。学校の中心的な先生だったということで、本当に残念でしょうがない。

17時半
塾へ向う。2階に上がると、壁にかかっていたスノーボードの板が下に落ちていてビックリした。やはりかなりの地震だったのだ。久しぶりの子ども達。久しぶりの授業・・・・といっても土日に休んだだけだが・・・・子ども達と勉強していると楽しい。元気になる。明日は台風なので「宿題」を山盛りで出してやった。

10時半過ぎ
帰宅。風呂の中で読書。といっても10分くらいだけど・・・・。メールをチェックして、日記を書いて・・・夕飯はサラダだけ。仙台で少し食べ過ぎた。

台風
そして明日は台風が上陸するらしい。また日本のどこかで誰かが命を失うかも知れない。誰もそれが自分だとは思っていない・・・。被害が少ないといいのだが・・・・。


7月26日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第210弾! 

「たかやん議員日記」2005.第210弾!  7月26日(火)

台風
今日は朝ゴミ出しをした以外はずっと家に居た。雨と風が強そうなので、塾もお休み。こういうお休みは滅多に無いので、本を読んだり、テレビを見たり、久しぶりに家でゴロゴロしていた。ゴロゴロしていると空が必ず邪魔しに来る。「おーいで。」(こっちに来て!)「えんちょ」(座って!)「TK」(時計取って!)「おちゃのむ?」(お茶飲む?)「だっちゅね!」(だっこして!)「はなよ」(扇子取って!)と独りにさせてくれない。トイレに入っていても、ドアを開けて後ろからじっと観察するし、パソコンに向かっていると「おーいで!」と別の部屋に連れて行かれる。昼寝の隙に大学のテニス部のホームページ(楡庭会)を見たら、この間の仙台での試合の様子がもう写真で見ることができて・・・・ちょっと感動した。ホームページは更新しないと意味がないとよく言うが、その通りだと思った。自分のホームページの写真もそろそろ更新しよう。っていうか日記に写真を入れられないのかなあ・・・・・。

「新座市議会会議録検索システム」
そう言えば市議会の会議録がなかなか面白い。検索したい言葉で見ていくのも面白いが、発言者で見ていくのも面白い。自分が選んだ議員がどういう活動をしているかが、ある程度分かるからどんどん見ていくといいと思う。傍聴するのは大変だが、この検索システムを使えば、かなりのことが分かると思う。発言の数、そして内容。僕も自分が議員になる前の過去の議事録を「六中テニス部」「二中の生徒指導」で調べて見た。まあ、なんていい加減なことを議会で発言するのかいな・・・・事実とこんなに違うことを記録に残して大丈夫なのかい。と、こっちが心配になったのだった。勿論、僕自身の発言も結構恥ずかしいと思うこともある。

スペースシャトル
さっき無事に打ち上げが完了したようである。色々事故があった後だから心配だったのだが・・・・・安心した。僕らが高校1年生の時に人類が初めて月に行った。あの時は夢みたいな話だったが、今は他の惑星にも探査機が着陸している。そのうち太陽系以外の惑星に行ける日も来るのだろうか・・・・




7月27日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第211弾! 

「たかやん議員日記」2005.第211弾!  7月27日(水)

教師の幸せ
色々あるだろうけど、一番幸せを感じるのは子とも達が変化(進化)しているのを感じる時かも知れない。集中できなかった子が集中していい表情をしている。数学が苦手だった子が数学と格闘し、そして得意にしてしまう。英語の発音がひどかった子が、僕よりも綺麗な英語を話す。計算が遅くてどうしようもなかった子が、僕よりも速く正解を出す。悪い言葉ばかり使っていた子が、綺麗な優しい言葉を使うようになる。元気で挨拶できなかった子が、元気よく大声で挨拶できるようになる。

僕が学校を辞めても、教えることをやめられないのはそういう幸せを毎日のように感じているからかも知れない。出来ないことが出来るようになる。大人でも嬉しいことだ。子ども達にとってはもの凄く大きな出来事なのだ。だからあんなにいい表情をするのだ。

今日も僕はそういう幸せを感じた。「集中力が全くない。」そう言われ続けてきた子が、もの凄い集中力を見せたのだ。

モチベーション
今夜はあるアメリカ人夫妻と話しをする機会があった。彼らは殆ど日本語が分からない。勿論英語でしか通じない。そういう彼らと話をしていると、英語の勉強をするモチベーションが上がってくる。今日は大いに話をして、大いに笑ったのだった。韓国語やスペイン語も本気でやろうという気になってきた。


7月28日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第212弾!

「たかやん議員日記」2005.第212弾!  7月28日(木)

朝の時間
娘の雪が小さい頃。僕はよく背中に彼女をしょって、400ccのオートバイに乗っていた。雪はスピードが恐くないらしく。いつも僕の背中で眠っていた。
息子の亮は物心がついてからは、ひっつき虫のように僕と一緒にいた。練習にも大会にも必ずといっていいほどついて来ていた。
だけど、僕は二人がいつ首がすわったかとか、いつハイハイできるようになったかとか、いつ歩き始めたか・・・そういう記憶がない。雪が空に浮かんでいる月を見て「ぼーり(ボール)」と言ったことは覚えているが・・・・。 
要するに一緒に居た時間が少なかったのだと思う。自分の父親と比べると、特に少ないとは思わないのだが、今の自分と比べると圧倒的に少ないと思う。今の僕は、家に居ると自由時間は殆ど無い。自由になるのは朝の時間と空が昼寝をしているときくらいだ。最近は僕が塾から帰ってくるのをしぶとく待っているようになった。「ただいま!」と言うと、「おかえりー!」と布団からダッシュしてくる。お風呂に入っていても、ドアを開けて話しかけられるから本も読めない。5分くらいで出る羽目になる。暫くすると「だっちゅね!(抱っこして)」と抱っこを要求し、そして「ねんね!」(隣に来て一緒に寝て!)という。
空は多分、お姉ちゃんやお兄ちゃんの分も甘えているのだと思う。「パパは甘すぎる。」「我が儘なのはパパのせいだよ。」と毎日怒られるが、空にいいように使われている毎日である。
そんな僕にとって、朝の時間は実に貴重だ。もう少し早起きして、運動量も増やさないと、と思っている。

英話特区
太田市の「ぐんま国際アカデミー」の子ども達の様子が朝日新聞に連載されている。新座市よりも遥か先を行く取り組みである。色々な問題が浮き上がってきているようである。どの授業も基本は英語だからだ。
英会話は週1時間やってもまず話せるようにはならない。その1時間をモチベーションにして、残りの6日間英語のトレーニングをして、はじめて可能性が生まれてくると思うのだ。「ぐんま国際アカデミー」の取り組みは面白いと思う。でも、工夫次第で英語はどうにでもなるとも思うのだ。最後はやっぱり先生だ。新座には優秀な英語の先生達がたくさんいる。子ども達は先生に一番影響を受けるのだ。



7月29日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第213弾! 

「たかやん議員日記」2004.第213弾!  7月29日(金)

お祭り
今日は塾をお休みにして、子ども達と一緒に畑中のお祭りに参加した。今までは学校や塾に居る時間帯でお祭りそのものを見たことも無かったのである。塾の子ども達と我が家全員でのお祭りはなかなか楽しいひと時だった。

花火
畑中町内会のお祭りのメインは花火である。打ち上げ花火をやる町内会は畑中だけらしいから、どれだけ大変なことかが分かる。その花火のドーンという音にビックリして泣き出したのが空。喜ぶと思っていたのに、空は恐くて僕にしがみついていた。赤ん坊は本能で大きな音を恐いと思うのだろう。僕はふと、この音が空襲や艦砲射撃の音でなくてよかったと思った。
空が恐がるから花火を我が家のベランダから見ようということになって、みんなで我が家に集合した。塾の子ども達が来るのは久しぶりのことで、空は大はしゃぎしていた。教員時代はそれが毎日だったのだから恐ろしい。我が家に居候していた子ども達の数はいったい何人になるのだろう・・・・。

平均年齢
教員の平均年齢が新聞の載っていた。色々事情はあるようだが、40を越えると辛いような気がする。子ども達と一緒に汗を流す先生が限られてくると思うからだ。勿論いくつになっても子ども達と遊べる先生はいるとも思うが、やはり体が動くのは若いうちだから・・・・。
若いということは実年齢とは違う。だけど、平均年齢が45歳とか46歳とかなるとちょっと辛いと思うのだ。下手をすると学年全員が40代以上ということもあり得る訳で・・・・子ども達にはショックかも知れない。

市民・教育相談会
いつものように、明日16時から20時まで新堀の塾で行います。どうぞお気軽にお越しください。




7月30日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第214弾! 

「たかやん議員日記」2005.第214弾!  7月30日(土)

タウンミーティング
吉田よしのり県議のタウンミーティングに参加した。僕は自分の相談会があったので、40分ほどしか居られなかったのだが、とてもいい刺激になった。新堀と西堀にチラシを配ったということだったが、僕の居た時間帯では11名もの参加者があった。話の内容も面白く、とても参考になった。彼は僕より20歳ほど若いのだが、政治の世界では大先輩。流石だなあと感心したのだった。

市政・教育相談会
1時間遅れでスターとした僕の方は「市政・教育相談会」。うーむ・・・言葉のイメージが古いのかもしれない・・・。固い感じがするもの・・・。タウンミーティング・・・カッコいい・・・。まいっか・・・・。参加者は最大4名。それでも話の内容はかなり濃い内容だったと思う。特に教育問題は語りつくせない程で、いよいよ頑張れなくてはいけないと思った。16時〜20時までの予定だったのだが、21時半過ぎまで盛り上がったしまった。僕は開会色んな地区でやることは考えていない。毎回新堀の「たかやん塾」でおこなう僕のスタイルで通そうと思っている。来月までにもっと勉強しなくては・・・・。

メールと手紙
富山のお袋にせっせとメールを送るのだが、返事が返ってこない。多分、返信の仕方が分からないのだと思う。やはり手紙を書こう。昔のように毎日でなくてもいいから、手紙を書こう。たった一人の母さんが、たった一人で暮らしているのだから、父さんが昔、毎日葉書を書いていたように・・・・メールは確かに便利だけれど、手紙にはメールに無い熱のようなものがあるのは間違いない。時間はメールに比べてゆっくり進むけど、それもまたいいのかも知れない。

明日は法事で群馬県館林市へ行く予定である。



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