Diary 2004. 11
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11月21日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第249弾! 

「たかやん議員日記」2004.第249弾!  11月21日(日)

学校の常識は社会の非常識?
みんなで同じ制服を着たり、みんなで同じヘルメットを被ったり、みんなで同じ靴を履いたり・・・・どうも社会のルールとは違うものが学校にはある。社会では早起きして出社すれば誉められることはあっても怒られることはないが、学校では登校時間より早く来ると怒られる。社会ではお客様は大事にされるが、学校ではお客様を「お前!」呼ばわりするのが当たり前・・・お客様が挨拶しないと「何で挨拶しない!」と平気で怒る。社会では自分のことを私とか僕とか俺とか言うのに、学校では「先生はね・・」と平気でいう教師達もたくさんいる。学校という世界しか知らない教師たちが「社会に出て困らないようにお前達にルールを教えているんだ!」と平気で叫ぶ。社会ではお客様が評価するのに、学校ではお客様だけが評価され教師はお客様からは評価されない。されたとしても給料には全く変化はないし、昇進には関係ない。不思議なところに僕はいたんだなあと思う。

そういう意味では議員という仕事も普通ではないか。普通の職場は仕事中に寝ていたら怒られるかクビになるのに、寝ていてもまず怒られることはない不思議な職業。年金問題でこれだけ世の中が揺れているのに、自分達の年金だけは無事であって欲しいと思っている議員の多いこと。選挙の前は国民の方を向いて票を集め、選挙が終わると自分のことばかり考え、せっせと金儲けをするのが常識になっている不思議な職業。国民の代表者のはずなのに、国民がどんなに困っていても知らん振りできる人の集団。台風でどんなに被害がでても、地震でどんなに被害がでても、冷たくするくせに遠いイラクへはその国の国民に頼まれてもいないのに「人道支援」をしに行き、莫大な予算を使ってしまう。そういうことを平気で可決してしまう集団。
そういう国会議員みたいにならないように、市民の方を見ている市会議員に僕はなりたい。


11月22日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第250弾! 

「たかやん議員日記」2004.第250弾!  11月22日(月)

秩父
今日は昔の同僚の小山俊彦先生に「コピー機もらってくれない?」と誘われて『いいよ。』と秩父まで息子と二人で行ってきた。途中二人で色々な話をしながら下道を走った。長男の亮は俊さんに担任をしてもらったことがあったので、久しぶりの再会ということになる。
「おう、亮か!」「おひさしぶりです!」14歳だった少年が22歳になって登場したのだから、担任した方は「おう!」となる。俊さんは全然変わっていなかった。『変わってないねえ・・』というと「そっちも全然。とても議員には見えないよ。」と言われてしまった。

俊さんは同じ理科だったが、得意分野が全然違っていたのでお互いにマイペースだった。同じ学年の時は全クラスを半分に分け、1分野は俊さん2分野は僕が担任したこともあった。試験範囲もクラスによって違うことなどは当たり前で、俊さんは俊さん。たかやんはたかやんという楽しいコンビだった。俊さんが入院した時は僕は俊さんの授業をほとんどカバーした。空き時間は全部授業に行ったし、1時間に二つのクラスを教えたりして臨採なしで、数ヶ月を乗り切ったのだ。空き時間がゼロに近くて死にそうだったけど楽しい思い出の一つだ。

昔市だか県だかの委嘱を受けて「コンピューターを使った授業」のプログラムを作った時代があった。僕は理科だけどパソコンは全くダメ。その時は数学と理科の授業をやることになったのだが、理科は勿論俊さんが担当することになった。その準備はかなり大変で発表の数ヶ月前から真夜中まで学校に残っていた。僕は何も手伝えないので、生物準備室に同じ理科のF先生の電気炊飯器を持ち込んで「さんま焼き定食だよー」「納豆定食」「あったかいうどん」「すき焼きだあ!」と毎晩のように料理を作って応援をしていた。こういう時、管理職は冷たいものでさっさと帰ってしまうのだ。「頑張ってね。」の一言もなく・・・・。
そしてやがて僕は校長室に呼ばれ生物準備室でご飯を炊いていたことを怒られたのだった。

秩父からの帰り大佑から電話があった。『どうした?』「どうしたんですか?」『何が?』「1時半から議案説明会ですよ。」『わお。手帳に書くのを忘れてた!』「今どこですか?」『秩父・・・』「じゃあ無理ですね。」『ごめん・・・』俊さんに会うのが嬉しくて、すっかり説明会のことを忘れていたのだ。

議案説明会は不思議な会議だ。革新無所属と共産党には声がかからない。「与党」と呼ばれる会派だけ説明会に呼ばれる。でもこういうシステムだと議会で質問とか反対はしにくいと思う。今は与党とか野党とかいっている場合じゃないくらい、新座市の財政は苦しいのだから、全職員、全議員の知恵を集めて考えるべきだと思う。新座市がたくさんの借金を抱えているのは市長だけの責任ではない。その予算を通した議会の責任なのだ。と僕は思うようになってきた。


11月23日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第251弾! 

「たかやん議員日記」2004.第251弾!  11月23日(火)

勤労感謝の日
「朋矢。職業に貴賎はないんだ。だからお前達はどんな職業についたったいいんだぞ。だけど机の上だけでものを考える曲学阿世だけにはなってくれるな。」死んだ父さんは小さい頃僕によくそういっていた。要するに自分の目で物を見て、そして自分の頭で判断できる人間になって欲しいということだったのだろう。
今日は勤労感謝の日。全ての職業の人たちに感謝をする日。お百姓さんがいて、漁師がいて、八百屋さんがいて、肉屋さんがいて、魚屋さんがいて僕らは毎日生きていけるのだ。テレビを作る人たちがいて、パソコンを作る人達がいて、車を作る人達がいて・・・・僕らは今の生活ができるのだ。僕も人の役に立とう。「議員」という職業でたくさんの人の役に立てるようになろう。

サッカー
僕はサッカーが好きだ。見るのも好きだが、やるのはもっと好き。今朝も90分間、途中3分の休憩があっただけで後はずっと走り回っていた。最近は毎日ランニングをしているので、いくら走っても中学生に体力で負けることはない。体が重いのでヘディングの高さが大分落ちてきたが、キックは前よりも正確になってきた気がする。「毎日の法則」は恐ろしい。最近体がどんどん若返っていくのがよく分かる。

ピアノ
僕はピアノの音が好きだ。今も聴きながらこれを書いている。音楽はいい。誰もが幸せな気持ちになれるから・・・・。小さい頃から成績がずっと「5」だったのは体育と音楽だけだった。毎日少しずつピアノを練習して、いい曲を作れたらいいなあ。音楽はいい。世界中の人がみんな心に優しい、いい音楽を聴いたら、戦争なんか起きないかも知れない。




11月24日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第252弾! 

「たかやん議員日記」2004.第252弾!  11月24日(水)

志木
今日は志木市の長期欠席児童・生徒の在宅学習支援策の「ホームスタディ制度」の勉強をしに志木市の総合センター(教育センター)にお邪魔した。志木市総合センターには児童館や図書館があり、不登校の子ども達にとってはなかなかいい環境だと思った。僕は5年ほど前に「不登校」の子ども達を児童館のような場所で支援できないかと提案していたのだが、志木市は3年前から教育センターでそれを実現していたのだ。新座市の適応指導教室と違うところは音楽ができる環境であるということ。そして運動ができるスペースがあるということだ。残念ながら子ども達の様子を見ることはできなかったのだが、所長さんの話では実にいい表情で活動しているらしい。図書館、卓球台、将棋や囲碁、そして運動場。新座市の適応指導教室にはないものがそこにはあった。志木市の適応指導教室も市内の2つの中学校の子達だけが通っているとの話しだし、新座市の適応指導教室には小学生が来ていなかったが、地域にそういう施設がないと小さい子ども達は通えないのだと思う。遠くても通うエネルギーがあったら、とっくに学校へ行っているのだ。そういう意味でも児童館だどを利用した取り組みが必要だと僕は思う。「一般質問」で提案してみよう。

総合センターの後は志木の教育委員会に行った。志木市の教育委員会は本当に感じが良かった。色々な話をして僕は志木市を後にしたのだった。

家に帰ると市役所の総務から「召集通知」と「議案書」がポストに入っていた。議員になって最初に驚いたことは、市の職員の方がわざわざ僕の自宅まで「召集通知」と「議案書」を持ってきてくれたことだった。言ってくれれば取りに行くのに・・・そう思った。いよいよ12月議会が始まる。「一般質問」の通告の締め切りは明日。今までのように教育一本でいくのか、実は少し迷っている。質問したいことが他にもたくさんあるからだ。明日一日考えて決めるようにしよう。


11月25日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第253弾! 

「たかやん議員日記」2004.第253弾!  11月25日(木)

忙しい一日
朝のランニングから帰って朝食。少し仕事をしてから自転車で市役所へ・・・。控え室でスーツに着替える。農業委員会は10時からだった。11時からは「刷新の会」の打ち合わせ。農業委員会が終わってから行くことになっていたのだが、委員会が11時前に終わったので間に合った。
会派の会議は「一般質問」のこと。この12月議会は5人全員が質問することになった。その通告の締め切りが今日の17時だったのだ。会議が終わると二中時代の教え子が遊びに来てくれたので、一緒に食事をした。自転車で近くのお蕎麦屋さんに行き、色々な話をした。二中時代のこと、所沢高校のこと、今の新座の学校のこと、会派のことや議会のこと、就職のことそして塾のことなどを話した。
結局17時ギリギリまで僕らは色々話しながら「通告書」を書いていた。5人全員の通告書が揃ってから提出したので、僕達の会派は最後の方。僕は24番目ということだった。

17時過ぎ、今度はスポーツウエアーに着替えて自転車で塾へ。小学校6年生から36歳の卒業生までたくさん揃った一日だった。中学生達は試験前なので早く来て、遅くまで勉強していった。「たかやん、やっと問題集の答えくれたよ。」とR中の子ども達。子ども達がお金を出して買った問題集の答えを教師が抜き取り、試験前にだけコピーを配る。教師だけが正しい答えを知っていると確かに偉そうには見える。多分この教師は子ども達に勉強のやり方を教えたくはないのだろう。自信がないから生徒達よりも一段上にいたいのかも知れない。宿題を出すときに問題集の答えを写して提出した昔の自分を思い出しているのかも知れない。だけど、答えのない問題集の価値はほとんどない。親は教師の自己満足のためにお金を払って問題集を買っているのではない。こどもが達が自分で勉強する為に買っているのだ。こういう教師がいるから新座のレベルはどんどん落ちていくのだ。昔からこういう教師はいたことはいたが、少なかったんだがなあ・・・。教師だって間違える。それでいいではないか。間違えたら勉強すればいいのだ。勉強しない教師に魅力はない。


11月26日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第254弾! 

「たかやん議員日記」2004.第254弾!   11月26日(金)

おやつえらびの達人になろう
今日は二中と東野小の研究授業にお邪魔した。テーマは「豊な心と健康な体をもち、自ら進んで活動する子どもをめざして」。昔から思っていたのだが、どうして研究テーマという奴はこう長ったらしくて硬いいのだろう。テーマは「食」それでいいのに・・・・

東野小4年生の「おやつえらびの達人になろう」は本当に面白かった。子ども達が自由に発言していたし、「砂糖」に注目した分かりやすい授業だった。何よりも先生達の目が生き生きしていたし、子ども達の目も輝いていた。多分あの授業を受けた子ども達は一生「砂糖」には注意をしていくだろう。

実は二中の二年生と一年生の授業を最初に見たのだが・・・・シナリオ通りの授業という感じで、つまらなくて東野小へ移動してしまった。内容はともかくとして、原稿を読み上げて発表しているだけだったのだ。声も小さいし授業が「生きて」いなかった。いわゆる「授業態度」はよかったのかも知れないが、授業が生きているようには感じなかった。それは東野小の6年生も同じだった。同じ発表でも低学年の子の方が一生懸命自分の発表を暗誦し、大きな声で発言しているのに、6年生は小さな声で紙に書いてあることを読み上げているだけという感じだったから・・・。

今学校で大問題になっている「総合」の時間だということを考えると、よくまとまっているのかも知れない。だけど中学生にはもっともっと力があると僕は思っている。大人が考える以上に彼らには潜在的な力がある。そういう意味で残念だったと思うのだ。立派な冊子が出来上がり大変な苦労があったに違いない。「研究発表」という奴は昔からそういうものなのだ。何ヶ月も時には何年も、時間をかけて苦労をして作り上げていくのだから・・・・。心からご苦労様でしたと言いたい。だけど「研究発表」にかける熱を、その熱を子ども達そのものにぶつけていけば、学校はもっともっと良くなっていくと僕は信じている。


11月27日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第255弾! 

「たかやん議員日記」2004.第255弾!  11月27日(土)

挨拶
昔六中に赴任したての頃、2,3年生の子達は僕を見ると(フン)と顔を背ける子達が多かった。僕は1年2組の担任で自由に子ども達を育てていたから・・・・。例えば学校指定の靴を「足が痛くならない靴をはいておいで!」と言ったり、暑い日には「暑いならベストなんて脱いでもいいんだよ。」と言ったり・・・1年生はポニーテールはいけないという暗黙のルールがあったらしいのだが、「僕は好きだなあ・・・」と言ってみたり・・・。上級生達からみると、納得できないことが多かったのだろう。何よりも僕はテニス部でいわゆる上下の関係を認めていなかった。上級生は一番早く来てコート整備。そして一番遅くまで練習する。という方針だったのだ。上級生になると偉くなって、下級生を顎で使い、挨拶を強要するという「伝統」に喧嘩を売ったわけだ。
上級生が僕に反発するのは当たり前だった。だから朝僕に挨拶してくれる上級生はほとんどいなかったのだ。だけれども僕は「笑顔付きで」挨拶し続けた。『おっはよー!』と子ども達にいい続けたのだ。子ども達はそれに負けた。遅い子でも3週間いい続けると「おはよう。」「おはようございます。」と向こうから言ってくるようになった。子どもは大人には勝てないのだ。だから今子ども達の挨拶がよくないのは大人の責任なのである。大人がいい見本を見せれば子ども達はそれに逆らうことができない。大人が笑顔で「おはよう!」と繰り返しているうちに、子ども達は挨拶の魅力に負けてしまうのだ。

朝の公園でのサッカーは楽しい。それを見ている近所の人たちも「笑顔」で僕達を見つめてくれている。もっともっと子ども達に「元気のいい、笑顔つきの挨拶」をして欲しい。それには僕自身がもっともっと「元気のいい、笑顔つきの挨拶」を子ども達にすることが大事なのだ。子ども達の情けない挨拶をみていて、ふと昔のことを思い出したたかやんであった。


11月28日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第256弾!

「たかやん議員日記」2004.第256弾!  11月28日(日)

テニスとガキ大将と担任
昨日は塾の子達、卒業生、そして近所の小学生達が一緒になってテニスをした。初めてラケット握る子、久しぶりに握る子、毎日握っているコーチ・・・・色んなレベルの子達が一緒になってできるからテニスは楽しい。テニスコート1面で20人近くの子ども達を楽しく練習させる。なかなか難しいことかも知れない。だけれどもそれは僕の得意分野である。レベルの同じ子達なら割と簡単なのだが、レベルが違って大人数というのは結構辛いものだ。全員を満足させるには実はかなり脳みそを使う。そして全員の表情を読み取る「目」と「神経」が必要なのだ。しかも時間が限られているとなると大変だ。自分がテニスそのもので楽しんでいる余裕はない。自分はみんながテニスを楽しんでいるということを楽しむしかないのだ。
僕がその「能力」を自然に身につけることができたとしたら、多分それは大昔に「ガキ大将」だったからだと思う。「ガキ大将」は小さい子達から自分たちまでを楽しく遊ばせることができないと「失格」である。いつも臨機応変でなくては勤まらない。「来るものは拒まず、去るものは追わない。」精神も必要だ。そして毎日毎日新しいことに挑戦する勇気と知恵も求められるのだ。特に一番小さい子達や女の子達をどうやって楽しませるかが腕の見せ所だ。弱い子達に適当なハンディーをつけるのも「ガキ大将」の仕事である。要するにみんなが楽しむことが大事なのだ。これはクラス担任にも絶対必要な「能力」だと思う。そういう意味でも小さい頃「遊び」を体験することは大事なのだ。勉強だけでは「担任」にはなれない。「担任」の大きな仕事はクラスの子ども達を「楽しい」という気持ちにすることだ。学校が楽しくて、楽しくてしょうがないという気持ちにすることが大きな仕事なのである。

サッカー
そして今日もサッカーをやった。下は中学生、上は36歳の教え子まで参加しての90分間の激闘だった。体中が筋肉痛になるくらい走ったたかやんであった。

そして勉強
月曜日から中学生達がテストということで昼からずっとテスト勉強に燃えた。高校生達も頑張っていた。中学生達は高校生にも質問をする。高校生達は昔、自分達がそうしてもらったように優しく中学生達に教える。「ガキ大将社会」は勉強でも通用するのだ。勉強も楽しいことが大事。人生も同じである。


11月29日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第257弾!

「たかやん議員日記」2004.第257弾!  11月29日(月)

教育委員会
明日の13時に教育委員会の先生達と会うことになった。僕の「一般質問」に対する質問に来るのだ。12月議会の「一般質問」は
* 中学校の生徒指導
* 国際化教育特区の英会話
* 情報公開
* 不登校対策
の4つだ。今まで3回同じことをしてきたが、どうも教育委員会は資料や情報を隠す傾向がある。普段の小中学校の授業もなかなか見せてくれない。それだけ自信がないのだろうが、新座の教育を本気でよくしていこうと思っているなら、どんどん公開していくべきだと思う。今の新座の教育レベルが低いとしても、それは教育委員会だけの責任ではない。教師にも責任はあるだろうし、親にだってあるだろう。そういう事は隠しても分かってしまうものなのだ。そう言えば学力テストの結果を知りたいと言って、もう数ヶ月が経つが一向に資料がでてこない。事務処理能力が低いのか、故意に隠そうとしているのか・・・・僕には分からないが、何れ議会で追求することになるだろうから隠してもしょうがないのだ。僕のテーマは「教育」だ。一回の質問ならなんとか逃げられても、僕はしつこく何度でも同じテーマで聞くから、最後に困るのは答弁する側だろう。今回僕は敢えて資料請求をしなかった。それがどういう意味だか教育委員会には考えて欲しい。


11月30日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第258弾!  

「たかやん議員日記」2004.第258弾!   11月30日(火)

教育委員会2
13時から14時まで教育委員会の先生3人に「一般質問」の通告についての質問をされた。要するに、質問の意図は何か。どういうことを言いたいのかを1時間聞かれたのだ。僕も彼らに聞きたいことはたくさんあったのだが、どうも立場上言えないということらしかった。僕は彼らの本音が知りたい。新座の教育を、新座の子ども達をどうしたいと思っているのか、本音を聞きたいのだ。

東京にいる僕の友人からこんなメールが来た。

 本当にご無沙汰いたしております。毎日、塾日記を読まさせて頂いている関係で、
何だかすぐそばにいるような感じです。
また、ホームページより議員日記も見させて頂いております。何が書いているのか、
毎回すごく楽しみにしています。議員さんの毎日はどのように過ごしているのか、疑
問点が徐々に解かっていきます。
 ご存知かと思いますが、我が母校、そして娘たちの行っている足立区立五反野小学
校は公立の小学校では初の民間出身の校長がこの春より赴任しています。学校の運営
も地域の人たちの意見も取り入れた学校運営理事会というもので運営されていて、校
長や教師を独自に選べる制度をとっています。そのせいか、ここ何年の間では一番の
落ち着きを学校自体は保っていますし、教師もやる気のある人たちばかりです。
 校長の印象を娘たちに聞くと「遠足や学校行事に必ず、デジカメを首からぶら下げ
ている校長、毎朝校門のところで挨拶をしくれる校長」という答えです。先日の音楽
会の時には最後の六年生の歌のあとに、感激して号泣していました。
 4,5年前はひどいものでした。授業参観日にもかかわらず、授業中に平気でふらふ
らと席を立つ生徒や、私語を辞めない生徒たち。それを制御できない教師。それが今
ではこんなに静かになって・・・。
 何人かのやる気のある教師で学校はこんなにも変われるものなんです。
また近況報告いたします。新座市の文教委員会の少しでも参考になればと思い、メー
ルをさせて頂きました。

学校というものはこういうものなのだ。校長が変われば、教師が変わり、教師が変われば生徒も変わる。大事なのは校長に「共感能力」があるということだ。子ども達の歌に感激して号泣できる校長が素敵だ。今、新座にそういう校長はどれくらいいるだろう。朝、校門に立って子ども達に挨拶ができる校長はたくさんいるとは思うが・・・・

明日からいよいよ12月議会が始まる。3月議会に始まり、この12月議会で一応1年間のローテーションを経験する訳だ。
12月議会の日程は
12月1日(水) 本会議 2.3.4.5休会
12月6日(月) 本会議
12月7日(火) 委員会
12月8日(水) 本会議 一般質問 並木平八 嶋野加代 中田勇 森田輝男 川上政則
12月9日(木) 本会議 一般質問 亀田博子 滝本恭雪 細田健 北村由江 尾崎吉明
12月10日(金)本会議 一般質問 白井忠雄 星川一恵 小鹿伸衛 工藤薫 保坂フミ子
12月11日(土)12日(日)休会
12月13日(月)本会議 一般質問 朝賀英義 石島陽子 笠原進 平野茂 田中幸弘
12月14日(火)本会議 一般質問 平松大佑 加藤文保 羽根善保 邑朋矢
12月15日(水)休会
12月16日(木)本会議
ということになっている。一般質問の質問予定議員は日程が変更になることがあるらしいが、それほどずれることはないだろう。

みなさん、自分の目と耳で「新座市議会」を傍聴してください。議会事務局に申請さえすればどなたでも入れます。「刷新の会」の控え室にも自由に入れますので、どうぞ遊びにきてください。楽しみにお待ちしています。    たかやん


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