Diary 2005. 3
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3月21日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第80弾! 

「たかやん議員日記」2005.第80弾!  3月21日(月)

運動公園
この3連休運動公園に行っている。少し見るだけなのだが、毎回人が余りにもいないことにガッカリして帰ってくる。あれだけの施設に人がいない。お、たくさんいるじゃあないか・・・・そう思ったら、朝霞の中学生の集団だったり・・・・今日も競技場人口はゼロ。多目的広場もゼロ。本当にもったいない施設だと思った。民間だったら、とっくに潰れている施設だと思う。

ふれあいの家
新堀のふれあいの家で囲碁をしている人と話をした。使用量が有料化されることは知らないようだった。「有料になったら、まず行きませんね。囲碁をやる人たちは多分みなそうでしょう。有料だったら、自分達の家でやりますよ。」と彼は言っていた。ごもっともな話
である。他のサークルだって同じことが起きるのではと心配である。値上げはしました。収入はかえって落ちました・・・・とならなければいいのだか・・・・。

テニス
今日は昼前から半日テニスをしていた。テニスクラブのいいところはコート整備もボールだしもしなくていいところだ。「邑さん、試合お願いできますか?」と声をかけてくれる人がたくさんいる。嬉しい限りである。今日は県のトップレベルの選手と2回も試合が出来た。国体選手やインカレと試合をした時のことを思い出しながら、心地よい緊張感の中で試合ができた。20代が3人の中に1人50代。それでも1勝1敗でなんとかついていけたことが嬉しかった。

ジュニア
新豊テニスクラブには「ジュニア部門」がある。そこのコーチには六中時代の教え子達がいる。彼らは実によく勉強している。話を聞くと、アメリカへ行って勉強したり、日本のトップのトレーナーについて勉強したりしているという。僕がみても(おっ!いいなあこの練習)と思う練習がいくつかあるし、子ども達の表情を見ていると、僕が五中や六中で見てきた子ども達と同じ顔なので、いいぞ、いいぞと思いながら応援している。今日のジュニアの子ども達もコーチの指示をしっかりと聞いて、全員が動き回っていた。やる気の無い子、ダラダラした子は1人もいなかった。そう勿論レベルはみんな違う。だけど「やる気」だけは高いレベルにないといけないと思うのだ。僕はずっと学校という社会でしかテニスをしてこなかったから、クラブのことはよく分からなかった。学校の部活こそが、僕の居場所だったと思っていたから・・・。だけど今の僕の居場所は五中でも六中でも石神井でもなく、テニスクラブなのだ。そこには子ども達と同じようにテニスを愛し、そして強くなりたいと思っているおじさんやおばさんが溢れている。そしてその人たちの目は、僕が知っている子ども達と同じように輝いているのだ。空もそのうちあのコートでテニスを始めるのだろう。

原稿
「一般質問の用意はできましたか?」と聞かれたから「いや僕は原稿がないので、特別用意するものはないんですよ。」と答えると驚かれた。そう僕の一般質問には原稿がない。メモはあるけど、言葉は決まっていない。だからその時その時の雰囲気で口が勝手に動くことになっている。おかしいのは後で議事録を読んだ時だ。自分で発言している言葉なのに、何か違和感があるのだ。きっとその場でポンと出てきた言葉だからだと思う。
いよいよ23日は僕の質問がある。自分の言葉で質問をしようと思う。


3月22日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第81弾! 

「たかやん議員日記」2005.第81弾!  3月22日(火)

人のことは言えない・・・
昨夜の空。1時から5時前まで泣き通しで、僕はほとんど一睡もできなかった。そんな状態で議会に行ったのだが・・・。午前中は何とかもったが、お弁当の後がいけなかった。何度か意識が遠のいたのだ。大佑に「絶好調でしたね!」とからかわれてしまった。言い訳は出来ないし、もう人の居眠りのことも言えないなと思った。大反省のたかやんである。
市民のみなさん。申し訳ありません。僕は今日初めて議場で意識がなくなりました。

一般質問
という訳で、明日の一般質問の準備もかなりいい加減である。頭がボーっとして回転していないのだ。というわけで今夜はもう寝ます。おやすみなさい。  たかやん


3月23日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第82弾! 

「たかやん議員日記」2005.第82弾!  3月23日(水)

ああ失敗
今日の一般質問で僕は大きなミスをした。土地開発公社の利息のことで、数字を勘違いしたのだ。50年と5年ではこれは全然違うことな訳で・・・・詳しくはあとで議事録を読んでください。ああ、穴があったら入りたい。そう思った、たかやんであった。

英語
質問をしている途中で何を思ったか英語で話をしてみたくなり、議長に「ちょっと英語で話していいですか?」と聞くと「いいですよ!」と議長。こういう太っ腹なところが僕は好きなのだが・・・・英会話の授業の「絵本」のところで、僕はこんな話をした。(多分、こんなことを言ったのだと思う。忘れないうちに書いておこう。正確には覚えていないのだが・・・・)

I was born and raised in Shinjuku, Tokyo. And I went to Shinjukukuritsu NIshitoyama junior-high. I remember my English teacher Mr. Nakada singing lots of English songs in front of us at the beginning of his classes. He sang “500 miles” “ where have all the flowers gone” “ puff” and other songs with his guitar. We were always looking forward to his songs.
He also brought an American lady named Mrs. White to class. She taught us English every Thursday for about a year. She could speak only English and no Japanese. So, we had to concentrate on her English. At first, we didn’t understand her English at all
, but after a couple of weeks, we were getting a little bit better. After her class, we would go to Harajuku where the Olympic Stadium was. And we would find strangers to talk to, of course we looked for foreigners. And we would ask them many things in English like “ Hi! How are you?” “ May I ask your name?” or” do you like cats?” and so on.
We were very glad that we could talk to many people in English. So, we loved English and I still love English.

ま、要するに13歳の時に中田先生という素晴らしい先生と僕は出会って、彼は授業の前に必ずギターで歌を歌ってくれたのだ。そして今のAETのようにミセスホワイトというアメリカ人を連れて来てくれて、僕らのクラスに英語を教えてくれたのだ。僕らはその授業が楽しくて、楽しくて・・・代々木のオリンピック体育館にスケートに行っては、外国の人を見つけては習ったことを直ぐに「実践」していたのだ。僕が今も英語が好きなのはこの先生の影響が一番大きい。僕の隣りに座っていた裕美さんは都立駒場に在籍しているときに「通訳」の試験に通ってしまったし、反対隣のみはるさんは都立青山からお茶大に進み、ハーバードの先生になってしまった。そう、みんなその中田先生の英語の授業のお陰で、一生英語と関わって生きていくことになったのだ。松香フォニックスの松香先生も授業の最初は歌で入るのがいいですね。と言っていた。そして授業の締めくくりは「絵本」がいいですね。とも・・・・・。

まあ、英会話の話をするわけだから英語でもいいかなと思ってしまったのだが、話している途中で「何で英語で話してんのよ!」と革新無所属のH議員から野次が飛んだ。
僕は Icouldn’t believe my ears. だった。わずか1〜2分英語で話しただけなのに、我慢して聴けないのでは中学生以下だと思ったから。大体人の一般質問の時間に「野次」を飛ばしすぎるのだ。僕は誰の発言にも「野次」を飛ばしたことはない。自分がやられて嫌なことは人にもしないようにしているのだ。
英会話を教育特区でやるということは、会議とかでも英語で話をすることが当たり前になるということだと思うのだが、違うのだろうか。

二中
今回は二中という言葉を僕は一度も言わなかったと思う。二中の校長先生との約束である。確かに今の二中とは関係がないから・・・・。教育長は随分「二中」と言っていたけれど・・・。
これからも出来る限り、「二中」という言葉は使わないようにしたいと思っている。

時間が制限された中での質問はなかなか難しい。ちょっとため息がでるたかやんであった。



3月24日 (木)  「たかやん議員日記」2005.第83弾!

「たかやん議員日記」2005.第83弾!  3月24日(木)

休会
今日は休会日。議会はないが“農業委員会”があった。会議は1時間ほどで終わったが、事務局長のMさんが3月で退官ということで挨拶・・・・ちょっと寂しかった。僕は農業委員としての仕事は何もしていない。4月の「うどん祭り」には是非参加して、少しでも新座の農業を応援したいと思う。

整体
ひばりが丘のA整骨院に行った。そこの先生は五中の卒業生。懐かしい先生達の話が出てきて楽しかった。体中が凝っている感じだったのだが、マッサージと整体でかなりいい感じになったと思う。久しぶりに腰と背中の骨がボキボキなって気持ちよかった。

応援団
少し悩んでいることがあるので、僕の応援団のところに顔を出した。「あたし達はたかやんを応援しているんだから、議案に賛成しようが、反対しようが大丈夫。たかやんの好きにやって!」と言われて嬉しかった。明日からの3日間。長い3日間になりそうだ。


3月25日 (金)  「たかやん議員日記」2005.第84弾! 

「たかやん議員日記」2005.第84弾!  3月25日(金)

議運
いつもなら9時半に始まる議会がなかなか始まらない。「議運」が行われていたのだ。その議運でこの間の一般質問での僕の英語が問題になったらしい。どうやら「あまりにも長すぎた」らしいのだ。理解できなかったことが一番の理由らしいが、中学レベルの英語だったのに、僕の発音が悪すぎて聞き取れなかったのだろうか・・・。「英会話教育特区」の新座市なのに・・・どうやら英語アレルギーがあるらしい。「会派は何をやっていたんだ!」と言われたと聞いて、僕はちょっと頭に来た!だって会派のみんなは僕が何を話すかなんて分からないのだ。大体僕自身「原稿」が無いのだから自分で何を話すかいつも分からない。それをどうして会派の責任まで追及するのだろう。「刷新の会」に僕はいつも迷惑をかけている。会派の中でいつも1人やることが違うのだ。それなのに会派の仲間をどうのこうの言われたくない。僕は会派の仲間に迷惑をかけるくらいなら、僕は一人会派になる。いつでもそれくらいの覚悟はしているのだ。

疲れた
今日の議会は総務委員会委員長の報告で始まった。委員長のN議員は何日も前から報告の準備をしていた・・・。今回も委員長報告でかなり「休憩」が入ったのだが・・・・僕は一生懸命やる人が好きである。みんなの前で話していれば緊張してあがることもあるし、間違ったことを話してしまうこともある。委員長はみんなで選んだのだから、みんなで協力すればいいのだ。

退席
本会議でも僕は退席した。議案に賛成はできません。という意味での退席である。詳しくはまた後で報告しますね。


3月26日 (土)  「たかやん議員日記」2005.第85弾! 

「たかやん議員日記」2005.第85弾!  3月26日(土)

下見
今日は塾の卒業遠足の下見に妙高まで来ている。友達の家に泊まり、スキー、スノーボード、橇・・・を体験しようというのである。下見とは言っても、教え子夫婦と僕らとそれぞれ子連れでの「家庭サービス旅行」に近いかも知れない。

妙高の友達はテニス仲間である。彼は僕と同じように関東中学連盟の理事長をやり、僕と同じように学校を辞めてしまった。今は家具を作る仕事をしている。それでいて、あのマッキンリーの頂上からスキーで降りてくるほどのスキーの達人で、この間もニュースステーションに出演していた。ヒマラヤでもスキーで滑ったらしく、日本人で4番目なんだそうだ。テニスの仲間達は利害関係がなく、いったり来たりできるから楽しい。勿論お酒を飲むと「教育」と「愛」を語る訳で・・・・

秀ちゃんの家は大きくて広い。軽く30人は泊まれる大きさである。お風呂がまたでかい。10人はまとめて入れる大きさだ。しかも景色がいい。僕はここのお風呂から森の景色を見るのが大好きなのだ。ここのお風呂から外を見ていると、議会の疲労が一気に抜けそうな気がする。

来週は子ども達と一緒にここに来る。きっといい思い出ができるだろう・・・・。


3月27日 (日)  「たかやん議員日記」2005.第86弾! 

「たかやん議員日記」2005.第86弾!  3月27日(日)

下見2

午前中は橇に燃えた。空と二人で何度も上まで上り、そして滑った。ところが橇は僕より奥さんの方が上手かった。綺麗に行きたい方へ曲がっていくのだ。空もママとの方が安心らしく、キャッキャと笑いながら何度も滑っていた。

久しぶりにスキーを履いた。左膝を痛めているので、スノーボードはできないと思ったのだ。ところがスキーもできなかった。思い道理に行かないのだ。膝に力が入らないので、エッジが効かずスキーがあっちこっちにいってしまった。それでも何とか滑れたのは秀ちゃんのコーチのお陰だ。後ろから彼の滑りを見ているだけで、勉強になるのだ。そして1回だけといってやったスノーボードで僕は膝を完全に痛めてしまった。ゴンドラで上まで上がったのがいけなかった。痛くて歩くことが出来ないくらい(ちょっと大袈裟かも・・・)膝を痛めてしまった。参った。テニスやサッカーができなくなったらどうしよう・・・・。

議会
リフトに乗っていても、議会のことが頭から離れないのには参った。議会というのは「記録」の世界だ。自分の発言したことがずっと残る世界なのだ。空が大きくなった時、父さんはこんなことを話したんだ。凄いな・・・。そう思われるように一生懸命発言をしていきたい。そうは思っても会派の人たちのことを考えると自分の我が儘を全部通すことはできない訳で・・・うーむ。やっぱり僕は一人になったほうが方がみんなに迷惑をかけないのかなあ・・・昔から「協調性」が無いと言われ続けてきたからなあ・・・。毎日僕のことで会派の人たちに迷惑をかけているような気がする。僕がいることで「会派」のイメージが悪くなったら本当に申し訳ないと思う今日この頃である。


3月28日 (月)  「たかやん議員日記」2005.第87弾!

「たかやん議員日記」2005.第87弾!  3月28日(月)

シンデレラ
議会が終わったのは23時半。みんなかなり疲れていた。9時半から休憩を挟みながら、委員長報告が続き、質疑があり、討論があり、そして採決があった。結局僕は9つの議案で退席をした。要するに議案に反対ということなのだが、会派の意向は賛成なので議場で反対することはできないから「退席」ということなのだ。その退席のことでまた革新無所属のH議員からクレームがきた。委員会で意見も言わないで退席するのは「前代未聞」だというのだ。そりゃあ僕だって自分の意見は言いたい。言いたいけど言えないから「退席」しているのだ。議案8号から33号そして28号は所謂公民館やスポーツ施設の「値上げ条例」だ。新座市のスポーツ施設のサービスはよくないという話をよく耳にする。コンピューターで予約はできないし、料金も他市に比べると高めである。いくら財政難とは言え、重度心身障害者の福祉手当に所得制限を加えたり、難病患者の見舞金を削減したり・・・・僕にはとても賛成できなかったのだ。
無駄遣いは本当にないのだろうか・・・・。例えば学校の電気代は、もっと節約できないだろうか。議員の視察は本当に必要だろうか・・・・・。塩漬けになった土地は?借金の利子だけで毎年いくら払っているのだろう・・・・。人件費は・・・・・。そして52億の東久留米志木線は・・・・。要は市民の税金を市民の為にどう使うかなのだと思う。

僕が退席した議案は次の通り。
議案第8号 新座市立集会所条例の一部を改正する条例
議案第17号 新座市農民研修センター設置及び管理条例の一部を改正する条例
議案第18号 新座市勤労青少年ホーム条例の一部を改正する条例
議案第31号 新座市スポーツ施設条例の一部を改正する条例
議案第32号 新座市立公民館条例の一部を改正する条例
議案第33号 新座市コミニュティーセンター条例の一部を改正する条例
議案第22号 新座市重度心身障害者福祉手当支給条例の一部を改正する条例
議案第23号 新座市難病患者見舞金支給条例の一部を改正する条例
議案第28号 新座市都市公園条例の一部を改正する条例

議会事務局
議員では僕と幸弘が一番最後に役所をでたのだが、議会事務局はまだミーティングをしていた。本当に大変な仕事をしていると思った。議会がうまく運営できるように録音し、ビデオを取り、時間を管理し、そして議事を進めていく議長のアドヴァイスをする・・・。視察の交渉と受け入れ、そして視察での案内役までやるのだから凄い。今日はみんなでシンデレラである。


3月29日 (火)  「たかやん議員日記」2005.第88弾! 

「たかやん議員日記」2005.第88弾!   3月29日(火)

堀の内病院
妙高で風邪をもらって、親子でダウンした。僕は夜中に貧血を起こすほどの腹痛に見舞われ、おまけに吐き気に襲われ大変な状態になった。空も39度の熱が出て・・・・朝から空もクリニックへ、僕も堀の内病院へ・・・・。
病院の玄関でT農業委員会会長とばったり会った。「あれ、どうしたの?」と会長。「はあ、風邪ひきまして・・・どうされたんですか?」「ああ、花粉がひどくてねえ・・・。」「耳鼻科混んでましたか?」「1時間半待ったかな・・」会長のアドヴァイスで僕は内科へ行き、耳鼻科からは薬だけをもらうことにしたのだった。

スピーチ
市議会でもっとも話が上手な4人は?と聞かれたら僕は「市長、笠原議員、星川議員、田中議員」と言うだろう。彼らは原稿を必要としない。自分の頭から生まれた言葉をどんどん話していく能力があるのだ。言っている内容はともかくとして、聞いていて実に自然な感じがするのだ。昨日僕は討論を聞いているうちに心がそっちに傾いて、「退席」してしまった。議会というのは本来そういうところでは無いらしく、心は最初に決まっているものらいしのだ。人の話を聞いて、自分の考えを決めるのが普通なのだろうが、ここでは最初に結論があって、それから人の話を聞くのが当たり前らしい。そういうところが僕は非常識だから会派のみんなに迷惑をかけてしまうのだ。

最終日
いよいよ明日は3月議会の最終日。今のペースだと31日にずれ込むことも考えられるのだそうだ。でも、市民が本当に苦しい状態なんだから何時まででもやらないと。まさか明日もシンデレラ?・・・・。


3月30日 (水)  「たかやん議員日記」2005.第89弾! 

「たかやん議員日記」2005.第89弾!  3月30日(水)

散々な一日
議会の最終日ということで、たくさんの傍聴があった。17年度の一般会計。僕は委員会では「退席」だった。だけど今日は退席しなかった・・・。そのことに対して怒ったのが革新無所属のH議員。「邑議員は委員会で退席したのに、何で退席しないの!」「そんなのおかしいよ!」「ちゃんと討論しなさいよ!」「それでも元教師なの!」「あたしなら懲罰なのに、なんでこんなことが許されるの?」と大騒ぎ。そりゃあ僕だって自分の意見を言いたい。好きで退席している訳ではない。長く議員をやっていれば、この微妙な動きの中に僕の色々な思いがあることが分かるだろうに・・・・。

挙句の果てには「この議会の中にもADHDがいる。議場を出たり入ったりしている議員がいる。」と 僕のことをADHDだと言う。随分なことを言う人だなあと思った。子どもの頃から落ち着きが無かったから、もしかしたら本当にそうかも知れないが・・・・。ADHDの子ども達にも失礼だと思った。

議会というところはストレスのかかるところだ。議員を12年やって辞めた教え子のお母さんのKさんが「あそこは普通の神経じゃあ務まらないわよ。」と言っていたが、その通りかも知れない。僕は自分がいいたいことの100分の1も言っていない。それでもこれだけ攻撃されるのだから参ってしまう。一度も野次らなくても野次られる。攻撃しなくても攻撃される・・・。ものには言い方があるだろうに・・・・。人としての最低のマナーがあるだろうに・・・。

何も言わないで起立。反対の討論をして着席。何も言わないで退席。この3つにそれ程の差があるのだろうか・・・・。結果として勝つのは何も言わない人なのだ。何も言わないことを非難されるのなら分かる。それなら賛成して意見を言わない人も非難すべきだろう。「議会なんだから、議論しましょうよ。」そう言われたら、「そうですね。」と言うしかない。その通りだと思うから。退席することが規則違反なら「懲罰」も結構。だけど、僕はルールを聞いた上で退席したのだ。「一般会計では退席できません。」というルールがあるなら、そう教えて欲しい。

3月議会は散々の議会だった。僕を応援している人たちの思いを伝えることができなかった。自分の言いたいことも言えなかった。そして散々攻撃された・・・。色々な人たちから・・・。でもそれでも僕を応援してくれている人たちがたくさんいる。元気を出して頑張ろう。新米議員なのだ。これからなのだ。
みなさんからのメッセージをお待ちしています。たかやん


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