Diary 2005. 10
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10月31日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第300弾! 

「たかやん議員日記」2005.第300弾!  10月31日(月)

子ども運動会
なんという名前だかは分らないが、市民体育館で幼児の運動会があったので、教え子の親子と一緒に僕らも親子三人で参加した。「ハイハイ競争」「玉入れ」「かけっこ」「仮装競争」などなどいろいろあって面白かった。仮装競争のくじの発表の時に、子ども達の名前を読めないことが多かったので、「ふり仮名振っておけばいいのにねえ。」と僕らは話していた。空は一生懸命走ったし、教え子や昔の同僚に会えて、ちょっと幸せを感じてしまったひと時だった。来年もできたら参加したいなあと思った。そんな中で疑問に感じたことが一つ。総合体育館にスリッパが置いてないのは何故だろう。「すいません。スリッパ貸してください。」とお願いしたら、勿論貸してくれたのだが・・・・最初から置いておけばいいのに・・・市民の税金で買ったスリッパなんじゃあないのかなあ・・・。今度の文教委員会で聞いてみるか。

ハロウィーン
38度の熱は下がらず、夜中に議会便りの原稿の校正をおこなった。今日も一日頭がボーっとしていたので、「今日はハロウィーンだよね?」と言われても・・・「そうだっけか・・」という反応しか出来なかった。お昼すぎ、議会便りの校正原稿を空と一緒に議会事務局に届けた。「お、来たなあ。」「空君!」いろんな人が声をかけてくれる。嬉しそうな空を見て、学校の子ども達もそういう風に声をかけて欲しいんだろうなあと思った。そう「おはよう運動」のような形式的挨拶は本物の挨拶ではない。子ども達の喜ぶ挨拶はああいう挨拶ではないのだ。子ども達の気持ちが分らない大人が自己満足でやっているのが「朝のおはよう運動」なのだ。

理科準備室
五中の理科の先生に面白い人がいて、「ここは自分の大切な空間なんです。」と理科準備室をちょっと家庭的な雰囲気にしてしまった人がいた。「リラックスできるでしょ?」「職員室はねえ・・・・」と自分の巣を作ってしまったのだ。その人は本当に面白い人で、今はどこか他の市で偉くなっているはずだが・・・・
僕は感心して、少しだけ家庭的な雰囲気の部屋をその隣りに作った。そこは「理準」と呼ばれ、現役の中学生達は勿論、卒業した子達もその部屋に戻ってくるようになった。
五中でも六中でも「理準」は大好評。他の教科の先生達もよく相談に来たりして、丁度保健室のような存在だったのかも知れない。その理準だが、最後の学校では毎朝の職員会議で攻撃された。「準備室に私物を持ってきている人がいます。」「準備室を私物化している人がいます。」と毎朝言われるのだからたまらない。そんないじめ方もあるのか・・・・と僕は感心したりもしたのだが、理準を閉鎖してもいじめが止まる訳もなく・・・・今思うとなんだかテレビドラマのようだった。一番こたえたのは「生徒と仲良くするな。」という言葉だった。五中、六中でやってきたことと正反対のことを強要されるのが最後の学校だった。「共通理解」「共通行動」という言葉もその学校で頻繁に使われた言葉だった。子どもを信じようとする教師が、子どもを疑ってかかる教師になれる訳もなく、その学校での僕の存在価値は毎日毎日少しずつ無くなっていった。

という訳で、僕の塾の正式名称は「りじゅん」なのだ。五中や六中そして二中の子ども達がいつでも帰ってこれるように「りじゅん」という名前をつけたのだ。そして今日もまた一人23歳になる教え子が帰って来てくれた。彼女は塾の子達と同じように授業を受け、同じように話をし、同じように計算に取り組んで・・・・。15歳で僕のところを巣立って行った子ども達が何年かして、羽を休めに戻ってくる。教師にとって、こんなに幸せなことはないのだ。僕は38度の熱も忘れ、熱く人生を語ってしまったのだった。




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