『昨日の続きだ。@ 児童生徒の学習改善につながるものにしていくこと A 教師の指導改善につながるものにしていくこと B これまで慣行として行われてきたことでも, 必要性・妥当性が認められないものは見直していくことっていう3つの話。』「はい。」『お前達生徒の立場で言うと、どれが気になる?』「うーん、どれも難しいんですけど・・・Bさんですかね。」『例えば?』「家庭学習ノートってあるじゃないですか?あれって意味あるんですかね・・・?」『ある子もいるだろうけど、殆どの子には意味がないだろうね。』「どういうことですか?」『ああいう勉強法がない訳じゃないんだ。例えば、家で分からないところを勉強して、分からないところを先生に質問する為のノートだったら?』「ありですね。」『そうなんだよ。教師のサイドから見ても、子ども達がどの問題で躓いているかが分かるだろ?授業でフォローすることも出来るよね。』「それだったいいですね。」『そういう使い方している教師がどれくらいいると思う?』「余りいないかも・・・・」『殆どいないんじゃないかな。』「それじゃあダメですね。」『それでも、それで勉強の習慣がつくという子がいたら、まあ有ではあるんだけどね・・・ただ、ノートに書くのが目的になると、全く意味はないんだ。』「先生って、そのノートちゃんと見てるんですか?」『ああ、そこだよね。パラパラ捲ってハンコ押して終わりっていうタイプが多いらしいよ。現役の先生達から聞いた話だけどね。』「それじゃあ意味がないですね。」『意味がないどころか、それが勉強だと思う子が多いと、マイナス面の方が大きいんだよ。』「そっかあ・・・・」『時間をかけて書くのが勉強なんて、もうバカバカしいくらいアホな勉強法っていうか、勉強法の中にも入らないだろ・・・・』「そっかあ・・・・何とかしなきゃですね。」『倍率低いから、頭が良い人がなかなか入って来ないのかもねえ・・・』「また、そんなことばかり言うんだから・・・・」『頭良かったら、やらねえだろうよ。』「確かにそうですけど・・・・」