Diary 2005. 10
メニューに戻る
10月1日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第270弾! 

「たかやん議員日記」2005.第270弾!  10月1日(土)

2対6
今朝のサッカーは2対6という大変則チームでの試合だった。向こうのチームは女性が4人と高校の僕の後輩とその息子。そして僕のチームは僕と大学1年生の二人・・・・。1試合目は6−1で、2試合目は8−3で勝ったのだが・・・もう体はボロボロになるかと思った。本当にしんどかったのだ。勝ったのは嬉しかったのだが、もう吐く寸前の僕達二人だった。

栃木
陵平のおじいちゃんは陵平にそっくりだった。僕は生きている陵平と会ったことがない。だけど写真の陵平の笑顔とそっくりの笑顔のおじいちゃんに会えて、よかった。話をしていたら、陵平のお祖母ちゃんが泣いていた。今でもあの日の出来事が信じられないようだった。
陵平のお墓はお母さんのおじいちゃんやおばあちゃんと一緒のお墓だった。墓誌には70歳、80歳、50歳、70歳くらいの方たちの名前が・・・そしてその端っこの方に大貫陵平13歳と彫ってあった。僕達はお墓を掃除して、線香をあげて、お花をあげて・・・陵平の大好きだった「酢昆布」などのお菓子を供えて・・・そして手を合わせた。
この5年間で新座市から来た人は僕だけと聞いて、ちょっとショックだった。やっぱりとは思ったが、学校の先生達は一人も来てくれなかったのだ。「リーダー」と呼ばれて、担任の先生の“右腕”だった陵平。それなのに誰も来てくれないとは・・・かわいそうな奴。でも大丈夫、僕がその分来るからね。もう道は覚えたから・・・。いつでも陵平に会いに行ける。

命日
実は父さんの命日は陵平の命日を同じである。今から25年前の今日・・・父さんは僕の手を握りながら息をしなくなった。そこで人工心肺が動き始め、冷たくなった父さんの手はまた温かくなったのだが・・・一日経って、また冷たくなってしまった。だから命日は10月の2日になっているが、本当の命日は今日なのだ。父さんの誕生日は11月8日。そして陵平の誕生日は11月13日。不思議な縁を感じる・・・・。

市政報告会
久しぶりに応援団のメンバーと集まった。今回は相談会ではなくて、報告会。新座市の議会の様子を応援団のメンバーに色々と聞かれた。会議は9時過ぎまで続き・・・自転車で家に着いたのは10時を過ぎていた。


10月2日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第271弾! 

「たかやん議員日記」2005.第271弾!  10月2日(日)

親不孝
朝、母さんに電話をした。「今日、父さんの命日だよね。」すると母さんは「最初に亡くなったのは今日だけど、人工心肺で一日伸びて、3日の日よ。」と言ったのだ。25年前のこととはいえ、父さんの命日を間違えて記憶していたとは・・・親不孝な息子である。
陵平が飛んでしまった日が9月30日。息を引き取ったのが10月1日。父さんが息を引き取ったのが2日、そして亡くなったのが3日。これが正しい。つまり陵平と父さんの命日は違う日なのだ。訂正してお詫びします。父さんにも「ごめんなさい。」

運動会
今日は市民運動会の日。招待状ももらっていたが、僕は子ども達とサッカー、テニスに燃えた。3年半ぶりの子達との再会は僕の心に開いていた穴をしっかりと埋めてくれた。

六中テニス部の心
7時前に彼らは来ていた。そして公園を掃除していた。六中テニス部が毎日やっていたことを今朝も彼らはやってくれたのだ。お陰で僕が到着した時は、公園にゴミは落ちていなかった。男の子達は本当に大きくなっていた。小さかったイクが173センチ。しょうへいは179センチ。そしてゆうたは183センチになっていた。ムーミンとゆうきは昔と殆ど同じサイズだったがいい体になっていた・・・・・みなとかおりは中学時代とかわらなかった。女の子は中学時代に縦の成長が止まることが多いから・・・。

サッカーは滅茶苦茶面白かった。運動神経のいい集団だったんだと感心するほど、彼らはよく動いていた。僕達は3年間の空白を埋めるかのように懸命にボールを追いかけた。

「お願いしまーす!」懐かしい声がコートに響いた。僕の球出しに子ども達が自然に反応してくれた。テニスは勿論、ボールボーイもコート整備も一生懸命やってくれた。そして言葉遣いも・・・・僕が教えたことは、彼らの心の中でちゃんと生きていた。大学受験で大変だけど、また一緒にやろう。みんな、今日は本当にありがとう。

横浜
「また来てくれたんか!」「ありがとな、邑」和彦はそう言って、僕の手を握り締めた。足の付け根に激痛が走り、モルヒネの量が増えたというのに、僕達と話しているときは普通に話し、そして冗談も言う。僕達が病人であることを忘れるくらい、和彦は気力を振り絞っていたのだと思う。空が「ABC song!」を繰り返し歌い、病室中大笑いだったが・・・僕は和彦が辛いんじゃあないかと気が気ではなかった。
「邑、お前のお陰で・・・お前が来てくれるから・・・俺はこうして頑張っていられるんだ。」和彦はそういった。僕らは帰るときに「じゃあ、またな!」そう言って握手をするから・・・。僕らは今日も「またな!」と握手をした。和彦の手が「ありがとう!」と言っていた。来週も同じ握手ができるといいのだが・・・・帰るときには毎回、これが最後かも知れないと思ってしまうのだ。

踏み切り
横浜から新座に帰る途中には線路がいくつもある。小田急、京王、井の頭、総武、西武新宿、西武池袋・・・その電車を見るのが、空と僕達夫婦の楽しみである。
「電車だ!」とママが見つけると、身を乗り出して電車を見つめる空。昔は踏み切りの遮断機が下りているとイライラしていたが、最近は踏切が楽しみでしょうがない。遮断機が下りれば、電車を見ることができるからだ。電車を見るために、遮断機が下りるまでグルグルまわっていることさえある。人間の心は面白い。嫌だったことが、楽しみになったりするのだ。心の持ち方で人は幸せになれるのかも知れない。


10月3日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第272弾! 

「たかやん議員日記」2005.第272弾!  10月3日(月)


父さんが意識を失ったのは亡くなる何日前だっただろう。その頃はおばあちゃんも生きていて、「新太郎!」と声をかけたが、父さんはピクりともしなかった。母さんが「お父さん!」と声をかけても、兄貴達が「お父さん!」と叫んでも父さんは反応しなかった。ところが最後に僕が「父さん、雪だよ!」と雪を抱いて叫ぶと、父さんは突然起き上がって、雪のことをしっかりと抱きしめたのだ。父さんの目からは涙が溢れていたのを覚えている。そして、父さんはバタンと倒れ、意識が戻ることは一度もなかった。雪は父さんに怒られたことが一度もなかった。悪いことをしても「だめでちゅよ!」と手をさするほど、父さんは雪のことを可愛がった。その雪がいつの間にか二人のお母さんになった。25年経ってもきっと父さんは雪を見守ってくれているのだろう。そしてきっと、会うことの無かった亮や空のことも・・・・。

世界一周
頭の中で世界一周をするのはなかなか面白い。ホンの数分で一周できるから時間もお金もかからないし、テロに遭う危険もない。まだ時々オセアニアで躓くが、ヨーロッパ、アジア、アメリカ、アフリカは完璧だ。今日は朝から世界一周を5回ほど、5周ほどしてみた。頭の中で地球儀がくるくる回っているような気分で楽しいのである。

陵平のお祖母ちゃん
陵平のお母さんの政江さんからメールが来た。
高邑さん、1日はありがとうございました。母が「毎年命日はいやなもの。今年は、嬉しい命日になったよ。ほんとうにいい日になった。」と電話で話していました。

そのメールを読んで、僕は涙が出そうになった。ずっとずっとお祖母ちゃんも苦しんできたのだ。可愛い孫を突然失って・・・・この5年間、命日の度に泣いてきたのだ。そう思うと胸の奥が痛くなってきて、僕の胸も苦しくなってしまう。父さんが雪を可愛がったように、陵平のお祖父ちゃん、お祖母ちゃんも陵平を愛したはずだ。あんな風に陵平が死んでしまって、どんなに悔しくて、そして苦しかっただろう・・。そしてどれだけ娘の政江さんのことを心配しただろう・・・・。娘が嘆き悲しむ姿を見て、どんなに辛かっただろう・・・。陵平を恐怖のどん底に突き落とし、政江さん達を苦しめたのは誰だったのか・・・・本人達はとっくに気付いているはずだ。人間なら気付いているはずだ。

面会謝絶
和彦が遂に「面会謝絶」状態になった。面会が辛くなってきたのだろう。あいつは友だちが多いから、面会人がたくさん来てしまって・・・みんなに気を使う奴だから・・・きっと疲れてしまうのだろう。体中が痛いのだから、少し眠るといい。痛みと無理に戦うことはない。僕らのことはもう気にしないで、ゆっくりと眠ることだ。お休み、和彦。いい夢を見るんだぜ。


10月4日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第273弾! 

「たかやん議員日記」2005.第273弾!  10月4日(火)

33日間
9月議会が終了した。途中で選挙があったために、中断があった議会だった。9時に自転車で登庁?して、再び自転車にまたがったのは夜の10時半。9月議会の最終日は長いのだ。

暫時休憩
休憩の多い一日だった。委員長報告に対する質問に答えられなくなるパターンが多かったのだ。国会の委員長になると、手当ての他に車までつくらしいが、市議会の委員長には手当てもなければ車もない。あるのは委員長報告と質問攻め。だいだいパターンが分ってきたから出来ないことはないと思うが、自分からやりたいとは思わない。去年は何をやっているんだかさっぱり分らなかったが、今年は大丈夫。大丈夫じゃあないのは、自分の意見をなかなか言えないこと。思ったことを言えないストレスは結構強いものだ・・・。

教育長
議会の休憩中に議場で長々と話をした。二人だけで話すのはいい。本音がでてくるから。新座の教育を本気で心配する気持ちは同じだと思った。考え方が違うのはしょうがない。生きてきた環境が違うのだから・・・。

夕食休憩
久しぶりの夕食は150円のソバとナタデココを食べた。(昼ごはんは500円の肉うどんだった。)今回の議会は会派のメンバーと一緒に食べるために、お弁当の回数を極力減らしてみた。結論からいうと、お弁当の方が正解。会派の控え室で食べれるし、時間に余裕ができる。みんなで食べるのは楽しいが、煙草の煙に悩まされることが多いのだ。僕はそれ程の煙草アレルギー。頭が痛くなってしまうのである。

残業
幸弘と控え室をでたのが10時半頃。市の職員がいたるところで残業していたのには驚いた。
「頑張っているね。」と幸弘。「驚いたなあ。」と僕。中学校時代は12時間以上学校にいるのが当たり前だったが、残業手当はなし。財政難だから・・・・ちゃんと手当てがでているのかなあと心配になった。




10月5日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第274弾! 

「たかやん議員日記」2005.第274弾!  10月5日(水)

夜泣き
二日続きで空の夜泣きにつきあった。「パパ・・・」と泣くので、どんなに眠くても抱っこして寝かしつける。辛くても幸せな時の流れを感じながら・・・気がつくと朝。こういう風に僕も育てられたのかと思うと、400キロ向こうの母さんと雲の遥か上の父さんに感謝の気持ちでいっぱいになる。

横浜6
和彦からも、和彦の奥さんからも「面会謝絶」になったから早いうちに来て。とメールがあり、親子三人で横浜に飛んでいった。ウィークデーのせいか道路は結構空いていて、2時間かからないで病院に着いた。
和彦は娘さんとの交換ノートを書いている途中だった。「おう!また来てくれたのか!ありがとな!」声は元気がいいのだが、よく見ると呼吸も苦しそうだし、足には力が全然入らないようだった。「ノート書きながら意識がなくなるんだよ。」モルヒネの量がかなり増えたらしい。「大丈夫か?」「苦しくないか?」と聞いても「大丈夫」「OK」と笑うが、僕と話している最中でも数分意識が戻らないことがあった。
「もう一度会うぞ!約束だぞ!」と別れるときに強く握手した二人。もう最後かも知れないと思ったら、泣けてきて・・・・・。でも約束だからもう一度会うぞ!

議会報告
7枚目の議会報告を早く完成させないといけない。完成次第配布することになるが、早いに越したことはないからだ。今回の議会報告はなかなか楽しい読み物になるかも知れない。


10月6日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第275弾! 

「たかやん議員日記」2005.第275弾!  10月6日(木)

先生の言葉
僕は作文が大の苦手だった。だから先生に誉められたことが一度もない。僕の作文を誉めてくれたのは、死んだ父さんだけ。父さんは文章の専門家だったから、それを頼りに今まで学級通信や塾日記やこの議員日記を書いてきた。でも、心の中に(先生に誉められたことがない。)というコンプレックスは存在し続けていたのかも知れない。
ところがこの日記の読者の中に、小学校の現役の先生がいらして・・・僕の文を誉めてくださったのだ。生まれて初めて、自分の文章を本物の先生に誉められたことに気付いた僕は、これで作文コンプレックスから逃げ出せると思った。50過ぎのおっさんにでさえ、先生の言葉は重いのである。もしかしたら作文は得意なことなのかも・・・と今は思い始めている。ところが、僕の経験では教師はそのことに気付いていないことが多い。どの先生の言葉でも子ども達に与える影響は大きいのだ。教師は「役者」でなくてはいけない。選び抜かれたセリフで子ども達を落とすのである。言葉で子ども達を泣かせたことのない先生はまだまだ素人の域をでていない。選んで、練習してやる気にさせる。そして泣かす。それがプロである。少なくても僕はそう先輩達から学んできた。誰も口では教えてくれなかったが、背中でそう教えてくれた。

マニュアル
問題?のある生徒と接する時に、指導マニュアルなど役に立たないことが多い。マニュアル化すること自体が勘違いかも知れないのだ。それ程子ども達の表面と心の中は違う。同じような茶髪でも中味はみんな違うのだ。昔、僕の真似をして、生徒と何でも一緒にやろうとして失敗したベテランの先生がいた。僕はそのベテランの先生のように言葉の力で子ども達を変えようとして失敗した。同じように子ども達を愛していても、違うやり方でしかうまくいかないこともあるのだ。勿論、先生の年齢や経験によっても接し方は違ってくる。それを「同一行動」とか「共通理解」という言葉で接していると、自信満々に話されるとがっかりする。良識のある教師に言わせると「素人」の考えにしか思えない。一見まともそうだが、実は裏に恐いメッセージが隠されているのだ。北朝鮮の常識を子ども達に教え込むことに意味はない。マニュアルで育てられるほど、子ども達は単純ではないのだ。いったいどこの誰が「同一行動」とか「共通理解」とかいう言葉を教育界に持ち込んだのだろう。教育大、学芸大、埼玉大、早稲田・・・まさかねえ。




10月7日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第276弾! 

「たかやん議員日記」2005.第276弾!  10月7日(金)

かわいい挨拶
今日は燃えるゴミの日。いつものようにゴミ袋を持ちながら、ブツブツと「世界一周」をしていると、幼稚園児の女の子とその妹が僕に向って「おはようございます!」と大きな声で挨拶をしてくれた。僕は嬉しくなって「おっはよーっ!」と挨拶を返した。すると彼女達も笑顔で「おはようございまーす!」とまた挨拶。僕も思いっきりの笑顔で「おっはよー!」「いってらっしゃい!」と挨拶した。
僕はにこにこ顔のまま次に向こうから来た女性に声をかけた。「おはようございまーす!」するとその女性は「・・・・・」大人になると挨拶よりも大事なことがあるのだろう。ちょっぴり悲しかったが、よくあることなので気にしてはいない。それよりもあの女の子達の挨拶をしっかりと心に残していこう。きっと素敵なお父さんとお母さんに育てられているのだろう。朝から僕を幸せな気分にしてくれるのだから・・・・。

お風呂
北大の仲間達へ。
和彦は今日久しぶりにお風呂に入りました。輸血のお陰で体調がよかったらしいよ。ベットごと移動し、寝たまま入浴。今は心地よい疲れでウトウトしています。と奥さんからメールが来ました。本人からも久しぶりにメールの返事がありました。PLO通信への寄稿を次女のまゆ子ちゃんが口述筆記し、長女のゆみ子ちゃんがワード入力して校正。三人で力を合わせて仕事をしているそうです。
お風呂に入って髪を洗う。僕らが当たりまえのようにしていることが、彼にはできません。自分の力で歩くこと、自分でトイレに行くことも出来なくなってきました。それでも彼は自分のできることをやり続けています。痛みとモルヒネ、そして時間と戦いながら・・・・。

記憶力
空から学ぶことがたくさんある。今日はスイミングの日。同じ世代の子達とプールで泳ぐ。見ていると、同じ年齢の子でも、その運動能力にはかなりの差があり、正確も一人一人違う。空よりも後に生まれた子が、空よりも活動的なんていうことはザラにある。だけど僕らには昔の空の記憶がある。前に出来なかったことが、確実にできるようになっているのだ。だから安心して「すごいね!」「できるようになったね!」と褒めることができる。空には空のペースがあるのだ。少しずつ、でも確実に進化していく。それを見ている親は幸せである。昔の空を記憶をしておくこと。それが大切なんだと思う。

先生にも記憶力が大切だと思う。最初の日に子ども達の名前を全部覚えるのも記憶力だし、校歌を覚えるのも記憶力。その子がどれだけ頑張ってきたかを覚えておくのも記憶力、何よりも何ができて、何ができなかったかを覚えている記憶力がやはり大事だと思う。目の前の子ども達同士を比較するのは簡単だし、誰でもできる。誰にでもできるし、してはいけないのだ。これが結構難しい。そう目の前の子ども達同士を比べてはいけないのだ。一人一人成長の仕方が違うのだ。「昨日の自分に負けるな!」「昔の自分がライバルだ!」そう言われれば、どの子ども達も頑張れると思う。


10月8日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第277弾!

「たかやん議員日記」2005.第277弾!  10月8日(土)


今朝のサッカーとテニスは雨で中止。時間が妙に余ったような不思議な土曜の朝だった。パソコンに向かって議会報告の原稿を書いた。今回の議会報告は地道に応援団の人たちに配っていこうと思っている。今の新座市の学校の状態を知ってもらうにはそれが一番の方法だと思う。

白線流し
録画しておいた「白線流し」を見た。スピッツの主題歌が懐かしく感じられるほど、時間の流れを感じた。あの頃は高校生の役をやっていた俳優達が、今は27歳。確かに高校生の顔ではなかったけれど、心はあの頃のままで・・・そんな「白線流し」が僕は好きだった。
僕達石神井高校テニス部も来月OB会がある。懐かしいコートで老若男女がボールを追いかける。テニスをして、喧嘩をして、そして恋をしたコート。僕らの「白線流し」はあのコートにあるのだろう。果たして何人の仲間の「星」達に会えるのだろう・・・。

命の応援団
久しぶりに命の応援団の会合があった。メンバーはみんな本気で子ども達のことを考える人たち。あっという間に4時間という時間が過ぎていった。僕は子ども達を思う人と話をしていると時間が過ぎていくのを感じなくなる。話に夢中になってしまうのだ。今日も本当に色々な話がでて・・・熱く教育を語ってしまったのだった。



10月9日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第278弾! 

「たかやん議員日記」2005.第278弾!  10月9日(日)

プラネタリュウム
我が家三人と娘のところの下の子と5人で児童館のプラネタリュウムへ行った。久しぶりに入ったプラネタリュウムは大分古びた感じになっていたが、30分の上映はなかなか楽しかった。空は暗いところが嫌いなので、途中から「こわい。」と泣き始め、大変だったが・・・・
空にご飯を食べさせていると、たくさんの知った顔に会った。「しおり?」「たかやーん!」「え?え?え?」「これが家の子で、これが奥さん、これが上の子で、この子がその下の子」「えーっ?」「たかやん!うちの子のほうが大きいよ!」「何歳?」「3歳!上の子は5歳」「そりゃあ大きいよ。うちのはまだ2歳だから・・・・」久しぶりの卒業生との会話は実に楽しい。

情けない
プラネタリュウムから帰るころから、体調がおかしくなった。吐き気と腹痛がひどくなって・・・・それからずっと寝ていた。頭痛がひどくなり、横浜へも行けなくなった。本当に情けない体だ・・・・・どうしちゃったんだろう。



10月10日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第279弾! 

「たかやん議員日記」2005.第279弾!  10月10日(月)


久しぶりに頭痛薬を飲んだ。ただひたすら寝ていた一日だった。辛い辛い一日だったが、和彦の辛さに比べたら、屁のような辛さなんだと思った。明日には元気にならないと。子ども達が待っているから・・・・・。


| 1 | 2 | 3 | 4 |
2005/10
SuMoTuWeThFrSa
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031     

前月     翌月