Diary 2005. 3
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3月11日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第70弾!

「たかやん議員日記」2005.第70弾! 3月11日(金)

議事録
議会の恐いところは議事録として発言が残るところである。本会議は勿論、委員会での発言も休憩以外は全て録音されるのだ。僕は今日ゴミの分別のことでかなりトンチンカンな質問をした。議事録をあとで読んだら大笑いするだろうなあ・・・・。

畑中三丁目
煙と匂いと騒音にずっと悩まされ続けていた畑中三丁目のマンションの住民。あの会社に対する苦情や相談は「学校」のことの次に多い。そのことを委員会で話すと、担当課は「定期的なパトロールをすること。」を約束してくれた。どんなに朝早くても対応してくれるとも言ってくれた。だからみなさん、どんどん市役所に電話しましょう。交換がいなくても守衛さんが連絡をしてくれるそうです。477−1111でいいそうです。初めて畑中の人たちの為に役に立ちそうです。
これであの匂いとカメムシがいなくなったら嬉しいです。

エキサイト?
今日は午前からかなりの勢いでの発言があった。口火はH議員。新座市の商工会に対して、持論を展開していた。
次はK議員。チャイルドシートのことで質問し、答弁が苦しくなった部長に「休憩お願いします。」と言わせていた。

指定区域外通学
最後のK委員長の質問に教育委員会は困り果てていた。「ある中学校からある中学校へ生徒が数名転校していった。顧問の先生を追いかけていった形のこの通学を、教育委員会は認めた訳ですが、その判断は正しかったと思いますか?」というような質問だった。その話はかなり有名な話で知っている人もかなりたくさんいるし、色々な見方があると思う。生徒が先生を慕って転校したことは過去にもあるし、それはバスケットに限ったことではない。サッカー、剣道、陸上、卓球・・・・数えあげればきりがないくらいだ。ただ公平に扱って欲しいとは思う。この先生だからOK、この先生だから駄目では筋が通らない。それを「不登校になりそうだから・・・」とかいういい訳をして欲しくはないのだ。教育委員会には真実を語って欲しいと思う。苦しくなると「個人情報ですから・・・」と逃げて欲しくもない。このことで本当のことを言わなければ、他の事も同じように言われてしまうだろう。僕は教育委員会に先生や保護者から信頼される委員会になって欲しいのだ。

六中テニス部
この質問の最後の最後に六中テニス部を引き合いにして答えたのが教育長。僕はもうびっくり。だってまさか教育長が「六中テニス部」のことを言い出すとは思っていなかったから・・・・。しかも僕がまったく思い当たらないことだったのだ。六中テニス部のことは、僕の中では言いたくても封印していたことだった。「一般質問」ということも何度か考えた。だけど感情的になるだろうし、個人的なことと思われるかも知れないし・・・・ということでずっと何も言わないでいたのだ。でも僕は六中テニス部の子達が流した涙を忘れてはいない。OB達の怒りの声も忘れてはいない。それなのにいきなり「六中テニス部」の名前を出されて僕は本当に驚いた。あの頃の資料は全て僕やOB達が保管している。新聞記事も議会の議事録も全てある。当事者の僕が質問して、教育長は答弁できるのだろうか・・・・。議事録や新聞記事の凄いところは「残る」ということである。僕は議事録からとんでもない「嘘」をたくさん発見した。その資料も全て僕やOBが保管している。

英会話
革新無所属のHさんや、共産党から悪者扱いされている新座の「英会話」。12月議会までは僕も同じ意見だった。お金をかけないでいくらでも「勉強」できるはずだ。というのが僕の考えだったから・・・・。子どもたちからも、現場小学校の先生達からも、AET達からも、今の新座の「英会話」に対する否定的な意見を僕はたくさん聞いていた。だけど松香先生に直接会ってから、僕の考えは180度変ったような気がする。彼女は松香フォニックス研究所の所長である前に「教育者」だと思う。僕は子ども達にも、小学校の先生達にも、そしてAET達にも彼女の「教育者」としての能力の高さを理解して欲しいと思っている。あの人から学ぶところはたくさんある。みんなもっともっと彼女から「教育」を学ばなくてはいけない。民間は勉強している。努力している。それを公立の先生達は認めなくてはいけない。勉強して努力している人は光って見える。大人でも子どもでもそれは同じである。僕は松香先生の目に、子どもと同じような輝きを見たのだ。だから僕は新座の「英会話」を応援する。AETは勿論、英語科の先生たち、加配の先生たち、英会話講師、小学校の担任の先生たち、そして新座の子ども達を応援する。そして新座の教育委員会も・・・・。英会話に関しては力いっぱい応援しよう。


3月12日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第71弾! 

「たかやん議員日記」2005.第71弾!  3月12日(土)

明賀先生
今日は僕にとって待ちに待った日だった。去年、平松議員に紹介されて行った「経営セミナー」でお世話になった明賀先生が新座に来てくださったのだ。そして新座の子ども達に無料で「ビジネス塾」という講座を一日かけてやってくださったのだ。小学校6年生から大学生、そして社会人まで参加してのイベントは大成功だった。
「何の為に勉強するのか。」「お金とはどういうものか。」「自分の価値に気付くことが大事。」「自分の価値を高めていくことが大事。」・・・・・・

「銀行からお金を借りると利子をはらわなくてはいけない。」「機械のリース代は払わないとね。」「機械を動かすには電気代がかかる。」「社員が辞めたら退職金を払うこと。」「従業員を雇うと賃金を払わなくてはいけない。」「安売りを続けていると倒産する。」「常に研究開発しないと顧客の満足にはつながらない。」「サラ金に手を出してはいけない。」
子ども達はゲームを通して色々なことを肌で学んでいった。

僕が学んだことは「教えてはいけない!」ということ。どうしても教師根性があって、ヒントを与えてしまいそうになるのだ。子ども達は教わったことをするのではなくて、やって覚えていくということ。「習うより、慣れろ!」なのだ。子ども達は失敗を通して、本当に大切なことは何なのかを学んでいった。

驚いたのは、大人が二日かかったことを子ども達は一日でマスターしてしまったということだ。銀行と交渉してお金を借り、そして帳簿をちゃんとつけて、自分の会社の業績アップに全力を尽くしていた。

9時から、夕方の6時半までよくもまあ集中力が続いたと思う。最初の方は何が何だか訳が分からず、少しいじけていた小中学生達も最後は目を輝かせて挑戦していた。高校生以上のチームは最初から集中しそして、大人顔負けの戦略を自分で考え、そして業績を伸ばしていった。

「経営感覚」を身につけることは大事だと思う。その感覚が身についていれば「破産」することはないだろう。お金を借りたら利子をつけて返さなくてはいけない。未来の納税者にその借金を負わせるのはいけないことだ。そういう認識がないから、国は国債を発行し続け借金を未来へ未来へと先送りしているのだ。ビジネスの世界では許されないことを国も地方公共団体もやっているのだ。それを当たり前だと思う感覚が「ビジネス感覚」とは180度違う感覚なのだ。新座市役所の職員全員があの講習を受けたら・・・・新座市は変るかも知れない。日産が生まれ変わったように。


3月13日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第72弾!

「たかやん議員日記」2005.第72弾!  3月13日(日)

日の出
最近の日の出は6時ごろである。起きると同時にカーテンを開け、太陽の光をいっぱいに浴びる。ちょっと前までは7時前だったのに・・・・・。地球の公転を感じる。

サッカー
今日のサッカーで驚いたのは小学校2年生の二人。1年前とは見違えるほど成長した。フェイントを入れ、大人をかわすようになった。子ども達の伸びる力は大人の想像を超えるから面白い。それに比べて20歳前後の子達はかなりへばっていた。7時から8時半まで走り回り、休憩は途中に3分。若い子達の体力が落ちてきている。僕は全然平気なのに・・・・。

テニス
お昼にはテニスをやった。議会中はどうしても運動不足になるから、やれるときにやらないといけない。1時間ほどのテニスだったが、大満足だった。


探していた本を遂に見つけた。こういう日は一日嬉しい。体を鍛えたら、次は頭を鍛えないと・・・・。

委員会
明日の委員会では「文教委員会」に付託された部分の結論を出さないといけない。公民館や体育館の値上げは事実上文教委員会で決定されるのだ。僕はこの値上げに反対である。英語の加配の先生や小学校の英語講師の先生達の給料の5%カットにも反対である。市の財政が苦しいから値上げする。市の財政が苦しいからカットする・・・・。52億の「東久留米志木線」を推し進めなければ、こんなことにはならなかっただろう。土地開発公社がたくさんの土地を先行取得しなければこんなことにはならなかっただろう(利息だけでいったい毎年何億払っているのだろう・・・・)

死ぬわけにはいかない・・・
ためていたビデオを見た。「天国の階段」「ごくせん」を見て泣いた。空がまとわりついてきた。空を見ていて、僕ははまだ死ぬわけにはいかない・・・そう思った。この子を残して死ぬわけにはいかない。この子の為にやらなくてはいけないことがたくさんあるから・・・。





3月14日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第73弾! 

「たかやん議員日記」2005.第73弾!  3月14日(月)

文教委員会
1年前とは比べ物にならないほどの質問をした。区域外就学の状況は各学校かなりの数に登ることが分かった。小学校と中学校の電気代の差は年間およそ150万。生徒数や部活だけでは説明ができないと思う。要するに中学校の電気の付けっぱなしが凄いのだ。
いじめ、指導力不足教員、部活のボランティア指導員については、教育委員会が自分の目ではなく、校長の目を信頼しているということがよく分かった。教師が生徒を信頼するように、教委が校長を信頼する。いいことに思えるが、本当にそうだろうか・・・・。担任からいじめられる子ども達がいるというのに、担任にいじめの実態を報告させてもしょうがないと思う。管理職にいじめられている教師達だっているはずだ。それをいったいどうやって見つけようというのだ。弱いものの声が安全に届くにはどうしたらいいのかを考えて欲しい。僕はそう発言した。
教委が忙しいのはわかる。普段の授業や、まして部活などは見に行けないという主張もわからないではない。でも・・・・どうか子ども達の悲鳴はキャッチして欲しい。苦しんでいる先生達の声もキャッチして欲しい。そして普段の子ども達の様子を見る努力をして欲しい。
世の中には色んな校長がいるのだ。授業を丁寧に見て、アドヴァイスをくれる人もいれば、授業など全く見ようとしないで、外で植木の手入れをしている人もいるのだ。授業見ないで勤務評定をされたら教師はたまらない。そういう校長はいったいどうやって勤務評定をするのだろう。そしてその校長を信頼している教委はそれをそのまま信じる・・・・。ため息が出てくる。教委の学校訪問は年2回。それ以外でなんとか時間を作って欲しい。普段の学校の様子を見て欲しい。僕はそう思っている。

英会話
共産党の笠原先生(どうしても昔の呼び方になってしまう。)は小学生に「英会話教育」は必要ない。世界の共通語は母国語と数学である、という論点で英会話を語った。僕は「英会話」はどちらかと言うと体育や、音楽に近いものだと言った。頭や体の柔らかいうちにやっていく必要があると言ったのだ。
現在新座市で英語科の先生がAETと授業をしているのは新座中の2年生だけ。他の学校でももっと英語科の先生もAETと授業ができるプログラムにして欲しいと要求した。新座の英語科の先生達は優秀な人が多いのだ。その能力をこのプログラムに取り入れないのはもったいないと思うのだ。そしてできたら担任の力もかりたいとお願いした。新座市の英会話のプログラム。先生達がその気にならなければ成功する訳がない。先生達が一緒になって英語を楽しまなければ、子ども達が楽しむ訳がない。僕はそう思う。そういう意味では小学校、中学校共に「担任」の先生の“本気”が必要なのだ。


退席
条例の採決の時に僕は4度退席した。教室の廊下に立たされた小学生のように、みじめな気持ちで僕は考えていた。自分の意見を正々堂々と言えないもどかしさ・・・・何だか自分が自分ではないような気がした。値上げの条例は全て可決された。市民の声を僕は届けられなかったのだ。そして自分自身の声も・・・・。早く終わったけれど、精神的に疲れた一日だった。



3月15日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第74弾! 

「たかやん議員日記」2005.第74弾!  3月15日(水)

一般質問
今日から一般質問。先陣を切ったのは最大会派のS議員とN議員。この二人の時はいつも傍聴者が多くて、議場は少し賑やかになる。羨ましい限りである。午後からは「刷新の会」の幹事長の文さんが登壇した。この市議会の凄いところはその文さんを野次る議員がいるということだ。特に革新無所属のH議員は実にタイミングよく野次るので、思わず文さんが反応しているシーンが多かった。
僕は最後に質問した公明党のK議員の話に興味を持った。実にいい発想だったのだ。特に子ども達の学習環境を何とかしたいという思いと、安全を考えてのアイデアにはちょっと感動した。

眠気
一般質問は基本的には質問する本人と執行部しか発言しないので、神経を使う委員会や本会議とは違い、かなりリラックスできる訳で・・・・眠気に襲われる議員が多い。今日も何人かの議員が船を漕ぎ、起こされるシーンがあった。またテレビに映ったらみっともないということらしい。そりゃあそうだ。あれだけの値上げを委員会で通して、傍聴している前で寝られたんじゃあ市民は頭にくる。それにしてもみなさんお疲れのようだ。昨日の厚生委員会は9時半までやったらしいからわからないでもないが・・・・・。

僕は一般質問の準備の為に英語の本を開いていたら、注意された。話は聴いていたし、何で注意されるのか分からなかったが、新米の議員はこうやって日々成長していくのだと思った。1年たっても新米は新米。まだまだ政治の分からないところが多い。僕は僕で余り分かろうとしないところもあるのだが・・・・・だって普通の市民の感覚を失いたくないから・・・・政治の世界も学校という狭い社会と同じで、普通の社会の常識が通用しないところだということがよく分かってきた今日この頃である。

卒業式
今日は中学校の卒業式。議会中は行きたくても行けないから、議員を辞めない限り中学校の卒業式を見ることはできない。そう言えば娘の五中の卒業式は六中の3年4組の卒業式と重なり、息子の六中の卒業式は二中の3年2組の卒業式と重なり、見ていない。息子の入学式だけは同じ学校だったから見ることができたのだが・・・・・。もうすぐ孫が六中に入学する。(親が選ぶかどうかは分からないが・・・)あの校歌を歌って涙を流して卒業して欲しいと思う。卒業式を土日にやってくれたらいいのに・・・・。

校歌と言えば神さんが指揮をしてのハレルヤや五中の校歌の声の大きさはまだ心に残っている。そして六中最後の卒業式の3年1組での出来事も・・・・・。子ども達には卒業した中学校が心に残っているだろうか・・・・あの頃の自分の気持ちを覚えているだろうか・・・・




3月16日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第75弾! 

「たかやん議員日記」2005.第75弾!   3月16日(木)

夜の卒業式
六中の3年2組。県立に失敗した生徒が都立の2次募集を受けるために卒業式に出られなかったことがあった。一人欠けた卒業式では僕らは泣くことができず、みんな笑って卒業してしまった。そしてその日の夜、僕らは再び体育館に集合した。卒業式の雰囲気が残る体育館で親も再び集合し、3年2組だけの卒業式が行われたのだ。卒業式の司会は僕が、校長先生役は僕の卒業生がやってくれた。そして僕が一人一人呼名すると、子ども達は演台に上がり一人一人メッセージをみんなに残していった。みんな泣きながら仲間に、親に、そして僕に語りかけた。本当に感動の卒業式だった。昼間の本物の卒業式では涙一つ見せなかった子ども達がワンワン泣いた。お母さん達も泣いていた。僕達は教室に戻って僕のギターで歌を歌い、また泣いた。「クラス全員が揃わないと3年2組じゃない!だから全員揃ってもう一度やろう!」誰が言い出したのかは覚えていない。(当時の学級通信を読めば分かるだろうけど・・・)だけどこういう卒業式もあったのだ。今から15年ほど前の話である。

その卒業式には後日談がある。僕は卒業式の前日、クラスの机の落書きを一つ一つ消して、黒板にメッセージを書く癖がある。ところがその時の3年2組は綺麗好きで、机の落書きが何もない。教室の壁も窓も綺麗で、僕が片付けるものが無かったのだ。それを僕は夜の卒業式で言った。「落書きが無くて、寂しかったよ。」と。
次の日、僕は校長室に呼び出された。「何なんだ!お前のクラスは!いったいどういう指導をしているんだ!」と校長は激怒している。何のことだか分からず、教室へ行ってみると・・・・教室中が落書きで滅茶苦茶だったのだ。それもマジックで書いた落書きだった訳で・・・・僕らは春休み中、2組の壁紙を張替え、キンカンで机の落書きを消し・・・・それでも消えない部分があったために、僕は「責任を取って、もう一度3年2組の担任をやれ!」と命令されたのだった。
2組の子ども達は僕の為に、教室をピカピカにして卒業し、そして僕の為に教室中に落書きをしてくれたのだ。という訳で、2年連続の3年生の担任をやることになったのだから、人生って奴は面白い。その事件がなければ、僕はその後のクラスの子達と会っていないのだから・・・・。

今日は休会日で議会はお休み。懐かしい、卒業式を思い出してちょっとひたってしまったのだった。



3月17日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第76弾! 

「たかやん議員日記」2005.第76弾!  3月17日(木)

CSポイントと10円・・・
昨日も今日も会派の茶碗を洗ってくれたのは幸弘。「今日は僕がやるよ。」というと「いいから、いいから・・・」とやらせてくれない。21年目のベテラン議員だが、偉ぶらないところがいい。最近幸弘のCSが上がってきている。その幸弘が「俺円脱になっちゃった!」と真面目な顔をして言う。「どれどれ・・・」「本当だ!10円禿げだ!」と嬉しそうに僕。これで我が会派は5人のうちの3人が禿げ!「過半数いったね!」と訳の分からないことを言って一人で笑っていた。「きっと厚生委員会だな。」と僕。厚生委員会の委員長は本当に大変だから・・・・。

お弁当
前回の議会まではみんなで「うどん屋巡り」をしていたのだが、今回の議会はほぼ毎日弁当である。弁当のいいところは量が適当なのと、時間が短縮されることだ。うどんは大好きだから、どうしても食べすぎる。ぎりぎりになって帰ってくることも多かったから・・・・・。
幸弘と二人で色々な話をして食べるお弁当はなかなか美味しい。毎日の愛妻?弁当に感謝である。

議長と市長
どちらも偉いと思う。議長は議会のど真ん中で議事を進行させる訳で・・・眠気と戦いながら、人の話を全部聞いていなくてはいけない。僕は今の議長に随分助けてもらったから、分かるのだが、時間や質問内容を全部頭に入れているのだ。そして答弁漏れがあると指摘するのだから凄いのだ。一方市長は色々な質問に対して、答弁書を読み上げるだけではなく、自分の持論を展開していく。その能力の高さに驚いてしまう。僕も教室ではお喋りの方なのだが、新座市長にはまったく勝てないだろう。原稿を殆ど見ないで話すという能力が本当に凄いと思うのだ。

明日の一般質問は平松大佑議員が登場する。僕より遥かに色々知っているし、勉強もしているので、どんな質問をするのか楽しみである。平松大佑議員が終わると23日に僕、善保、幸弘と締めくくることになっている。「刷新の会」は5人中5人が質問する。質問率100%である。


3月18日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第77弾! 

「たかやん議員日記」2005.第77弾!  3月18日(金)

傍聴
今日の一般質問は公明党のK議員、刷新の会の平松大佑議員、革新無所属のH議員、そして共産党のI議員だった。普段の日に比べて、少し傍聴人が多かった気がする。今日は4人ともなかなかの質問をしているなあと思った。女性が3人ということで、議場の雰囲気も少し和やかだなあと思ったのは僕だけだっただろうか・・・・。五中時代の教え子も傍聴に来てくれた。「たかやんのには、来れないけど・・・」と言って、来てくれたのだからありがたい。

実は僕も一度だけ傍聴したことがある。あの六中テニス部事件の時だ。あの時は余りにも嘘ばかりなのに驚いて、ひっくり返りそうになった。六中のテニス部を見たことも無い人たち(議員も教育長も学校部長も)が僕達の部活をああだこうだ言うこと自体失礼なことだと思った。それも嘘だらけ・・・・誰がいったいああいうデマを流したのかと思ったのを覚えている。議場で話したことは「議事録」に残るのだ。あの時のテニス部の子達も、もう高校3年生。「議事録」をパソコンで読んだら怒るだろうなあ・・・・・。「新座市議会」で検索すると見ることができるよ。「六中 テニス部」で出てくるから・・・。

僕が「命の応援団」に参加して、陵平の自殺は学校に責任があると思う。と発言したのが2001年の3月。それからだからなあ・・・六中のテニス部潰しが始まったのは・・・。顧問の先生が次々と飛ばされ、辞めさせられ・・・・丁度1年後にまんまと成功したわけだけど・・・・。僕が今度は議会で教育長に質問しているのだから、世の中は分からない。僕らのテニス部を潰しにきたから、僕は今回の選挙で少し本気になったのだ。あの時のS校長に「選挙に出るときは学校の許可を取ってもらわなきゃこまる。」と言われて頭にきたのを覚えている。昔の上司だから、何を言っても言い訳ではない。ボランティアで教えに来ている社会人に対する礼儀を知らなすぎたのだ。あのまま楽しくテニスをやらせてくれていたら、多分立候補はしなかったと思う。だって結構幸せだったから・・・・。ああいう人が管理職になってしまうから、新座の教育委員会に疑問を感じてしまったのだ。それまでは教育委員会大好き人間だったのに・・・・。

でもあれから色々なことが変った。二中も昔の二中じゃないし、六中も昔の六中じゃあない。教育委員会にも素敵な先生はいる。議員の中にも魅力的な人はいる。なるべくいい人をたくさん見ていこう。悪い人のことはなるべく思い出さないようにしよう。傍聴にきた人ががっかりしないような質問をしていこう。



3月19日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第78弾! 

「たかやん議員日記」2005.第78弾!  3月19日(土)

議会報告
刷新の会のメンバーは顔に似合わず?みな地道な努力をしている。平松議員は毎日のように朝、駅に立っているらしいし、田中、羽根両議員は毎月色々な地域で「ミニ市政報告会」なるものをやっているらしい。加藤議員は町内会活動に燃えているらしいし、要するに市民のみなさんに対して積極的に接しているのだ。そして彼らはみな「勉強会」にも積極的に参加している。その点僕だけは全然駄目で、相談や苦情はどんどん来るのだが、自分の方から「報告」をしていく意識が低いし、勉強会に参加することもない。夜は塾の仕事があるからしょうがないのだが・・・・・。
「刷新の会」というチームにいるのだから、もう少しみんなと歩調を合わせなければとも思うのだが、どうも昔から「協調性がないんだよ、お前は・・・」と言われてきたように、折角のいい仲間の中で、僕一人が浮いているような気がする。時々本当に僕なんかがこの会派に居て良かったんだろうか・・・そう思うことがある。

大体僕は畑中に住んでいるのに、小川議員にいくら誘われても「畑中町内会」に参加したことがない。塾の授業と重なっていることが一番の理由だが、もっと畑中の人たちと会話をしなければいけないなと思う。
もともと野寺に住んでいたし、五中、六中がそれぞれ10年だったし、今の塾は新堀だから知り合いは野寺、栗原、片山、石神、西堀、堀ノ内、新堀に集中している。二中の子達とは1年しか一緒にいられなかったから、どうしても野火止、畑中、東に行く機会も少ない。受身ではいけないのだ。どんどん「報告」をしていかなくては・・・。そして色々批判してもらいながら成長していくのだと思う。もういい歳だけど、議員としては1年生。ん?2年生。勉強しないとみんなに置いてきぼりをくってしまいそうだ。

僕の敬愛する小笠原母島、父島中学校の校長だった長さんからこんなメールが来たので紹介します。「杞憂」であればいいのですが・・・・。

『錦眼鏡余話』:No43
また卒業式・入学式のシーズンがやってきました。
それとともに、君が代と日の丸についてのニュースが
テレビや新聞で取り上げられています。

1999年7月、国旗国歌法が国会で成立しました
そのときに、ある政府高官が以下のような答弁をしています
「内心の自由にまで立ち入って強制することがあってはならないことは
学校教育におきましても国民一般の場合におきましても何ら異なるところは
ないものと思っておりますし、教育に当たる学校の教員が
憲法に保障された基本的人権であります内心の自由にまで
立ち入って強制すると判断されるような教育活動を行ってはならない
こういう点につきましては、私ども、今後とも十分留意をして参りたいと思っております。」

ところが、今では地方が国を通り越して。。。過激な要求を教員にしています。
政府は、県や市などの地方行政に立ち入ることは越権行為だと静観しています。
政府は大変ずると思いませんか。。。
自分たちに都合のよい結果や方向だと静観で。。。逆だと介入してきます。
大変うまく使い分けています。

今、国旗国歌は、成立当初の政府答弁のようになっているでしょうか。
最近のニュースでは、「立つ立たない」を通り越して。。。歌声の大きさまで強要しています。
校歌や式の中で歌われる他の歌に比べて。。。君が代の声が小さいから現場では
もっと強く指導しろと言われています。
学校現場を取り巻く環境は、予想以上に右傾化が進んでいるようです。
(ドイツでも右傾化が進んでいて、ナチスを信奉する政党が復活し、力をつけているそうです。)

新しい憲法を制定する動きが加速しています。
かえようとしている政党は、戦後、ずっと今の憲法をくり返し踏みにじってきた歴史を

もっていることを決して忘れてはならないと思います。
都合の悪いことは、憲法の解釈を曲げ広げ。。。より進めてほしいことは
極力サボタージュしてきた歴史を持っています。

9条がかわり、自衛隊が軍隊になる(とっくの昔から軍隊なのですが。。。
言葉の使い方で違う意味合いを持たせて、表面を繕うことの上手な我々日本国民が。。。

売春を援助交際・強盗をおじん狩りなどとして、その本質から眼をそらさせている。。。

自分たち国民だけが自衛隊は軍隊ではないと納得している。)ことは避けて通れない流れのようです。
しかし、賛成する国民が自衛隊を軍隊としたあとに。。。徴兵制度が控えてい
ることの認識をどれだけ持っているかと思うと不安です。

NHKの討論会で。。。参加した一般の視聴者の意見を聞きながら。。。
私は彼等に問いかけたい。
「おい、おい、あなた自身が兵隊さんになる覚悟がありますか。」
「おい、あなたの息子や孫が戦争に行く時代を迎えたいのですか。」

こんな心配をすると「杞憂」だなどと笑う方がいるかもしれませんが。。。
私は「杞憂」ではなく本当にくると思っています。
世界の国々では。。。徴兵制度とリンクしない軍隊なんてありえないからです。
軍隊=徴兵制度なのです。
政府はどのようにして。。。「徴兵制度」の言葉を使わずに。。。
国民を上手に納得(騙すといったほうがいい。)させる言葉を考案してくるかみものです。
自衛隊(軍隊)のようなうまい言葉を探してくるのだと思います。。。
政府は憲法を変えたあと、当分、自衛隊でいって、徐々に徴兵制度へ移行するでしょう。


世界の紛争地域で。。。際限なく使われる武器がいったいどこから供給されているのでしょうか。
その日の食料さえ満足に手に入らないのに。。。
平和を口にしながら。。。紛争地域へ武器の供給と売り込みをしている国が
たくさんあることを決して忘れてはなりません。
日本の軍需産業を担っている会社が、そんな金儲けをしたくてウズウズしているのも事実です。        




3月20日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第79弾! 

「たかやん議員日記」2005.第79弾!  3月20日(日)

サッカーそしてテニス
僕は小さい頃野球をしていた。背番号は12。南海の広瀬の背番号だった。小学校の高学年になってからはバスケット。代々木のオリンピック体育館でオリンピックの日本代表に毎週バスケットを習っていた。中学に入っても勿論バスケット。オリンピックに行くのが夢だった。でも骨折で挫折して・・・根性がなかったから辞めて・・・バレー部に入って、試合に使ってくれないといじけてやめて・・・本当に恥ずかしいくらい根性がなかった。そして絶対にこれだけは“女の遊び”だからやらないと決めていたテニスを始めたのが中一の3学期。それからテニスはずっと続けている。中学時代は鉄棒にも燃えた。大振り、蹴上がり、中抜き、ともえ、そして大車輪や後車輪を校庭の高鉄棒で練習した。手の皮が何枚もむけ、血だらけになっても練習していた。サッカーは高校に入ってから・・・・当時の石神井のサッカー部はあの帝京よりも強く、インターハイに2年連続で出場していた。テニス部もそうだったのだが、サッカー部にも国体選手が何人かいた。そのサッカー部と一緒にサッカーをやっているうちに、サッカー大好き少年になっていったのだ。大学ではまったくやらなかったが、五中に「誠」というサッカー狂がいて、僕は子ども達と一緒に毎日ボールを蹴るようになっていった。教員チームやたけしのキッカズサッカーというチームで試合にも出た。得意だったのはヘディング。頭から突っ込むスリルが好きだった。

今日も子ども達とサッカーをやった。久しぶりに思ったところにヘディングができて、嬉しかった。昨日のボレーシュートに続いて、気持ちのいいこと・・・・。だからサッカーはやめられない。
車で買い物に行こうとすると空が寝たので、急遽行き先を「新豊テニスクラブ」へ変えた。空が寝ている隙にテニスをしようというのだ。五中、六中時代は日の出から日没後までやっていたが、今はそんな時間は全然無いので、クラブで1,2試合やってさっと帰るようにしている。昔怪我をしたところがまだ完治していないのだが、テニスに関しては騙し騙しやることが出来るので、少し勘が戻ってきたような気がする。クラブのコートはイレギュラーが無くていい。子ども達は居ないけど、たくさんの人と知り合えるから楽しい。今日も4人の人と知り合うことができた。

子守唄
空がぐずるので、子守唄を歌って寝かしつけた。空は誰に似たのか意地っ張りなので、「歌」で轟沈させた時は気持ちがいい。きっと僕も小さい頃、こうやって母さんに抱かれて眠っていたんだろうなあ・・・そう思うと母さんに感謝の気持ちでいっぱいになる。父さんは音痴だったから、子守唄の記憶はない。だけど僕が急性胃炎になった時に、僕をおんぶして、病院まで走ってくれた時の背中の感触だけは覚えている。大きくて、温かくて・・・・・「ともや!もう少しだ!がんばれ!」と叫びながら走ってくれた。そして新大久保の高橋医院の玄関のドアをドンドン叩いて先生を起こしてくれたのだ。あれがきっと父さん流の「子守唄」だったのだろう。僕もいつか空をおんぶして、走る日がくるのだろうか・・・・。(その日の為に毎日スクワットをしているような気がする。)出来たら病院へ、ではなくて運動会か何かがいいなあ。

陵平もきっと隆志さんや政江さんの「子守唄」を聞いて眠っていたのだろう。空が陵平の年になるまであと11年と一月。余りにも短い・・・・そう思うだけで涙が出てくる。僕があの時学校を辞めなければ、陵平に会えたのだろうか・・・辞めて後悔したことは二つだけ。サッカー部の子ども達のことと、陵平のことだ。



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