Diary 2007. 8
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8月11日 (土)  「たかやん議員日記」2007.第223弾!  8月11日(土)

「たかやん議員日記」2007.第223弾!  8月11日(土)

暑い
5時過ぎに起きたのだが・・・暑い。風も殆ど無いし・・・熱中症に気を付けないと。という訳で、6時半からテニス。若い子達とのテニスは楽しい。今日は試合を2セットだけやったが、滅茶苦茶楽しかった。

尾崎豊
19歳の時の尾崎豊の歌を始めて聴いた。あんなに一生懸命歌うとは思っていなかった。子ども達に薦められて、尾崎の歌をたくさん歌ってきたが、全然違った歌だったのだと思った。15歳の時に、あの歌を作ったというのだから凄い。久し振りに本当の天才を見た気がした。

教育は人間だ    1990年、5,16日の「一生懸命」から・・・
昨夜は昔の仲間、先輩達と飲んだ。いつもだと飲むとすぐに寝てしまう俺なのだが、昨夜は飲んでも、飲んでも酔わなかった。大好きな人たちと、大好きな子ども達のことを語った。「教育は人間だよ!たかやん」とその先生は言った。『そうだ!』と俺は言った。モヤモヤしていたものが、いっぺんに吹き飛んだような気がした。
『俺らは職人ですよ。違いますか?校長。』「うん、そうだ」
『あなたは、最後まで職人だった。校長の時もそう、校長をやめてからもそう。だから好きなんですよ。』
山口常義、62歳。彼ほど、一人一人の生徒の名前を覚えていた校長を俺は知らない。文化祭では全校生徒の前でハーモニカを吹き、消化訓練では消火器を持って、走り回り、滑って転んで・・・・朝礼の話では、何人もの生徒を泣かす。そんな校長だった。
よく、校長室に呼び出されたが、いつも誉めてくれた。『一生懸命』の愛読者で、俺のよき理解者だった。叱られたこともあるが、何十回も誉められたあとなので、叱られても気持ちがよかった。父親のような人だった。子ども達から、本当に愛された校長だった。
「教育は人間だよ」「教育は愛さ」そうさ。

僕は五中時代、本当に幸せでした。校長に愛され、先輩達に愛され、そして子ども達に愛されていましたから・・・・。
こういう校長が新座にたくさんいたら・・・先生達は元気になるでしょうねえ。こういう血の通った校長がたくさんいたら・・・子ども達も元気になるでしょうねえ。本当に凄い先生でした。
山口先生の職人のワザは誰が受け継いでいるのでしょう。最近、職人が少なくなりました。
                                  たかやん


8月12日 (日)  「たかやん議員日記」2007.第224弾!  8月12日(日)

「たかやん議員日記」2007.第224弾!  8月12日(日)

陵平味噌
昨日は夕方から、陵平味噌の天地返し?をした。丁度半年前に仕込んだ味噌達は、なかなかの表情をしており・・・舐めてみると、90%以上はもう味噌になっていた。陵平味噌ができて2年目。みんなに食べてもらうのが楽しみだ。陵平のおじいちゃん、おばあちゃんの大豆は今年の秋も陵平味噌になる。

通告
9月議会の「一般質問の通告書」が来た。締切日を確認した。一般質問で寂しい思いをするのはもう御免だ。通告はもう出来ている。後は提出するだけだ。9月議会から「一問一答形式」もありらしい。楽しみ、楽しみ。

アカザ
我が家の庭の雑草を見て、西村先生が「アカザだね」と呟く。「知っているんですか?」「小さい頃よく食べたよ」「え!食べられるんですか?」「美味いんだよ」「本当ですか?」「お袋によく食べさせられたんだ」
確かにほうれん草もアカザの仲間らしいが、食べられるとは・・・・流石、信州の山の中で育った人は凄い。こんど味噌汁の具にしてみるとしよう。

花火
空は「はなびがこわい」と言う。どうやらあの音が怖いらしい。今日も従兄弟達と西武園の花火を見に行き・・・「こわい」を連発。殆ど僕にしがみついていた。西武園の花火と言っても、西武球場の脇からタダで見ていただけなのだが・・・・それでいて、帰る頃になると「はなびがもっとみたい」と成長?していた。

インド数学
所沢のお母さんのところへ行くと、インド数学ドリルが置いてあった。いくつになっても頭を鍛えるということはいいことだ。僕も負けないようにトレーニングしなくては・・・。

ベンチ
我が家の庭にベンチが引っ越してきた。2年前まではベンチプレスで100キロ上げていたのだが・・・最近は全然やっていないので、今回は無理をしないで、40キロくらいからゆっくりと上げていきたいと思う。柔軟やストレッチもしっかりとやって、もう一度体作りをしていこう。
                                  たかやん


8月13日 (月)  「たかやん議員日記」2007.第225弾!   8月13日(月)

「たかやん議員日記」2007.第225弾!   8月13日(月)

横浜
朝ごはんを食べていると「横浜へ行くわよ」と言われた。「道が混んでるよ」「空いてるらしわよ」「本当?」「どこへ行くの?」「アンパンマンミュージアム」「ふーん」
10年前まではテニス、テニスで家庭サービスなどは全く無し。そんな駄目親父にはもうなりたくないので、乗り気ではなかったが、横浜へ行くことになったのだった。

首都高は混んでいた。お盆だというのに、羽田までは渋滞の連続・・・それでも、12時半には無事、アンパンマンミュージアムに。ところが、そのアンパンマンミュージアムそのものが大混雑。兎に角人が凄いのだ。

アンパンマンミュージアムに入るだけで3時間待ち・・・嘘だろ!ジャムおじさんのパン工場では整理券を発行して、入るのに2時間半待ち・・・馬鹿言ってんじゃあないよ!!

結局、アンパンマンミュージアムは諦めて、アンパンマングッズの買い物をしながらジャムおじさんのパン工場に的を絞って・・・それでも空は大満足。

和彦
そして僕らは和彦が眠る、都筑区へ向かった。都筑メモリアルパークは小高い丘の上にあった。和彦の奥さんの智子さんが、入り口の近くで僕らを待っていてくれた。

51歳になったばかりで旅立ってしまった和彦のお墓に僕は水筒の水をかけた。僕が飲んで、和彦に飲ませ。また飲んで、和彦に飲ませ・・・・学生の頃、そうやって酒を飲んだように・・・・・

(元気でやってるかい?)(そっちはどうだい?)(俺はもう少し生きてないといけないから、あと30年くらい待っててくれよな)北海道の路加子さんからの伝言も伝え、僕達は線香をあげ、手を合わせた。

横浜からは懐かしい第三京浜を通って帰ってきた。和彦が入院していた頃、何度も何度も走った道路だ。あれからもう2年も経つのだ。

花火
所沢に帰る途中で西武園の花火に遭遇した。「きれいだね」と空。「ながれぼしみたいだね」と喜ぶ。僕には和彦が「ありがとう!」と言ってくれていたように感じたのだった。
                                   たかやん


8月14日 (火)  「たかやん議員日記」2007.第226弾!  8月14日(火)

「たかやん議員日記」2007.第226弾!  8月14日(火)

のの様
「パパ、いましんごうあかだったよ!」「のの様におこられるよ」と空。青梅街道から右折した時に、右側の信号が赤だったのだ。(当たり前)「空、大丈夫だよ。パパは悪いことしてないからね。」「でも、しんごうあかだったよ」「あのね、曲がる時はいいんだよ」「でもあかだと、のの様がおこるよ」
空の幼稚園は仏教系。どうやらいつでもどこでものの様が見ているらしいのだが・・・・のの様を信じている空に説明するのは難しい訳で・・・。どうやら空の中では「パパは悪い人」になってしまったらしい。

炎天下
午前中を所沢で過ごし、昼過ぎに一人我が家に戻ってきた。庭の花たちに水をやり、着替えをしてテニスコートへ・・・・そうなのだ。炎天下の中でテニスをやろうというのだからどうかしている。

習慣
それでも、コートに行ってみると、夏休みの懐かしい感覚が蘇ってきて、(特に五中、六中のテニス部のOB/OG達は)「おらー!行くぞー!はしれー!」とみんな元気にボールを追いかけたのだった。今日は1時から3時過ぎまでやったのだけれど、昔は朝6時から8時頃まで毎日やっていたのだから・・・・・うーん。やっぱりどうかしていたんだなあ・・・。

アメリカ合州国
7組の植田涼と黒目川の土手で語った。「できたらアメリカの大学に留学したいと思っているんです」と涼。『いいねえ。俺も行きたいなあ・・去年、一昨年か、ただでアメリカに行けたのに、教育委員会が許可してくれなくって、駄目になったからなあ・・・頭固いからなあ。』と笑う俺。
小さい頃、水遊びをしたことがあるという涼。久し振りの黒目川らしい・・・。『面白いと思わない?黒目川って海へ行くだろう?太平洋に注いでいる訳だろう?太平洋ってアメリカにつながっているじゃん。』「うん」ちょっと汚い、黒目川をぼんやりと眺めながら、アメリカ合州国を想う、涼と俺であった。
*植田涼は本当は赤ジャージで入学するはずだった。西堀小時代に給食を運んでいて、滑って転び、頭を強く打ってもどしたのだが、救急車も呼んでもらえず、安静にもされず、その時の不適切な処置が原因で後遺症が残ってしまい、一年留年した子だった。この会話は1990年の6月16日の会話である。理科の授業で黒目川に来ていたときの話だ。先月か先々月か・・・堀の内病院で涼に会った。20年以上経った今でもリハビリに通っているらしい。
学校が涼を動かさないで救急車を呼んでいれば涼は赤ジャージの子達と元気に勉強していたはずだ。
事故はどこでも起こりうる。その殆どが人の判断ミスからくるのだ。                    陵平のこともそうだが、何年経っても忘れてはいけないことはあるのである。たかやん


8月15日 (水)  「たかやん議員日記」2007.第227弾!  8月15日(水)

「たかやん議員日記」2007.第227弾!  8月15日(水)

終戦記念日
五時過ぎ、朝刊を読んでから庭でストレッチをした。それから、歩いて10分ほど離れた公園へ行った。公園でジョギングと軽いトレーニングをしただけで、Tシャツはびっしょりになった。やはり今日も暑くなるのだろう・・・・

戦争が終わってから62年。言い換えると、僕は戦争が終わって9年後に生まれた。当時の青山は畑がいっぱいあったらしいし、11歳まで過ごした新宿には防空壕があり、戸山の錬兵場の跡には、機銃掃射の痕が生々しく残っていた。

若い頃の父さんは「戦友」を連れてきては、「軍歌」を歌い・・・そして泣いた。戦場で散っていった仲間たち、そして弟のことを想って泣いていたのだと思う。
そういう環境で育った僕らは、自然に軍歌を覚え、そしてまた戦争というものに嫌悪感を覚えて育った。

小泉純一郎は今年も靖国を参拝したらしい。今はただの国会議員なのだから、中国や韓国の反発も少ないだろう。

僕の叔父も靖国に眠っている。(もしかしたら、故郷の舟見に眠っているかも知れないが・・・)また18歳だったのに、爆撃で腹をやられて・・・・今は、二人のお兄さん達と雲の上で話をしているはずだが、ずっとずっと一人ぼっちで寂しかったはずだ。

世の中に、いい戦争とか悪い平和とかはあったためしがない訳で・・・今の日本はあの時代と比べたら、何万倍もいい時代だと思う。
10代の少年達が、国のために死んでいく・・・。そんな国が「美しい国」な訳がないのだ。母親に手をついて「17年間、育てて頂いてありがとうございました」と出征していく国が「美しい」国な訳がない。
自分の父親が、夫が、そしてかけがえのない子ども達が、赤紙一枚で戦地へ行く。そんな国はどこも美しくない。

戦争をやらせる輩は、自分は常に安全な場所にいるものだ。広島も長崎も沖縄も重慶もソンミも死んでいったのは、ただの市民が殆どだ。

戦争で死んだ人の七割が餓死だったというのだから、戦争は恐ろしい。名誉の戦死など、実際にはありはしないのだ。8月15日。不戦を誓う日であって欲しい。 たかやん


8月16日 (木)  「たかやん議員日記」2007.第228弾!  8月16日(木)

「たかやん議員日記」2007.第228弾!  8月16日(木)

流れるプール
昨日の夕方、空と二人で黒目川へ行った。川の中に入ると、「つめた!」「つめたいよー」。外は35度を越えているのに、川の中は本当に冷たかった。
五中や六中の実習で黒目川に行ったときとはまったく別の顔の黒目川。匂いもないし、鮎がいたるところにいる・・・・
川岸から川の中を覗くと、大きな鯉が30匹近く泳いでいた。空は暫く鯉達を眺めて・・・そしてまた川の中に入っていった。本物の川は子ども達にとっても宝物である。

甲子園
暑くて、何処にも行く気がしないので久し振りに高校野球を見た。最近の高校生は派手なパフォーマンスが多いので、余り見る気がしなかったのだが・・・・一生懸命な応援、そして選手の表情に惹き付けられて・・・・最後まで見てしまった。

白い恋人
お詫びの会見をテレビで見た。なんとかミートの社長もそうだが、みんな人相が悪い。政治家並の人相の悪さである。悪いことをしていると顔にでる。いい顔になりたいと思う。

40.9度
74年ぶりに日本の最高気温の記録が破られたらしい。今までは山形県が持っていたが、これからは埼玉県と岐阜県。でも、自慢していいものやら・・・・
地球の温暖化が実感できるようになるのはもう少し先の話かと思っていたら、もうやってきた。そんな感じである。

お願い
この日記を読んでいる人の中で、新座五中の制服やジャージ・通学鞄等を譲ってくれる人がいたら、連絡ください。女の子用で身長は160センチくらいがベストです。2学期からの転入に間に合うといいのですが・・・。
連絡先はtakayanchan@jcom.home.ne.jpです。よろしくお願いします。

バーベキュー
塾から帰って来た瞬間電話が鳴った。「たかやん!うちに来て!バーベキューやってんだ。30分でいいから来て!」「色々やることがあるんだよ」「お願い!来て!」
しょうがないので自転車をこいで行ったのだが・・・帰ってきたのは12時過ぎ。30分が3時間になってしまったのだった。とほほ。              たかやん


8月17日 (金)  「たかやん議員日記」2007.第229弾!  8月17日(金)

「たかやん議員日記」2007.第229弾!  8月17日(金)

22時以降は・・・
昨夜のバーベキューの後遺症がきつい。どうも体が重くて、調子が悪いのだ。肉と脂を食べ、遅くまで飲んだのだから当然と言えば、当然なのだが・・・。
どんな飲み会でも、22時以降は食べないと決めた。アルコールも22時でストップ。60歳になったら、21時までにしよう。70歳で20時。80歳で19時。90歳で18時。100歳で・・・・そこまで元気に生きたら、めでたし、めでたしだ。

暗算
今日は二桁の掛け算の暗算に燃えた。子ども達の順応性というのは僕らが考える以上で・・・19×19、18×18などはあっという間にモノにしてしまうのだった。恐るべし小中学生・・・・インドには負けたくないものねえ・・・。

フレンズで英会話
フレンズのDVDで英会話のトレーニングをした。なかなか面白かった。人間は話せる言葉は聴き取れる・・・・それを実感したのだった。

たばこ
昔、専売公社に務めていた友達がこう言っていた。「煙草が売れないのよ。大人の男が吸わなくなってきたのよねえ。」「だから、ターゲットは女性とこども・・・」『本気で言ってるの?』「本気で言っているから、俺嫌になって辞めたんだよねえ・・・」
確かに煙草の低年齢化は進み、そして女性が堂々とプカリ、プカリと煙を吐いている場面を見ることが多くなった。JTの戦略は当たっているのだ。ニコチン中毒患者を増やせば、売り上げが伸びるのだから、相手は大人でなくても、男でなくてもいい訳で・・・・母親が喫煙すれば、子ども達の喫煙に対する悪いイメージは、確実に低下するし、受動喫煙の機会は確実に増えていく。そして、誰もがニコチン依存症への道を歩くチャンス?が増えるという作戦だ。
そういうことに気付けば、せめて子どもの前だけはやめよう!そう思うはずだが、ニコチン中毒患者はそういうことよりも、自分の体の中にニコチンを入れることが大事だから、誰の前でも平気で吸うようになる・・・・そういう世の中になってきた。
黒目川の掃除をしていても、公園の掃除をしていても、一番多いのはたばこの吸殻である。子ども達はたばこを吸うことだけを大人から学ぶ?のではなく、たばこのポイ捨ても大人たちから学んでいくのだ。毎日1箱吸っていると、老化を10年早めると言われている煙草。心臓にも脳にも悪く、癌の引き金にもなっている煙草。ADHDを作り出すとも言われている煙草。それなのに、学校の先生達も市議会議員達も喫煙する人が多いのよねえ・・・。
                                   たかやん




8月18日 (土)  「たかやん議員日記」2007.第230弾!  8月18日(土)

「たかやん議員日記」2007.第230弾!  8月18日(土)


朝のテニスコートは風が涼しく、気持ちよかった。真夏が急に秋になったような感じだからか、蝉達が最後の火と一鳴きをして、土に帰る日に決めたらしく。沢山の蝉達がコートで暴れていた。
僕らは1時間半、テニスコートで汗をかき、そしてその後みんなでダッシュをしたのだった。お陰で、今は筋肉痛。でも、全力で走ると気持ちがいいのだ。

煮詰まってきた
8月も残りは僅か。日程が詰まってきた。議会報告の8月号を完成させ、印刷して配布しないといけない。川つくり懇談会の会議もあるらしいし、母さんのところにも顔を出さないといけない。勿論、一般質問の通告を提出しないといけないし、議運もある。9月議会はもうすぐ。夏休みがもうすぐ終わる子ども達の気持ちがよくわかる。

片付け
やることが沢山あると、昔から片付けを始める癖がある。今日も、庭と玄関のスペースの片付けに1時間半燃えた。そして新聞の記事を切り抜いて・・・・ファイルに入れて・・・
ナンなんだろう、この性格・・・。

明からのメール
こんなメールがきた。26年前に貸した本・・・うーむ。記憶があるような無いような。

岩城 明です。
暑い毎日ですが、お元気ですか?
先日は、たくさん話せてうれしかったです。
さて、私がたかやんから借りていた本ですが、(倉本聰 さらばテレビジョン)
大変遅くなりましたが、お返しします。
私が10代の頃、所沢の家に出入りしていた時にかりたものです。(いまから26年前です)
本当に遅くなって、申し訳ありません。
そのお詫び・お礼として、重松清の「青い鳥」を贈らさせてください。
7月に出た新刊なのですが、まだ買っていないですよね?
まさに、今、この時代に読む本だと思います。(持っていても、もらってください)
明日、発送します。
それでは、また・・・


*明を教えたことはない。生徒会で一緒だったのだ。その頃五中の生徒会は合宿があり、みんな所沢の我が家で合宿したのだ。合宿といっても、教育や愛、そして人生を語っていただけのような気もするが・・・・。同じ学年じゃあないのに、不思議な縁である。それにしても、借りていたことを覚えている明が偉いと思った。        たかやん


8月19日 (日)  「たかやん議員日記」2007.第231弾!  8月19日(日)

「たかやん議員日記」2007.第231弾!  8月19日(日)

招待状
六中最後の卒業生から、結婚式の招待状がきた。スピーチの依頼も、歌の依頼も書いてなかったので、(こりゃ久し振りにゆっくりと飲めるか・・・)と思っていたら、電話がかかってきて、「そんな訳ないでしょ?歌もスピーチもお願いします。」「歌は中学の時によく歌ってくれた歌がいいなあ・・」と言われてしまった。
結婚式は9月の末。議会が終わると、今度は舞台が待っているという訳。

ジャンケン
今日は午後から仲間が集まって、9月議会の打ち合わせ。そのあと小宴会になった。そこで久々のジャンケンが始まった。
「買い物に行く人」「お金を出す人」「作る人」「洗い物をする人」その全てに、全員がサンマーに燃えたのだ。(サンマーとは全員で一番負けることが3回で、負け)
6人以上の大人たちが、「ジャンケンポン!!」と大声を出して、燃えに燃えた。そして結果は・・・Kが3敗。K子が1敗。その二人は夫婦なので、彼らは全敗。僕は2敗から何度も粘り勝ちして、結局無敗。勝負強いところを見せたのだった。それにしても、大の大人がジャンケンであれだけ興奮するのだから、笑ってしまう。

卒業アルバム
初めて五中の11期生の卒アルを見た。僕が六中へ行った後のアルバムなので、多分初めて見たと思う。そこには懐かしい顔がたくさん写っていて・・・・亡くなった先生達も写っていて・・・・みんなで大笑いしたり、ちょっと感傷的になったり・・・楽しいひと時だった。

バレーボール
お袋はママさんバレーの選手だったし、僕自身も中学校1年生のある時期はバレー部だったので、バレーボールは好きなのだが・・・・あのY監督を見ていて、一言いいたくなるのは僕だけだろうか・・・。僕が気に入らないのは、アドヴァイスが具体的ではないことと、あのパフォーマンスというか・・・あのはしゃぎ方・・・監督ならもっと、どしっと腰を据えていてくれないと、選手も頼りにできないのでは・・・と思うのだ。ま、素人がどうこう言ってもしょうがないけどね。
オシムに文句があったり、原監督に文句があったり・・・スポーツの監督というのは、素人にああだこうだ言われるのだから堪らない。それだけファンが多いということなのだが、勝てば誉められ、負ければ目茶苦茶・・・プロスポーツの監督の宿命だろうねえ。
                                   たかやん


8月20日 (月)  「たかやん議員日記」2007.第232弾!  8月20日(月)

「たかやん議員日記」2007.第232弾!  8月20日(月)

選挙があると好きなことが書けないので困る。今日は書きたいことが色々あったのだが、しょうがないから、3年前の塾日記でも・・・。

『たかやん塾日記』2004.第170弾!  8月10日(火)

麻美のお陰でみんな幸せ
「充実」を「充血」、「悔しい」を「梅しい」、「結構」を「結好」と書いてみんなに大爆笑されたのは麻美。『最後の最後に笑わせてくれてありがとう!』と裕史。ではその文を掲載します。
* なんだか最近、夏休みが短く感じるようになりました。多分一日が充血しているからだと思う。夏休みでこんなに勉強したのは初めてだし。算数と歴史で和伸に負けた。梅しいから算数満点取れるように頑張ってくる。久々に基礎英語やって結好楽しかった。だから頑張って朝起きてみようかな?目玉焼き、蒸しパン、スコッチエッグ、お茶(麻美)

0点男が遂に満点に
一次方程式で0点を取った和伸が遂に満点を取った。しかもかなり速いスピードで終わらせたので驚いた。裕史も麻美も完全に抜かされてしまった。和伸恐るべし・・・・
* 今日は数学の一次方程式で満点取れてよかった。ごはん、味噌汁、納豆(和伸)

ゲームボーイ
健人の読みが凄い。塾日記も天声人語もスラスラと読んでしまうのだ。言葉の意味には弱いのだが、難しい漢字を読むことにかけては中学生で一番だろう。
* 今日は一次方程式で19点だった。あと1問合っていれば満点だったからショックだった。連立方程式が全然できなくなっていたので、家で復習しようと思った。ご飯、高級ジャムパン、ピーチティー(健人)

基礎英語の思い出
みんなで基礎英語のディクテーションをやったら、散々だった。みんなの耳の性能はかなり落ちていたのだ。これはもう僕の責任だ。しっかりと英語耳を鍛えなければと思った。
* 基礎英語を初めて聴いた6年の時は本当に何を言っているのか分からなくて、泣きたいくらいだったことを思い出しました。今はちょくちょくスペルを間違えたりしてるけど、何となく分かるようになったので、昔が懐かしかったです。ご飯、玉子焼き(藍子)

未来形
英語が未来形に入った。本当に基礎的なことが分かっていない。いつも、いつも中途半端にやりっ放しで終わらせていたのだろう。でも大丈夫。ノート勉が全てを解決してくれるはずだ。
* 英語は未来形に入って、最後のプリントがかなり難しかった。国語は楽しかった。理科は思ったより間違いが少なくてよかった。海苔御飯、お茶(かめ) 

あの頃の中学生は今は高校生。そして高校生は大学生なのだから驚く。たかやん塾の最初の卒業生はもう社会人。五中、六中の卒業生は完全におじさん、おばさんの域(失礼)に・・・・時は流れている・・・・。今日も暑い一日だった。ホームページがまたクラッシュして困った。アクセスしてくださった方、申し訳ありあません。             たかやん



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