Diary 2006. 10
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10月21日 (土)  「たかやん議員日記」2006.第294弾!  10月21日(土)

「たかやん議員日記」2006.第294弾!  10月21日(土)


夜中から朝にかけて、空はずっと咳をしていた。喘息があるので、風邪には気をつけていたのだが・・・・換気、手洗い、嗽、マスク・・・僕らもできることはやらないといけない。今朝は空の咳でちょっと寝不足。

テニス
それでも待っている人たちがいるので、みんなでテニスコートに向った。今日は大人が12人。子供が8人と賑やかなテニスだった。

誕生日
今日は茜の誕生日。どうやら29歳になったらしい。子供たちがクラッカーを鳴らし、ケーキを食べて、みんなで茜の誕生日を祝ったのだった。

72キロ
遂に体重が72キロ台まで落ちてきた。特別なダイエットをしないで、ここまで落ちたのは初めてである。お酒を馬鹿のみしなくなったことと、夕飯を遅くに食べないだけで・・・毎日確実に体重が落ちるのだから面白い。鏡を見ても、体型が変わっていくのが分かるので、全く苦にならないのもいい。「目に見えて」とはこのことである。

3時間
午後は3時間ぶっ通しで授業をやった。僕がぶっ通しなら、生徒達もぶっ通しな訳で・・・。でも集中していたから、あっという間に180分が過ぎていったのだった。

クラス会
最初のクラスのクラス会が11月11日に決まった。まず五中に集まって、それから「さかえ」のお墓参りをして・・・夕方からは宴会。そういう段取りになっている。さかえが亡くなってからもう直ぐ1年。みんなは44歳になる。さかえだけが43歳のままである。

日本シリーズ
福留も立浪も好きだが、やはり僕は日ハムを応援する。北海道を代表して来ている気がするのだ。名古屋にも友達はたくさんいるが、北海道の友達はもの凄くたくさんいる。やっぱり北海道は僕の故郷なんだと思う。

たかやん


10月22日 (日)  「たかやん議員日記」2006.第295弾!  10月22日(日)

「たかやん議員日記」2006.第295弾!  10月22日(日)

二郎のボール
朝のテニスは1時間だけ。その後久し振りに直弘と二郎のボールを蹴った。僕らが蹴っていると、小さな子供たちがボールを追いかけてきて・・・みんなで遊んだ。きっと空の上から二郎も見ていたと思う。田村二郎、五中サッカー部のセンターハーフ。我が3年8組のエース。もう一度一緒にサッカーがしたかったな・・・。

チャングム
昨日録画していた「チャングム」を見て泣いたあと、自分の部屋でHPをいじっていたら・・・・空が「パパ、たいへんです。ママさまがたいへんです!」と飛んできた。驚いてママのところへいくと、「ママさま、しっかりしてください。ママさま!」と横になっているママに抱きついている。そしてママは笑い出し・・・「チャングムの真似だあ!」と二人で大笑いしたのだった。チャングムの中で「スゴン様!スゴン様!しっかりしてください!スゴン様!」とチャングムが叫ぶシーンがあるのだ。スゴンがお産で危険な状態になるところで、空はそれを覚えていて、「ママさま」となったらしい。本当に毎日笑わせてくれる奴なのだ。

写真
HPに載せる写真を探してはスキャンしている。僕のHPを見る子達の中には「何故あたしの写真があるの?」とか「何故あたしの写真がないの?」とか色々思いはあると思う。写真はその日の気分でスキャンしているので、かなりいい加減である。だから余り気にしないで見て欲しい。写真の中には無くなってしまったものも沢山あるし、デジカメではないからピントが合ってない写真も多い。その中から本当に適当に選んでいるのだ。

10万円
いつも宝くじで(10万円でもいいから当たらないかなあ・・・)そんなことを考えているのに、今日いきなり十万円が飛んでいってしまった。ことの起こりは・・・・・昼過ぎに所沢へ行こうと車に乗ろうとすると、右前のタイアがどう見てもパンクしている。スペアタイアはあったのだが、ジャッキがない。色々と電話してみるが、日曜とあって皆いない・・・。近くの「タイア館」へ行くが、「敷地内でないとタイア交換はできません」ということで・・・
JAFに電話することに・・・。結果14000円が飛んでいった。
そしてスペアタイアを付けてタイア館に行くと・・・どうも僕のスタッドレスタイアはもう寿命らしく、結局4本とも換えたほうがいいということになり・・・結局80000円が飛んでいき、合わせて94000円が飛んでいってしまったのだった。でも、悪いタイアで走っていたら事故にあったかも知れないのだから、これで良いのだ。そう思っている。でもねえ・・・毎日2000円以内で生きてきた僕らとしてはショックなのよねえ・・・。

キャッチボール
もう一つ良かったことは、JAFを待っている間に近所の中学生の女の子とキャッチボールができたこと。ほんの10分くらいだったけど、もの凄く新鮮で楽しい時間だった。それを見ていた空がママとキャッチボールをはじめ・・・みんなで楽しんだのだった。石神3丁目に越したら、公園で空といっぱいキャッチボールをするとしよう。楽しみ、楽しみ。



10月23日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第296弾!  10月23日(月)

「たかやん議員日記」2006.第296弾!  10月23日(月)

自民党
2つの補選で自民党が勝った。テレビの力は恐ろしい。安部晋三の写っている時間と小沢一郎の写っている時間が違いすぎる。共産党や社会党はもうお味噌扱いだ。これじゃあまるで、昔のジャイアンツだ。どこかの知事とゼネコンとの間の贈収賄事件は自民党とは無関係なのか?それとも多選が原因なのか・・・・汚職をする首長に自民党が担いだ知事が多いなら、自民党にそういう体質があるということだ。多選が問題なら、多選を禁止にすればいい。一番いけないのは、よくあることだから・・・と市民の税金をドロボウしたとのと同じような知事達をまた選んでしまうことだ。呆れて選挙に行かないのではなくて、怒って投票することが大事なのだ。


引越しがせまり、クラス会がせまり、OB会がせまり、語る会がせまり、東の受験がせまり・・・・もの凄くワクワクしているのだが、何だか滅茶苦茶忙しく・・・・かと言って、
家のことから逃げるわけにもいかず、不動産屋さんと交渉し、クラス会はどういう訳だか幹事になってしまい、教え子達に連絡を取り、欠席の予定だったOB会にも大好きな先輩から電話があっては「行きます!」と思わず答えてしまう自分がいて・・・受験対策に頭を使い・・・余りにもやることが多くて・・・そういう日に雨。“悩んだってしょうがないんだよ。自然体に力を抜いていきなよ。”雨がそう言って降っているような気がしたのだった。

父さんの時計
このところずっと父さんが使っていた時計をしている。シチズンの自動巻きの時計なのだが、何故かしっくりくる。時間も電波時計のように正確だし、腕にしているとお守りのようで安心感があるのだ。僕が死んでも雪や亮や空が「お守り」として身につけられるようなものがあるだろうか・・・それより何より、「これ父さんの時計なんだ」と自慢されるような父親として死んでいけるだろうか・・・もう直ぐ、父さんの死んだ歳になるが、まだまだだなあと思う。

息子
「先生“二郎のボール”読ませていただきました。いつもありがとうございます。」二郎のお母さんから電話があった。「もう3年経つので、・・・でも読むと泣いてしまうんです。忘れられないんです」「片時も忘れられない・・・」「先生、息子って、息の子と書くからですかねえ。」僕は泣きそうになりながら、二郎のお母さんと話をした。
親が、子どもの人生の結末まで見てしまうことは本当に悲しいことだ。親は子どもの行く末を案じて死ななくてはいけない。そう思った。子どもは親の死を見取らなくてはいけないのだ。52歳になっても、まだ死にたくはない。だけど、息子や娘の代わりにだったら、いつ死んでもいい。そう思うのだ。82歳の母さんにいつまでも元気でいて欲しい。だけど、母さんよりも先に僕が死ぬ訳にはいかない。母さんが死ぬのは怖いけど、僕が先に死んだら・・・母さんは僕より苦しむことになるから・・。

だから、息子達よ。父さんよりも先に死ぬのだけはいけないよ。君たちは僕の未来なのだから・・・僕の未来は僕より長生きしなくてはいけないのだよ。

その未来を簡単に殺してしまうのだが戦争だ。あの戦争で、どれだけの母と父が泣いたのだろう・・・。朝鮮で、ベトナムで、湾岸で、そしてイラクで・・・歴史は繰り返すというが、繰り返してはいけないこともあるのだ。
「よい戦争とか、悪い平和などというものはあったためしがない」のだから・・・。
    たかやん


10月24日 (火)  「たかやん議員日記」2006.第297弾!  10月24日(火)

「たかやん議員日記」2006.第297弾!  10月24日(火)

4時過ぎ
空と一緒に寝ていたら、3時過ぎまで寝てしまった。そのまま起きて仕事をすることに・・・。すると4時過ぎ、玄関で音がした。(新聞だ!)ドアを開けて、廊下を見ると・・・黄色いカッパを着た、スマートな外国の人が僕を見て、「まちがえましたか?」と心配そうに聞いてきた。「いえ、大丈夫ですよ。ご苦労様です!」と手でOKのサインをすると、笑顔で頭を下げてくれた。我が家に新聞を届けてくれている人を今まで僕は知らなかった。僕らが寝ている間に、外国の人が僕の家に新聞を届けてくれていたのだ。たまには早起きをしてみるもんだ。そう思った。

議員研修会
午後は朝霞のコミュニティーセンターでの「朝霞地区議長会議員研修会」なるものに参加した。講師は浅川博忠氏で、演台は「安部政権と日本の課題」。
政治評論家の話だから、政治家たちの裏の話は確かに面白かったのだが、肝心の「安部政権と日本の課題」に触れたのは最後の10分くらいで、何だか拍子抜けしてしまった。講演会には「質問」がつきもので・・・新座市は、まず最初にカサジが質問し、平八さんが質問し、そして僕が質問した。
「小泉さんの功績の一つに、国と地方の借金が800兆円であることを国民に周知させたこと。と言われましたが、その800兆の借金はどのようにしてできたとお考えですか?そして小泉政権の5年数ヶ月の間に、その借金はどれくらい増えたのですか、減ったのですか?」という質問をしてみた。答えは勿論知っているのだが、どういう答え方をするのか知りたかったのだ。まあ、がっかりするような答えしか返ってはこなかったのだが・・・・

今回の講演はノートに5ページのメモをした。政治家同士のやり取りなど、滅多に聞けない話もあったからだ。納得できないこともたくさんあったけど、それなりに面白い講演だったと思う。それなのに、居眠りしている人たちが多かったのは残念だった。まあ、習慣というやつなのだろうが・・・。

学校訪問
明日は小学校と中学校の英会話の授業を見学しに行く。久し振りの学校なので、楽しみである。「英会話」そのものよりも子供たちと会えることが嬉しいのだ。野寺小と三中の子ども達は、どんな反応をしてくれるだろう。僕の大好きなA指導主事と一緒の見学は本当に楽しみである。
                                 たかやん



10月25日 (水)  「たかやん議員日記」2006.第298弾!  10月25日(水)

「たかやん議員日記」2006.第298弾!  10月25日(水)

朝刊
“失神ゲーム 中三逮捕” 新座 という見出しを見て、ドキっとした。頭に二つの中学校が浮かんだ。福岡や北海道の事件、そして陵平のことを思った。直ぐにメールが来た。「たかやん、どこの学校?」「たかやん、また新座の中学で事件起きちゃったね!」とみんなの関心は高い。そりゃあそうだ。自分の子供たちが通う学校かも知れないのだから・・・・。僕は、被害者の子の気持ちを思い。加害者の子のことを考え、そして昔の仲間たちのことを考えた。そしてその中学校は頭に浮かんだ二つのうちの一つの学校だった。前から心配していたことが現実になってしまった。

“いじめ”はどこの学校にも存在すると見ていい。「うちの学校は大丈夫です」と胸を張って言える学校は、本当に少ないのではないだろうか・・・。大人は子ども達の悲鳴を聞かなくてはいけない。全ての子ども達の心を温かく包まなくてはいけない。

野寺小
久し振りに野寺小の中に入った。雪と亮が卒業した学校なのだ。亮が1年生か2年生の時に、学校を脱走し、六中まで歩いていく途中、迷子になったことを思い出していた。そして友達のI君に回し蹴りをして、怪我をさせたことも・・・

9時40分から野寺小で「英会話」の授業を見た。2年生の子ども達は、僕達を見て色々声をかけてくれた。「ハロー!」「アニョハセヨ」「ハーイ!」子供たちの笑顔付きの挨拶に僕達も笑いっぱなし・・・・
F先生のクラスは一目でいいクラスだと分かった。声の小さい友達が答えているとき、「シーッ」と、みんな静かにしようよ。聞えないよ。というサインを出していたのだ。クラス全体に温かい空気が流れているのだ。子ども達は実に元気よく英語の歌を歌い、ゲームをやっていたが、流石に最後の方は少し疲れてきた。小学校2年生に45分授業は長いのだと思う。30分か40分でいいんじゃあないかなと思った。

三中
10時40分からは、三中の2年3組の英会話の授業に参加した。参加というのは、僕も生徒の気持ちになって、一緒に授業を受けてみたのである。AETのH先生も英会話のI先生も、もの凄く力のある先生だった。僕が生徒なら、間違いなくくらいついていきたくなるような魅力的な先生達だったのだ。あれだけの力のある先生達なら、クラスを二つに分けて17人ずつ授業をすることも可能だと思った。やはり34人のクラスで「英会話」をやることには基本的に無理があると思うのだ。会話をするには17人だって多いと思うわけで・・・

三中は綺麗になっていた。前よりずっと綺麗になっていた。子ども達の笑顔もよかった。

週5日
語学を本気でやるなら、週5日はやりたいと思う。土日以外は毎日やって、土日には復習・予習する。それが理想だ。やはり50分授業じゃあなくて、40分授業にすることで新座の「英会話特区」を最大限に生かすことが大事なのだと思う。勿論、国語や数学の週3時間も大問題だ。

進学校
地方の公立高校の単位の問題が、問題になっている。1時間目の前に0時間目、6時間目のあとに7時間目、8時間目があり、一日9時間の授業をやる。勿論、土日も授業をやり、夏休みも補修をしていくという進学校が多いのだ。高岡南高校の問題は、実は全国の進学校の問題なのだ。私学も含めて単位をごまかしているところは多い。地方の公立進学高校は予備校化している。私学化していると言ってもいいのかもしれない。    

石神井
僕の高校はのんびりした学校だった。目一杯部活をやってから勉強する。そんな高校だったのだ。勿論僕のように、学年でペケから6番目の人間がストレートで大学に入れるわけはない。僕らテニス部の8人も現役で入ったのは3人だけ。都立大、早稲田、電通大・・あんな苦しい練習をしていたのに、あいつらはどこかがおかしかった。浪人した残りの5人は東工大、法政、日大、武蔵工大、そして北大。馬鹿は馬鹿なりに頑張ったと思う。浪人したメンバーは殆どが学年でペケから20位以内にいたのだから・・・・

トレーニング
午後からジムへ行ってトレーニングをした。1時半から4時まで、3時間半ほど体をいじめ?てみた。新豊テニスクラブのトレーナーの方達は実に親切で感じがいい。僕は今日3人の「先生」達に色々と教えてもらったのだが・・・・もう楽しくて、楽しくてたまらなかった。最後に18歳の子達のトレーニングに参加させてもらったのだが、2セットやって腹筋、背筋をやったところで、「貧血」を起しリタイア。久し振りに自分の年齢を感じたのだった。
         たかやん


10月26日 (木)  「たかやん議員日記」2006.第299弾!  10月26日(木)

「たかやん議員日記」2006.第299弾!  10月26日(木)

小学生陸上競技大会
初めて小学校6年生の陸上競技大会に行ってみた。総合運動公園には何の案内もなく、どこに座っていいものかも分からず、プログラムもないので、本部の方に向って歩いていった。メインスタンドの屋根の下には校長達がパラパラっと・・・・日差しの厳しいところに、お母さん達はギューギューっといった状態で子ども達の活躍を見守っていた。(写真館に写真)

僕が校長なら・・・屋根の下にお母さん達も入れて、一緒に応援するなあ。学校の話とかもしながら・・・。

僕が校長なら・・・ジャージで行って、子供たちと一緒に走るなあ。そんなことを考えながら、僕は大会を見ていたのだった。

子ども達は必死に走っていた。電光掲示板には自動的にタイムが出てくるらしく、なかなか凄いなあと思った。

「あたしも昔でたよ。石神小でやったんだよ。高飛びと400Mリレーに出て、両方とも1位だったんだよ。高飛びは朝霞班で3位だよ。」『へえ・・・凄いじゃん。』

がっかり
午後1時半からは代表者会議。そこで「議員定数」などに関する「特別委員会」を作ることになった。人数は15人。ドント方式(要するに会派の人数の割合で決める)でいくと、僕のような一人会派はどうやらその「特別委員会」に入ることも難しいらしい。少数意見を大事にするのではなくて、「数の論理」が大事だということで・・・僕は「特別委員会」には入れないことになった。ここでちょっとがっかり・・・・
もっとがっかりしたのが、その後の「新聞報道」に関する、執行部の説明だ。「これからお話しすることは、他言無用に願います」という一言にびっくりしたのだ。要するに今、警察で取調べ中だから、はっきりするまで学校名も言わないでくれということだ。
これが本当に被害にあった子供を守る為なら、僕は喜んで黙っている。だけど、「学校の名誉」とかいうくだらないものの為に黙る積りはない。
僕だって、昨日の朝から知っていたのだ。たくさんの人に聞かれても、「まだ新聞には報道されてませんね。」と黙っていたのだ。だけど執行部から、口外しないでもらいたいと緘口令のような言い方をされると、「どうして?」といいたくなる。中学校の名前がでると、生徒が特定できるから・・・市教委がよく使ういい方だ。学校別の生徒の進学先の資料を請求した時に、そういう言い方をしていた。どうもよくわからない。全然オープンじゃあない。誰がどこへ行ったとか、誰が何をしたとか言っているのではない。新座市のどこの学校で何があったのかをみんなが知りたいのだ。

いじめを受けている子達は、今学校の対応を見つめている。大人達が信用できるかどうかを見ている。自分たちを守ってくれるのか、学校の名誉を守ろうとするのか・・・福岡や北海道、そして陵平のいた頃の二中のようにはなって欲しくない。PTAと学校が「一枚岩」になって、マスコミや被害者を攻撃することで、学校を守るようなことだけはして欲しくない。

今、いじめを受けている子ども達の気持ちを考えて欲しい。その中学校は勿論、他の中学校にも、そして小学校にも・・・・いいたくても言えない子達がワンサカいるはずである。小学校6年生は不安だろう。新座の中学校は怖い。そう思う子達がたくさんいるはずだ。この事件は新座の教育界が生まれ変わるチャンスなのだと思う。「新座の教育」の方向性が問われているのだ。新座市が生まれ変わるチャンスでもあるのだ。隠蔽体質は全国的なもの・・・だから新座市もでは話にならない・・・。
たかやん


10月27日 (金)  「たかやん議員日記」2006.第300弾!  10月27日(金)

「たかやん議員日記」2006.第300弾!  10月27日(金)

日本ハムと学校
もと北海道民として、日本ハムの優勝は本当に嬉しい。あれだけファンとチームが一体となった球団はないのではないか・・・そんなことを本気で思ってしまうくらい、札幌ドームはいい雰囲気だった。

年々、新座の小中学校はファンを失っている。確かに黙っていても、お客さんは入るが・・・客が入っても、入らなくても給料はでるから、どうしても手を抜く人間が出てくる。「若さ」を失った教師にいいプレーはできない。いいプレーをしなければ、ファンはどんどん私立へ行ってしまうのだ。

今日も小学生の親に尋ねられた。「五中へ行って大丈夫でしょうか?」「あの事件はどこの中学校ですか?」「新座の中学校はどこも荒れているんですか?」「小学校でいじめがあるのですが・・・」

僕は五中が大好きだったから、娘を五中へ行かせた。そして六中が大好きだから、息子を六中に入れた。僕は20年間、新座の学校で、先輩は勿論、子供たちにも育ててもらった。毎日が楽しくて、楽しくてしょうがなかったのだ。空が大きくなるまでに、「新座の学校なら安心だ!」ともう一度言いたい。

学校の名前
事件が起きた学校の名前を言えない理由はなんだろう。本当に子ども達のことを考えての判断だろうか。学校の名前を言ったことで、不利益になることはあるのだろうか・・・・。3年生の親はまず高校入試のことを考える。1.2年の時はPTAの役員決めに時間がかかるが、3年生になった途端にあっという間に決まってしまうのはそういう理由だと思う。

仮に中学校の名前を公表することで、高校入試に不利になるとしたら・・・他の五校こそ、いい迷惑ではないか。仮に学校名が分かったとして、どうして高校側がそのことで、生徒を判断するだろう。高校の教師はそれ程馬鹿ではない。入試の点数と面接でちゃんと見抜く目を持っているのだ。僕が心配なのは、隠すという行為で子ども達の信頼を失うということだ。日本中、どこの学校でも同じような傾向にあることを子供たちも知っているのだ。
何か困難にぶつかった時に、一番身近な教師という大人達が真っ直ぐに逃げずに向かい合うのか、それとも黙り込んで逃げてしまうのか・・・子ども達は見ているのだ。

トレーニング
今日もジムへ行った。新しい先生に1対1で鍛えてもらった。体がどんどん強くなっていくことが実感できた。バランスボールを使ったトレーニング。一人で簡単にできる腹筋や背筋、そしてストレッチもまた教えてもらった。静先生とさおり先生に感謝!


富山のお袋の家から50Mのところで知り合いのおじさんが熊に襲われて亡くなった。ついこの間、「祐二君の家の裏に熊がでたのよ!」と言っていたお袋。裕二の家も事件のあった家からも我が家は同じくらいの距離の位置にあるのだ。「直ぐに迎に行こう!」と兄貴。「まだ行けないのよ」と呑気なお袋。熊が山から里へ下りてくる。山に食べ物がないのだろう。民家の柿を狙ってくるらしい・・・。何ともやりきれない話である。


10月28日 (土)  「たかやん議員日記」2006.第301弾!  10月28日(土)

「たかやん議員日記」2006.第301弾!  10月28日(土)

東北大学
朝、6時半に家を出て新小岩に向った。今日は東北大学とのOB対抗戦なのだ。30年ぶりに東北大のNO1、西谷に会える。それが一番の楽しみだった。西谷は高校時代からインターハイに出た有名な選手で、当時の僕らは彼には歯が立たなかった。あれから30年、彼はどんなテニスをするのだろう・・・彼とやってテニスになるのだろうか・・・そんなことを考えながら電車に乗った。

対抗戦
僕は一番乗りでコートに着いた。先輩達が次々と登場する。中には「俺はまだ84歳だよ。」という大先輩もいて、なんだか嬉しくなった。西谷は直ぐに分かった。「西谷?」「邑!」30年の月日が一気に吹っ飛んだ。
対抗戦は学生と同じ9ポイント。但し、オッサンだけなので全てダブルスだ。僕は2年上の川西さんと組んで、西谷・佐藤と戦うことになった。4人とも当時のレギュラーメンバーである。

緊張
最初の西谷のサービスゲームをラブゲームで落とし・・・次の僕のサービスゲームで川西さんがボレーを空振りして、15−40。僕らは最初から窮地に立たされた。ところが相手も緊張していて・・・何とかキープ。そこからは僕らのペースで結局6−3で勝ったのだった。「緊張したなあ・・」と西谷。「何でだろう・・・まだ対抗戦の気分が残っているよ」と僕。

大先輩
2試合目は大先輩の安川さんと組んで、東北大の2つ上の先輩達、熊野・岩淵ペアとの戦いになった。メンバーの足りない北大チームは2試合出る選手が数名・・・その中に僕も安川さんもいたのだ。安川さんは僕より10学年上の先輩なのだが、ボレーが上手で、僕達はそこでも6−3で勝った。

石川さん
僕がどうしてもやりたかった相手が東北大の石川悦三郎さん。僕のデビュー戦でスコ負けしているのだ。僕は大野さんと組んで・・・6−3。34年ぶりに雪辱したのだった。

西谷・邑
最後は西谷が「邑、組もう!」と言ってきて、東北大の熊野・渡辺対西谷・邑というペアでの戦いになった。西谷は「今日は全敗しているから、どうしても勝ちたいんだ」と笑わせる。「10分で終わらせますよ!」と言っていたのだが・・・3−0から3−3まで追いつかれ・・・最後の最後にやっと僕らが勝ったのだった。それにしても西谷とダブルスを組むとは・・・記憶に残る試合だった。

ショック
北大の先輩達から「邑、新座は大変だね」「新座の中学校はどうなってるの?」と言われて、ショックだった。埼玉の人でなくても、“新座”の出来事を知っていたのだ。

ダッシュ
新小岩からダッシュで新座に戻った。ひばりヶ丘駅から、バイクのところまで歩いているところで六中テニス部だった友恵とバッタリ。二人とも偶然の再会を喜んだのだった。それからバイクで家まで戻り、昼ごはんをかき込んで、2時から塾。5分前にすれすれで間に合った。

語る会
そして6時からは「語る会」今日のテーマは“新座の教育と財政”市外からの参加者もあって、大盛況だった。語った内容は教育が9割で財政は1割。参加者全員、教育に強い思いがあったのだ。因みに、参加者はほとんどの人が、あの事件の学校名を知っていた。「何で隠すんだろうね」という意見が多かった。「語る会」は日付が変わっても続いたのだった。「語る会」は来月も月末の土曜日に開催の予定である。   たかやん



10月29日 (日)  「たかやん議員日記」2006.第302弾!   10月29日(日)

「たかやん議員日記」2006.第302弾!   10月29日(日)

朝帰り
あまりにも語りすぎて・・・・昨夜は塾に泊まってしまった。久し振りの朝帰りである。雨上がりの道路をバイクで走る・・・・。日曜の朝6時、車は殆ど走ってなかった。

3トントラック2台
引越し屋さんが見積もりにやってきた。「3トントラック2台ですね」と言われてビックリした。1台で2往復すれば安く済むのだろうが、そうはいかないらしい。引越しまであと1ヶ月。嬉しいような、寂しいような複雑な気持ちである。

8億
小泉純一郎が退陣前に海外へ4回行った費用が8億円と聞いて、呆れてものが言えなかった。借金大国を作ってきた張本人が税金を湯水のように使ったのだ。人の金を使い込んだ人間の人相は悪くなるが、彼もまた人相が急降下した一人である。

動画
夕方から、HPの動画つくりに燃えた。といっても友達のカンズが付きっ切りでやってくれたのだが・・・・。HPを作っていくのは面白い。新座市議会の雰囲気を少しでも伝えることができたら・・そう思って頑張ってみた。まだ声はでないが、動くから楽しい。
お楽しみに・・・・

教育週間
土曜日から教育週間が始まった。週間と言っても、3日間しか授業を見ることはできないらしく、インチキ臭い。小学校と合わせると確かに「週間」にはなるのだが・・・・・
どうして1週間まるまる開放しないのだろう。毎学期、丸々一週間授業を公開すれば、流石に普段の授業を見てもらえると思うのだ。教師を成長させる一番の近道は、授業公開で「刺激」を与えることである。1時間の授業の為に、事前に数ヶ月も準備をする教育委員会の「研修」などよりはるかに力がつくと思うのだ。

研修日
教育委員会の研修日前日、学校はその準備に追われる。PTAの役員まで接待の打ち合わせをするところも・・・生徒はいつもより念入りな清掃をし、学校は臨戦態勢に入る。廊下や教室の掲示物は綺麗に貼り直される。当日の朝、授業の前に臨時の清掃時間を作り、玄関には普段は置かれていない花瓶が用意され、見慣れない花が飾られる。いつもはジャージの教師がその日だけはネクタイをして・・・チャイムには遅れずに教室に入る。僕はそういう研修日を21年間も見てきた。流石にその日だけネクタイなどという格好の悪いことはできなくて・・・ジャージの上に白衣といういつもの格好だったが・・・・。そういうよそ行きの授業は本物の授業ではない。その時だけ、いい格好をしようというところがいけない。教師は授業が「売り」なのだから、授業で勝負できなければ話にならないのだ。そういう意味でも新座市の「教育週間」には大いに疑問を感じるのである。近隣の市の中には一週間、丸々授業参観日という学校もあるのだから・・・・。たかやん



10月30日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第303弾!  10月30日(月)

「たかやん議員日記」2006.第303弾!  10月30日(月)

中二
朝刊でまた「いじめ?中二女子自殺」という見出し。何故子ども達は死に急ぐのか・・・・彼らは死ななくてはいけなかったのか・・・中二という時代の素晴らしさと、その時代の子供たちに接する難しさをあらためて思う。

勿論個人差はあるのだが、子供たちにとって中二という時代はもっとも伸びる時期だということは確かだと思う。精神面でも肉体面でも学力面でも本当に信じられない伸び方をする子達がいる。伸びやすいということは一方で、感受性が強く・・・少しの言葉で傷つくこともでもあるのだ。

「子ども達は“いい言葉”と“いい栄養”によってこそ育つ」という言葉があるが、本当にその通りで、“いい言葉”と“いい栄養”を知らない子ども達は、ちゃんとした大人には育たないのである。そういう意味では“悪い言葉”をいい続けている教師や友人?たちも“いい言葉”をたくさん浴びてなかった人たちな訳で・・・・悲しい人たちなのだ。

“いい言葉”は家では親から、祖父母から、そして兄弟から貰うことが多い。学校では、先生と友達から貰うしかないのだが・・・・。子どもは8時間は寝るから、子ども達の一日は16時間。その内の8時から5時まで学校にいると考えると・・・・16分の9。要するに子ども達の人生の半分以上が学校ということになるのだ。その学校で、先生や友達から“いい言葉”ではなくて、“心が傷つく言葉”を貰い続けたら・・・・・
子ども達が人生の大半を失ったように感じても不思議ではないのだ。

40年前
僕にも中二という時代があった。その時、僕は河合隆慶先生のクラスになったのだ。河合先生は毎日のように僕らに“いい言葉”をくれた。しかも笑顔つきの“いい言葉”だった。友達もよかった。隣りの席に座った江崎さんや井戸さんは才女だったし、テニス部の福良や日暮は秀才だった。「邑、本を読めよ!」「邑君、本は楽しいわよ」僕はそういう友達ができて、本を読むようになったのだ。それまでの僕の偏差値は42くらい。それが河合先生と友達のお陰で軽く20以上UPした。理科は学年で一番にもなった。僕は人生で初めて、「たかむら君は勉強ができるんだね」と言われたのだ。そして部活では白浜先生に可愛がってもらい、テニスの新宿大会では優勝した。あの中二があったから、今の僕がいると思う。僕にとって学校というところは、自分を認めてくれる場所だった。もっとも信頼できる大人のいる場所でもあった。そして大好きな友達とテニスができる場所だったのだ。

学校
だから僕は教師になった。「河合先生」になろう!と僕は思ったのだ。残念ながら河合先生のように「校長」にはなれなかったし、途中で辞めてしまったのだけれど・・・それでも、僕の心の中には今でも河合先生がいる。13歳で担任をしてもらった先生が40年経った今でも心の中にいる。それが教育の力だと思うのだ。僕の仕事は自分の心の中にいる“河合先生”を若い先生達や次の世代の子供たちに伝えることなのかも知れない。  たかやん


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