Diary 2007. 9
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9月11日 (火)  「たかやん議員日記」2007.第253弾!  9月11日(火)

「たかやん議員日記」2007.第253弾!  9月11日(火)

September 11th
所沢のテレビでワールドトレードセンターが崩落するのを見た。9月17日にニューヨークへ行く予定だった僕らには、かなりショックな映像だった。まるで映画の中のシーンのように飛行機がビルに突っ込んで行く様子が何度も、何度も映し出されていた。

September 17th
それでも僕らはニューヨークへ行った。ノースウエストに乗っている日本人は僕らしかいなかったけど・・・・それでも僕達はニューヨークへ向った。この目で見なければ・・・という思いが、恐怖心よりも強かったのだと思う。

Missing
マンハッタンのいたるところに写真が貼ってあった。悲しみが、現実が目の前に突然現れた気がした。特に富士銀行の家族からのメッセージは涙を誘った。ああ、こんなにたくさんの人たちが、日本の人達もなくなってしまったんだ・・・そう思った。

空の名言
今朝、外を見た空が言った言葉。
「今日は太陽でてないねえ・・・。」「太陽がいないと、空は元気にならないんだよ。」「太陽は入院しているのかなあ・・。」


委員会
今日は朝の9時半から夜の9時半まで会議の連続だった。総務常任委員会では委員長以外は全員質問をしていた。みんなそれぞれ思うところがあったのだと思う。
僕も色々と質問をしたが、一番話題になったのは「議案の配布」のことかも知れない。議会が始まる前・・・・総務の職員4人が2組に分かれて、議案を30人の議員たちの家に届けているのだ。僕はそれを「おかしい!」と言った。総務課の4人は半日かかって、配布をしているらしい。4人×4時間×4定例会=64時間。つまり、総務課は年間64時間も「議案の配布」に使っていることになる。市民へのサービスの時間が64時間無駄遣いされていることになる。今度の議運で提案することにしよう。「議案の配布」はやめましょう。一般質問の通告の締切日に殆どの人は市役所に来るのだから・・・・・・その時持ち帰ればいいのでは?そういう提案をしようと思う。

内職
会議の時、それが本会議でも委員会でも、僕は人を観察する癖がある。寝ている人は勿論だが、内職している人も直ぐに気がついてしまう。今日の総務常任委員会もかなりお疲れの方達がいた。説明を聞いているだけだと、確かに睡魔は襲ってくるのだが・・・高い給料を貰っているのだから、みんな頑張りましょうよ!
。議員だろうが、執行部だろうが、仕事中に寝てしまうのは反則。でしょ?
でも今日は携帯でメールをずっとしている人がいるのにビックリ!した。・・ただ居るだけだとつまらないのはわかるけれど・・・・うーむ。困ったな。

9時半
委員会が終わり、家に帰ってから、今度は清瀬での会議に参加した。その会議が終わったのが9時半頃。今日は朝から晩まで会議、会議の一日だった。本当に疲れたなあ・・・
                                  たかやん



9月12日 (水)  「たかやん議員日記」2007.第254弾!  9月12日(水)

「たかやん議員日記」2007.第254弾!  9月12日(水)

そりゃあねえだろ?
安倍晋三が総理大臣を辞めるという。あれだけ格好いいことを言っておいて・・・なんなのさ!って感じである。「だからおぼっちゃんは駄目なんだ!」という声も聞えてくる。代表質問を前に「敵前逃亡だ!」という人もいる。あの大臣達はどうなるんだ?そりゃあねえだろう!とみんな思っているだろう。国民は「どうなるんだ?」「解散総選挙か?」「いや、それはないだろう」「いやあるかも」「で、国会はどうなるの?」
新座市議会では「よせよ」「俺たちの選挙はどうなる?」「選挙になったら、また政治活動ができないよ」「選挙をやったら、また税金が吹っ飛ぶぜ」「どうすんの?また駅でビラ配りか!」とまあ、大ブーイング。安倍晋三のお陰で、自公政権もいよいよか・・・・・。次は誰?誰でもいいけど、小泉純一郎だけは困る。おぼっちゃん達は庶民の感覚など全く分からないから・・・・。

議案説明会
新座市には「議案説明会」なるものがある。が、一人会派になってからは、一度も「議案説明会」なるものに呼ばれたことがない。他の市では議員全員が呼ばれて、説明会が行われるところもあるらしいのだが・・・・我が新座市は、所謂「市長与党」だけが呼ばれる訳で・・・・どうも、分からないシステムだ。議案が配布される前に、説明会があるのだから・・・・。いつ頃始まったことなのだろう。市長与党が、質問をしないのはこの「議案説明会」の影響もあるかも知れない。僕は刷新の会の時代も、この議案説明会に殆ど行かなかった。どうも生理的に嫌だったのだ。

そういう意味では、語る会になってからは「議案説明会」に呼ばれなくなり、スッキリした。前もって、説明されたり、お願いされていないので、心置きなく質問できるし、意見も言える。僕達はあくまでも市民の立場で物事を考えなくてはいけない。物が言えなくなったら、議員としては半分死んでいるようなものだ。僕はいつでも生きた議員でいたい。

結論
今日の委員会では議案の結論を出さなくてはいけなかった。一人会派は文字通り一人なので、一人で質問をして、結論を出さなければいけない・・・・。そんなの当たり前のことなのだが・・・やはり2対5とか1対6で自分の意見が否決されていくと、ちょっぴり寂しい訳で・・・・前回の議会で、昼休みの休憩時間を45分にすることに反対したのは僕だけだった。委員会では1対6、本議会では1対28という構図だった。だけど、市役所の人たちに聞くと、みんな「45分じゃ外には食べに行けない!」とか「時間が足りない!」とか、45分の昼休みはもの凄く不評なのである。僕は正しいことを主張したのだと思った。でもね、学校の先生達が給食を食べ始める時間は午後1時近く。そして昼休みはあっという間に終わる。そういうことを考えると、まだ恵まれている。と思ったほうがいいかも知れない。僕は、昼休みにキャッチボールや、卓球、バドミントン、そして囲碁・将棋をしている「ゆとりある」市役所がいいなあ・・・その方が、市民サービスが向上すると思うから・・・・たかやん


9月13日 (木)  「たかやん議員日記」2007.第255弾!  9月13日(木)

「たかやん議員日記」2007.第255弾!  9月13日(木)

裸足
基礎英語を聴きながら、久し振りに外で体操をした。芝生の上で裸足でトレーニングをする。少し濡れているが、気持ちがいい。ベンチプレスも久し振りにやった。自分の体が欲しているものはこれだと思った。

欲する
最近思うのだ。自分の体が欲していることをしよう。自分の心が欲していることをやろう。自分の体が欲しているものを食べよう・・・・。自分の体と心に向き合って、「何がして欲しい?」と聞いてみるのだ。最近、体と心が何を欲しているのかが、少し分かるようになってきた。

一般質問
今日から一般質問が始まった。トップバッターは嶋野さん。昨日誕生日だったというから、今は僕より一つ上のはずである。そう言えば、亀田さんも川上さんも同学年。みんな半世紀以上前に生まれたという訳・・・・。

ビデオカメラ
平八さんの質問の時に、ビデオカメラが回っていた。傍聴人も多く、平八さんは人気があるなあと思った。僕も平八ファンの一人だものねえ・・・。

文書規定
情報公開で「校長会の議事録」を取ろうとしたら・・・「保存期間は1年間です」と言われ唖然とした。新座市の文書規定には保存期間が1年のものはないからだ。朝霞市では情報公開文書の台帳があり、一目でどの書類が開示できるかが分かるようになっている。しかも、窓口で申請すれば、情報管理課の課長が書く部署に出向いて、「これ、請求されてますから、いついつまでに出してください」とやるのだそうだ。
新座市は違う。教育委員会の文書を取り寄せる時は、情報管理課まで教育委員会の課長が降りてきて、申請者と面談するのである。この間は、「今すぐ来ます」と言われてから、15分以上待った。考え方が遅れていると思う。情報公開は、市民の方向を向いていなければならない。

一問一答
勇さんが初めて、一問一答方式で一般質問を行った。質問は何度でもできるので、時間を上手く使えば、今までとは全然違った展開にもなるなあと思った。善保が「たかやんのは質問の項目が多すぎるんだよ!」「俺みたいに、絞らなきゃ!」と偉そうに言っていたが、正しいと思う。善保の質問は2つ。僕は8つ。6月議会の分もあるからなあ・・・・・。
明日は、みんなが一問一答形式をやりそうな気配である。楽しみ、楽しみ。  たかやん



9月14日 (金)  「たかやん議員日記」2007.第256弾!  9月14日(金)

「たかやん議員日記」2007.第256弾!  9月14日(金)

腹筋
今朝も裸足でトレーニングをした。バーベルを持ち上げ、ダービーをやって、腹筋、背筋で締めくくる。前に比べて、腹筋の時に体が硬くなっているのが分かった。もしかしたら、腹がつかえているのかも知れない。とほほ・・・。

兄貴
昼休みに直ぐ上の兄貴が控え室に来た。「明日からドイツなんだ」という。「ドイツだけ?」「イタリアにも行ってくる」「凄いねえ・・・ドイツ語は・・・話せるわけないか」「ないよ。」「真由美はペラペラ?」「ペラペラ」「向こうで何やってんの?」「大学の先生」姪の真由美が早稲田で先生をやっているのは知っていたが、ドイツの大学でも先生をしているとは・・・・
僕らは地下の食堂へ行った。すると議会事務局のIさんとIさんが居た訳で・・・僕は弁当、兄貴はB定食というメニューで、ちゃっかり隣に座って、楽しく話しながら昼御飯を食べたのだった。「飛行機代は真由美が持ってくれるんだ」「へえ・・・」長生きしていると、いいことがあるもんだねえ・・・

財政部から総務部
今日は初めて、総務部の奥のほうまで入らせてもらった。3月までは財政部が好きで、よく出入りしていたのだが・・・・Eさん、Hさん、Nさんは居なくなってしまった。それでも今日分からないことがあって、久し振りに財政部へ行くとTさんが実に丁寧に僕の質問に答えてくれたのだった。

そして、文書保存期間のことで質問があったので総務部へ初めて行った。総務もなかなか親切で居心地がよく・・・Tさん、Yさん、Nさんと僕に色々と教えてくれたのだった。総務の情報管理課の人たちもみんな親切だし、僕は総務ファンになりそうだ。

5時半過ぎ
議会事務局はまだ仕事をしていた。局長の声が聞えた。ミーティングをしているのだ。僕はいつものように「さようなら」と言わないで、黙って階段を降りたのだった。

体育祭
明日は中学校の体育祭。招待状は六中から来ているが、五中にも行くだろうなあ・・・
カメラを持って・・・・新座中や四中にも行きたいなあ・・いっそのこと全部の中学校に行きたいなあ・・・・楽しみ、楽しみ。
地域の人もプログラムぐらい見たいよなあ。こういう時の為にホームページがあるんですよ。僕が校長なら、地域の人の為に体育祭のプログラムをホームページに載せ、「みなさん、お待ちしています!」と書くなあ・・・。               たかやん


9月15日 (土)  「たかやん議員日記」2007.第257弾!  9月15日(土)

「たかやん議員日記」2007.第257弾!  9月15日(土)

応援団
午前中、僕はカメラを持って六中へ行った。子ども達の写真を適当に撮って、他の5つの学校を回ろうと思っていたのだ。
短パン半袖でうろうろしていると、教育委員会のT先生が目に入った。彼は僕が好きな先生の一人である。子ども達を見る目が優しいのだ。二人で話していると、教頭のK先生が「邑先生!来賓の受付してくださいよ」と笑顔でやってきた。K先生も娘の雪が大ファンだった先生で、僕が好きな先生である。「そんなのいいから、プログラムだけ頂戴!」と言って、僕はプログラムを手にした。「ね、こういう時にホームページでプログラムを載せておけば、みんなどの時間に来たらいいかわかるでしょ?」と僕。
さあ、どこから写真を撮ろうかな・・・そう思っていたところに、K先生がまた来て、「たかむら先生。D君について頂けますか?」とお願いされた。僕は直ぐに2年1組のいる入場門に向った。そして入場門の前で靴の紐を締めていると、「保護者の方ですか?」と若い女の先生に尋ねられた。「いえ・・・大丈夫です」と訳の分からない返事をする。多分、一般の人が入ってはいけないところで靴の紐を結んでいたのだ。

僕は午前中一杯、ずっとディックンと一緒にいた。全員リレーでは一緒に走った。400Mリレーでは女子が1位。800Mリレーでは男子が2位だった。「たかやん!一番だったよ!」と晴香が嬉しそうに報告してくれた。「たかやん、俺の走るとこ見てくれた?」と智弘が聞いてくる。「うん、見てたよ。最後で抜かしたでしょ?」僕のカメラの前でピースをするチャーリと茜。みんな体育祭を楽しんでいた。

初めて3年生が一生懸命やっている姿を見た。僕の可愛い教え子の息子が懸命に走り、大縄で縄を回しているのを見て、泣きそうになった。そして、先生達が輝いて見えた。初めて、子ども達と一緒になっている先生達を見た。命令している訳でもなく、指示を出している訳でもない。ただ一緒に生徒と燃えている先生達の姿を見て、僕は感動したのだった。

「俺が六中の応援団長になろう!」突然、僕はそう思った。六中をずっと愛してきて、これからもずっと愛していけるのは僕しかいない。校長はどんどん変わるし、先生もPTAも変わっていく。でも六中を卒業した僕らは・・・ずっと六中を愛して生きていきたいのだ。僕は今日から六中の応援団長になる。六中応援団のホームページも作ろう。団員は今のところ一人。でも、多分明日には数人になっていると思う。

応援をするということは、何でも黙って見ているということではない。六中らしくないことをやっていたら、「それはおかしいよ!」と言う事も応援団の任務だ。どんどん子ども達にも声をかけよう。先生達にも伝えたいことは伝えよう。

今日から六中応援団員を募集します。応募資格はたった一つ。大声で六中の校歌が歌えることです。入団希望者はこのアドレスまでメールください  takayanchan@jcom.home.ne.jp

午後からは五中へ行った。六中とは全く違う空気が五中にはあった。それもまた僕には心地よかった。「たかむら議員。お待ちしていました!」と今度は教育委員会のS先生が僕を待ちうけていた。S先生も(好きなタイプの先生だ。子ども達と距離が近い人だから・・・)「六中からこっちに向うと連絡があったんですよ!」とS先生。
音楽の小松先生が「議員らしくない格好なんだから・・・近所のおっさんみたいな格好じゃない」と言うから「近所のオッサンなんだよ」と笑った。五中では無理やりテントの中に連れて行かれた。直ぐに逃げ出す積りだったのだが、カメラには丁度いい場所だった訳で・・・僕は最後までそこに座ってしまった。

僕達が居た頃のような迫力はなかったけれど、子ども達は実に爽やかに体育祭を楽しんでいた。ムカデでは二中の3年2組を思い出したし、ロックソーランには感動した。成績発表のところで、3年生が涙を流しているのを見て、昔と何も変わってないや・・・と、思った。そして校歌の時は、僕もテントから出て、みんなと一緒に歌った。その時、僕は泣きそうになった。そして、どこからか神さんの声が聞えてきたのだ。神さんと歌った、あの地響きのような校歌ではなかったけれど、やっぱり僕らが大好きなあの五中の校歌だった。子ども達が手を繋いだり、肩を組んで歌っていた。学校が一つになった瞬間だった。
その時、僕はまた思ったのだ。「俺は五中の応援団長になる!」五中をずっと応援し続けようって!!

という訳で、「五中の応援団」も今日勝手に作りました。今日から応援団員を募集します。団員の資格は、五中の校歌を大声で歌えることだけです。歌えなくても、五中を心から応援する方なら、誰でもOKです。賛同される方はtakayanchan@jcom.home.ne.jpまでメールください。

今日は本当にいい一日だった。ありがとう!六中の子ども達。そして先生方。
ありがとう五中の子ども達。そして先生方。僕は今日から勝手に二つの学校の応援団長を名乗らせてもらいます。                         たかやん


9月16日 (日)  「たかやん議員日記」2007.第258弾!  9月16日(日)

「たかやん議員日記」2007.第258弾!  9月16日(日)


少し夜明けが遅くなってきた気がする。5時はまだ薄暗いのだ。今朝の空はもう秋の空だった。バランスボールと遊びながら、秋を感じていたのだった。

布団干し
最近、天気がいいと、毎日のように布団を干している。物干し竿だけでは足りないので、椅子やらなんやら色々なものと庭に置いて、干している。これも習慣で、毎日干していると、干さない日がおかしく感じられるのだ。今日は母さんの布団も干した。

賑やか
今日は午後から教え子達が2組遊びに来てくれた。満寿子と努は着替えを持ってきて、お風呂にも入ってくれて・・・もう家族の雰囲気。来週結婚するゆかこは彼氏を初めて紹介してくれた。賑やかなことはいいことだ。石神に越してきて本当によかった。

応援団
早速卒業生たちからメールが来た。「応援団に入ります!」というメールだ。もう新座市にいない子達も、「校歌を忘れているかも知れないけど、応援したいので!」とメールをくれた。

兎に角中学校を応援しよう。色々大変みたいだけど、五中人はずっと五中が好きだし、六中人もずっと六中が好きなのだ。頑張る先生達そして子ども達を応援していこう。

僕は新座中や四中、そして三中の校歌は歌えないから・・・・誰から応援団長になってくれたらと思う。何があっても、応援していく・・・母校というのはそういうものだと思う。

竹刀
昨日の五中の体育祭で、懐かしいお母さんと話をした。「先生?今、あの時のように竹刀を持って、教室で生徒を叩いていたら、どうなるんでしょうねえ?」とYさん。「うーん、まず新聞には載るでしょうねえ」「でしょ?最近の子達はやわでいけません」
僕は確かに「ケツ竹刀」なるものを日常的にやっていた。「精進様」という固い棒を持って、頭をゴンとやっていた仲間もいた。
僕自身も何かをやらかすと、生徒達に「ケツ竹刀」で叩かれたのだから笑ってしまう。僕のお尻を叩く生徒は希望者多数で、いつもジャンケンだった。僕は黒板に手をつき、子ども達は歓声をあげて、僕のお尻を叩いた。ケツ竹刀の激痛は100回を越えると感じなくなるということを知ったのだった。

給食の時間に早く校庭に出すぎたときは、加藤教頭に職員室前の廊下に正座させられたっけ。3年1組の男子全員と担任は正座をして、許しを請うたのだった。「しょうがねえなあ・・・」と許してくれた。いい時代だった。

第31回体育祭。僕は第1回から10回まで五中の体育祭の応援団の担当だった。応援合戦に燃え、子ども達と一緒の笑って、そして泣いた。打ち上げも子ども達と一緒だった。何もかもが、一緒にやっていた時代だったのだ。最初の体育祭からもう30年も経っている。僕はまだ23歳だった。あの時から、何もかもが変わったけれど、あの校歌だけは変わっていない。神さんの声が聞えるのだから凄い・・・・・。       たかやん



9月17日 (月)  「たかやん議員日記」2007.第259弾!  9月17日(月)

「たかやん議員日記」2007.第259弾!  9月17日(月)

7時
久し振りに7時に起きた。昨夜寝たのが3時くらいだったので、5時は無理だと思っていたのだが・・・・。7時だともう日が高くて、庭も結構暑いのだ。体にしみこんだ煙草の匂いを取ろうと、僕はいつものトレーニングに燃えたのだった。ところが・・

やっぱり駄目だったあ・・・
昨夜は久し振りに親友の家に遊びに行った。僕はその親友の家が大好きで、自分の実家じゃあないかと思うくらい昔は入り浸っていた。ところが、最近煙草アレルギーがひどくて・・・なかなか行けなかった訳で・・・。
話は面白いし、酒は美味しいし・・・煙草の煙にもなんとか慣れないと・・・そう思ってはいるのだが・・・吐き気と腹痛でトレーニングの後、夕方まで起きられず、胸の中に煙がまだ立ち込めていて・・・気持ちが悪いまま、夜を迎えたのだった。

僕の煙草アレルギーがどのくらい酷いかというと・・・道で煙草の匂いがしても、息を止める。宅急便のお兄さんの煙草の匂いに吐き気をもよおす。我が家に来た人が、庭で煙草を吸っても、部屋の中に入ると煙草の匂いを感じてしまうのだ。多分、世の中には僕と同じように煙草の匂いに敏感な人達がたくさんいるのではないかと思う。そう言えば、中学生達は敏感だったなあ・・・煙草臭い先生達は嫌われていたもの・・・。香水とかコロンとかも嫌われていたっけ・・・。特に女子中学生の嗅覚は凄いものがあった。おじさん先生は要注意である。

約束
講演に行くという約束を星川さんとしていたのに、外に出られる状態ではなく・・・申し訳ないことをした。ちょっと楽しみな講演だったので、本当に残念だ。明日までに、ちゃんと治さないと・・・

サーバー
どうやら昨日あたりにサーバーがダウンしたらしく、日記がUPできないでいる。前は、少しイライラしていたが、最近は「まいっか・・・」と余り気にしなくなった。僕のサーバーは友達のコンピューターなので、もう彼を信頼するしかないのだ。停電でサーバーがダウンすることもあるさ。焦らないで、ゆっくり、ゆっくり・・・

再開
明日から議会が再開する。朝はMちゃんのお迎えでスタートする。笠原さんと星川さんの「一問一答」が見ものである。勉強させてもらうとしよう・・・・。   たかやん


9月18日 (火)  「たかやん議員日記」2007.第260弾!  9月18日(火)

「たかやん議員日記」2007.第260弾!  9月18日(火)

背中の痛みが消えた・・・
庭の芝の上で体操を始めて5日?ストレッチと背筋、腹筋が効いたのか、何ヶ月も続いていた背中の痛みが消えてきた。裸足の体操がいいのか、それともベンチプレスがいいのか、それとも・・・・

立ち話
Mちゃんと一週間ぶりの再会。話が溜まっていたのか、Mちゃんは大いに語り始める。石神小に着くと、M先生と立ち話。若いM先生に元気を貰う。そして教え子のYと立ち話。彼女と運動会の話で盛り上がる。立ち話って楽しい。おばちゃん達の気持ちが分かる。

19回
待ちに待った?笠原さんの質問が始まった。一問一答の提案者がどんな質問をするのか、僕は楽しみだったのだ。笠原さんの質問回数は19回。今までは5回だったのだから、その回数の多さが分かる。一問一答になって、聞いている人には答弁が分かり易くなったのは事実だ。その分、時間がかかるようになったのも事実だが、僕はこっちの方がいい。明後日は何回質問するのだろう・・・・。答弁次第だけどね。楽しみ、楽しみ。

原稿用紙
笠原さんの質問で驚いたのが、小学校の消耗品費の実態だ。各学校での予算が余りにも少なくて、作文を書く原稿用紙なども「保護者負担」になっているところがあるというのだ。教育長の答弁では「学級文集」などを作るときも各自負担というのだから呆れる。30年以上前より、今の学校の方がが貧しくなっているということではないか・・・・。印刷室で先生と生徒がワイワイ、ガヤガヤお喋りをしながら学級文集を作る。そんな当たり前の光景が無くなりつつある。僕のように学級通信を毎日書いたら・・・・もしかしたら怒られるのかも知れないなあ・・・。教育長は「教育費は未来への投資」だと格好のいいことを言ったが、虚しく聞えるだけだった。教育予算が全体の10%を切った市など近隣にはない。市長から予算をぶんどってくるような教育委員会を先生達は期待しているのに・・・・。

MJO
マッデン・ジュリアン振動がラニャーニャの影響で異常な動きをしているらしい。最近の台風の異常発生はこのマッデン・ジュリアン振動から生まれているというのだ。なるほどな、というか・・・ビックリというか・・・地球の温暖化は恐ろしいということだ。東北の穀倉地帯が雨でやられた。自然の力は恐ろしい・・・。新しい道路など作っている場合ではない。温暖化を加速させることだけは防がないと・・・・。     たかやん


9月19日 (水)  「たかやん議員日記」2007.第261弾!  9月19日(水)

「たかやん議員日記」2007.第261弾!  9月19日(水)


僕は所沢の航空兵学校に立っていた。弟の登と最後の別れをしに訪ねて来たのだ。登が「兄さん!」と言ったとき、僕は「登!」と弟を抱きしめた。弟はまだ16歳なのだ。僕は20歳だが、弟はまだ16歳。もう生きて会うことはないだろう・・・そう思うと、可哀そうで、悲しくて・・・・胸が張り裂けそうになって・・・・僕は目を覚ました。

不思議な夢だった。昭和18年へタイムスリップしていたのだ。しかも父さんになった夢である。僕には弟はいない。だけど、まるで本当の弟のように登(僕にとっては叔父にあたる)が愛しくてしょうがなかった。今から64年前の所沢航空公園で本当にあった話なのだ。父さんの詩集にその時のことが書いてある。父さんはビルマ戦線を生き残り、登叔父さんはルソン島で戦死した。18歳だった。

朝露
6時から庭で体操をした。習慣になると多少の雨に負けなくなるのだ。裸足で濡れた芝は、少し冷たかったが、なかなか気持ちよかった。

自転車
英語を聞きながら、坂道を登る。一気に上りきると気持ちがいい。市役所に着いた時は汗びっしょりだが、受付のYさんと話をして、爽やかな気持ちになる。

傍聴
今日は川越と川口から友達が傍聴に来てくれた。控え室で話をしていたら、「川越の政務調査費は年間一人96万」「川口は一人120万」と聞いてぶっ飛んだ!新座の24万とはえらいい違いだ。人口が違うとはいえ、おっそろしい話である。

うどん
議会事務局でうどんを注文した。いつも弁当なので、量の多さにちょいとびっくり。僕は「小」だったのだが、大佑と古沢さんは「中」を食べていた。

手作り最中
生まれて初めて「手作り最中」なるものを食べた。なかなか美味しかった。

明日
いよいよ明日は半年振りの一般質問である。それも最後だから、気合を入れてやらないと・・・みんな疲れて寝てしまうことのないように・・・。 

幸弘日記
議員のホームページは固いものが多いが・・・最近、幸弘日記が面白い。不思議な幅を持った奴である。体の幅もあるが・・・・リンクしておいて、よかったかな・・・                                                たかやん


9月20日 (木)  「たかやん議員日記」2007.第262弾!  9月20日(木)

「たかやん議員日記」2007.第262弾!  9月20日(木)

オーマイガッ!
6時からいつものように体操をして、朝ご飯をたらふく食べ、自転車で市役所に向った。快調に坂を登り、新座中の前を走っていると・・・僕の高校の先輩が校門の前に立っていた。そう新座中のS校長は僕の大先輩なのだ。「おはようございまーす!」「ああ、おはようございまーす!」二中時代に大好きだった体育のM先生も笑顔で手を振ってくれた。気持ちよく玄関に入っていくと、「おはようございます!」とまた笑顔が待っていてくれた。僕は、階段を駆け上がろうとしたのだが・・・・目の前におっさんくさい後ろ姿が・・・「大佑!どうしたの?そんなに疲れた顔して・・・」「寝てないんすよ」「何で?遊んでたの?」「一般質問の原稿ですよ」「あら・・・」

控え室に入って気がついた。オーマイガッ!特別支援教育の資料がない・・・家に忘れて来た!頭の中に入ってはいるのだが・・・・あの教育長相手に曖昧な記憶では戦えない・・・。その時の時間は8時55分。(家までチャリで帰って、9時半までに戻って来れるか!)僕は玄関を飛び出した。

家まで11分で飛ばし、汗をかいたので、シャワーを浴びて・・・(余裕だなあ・・)着替えて、バイクに乗った!そしてぶっ飛ばす。(あれ?免許がないかも・・ま、いっか・・・)控え室に着いたのは9時10分だった。

一問一答
大佑が無事終わり、幸弘が市長を熱くさせ、善保が快調に話した後に僕の番が回ってきた。「今日は早く終わるわよね」とSさん。「あたし早く帰らないといけないのよね」とHさん。みんなが最後の僕に(早く終われよ!)というプレッシャーをかけてくる。

並木議長に名前を呼ばれて、壇上へ・・・。水を一杯飲み干して・・・半年振りの一般質問が始まった。いつものように原稿がないので、議場を見渡しながら話をする。執行部はみんなしっかり聞いているのだが、議員のみんなはくたびれているのか聞いていない人が多い。昔の僕ならチョークを投げているところだ。中には一番前でグーグー寝ている議員も・・・・(君に関係のある話をしているんだぜ)。昔なら、頭からバケツの水をかけている。(傍聴人がいるというのに・・・ビデオも回っているし、カメラも撮っているのに、いい神経をしている)と余計なことを考えながら、話を続けた。最初の質問は25分。原稿がないから、適当なところで話を切りながらの一回目の質問だった。

休憩の後、2回目以降の質問に・・・。1回目の質問の後に配られた資料について質問をしていったのだが・・・金子教育長と僕の考え方はやはり180度以上違っている訳で・・・一問一答でも、話が噛み合うことはなかった。教育観の違いなんだろうなあ。僕とは全く違った教員時代を過ごしたのだと思う。まあ、小学校だから違うのも分かるけど・・・。きっと、ガチガチの管理教育が好きなのだろう。「共通理解」「共通行動」という言葉が本当に好きな人がいたんだなあ・・・僕みたいなタイプの先生達は大変だ。学校という社会で生きていくのが辛くなってなければいいが・・・。

今回、困ったのは野次。僕は一度も、誰も野次ったことはないのだが、早く帰りたいと思われる人たちは「いちゃもん」をつけてくるわけで・・・僕の短い間隔の質問にああだこうだうるさいのだ。(そんなに元気なら、自分で質問しなさいよ!)と神経が余計なところに向かいながらの質問になってしまった。誰もが一問一答形式は初めてなのだ。一生懸命やっているのだから、まったく余計なお世話だ!!
2回目以降も予め用意していた質問ではないので、もっと考えたかったのだが・・・・金子教育長の答弁にもっと集中したかったなあ・・・。だから、今日の自己採点は30点くらい。12月議会はみんな寝ないで、静に聞いてよね。              たかやん

金子教育長。お疲れ様でした。僕はいいのですよ。180度感覚が違っていたって。本当に新座の子ども達を愛してくれているのなら・・・本当に新座の学校を愛してくれているのなら・・・「管理教育」だっていいんです。やり方は違っていても、基本がそこにあれば、新座の学校を子ども達を愛しているという「共通理解」があれば、きっと接点はあるはずです。障がいのある子も無い子も、分け隔てなく、共に学べる、共に生きることができる、そんな学校、そんな地域社会ができるといいですね。
教育は愛です。新座の先生達を温かい愛で、包んでください。みんなきっと頑張りますよ。能力の高い先生達は沢山いますから・・・。

昔、神宮司久子という先生がいました。それは、それはおっかない先生でした。「三つ折りしてない靴下」を穿いていない女生徒を正座させては怒っていました。僕は黙って見ていました。掃除をサボった子達を見つけては“神宮司チョップ”を喰らわしていました。その時僕は、子ども達にこう言っていたのです。「神さんの言うことは、黙って聞いておけ!あの人は、お前達のことを本気で思ってくれている人だから・・・・」黙って、殴られておけと言ったのです。それ程神さんは子ども達を、そして学校を愛していました。
子どもの愛しかたは人によって違います。大事なのは愛しているということ。僕は神さんから、そのことを学びました。彼女は去年の4月に亡くなりましたが、今でも僕達の心の中で生き続けています。僕にとって、それが「新座の教育」の原点です。それが僕にとっての「共通理解」です。12月議会も僕の原点をぶつけていきます。

市教委の先生方、お疲れ様でした。沢山の資料要求・・・大変だったでしょう。12月はポイントを絞って、質問しますね。この1ヶ月で市教委の先生達のいいところをたくさん見つけました。一緒に仕事をしてみたいなあ・・・そんな人たちも何人もいます。これからも新座の子ども達をよろしくお願いします。朝は早くて、夜も遅くて・・・大変な仕事ですが、体を壊さないように(勿論家庭も)してくださいね。      邑 朋矢



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