Diary 2005. 8
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8月21日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第236弾!

「たかやん議員日記」2005.第236弾!   8月21日(日)

朝のトレーニング
今朝はキャッチボールとサッカーのドリブル練習、そしてランニングでスタートした。西武球場付近の空気は澄んでいて、いい汗をかくことができた。Tシャツはビショビショだったが、気分は爽やかだった。

ハングル
今日も韓国語の勉強をした。早く韓国人の友だちを作らなくては・・・・そして韓国へ行ってみたい。韓国語の聞き取りは英語の100倍は難しい。まだまだちんぷんかんぷんである。

懐かしい新聞記事
死んだ父さんが富山の労働基準局長だった時の新聞記事を兄貴が持って来てくれた。新聞の中の父さんは52歳。今の僕と殆ど同じ歳だ。それなのに新聞の中の写真はとても落ち着いていて、大人に見えるのは何故だろう。新聞の議題は「六価クロム」。労務災害について実にしっかりとした分析と対策を堂々と述べていて、本当に凄い人だったんだなあと、息子として誇らしく思った。そしてまだまだ自分は努力不足だということを痛感したのだった。


8月22日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第237弾! 

「たかやん議員日記」2005.第237弾!   8月22日(月)

一人二役
奥さんが風邪を引いたので、朝から大忙しだった。みんなのご飯を作り、空に食べさせる。空は納豆も鮭も味噌汁も「おいしい!」を連発しながら食べてくれた。ご飯を作れば片付けなければいけない。掃除も洗濯もあるし、買い物もある。そしてなんといっても空から目を離せない。主婦はなかなか大変なのだ。

一人二役と言えば、六中時代、病気で休んだ先生の授業を全部引き受けて数ヶ月過ごしたことがあった。空き時間は勿論普通に授業をしたし、授業が重なった時は二クラスを同時に教えたりして、その数ヶ月を乗り切った。別に給料が上がるわけでもなかったし、特に誰かに誉めてもらった記憶もない。ただその先生と仲がよかったからできたのだと思う。その時は子ども達と本当に必死に勉強していたという記憶がある。3年生だったので、何とかしたいという意識が強かったのだ。それはたまたま3年生の9クラスの理科の授業を1分野と2分野に分けて、僕達二人の理科教師が全クラスを教えていたからできたのだろう。
9クラスとも同じ階にあったので、一クラスにプリントを配布して、そのプリントをやっている間に走ってもう一つのクラス行って授業。授業が半分過ぎたところで、プリントを配りテスト。廊下を走ってもう一つの教室へ戻り、プリントの解説をする。そういうことを毎日やっていたような気がする。空き時間はゼロに近かったが、何とかできたのは僕自身も若かったからだろう。六中の緑ジャージの3年生。あの子達ももう30歳になったはずだ。

一日二日
伯父さんが危篤だ。医者に「あと一日二日でしょう・・・」と言われたらしい。急遽、明日の午前中に面会に行くことになった。最後にあの声を聞くことができたらいいのだが・・・・今日は殆ど意識がなかったらしい。


8月23日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第238弾! 

「たかやん議員日記」2005.第238弾!  8月23日(火)

伯父さん
経おじさんと死んだ父さんとは大学時代の親友だった。立山あたりに登り、笑顔で写っている父さんや、伯父さん、そして父さんの弟の猛おじちゃんの写真はいつ見ても楽しそうだ。
おじさんは特攻の生き残りだ。特攻といってもあの“神風特別攻撃隊”ではない。“人間魚雷回天”の特攻である。おじさんは終戦直前のある日。出撃決定の朝、腹をこわし、他の隊員と代わったことで死ななかったらしいが、出撃した隊員は殆ど帰ることが無かったのは、あの神風と同じである。そして“特攻”そのものが殆ど無駄だったということも。あの時代の若者は命令一つで、無駄死にするしかなかったのである。それが悲しい。

空を連れて病室へ行くと、おじさんは目を開けた。僕を見て「おう朋矢か・・・」空を見て「いくつになった?」僕が「二つになりました。」というと「そうか二つか・・」と笑ってくれた。帰りに空がバイバイと手を振ると「バイバイ」と言って、笑顔で手を振ってくれた。もうこれが最後のバイバイだということが分かっているようだった。

経おじさんがいたから、母さんは父さんと結婚したのだ。僕が今生きているのは、おじさんのお陰なのである。そして雪や亮や空が生きているのも・・・・
僕は最後に眠っているおじさんに向って「おじちゃん、ありがとうございました。」と頭を下げた。森川経成83歳。医者は今日明日でしょう・・・と言ったらしい。おじさんと最後に話ができて本当によかった。空を見てもらえて本当によかった。


母さんに電話をしたら「話ができてよかったね。」と泣いていた。80歳の妹は今でも「つね兄ちゃん」と呼ぶ。思い出すことは多分、小さい頃のことだろう。本当に仲のいい兄妹だったらしい。そんなお兄ちゃんがもう危ない・・・400キロ離れた富山の妹はどんな気持ちでいるのだろう。それを思うとかわいそうでならない。

団会議
今日は久しぶりにみんなに会える日だったのだが、病院へ行っていたので団会議に出席することができなかった。僕は無所属だから声がかからないけれど、他の人達は9月11日の選挙に向けて大忙しだろう。


8月24日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第239弾! 

「たかやん議員日記」2005.第239弾!  8月24日(水)

発熱
今朝も奥さんの熱は下がらず・・・・忙しい一日だった。味噌汁のだしを取り、納豆をかき混ぜて・・・・空にエプロンをして、ご飯を食べさせた。空は今朝も「おいしい」を連発しながら、朝ごはんをいっぱい食べてくれた。

スイミング
子ども達が溢れていた。ふと見ると、娘の雪の姿があった。どうやら息子をスイミングに通わせるらしい。空とお姉ちゃんの子どもは同級生。二人がどういう風に育っていくか、楽しみでしょうがない。

体罰
甲子園が揺れている。北海道が揺れている。僕もゲンコツはくれたほうだから、偉そうなことは言えないが・・・・練習中にミスをして歯を見せたとか、ご飯を三杯食べなかったとか・・・・そういうくだらないことで殴るというのは殴る方のレベルが低すぎる。ベランダでお菓子を食べたからといって、教師が集団で反省文を書かせたり、学年集会で謝らせたり、親を呼び出すよりはましかも知れないが・・・・。自分達で勝手にルールを作り、守らないと怒るという構図は同じである。「自分がやられて嫌なことは人にもしない。」幼稚園で習ったことを忘れてしまったのだろう。中学生や高校生の気持ちを忘れてしまった人たちが感情で怒ると、ろくなことはないのだ。


20時過ぎ。つねおじちゃんは亡くなった。昨日のバイバイはやっぱり、僕達みんなへのバイバイだったのだ。そしてあのバイバイは俺の命をお前たちにリレーするぞ!というバイバイだったような気がする。

母さんに電話をすると、「小さい頃のことを思い出して・・・」と泣き出した。『やっぱりそうだよね。昔のこと思い出すよね。』「仲のいい兄妹だったからね。」母さんは「お葬式にはいかないわ。」「耐えられそうにないから・・」と言って、また泣いた。僕は母さんの声を聞きながら、小さな妹が大好きなお兄ちゃんを亡くして泣いているような気がして、僕も泣けてきたのだった。母さんは死ぬまでに、あといくつこういう悲しみを味わうのだろう・・・それを思ったら、僕らは絶対に元気でいなくてはいけないと思った。母さんに、もう辛い思いはして欲しくない。僕らが辛い思いをすればいいのだ。

おじさんは今頃、父さんたちと会っているのだろうか。若くして死んだ、戦友たちと再会しているのだろうか・・・・。


8月25日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第240弾! 

「たかやん議員日記」2005.第240弾!  8月25日(木)

消防本部
今日の農業委員会は市役所ではなくて、消防本部3階での会議だった。初めて新座市消防本部に入ったのだが・・・明るくて、爽やかな印象を受けた。
今日の委員会は9時半から12時近くまで続いた。「農地転用」のことで色々な意見が出て、なるほどなあと思った。

台風11号
台風が大接近しているというので、今日の塾はお休み。子ども達に会えなくて寂しい。家には何の不満もないけれど、やっぱり子ども達と一緒にいないと調子がでない。
教員時代、テニスをやっていなかった頃の夏休みは同じような気持ちだった気がする。学校がないと子ども達と会えない。だから早く学校が始まって欲しかった。一緒に勉強をしたかったのだ。テニスを始めてからは休むことがなかったから、子ども達と会えないという悩みはなかったが・・・・・。

息子の誕生日
今日は長男の亮の誕生日。23歳になった。家族思いの優しい大人になってくれたと父親は思っている。亮のことで後悔していることは、勉強をみてあげなかったこと。同じ中学校に通っていたので、亮に勉強を教えることは何だかインチキのような気がしていたのだ。他人の子ども達には死ぬほど勉強を教えたが、自分の子どもの勉強は全く見てあげなかった。そのことを今頃後悔している。何も気にしないで、どんどん教えていればよかった・・・・・。そういえば、娘の雪にも余り勉強を教える機会がなかった。親が子どもに勉強を教えられる時期はほんの一瞬。その時間を大切にしていなかったことを今頃後悔している。

世界選手権
この間の世界選手権で女子100m×4リレーの第一走者は六中時代の教え子である。(と言っても担任をした訳でも顧問をした訳でもない。)中学一年のときにはもう日本一になっていたから、やはり才能があったのだろう。どのくらい速いのかと一緒に競争したことがある。胸の差で僕が勝ったが、中学校一年生であれ程早く走る子を見るのは初めてだった。教え子たちが世界で活躍するのを見るのは楽しい。そして一生懸命走る表情の中に昔の面影を見ることができるのは幸せである。


8月26日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第241弾! 

「たかやん議員日記」2005.第241弾!  8月26日(金)

台風一過
小さい頃は「台風一家」だと思っていた。灯台下暗しも「灯台モトクラシー」だと思っていた。子どもは言葉を間違えながら覚えていくのだと思う。今回の台風の被害は思ったよりも小さかったような気がする。今年はあと何回台風の直撃があるのだろう・・・・。

電車の中の出来事
シルバーシートに平気で子ども達を座らせているおばさんがいた。そシートにふさわしい人が乗ってきたら「子どもは立ちなさい!」「子ども達を立たせなさい!」と言う積りでいたが、そういう人達は乗車して来なかった。あの日はそういう親子連れを3組も見た。母親がまともな教育を受けていないのだから、子ども達には責任がないなあと思った。
同じ日の地下鉄の中で、僕は生まれて初めて席を譲られた。肩をポンポンと叩かれて、「どうぞ!」と言われたのだ。それも20代の女性に・・・・。いくら空を抱っこしていても、そんなことが起こるとは予想もしていなかったので驚いた。僕は普通、電車の中では座ることが無いのだ。そして奥さんに座ってもらって、空を抱っこしてもらうと・・・今度は座っていた若い男性が空の為に席を空けてくれたのだ。「いいんですよ。」というと「次の駅で降りますから・・・」彼は空が外を見られるように席を空けてくれたのだ。・・・そして僕に「可愛いですね。」と声を掛けてくれた。一緒にいた女の人に「昔の自分みたい?」と聞かれて「そうなんだ。」と笑う男性。なんだかとっても幸せな気分になれたのだった。

いつの時代にも周りが見える人もいれば、自分のことしか見えない人もいるのだ。

召集通知と議案
ピンポンと音がするので、宅急便かなにかと思ったら・・・市役所の総務課の人たちが3人で「議会の召集通知」と「議案」を届けてくれた。総務課の人たちはいつも感じがいい。一緒に玄関に出てきた空にもニコッと笑いかけてくれた。いよいよ9月議会が始まる。今回の選挙で議会の日程が大幅に変わる可能性もあるらしいが、今回も一般質問で頑張る積りである。質問は「教育問題」だけ。市長の答弁を聞く事ができないのが寂しい。

定例の相談会
伯父が亡くなり、明日がお通夜になりました。申し訳ありませんが、明日の相談会は来月に持ち越しということでお願いします。相談に来られる予定だった方には本当に申し訳なく思っています。                           たかやん


8月27日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第242弾!

「たかやん議員日記」2005.第242弾!  8月27日(土)

アスベスト
僕が教育委員会に「アスベストの調査と対策を夏休み中にやって欲しい。」と言ったからかどうかは分らないが、東野小と新堀小そして六中で「石綿」除去の工事が行われると新聞に載っていた。六中の子達が「階段の天井をつつくとポロポロ落ちてくる。」と言っていたが、どうやら本当に危なかったらしい。僕は六中に10年もいたからかなり吸ってしまったかも・・・・。調査をして直す。兎に角時間との勝負だと思う。頑張って欲しい。

テニス
久しぶりに思いっきり打った。六中時代の最後の教え子達と思いっきり打った。かなり幸せな気分になった。テニスの後はサッカー。人数が少なくて滅茶苦茶疲れた。

志木駅前
数珠がどこかへ行ってしまった。今日のお通夜に必要なので志木へ行くと・・・・民主党の旗が何本も立っていたので、駅前を通ってみた。「あ、平松さんがいる!」「お、よしのりがマイク持ってる。」よしのりと大佑が青いTシャツを来て笑顔で頑張っているのが見えた。「あ、田中さんもいる。」「何処?見えない?」車を運転しながら手を振った。肝心の神風さんは見ることができなかった。9月11日まであとわずか。

お通夜
伯父さんは髭を綺麗に剃り、化粧をしていた。口の中に詰めた綿が多すぎて、少し不自然だったが・・・苦しまないで逝ったのだと思う。親戚は勿論、一般の参列者もたくさんいた。泣いている人が多いのに驚いた。


お清めの席は煙草の煙で充満していた。従兄弟達との会話は楽しかったが、煙草のアレルギーは変わらないわけで・・・もう苦しくてしょうがない。空の喘息の発作が起こらなければいいのだが・・・・明日は告別式。なるべく煙から避難するようにしよう。



8月28日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第243弾! 

「たかやん議員日記」2005.第243弾!  8月28日(日)

告別式
今日は朝から告別式へ行ったので、サッカーは中止になった。僕らは兄貴の車で小岩まで向った。首都高は思ったよりも空いていて、1時間かからないで着いてしまった。空は今日も人気者だった。みんなに笑顔を振りまき、係りの人にはペコッとお辞儀をして・・・悲しい式なのに、みんな空を見ると笑ってくれた。
三島から来てくれたお坊さんは二人とも親戚。そう僕の中にはお寺の血が流れているのだ。父方の祖母もお寺の出だから・・・「仏教」の考え方は小さい頃から、無意識に学んでいたような気がする。

伯父ちゃんの額に触った。悲しいほどひんやりしていた。何を話しかけてももう何も返っては来ないと思った。やっぱりあの時話ができてよかった。

焼かれて出てきた伯父ちゃんの骨は驚くほどしっかりしていた。とても83歳の老人の骨には見えなかった。「生涯現役」を実行して、今年の5月まで八甲田でスキーをしていたのだから凄い。今まで見た中で一番太くて逞しい骨だったような気がする。

昨日今日と、従兄弟や従兄弟の子ども達とたくさん話をすることができた。昔は従兄弟といっても僕は末っ子だったので、僕が遊ぶ相手もみんな末っ子だったような気がする。りえちゃん、貴ちゃん、ひろ、でこ・・・その頃の末っ子集団も、みんな50歳。今はどんなに年上の従兄弟とでも普通に話ができる。「ともや」「とんすけ」「とんちゃん」昔の呼び名で僕はみんなに呼ばれるのが嬉しかった。僕らは小さい頃のことを話して大笑いしたり、伯父ちゃんの話をして泣いたり・・・どこかみんな似ているところがあって、何となく温かい・・・そんな集まりだった気がする。

供託金
衆議院議員選挙の供託金が、小選挙区は300万。比例代表区は600万と聞いて驚いた。僕は新座市から出る気はないから、県会議員や国会議員になる気はないからいいけど・・・・国会議員になろうという人はお金が無いと立候補もできないのだ。市議会議員選挙の供託金は30万。僕はその30万でさえ戻ってくるかどうか心配でしょうがなかったのだから・・・・

一般質問の通告締め切り
明日の17時が締め切りのようである。もう原稿は99%完成しているので、あとは市役所へ行って清書して出せばいいだけだ。明日は朝、小学生とテニスをやって、それから市役所、そして塾。もうすぐ夏休みが終わる。


8月29日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第244弾!

「たかやん議員日記」2005.第244弾!  8月29日(月)

通告締め切り
9月議会の一般質問の締め切りは今日の17時。例によって僕らは会派の控え室で、ギリギリまでワイワイやりながら通告書を作成したのだった。通告書は人によって書き方が色々だ。質問の内容によっても色々。質問する相手によっても色々・・・・。僕達の会派でも書き方は全く統一などされていない。今回の僕の質問は次の5点。全て教育問題である。

1. 六中のヘルメット問題  
2. 学校指定のジャージ問題  
3.修学旅行・林間学校の問題 
4.大和田小学校の運動会の問題
5.授業時数の確保について

1. のヘルメットの問題は新堀地区の生徒や親からすると大変な問題だ。前回の質問で教育長は「意見があったら、直接学校へ言って下さい。」と答弁の中で言っていたが、内申を握られている中学生の親が学校にクレームをつけるのは非常に勇気がいることなのだということを理解していない。子どもは人質なのだ。本当は頭にきていても、じっくり我慢。3年我慢して卒業してしまえば・・・・これが基本なのだ。だから学校はよくなっていかない。親が本音で語っても、子ども達が本心を言っても、報復されないようにならないと学校はよくなっていかないと思うのだ。

2. ジャージ。6月議会で、教育委員会から提出された資料を見て、疑問に思ったことがあるのでそれを質問する。


3. 修学旅行・・・・。忘れないうちに二中の広島への修学旅行が京都・奈良に突然変更になった事件を質問しようと思った。1596名もの「広島への修学旅行継続願い」の署名があったにもかかわらず、何故無理やり京都・奈良になってしまったのか・・・今でも疑問である。ベースにどういう考え方があるのだろう。子ども達にとっての修学旅行、林間学校って何だろう。素朴な疑問である。

4. 大和田小学校の運動会の問題は保護者の方たちの強い要望で取り上げることにした。子ども達にとっても、親にとっても「運動会」は一生の思い出になる。その運動会が校庭が狭いという理由で、色々な規制があるというのだ。我が家の2歳の息子もこのまま行けば大和田小。通学も危険で体育の授業にも支障があるようでは困るのだ。

5. 授業時数の問題は実に大きな問題である。週休2日になって、中学校では標準授業時数が1050時間から980時間になった。埼玉の学校は東京の学校に比べてカット時数が多い。それが疑問の出発点だった。東京の学校は始業式の日から授業があるのだ。同じ公立なのに、授業の進み具合が全然違うのは何故なのだろう。そこから生じた疑問である。

今回の質問は後ろから4番目。最終日のトップバッターのようである。


8月30日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第245弾!

「たかやん議員日記」2005.第245弾!  8月30日(火)

四中バスケット部
「四中のバスケット部が全国優勝したの知ってる?」「本当?凄いじゃない。」幸弘から言われるまで、僕は知らなかった。新座には昔から優秀なバスケットの指導者がいる。二中で全国制覇した時の写真を見たことがある。みんないい顔をしていた。新任の頃、三中の女子バスケット部と試合をしたことがある。これが女の子なの?と思うくらい上手で驚いた記憶がある。彼女達もまたキラキラした瞳をしていた。「子ども達の目を輝かす。」指導者の大事な仕事だと思う。
I校長は僕の同期。喜んだだろうなあ・・・きっと飛び上がって喜んだんだろうなあ・・・

埼玉県の公立の学校でも練習すれば日本一になれる。それが子ども達の自信になってくれたら嬉しい。レギュラーの陰に隠れて泣いた子達もいただろう。だけれども、それもまたやがていい経験になっていくのだ。「四中バスケット部」おめでとう!やったね!

自転車
風が少し冷たく感じるようになってきた。暑い中に秋を感じられるのは幸せである。今日の塾からの帰りは雨。新堀の子達はどんなに雨が降っても自転車で通学する。「たかやん!ゴミ袋でバックを包むんだよ!」と子ども達。子ども達に教えてもらった方法で自転車をこぐ。バックの中身は濡れていなかったが、着ているものはビショビショになった。
恐かったのは水道道路。まず歩道がガタガタで、雨の日に自転車で走るのはかなり危険だ。車椅子にもまったく配慮されていない歩道である。しかも幅が広かったり、狭かったり・・・・歩道そのものがあったり、なかったり・・・車道に下りると走りやすいのだから困ったものだ。そういう歩道で自転車同士がすれ違う時も結構危ない。野火止用水の遊歩道もガタガタしていて幅がまちまちで、車止めもあるから神経を使う。要するに自転車や歩行者(車椅子)のことはあまり考えてない道路なのだろう。車では感じないことを自転車に乗っていると感じるのである。9月議会もなるべく自転車で行こう。排気ガスはでないし、ガソリン代はかからないし、運動になるし・・・自転車はいいことだらけだ。


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