Diary 2005. 10
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10月11日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第280弾! 

「たかやん議員日記」2005.第280弾!  10月11日(火)

テレビはいかん・・・
気が緩んだのか、気候の変化についていけなかったのかは分らないが、頭痛と吐き気でしばらく起きることができなかった。そして気付いたことは・・・テレビは見ていると、弱った体に更にダメージを与えるということ。本も読める状態じゃあなかったから、しょうがなくてテレビを見ていたんだけど、どんどん調子が悪くなっていく。そこで途中からラジオに換えてみたら、そうしたらなかなか言い訳で・・・。月曜の夕方の基礎英語1からスタートして、韓国語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語と色々聴いてしまった。勿論今朝の基礎英語もバッチリ!頭痛も大分とれたかな。ウォークマンスティックもなかなか活躍した。具合の悪い時は目を使わない方がいいのだ。そして健康な時でもテレビは僕らのエネルギーを奪ってしまうものなのかも知れないと思う。

寝てばかりいると・・・
体の機能がどんどん低下していくのが分る。食欲もなくなるし、何かをしたいという意欲も落ちていく。背中や腰が痛くなって・・・・“健康”のありがたさを感じるのだ。こうして僕らは、時々病気になることで“健康”のありがたさを忘れないように、誰かに教えられているのかも知れない。そう考えると、病気にも感謝する必要がありそうだ。

早寝早起き朝ごはん
あの有名な「陰山先生」が色んな本で書いているが、そのずっと前から僕も朝ごはんの重要性を学級通信“一生懸命”で訴えていた。そしてその朝ごはんも“和食”に限ると言ってきた。朝、ごはんと味噌汁を食べてくる子の方がパンと牛乳の子よりも集中力が高いということを経験上知っていたからだ。朝食抜きなどは論外で、これはもう母親(父親)の犯罪に近いとさえ当時は思っていた。兎に角、子ども達に朝ごはんは重要だ。嘘だと思ったら、3ケ月、毎朝ご飯と味噌汁を食べさせてみれば分る。親子で早寝早起朝ごはん。

午前二時
塾から、そのまま横浜に向った。奥さんは、「もう今日明日でしょう。」と言われたらしい。和彦はそんな状態でも「ありがとな、たかむら」「わるいな、いつも」「おくさんとそらくんに、よろしくな」と気をつかう。『お前、恐くないのか?』と聞くと「うーん。死ぬってことがどういうことなんかわからんからなあ・・・ただ」『ただ?』「何かを忘れているんじゃあないか、どこかで小さな不義理をしているんじゃあないかと、それが気になってな・・・」『お前が先頭で行ってくれるから、俺達は楽だよ。お前が待っていてくれるから・・・』「何でも聞いてくれ!」おかしな会話をしながら、僕らはまた手を握って「じゃあまたな!」『うん、じゃあまた明日な?』「おいおい、仕事が大変だろう。」『夜は道路が空いている事を発見したんだよ。だからまた明日来るよ。』そういって、僕は今新座に帰って来た。医者はこの状態で持っているのが奇跡だと言ったらしい。明日も一日奇跡が続いて欲しい。



10月12日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第281弾! 

「たかやん議員日記」2005.第281弾!  10月12日(水)

ポパイ号
僕とすぐ上の兄貴の二人がお小遣いを2年間貯めて勝った中古の自転車の名前が「ポパイ号」僕らはその22インチ?の自転車が嬉しくて、毎日毎日掃除をしてぴかぴかに磨いていた。ところがそのポパイ号が誰かに盗られてしまったのだ。ちゃんと鍵をかけておいたのに、たった2週間で僕らはポパイ号とさよならをした。僕は泣いた。声を上げて泣いた。悔しくて、悔しくて泣いた。兄弟二人が2年間、お小遣いを何も使わないで我慢して貯めておいたお金で買ったのだ。それでも半分は親が出してくれたのだけど・・・・・。我が家はそれくらい貧乏だった。

今の僕の自転車には申し訳ないが、名前が付いていない。それでもこの間の雨でずぶ濡れになった自転車が可哀そうで、僕は久しぶりに自転車掃除をしてみた。ただぼろきれで拭いただけなのだが、自転車はピカピカになった。ピカピカになると大事にしようという心が生まれる。大事にすると自転車も長持ちする。僕はオリーブ号(今決めた)を掃除しながら、大昔のポパイ号を磨いていた幸せな自分を思い出していた。

神様のくれた時間
今日は塾からオリーブ号で一度家に帰って来てから、車(チェジュウ号)で横浜へ向った。環八が道路工事でかなり渋滞していたが、それでも0時前には何とか病院に着くことができた。ホスピス病棟は24時間開いているのだ。
和彦は今日も気力だけで頑張っていた。テレビでは日本対ウクライナ戦の生中継をやっていて・・僕らは全てを忘れて(?)二人で日本を応援したのだった。生きた和彦に会えないかも知れないと思っていたのに、サッカー観戦をしたのだから、たまらない。おまけに大学時代の名簿を持ち出して、「下村元気かなあ?」「福島は?札幌じゃん。電話しようっと。」「吹野はどうしてるかなあ」「柳川札幌にいるのか・・・」「中谷は助教授だよな。」「藤峰はペンションで頑張ってるよ。」「若生か・・・懐かしい。」「いたいた、思い出したよ。こんな奴いたよ!」「三浦がいて、和田もいたよね。」「いたいた、そんでもって、路加子さんがいたんやで。」僕らは一気に大学時代の函館、七重浜に飛んでいた。「丸山アパートの近くにさ、鰯の安い店があったの覚えてる?」「そんなん、あったっけ?」「野菜も売っててさ・・・」「大体邑は料理したっけか?」「してたよ。3日連続で朝昼晩と味噌オジヤという時もあったけどな。」「あの頃は本当にみんな金がなかったからなあ・・・」「親に勘当されて、仕送りが無くなったしな」「お前、いつ結婚したんだっけか?」「大学4年の・・・」「そうやった!」
「邑さあ、あの頃お前のアパートでよく麻雀したじゃない?ソン時の話だけどさあ・・・」
「俺が勝って、住田が負けていたのは覚えているんだけど、お前はどうだったんだ?」僕らは本当にとりとめの無い話をして、そして笑った。
そして僕らはいつものように「じゃあ、またな!」「うん、また明日な!」と握手をして別れた。
家に着いたのが3時。もう新聞屋さんが活動を始めていた。今日?は朝から色々大変だったけど、最後の最後に神様がとっても素敵なプレゼントをしてくれた。僕と和彦はプレゼントしてくれたその時間を充分に楽しんだのだった。




10月13日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第282弾! 

「たかやん議員日記」2005.第282弾!  10月13日(木)

神様がくれた時間2
チェジュウ号は今日も快調に第三京浜を走った。和彦の病院に着いたのが11時半。昨夜よりも30分早かったのは、工事による渋滞が少なかったからだ。神様は今夜も僕らに時間を下さった。僕らが一番大事にしているのは「時間」である。それ以外の何ものでもない。何億円積まれても、僕らにとってこの時間程価値はないのだ。僕らはその時間を使って、中学時代を語り、そして教育問題を語った。二人とも“教育”を語らせると熱くなるタイプで、「このまま話していたら3年ほどかかるかも知れんな。」と和彦も言っていた。

「中学の時はさ、正義感の強い仲間がいてさ・・・例えばみんな暴れるから階段をぶち破ったり、廊下の壁をぶち破ったりしとったわけよ。全部木造やからな。俺の学校は封建的というか、何というか、先生もバンバン殴るわけさ。“ここの壁壊した奴は出て来い!”となるわけさ。そういう時、誰かが捕まると“そんなことなら、俺もやりました!”と出て行く奴らがいてさ、俺もそいつらに感化されて、よく出て行って、殴られたよ。」と和彦。「そいつらのお陰で、俺はへんてこな皮のようなものがツルって剥けてさ・・・・」どうやら中学時代からずっといい友達に恵まれていたらしい。学校って奴は友だちと先生がよければ後は何でもいい。そういう意味で、僕らは中学、高校、大学といい学校に恵まれていたと思う。
「今の学校は管理、管理でさ・・・」「らしいね・・」「共通理解、共通行動とかいうわけよ・・」「アホくさ・・・ちょっと考えられる奴なら分りそうなものやけどな。」「考えられないのよ。それが」「なんでや。」「考えられる人間が上におらん」「日本全国でそんな教育されたらたまらんな。」「たまらんよ。」

「お前みたいに海外で最先端を行く仕事をしていた人間に来てもらって、子ども達に話をして欲しかったよ。教員っていうのは、偉そうにしてても学校っていう社会しか知らんことが多いからな。視野が狭い大人に習う子どもは不幸さ。」「話は山ほどあるで!」「だろ?」

僕はさっきチェジュウ号で家に帰って来た。もうすぐ3時半になる。今日も色々あったが、神様のお陰で楽しい時間を過ごすことができた。きっと全国の北大の中間達も喜んでくれているだろう。僕はこの間から髭をそれないでいる。髭をそらなかったら和彦が予想以上に元気だったから・・・・。
「このまま治ってしまうなんていう作戦はどうだ?」と僕。「そういう考えは俺も考えないわけじゃあないけど、甘い考えはやめておいたほうがいい。」と和彦。そう治るなんてことを期待してはいけないのだ。ただ神様がくれた時間を大事に大事にしていこうと思う。


10月14日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第283弾!

「たかやん議員日記」2005.第283弾!  10月14日(金)

議運
今日は羽根善保議員の代理で議運に参加した。2時半からの会議は「新座市議会だより」の内容についての打ち合わせ。3時過ぎには終わりそうな雰囲気だったのだが・・・・その後の最大会派N議員の議会便りを巡って、会議は荒れに荒れた。議運には最大会派の議員が議長、議運の委員長を含め3人も参加しているのに・・・N議員との調整ができていなかったらしい。幹事長のK議員も参加しての議運に対する“謝罪”の会見のはずだったらしいが、謝罪文とN議員の言っていることが、余りにもかけ離れていたために、あちこちから「ため息」が漏れてきた。僕は人のことをとやかく言える立場ではないし、代理だから、そのことについては一言も発言はしなかったが、最大会派もなかなか大変なんだなあと思った。

悲しいメールそして
「昨夜はありがとうございます。夫の血管は元々細く、漏れやすいのが癌で脆くなっていました。今日医師が4度失敗。もう無理と主治医が判断しました。点滴を外し、モルヒネは皮下に入れることになりました。輸血も内臓負担が大きく、もうザル同然で逆効果。輸血もできないことはまだ本人には知らせてません。点滴を外すことはかなりのショックで『もう死に向ってまっしぐらだ〜』と言っています。」

和彦の奥さんからこんなメールがきた。昨夜はあんなに元気にしていたのに、やっぱりそんなに甘くはなかったのだ。輸血の針は点滴の針よりもさらに太いから、もう輸血で復活するといういつものパターンができなくなったのだ。和彦の不安を思うといてもたってもいられなくなった。そこでまた横浜へ飛んでいこうとしたのだが・・・・

「夫の気持ちはお陰さまで落ち着きました。夫からの伝言です。『無理せず来なくていい』と。邑さんの体を夫はとても案じています。今夜はどうぞお休みくださいませ。」
家を出ようとしていたときに、またメールがきた。明日の朝が早いということを知っている和彦が僕の体のことを心配してくれているのだ。自分がボロボロの状態なのに、友だちのことを心配するなんて・・・・やっぱり和彦の精神力は凄い。
明日の朝は早い。今夜は久しぶりに早く寝ることにしよう。といってももう12時を回ってしまったが・・・・。


10月15日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第284弾! 

「たかやん議員日記」2005.第284弾!  10月15日(土)

体が動かない・・・・
自分の体が疲れていることは感じていたのだが、こんなに体が動かなかったのは初めてのことだ。寝不足と運動不足が続いていたのだろう・・・・これが自分の体なのか?と思うくらい、体が重く感じた。それでも久しぶりの教え子達との運動は、僕の気持ちを軽くしてくれた。汗をかき、体も心も少しだけ軽くなったのだった。

試験前
高校生の入試、定期テストが近い。午後からは高校生達と一緒に勉強した。高校3年生といえば、自分の将来を本気で考え始める頃。みんな色々悩んでいるようだが、どんな道に進んでも、一生懸命生きて欲しいと思う。

シャボン玉
久しぶりに空と一緒にお風呂に入った。このところ、帰ってくると寝ているというパターンが多かったのだ。前からお風呂の中ではシャボン玉で遊ぶことになっているのだが、二人でシャボン玉を飛ばしていたら、湯船の中が泡だらけになってしまった。空はいつの間にか自分で「シャボン玉液」を作れるようになっていた。子どもはできなかったことが、どんどんできるようになっていく・・・・。僕も少し何かできないことが、できるようになりたいなあと思った。

嬉しい伝言
「しんどい山を越えました。お陰さまで気力が戻ってきました。点滴を外した分、頑張って食べています。水分はダカラと水でとっています。応接椅子に腰掛けてシビンでおしっこし、休んでから食事することにしました。体への負担が減って楽になったそうです。今までベッドでの食事は嫌だったそうです。で、今は人間らしく食事することになり、ご機嫌。元気ですから、邑も忙しいから、僕のことは気にしないで仕事に専念してくれ・・・と伝言です。」
和彦の奥さんからメールがきた。あの状態で点滴をはずされ、輸血ができないと知ったら、もう観念するしかないのに・・・人間らしくなったとか、元気だとか・・・横浜に飛んで行こうと思っていたのだが、今夜も行かないことにした。和彦の精神力には本当に驚くばかりだ。明日の夜は横浜へ行こう。そしてまた語ることができたら幸せである。




10月16日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第285弾!

「たかやん議員日記」2005.第285弾!  10月16日(日)

母の誕生日
今日は母さんの81回目の誕生日である。普通は誕生日に息子の方からプレゼントを贈るものだが、今日は母さんからお米が届いた。「ありがとう!」と「おめでとう!」の電話をすると声が弾んでいるのが分った。空も「ばあちゃん!」と一言。その一言がまた嬉しかったらしく、いつもより声が元気だった。

ワイシャツ
朝霞に住む兄貴から「ワイシャツをあげるからおいで。」という電話があった。丁度ワイシャツを買おうと思っていたところだったので喜んでいったら、スーツにネクタイまでついていた。「このスーツは10万はするよ。」『マジ?』「このネクタイはグッチだから1万以上したかな・・」『ほんまかいな?』スーツは2着、ワイシャツは30枚。ネクタイも10本以上もらったから、宝くじが当たったような気分になった。小さい頃は随分いじめられたが・・・実はいい兄貴なのである。『NK損保のコマーシャルは本当にひどいね?』と兄貴の会社のコマーシャルのことを味噌糞にいったら、「本当にセンスがないんだ」とぼやいていた。合併する前の「まさかの時のK火災」のコマーシャルが僕は好きだった。

プリンと帽子
今夜の環八は大渋滞だった。流石のチェジュウ号も渋滞には勝てない。横浜に着いたのは11時を過ぎていた。病室では和彦がNHKの「シルクロード」を見ていた。長女のゆみ子ちゃんは卒論の勉強。外語大を蹴って、上智の英米文学へ行ったというから凄い。
和彦は3日前に会った時よりも少し小さくなった感じがした。痛みも少しあるらしく、モルヒネの量が増えたらしい。それでも気力だけは充実していて、僕らはシルクロードを見ながら、歴史を語り、環境問題を語ったのだった。
「邑、頼みがあるんだ。」『何?』「冷蔵庫のプリン食べていってくれないか?」『いいよ。』
「邑、そこに帽子があるだろう?」『この汚い帽子か?』「それなあ、数十年前に函館時代に僕が被っていた帽子でさ・・・・もって行ってくれないか?」『ありがとう。』「邑がさ、コートで走れなくなったとき、その帽子を被ったら俺がきんと雲に乗って、助けにきてやるからさ。」「毎日被らんでいいよ。ちょこっとどこかに置いておいてくれるか?」と和彦。『わかった。大事にするよ。』「ありがと」
『じゃあな。』「おう、じゃあな。」僕らはいつものように握手をして別れた。和彦の手の力が少し衰えたのを感じた。


10月17日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第286弾! 

「たかやん議員日記」2005.第286弾!  10月17日(月)

靖国参拝
小泉純一郎が靖国参拝。センスの無い総理大臣だなあ、と思う。日本国民の方はこの間の総選挙でうまく騙せたが、韓国や中国の国民までは騙せないだろう。大体人が嫌がることを平気でする神経が分らない。もうすぐ総理大臣を辞めるのだから、そんなに靖国に拘るなら、やめてからいくらでも参拝すればいいではないか。英霊達の命の重さを本当に感じているなら、危険なイラクに日本国民を派遣することはないだろう。
靖国に入りたくて入った人たちばかりではないのだ。合祀なんかされたくない人たちもたくさんいたのだ。小泉純一郎に参拝されるのが嫌な英霊?だっているはずだ。民間が一生懸命「友好」を作り上げている時に、センスの無い政治家がそれを潰していく。アジアの平和も心配だが、経済への影響も心配である。小泉純一郎の人相がまた一段と悪くなったと感じるのは僕だけだろうか・・・。上からばかり物を見ているとああいう人相になっていくのだ。

母の誕生日
大正13年生まれの母さんは昨日で81歳になった。小さい頃は、81歳の母さんなどイメージできなかった。僕が小学生の頃バレーボールを始め、ママさんバレーの最年長メンバーということで新聞にも載った母さん。50歳を過ぎてからスキーを始めた母さん。小学生の頃は万能で学年で一番だった母さん。頭がいいのに、家が貧乏だったから女学校へは行けなかった母さん。しょうがないから都立の商業の夜間を受け合格したが、その合格通知をお祖母ちゃんが破ってしまい、勉強することができなかった母さん。お祖母ちゃんは死んだお祖父ちゃんの代わりに一家を支えていたおじちゃんに気兼ねして、泣きながらその合格通知を破ったそうだ。「それでも母さんを恨んだことは一度もなかったわ。」と言っていた母さん。お寺の娘だったお祖母ちゃんの影響で、仏教の教えを小さい僕に言い続けた母さん。その影響で僕は「虫を殺せない子ども」「弱いものいじめが大嫌いな人間」なった。
口癖は「勉強できることは幸せなこと」「学校へ行けるのは幸せなこと。」そのお陰で、僕は(学校へ行けることは幸せだ)と感じられる子どもになった。
テレビの討論番組で時の自民党幹事長「田中角栄」と出演した母さん。田中角栄と主婦代表3人という形だったと思う。55歳の時に父さんを亡くし、それから本を2冊も書いた母さん。脳梗塞で倒れても、サルコイドーシスという難病にかかっても、なるべく子ども達の手を借りないで、一人で生きようといている母さん。
『僕はそんな母さんの子どもに生まれたことを誇りに思っています。誕生日おめでとう!母さん。そしてありがとう。』


10月18日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第287弾! 

「たかやん議員日記」2005.第287弾!  10月18日(火)

靖国2
首相に続いて国会議員の大集団が靖国参拝した。総理大臣がセンス無いとそれに続く国会議員たちもダサいの一言だ。何で集団で行くのだ。弱い奴ほど群れたがるのかも知れないが、何とも格好悪い話だ。「みんなで参拝なら恐くない」ということか。
僕はかなりの頻度で神社へ行くが、あんなへんてこりんな頭の下げ方はしない。小泉純一郎の頭の下げ方はいかにも心がこもってないように見えた。他の国会議員がどうだったかは分らないが・・・

戦死した人たちの魂が靖国にあるのなら、彼らに殺された人たちの魂はどこにあるのだろう。息子を戦争にとられて、最愛の息子を殺された母親の魂はどこにあるのだろう。殺して来いと送り出し、自分は助かった偉い奴らの魂は今どこにあるのだろう。原爆や空襲で殺された人たちの魂は・・・・沖縄で日本軍に殺された人の魂は・・・・今の日本が靖国に眠る英霊達のお陰で平和なんだと思い込んでいる小泉純一郎にはきっと関係のないことなのだろう。政治家だって信じるものがあってもいいさ。でもセンスってものが欲しい。口ではアジアの平和とかいいながら、やることは靖国参拝では・・・アジアの国から信頼をなくすだろう。中国が外相会談を拒否。日本はどんどん嫌われていく・・・。

野村と古田
現役にこだわって、監督兼選手だった野村。そして古田が同じことに挑戦しようとしている。僕は現役時代の野村が好きだったが、きっと古田はもっと好きになるだろう。野村は実に地味な選手だった。監督になって大分お喋りになったが、選手のときは寡黙だった。そういう野村が好きだったのだが・・・古田は全然違うタイプの監督になると思う。毎日ヤクルトを飲んでいるし、来年はヤクルトを応援しようと思う。ソフトバンクは負けてよかった。城島なしで勝ってはいけない。城島がいてこそのソフトバンクなのだ。日本シリーズはロッテに勝ってもらおう。できたら黒木にも投げてもらいたい。



10月19日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第288弾! 

「たかやん議員日記」2005.第288弾!  10月19日(水)

シクラメン
命日は今月の5日。35歳で逝ってしまった二郎のお墓へ家族三人で行った。「すぐそばにいるのに、なかなか行けなくてごめんね。」「これが僕の新しい家族です。」と二郎に家族を紹介してきた。二郎のお墓はとても綺麗で、シクラメンの花が置かれてあった。
五中サッカー部のセンターハーフだった二郎。3年8組対3年9組の体育のサッカーでもいつも大活躍だった。お兄ちゃんの直弘とは全く違うタイプで、やんちゃ坊主だった二郎。サッカーで突っ走ったように人生も突っ走って逝ってしまった。

靖国2の返信
こんなメールがきた。明賀先生のブログは本当に勉強になる。

高邑朋矢さん
こんにちは! 明賀義輝です
靖国問題について6月に自分のブログに書きました。
見て下さい。http://net-ksk.cocolog-nifty.com/keiei/2005/06/index.html

 靖国神社そのものが戦争へ庶民(あえて国民といわない)を戦争に
駆り立てるシステムの重要な機関です。
 靖国詣でをして、中国韓国アジアに反日感情を掻き立て、その反動で
日本の庶民が反中国、韓国感情を高め、改憲やむなし、軍備増強やむなし
堂々とアメリカの国債を買う代わりに、武器を買うというという図式かもしれません。

<追伸>ここからは愚痴です

しかし権力者に2/3の権限を与えてしまう、
日本の庶民は馬鹿以外の何者でもありません。
そんな馬鹿の巻き添えを食うのかと思うと、
腹立たしくなります。
日本は世界で5番目に貧富の差の激しい国、二極分化が完成した国です。
安心して下に増税できる国になっているのです。アジア、アフリカ、アメリカ
の下層の人々の暮らしをテレビで見て、あれよりまだましと思っているのが
日本の庶民なのです。
貧富の差に注目しなければいけないのです。
若い人はやはりドラゴン桜、騙されない力を付ける以外にありません。

* 今日の新聞には韓国の外相も会談を拒否とあった。当然の結果だ。あのセンスのない総理大臣は「内政干渉だ!」と偉そうに言うが、それを言うならアメリカにも同じことを言って欲しい。中国や、韓国には偉そうに接して、アメリカにはペコペコ・・・・本当に時代遅れの政治家だ。明賀先生のブログを読んで少しは勉強して欲しい。

横浜
和彦は新しい病室に移っていた。前よりちょっと狭いけど、なかなか感じのいい部屋だった。「なんか昔の七重浜の俺の部屋みたいだな。」「そうか?」今夜も長女のゆみ子ちゃんが付き添い。和彦は「ゆみ姉、冷蔵庫から水とって」「ゆみ姉、ダカラ頼む。」と“ゆみ姉”を連発する。頼りにしているのだ。今日も環八は大渋滞していたが、親子三人でチェジュウ号に乗っていたので、それ程辛くはなかった。「ありがとう!」と握手する和彦の手の力が日に日に弱くなっていくのを感じる。それでも精神はしっかりしている。凄い男だ。


10月20日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第289弾!

「たかやん議員日記」2005.第289弾!  10月20日(木)

先生
ある小学校の6年生の話である。落ち着きの無いM君を担任のS先生は毛嫌いしている。毎日M君を言葉で傷つけていることにも先生は気付かない。担任の先生は自分が学校で一番優れた教師だと思っているから、自分の感性だけが正しいと思い込んでいる。ある時はM君の母親を呼びつけ、「この子はADHDです。」「病院で検査をしてください。」と要求する。最近になって「M君は中学校の普通学級には無理です。特殊学級へ行かせて下さい。」と言い出した。「普通学級へ行ったら、ついていけなくてM君のためになりません。」というのだ。
実はS先生はM君の実力を知らない。小学校6年間の漢字を全部読めることも、分数の足し算引き算ができることも知らない。M君を見ていないから気付かない。今、小学校6年生でそういう子どもがどれくらいいるだろう。通分ができない中学生など、ざらにいるのだ。そのくせ「僕はM君とずっと一緒にいるんです。M君のことはお母さんよりも分かります。」と平気でいう。人間っていうのは一緒にいる時間で理解するものじゃあない。そんな簡単なことすらこのS先生は知らないのだ。
大体僕がS先生なら、M君が中学校へ行っても困らないように、毎日放課後一緒に勉強するだろう。先生っていうのはそういうものなのだ。このS先生は自分が何もしないで「普通学級は無理です。」と決め付けるのだからどうしようもない。こういう人が先生をやっていることにも驚くが、こういう先生を野放しにしている管理職の能力の低さにも驚く。
M君はS先生が嫌いだから、先生の言うことを聞かないのだ。先生が自分のことを嫌いだと全身で感じているのだ。M君にとってはそれが精一杯の抵抗なのだ。
中学校の担任でさえ、子ども達にとっては大問題である。それが小学校ともなるとこれはもう死活問題といってもいいくらい、子ども達の人生に影響があるのである。先生の一言で子ども達は「やる気」を出し、先生の一言で子ども達の心は「死んでしまう」のである。
S先生には先生としてよりも、人として大切なものが欠けている。
どんな子にだって、きらっと光る何かがあるのだ。それを見つけようとするかしないかが先生の分かれ道なのだ。S先生はその分かれ道を間違って選んでしまったらしい。先生はそれでいいかも知れないが、子ども達は毎日少しずつ先生に自分の心を殺されていく。先生という職業は恐い職業なのである。

子どもサイドから物事を見ない教育委員会には、こういう話は伝わらない。子ども達の実態は先生の話をいくら聞いても分らないものなのだ。校長の話を聞いて、その学校の実態を知ろうなどというのは論外なのである。


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