Diary 2005. 9
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9月11日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第257弾! 

「たかやん議員日記」2005.第257弾!  9月11日(日)

自民圧勝
朝から色々あった一日だったが、終わってみれば自民圧勝の一日だった。その勢いで憲法改正や大増税が行われるのだろうか・・・。これで小泉劇場は終わるのだろうか・・・それとも・・・・。小泉純一郎はしがらみのない首相と言われている。祖父から三代続いた国会議員にしがらみがないわけがないと思うのだが・・・。郵政民営化をじっくり見ていくしかない。そして次の幕も・・・・。

アスベスト
小金井公園の汽車に乗りに家族三人ででかけた。空は電車や汽車が大好きだからだ。ところが・・・日曜日だというのに、博物館は閉まっていたのだ。札をみると「この機関車の一部にアスベストが使用されていることがわかりましたので、暫くの間閉館します。」と書かれていた。空は気にもしないで滑り台や花や昆虫に心を奪われていたが、僕はアスベストのことが気になってしょうがなかった。新座のアスベス調査は本当に大丈夫だろうか・・・・。そして対策は・・・・。

議会再開
いよいよ明日から議会が再開する。みんな選挙で疲れて、今日の速報で寝不足状態での議会になるのだろう。選挙は勝つと疲れがふっとぶし、負けると疲れが倍増する。いつも元気な刷新の会も明日だけはテンションが落ちるのかも知れない。こういう時こそ盛り上げないと・・・・。議会って不思議だ。何度経験しても緊張感があるのだ。多分何年経験してもその緊張感はなくならない気がする。


9月12日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第258弾! 

「たかやん議員日記」2005.第258弾!  9月12日(月)

お疲れモード
議会を中断して選挙を戦った後だけに、どの会派の議員もかなりお疲れモードだった。刷新の会の控え室でも「家に帰ってシャワーを浴びる時間もなかった。」「家に帰ったのは4時」「疲れたー!」とかいう会話が飛び交っていた。それでも議会は容赦なく9時半から5時過ぎまで続いた。途中の休憩時間には長いすに横になる姿も見られるほど、みんなクタクタの様子だった。

12時間労働
議会のある月は朝の9時半から夜の9時半まで仕事になる。「大変でしょう?」とよく聞かれるが、中学校にいたときの方が実質的に長かったから何ということはない。平日も土日も朝の6時から朝練をやり、午後練が終わって学校をでるのは8時過ぎということが多かったのだ。その時も“大変”だとは思わなかった。朝練も午後練も楽しかったし、クラスや授業も楽しくてしょうがなかったから・・・辛かったのは会議。職員会議や学年会議、そして公務分掌会議に教科部会・・・・子ども達と一緒にいられない時間は僕には苦痛だった。そういう人間が議会での会議は楽しく感じるのだから不思議だ。自分が知らないことをどんどん吸収できる勉強の場でもあるから面白いのかも知れない。そして僕を応援してくれている人たちの為に質問し、意見を言い新座市が少しでもいい方向に向う可能性を感じるから・・・・
楽しい塾が終わり、家に帰ってご飯を食べるのは11時過ぎ。次の日の準備をして、寝るのは2時。朝は6時前に目が覚めるから・・・やっぱり中学校時代と睡眠時間は変わらない。元気を出していきまっしょい!


9月13日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第259弾! 

「たかやん議員日記」2005.第259弾!  9月13日(火)

資料
一般質問の通告では知りたい資料も要求することができる。今回の質問でもかなりの量の資料を要求しているのだが、僕が期待しているようには、なかなかその資料が出てこない。今日はその資料の締切日。教育委員会の先生方も大変なことは分るのだが、子ども達の側から見た資料を作成する努力をして欲しいと思う。個人情報以外はもっともっとオープンにして、みんなで新座の学校の未来を考えられたらと思う。ありのままの姿の学校が見えなければ、対策も立てられないからだ。駄目なものは駄目でいい。そこからスタートすればいいのだから・・・

先輩
今日は議会が早く終わったので、久しぶりに大好きな先輩のところへ遊びに行った。そうしたらその先輩はいきなり、真面目な顔をして「お前は何で学校を辞めたんだ!」と怒り出した。「お前はそれでよかったかも知れないが、子ども達はそれでよかったのか?」と責められた。僕は先輩が真面目な顔をして怒るのを見て、何だかとっても嬉しくなった。僕のことを思い、そして子ども達のことを考えて、本気で怒ってくれる人が今、僕の周りに何人いるだろう・・・・父さんはとっくに死んでしまったし、叔父さんもあと一人しかいない。今の僕に説教をしてくれる人は、本当に僅かだと思う。だから真剣な顔で怒る先輩が有難くてしょうがなかったのだ。

文教経済委員会
明日から委員会が三日続く。明日の午前中は市内の視察。アスベスト関係の学校を視察する予定だ。念のためにマスクを持っていこうと思う。午後は会議だ。委員会は突っ込んだ質問ができるから面白い。明日が楽しみである。

岡田さん
僕は民主党ではないけれど、岡田さんは好きである。いい人相をしていると思うのだ。選挙で大敗が決まったときの彼を見ていて、また好きになった。負けて確かにガックリきていたが、言葉にはエネルギーがあった。「自分の信念を貫いて、全力で戦って負けたのだ。しょうがないのだ。そして約束通り責任を取ります。」そういうメッセージを言葉にこめていたと思う。自民党は「分り易い訴え方」で成功したが、選挙に勝ったというだけで、本番はこれからなのだ。これでいい加減な郵政民営化をやれば、国民はそっぽを向くだろう。今回の選挙は終わったが、次回の選挙はもう始まっているのだ。


9月14日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第260弾! 

「たかやん議員日記」2005.第260弾!  9月14日(水)

楽しい一日
朝起きてまずすることは基礎英語1と2の暗誦。これは子ども達と約束したことなので、必ずやる。それから新聞を読んで・・・前の日に録画した韓国ドラマを見て泣く。そして朝ごはんを食べて今日も楽しい一日がスタートした。

アスベスト視察
二中の校庭を通って、東野小へ行った。二中の校庭は丁度体育祭の練習。僕の昔の同僚達や顔見知りの先生達が子ども達と一緒に元気に練習をしていた。女子のリレーの練習では女の先生達が一緒に走っていた。その姿を見て、いい雰囲気になったなあと思った。僕のいた頃の二中と違って、軍隊のような雰囲気は無くなっていたし、先生達も子ども達と一緒に走るという姿勢があったからだ。「○○先生−っ!」「キャーッ!」子ども達も走っている先生を笑いながら応援していた。勿論先生達はペケの方。それでいいのだ。一生懸命走って駄目なところを見せる。それが大事なのだ。大人が本気でやっているところを見せることが“教育”なのだ。

東野小
校庭では小学生達が体育の授業で逆上がりの練習をしていた。その先生を見て驚いた。僕が知っている人だったからだ。子ども達は笑顔で迎えてくれた。学校っていいなあってまた東野小でも思った。アスベストが吹き付けられた階段は閉鎖されているのかと思ったら、子ども達が自由に行き来していた。子ども達の手が届かないように工夫されていたが、「空気中のアスベスト濃度を調べましたか?」という僕の質問に「工事の前後で計測します。」という答えがかえってきたのには驚いた。もし、今の段階で空気中に基準値よりも高い濃度のアスベストが浮遊していたら、取り返しのつかないことになるからだ。

二中
玄関がピカピカになっていたのには驚いた。当たり前だが学校はきれいな方がいい。子ども達にとって学校は家のようなものなのだ。ピカピカで冷たい学校よりは、ボロボロでも温かい学校の方がいいに決まっているが、雰囲気が同じならやっぱり綺麗な方がいい。僕のいた頃の二中には無かった、温かい雰囲気を感じた。

新堀小
少し時間があったので、家庭科の授業にお邪魔した。教育長と二人での参観である。子ども達は一生懸命雑巾を縫っていた。男の子たちが一生懸命針を動かしているのが可愛かった。保健室にもお邪魔した。優しい感じのいい保健の先生と少しだけお話することができた。そして教育長とも二人だけで少し話をすることができた。教育長との距離がまた少しだけ縮まったような気がした。

六中
六中の懐かしい階段にもアスベストが吹き付けられていた。折角学校に来ても、授業を見ることができなくて残念だった。昔綺麗だったドウダンツツジの植え込みや池の周りの花壇が無くなってしまっていたのが悲しかった。理科の授業で植物の観察を随分やったが、たくさんあった花壇が無くなってしまったのでとても寂しく感じた。昔は緑化委員会という委員会があって、学校中を花だらけにしていたから・・・・。植物は手入れをしないと育たない。時間がかかるけし、面倒だけど、丁寧に育てると人の心を明るくしてくれる。子ども達を育てることと共通していることが沢山あるような気がする。

委員会
色々発言したがアスベストに関することが一番多かったと思う。アスベストは消化器官に入っても安全で呼吸器に入ると危険な物質だ。今回の調査では吹きつけアスベストだけを調査対象にしているらしく、剥がれている箇所や設計図上で疑われている箇所のみを定量分析しているということだった。同じ文科省からの指示なのに兵庫県の伊丹市では空気中のアスベストを夏休み中に測定し、危険箇所を特定して処理している。今の新座市のやり方では空気中にアスベストが散乱していない場合でも吹きつけアスベストの含有量が多ければ工事をすることになり、逆に含有量が少なくても空気中に飛散している量が多ければ子ども達には非常に危険な訳だから、順序が非科学的ではないのかと質問したのだが、どうも検査の順番を変える気はないらしい。「アスベストを含んでいる石綿スレートの存在は知っているか」という質問には「存在は知っているが今回の調査対象にはなっていない。」という答弁だった。県教委の指示通りにすることが一番と考えるか、子ども達の安全が第一と考えるか・・・・もう少し情報を収集する努力をして欲しいと思った。


委員会が終わって、ふと下を見ると懐かしい顔が二つ僕を見上げていた。六中の最初の卒業生とそのお母さんだった。その時何故下を見たのか分らない。何が熱のようなものを感じたのだ。そうしたら二人の笑顔が目に入ったのだ。彼は1年365日僕と一緒に練習した子だ。そしてお母さんも3年間毎日僕の「学級通信」を読んでくれた人だ。僕らは会派の控え室で久しぶりに話をした。今日一日が最高に楽しく感じたのはきっとこの二人と会えたからだと思う。

空の寝顔
塾から自転車をこいで帰って来ると、空が布団から起きてきた。「おかえい。」(お帰り)「だっちゅね。」(抱っこして)そして「ねんね。」(もう寝る)暫くすると「いいこいいこ。」(頭なでなでして、寝かしつけて)と色々要求し、そして気持ちよさそうに寝てしまった。

メール
友だちから、ちょっと嬉しいメールが来ていた。短かったけど嬉しいメールだった。今日はそんな風にちょっと楽しい一日だったのだ。


9月15日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第261弾! 

「たかやん議員日記」2005.第261弾!  9月15日(木)

日本チャンピョン
9時半からの委員会が4時過ぎに終わった。少しばかり秋の気配のする風を感じながら、僕は自転車で塾に向った。今日はかわいい小学生達が来る日なので、目いっぱい飛ばした。そして塾の直ぐ裏のコンビニに着いたとき、その子は車から降りてきた。「智子!」「先生!」その子はついこの間のオリンピックで400Mリレーの日本代表として走った石田智子だったのだ。「お前が見たくてずっとテレビの前に座っていたんだ。昔からずっと応援していたんだよ。」「本当ですか?嬉しいなあ・・・」
「中学生の時の記録が12秒7だったじゃない。」「よく覚えていますね!」「それで二人で競争して僕が勝って・・・それが僕の自慢なんだ。」「そんなことありましたねえ。今は11秒4で走りますよ。この間の日本選手権で勝って、今、日本チャンピョンです!」「本当!凄いなあ・・・握手してよ!」「この間はアジア大会で走って、今度はスーパー陸上です!」
コンビニの中で僕達の話は盛り上がり・・・同じ赤ジャージの子達の話になり、2年生の時の理科の授業の話になり、陸上部の顧問の先生の話になって・・・本当に楽しいひと時だった。頭のいい子で、伊那学園から埼大へ進んで・・・・28歳の今も現役で、しかも日本で一番速く走るのだから凄い。何かの時に智子とテニス部の子達と一緒に餃子を食べたこともあったなあ・・・。
今度六中で講演することになっているらしいが、六中の子ども達は幸せだ。智子の一生懸命は中学の時からずっと変わっていない。そしてあのキラキラ輝く瞳も昔のままだった。僕は智子にエネルギーをもらって、塾に着くと直ぐにトレーニングを始めたのだった。塾で思い切り勉強して、子ども達と遊んで・・・今日も最高に楽しい一日だった。
明日は委員会の最終日。質問をたくさんする予定である。


9月16日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第262弾! 

「たかやん議員日記」2004.第262弾!  9月16日(金)

長い一日
委員会がスタートしたのが9時半。僕は4番目くらいに質問をした。16年度の決算関係の中から、部活動のボランティア指導員。部活動の指導員手当て。不登校と適応指導教室の備品、消耗品。いじめと暴力事件。英会話などについて質問をした。教育委員会の出してきて資料の数字が間違っていたり、答弁に間違いがあったりで結構質問が長引いてしまった。質問しきれない分は12月の「一般質問でやったら?」という提案があったので、それでいくことにした。

陳情
堀の内の墓苑に関する陳情の審議をした。傍聴人が20人ほど来たなかでの審議だった。僕が10年間、毎日通った道沿いの話なので、陳情する気持ちは痛いほど分る。特に喜寿園の人たちからしたら、毎日が本当に辛いと思う。法律や条令は人々を守る為にあるのだと思う。その法律や条令が人々を苦しめるのなら、その中味を変えることも必要だ。結局陳情は継続審議になったのだが・・・・何とかならないものかなあと思う。

自転車
こういう日は自転車をこぐのも疲れる。塾の裏のコンビニでアップルパイを買って、それを食べたら少し元気がでた。

明日は7時前からテニスとサッカー。中学校の体育祭を回って・・・午後からは市民会館で“遺族会”。忙しい一日になりそうである。


9月17日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第263弾! 

「たかやん議員日記」2005.第263弾!  9月17日(土)

応援団
中学校の体育祭をいくつか見て・・・何か物足りないものを感じた。体育祭は体育祭なのだが、何か小学校の運動会のような雰囲気なのだ。何が足りないのだろう・・・・それは応援団の存在だった。五中の紅白の応援合戦は数千人の観客を沸かせたし、六中の紅白の応援団も保護者や教師を感動させ涙を流させた。そして何より子ども達が体育祭に燃えていた。あの圧倒的なエネルギーが今日見た体育祭には感じられなかったのだ。
天気はいいし、子ども達の表情も明るいし、みんな必死で走っているし・・・先生達も一生懸命。僕自身も何かワクワクしてくるのだが、何故か寂しい感じがしたのはきっと彼らが一生懸命やってきた応援団という存在を見ることができなかったからだろう。子ども達のエネルギーの大きさは大人が考える以上なのだ。いつもは暴れまくる子ども達が体育祭ではヒーローになり、そして二学期は落ち着いて勉強する。そういうおまけのような効果も確かにあったと思う。僕が石神井の応援団を持ち込めば、日体大の先生が「エッサッサ」を子ども達に教えた。早稲田の先生は「紺碧の空」を歌わせた。そして「竹林の美」。みんなが知恵を出し合った。
職員室までも紅白に二分されて燃えた体育祭。忘れられない思い出ばかりである。そういう体育祭にもう一度めぐり合いたいと思う。

お先に・・・・
その電話は突然やってきた。札幌の路加子さんからだった。「土肥君がね・・・・」大学時代の親友が癌の末期だというのだ。あと少ししか生きられない。意識のあるうちに友達に会いたいを言っている。そういう電話だった。
僕が奥さんの携帯に電話すると、「今主人に代わりますね。」と本人が出た。「お前、なにやってんだよ!」と僕が怒ると、彼は「すまんなあ。お先に失礼させてもらいますわ。」と他人事のように言うのだ。「ふざけるなよ。何言ってんだよ!お前。」それから先は、ずっと泣いていた気がする。

横浜
僕は午後の約束を全部キャンセルして横浜へ向った。環八から第三京浜に入り、突っ走った。和彦は「おう邑か。久しぶりやな。」とまるで昔と変わらない口調で話し始めた。お互い忙しくて年賀状しか交換していなくて・・・僕達は28年間も会っていなかったのだ。和彦の体には痛々しいほどの管がついていた。それでも目の力はしっかりしていて、そして僕に語り始めた。僕が彼の立場だったら、ああいう振る舞いをできたかどうか自信がない。あとほんの少しの命しかないと宣告されて・・・・一週間後の51歳の誕生日も迎えられる保障がないのだ・・・・・。それを「しゃあないわな。三日前までは、ついこの間までは俺はあと30年生きる積りやけど。骨まできとるで・・・もうあかんのや。」と言うのだ。彼は時々痛みから逃げるようにベットの上での体勢を変え、話を続けた。
「じゃあまたな!」「おう、またな。ありがとうな。」
明日は電車で横浜に行く。28年分の時間を取り戻す為に・・・・。


9月18日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第257弾! 

「たかやん議員日記」2005.第257弾!  9月18日(日)

6時45分
その先生は僕のことを待っていた。まるで昔の中学生のようにコート整備をして、縄跳びをしてウオームアップをして僕のことを待っていた。20分間僕は彼にテニスを教えた。彼の真剣な目はやはり中学生のようだった。
今朝は大学の後輩、その友だち、もう29歳になる六中時代の教え子たち、高校2年生の教え子とその友達、そして他市の先生達と実にバラエティーにとんだメンバーが集まった。テニスも楽しかったが、その後のサッカーがなかなかハードで面白かった。朝からクタクタになってしまったのだった。

横浜
今日は三人で電車で横浜へ向った。電車が大好きな空はもう大はしゃぎ!東武線、山手線、田園調布線と乗り継いで・・・・昭和医大北部病院へ着いたのは2時半過ぎだった。僕は和彦とかなり長いこと話しこんだ。残されていく奥さんのこと、そして三人の娘たちのこと・・・和彦は色々と話してくれた。大学の先生もお見舞いに来てくれた。その時も和彦は「告知されまして・・・」「ご心配おかけして申し訳ありません・・」と普通に話していた。「覚悟を決めるとな、たかむら。結構楽なもんかも知れんぞ。」「何言ってんだよ、バカ」
今日和彦の娘さんたちとも少し話をすることができた。横浜から家に帰るともう9時を過ぎていた。

発熱
娘の雪から電話があった。「あきのりが39度7分の熱があるの。」「直ぐに救急で病院に行こう。」シャワーだけ浴びて、車で娘の家に向った。娘の旦那さんは仕事でまだ帰っていないということだった。今夜の小児科の救急は志木の市民病院だということで、僕達は志木高校のそばのその病院へ向った。いつも元気なあきのりがチャイルドシートでぐったりとしていて、かわいそうでしょうがなかった。子ども達の熱は恐い。こういう時に小児科の先生が診てくれると、本当に心強い。

病院から家に帰ってきたら、もう12時を過ぎていた。ひさびさに本当に疲れたなと感じた一日だった。



9月19日 (月)  『たかやん塾日記』2005.第258弾!

『たかやん塾日記』2005.第258弾!  9月19日(月)

8時半
何年ぶりかでそんな時間に起きた。体が言うことを聞かなかったのだ。よっぽど疲れていたのだろう・・・。だけど和彦のことを考えたら、何も言えない。和彦は疲れることもできないのだ。食べることは勿論、水を飲むこともできないでいるのだ。少しくらい疲れただけで、いったい何だというのだ。僕らは幸せだ。水も飲めるし、ご飯も食べられる。お風呂にも入れるし、酒も飲める。好きな本を読むことができれば、勉強したいことを思い切り勉強することもできる。そして思いっきり外で暴れることもできるのだ。このくらいの疲れなんぞ、和彦の病気に比べたら・・・・・。

インタビュー
午前中は塾で教え子のインタビューを受けた。どうして教師になったのか・・・どうして教師をやめたのか・・・どうして塾をはじめたのか・・・どうして議員になったのか・・・そんな質問に答えていたら、いつの間にか1時間半が過ぎていた。教育と愛を語り始めるとなかなか止まらないのだ。

横浜
今日はもの凄く暑かったので、家族三人、車で横浜に向った。明日から本会議だから暫く横浜へはいけない。和彦との28年間を取り戻すことはできないが、今の僕達の時間を大事にしたいと思った。この3日間で和彦は随分痩せた。そして痛みがひどくなったようだ。「モルヒネの量がどんどん増えていくんだ。」「この間までは余命数ヶ月という単位だったのが、ここへ来てその単位が週になりやがった。」「本当に残り僅かになったよ。」
「痛くないか?」「おう大丈夫だ。」本当にやせ我慢をする奴だ。周りを心配させないように最後まで気を遣って・・・・「じゃあ、またな!」昨日のように僕らは思い切り握手をしたが、和彦の手の力が弱まってきているのに気付いた。癌細胞は日に日にあいつの体を蝕んでいるのだ。


9月20日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第259弾!

「たかやん議員日記」2005.第259弾!   9月20日(火)

アスベスト・・・・
9月2日の全協で僕が指摘したように、設計図でアスベストを使用している箇所以外でもアスベストが発見されたという報告があった。当然のことだと思う。ところが今回も「空気中のアスベスト濃度は調べない」と言うのだから驚いてしまう。調べるのが恐いのか、お金がかかるからなのか・・・理由は分らない。空気中のアスベスト濃度こそが今一番知りたいことなのに、新座市の教育委員会にはそういう意思がないらしい。教育委員会が“非科学的”なのだから困ったものだ。どうやら県教委の指示通りらしいが、教育委員会もやっぱりお役所なんだなあと思う。指示がないと何もできない子ども達が問題になっているが、教育委員会もその子ども達と大した差はないということだ。教育委員会に理科系の人間はいないのかね。

新たにアスベストが疑われる吹きつけが確認された学校
八石小学校・・・・体育館の天井と器具庫に白セメント吹きつけ
東北小学校・・・・体育館天井に白セメント吹きつけ
新堀小学校・・・・教職員玄関の天井と清掃用具入れに吸音材吹きつけ
東野小学校・・・・階段下の倉庫の天井に白セメント吹きつけ
栗原小学校・・・・浄化槽ブロア室にリシン吹きつけ
新座中学校・・・・昇降口の天井にリシン吹きつけ
第五中学校・・・・給食室の休憩室に材質不明の吹きつけ
第六中学校・・・・プールの更衣室とトイレの天井にリシン吹きつけ

アスベストはいたるところに使われている。教室のタイルの接着剤にだって含まれていることがあるのだ。

一般質問
今日から一般質問がスタートした。一番手は並木平八さん。傍聴席は満席のような状態で、平八さんの人気の凄さがうかがえた。今日は刷新の会の幹事長の文さんも質問をした。なかなか分り易い質問で面白かったのだが、そんな質問でも質問している間中、熟睡している人がいたのには参った。人の一般質問など関係ないのだろうが、一生懸命人が話をしているのに、寝っぱなしはないと思う。義理も人情もあったもんじゃあない。こういう緊張感のなさが批判されるのだと思う。


市役所から出ると、雨が降ってきた。ずぶ濡れになりながら自転車をこいだ。途中で傘とタオルをかしてくれた親切な人がいて助かった。そこには人情があった。


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