Diary 2004. 9
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9月11日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第178弾!

「たかやん議員日記」2004.第178弾!  9月11日(土)

3年前の今日は大きな衝撃をうけた一日だった。ニューヨークに行く予定だった僕達は飛行機がツインタワーに突っ込んでいく映像を信じられない気持ちで見ていた。
1週間後、僕達はニューヨークにいた。旅行会社は「誰も行きませんよ。」と警告してくれたのだが、僕はどうしても行きたかったのだ。行って自分の目で確かめたかったのだ。
飛行機に日本人は僕らだけだった。ニューヨークに着いても日本人らしい人達にはほとんど会わなかった。そして僕らはツインタワーに向った。
チャイナタウンで警察にここから先には行けないと止められた。だけどもどうしても現場を見たかった僕は頭を使って現場のすぐそばまでいくことができた。ウォールストリートの地下鉄の駅は封鎖され、軍隊の姿があちこちに見られた。そして僕らは現場に立った。
砕け散ったビルの粉が道路という道路を覆っていた。異臭が鼻をつく。煙はマンハッタンの南半分を覆っているかのようだった。そしてツインタワーがあったところはぽっかり空間ができ、そこからは炎がまだ出ていたのだ。
公園には富士銀行の人達の写真がたくさん貼られてあった。日本人もアメリカ人もなかった。家族の思いはみんな同じだった。あれからもう3年が経とうとしているのだ。


9月12日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第179弾! 

「たかやん議員日記」2004.第179弾!  9月12日(日)

蕨東中
昨日は角ちゃんが自分の学校の子供たちを連れて遊びに来てくれた。前夜からの雨でテニスコートは使えなかったが、僕らはまず一緒にサッカーをした。近所の小学生3人も加わり、総勢30名くらいでわいわいボールを追いかけた。負けたチームは腕立て50回という約束でやったので、みんな真剣だった。それからコートを使わないで練習する方法を教えたり、トレーニングのやり方を教えたりして楽しい時間を過ごした。六中テニス部のOBで高校のダブルスチャンピョンになった泰介も一緒に教えてくれた。蕨東中は自由な学校だと聞いている。体育祭の練習などは一度も無く、種目も全部子供たちが決めているのだそうだ。授業に対する意識が高く、先生が教室に遅れて入ると子供たちからブーイングが起こるのだそうだ。新座では考えられないことかも知れない。蕨東中の子供たちはみんな素直でやる気満々の子供たちだった。「また遊びにくるね!」と言って角ちゃんは帰っていった。


9月13日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第180弾! 

「たかやん議員日記」2004.第180弾!  9月13日(月)

委員会二日目
15年度の決算の文教委員会に付託された部分について、質問をしたり意見を言ったりした委員会だった。教育委員会から「学校別長期欠席児童・生徒数一覧表」という資料が提出された。驚いたのは学校別といいながら、学校名が無いことだった。要するにA小学校とかX中学校と書いてあるわけである。昨年度小学校で30日以上休んだ児童は76人。中学校では181人。不登校児童生徒が増え続けていることは間違いない。だけど、どうして学校名を公表しないのだろう。これは新座だけの問題ではないのだし、市民の立場で考えると、知りたい情報だと思うのだ。僕は学校をよくするには、全てオープンにすることが大切だと思っている。個人名をオープンにしろといっているのではない。普段の学校の活動や情報をオープンにして欲しいと言っているのだ。そしてそれをオープンにしないことの意味が分からないのだ。新座の学校は素晴らしい!というのならみんなオープンにしてもいいはずだし、まだまだだと思うのなら、オープンにして努力をすべきだと思うのだ。一番いけないのは努力をしないことだ。どんな教育をしても結果が公表されないなどということが許されるはずはないと僕は思うのだ。この情報公開の時代に、なんて時代遅れなんだろうと思うのは僕だけではないだろう。


9月14日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第181弾! 

「たかやん議員日記」2004.第181弾!  9月14日(火)

委員会3日目
僕が所属している委員会は「文教経済委員会」だ。僕らの隣りでは「厚生委員会」が行われていた。この二つの委員会は大きな部屋をカーテンで二つに分けてできた部屋でそれぞれ話し合いをしている。当然隣りの声がよく聞えてくるのだ。今日の「厚生委員会」の怒鳴り声は凄かった!文教委員会はあまりエキサイトはしないで、冷静に話し合いをしているので余計そう感じたのかも知れないが・・・・「厚生じゃなくてよかった・・・」とみんな思ったはずだ。けんか腰だし、時間は長いし、厚生の委員長の幸弘は本当に大変だと思う。何があったのか、あとで議事録で確認しようっと・・・・。


9月15日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第182弾! 

「たかやん議員日記」2004.第182弾!   9月15日(水)

議事録
昔の文教委員会の議事録を読んでいたら、まあ教育委員会のいっていることがいい加減で思わず笑ってしまった。実際の学校の状態を全然見ないで、ただ校長の話を鵜呑みにしているからああいういい加減なことが言えるのだろう。校長は誰だって、自分の学校を悪くは言いたくない。自分のことを悪くもいいたくない。そんな当たり前のことを分かっていないから、何も確認しないで判断してしまうのだ。何でもそうだが自分の足で歩かないとダメなのだ。汗をかかないとね・・・・・。
今日から一般質問が始まった。傍聴に来ると分かるが、かなりの議員が居眠りをしている。今日は傍聴人の数がかなり多かったので、執行部の居眠りは数人だけだった。そんな中で尊敬してしまうのが議長と議会事務局長の二人。とにかく人の話をちゃんと聞いているのだ。あの集中力には驚いてしまう。目の前で寝られたら辛いだろうに・・・・・


9月16日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第183弾! 

「たかやん議員日記」2004.第183弾!  9月16日(木)

二足の草鞋
議会が始まるのは9時半。30分前には付くようにしているから、8時45分にはスーツにネクタイで家をでる。(Back packの中にはTシャツと短パンとハンガー。)一般質問の時は大体午前中に1回の休憩があり、お茶を飲んだり雑談したり。昼休みはみんなでうどん屋。ここでも色々な話をする。午後は大抵2度休憩がある。そして大抵5時には議会が終わるのだ。そこから塾へと向う。2階ですぐに着替えて、塾の準備をする。子ども達が次から次へとやってきて・・・・9時過ぎ塾が終わる。太陽の家でトレーニングをして家に帰るのは10時過ぎ。ちょっと疲れるけど、昔の練習に比べたら屁のようなものだし・・・何しろどちらも楽しいから時間があっという間に過ぎていく。議会中辛いのは土日以外は空をお風呂に入れられないこと。こればっかりはどうにもならない・・・・・。そんな毎日を送っているたかやんであった。

休憩中どんな会話をしているのかって?それはおかしすぎてここでは書けません。善保と大佑は漫才でもいけるかも・・・なんて書くとまた大佑に怒られちゃうからやめておきます。たかやん


9月17日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第184弾! 

「たかやん議員日記」2004.第184弾!  9月17日(金)


今日は議会の途中で告別式に参加した。亡くなったのは前の財政部長のSさん。病気だということは3月議会で知っていたのだが・・・54歳の若さでなくなってしまった。葬儀委員長は市長。須田さんはずっと悲しい顔をしていた。Sさんのお父さんとお母さんと思われる方が焼香しているのを見て、僕は父さんの葬式のばあちゃんを思い出して泣いた。自分より先に息子を亡くす親の気持ちを思ったら、涙が溢れてきた。僕たちの前に座っていた山本助役はずっと泣いていた。その隣りの高野収入役も泣いていた。きっといい人だったんだろうなあと思った。54歳。僕の兄貴の年齢だ。Sさんのお兄さんが挨拶の時に泣いて話せなくなっていた。弟を先に亡くす兄貴の気持ちが伝わってきた。

新座の小中学生の体力テストの結果が出た。惨憺たる結果だった。ほとんどが県の平均を下回っているのだ。特に中学生のひどさといったら・・・・「本気」になってないのではないかと思った。体力でこれだったら、学力は?もっと心配である。



9月18日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第185弾!

「たかやん議員日記」2004.第185弾! 9月18日(土)

体育祭
久しぶりに六中へ行った。招待状は新座中から来ていたから、少し迷ったのだがやはり知っている子ども達が一番多い六中に行くことにしたのだ。亮、愛、祐希と三人の卒業生と一緒に・・・。みんな六中に来るのは本当に久しぶりだった。「たかやん!」最初に気付いたのはマオ。法子のお父さんお母さんが仲良く座っていた。ヒロシ、カズが飛んできた。六中卒業のH議員も来ていた。ワイシャツとネクタイが暑そうだった。(僕達は短パン半袖。)塾の子ども達全員を確認するのに1時間近くかかったけど、ほぼ全員の頑張りを見ることができた。「たかやん、目がいいんですね!」とヤマちゃん。「いや、体の形と動きでわかるんですよ。」と僕。一緒に走っていると、どうやらその時の姿かたちが僕の脳にインプットされるらしい。だから遠くからでも分かるのだ。子ども達は頑張っていた。体育祭はやっぱりわくわくする。五中や六中のあの応援団の時代を思い出していたたかやんであった。
「こんにちは!」帰り際にも笑顔の挨拶をしてもらった。亮が「誰今の人?」「ああ五中の卒業生だよ。確か40歳かな。教えたことは無いけど林間学校に一緒に行ったから覚えているんだ。」というと驚いていた。「たかやん!知り合い多いね!」と祐希。そうかも知れない。もう五中の最初の教え子達は42歳になるのだ。僕の孫のような子ども達が新座の中学校に通っているのである。その子達の為にも新座の学校をよくしていかなければ・・・・。

気になったことがある。それは体育祭の得点方法だ。体育祭が始まる前から各色の点数が違っているのである。練習時の点数が加えられてるのだ。練習のときにハチマキを忘れると減点、体操着がちゃんとしていないと減点、時間を守らないと減点、教室が汚れていると減点という減点主義はあの頃の二中と同じである。その減点をしていくのはリーダーと呼ばれる生徒という構図もあの頃の二中と同じだ。

減点主義。リーダーと呼ばれる中間管理職のような生徒達の存在・・・。五中や六中には無かった考え方だ。そう言えばあの頃の二中の先生たちが六中にはたくさんいた。まるであの頃の二中の体育祭を見ているようだった。


9月19日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第186弾! 

「たかやん議員日記」2004.第186弾!   9月19日(日)

兄貴
陵平のお兄さんの走太君と飲んだ。飲みながら陵平の話をたくさんした。陵平のアルバムも見せてもらった。昔の二中の話もした。みんなが陵平の記憶がだんだん遠くなっていくなかで、僕は少しずつ陵平のことを知っていく。学校では優等生だった陵平が家ではなかなかの腕白だったことや、物凄い負けず嫌いだったこと。そしてチャレンジ精神が旺盛だったことなどを兄貴は語ってくれた。
好きな食べ物がオムライスというのは僕と同じだった。走太君は「本当にオムライスかなあ・・・」と疑ってはいたけれど・・・。兄貴と弟は3歳違い。「僕が今経験していることを、あいつはすぐに追いかけたはず。それができないことが悔しい・・・」「バイクの免許だって、16になったらすぐ中型を取ったと思う。」と兄貴。僕は二人の横顔がそっくりだと思った。「そんなこと言われたのは初めてです。」と走太君。だけど多分17歳になった陵平は今の走太君に似ていたはずだ。大貫陵平・・・僕の手帳の中で笑う13歳の少年はもうすぐ18回目の誕生日を迎える。


9月20日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第187弾!

「たかやん議員日記」2004.第187弾!  9月20日(月)

市長への手紙
二中の近所に住む人からの投書を読んだ。学校内が全面禁煙になり、教員が校門の外で煙草を吸っているのが見苦しいというような内容の投書だった。ごもっともである。校門の外で煙草では、まるでどこかの中学生のようである。禁煙教育を本気でやるなら、教員は全員禁煙にすればいいと僕は思う。昔から職員室の禁煙では随分戦ってきた。お腹に赤ちゃんがいる先生の前で平気で煙草を吸っている教師がいたからだ。だけど教師という集団は自分達の「権利」は妙に主張する集団なのだ。俺達の煙草をすう権利はどうなるのだ!という理屈だ。どうぞいくらでも吸ってください、ただし人の肺にあなた方の出した有害な煙をこれっぽっちも入れる権利はありません。というのが僕らの主張だった。

健康増進法が施行されてからも校内で煙草を吸っている教師もいた。そういう教師に限って中学生には妙に厳しいものだ。
平成15年7月1日からは校舎内外を全面的に禁煙としたという。子ども達の鼻は鋭い。先生たちには本気で禁煙に取り組んでもらいたい。


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