Diary 2009. 8
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8月1日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第212弾! 2009.8.1(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第212弾! 2009.8.1(土)  たかやん

バタフライ
今日は水泳の短期講習の最終日。ビデオを持って、スイミングクラブへ行った。バタフライの練習をする空。大きなヘルパーが小さなヘルパーに替わり、最終日の今日は25Mに挑戦するのだ。空は頑張っていた。思い切り泳いでいた。幼稚園児にそんな体力があるんだ・・と、驚くくらい頑張っていた。そして25Mを泳ぎ切った空。パパはちょっと涙がでてきたのだった。

映画
今日は空とママと三人でポケモンを見に映画館へ。毎月、1日は大人でも1000円で見れるのだ。告訴されたら映画どころじゃなくなるから、今のうちに「幸せ家族」をやっておかないと・・・。

ポケモン
ずっと寝不足だから、映画館で寝るかと思っていた。ところが最後まで見てしまった。しかも少し感動したのだから面白い。まだまだ僕の心の中に「こどもの心」があるということか・・・・いやあ、楽しかった。「感動したからさ、縫い包み欲しくなっちゃった!」と空。「バカ言ってんじゃない!」とママとパパは大笑い。幸せ、幸せ。


どういう訳だか、家の鍵がまた無くなった。家の中に絶対にあるはずなのだが・・・なかなか見つからない。夏季講習にきていた子どもたちにまで「バッグの中に紛れてない?」とメールをしたくらいだ。告訴のことは気になるが、現実的には鍵がないことの方が困る。僕らは家じゅうをひっくり返して・・・

あったあーっ!
ママが叫んだ。鍵は空のおもちゃの中からでてきた。めでたし、めでたし。これで問題が一つ解決した。ちょっぴり幸せ。

告訴
気の小さい僕は「告訴」と聞いて、かなりビビった。だけど、こうも考えるのだ。取り返しのつかないことじゃあない・・・と。今まで生きてきて、もっともっと大変なことがたくさんあった。父さんが癌になったこと。亮の心臓の問題。教え子たちが抱える沢山の悩み・・・それに比べれば、今の僕の問題など大したことではないのかも知れない。裁判で解決できるのだから・・・。そう思うと、少し気が楽になった。

メール
昨日の僕の日記を読んで、数件のメールがきた。“たかやんは、訴えられても大丈夫です。自分の主張を述べればいいのです。弁護士など使わず、自分が自分の主張をすればいいのです。「言いたかった趣旨は、・・・だった。」と。裁判になったら、傍聴に行かせて下さい。”
というメールもあれば、“新座市政の実情について、平日は家にいないサラリーマンのお父さんにも分かりやすく きちんと報告してくださって、本当にありがとうございます。これからも応援しますので、今後も議会報告を続けていってください。がんばってください!”というメールもあった。それらのメールの中にもあったように、間違っていたと思ったら、正直にそれを認め、どういう言葉を自分はそう解釈したのか・・・そして、自分の新座の教育現場に対する気持ちをさらに訴えていきたいと思う。僕は心から新座の子どもたちと新座の先生たちを応援している。間違い無く、世界で一番新座の学校を一番愛している、と言いきれる。そうだとしても、何の権力もない・・・ただの1匹の蟻でしかないのだが・・蟻でも気持ちだけは負けない。そういう蟻もいるということだ。

こころ
告訴騒ぎでこころのお見舞いに行くのをすっかり忘れていた。「3人目の孫」は、どんな顔をしているのだろう・・・。こころのお腹は凹んだかな・・・。赤ちゃんを産むというのは本当に大変なことである。こころ、本当にお疲れ様。そう言えば、母さんも男ばかり3人産んだのだったなあ・・。85歳のお袋には告訴のことは言えない。心配で死んでしまうかも知れないから・・・。

差別と日本人
辛淑玉と野中広務の本が面白かった。角川書店発行で724円。是非、沢山の人に読んで欲しいと思う。在日の辛淑玉、部落出身の野中広務。僕たち日本人には中国の血も朝鮮の血も、そして勿論部落の血も流れているに決まっている。自分が知らないだけで・・。僕は理科の最初の授業で必ず「ホモサピエンス」の話をしてきた。差別をする人は「無知」な人達だと・・・・。しかし、この本を読むと「差別が意識的に作られたもの」「時の権力者たちによって作られたもの」であることがよく分かる。この本の中には麻生財閥がやってきたことも書かれているから、今回自民党を支持する人は読まない方がいいかも知れないが・・・。

八石小で
空がよさこいソーランを踊った。可愛かった。にこにこしながら楽しそうに踊る空。それを見れただけで、今日一日がいい日だったと言いきれる。五中の先生たちにも卒業生たちにも、六中の卒業生たちにも会えて、話ができた。本当にいい一日だった。
川遊び
天気が心配であるが、明日は川遊びの日。8時半から準備が始まり、9時半から受け付けが始まる。明日も裁判のことは忘れて、一日を目いっぱい楽しもうと思う。


8月2日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第213弾! 2009.8.2(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第213弾! 2009.8.2(日)  たかやん

川遊び
今日は年に一度の「川遊び」の日。6時から準備に取り掛かる。ところが、外は小雨が降りはじめたのだ。天気予報は曇りなのに・・・。

8時過ぎ
五中の卒業生、祐晴と直弘が我が家に・・・・。テント、イス、机、スイカ・・・たくさんの荷物を栗原一丁目公園まで運んでくれたのだった。

9時半
雨だというのに、早くも親子連れが受付に・・・・。本当にありがたいことでだ。

10時
川掃除を開始。数十名が散らばって、ゴミを拾いまくる。幼稚園児、小学生、中学生、そして高校生も僕らと一緒にゴミを拾ってくれた。僕らは川の中へ・・・・今回も、とんでもないものを引き上げたのだった。

11時
川遊び開始。ボムボートに乗り、魚捕りにも夢中になる子供たち。今日来た子たちはラッキーだった。ボートにもたくさん乗れたし、魚捕りはマンツーマン指導だったし、スイカ割りも全員参加できたのだから・・・・

スイカ割り
2時過ぎにはスイカ割り。子どもたちは大喜びだ。幼稚園児と小学生達が棒を持って、目隠し・・・・見ている大人もやりたくなる光景だった。

お魚講座
水槽にはアユ、オイカワ、アブラハヤ、モクズガニ、ドジョウ、ホトケドジョウ、コイ、ウキゴリ・・・と、たくさんのお魚が・・・それを子どもたちに説明するのは五中の卒業生の佐藤先生。素晴らしい解説だった。

放流
最後はみんなが捕まえたお魚たちを放流。水槽いっぱいのお魚たちが黒目川に帰って行った。「また来年ねー!」「ありがとう!」子どもたちは口々にそう叫んで、お魚たちとさよならしたのであった。

仲間
今回の「川遊び」には東久留米や朝霞からたくさんの仲間達が駆けつけてくれた。勿論、新座の仲間達もたくさん来てくれた。雨の中、川の中に入ってゴミを拾ってくれた八石小や新堀小の子どもたち。都立国立高校からの参加もあった。川を愛する人たちの輪はどんどん広がっている。彼らに共通しているのは「人相がいい」ということ。自然を愛する人たち、子どもたちを愛する人たちに「人相の悪い」人はいない。子どもたちは勿論、大人たちも大いに楽しんだ「川あそび」。笑顔溢れる子どもたちを見ることができて、本当に幸せな一日だった。みんな、本当にありがとう!たかやん


8月3日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第214弾! 2009.8.3(月)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第214弾! 2009.8.3(月)  たかやん

志木駅
今朝の駅立ちは中止した。自分が書いたことが間違っている可能性があるのだから、これは当然のこと。5時に起きたけれどね。

テニス
時間が余ったので、午前中は思い切りテニスをした。いやあ、テニスは楽しい。マイナスなことは何一つ考えず、ひたすらボールを追いかけたのであった。

議事録
お昼過ぎ、臨時議会の議事録をもらいに議会事務局へ。そして環境対策課や観光プラザへ行ったのだった。

日焼け
市役所では「真っくろですね!」と色々な人から言われた。日焼けの原因はテニスとサッカーとポスティングかな・・・。

励まし
今日もたくさんの「励ましメール」「励まし電話」がきた。孤立無援だと思っていた一人会派であるが、他の議員の方達からも数名の励ましがあったのには驚いた。一人会派にも友達はいたらしい・・・。ありがとう、みんな。

サッカー
午後は夏季講習。休み時間にはみんなでサッカーをやった。「子どもたちとサッカーが一緒にできなくなったら教師はやめる!」と昔から宣言していたっけ・・・。でも、まだまだ中学生とならやれる自分を発見し、自信を深めたのであった。

燃えた
今日は八石小学校の子どもたちが4人も参加してくれた。僕は走りに走り、子どもたちも走りに走り、みんな笑顔になって・・・僕は汗びっしょりになったのだった。

官僚たちの夏
エラファント対モスキート・・・・昭和30年代はアメリカのコンピュータ業界対国産コンピュータがそう呼ばれていたらしい。大権力対蟻。僕は国産コンピューターのモスキートでいこう。

裁判員制度
第一回の裁判員制度がスタートしたらしい。選ばれないかなあ・・・と、前から思っている僕のような人のところには通知は来ないらしい。僕は新しいことが好きなのだ。何にでも挑戦することが好きなのだ。人生は短い。色々なことを経験しなければ・・・・。裁判員制度か・・・通知が来ないかなあ。

好きな人
僕が好きな人は頭のいい人。そして性格がいい人。そのどちらでもいい。頭がよくて、性格が悪くてもOK。正確がよくて、頭が悪くてもOK。そのどちらにも当てはまらない人・・・・子どもならOK。で、も、大人はアウト。みんなそうかも知れないが・・・そんな僕が裁判員になったら・・うーん、ちょっと怖いかな。

応援
たかやんの「一生懸命」で住んでいる自分の地域のことを考えるようになりました。身近な黒目川にふれあうことも出来ました。この年になって政治に興味を持つようになりました。今回の件は大変かもしれませんが正々堂々受けてたって下さい。微力ながらたかやんファンとして応援させてもらいます!!
*真夜中にこんなメールも来た。嬉しかったなあ・・・僕の「一生懸命」のファンは教え子だけではないのだ。この間、東久留米でも「いやあ、楽しみにしています」と言われたっけ・・・教え子たちの応援は勿論、市民の方達の応援が僕を燃やしてくれるのだと思う。


8月4日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第215弾! 2009.8.4(火)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第215弾! 2009.8.4(火)  たかやん

妙高日記1
5時半。風呂に入って・・・英語のお勉強。6時半。妙高への荷物をまとめ始める。いつものなら前日の夜やるのだが、忙しくて今朝になってしまった。

7時。朝ごはん・・残り物を食べつくす作戦だ。ま、いつもの朝ごはんだったけど・・・。

8時
集合は我が家に8時。しかし、誰も来ない・・8時過ぎ。西村先生のフォルクスワーゲン到着。その後、満寿子から電話。「今から出る〜」予想通り。

8時45分
日下部家4人と我が家の3人、そして西村先生を載せた努の車(アルファード)は走り始めた。運転は勿論僕。助手席に西村先生。後がひとみと満寿子と竜、最後尾が空とゆかと努。僕と西村先生もよくしゃべったが、ひとみと満寿子のうるさいこと・・・・本当に女はよく喋る。空とゆかもよく笑い、よく喋って・・・努は眠れたのだろうか・・・。

12時過ぎ
お昼をサービスエリアで済ませ、秀ちゃん家に着いたのは12時過ぎだった。蜩が鳴き、オニヤンマが飛ぶ森の中は、相変わらず涼しかった。

テニス
2時からはテニス。市営のテニスコート12面はハードコート。そのコートは僕らの貸し切り。そして、隣接する広場は本物の芝で・・・・大人も子どもたちも大いに楽しんだのだった。

試合結果
朋矢・ひとみ6−2西村・高田  ひとみ・満寿子4−3朋矢・努
高田・満寿子4−2西村・努   西村・ひとみ4−1高田・朋矢


山の気温は低く、霧が発生。半袖では寒いくらいで・・・みんなで「寒い、寒い」と言って笑った。それくらい妙高は涼しいところなのだ。


近くのスーパーで買い物。バーベキューの予定だったのだが、満寿子が「鍋がいい」と言い出し、鍋に。8人分の夕食、次の日の朝ごはん、昼ごはんと買い物をして合計10875円。

ビール
子どもたちから順番にお風呂に入る。その間に僕とひとみは鍋の用意。台所に二人で並んで、どんどん作っていった。僕たち男組は風呂にも入らずビールを飲み始めた。ビールは西村先生持参のプレミアムモルツ。これがまた旨かった。

焼酎
僕は最後の方にシャワーを浴びて、焼酎と鍋パーティーに突入。あっという間に酔い、二回に上がって、空とゆかの間で爆睡したのだった。


8月5日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第216弾! 2009.8.5(水)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第216弾! 2009.8.5(水)  たかやん

妙高日記2
昨夜、早く寝たせいか起床は3時半。それからゆっくり風呂に入り、本を読んで、英語のトレーニングをして・・・朝ごはん作りに取り掛かった。メニューはいつもと変わらない。納豆・鮭・もずく・ソーセージとサラダ・小松菜の胡麻和え・味噌汁・とろろ汁・大根おろしとチリメンジャコといったところだ。

テレビ
妙高に来るとテレビを見なくなる。テレビを付けなければ自然の音以外は聴こえない世界なので、みんな無意識にテレビを付けないのかも知れない。それでもニュース番組の「酒井法子行方不明」にはみんなで驚いたのだった。

テニス
10時からは昨日と別の市営コートでテニス。こんどは4面のオムニコートを貸し切りで使った。ハードに比べ、膝の負担が小さいので僕らや子どもたちには圧倒的にいい。雨が上がりさえすれば使えるところもハードやクレーと比べて優れているところだ。そして何といっても見た目が奇麗なところがいい。総合運動公園と名前がついているところには、こういう綺麗な緑が必要なのである。

試合結果
朋矢・ひとみ6−1西村・高田  朋矢・努4−3ひとみ・満寿子
西村・満寿子4−1高田・努   西村・朋矢4−0高田・ひとみ
去年までは西村・高田の前に負け続けていた僕らだったが、今年はこれで2連勝。それにしても西村先生の動きは凄い。エベレストに登頂した高田先生より素早い動きなのだから・・。

至福の時
テニスをやりながら僕は思った。これを「至福の時」と言うのではないかと・・・。ひとみとダブルスを組んで、相手は尊敬する先輩に最高の仲間。そして教え子たちの笑顔があって、空とゆかの歓声が聞こえる・・・・。嫌なことを何も考えずに、ただただボールを追いかける・・・そんな時間はあっという間に過ぎて行った。

買い物
昨日も大量に買い込んだが、今日の買い物はそれを超え、19139円。お米や追加のビールを買ったせいもあるが、みんな食欲旺盛である。
特製うどん
昼は西村先生が初めて担当した。「俺に任せろ!」と西村先生。牛肉と蒟蒻でつくる特性うどんは作り始めてから2時間後に出来たのだが、本当に美味しかった。午後はどこかへ行こうと計画していたのだが・・・みんなもう飲み始めてしまい・・・そのまま夕飯に突入することに・・・

バーベキュー
ベランダで炭起こしが始まった。高田先生の工房から持ってきた鉋屑に火をつけると、一気に燃え上がる。肉や野菜を切るのはひとみと満寿子が担当。焼くのは西村先生と高田先生。努が運び役、そして僕は飲んで食べるという担当に・・・

洗い物
3日間通して、洗い物の担当は、最年長の西村先生。立教を退職して4年目。「鬼の西村」が僕らの皿を洗ってくれている。本物は威張らないというが・・・妙高では「おじいちゃん」役もやってくれるので、子どもたちからも大人気だ。

1時
子どもたちが寝たのが9時半過ぎ。ひとみと満寿子は11時・・西村先生・高田先生が0時半。そして僕と努は1時まで語りに語った。話題は「教育」「家族」「政治」「憲法九条と安全保障」と色々な広がりを見せ・・・大いに盛り上がった。どうも「教育と愛」を語っていると目が冴えてくる。今日の日記も書き終わったので、2階で寝ることにしよう。


8月6日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第217弾! 2009.8.6(木)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第217弾! 2009.8.6(木)  たかやん

妙高日記3
5時半。朝の当番は忙しい。まず風呂の中から朝日が昇るのを見る。湯船の外は森。風呂に浸かりながら本を読んで・・・7時過ぎから朝食の支度に取り掛かった。

メニュー
最終日の今朝はごはん・味噌汁・鮭・海苔・とろろ汁・トマトとレタスのサラダ・きゅうりと大根の漬物・オムレツ・チリメン大根・オクラ納豆・オクラと鰹節・・・。お米が美味しいので今朝も「おかわり!」が相次いだ。

気持ち悪い
珍しく空が「気持ち悪い」を連発。昨夜、遅くまで虫取りで騒いでいたせいか、それとも焼肉が生だったのか・・・

テニス最終日
今日も午前中はオムニのコートでテニス。そしてペットボトルロケットの打ち上げ・・・とみんなで大忙しだった。ところが、空がなかなか復活せず、おう吐して・・・病院へ行くことに・・・

脱水症状
小児科で待つこと1時間半。先生に診察してもらい、血液検査と尿検査を受ける。そして点滴が始まった。検査の結果は強度の脱水症状。ケトン値がプラス4という結果に驚いた。
「お腹が空いた」を連発する空。しかし、ケトン値が高い状態だと「吐き気」が強いので、食べても直ぐ吐いてしまう。点滴2本は必要ということで、夕方まで点滴をしてもらったのだった。

18時22分
予定より大幅に遅れて、高田先生の家を後にした。寝不足な上に夜の大雨・・・高速は50キロ規制になり・・・バケツをひっくり返したような雨の中を、僕らは東京に向かったのだった。

17400円也
10時過ぎ、無事に我が家に着いた。3家族で旅行の経費の清算に入る。高速・ガソリン代と食費、そしてコート代をみんなで割り勘にする。その結果、高邑家と日下部家は17400円。西村先生は10850円という2泊3日の格安旅行になったのだった。3日間、家族みんなで楽しんで、心許せる友達と飲んで食べて語って、森の見える温泉に入って、テニスをやって・・・こんなことができるのも、みんな秀ちゃんのお陰だ。

日記
さてさて、妙高で書いた日記をホームページに載せなくては・・・「日記がストップしているから、心配になったよ」と電話をしてくれた友達が数名・・・色んな人に心配をかけてしまった。

ありがとう!
大丈夫、僕は元気です。空の調子が悪く、明日も病院ですが、多分大丈夫でしょう。子どもが病気になることに比べたら、裁判のことなど、「屁」のような問題です。みんな心配してくれて、本当にありがとう。いつの間にか3時を過ぎてしまいました。もう寝ることにします。おやすみなさい。 たかやん


8月7日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第218弾! 2009.8.7(金)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第218弾! 2009.8.7(金)  たかやん

3時半
起きた時間ではなくて、寝た時間である。いろいろやっていて、そんな時間になってしまった。そして起きたのが6時半。基礎英語を聞きそびれてしまった・・・とほほ。

7時半
冷蔵庫の残りもので朝ごはん。鰹節をかいて・・・いやあ美味かった。空も「おかわり!」と珍しく、朝からご飯のお代りをしていた。大丈夫かも・・・

病院
市役所の前の滝山小児クリニックへ。検査をしてもらうが、ほとんどの数値が正常値に・・ほっとする。小さい頃から診てもらっているお医者さんがいると本当に安心だ。

ママの誕生日
今日はひとみの誕生日。「あんまり嬉しくないなあ」とママ。どうやら大台に乗るのが嫌らしい・・・朝、目が覚めた空が「ママ!誕生日おめでとう!」と一番で祝福していた。2番目はメールをくれた恵子。「パパは?」というから「昨日の夜中に言っただろう?3時半くらいに・・・」と僕。どうやら寝ぼけていて覚えていないらしい・・・。とほほ。

格差
妙高の気温・湿度と新座の気温・湿度の格差を肌で感じる。外に出るとベトベトしている感じなのだ。この感じは札幌から帰ってきたときと同じ。それでも我が家は涼しい方だ。

夏季講習
中3の子たちとの勉強が再開した。楽しい時間があっという間に過ぎていく・・・学校時代と同じ感覚だ・・・。

片付け
3時間ほどかけて、書類の整理をした。9月議会に向けて、やることはやっておかないと・・・。裁判が始まるとなると、きっと忙しくなるのだろうから。

大原麗子
酒井法子の失踪よりも大原麗子が死んだことの方がショックだった。62歳か・・・若いよなあ。可哀そうになあ・・・。

プレゼント
夕飯の後にケーキを食べた。「プレゼントはないの?」と空。「最近くれないのよ」とママ。「俺の誕生日だって何もなかったよね」「あげたじゃない・・ねえ、空」「ねえ、ママ」どうやら忘れてしまったらしい。このところ忙しくて、余裕がなかったからなあ・・・。この土日にでも買いに行くか・・・誕生日おめでとう!ママ。さ、明日も元気に頑張るぞ!




8月8日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第219弾! 2009.8.8(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第219弾! 2009.8.8(土)  たかやん

寝坊
久しぶりに寝坊した。朝からポスティングに行く予定だったのだが、体が動かなかったのだ。でも、空が元気で起きてきたので、めでたし、めでたし。子どもが元気なら、親はそれだけで幸せだ。

敬と和
いなげやで久しぶりに敬と会った。石原敬、20年前の六中テニス部の卒業生である。今から11年前、僕が学校を辞めて最初に行ったのがカナダのトロント。そして次に行ったのが、敬と和が住んでいたニューヨークだった。マンハッタンのバッテリーパークの傍のアパートには僕だけでなく、息子の亮もお世話になっていたのだから不思議な縁である。そのアパートには六中バスケット部のキャプテンだった有紀ちゃんも住んでいたことがあり・・・今では敬の奥さんになっている。

20年前
敬と和そして有紀ちゃんはもう35歳になった。そして、その年は僕が彼らを卒業させた年でもあるのだ。六中最初の赤ジャージ。彼らと過ごした3年間の思い出は尽きない・・・。六中赤ジャージの1年2組から「一生懸命」の毎日発行は11年続いた。5中でも毎日のように書いてはいたが、本当に休みなく毎日書いたのはあの1年2組が初めてだった。

新座片山
全国少年サッカーの決勝を見ていたら、フランケン先生の後姿が見えた。空が片山幼稚園で習っているフランケン先生がテレビに映っていたのだ。名古屋グランパスの華麗なサッカーに対して、新座片山は走って、走って、走るスタイル。まるで、あの時の赤ジャージの子たちが、全国大会でクラブテニスの子たちと戦っているようだった。五中も六中も苦しい練習だけは、どこにも負けないと思っていた。あの坊主頭も一緒。フランケン先生も坊主頭。まるで昔の六中テニス部だ。新座片山の走るサッカーは僕を20年前に連れ戻してくれたのだった。


そして夕方には和とも会った。和はポルシェに乗って登場した。あの9.11の時には総理大臣の通訳をした和。僕らがニューヨークへ行ったときは、ワシントンに行っていて会えなかったのだが、久しぶりに日本で再会できた。和は昔のままだった。20年前に3年2組を卒業した時のまま。勿論、芸術家だし、有名にもなっただろうけれど・・・僕の前に座っている和は、あの頃のままの和だった。それが嬉しかった。

カサジ
「困ったときは共産党に相談するといいですよ」というメールも来た。成る程、そうなのかも知れない。カサジに相談してみるのも一つの選択肢だ。

独り
「こういう時に一人会派は大変なんですよね」という電話も来た。成程、そうなのかも知れない。でも、独りの道を選択したのは僕自身。誰のせいでもない。

ありがとう
みんな心配してくれて本当にありがとう。一人会派だけど、たくさんの応援団がいてくれることを嬉しく思います。たかやん



8月9日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第220弾! 2009.8.9(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第220弾! 2009.8.9(日)  たかやん

鰹節
今朝の鰹節は奇麗に削れた。その日の気温や湿度によって、削れ方が違うから面白い。どう削ってもスーパーで売っているような綺麗な形にはならないが、どう削っても味だけは我が家の方が上になるところも面白い。今朝の朝ごはんも美味しかった・・幸せ、幸せ。

芝刈り
庭の芝を刈った。草の匂いが気持ちよかった。そして汗をかいて・・・お風呂に入って、排水溝の掃除をした。分解できるところは徹底的に分解して・・・・清々しい気持ちになったのだった。

勉強
午前中は色々と勉強させてもらった。分からないことが、分かるようになるのはいくつになっても楽しいものだ。ありがとう。

3年1組
お昼過ぎには五中の4期生の子たちが我が家に集合した。大阪大学の先生になった「ごし君」が来ると言うので、数人が我が家に集合したのだ。ごし君は現役で東北大に合格しながら、一浪して京大へ行った秀才である。宇宙物理学を教えるごし君に「理科」を教えたのが若き日の「たかやん」という訳だ。当時の僕は25歳。今考えると「教師」と呼べるようなものではなかった気がする。ただただ、ひたすら子どもたちと一緒に勉強し、サッカーをし、大貧民をしていた担任だった。

女の子の話
男ばかりが、昼過ぎから6時間以上飲んでいたのだから、お決まりのように女の子の話になる。「ごし君は誰が好きだったの?」「道哉は誰よ」「たかやんは誰がいいと思ってた?」と、大変な騒ぎに・・・。その内ババツが「女の子呼ぼうよ!」と言い出し・・・担任は自宅に電話したり、携帯にメールを入れたり、もう大変。普段は「社長」や「部長」と呼ばれている男たちが、まるで中学生に戻ってしまった。

兄貴
そんな中、すぐ上の兄貴が遊びに来た。「お久しぶりです!」と子どもたち。「賢一は会ったことあったっけ」「何、言ってんの。富山まで行って、兄貴とお袋さんと麻雀やったじゃない」「え?みんな舟見に行ったことあったっけ?」「俺も行ったよ」「俺も」「俺も」・・・どうやら当時の僕は、子どもたちを連れて、富山に行っていたらしい。麻雀をやったというのだから、中学生の時じゃない訳で・・・高校生や大学生になっても、舟見に連れて行っていたらしい・・・

所沢
今日来た子たちの大半は所沢の我が家に居候していた子たちだ。受験の時に、偏差値がかなり足りなくて・・・みんなで我が家で合宿していたのだ。まあ、クラスの全員が我が家に泊まったことがあったのだから笑ってしまう。今じゃあ考えられないことだが、当時の僕には普通のことに思えていた。クラスだけではなく、生徒会も我が家で合宿。航空公園で肝試しをやったなあ・・・。昔、昔のお話。

朝勉
3年1組は他のクラスより1時間早く学校に来て教室で勉強したクラスだ。2年1組からの持ちあがりで、運動も勉強も1番だった。東大・京大・外語大・鹿児島大・・国立大学にも随分進学した。そういう優秀な子たちが僕と一緒に先生役をやってくれたのだから、学年でトップになるのは当り前だったかも知れない。「たかやん塾」の原型はこの3年1組の「朝勉」にあるのだ・・・今から30年前のお話である。

官僚の夏
飲みに飲み、語りに語り、最後は録画しておいた「官僚たちの夏」を見て、今日一日が終わった。政治の話もバンバンした。経済の話もした。宇宙物理学の話はできなかったけれど、本当に楽しい時間だった。「先生」にとって、一番幸せなこと。それは「こどもたち」が元気で戻ってきてくれることだ。「みんな、俺より先に死ぬんじゃないぞ!」僕はそう言って、子どもたちと笑顔で別れたのだった。


8月10日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第221弾! 2009.8.10(月)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第221弾! 2009.8.10(月)  たかやん

52日
秀ちゃんはこの春、エベレストに登頂した。日本を出てから、戻ってくるまでにかかった日数が52日。それでも最短コースなのだそうだ。今でもエベレストで命を落とす人は後を絶たない・・・それほど危険な山に登るのだから、僕は山男にはなれない。家族の為になら登るだろうが、家族を残しては登れないだろうなあと思うのだ。その前にエベレストに登る資金がないか・・・

蝸牛
我が家の2匹の蝸牛が少し弱っていた。「夏バテかね」「いやいや餌じゃない」「水だよ」「ちゃんと世話しないなら、お庭に逃がすよ」と飼い主にきついことをいう僕たち。すると飼い主は庭に出て、餌を取り換えたり、水をあげたり・・・すると2匹の蝸牛は、気持ち良さそうに動き始め・・・空は大満足。ごめんね、蝸牛君。もう少し、我が家で一緒に暮らしてね。


今日塾に来た中3の女の子は二人とも五中時代の教え子の娘。その二人が進学先に「石神井」も考えているというのに驚いた。今年の都立入試では女子の最高倍率だったらしく、推薦で7倍。一般で5倍というのだから驚きだ。昔の石神井は60番くらいにいれば、一浪すれば早稲田や慶応には入れたのだが、最近はどんどん落ちてきている・・・と、先生たちに聞き、心配していたのだ。やはり母校は人気があって欲しいし、実力もあって欲しいとおっさんたちは思うのである。教え子で石神井に行った子は二人。北大に行った子は一人。北大に行った子は僕の同級生に習ったというから「縁」である。この秋には石神井に顔を出してみよう。懐かしいコートはオムニに変わって奇麗になったようだし・・・石神井の後輩に教えるのも悪くはない。札幌はちょいと遠いからねえ。

8月号
投票日が30日ということだから、その前には駅立ちができない。8月号は9月に入ってから配布の可能性が高い。もう半分は出来上がっているのだが・・・

通告
9月議会が近付いてきた。一般質問の通告をそろそろ書かないと・・・である。質問の項目を少なくすることに集中しようと思うのだが、いつも、いつも多くなってしまう。今回は5つか6つで抑えたいものである。

台風
停滞前線に台風という最悪のパターン。どこかで誰かが亡くなるのだから・・・ばかやろう!と叫びたくなる。「ばかやろう!梅雨に台風文部省」という句があったが、なかなか中っているのである。

政治家と女房
悪い政治家(女房)に当たると、いつの間にか借金が増え、家計は大変なことになる。
悪い政治家(女房)は選挙前(結婚前)は甘い言葉ですり寄り、選挙(結婚式)が終わると、仕事もせず、居眠りばかりしている。
悪い政治家とは完全に縁を切ることはできるが、女房との間にできた子供は一生自分の分身であり、愛情の対象であり続ける。
良い政治家(女房)は選挙前(結婚前)も選挙後(結婚後)も変わらず笑顔でよく働き、みんな(家族)を幸せにしてくれる。
悪い政治家は選挙でやめさせることはできるが、女房はそんなに簡単に取り換えることはできない。
困るのは、女房は沢山の中から選ぶことができるが、政治家は選ぶ対象に限りがあることか。

30日は良い政治家を選ぶ日。悪い女房をつかまないように、いい政治家を選びたいものである。
そして、自分自身もいい政治家、いい夫、いい父親になるように努力しないといけない・・・・さ、頑張るぞ!


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