Diary 2005. 9
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9月21日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第260弾! 

「たかやん議員日記」2004.第260弾!  9月21日(水)

続アスベスト
実は今回の一般質問で「アスベスト」をやることになっていた。同じ会派の平松大佑議員も環境問題には強く、アスベストを予定していた。同じ会派で同じ質問は・・・ということで平松議員に「まかせるよ。」と僕は降りた。ところがアスベストのことは全員協議会で詳しく説明があるから、一般質問とダブってもしょうがない。ということになり、平松議員もアスベストを一般質問からはずしたのだ。しかし二度の全協でも納得のいく説明はされず、僕らの会派は大いに疑問を感じている。そんな中、今日は他の会派のK議員が真っ先にアスベストの質問をしてくれたのだが、その答弁を聞いてもやはり全然納得はできなかった。文教委員会や議会の議事録を市民が読んだら納得するのだろうか・・・・。何度も言うが、どうして「空気中のアスベスト濃度」を検査しないのだろう。他の市では当たり前のようにしていることが、何故新座市ではできないのだろう。

造反議員
五人で昼ごはんを食べようということになったのだが、「ごめん、行けないんだ。」と文さんと幸弘。二人も造反議員がでたので、僕も造反して家に帰って食べようかなと一瞬思ったのだが・・・・結局新人三人で定食屋さんへ行った。後悔したのは禁煙じゃなかったこと。ご飯を食べる前に隣りの席の人たちがプカプカ。善保もプカプカ。結局僕は9本の煙草の煙を吸うはめになった。僕はかなりひどい煙草アレルギーだから、今でもまだ体が煙草臭いような気がして、少し吐き気もするし頭も痛い。煙草の匂いには本当に敏感なのだ。僕の鼻はどんな少しの煙草の匂いにも反応する。中学生達が隠れて煙草を吸っても、すぐにばれたのはそのせいだ。これからは会派の控え室で食べるか、僕自身が造反議員になろうっと。




9月22日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第261弾! 

「たかやん議員日記」2005.第261弾!  9月22日(木)

一般質問
他の議員の一般質問を聞くのはなかなか面白い。人によってこんなにも感覚が違うのだとあらためて思う。それぞれの議員がそれぞれの視点を持っている訳で・・・・自分との感性の違いに関心したり、呆れたり・・・・・。

不規則発言
今日はH議員とS市長の不規則発言対決があった。二人とも原稿を読み上げるタイプではないので、相手の言葉に直ぐに反応してしまうのだろう。僕はまだ一度も野次ったことはない。自分の話を聞いて欲しいから、人の話も聞く。それがマナーだと思っているから・・・・。その内慣れてきたら、僕も不規則発言をするのだろうか・・・・

頭悪い?
昼休み、僕が歯を磨いていると僕の隣りで議会事務局のIさんが薬を飲み始めた。「どうしたんですか?」と聞くと「頭が・・・・・」「えっ!頭が悪いんですか?」「いえ、頭が痛いんです!」そこで僕らは大爆笑。僕は歯磨きを吹き出してしまった。頭痛いを頭悪いに聞き違えたのだから笑ってしまう。

宇宙人
我が会派には口の悪いのがいて、僕に向って「うるさいハゲ!」と平気で言う。まあハゲには違わないから、返す言葉はないのだが・・・・しょうがないから「宇宙人」と呼ぶことにした。そして僕が「宇宙人」と呼ぶと「うるさい、ナメック星人」と僕のことを呼ぶ。僕はどうせナメック星人だけどさ・・・・知ってた?ナメック星人は癒し系だっていうことを・・・・。


9月23日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第262弾!

「たかやん議員日記」2005.第262弾!  9月23日(金)

新小岩
今日は北大庭球部のOB会があった。新小岩にあるオムニのコートの傍に線路があり、総武線がひっきりなしに通る。空は電車を見ていればご機嫌なので、僕達夫婦は久しぶりにゆっくりテニスをすることができた。その後の飲み会で卒業以来という後輩たちにも会えた。彼らを見ていたら、一瞬で19歳の頃の自分に戻っていた。懐かしい先輩達とも会えた。教員だった21年間はOB会に出席したことは殆んど無かった。それほど忙しかったのだ。今の二つの仕事も忙しいけれど、土日は完全にフリーだから色々な会合にいける。学校を辞めたときは少し後悔したけれど、今の状態を考えるとやっぱり辞めて正解だったと思う。あのまま教員を続けていたら、第二の人生はなかっただろう。今も教員を続けていて、60歳で定年。流石にそれから新しいことを始めるのは難しいだろうから・・・・・。あの時二中をやめてやっぱりよかったのだ。随分意地悪をされたけど、あの人たちに感謝しなくてはいけない。

苦しみ
昔、「膀胱癌かも知れません」と言われたことがある。「もし癌だったらどのくらい生きられますか?」と聞くと、医者は「最悪で3ヶ月です」と答えた。その時のショックは物凄く、今でもはっきりとその感覚を覚えている。和彦はその時の僕より何百倍も強いショックを受けたはずだ。そして今その恐怖と戦っている。これから先、僕らがどんな苦しみに出会っても、和彦の苦しみに比べたら大したことはない苦しみだろう。苦しいことがあっても、それに負けないで生きていこう。和彦はもうそういう苦しみと出会うことさえできないでいる。辛い時こそ、生きていることに感謝しよう。

応援団
このHPは「たかやんの応援団」のHPである。色々ここに書いていることを気にしている人達がいるようだが、基本は僕の応援団の人がよむHPなのだ。僕は僕の応援団に責任がある。彼らの期待にこたえるような記事を書く義務があるのだ。僕を応援しない人はこのHPを見なければいいのだ。僕は誰のHPも見ない。人が何を言おうが関係ないから・・・・これからも事実を書いていこう。真実を書くことが大切なのだ。新座の教育の実態を書き続けよう。新座の子ども達の為に・・・・        


9月24日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第263弾! 

「たかやん議員日記」2005.第263弾!  9月24日(土)

3年の月日
3年前、僕達は六中のコートで「さよなら」を言った。六中テニス部を残す為に僕はコートを去った。僕はそれから一度も彼らと練習することはなかった。あの時、僕についてきた女の子のメンバーとは一緒に関東大会で戦い、そして負けて泣いて・・・・一緒に勉強もしたし、時々テニスもやった。でも男の子達と会うことはなかった。仲のよかった別のコーチともギクシャクしたままだ。男女の仲も上級生徒下級生の仲もよかった子ども達が、いやらしい大人達のせいでギクシャクした雰囲気になってしまった。親をバラバラにし、OBと現役をバラバラにし、コーチ陣をバラバラにするという作戦はしっかりと機能した。子ども達の一番の味方であった顧問を辞めさせ、異動させるという作戦も成功した。硬式テニス部そのものを潰してしまえという作戦は失敗したようだが・・・・

それでも僕達は今日3年ぶりに再会することになった。中3の子ども達が高3になるまで、3年もの時間がかかったが・・・・・・
署名運動をして、新聞に訴えて、そして信頼していた顧問とコーチを失った子ども達。部を存続させる為には署名運動とマスコミへの情報提供をやめるように圧力をかけられた子ども達。誰を信じたらいいか分らなくなった子ども達。全国の夢どころか、関東にも行けず、県大会でも負け続けた子ども達。信頼していた仲間との関係が悪くなり、コートから本当の笑顔が消えていった・・・・
それでも今日またみんなで会えるのは、僕らの心の底に「会いたい」「また一緒にテニスがしたい」という思いがあったからだろう。そして僕達はまた会うことになった。可愛かった中学生達が高3。僕よりも背が高くなっているかも知れない・・・・。

今日は残念ながら雨で流れたけれど、次回はきっと大丈夫。無くした時間は帰ってはこないけど、僕らにはこれから時間がたっぷりある。もう誰も僕達の邪魔をする奴はいない。僕らは自由にテニスができ、そして自由に語ることができる。コーチと生徒としてではなく、人と人として・・・・僕達の心の故郷は六中なのだ。その気持ちを奪うことだけは誰にもできないだろう。そういう人たちをこれから少しずつ増やしていこう。きっとテニスがそれを可能にしてくれるはずだ。

僕の心の故郷は五中、六中と二中の子ども達、そして新座市そのものだ。僕からテニスコートを奪うことはできても、五中、六中、二中の子ども達そして新座市への気持ちを奪うことはできないだろう。僕と彼らの決定的な違いは、僕は子ども達を愛しているということだ。五中も六中も自分の故郷だと感じているということだ。そして、その心を新座市全部の学校に広げていくことが今の僕の仕事なのだ。
不思議なのは、もう誰も恨んではいないということ。失った時間は返ってはこないけど、僕にとっても、子ども達にとっても「人生の勉強」になったから・・・・。真実はどんなに歪められても変わることはない。そのことを彼ら自身が証明している。


9月25日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第264弾!

「たかやん議員日記」2005.第264弾!  9月25日(日)

ビデオレター
和彦の病室にはビデオが置いてあった。「何するの?」と聞くと「ビデオレター作るんや。」と言う。今日の和彦はいつになく元気で、1週間前に会った時よりもシャキシャキしていた。人間というのは不思議だ。もうあと少ししか時間が無いと分かっている人間が、(さあ!これから一仕事するぞ!)と思っているのだから・・・・
僕がビデオレターを作るとしたら、いったい何人の人に残すだろう。娘や息子達には勿論残すとして・・・今ならお袋や、叔父さんや兄貴達にも残すのかな。そして勿論奥さんにも・・・・。だけどもしかしたらたくさんの教え子達にも残そうとするかも知れない。まだまだ気になる子達がたくさんいるから・・・・。

コンサート
今日の午前中にはコンサートもあったらしい。和彦の長女のゆみ子さんがエレクトーンで演奏したのだ。僕はその話を聞いて、昔国立癌センターの病室でやったコンサートを思い出した。担任していた教え子のお母さんが「たかやんの歌が聞きたい。」と僕を呼んだのだ。僕は手も声も震えて、うまく歌えなかった。もうすぐ死んでいくのが分かっている人に歌う歌だったから・・・・・「たかやん、お葬式でも大好きなアリスの歌を歌ってね。」と彼女は言った。だから僕は癌センターでも歌ったし、戸田の火葬場でもギターを弾いて歌ったのだ。彼女は乳がんからの転移。そして和彦は胃癌からの転移。

握手
僕らはまた最後に握手をした。今回は特別に長かった気がする。和彦も僕も、多分これが最後の握手だと感じていたからだと思う。



9月26日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第265弾! 

「たかやん議員日記」2005.第265弾!  9月26日(火)

誕生日
今日は和彦の51歳の誕生日だ。和彦は頭が良かったから現役。僕は石神井高校で学年でペケから6番目だったから一浪。これでやっと同い年になった。和彦は頭が良かったから大学院に残ったが、僕は阿呆だったから学校の先生になった。和彦は賢かったから、就職して海外で大活躍した。どこの国へ行っても英語で押し通したらしい。僕はピーマン頭だったから、今頃日本で英語を話している。そんなに賢いのに、和彦はもう最後の誕生日になってしまった。それが悲しい。

傍聴
今日は初日以外では一番傍聴人が多かった。それでも午前中から眠れる人もいるのだから議員いうところは不思議な人種だ。傍聴にきた人が「税金の無駄遣いだ!」と言っていたが本当だ。そう言えば、僕が昔傍聴した時にも寝ていた議員はいた。ちょっと居眠りなら許せるが、それが毎回長時間となると「頭おかしいんじゃないのか?」と市民は思うのだ。

一般質問
明日は2番目の質問者になる。僕の後は羽根、平松、田中と続く。例によって原稿はないから、どんな質問になるのか自分でも分らない。でも新座の子ども達の為に出来る限りのことはやろう。誰にどう野次られても、自分の信念を通そう。自分の思っていることを話そう。記録は全て残る。それが大事なのだから・・・・。


9月27日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第266弾! 

「たかやん議員日記」2005.第266弾!  9月27日(火)

場外乱闘
議員になって、一般質問は今日で7回目。そろそろ慣れる頃だと思っていたら、いつの間にか話すことが楽しく感じるようになってきた。人前で話すことは嫌いではないし、それがずっと商売だった訳で・・・・立教大学の創立120周年記念の「教育講演会」で、あのタッカーホールで話をした時も、全然緊張はしなかった僕が、議場では何故だか妙に緊張していたのだ。勿論今日だって、いい意味での緊張感はあったのだが・・・あの不思議な何ともいえないプレッシャーを感じなかったのが嬉しかった。
今回僕が満足していることは、事実をそのまま話せたことだ。僕の質問に対する答弁は、答弁漏れとかいうレベルではなくて、それはそれはひどいものだったが、そのひどさもちゃんと録音されて、記録されるので満足している。市民のみなさんに、新座市の教育の実態を知ってもらえることが嬉しいのだ。

「場外乱闘だったね。」とある人に言われたが、あれだけ丁寧に質問しても、それに対して真っ直ぐに答えようとしない態度には他の議員達も疑問に思ったようだった。

ジャージの問題にしたって、僕は今のままでは「体育の先生が異動するとスポーツ屋も異動してついてくる。」と言われてしまいますよ。それでもいいんですか?と聞いたのだ。体育の先生が誤解をされるようでは可哀そうではないですか?と聞いたのだ。体育の先生達のためにも誤解のないように、市外の特定の業者だけを指定するような今の状態を避けるべきではないのですか?と質問したのだ・・・・。
あの質問が終わったあとに何人もの議員から「同じような話を聞いているよ。」と言われ、驚いた。僕はたくさんの先生達からそういう話を聞いていたのだが・・・・。僕は市外の業者は締め出せと言っているのではない。保護者や生徒が選択できるようにしたほうがいい、そう言っているのだ。あの答弁では体育の先生達がかわいそうである。体育の先生達の名誉の為にも、何度でも質問しよう。詳しい内容と資料は後日・・・・。

議長席
昼休みにちょっとだけ議長席に座ってみた。僕は今の議長が好きだから、座ってみたくなったのかも知れないが・・・議場全体が見渡せて、ちょっと気持ちがよかった。次に市長席に座ってみた。議員の席に比べてプレッシャーが凄いなあと思った。調子に乗って、教育長席に座ろうとしたら、丁度教育長が入ってきて・・・・僕は慌てて自分の席に戻った。久しぶりに傍聴席にも座ってみたが、どこの席にも違和感があった。やっぱり僕の席は11番の席。そこが一番落ち着く。

おまけ
トイレで議長に会ったので、「すいません。さっき議長席に座ってしまいました!」とストレートに謝ってみた。怒られるかな、と思ったら「そう?」と全然平気。反対に「いつか議長やってください。」と笑顔で言われてしまった。議長をやると質問ができないから、やる気はないが・・・・議長になることもないだろう。第一、今の議長のように人の話を全部聞いていることなど、僕にはできそうもない。市長、校長、議長・・・昔から長がつく仕事には縁がないのだ。


9月28日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第267弾! 

「たかやん議員日記」2005.第267弾!  9月28日(水)

休会
一般質問が終わり、今日と明日は休会日。最初の頃は何の為の休会なのか分らなかったが、金曜日の委員長報告の為の休会日なのだ。各委員長は委員会での意見をまとめて本会議で報告しなければならない。委員会ではかなり突っ込んだ話をするから、それをまとめるのがなかなか大変なのだ。変な報告をすれば議場で質問攻めにあう。あれを見ていたら、委員長にもなりたくないと思った。

久しぶりに時間ができたので、色々と動き回った。本屋にも行った。相変わらず英語と韓国語の本の前で足が止まってしまう。困ったものだ。

農業委員会
午後2時からは農業委員会。時間がなくて、下はジャージに上はワイシャツというヘンテコリンな格好で市役所へ。控え室で着替えてから会議へ・・・・。

視察
議会事務局に県立高校の視察を申し込んだ。この1年半で市内の小中学校は殆ど見たが、高校は全く見ていないから・・・新座の子ども達が高校でどういう勉強をしているのかを見たいと思ったのだ。

教育委員会の資料
議会に提出されたジャージに関する資料は次の通り。

市内小中学校のジャージ、体操服の指定業者一覧とその価格
1. 市内中学校
学校名     業者名      ジャージ上下     体操服(上下)   
新座中学校  トップスポーツ    6,900円      男: 3,180円
                            共通:3,450円
第二中学校  トップスポーツ    7,960円      男: 3,500円
                            女: 3,600円
第三中学校  トップスポーツ    6,630円      男: 3,370円
                            女: 3,830円
       ぬくい洋品店     7,244円      男: 3,338円
                            女: 3,811円
       シナノヤ       6,625円      男: 3,360円
                            女: 3,822円
       スクールベン     6,750円      男: 3,300円
                            女: 3,900円
第四中学校  トップスポーツ    6,500円      男: 2,800円
                            女: 3,250円
第五中学校  トップスポーツ    6,630円      男: 3,180円
                            女: 3,450円
第六中学校  トップスポーツ    7,000円      共通:3,900円

2. 市内小学校
小学校の「体操服」「上履き」については、学校が規格を提示し、保護者が販売店を選び購入している。

3. 決定方法
小学校:@体育部会等で、規格を協議し、原案を作成 A職員会議で協議 B校長が決定
中学校:@選定委員会を設置 A選定委員会で規格を協議 B業者に規格やアフターケア等含め提示 C選定委員会で採用する規格、業者候補を選定 D職員会議で協議 E校長が決定

僕が質問したのはこの業者の中で市内の業者はぬくい衣料店とシナノヤの二つだけで、保護者にとって非常に不便であるということ。近隣の朝霞市や志木市ではいくつかの業者から自由に選択できるということ。新座市の中学校だけが特異な状態に置かれているのではないかということだった。

それに対する教育委員会の答弁は、「選定委員会で選択しているから問題はない。」「市内の業者に委託して販売しているから問題はない。」というものだった。それで問題があるから質問しているのに、視点はいつも校長の視点。保護者や生徒の視点で物事を見ていないのだ。市民のみなさんはこの教育委員会が提出した資料を見て、何も感じないだろうか・・・。



9月29日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第268弾! 

「たかやん議員日記」2005.第268弾!  9月29日(木)


風が冷たい。自転車に乗っていると季節を感じられるからいい。今夜は長袖でも寒いくらいだった。

楽天と巨人
田尾監督の辞任が決まった。僕はプロ野球を殆ど見ないが、オリックスと近鉄の残りかすのようなメンバーで戦って、あそこまで勝ったのだから凄いと思う。巨人の堀内とは違うのだ。楽天ファンは田尾ファンだったはずである。巨人ファンは堀内ファンとは限らないが・・・・僕は彼の爽やかな笑顔が好きである。そして真剣な眼差しが好きである。
楽天の次の監督は野村らしい。現役の頃、プロ野球の選手で一番好きだったのが野村だった。「生涯一捕手」の野村は魅力があった。あの頃の野村はいい顔をしていた。でも監督になってからの野村はあまり好きになれない。人相が悪くなったと感じるのだ。人はいい仕事をしているときにいい表情になる。僕はそう思っている。時々鏡で自分の人相も見ないと・・・・。

陵平
あれからもう5年の月日が過ぎようとしている。僕は明後日、初めて陵平のお墓参りに行く。陵平が小さい頃遊んだ田舎の景色と会ってくる。生きていれば18歳。大学1年生になっていたかも知れない・・・。でも陵平が歳を取ること決してはない。
あの頃の先生達は今、どう思っているのだろう。陵平のことを忘れたい・・・そう思っているのか・・・それとも忘れてはいけない・・・そう思っているのか・・・・
僕の中で、陵平のことは終わってしまったことではない。議会で何度も耳にしてきた「カウンセリングマインド」。僕はカウンセリングマインドどころかただのマインドさえあの頃の二中からは感じない。子どもを失った親の気持ちを想像することもできない人たち・・・・自分の子供と入れ替えて考えれば分かることなのに・・・・。僕はあの頃の陵平を知らない。だけど彼の悲鳴は今でも聞くことができる。同じ場所で、同じように苦しい経験をしたから・・・。


9月30日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第269弾!

「たかやん議員日記」2005.第269弾!   9月30日(金)

議運
今日の議会は議運でスタートした。僕達の知らないところで、色々ともめたらしく・・・・本会議はかなり遅れてスタートした。そういう時は控え室でパソコンで仕事をしたり、本を読んだりする。今日は時間があったので、僕は世界地図の暗誦をやっていた。ヨーロッパとアジアと南北アメリカ、そしてアフリカは完璧に覚えた。あとはオセアニアの国々だけだ。そんなこと覚えてどうするの?と思うかも知れないが、世界を考えるにはまずどういう国があるかを知ることから始まるのだと思う。議会は総務委員長の報告で始まり、最初の質問で、昼食休憩になった。

370円
今日の昼ご飯は会派全員で揃って食べた。みんなで食べる昼は美味しい。地下の食堂で僕と大佑が食べたのはトリカツ丼。文さんは冷やし中華。幸弘と善保はB定。ちょっとカロリーオーバーかなと思ったが、市役所の地下の食堂は安いし、速いし、禁煙だからなかなかいいかも知れない。何より370円という値段がよかった。大学時代の150円のカレッジランチを思い出した。あの頃180円のエルムランチを食べるのには勇気が必要だったなあ。

5年前
色々考える夜だった。陵平が担任から電話をもらい・・・母親に学校であったことを話して・・・自分の部屋で遺書を書いて・・・そして10階から飛んだのは今から5年前の土曜日のことだった。先生というのは「間違ったら、ごめんなさいと言うんだ!」と子ども達に教える職業なはずだが、当時の二中の先生達は自分達には間違いがなかったと無理やり信じようとしたらしい。今まで同じように指導をしてきて、誰も死ななかったのだから、その指導法に間違いはないはずだ。という論理は誰が考えたか知らないが、偏差値は殆ど無いに等しい。知能指数も足りないが、共感能力はマイナスだ。5年の月日が過ぎて・・・もう陵平に尋ねることはできない。僕は先生達に本当のことを聞きたい。あの時、本当は何があったのか・・・そして今どう思っているのか・・・あの時の緘口令は何だったのか・・・・明日、僕は陵平のお墓へ行って来る。


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