Diary 2007. 9
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9月21日 (金)  「たかやん議員日記」2007.第263弾!  9月21日(土)

「たかやん議員日記」2007.第263弾!  9月21日(土)

体が重い・・・
6時前・・庭で体操をするが、体が重い気がした。「議会疲れ」って奴かも知れない。神経を使ってないようで、使っているのかも・・・。それでもたっぷりと汗をかいて、お風呂で声を出していたら、少し元気になってきた。

五中の校長
「たかやん、五中の校長先生凄いんだよ!」と二年生の女の子。「何が凄いの?」「あのね、校長室にね、生徒全員の顔写真貼ってあるの。名前入りで・・・」「いい、先生じゃない。俺も校長だったらやるよ。」「それにね、校長先生が掃除するんだよ!」「そっかあ・・・キノッピーみたいだね。いい先生じゃない。よかったね!」「うん」

五中の初代校長は、中村敞一郎。酒が強く、僕らとどんなに飲んでも、次の日の朝の職員会議にはピッとしていた。新任が6人いたのだが、気がつくと全員の家の「家庭訪問」をしていた校長だった。毎月、給料日の次の金曜日には「和室」で飲み会があったなあ。残念なことに1年で校長をやめ、教育長になってしまったから僕らは取り残された気分になったものだ。僕は暫く敞一郎のことを「校長」と呼んでいた。僕にとっては彼はいつまでも「校長」だったのだ。校長でいて欲しかったのだ。そんな僕を敞一郎先生は随分可愛がってくれた。本当に暖かい人だった。

五中の3代目の校長は山口常義。校長室の前を通る子ども達を名前で呼び止める人だった。「好きです五中」というキャッチフレーズの発案者で、大矢教頭とのコンビは職員は勿論、子ども達にも大人気だった。大矢先生は全ての運動部の練習に参加する。そんな教頭先生だったのだ。二人に共通していたことは、授業をやっていたということ。二人とも「根っからの先生」だったのだと思う。大矢教頭は社会を・・・山口校長は誰かが年休で休むと授業をやってくれた。僕も子ども達も二人の先生が大好きだった。

五中の9代目の校長は川島勝治。五中時代に9つ上の甲神・木下・川島という3人の先輩に憧れて、僕らは育っていった。僕は部活で甲神嵒に勝とうとし、学級通信で木下保則に勝とうとし、クラス経営やお話で川島勝治に勝とうとして頑張った。彼らはいつも僕の目標だったのだ。3人とも埼玉大学出身で、授業が上手だったことも共通していた。三人とも校長になったが、みんな先生達にも生徒達にも人気があった。子ども達に対する愛情と先生達への信頼が厚い校長だったからだろう。

今のA校長先生は多分11代目くらいの校長なのだと思う。(違っていたらごめんなさい)この間の体育祭の閉会式の後、校庭で子ども達が「解散式」をやっている姿を、A校長は目を細めて見ていた。そして生徒達は突然「こうちょう!」「こうちょう!」と校長コールを始めたのだ。体育祭の練習の過程できっと生徒達との触れ合いがあったのだろう。A先生は生徒達の方へ駆けて行き、「みんなよく頑張った!感動した!」と叫んだ。子ども達はウォーという歓声と拍手で校長のメッセージを受け取った。
子ども達を見ていた校長は、今日も、廊下ですれ違う生徒達に声をかけるのだろう。「○○君、速かったねえ」「○○さん、ムカデ頑張ったね」と・・・・。こうして体育祭の頑張りは、2学期の勉強に続いていくのだ。                  

速い
六中のテニスコートのポールが倒れそうなので、3時頃、教育委員会へ行った。「ちょっと危険なので、見てもらえませんか?」と新井教育総務部長にお願いすると、「分かりました。火曜日に見に行かせます!」とのことだった。そのことを伝えに六中のコートへ行くと、菅野教頭と市役所の人二人がコートを見に来てくれたのだ。市役所が「子ども達の安全」の為に迅速に動くということはいいことだ。スポーツ施設の暑さ対策もちゃんと考えてくれているようだし、なんだか嬉しいな。                 たかやん


9月22日 (土)  「たかやん議員日記」2007.第264弾!  9月22日(土)

「たかやん議員日記」2007.第264弾!  9月22日(土)

運動会
いつものように体操をして、お風呂に入り、それから朝ご飯。昨夜の鍋の残りのうどんはなかなか美味しかった。僕はバイクにまたがり、石神小へ向った。
ラジオ体操に間に合い、お目当てのMちゃんとSちゃんの写真を撮る。本部前には市教委の坂口先生がいた。「おはようございます!また会いましたね!」「あ、おはようございます!」(今日はついている!)僕はそう思った。兎に角いい先生なのだ。暖かい先生なのだ。僕はシャッターを切りながら、坂口先生と話しこんだ。

いよいよ4年生の80M走が始まった。僕は校長先生にお願いして、フィールドの中に入れてもらい、写真を撮り続けた。舞ちゃんとさなちゃんのレースは最後の方。4人一緒に走るらしい。ピストルの音で、車椅子が走り出す。押している二人もカーブがきついので必死だ。そして最後の15M?二人は自力でこぎ始めた。その時だ。地響きのような声援が起きたのは。「舞ちゃんガンバレ!」「さなちゃん頑張れ!」子ども達が声をからして応援したのだ。僕はシャッターを押しながら鳥肌が立った。車椅子の二人が当たり前のようにみんなと同じレースを走り、そして仲間からの声援をうけて必死に走る。自分たちのベストを尽くす。その姿が嬉しかった。

栗原小では卒業生の二人とバッタリ。奥さん達も紹介されて、子ども達も入れて、みんなで記念写真を撮ったのだった。最後にS君に「うちの息子も家出したらお願いしますね」と言われた。どうやら中学時代に家出して、僕の家に泊まったらしい・・・。何十人も預かったからよく覚えていない訳で・・・。そして市教委の高橋先生とも会えて・・・今日はついてる!

野寺小でも3年で担任をしたY君とバッタリ。すると背中をバシっと叩く人がいて・・・「ゆかちゃん!何してるの?」「あたし役員なんです」テニス仲間の女の子(失礼)が笑顔で立っていた。今日は本当についているかも・・・。そして五中のI先生ともばったり。僕らは同期で高校も同じ学校群。彼の方が2年先輩だったのだが、教員になったのはまったく同じ年だった。彼は軟式テニス気違いで、僕は硬式テニス気違い。話をしていたら、共通点が多くて笑ってしまった。「俺、下校時間とかが大嫌いでさ、部活やるならナイターでやるくらいじゃないとね」「そうだよね」と意気投合。「俺たちみたいな馬鹿がいなくなってきたよね」とまた意気投合。運動会そっちのけで、僕らは話し込んでしまったのだった。

午後は八石小と西堀小へ行こうと思っていたのだが、友達が来ることになり断念した。そして夕方から9時までは塾。ちょっと体調がおかしかったのだが、子ども達と勉強していたら治ってしまった。明日は結婚式。歌とスピーチが待っている。一般質問より大変だ。たかやん


9月23日 (日)  「たかやん議員日記」2007.第265弾!  9月23日(日)

「たかやん議員日記」2007.第265弾!  9月23日(日)

結婚式の朝
忙しい朝だったが、いつものように庭でトレーニングだけはした。習慣になったことは続けられるタイプなのだが、一度やめるとなかなか復活できない性格だからだ。

六中最後
今日は六中3年1組のゆかこの結婚式だった。ゆかこは2年3年と担任した子で、今では家族ぐるみの付き合いになっている。今日のゆかこのリクエストは「大空と大地の中で」という松山千春の曲。あの頃よく歌っていたらしい。


僕が塾をはじめたきっかけは実は彼女達にあるのかも知れない。当時の僕は3年1組の勉強に燃えていた。全国大会の終わった後のテニスコートには姿を見せず、常に1組の子達と一緒にいたのだ。朝練は行かずに、1組の教室で「朝勉」。これには他クラスからの参加者が多数あった。そして午後錬の代わりに「残り勉」。さらに、夜練の代わりに「夜勉」と夜の9時まで教室で勉強をしていたのだ。最初に学年最下位だったクラスは、最後には学年トップまでいった。僕はその時、こう豪語していたのだ。「俺より勉強を上手に教えられる塾の先生がいたら連れて来い。いる訳ないから!」と。有名進学教室の先生が、僕の教え子だったりしたこともあったかも知れないが、僕は少々自信過剰だった。「だから、塾なんて行くな!俺がタダで教えてやる!」と滅茶苦茶だったのだ。今思うと恥ずかしくてしょうがない。

石の上にも3ヶ月
そして朝勉では「基礎英語」を暗誦することに燃えた。3か月分の基礎英語のテキストをみんなが暗誦できるようになった時・・・・僕は勿論、子ども達も英語を話せるようになっていた。みんな普通にAETの先生達と普通に話せるようになってしまったのだ。3ヶ月という時間は、凄い時間なのだ。「石の上にも3ヶ月」なのである。

所沢北
ゆかこは所北へ行き、ラグビー部のマネージャーになった。あれから10年。僕はゆかこの結婚式で歌を歌い、ささやかなメッセージと「タンポポ」をプレゼントした。

沢山の笑いと沢山の涙と
今日は沢山泣いて、たくさん笑った。いつも子ども達の側の人間でいたい。そう思っていたのだが、今日はまるでゆかこの父親になった気分だった。

改革は止めなきゃ!
どうやら新しい自民党総裁が決まったらしい。「小泉改革」なんてものは、名前だけの改悪そのものなのだから、福田さんが総理になっても小泉純一郎路線を支持するのなら国民の生活は楽にならない。小泉純一郎は戦後最低の総理に間違いない。僕はそう思うのだ。国民の生活をこれだけズタズタにした政治は戦後初めてのことだろう。小泉改革は止めなきゃいけなのである。ブッシュも頭悪そうだが、小泉純一郎も政治家としては最低レベルだと僕は思う。庶民の感覚を持ち合わせてない人が、総理大臣になってはいけないのである。
                                   たかやん


9月24日 (月)  「たかやん議員日記」2007.第266弾!  9月24日(月)

「たかやん議員日記」2007.第266弾!  9月24日(月)

そんなのかんけいなーい!
空とお風呂に入った時、「こら、石鹸を湯船に入れたら駄目だろ?」というと「そんなのかんけいなーい!」と空がいう。「なんだと!」「そんなのかんけいなーい」とフリ付きで踊る空。どうやらテレビで人気のある芸人の真似をしているらしい。それが余りにもおかしかったので、朝は「空くーん!オッパッピー!」と起してやった。すると空も「オッパッピー!」朝から笑ったのだった。


16歳の女の子が鉈で父親を殺害したらしい・・・。父親と娘。どっちにも多分、問題があるのだろう。そして今日は15歳の男の子が斧で父親を叩いたという。。斧で叩くには笑ってしまったが・・・こっちは殺人未遂。僕は勿論ショックを感じたけれど、最近の色々な事件にちょっと慣れてしまった自分がいた。それにしても、何故話をしないのだろう。大声を出して喧嘩すればいいじゃないか。それで親子関係が一時駄目になったって、片方が死ぬよりはマシだ。だいたい、何で家の中に鉈や斧があるんだ。何を切るための鉈なのだろう。昔の我が家にはあったけれど、それは鶏の首を刎ねた鉈だった。

小岩さん
左目の瞼が腫れてしまった。どうみてもお岩さんのような感じである。ま、小岩さんといったところか・・・鏡を見ていて、目が小さいと人相が悪くなるということに気付いた。人相は大事だ。その人の性格が出るからだ。40を過ぎたら人相に責任を持たなくてはいけない。早く治さなければならぬ。

父の日   1995.6.22 「一生懸命」第56弾! 2年1組から・・
岸部先生の学級通信を読んで、初めてこの間の日曜日が「父の日」だということを知った。邑家には昔から、そういった習慣が無く、僕らはカーネーションともネクタイともクリスマスケーキとも無縁に育ったから、当たり前と言えば当たり前なんだけど・・・。もし、亮に「何が欲しい?」と聞かれたら『将棋を一局とテニスの試合を一試合、それに久し振りにキャッチボールがしたいなあ・・・』と答えていたと思う。もし、父さんが生きていたら、僕は父の日にきっとこう言ったと思う。『父さん、久し振りに碁を一局お願いします。』

ゆかこの結婚式があったので、久しぶりにあの頃の学級通信を読んだ。あれからもう12年も経っているのに、僕がやりたいことは当時と変わっていない。亮と将棋を指し、テニスをやって、そしてキャッチボールをする・・・・。それが今の僕には最高のプレゼント。
亮と最後に将棋を指したのはいつだっただろう・・・テニスの試合は・・・二人でキャッチボールをしていた頃、亮は僕の全てだった。               たかやん


9月25日 (火)  「たかやん議員日記」2007.第267弾!  9月25日(火)

「たかやん議員日記」2007.第267弾!  9月25日(火)

国会中継
久し振りの国会中継をテレビで見た。衆議院の椅子も参議院の椅子も新座市議会の椅子に比べると、座りにくそうだなあと思った。あれでは一人ずつずれていかないと席を立てない・・・。まるで大学の講義室の椅子のようだ。自民党最後の総理になるかも知れない福田さんを選ぶというのに、あの短期間の中継でも寝ていた議員がいるのには驚いた。

「眠る議員」では新座市議会も負けてはいない。この間傍聴しに来た市民が「午前中から5人も寝ていた」と怒っていたらしいが、その人が同じ日の午後2時くらいに来たら、引っくり返ってしまっただろう。市民が「議員定数を削減せよ!」という気持ちがよく分かる。眠った議員にはイエローカードを出す、5回出したらレッドカードで退場ならぬ、退職!となったら・・・1年間で半数は削減できそうなくらいなのだから・・・。そんなことを書くと、多数派に苛められそうだが、眠るということ自体「市民感覚」を失っているのである。「市民感覚」を失った議員は市民には必要ない。まともな人ならそう思う。ついでに言うと、市長が話をしている間に眠っている執行部も同じだ。「市民感覚」を忘れてしまっているから眠れるのだと思う。議員は市民の代表なのだ。僕は僕を選んでくれた市民の方達の代わりに発言し、情報を集め、そして見ている・・・・。だから眠れないのである。

サンダル
そう言えば、新座市議会には議場にサンダル履きの議員もいる。誰も注意しないから新座市議会ではOKということなのだろう。でも、ちょっとセンスがないというか、田舎っぽいというか・・・本当にいいのかね。市民感覚とかけ離れてはいないのかなあ・・・僕はそう思ってしまう。僕は短パン・半袖で市役所へ行くが、議場に入る時はネクタイに革靴で入る。通勤はクールビズでも仕事をしている時はネクタイをする。月に40万も貰っているのだから、多少の窮屈は我慢しなくてはいけないんじゃないのかな。

さっきはごめんね
空が僕の部屋に来て、「パパ、さっきはごめんね」とぽつり・・・。御飯の時に行儀が悪かったのを怒られて、泣いたのだ。こっちはもう忘れて、普通に笑顔で話しているのに、空はまだ気になっていたらしい。さっきはごめんね!・・・なんて優しい言葉なんだろう。

中秋の名月
三人で庭に出て、お月さんを暫く見ていた。東側の電線が邪魔して、粋なお月見とはいかなかったが、それでも家族揃って見れたのでよかった。もう少ししたら、二人で眺めてみよう。地球は温暖化に苦しんでいるけれど、向こうは大丈夫なんだろうなあ。明日から9月議会が再開する。頑張らねば!         たかやん


9月26日 (水)  「たかやん議員日記」2007.第268弾!  9月26日(水)

「たかやん議員日記」2007.第268弾!  9月26日(水)

朝の仕事
今朝は曇り空でなかなか明るくならなかった。僕は部屋の片付けをして、燃えないゴミと資源ごみを捨てに行き、それから庭でトレーニングを始めた。我が家ではゴミ出しは僕と決まっているし、時間があるときは片付けもやる。それがまた気持ちいいのだ。

朝食
鰹節をかく以外は何もしないことが多い。テーブルを拭いたり、食器を出したりはするが、料理の方はまかせっきりである。納豆・とろろ汁・きんぴらゴボウ・鮭・海苔・ふりかけ・オクラの胡麻和え・味噌汁・サツマイモ・黒豆・サラダというのが今朝のメニュー。毎朝殆ど同じだが、全く飽きないから不思議だ。

空のお尻
朝、空のお尻を拭くのは僕のことが多い。今だけの仕事だろうから、大事にしたいと思う。空の体調も分かるしね。

議運で始まり・・・そして
自転車で市役所に向った。児童センターを越えたところで、誰かが手を振っているのに気付いた。(こころ!)「おはよう!どうしたの?」「うん、仕事なの」「いつも自転車?」「そうよ」こころは六中で3年間担任した女の子。今は空の幼稚園の友達のママ・・・という関係だ。二人でテニスの話をしながら市役所まで・・・こころは今度の日曜日に県大会の決勝らしい・・・全国中学3位のキャプテンは今でもテニスをやっているのだ。

8時57分に市役所着。控え室に行くと、勇さんも来ていた。(む?何かがおかしい・・・)
「ゲーっ!議運だ!」僕は30秒でシャツと短パンを脱ぎ、Yシャツとスラックスを穿いて・・・第5会議室まで走り出した。

議運(議会運営委員会)は各会派の代表で構成されている。会派によって人数は違うのだが、僕らのような一人会派は勿論一人。刷新の会も一人、共産は二人、公明も二人、そして最大会派は議長も含めて三人となっている。議会を運営していく上で重要な議運。その議運に危うく遅刻するところだった。あぶない、あぶない・・・

7080円
情報公開で取り寄せた資料代が7080円で、財布の中が空になった。いつも弁当だし、水筒も持っていくので、議会中に使うお金はゼロだから大丈夫なのだが・・・それでも財布の中が空だとちょっと寂しい訳で・・・・

農水大臣
農業が滅びると国が滅びる。財政も外交もそりゃあ大事だが、国民が食っていけなくなったらお終いなのだから・・・・ああ、それなのに、それなのに・・・農水大臣が「鬼門だの」「最後まで決まらない」だの・・・選挙に勝つことが目的になって、国民の暮らしを良くすることが目的になってないのだ。

かわいがり
「17歳の力士が殺された。リンチ殺人だ。親方が主犯で兄弟子達は共犯。」僕がニュースキャスターならそう報じるだろう。可愛い我が子の額をビール瓶で殴る親がどこにいるだろう・・・。彼には親方である前に、人としての素質がない。本当に嫌なニュースだ。

ジャイアンツ
アンチジャイアンツのはずなのだが、中日に逆転勝ちしてホッとしている自分がいる。落ち合いより原の方が好きだからかも知れないなあ・・・        

浦和
レッズも勝った。怪我から復帰した田中達也のゴールを皆で守って勝った。いいニュースだ。                                たかやん


9月27日 (木)  「たかやん議員日記」2007.第269弾!  9月27日(木)

「たかやん議員日記」2007.第269弾!  9月27日(木)


突然の雨で自転車を諦め、車で幼稚園へ・・・そのまま市役所に向った。車だと体は動かせないし、温暖化に参加しているようで、どうも気分が悪い。雨でも自転車で行くようにするかな・・・

討論
18年度の一般会計の決算に対する討論は結構盛り上がった。まず共産党の朝賀さんが反対討論、次に自民党の森田さんが賛成討論、革新無所属の星川さんが長い反対討論、自民党の小川さんが賛成討論、それを聞いて語る会の邑が反対討論、公明党の白井さんが賛成討論、そしてその討論を聞いて、共産党の笠原さんが反対討論・・・・笠原さんの討論が終わって、採決をしたときはもう12時40分を過ぎていた。

かっこいい!!
それにしても笠原さんの討論は聞いていて、(かっこいいなあ!)と思った。色々な人の討論を一番最後にまとめたような討論で、なるほどなあ・・・と思ったのだ。彼のが100点だとすると、僕の討論は20点くらいか・・・「勉強してやる!」と呟いた僕であった。

反省
僕の反対討論はよくなかった。反対の理由ばかりで、評価しているところを殆ど上げてなかったのだ。須田市長がよく「ただ反対するだけじゃあなくて、評価もしてください」と言うが、その通りだと思う。全部が悪い訳などないのだ。「ここはいいけど、ここは駄目。だから反対」というのと、「ここも、ここも駄目。だから反対」じゃあ執行部や市の職員の気持ちも違ってくる。気をつけよう・・・


疲れた!
討論をするのも疲れるけど、しないのも疲れる。言いたいことがあったら言えばいいのだが、雰囲気とかタイミングとかを考えてしまうことがあるのだ。どっちも疲れるのだから困ったものだ。

議運
今日も議運があり、最後に僕の「退席」に対する指摘が議運の委員長の小川さんからあった。「委員会で賛成して、本会議で退席は駄目です」と言うのだ。委員会で賛成して、本会議で反対はおかしいと思ったので、退席したのだが・・・・(ようするに反対討論を聞いて、途中で気が変わった)明日は各会派の控え室に謝りに行かなければいけないらしい。とほほ。                                  たかやん


9月28日 (金)  「たかやん議員日記」2007.第270弾!  9月28日(金)

「たかやん議員日記」2007.第270弾!  9月28
日(金)

議会最終日
9月議会が終わった。中味が濃く、本当に色々あった議会だった。6時の空気は冷たくて、半袖・短パンでトレーニングをするのは、ちょっと厳しいかと思ったくらいだったけど、気温がどんどん上がり、長袖では暑いと感じた一日だった。

議員定数削減決定!
今日の議会は勇さんの陳謝でスタートした。詳しい内容は議会便りや会議録検索システムに任せるとして・・・午前中から傍聴する人が多く、なかなか緊迫した空気になった。
やはり「議員定数削減」の議員提出議案がメインのテーマだったと思う。
今まで30人だった定数を26人まで削減しようという、この定数削減案に反対討論をしたのが小鹿さん(共産)、次に賛成討論したのが森田さん(自民)、次の反対討論が保坂さん(共産)、賛成が細田さん(公明)、反対が星川さん(革新無所属)、賛成が平松さん(刷新)、反対が笠原さん(共産)、賛成が亀田さん(公明)、反対が中田さん(自民)、そして賛成が邑(語る会)と今までで、討論の数では間違いなく最多の議案になったのだ。

自民・公明の各党は「経費削減」を挙げていたけれど、僕の考えは違う。議員の報酬は市の職員の平均より少ないのである。4人分減らしたところで大した影響ではないのだ。市民は「今の議会にはチェック機能がないよ」「議会の存在感がないよ」そう言っているのだと思うのだ。
市民が議会に傍聴に来たら、午前中から5人も寝ているような議会では話になりません。
(同じ日の午後3時くらいに来たら、もう10人程寝ていたのだが・・・・)、30人いても市民の声をちっとも反映していません。そう言っているのだと思う。緊張感がないのだ。執行部から出された原案に黙って賛成の議員が多すぎる・・・市民はそういう目で見ているのだと思う。だから僕は賛成した。本当なら8の倍数の24人という数字がいい。4つの常任委員会を対等に考えると、刷新の会が最初に提案した22や、今回自民党から提案された26の意味がよくわからないのだ。24の次は32だが、これは話にならないと思う。
議員定数を削減するということは、自分で自分の首をしめるようなものだが、それが市民の意向なら、それで間違いはないと思う。

幻の賛成討論
18年度の新座市のいじめ件数は小学校が23、中学校が30ということになっている。一方不登校は、小学校が51、中学校が199。この数字は確かなものである。小学校の不登校といじめ件数の差は27。ところが中学校になるとその差は170。いくらなんでもそれはおかしいと思うのだ。新座市の不登校率は4.40%と県内でもトップクラス。そのことといじめの数が余りにも差があるのは、いじめを見逃しているか、報告していないかのどちらかなのである。不登校の全ての原因がいじめにあるとは思わないが、学校や市教委が思っている以上にいじめが原因であるのは確かなことだ。

そんなことを含めて、いじめ不登校対策の意見書に賛成討論をしようとしたのだが、どうやら賛成討論を反対討論のすぐ後にしなくてはいけなかったらしく、名前を呼ばれて登壇したのだが・・・・結局討論はできなかった。4年近く経ったのに、未だに議会のルールを知らないのだから困ったものだ。でも、こうやってみんな成長していくのだと思う。長い、長い9月議会が終わった。家に帰ったのは10時を過ぎていた。      たかやん

現在の時刻は29日午前0時51分。いつも朝の6時から見てくれているEさん。
おはようございます。


9月29日 (土)  「たかやん議員日記」2007.第271弾!  9月29日(土)

「たかやん議員日記」2007.第271弾!  9月29日(土)

朝刊
新座市議会の話題が2つも出ていてビックリ。一つは勇さんのこと。もう一つは「議員定数削減」である。勇さんの記事はちょっと違って取られそうなので、あの日の「議運」での話を思い出してみた。

9月26日議運で・・・
政和会の森田さんが「本会議中に他の会議に出席をした人がいる。市民が議会軽視ではないか、おかしいと言っている」と勇さんの19日の行動に疑問を投げかけたのだ。僕らは何の話なのか全く分からず・・・・

勇さんは一般質問の日に、知り合いのお婆さんを病院に連れて行こうと午後休みを取ったらしい。ところが、その途中で商工会の会議に立ち寄り、「議会中でしょ?」と聞かれ「これこれしかじかでちょっと寄っただけなんだ」と言ったのだが、結局出席して質問までしていたらしいのだ。しかも次の日に費用弁償の4000円を貰ってしまったというのだから、そりゃあ疑問に思われてもしょうがない訳で・・・森田さんの言うことは正しい。

所用のため
議員になって4年目。所用のためと言って、本会議を欠席する人たちが時々いる。どうしてもという用事は確かにあると思う。体調を崩すときもあると思う。でも、知り合いのお婆さんを病院に連れて行くのは「休会日」にして欲しかった。水曜日ではなく、休会日の金曜日か火曜日にして欲しかった。

あの日は本会議は早目に終了し、「政務調査費」についての説明があった。領収書は来年2月までのものにして下さいというのだ。来年2月に選挙があるから、3月分だけは別になるらしい。そこで事務局の説明に噛みついたのが星川さん。「年間購読で購入したものの領収書はどうするのよ?」それについて、政和会の平野さんが一言いうと、「あんた達は勉強しないから、そういうものいらないんでしょ?」と星川さん。すると傑議長が「失礼だなあ・・・」平野さんが「ちょっと、そんな言い方ないだろう!取り消せよ!」星川さんが「何で取り消すのよ!」とやり返し・・・非常に険悪なムードに・・・僕は「まあまあまあまあ・・・」と訳の分からない仲裁に入ったのだが、みんなカッカして・・・・一次は大バトルに・・・・最後は星川さん一人がカッカしていたのだが・・・・

その後に、勇さんの一件をどうするかで議運が開かれた。色々意見が出たが、会派に持ち帰ってということになり、一度は解散。そして15分後。
共産党の笠原さんが「議場で謝罪と議長名で厳重注意」という提案をすると、政和会、公明党、刷新の会、革新無所属がそれに同調した。僕だけは「休んだ分だけ出席停止」と言ったのだが、懲罰委員会が開かれていないのでそれはできないということになり却下。その後、「議会便りにこの件を掲載すること」という星川さんの提案に殆どの人が頷き、それも付け加わった。相撲には勇み足というのがあるが、これは何だろう・・・勇の・・・・まいっか。

議会と言うところは本当に色々あるところだ。選挙まであと数ヶ月、みんなカリカリしているのかも知れない。僕はやるべきことをやるだけ。          たかやん



9月30日 (日)  「たかやん議員日記」2007.第272弾!  9月30日(日)

「たかやん議員日記」2007.第272弾!  9月30日(日)


今日は9月の議会報告作成に手をつけた。一応、毎月発行記録は更新しているが毎週発行の「新座民報」には遠く及ばない。勉強せねばと強く思う。子ども達を見ていないと「学級通信」が書けないように、市政をしっかり見ていないと「議会報告」も書けないからだ。見方はその人によって違うだろう。その違いをはっきり出すことも、大事だと思う。

季節の変わり目
空が咳をはじめた。喘息の咳だ。かわいそうだが、代わってあげられない・・・・
雪も亮も空にも申し訳ない気持ちになる。

雪の目
赤ちゃんの頃、よく順天堂病院へ行った。小さい目の中に器具を入れられ、泣いている雪を見て、僕も泣くしかなかった。僕の父さんの遺伝子は僕には伝わらず、雪に伝わってしまった。父さんのように片目に視力がないところまではいかなかったけれど、視力は小さい頃から弱かった。目がよかったら・・・テニスとかも思い切りできたんだろうなあ。親子でミックスダブルスとかやってみたかったなあ・・・。

亮の心臓
小学校5年生の時に亮の心臓に欠陥が見つかった。堀の内で診断され納得できず、清瀬の小児病院で同じように診断され「運動は禁止です」と言われた時、僕は駐車場で声を出して泣いた。やんちゃで乱暴でサッカー少年だった亮から運動を取り上げることなどできない。そう思った。高校時代陸上部よりも速かった僕の心臓は遺伝せず、母さんのお母さんの遺伝子が遺伝したのだと思う。それでも日大病院の原田先生に「体育の運動程度の運動なら大丈夫」「この子から運動を取り上げたら死んでしまう」と言われた時は、本当に嬉しかった。亮は六中に入り、体育の運動程度の練習で全国大会へ行き、そしてみんなの力で優勝した。それでも時々、申し訳ないことをしたと思うのだ。

空の喘息
そして空の喘息。僕の兄貴は小児喘息だったし、従兄妹達も小に喘息が多かった。兄貴は小さい頃、よくヒューヒューいっていたし、喘息の薬も手放せなかった。その体質も僕には遺伝せず、空には遺伝してしまった。今は夜中の2時半。空の咳で二人で起きて、空とママはトイレへ・・・僕はパソコンに向かっている。ちょっと眠い・・・

明日からは「国会」も始まるし、「郵政民営化」もスタートする。日本が何処へ行くか・・しっかり目を開けてないといけない。                 たかやん              




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