Diary 2005. 7
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7月1日 (金)  『たかやん塾日記』2005.第183弾! 

『たかやん塾日記』2005.第183弾!  7月1日(金)

臭い
朝からMパーテーションの煙に悩まされた。あの臭いを嗅ぐと気持ち悪くなるから、今日のような天候でもエアコンを入れていることが多い。松本サリンの教訓である。
石綿を吸って、癌になるのと同じで、あの空気を吸っていたら間違いなく病気になると思うから・・・・・電気代がかかっても僕らはエアコンを入れるのだ。
今日の臭いは煙が見えなかったから、助燃装置を使って800度以上で燃やしてはいたのだろう。だけど、あれだけ臭うということは「紙と木」以外のものを燃やしていた証拠でもある。要するにルールを守っていないのだ。会社が儲かれば何をしてもいいという感覚、それを正さない限り何も変らないだろう。

六中のヘルメット
9月議会でも六中のヘルメットの問題を取り上げることにした。ものを言えない子ども達の為に徹底的に戦おう。教育長は何かあったら直接学校の方へ言ってくれというようなことを言っていたが、中学校へ親が文句を言えると思っているところが認識不足である。
「内申」が恐くて意見など言えないのだ。
PTAの役員決め。1,2年生は毎年なかなか決まらない。やれくじ引きだ、ジャンケンだと毎回大騒ぎである。だけど3年生になるとあっという間に決まってしまうのだ。どうして3年生になると急に立候補が増えるのか、よく考えて欲しい。

教室の中の殺意
悪いのは勿論あの生徒だが、その時教室にいた教師もまたプロフェッショナルではなかったと思う。生徒の表情を見ていなかったから、ああいうことになったのだと思う。子どもたちの表情を見ない先生が増えてきた。そりゃあ服装を見ていた方がはるかに楽だし、簡単だ。外見で判断することは大学生にだってできることだ。プロは子ども達のエネルギーを肌で感じなれればいけない。そして表情から何かを感じ取らなくてはいけないのだ。見えないものを感じ取る。それがプロフェッショナルというものである。
職人気質の先生が激減している。寂しいものである。


7月2日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第184弾!

「たかやん議員日記」2005.第184弾!  7月2日(土)

キノッピー
僕には憧れていた先輩が3人いる。甲神嵒、川島勝治、そして木下保則である。今日は「木下保則校長先生御退職記念祝賀会」に出席させてもらった。祝賀会をリードしていたのは栄小学校の先生達。僕は何度も栄小にお邪魔させてもらったが、いつもと同じように温かくて、ほんわりとした雰囲気がベースにあった。そして先生達のメッセージ・・・・
僕は知らないうちに泣いていた。子ども達とキノッピーとの会話、そして教室で子ども達の暗誦を見ていたキノッピーが子ども達に言った言葉・・・・
栄小学校の子ども達は幸せだったな。栄小学校の先生達も幸せだったな。そして僕達も幸せだったんだなあ。そう思った。

五中時代、キノッピーは僕にとってライバルだった。僕は甲神嵒の剣道部とキノッピーの水泳部を目標にしていたから・・・・。キノッピーはいつも子ども達と泳いでいた。そして一緒に筋トレをしていた。もう一つは「学級通信」だ。その当時、年間100以上の学級通信を出していたのは僕とキノッピーの二人だけだった。だから印刷室で会っては「お、何号まできたか・・・」「お、今日のはなかなかいいな。」とキノッピーに声をかけてもらっていた。ライバルと言っても、ガムシャラに追いかけていただけだから、先輩達は相手にしてなかったかも知れない。

キノッピーというのは子ども達がつけたあだ名。僕のクラスを教えてくれていた時に、子ども達はキノッピーが大好きになっていった。「お、しっかりやってるかな?」キノッピーの“肩揉み”は有名で、授業中に眠そうな子達はみんな“肩揉み”の強烈な洗礼を受けていた。子ども達がキノッピーを好きだったのは、授業が凄かったのだ。子ども達の意見を大事にするキノッピーは決して、子ども達の意見を否定しなかった。「お、そういう考え方もあるな。」「お、なかなかいいな。」僕は授業では完敗していた気がする。

キノッピーはいつも“愛妻弁当”を持ってきていた。それを狙って、休み時間に半分頂くのが僕と本田誠の二人。あの頃はお腹が空いていたのだ。甲神嵒、川島勝治も同様の被害にあっていたはずだ。

僕達テニス部は六中で10年間、毎朝ごみを拾った。キノッピーはそのうち4年間、毎朝僕らに付き合ってくれた。五中ではみたことがないから、多分それが習慣になったのだろう。栄小ではゴミ拾いをしていて、朝の職員会議に遅れることもあったというから笑ってしまう。
泣き虫のキノッピー。今日もたくさん涙を浮かべていた。


7月3日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第185弾! 

「たかやん議員日記」2005.第185弾!  7月3日(日)

消防団の視察
朝の8時に新座の消防本部に集合して、視察がスタートした。消防の視察に参加するのは初めてである。バスは2台。教え子達の乗った1号車は何やら賑やかそうだったが、僕の乗った2号車は静かなものだった。バスの中ではずっと「有機化学」の問題集をやっていた。最初の研修先は「東北電力の東新潟火力発電所」だった。火力発電を見るのは初めてだったので、一番前の方の席で集中して話を聞いた。熱効率50.6%というのは日本初、ようするに世界一の技術ということだった。僕は「温排水」のことが気になったので、そのことを質問すると、以外にも「養殖に利用されたり、魚が集まってくるので逆に喜ばれています。」という答えが返ってきた。排水溝付近では海水温が7度上昇するが、拡散するのでひどい生態破壊はないらしい。火力発電所の燃料はliquefied natural gas.LNGだ。インドネシアやマレーシアそしてカタールから輸入しているとのことだった。火力発電をするのに本当なら石炭が一番安上がりだということも初めてしった。でも環境汚染がひどいのでLNGということらしい。「電気の使用量は増えてません。一番困るのは電気を使っていただかないことです。」という説明にもちょっと驚いた。スーツにネクタイで行ったので、ちょっと暑かったが、なかなかいい勉強をさせてもらった。

月岡温泉の華鳳はなかなか豪華なホテルである。視察はいつも一人部屋なのだが、今回の視察は3人部屋。議長のMさんと文教のMさんが一緒だった。他の人達は殆どが浴衣に着替えていたが、僕は半袖・短パンのいつものスタイルで大浴場へ向った。議長のMさんと一緒に入った露天風呂は最高だった。景色が良くて、田んぼの匂いがして・・・・

夕食はいろんな人と話ができて楽しかった。教え子達とも話ができたし、市長とも色々話せた。市長の中学時代の思い出話は本当に楽しかった。僕と似たような経験をしていると分かったからかも知れない。



7月4日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第186弾! 

「たかやん議員日記」2005.第186弾!  7月4日(月)


寝たのは1時くらいだったと思う。「ダヴィンチコード」を読みながら知らないうちに眠ってしまったらしい。5時過ぎに目が覚めた。その時見ていた夢は「自習課題を出さないで子ども達が困っていた。」という教え子の理科の教師に責められる夢。そして何の準備もしていないのに今日は1年2組の授業参観という設定に慌てている夢。「あれ、BTBの原液ここにありませんでしたっけ?」なんていう現実的な会話もあった。
目が覚めた時はそこが何処だか分からなかった。左右からはもの凄い鼾が聞こえてくる。「う、、、何なんだこれは、、、ここは何処?」そんな感じで目が覚めたのだ。
ラジオを持っていくのを忘れたので朝の英語は聞けなかったが、お風呂に入って目を覚ました。静かだった昨夜とは打って変わって、もの凄い風。露天風呂は木の葉が落ちて、とても入れる状態ではなかった。
朝食はバイキング。僕はいつも和食なのだが、その品数の多さに驚いた。今度おふくろを連れていきたい!そう思うくらいの品数だった。

小千谷消防本部
今日の午前中の研修も勉強になった。小千谷市の消防本部で聞いた話は凄かった。あの地震で金子副団長は2週間も家に帰らず救助活動をしていたと言っていた。一刻一秒を争う救助活動の様子と二次災害が起こらないようにという安全確保。そして東京消防丁、新潟消防署との連携の話。自衛隊の活躍の話などをしてもらった。
東京消防庁が来て、指揮を執ったらしいが、その時本部前に張り出された表がテニスの全国大会で使う表と似ているのに驚いた。僕達も23面のコートで同時に試合が進行する時は、同じような表を作って運営していたのだ。トランシーバーで連絡を取りながら、選手たちの健康面に気を配りながら、まさしく時間との戦いだったのだ。
最後に震源地や土砂崩れの現場を見せてもらった。学校の校庭の仮設住宅も見ることができた。関越もまだまだ完全には復旧していない。道路が波打っているのだ。それでも街には何かエネルギーのようなものが溢れていたように感じた。

帰りのバスの中ではずっと英語の暗誦をしていた。基礎英語2の3か月分のテキストを全部暗誦するのは結構きつかった。今回の視察は消防団の視察。僕達議員は勿論実費を払っての参加だったが、色んな意味でたくさん勉強できたし、参加してよかったと思う。何よりも新座市消防団の普段の活動を知ることができたし、たくさんの団員の方たちの声を聞くことができたから・・・・。
ただ、煙草に時々死にそうになった。僕は煙草アレルギーなのだ。とほほ。

塾が終わって、家に帰ってくると「パパー!」と空が飛びついてきた。一泊しかしていないのに、随分長い間家を開けたような気がした。


7月5日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第189弾! 

「たかやん議員日記」2005.第189弾!  7月5日(火)

文教委員会
9時半から会議は始まった。議題は各部長報告と「陳情」。堀ノ内で問題になっているお墓の増設建設許可を巡っての陳情だ。議論は「法律には合っているから、許可するしかないではないか。」という考えと「役所は法律にあったことしか許可しない。そんなことは分かっている。要は市民のサイドに立って仕事をしているか、ということだ。」という考え方。そして「そもそも条例の読み取り方を間違えたのでは・・・・」という考え方が交差していたと思う。
場所は六中の直ぐ裏。喜寿園に隣接している場所だ。新規の申請時には誰も反対する人はいなかった。何故ならお寺の敷地内の外からは見えない所に、檀家の為のお墓です。という説明だったからだ。喜寿園からは勿論、近隣の家からも見える位置ではなかったのだ。それが隣接した土地をお寺が買い取り、増築の申請をしたところから反対運動は起きた。突然目の前の景色が突然お墓になるのだから、たまらない。市では野外ホールを作ってくれたのに、それにもマッチしない。近くにお墓を売り出しているところがある。学校や公共施設がたくさんある場所なのに、堀ノ内はお墓の町というイメージができてしまう。地下も下がってしまうだろう。特に特別養護老人ホームのお年寄り達の心理的ショックを考えて欲しい。葬儀も始めるとういう。狭い道路に霊柩車が出入りして危険である。だから増設を認めないで欲しい。葬儀をすることを許可しないで欲しい。そして条例や要綱を実態にあったものに変えて欲しい。そういう市民の願いだったと思う。
委員会は午前中では結論がでなかった。そして2時を過ぎても結論はでず、結局「継続審議」ということになった。
上尾や世田谷でもお墓のことは問題になっている。誰でもやがてはお世話になるであろうお墓。なくては困るが、あっては困る。
もっともっと住民の理解を得てから増設しようとすれば、ああいう幟を立てての運動にはならなかったと思う。「法律をたてにとって無理やり作る。」どうも仏教とはかけ離れている。人々の心を安らかにするのが「仏教」。僕の仏教のイメージである。

抱っこ
最近、一緒に要る時間が少ないせいか空が「抱っこ」ということが多くなった。今日の買い物の時も殆どが抱っこ。ちょっと前までは走り回っていたのに・・・・塾が終わって、ヘロヘロなって帰って来て・・・普通なら寝ているのに「パパー!」。お風呂に入って本を本でいてもドアをドンドンドンと叩き「パパ!」とゆっくりさせてもらえない。今日も湯船に使っていたのは2分くらい。でも空の気持ちも分かる気がする。満足したら安心して一人で遊べるのだろう。一人で眠れるのだろう。どんなに疲れていても空の要求にはこたえよう。「パパは甘すぎる!」とママに叱られても・・・・・。人は誰でも一日12回抱きしめられるべきなのだから・・・。


7月6日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第190弾!

「たかやん議員日記」2005.第190弾!  7月6日(水)

学区自由化
「志木市の新市長である、長沼明氏は、平成18年4月より中学校の学区を自由化すると発表しました。志木市は新座市のすぐお隣ですが、市民で決める政策、小学校25人学級の実施...進んでいます.新座市も志木市を見習い、硬直した政策や管理教育のなんでもだめだめ主義の教育を変えていただきたいと願っています。」

こんなメールが来た。やっぱり先を越されたか・・・まったく同感である。今年度、新座市内の130人の生徒達が「指定学区外」に通学している。数の上からはもう立派に自由化なのである。何でも志木市の方がいいとは思わない。だけど市の「イメージ」というものがある。イメージはお金では買えないのだ・・・・。
不思議なことがある。ある市は市長が「自由化」を発表し、ある区は教育長が「自由化」を打ち出す。6月議会では教育長に「自由化」を迫ったわけだが、市長にも聞いたほうがいいのかも知れない。25人学級はお金がかかるが、学区自由化にはお金もかからない。要はやる自信があるか、ないかということなのだろう。

間違ったら・・・ごめんなさい
ヘルメット問題。議会で取り上げても改善はされない。先生達にも「面子」があるのだ。自分達が決めたことを議会で取り上げられて、変更したのでは「立場」がないのだ。予想はしていた通りの対応である。先生という種族は「自分達は教育の専門家」だからという思いが強い。僕もそう思っていた時代があった。そこが危ないのである。
学校の常識など、社会の非常識のことが多いのだ。学校という社会しか経験していない先生達には特にそうだ。その学校でしか通用しないことを本気で信じて生徒と接していることがよくある。まあ、それはそれでいいことのこともあるのだが・・・・。それに付き合う子ども達は可哀そうである。たかがヘルメット、されどヘルメットである。
「間違ったら・・・ごめんなさい。」それがなかなか言えないのが学校(先生達)なのだ。言ってしまえばいいのに・・・・。子どもにはそう言って“指導”するのに、自分達はなかなか“ごめんなさい”と言えない。“ごめんなさい”は強制された反省文を書くことで教えるのではない。間違った時に、ごめんなさい、と気持ちよく謝ることを見せることで教えるのだ。と、僕は思うのだが・・・。みんな失敗はしなかったのかなあ。僕なんか失敗ばかりで、しょっちゅう謝ってばかり・・・そんなにみんなできがいいのかなあ・・・。

「学校の中で煙草を吸っててごめんなさい。」「ひどい言葉を言って傷つけてごめんなさい。」生徒も先生もやってはいけないことは同じである。

いいこと
もっと学校のいいことを書きたい。どこかにいい話はないかな。きっとたくさんあるんだろうな。こんな素敵な先生がいて、こんなに子ども達が頑張っているんだよ。目がキラキラしているんだよ。そんな話をたくさん書きたい。こんな面白い先生がいて、子ども達はみんな笑いっぱなしなんだ。そんな話を書きたい。

栄小の校長室の窓をドンドン叩く子ども達、「校長先生!暗誦聞いて!」。笑顔で子ども達の暗誦を聞く校長先生。「お、よくできたなあ・・・。凄い、凄い。」僕はその話を聞いただけで涙がでてきた。もし中学校でそれをやったら、校長室の窓を叩いた時点で怒られているだろうから・・・・。


7月7日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第191弾! 

「たかやん議員日記」2005.第191弾!  7月7日(木)七夕

七夕だというのに・・・
ロンドンでのテロ。ある程度予想していたこととはいえ、ショックである。殺し合いはもうたくさん。七夕だというのに、悲しい事件が多すぎる。

「今日一日で、何度生徒に“死ね!”と言われたか・・・・」そう言ったのは、新座市の中学校の先生。言葉の暴力も人を傷つけるには十分過ぎる力を持っている。先生に「死ね」っていう中学生もバカなら、子ども達に「死ね」っていう教師もバカだ。本当にレベルが低くてガッカリする。

政治家の発言や行動にもガッカリだ。芸能人の方がよっぽど、政治に貢献している。相手を好きになれば事件は起きない。学校も世の中も同じである。まず相手を好きになることだ。それができなければ、政治家と教師はやならいほうがいい。


お風呂に入っていたら、空が何度もドアを開けて「パパ」と誘ってくる。シャワーを浴びようとして鍵をかけたら、その鍵が壊れた。鍵は開かない・・・中には道具がない・・・蹴破ったら、血だらけだ・・・・それはやめにして、ドアの下の僅かな隙間から鋏を差し入れしてもらった。その鋏で鍵を壊しにかかり・・・10分後、やっと脱出に成功した。七夕だというのに、何ともしまらない話だ。今日の教訓。“お風呂の鍵はするな。”


7月8日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第192弾! 

「たかやん議員日記」2005.第192弾!  7月8日(金)

北海道
僕は今、札幌にいる。北二条西二丁目のホテルでこの日記を書いている。久しぶりの札幌は涼しい。16度しかないのだ。今日の飛行機は全日空69便。万が一の為に傷害保険をかけて乗った。兄貴の会社も儲かって、一石二鳥?

ホテルにはバッグと自転車が届いていた。早速ダンボールから自転車を取り出した。先輩達と待ち合わせの京王プラザホテルまで自転車だと5分。楽勝だった。

今夜のメンバーは建築家、建設業、医者と僕。そういう組み合わせだった。医者になったIさんとは30年ぶりの再会である。「おお、思い出した。そういう話し方だった。」「邑の笑い方は変ってないな。」
話は大いに盛り上がった。フェデラーの話から大腰筋の話になり、肩甲骨の動き、古武術、栄養・・・・医者のIさんを中心に僕らはその会話を楽しんだ。
Iさんは週3、4日しか仕事をしない。それ以外の日は農業をしたり、本を読んだりの“晴耕雨読”をしているそうだ。今の世の中でそうやって生活できるところも凄いが、独自の考え方に僕は惹かれた。
「牛乳はいかんよ。あれは異種プロテインだからな。人間の子どもが2歳くらいで乳離れするのも、もう母乳はいらないというサインなんだ。それを他の動物の乳を飲んで良い訳がない。それに多量のカルシウムが取り入れられると、骨の中のリンが溶け出して、余計カルシューム不足になるんだ。それくらい知っておかないといかんよ。」牛乳を飲むほど骨粗鬆症は進行するというのだ・・・・。前にも牛乳はいかんという話は聞いていたのだが・・・・。

明日の朝は7時から医学部のコートで練習。それから本学のコートで先輩達とテニスの予定。楽しみである。


7月9日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第193弾! 

「たかやん議員日記」2005.第193弾!  7月9日(土)


北大の中を自転車で走る。空気が美味しかった。初めて空気に味がついていると感じた。医学部のコートでは三人の女子大生とテニス。「もうすぐインカレがあるので、練習見てください!」と同級生の娘のMちゃんから頼まれていたのだが・・・・1時間半の練習で3人とも汗だくになっていた。練習が終わって見た空はもの凄く高く、そして青かった。昔小さかった木が大木になって、青々と茂って・・・・こんな環境で勉強やテニスができるなんて・・・・空はやっぱりこの大学に入れたい、そう思った。

楡庭会(ゆていかい)
今日の試合は北海道、関東、関西の各“楡庭会 ”による対抗戦。僕は関東代表で出場。対戦相手は若手の元インカレのM君、S君。どう見ても勝てる相手ではなかったのだが、そこはテニスの面白いところ。ペアになったO君と息がぴったり合い。6−3という信じられないスコアーでかったのだった。
30年前、ダブルスを組んでいた田村・邑も復活したし、5試合どれも心に残る試合だった。

クラ館
久しぶりにクラーク会館で昼ごはんを食べた。僕らの時代は最高がエルムランチで220円。次はカレッジランチで180円。そしてサービスランチが130円。朝定の値段は覚えていない。みんな貧乏でエルムランチは殆ど食べられなかったという昔話で笑った。そのランチ類は全て姿を消してた。変りにあったのがサラダバーや沢山のメニュー。僕はピリカラーメン、鳥ご飯、サラダを食べた。全部で500円くらいだった。

夕方からのパーティーではたくさんの先輩から声をかけられた。「君の新聞記事は今でもちゃんとスクラップして取ってあるよ。」「新座市で議員をしているんですって?知り合いがいるわよ。」「今度は関東の集まりにも顔を出してくれよ。」「今年は奥さんと子どもさんは来なかったの?」「君は良いテニスをするなあ・・・」
現役の頃は全く会ったことの無い先輩達でも、一度テニスを一緒にやるとあっという間に近い存在になるから面白い。先輩達の昔話も沢山聞いて、今日も楽しい一日だった。

明日の朝はまた医学部の女の子達と朝練。体が持つかなあ・・・もう2時半を回っている。


7月10日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第194弾!

「たかやん議員日記」2005.第194弾!  7月10日(日)


天気予報は雨だったのだが・・・・6時前に起きると、雨は降っていなかった。ホテル前のコンビニでおにぎりとおでん、そして水を買ってくる。昨夜はあれから3次会まで行って、その後の記憶がない。自転車に乗って寒かったことだけは覚えているのだが・・・・・

1試合目はさすがに体が動かなかった。ボールがちゃんと見えないし、足が思うように動かない。危うく女子大生ペアに負けるところだった。
札幌も大抵のところでは雨が降っているらしかったが、北大のコートだけは何故か降ってこなかった。時々パラパラくるのだが、直ぐに止んでしまった。僕は今日も5試合楽しんだ。

2時過ぎに雨になってからは先輩達とランチ。照り焼きチキンランチは600円。それに生ビールを飲んだら眠くなってしまった。そこでも沢山面白い話をして、しかも一番先輩のHさんに奢ってもらった。

都会
それから僕らはユニクロと旭書店に行った。駅ビルは人で溢れていた。緑に囲まれた大学から歩いて5分のところに新宿や池袋があるイメージである。札幌はいつの間にか大都会になっていた。僕ららユニクロと本屋で買い物をした後、建築家の横山さんの設計事務所でまた語り始めたのだった。


横山さんの事務所ではもっぱら本の話をした。僕達で本を作ろうと横山さんが言い始めたのが去年の夏。それから“教育”に興味を持つ3人が集まり色々話をして、その原稿が形を作り始めたのである。“教育”を語り始めると僕らは熱中してしまう。場所を蕎麦屋に変え、お酒を飲みながら僕らは語り続けたのだった。

明日は札幌駅で真帆ちゃんと待ち合わせ。自転車の鍵を渡すのだ。明日は空と会える。きっと飛びついてくるだろう。


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