Diary 2006. 4
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4月21日 (金)  「たかやん議員日記」2006.第111弾! 

「たかやん議員日記」2006.第111弾!   4月21日(金)

新座市議会会議録検索システム
http://niiza.gijiroku.com/voices/srchtop.asp?fimode=1&rst=1
やっと12月議会の議事録がアップされた。この検索システムはなかなか面白い。例えば誰かを指定すれば、その人が何回発言したかも分かるし、勿論どんな内容の話をしたのか、それに対する答弁も分かる。もらった原稿を読んでいるだけなのか、自分の言葉で話しているのか、読んでみると直ぐに分かる。自分が応援した人が、議会ではどういう存在なのか・・・・傍聴していなくても、ある程度は伝わってくるのだ。自分で読んでいると、こんな風に言えばよかった!・・・と恥ずかしい部分も勿論あるのだが、僕の場合は原稿が無いので言い訳のしようがない。市長も含めて、自分が選んだ人の発言を見る。それが大事だと思う。

学力テスト
240万人を対象とする学力テストが話題になっている。来年行われる学力調査である。小学校6年と中学校3年が対象らしい。テストは国語と数学(算数)の2教科。朝日新聞の社説では「全員のテストが必要か」という見出しだったが、僕は疑問だ。どうせやるなら、小学校1年生から中学校3年生まで全員やればいいし、教科も最低5教科(小学校は4教科)やればいいと思う。そんなもので学力が測れるか!と言うのなら、テストなどしなければいいし、いやテストはやはり大事なのだ!と言うのなら、もっと徹底的にやればいいと思うのだ。ついでに教える側の先生達にも全員のテストをして欲しい。専門教科は勿論、中学校のテストと同じものをやらせてみたら面白いと思う。50点平均いかない先生や専門教科で70点未満の先生。英語の先生でTOEIC700点未満の先生は大学に逆戻り、何ていうのがあってもいい。勿論管理職にはレベルの高いテストを受けてもらう。漢字のテストで80点未満の校長や教頭は平に格下げなんていうのも面白い。学校は教える方も教わる方も本気でないといけない。国民の血税が使われているのだ。真剣になってもらわなくては困るのである。そういう意味では国会議員は勿論、県会議員や市会議員にも最低の学力は欲しいところだ。そういうレベルに達しない議員は辞職ということになったら、税金は大分浮くだろう。議員がやるなら公務員も・・・・公務員がやるなら会社員も・・・と日本全国で大人が勉強を始めたら・・・そういう大人の背中を見て、日本の子ども達は勉強するようになって・・・・日本の子供たちの学力は世界一。なんていう風にはならないか・・・。

定期テスト
五中でも六中でも二中でも、僕は子供たちと一緒にテストを受けた。学力テストは範囲が無いから一番になれるのだが、定期テストはなかなか勝てない。六中のテニス部に学年一番の子がいて、その子に勝とうと必死に勉強して5教科で483点取った。(今度は勝っただろう・・・)と思ったら、その子は484点取った。結局その子だけには定期テストで一度も勝てず・・・その子は浦和高校へ行った。そして現役で東大へ・・・。テニスでは一度も負けたことがなかったが、定期テストでは勝ったことがない。そんな賢い教え子もいたのだなあ・・・。
そうそう五中時代にも一人凄いのがいた。僕の理科のテストで100点満点で113点を取ったのだ。(そんな馬鹿な!)と思うかも知れないが、僕の模範解答よりもいい解答だったので、僕は13点プラスしてあげた。その当時は満点以上は次回に繰越という制度(僕が勝手に作った制度)があったので、彼は次のテストで67点以上で「5」。勿論彼は次のテストでもアンビリーバボーな点数を取り、僕は「5゜」を通知表につけた。5以上はないから5゜・・そんな馬鹿な!そして彼も東大へ行ったのだった。


4月22日 (土)  「たかやん議員日記」2006.第112弾! 

「たかやん議員日記」2006.第112弾!   4月22日(土)

危機一髪
今朝は6時前に起きて朝ごはん。7時過ぎに兄貴が迎に来て、いよいよお袋を富山に送る時がきた。車の運転は兄貴、僕は助手席で話しかける役。110キロくらいで走行していると・・・400Mくらい前の車が突然中央分離帯に激突して・・・・「危ない!左に寄って!」と叫ぶ。車はひどく壊れていたが、乗っている人は二人とも無事らしい。「ちょっと見て来い!」と兄貴は路肩に車を停車。
高速道路を歩くのは結構恐い。「大丈夫ですか!」と声をかけると「大丈夫です・・・」という声。「警察に電話しましたか!」と叫ぶと「いいえ!」乗っていた二人は放心状態のようなので、僕が緊急電話までダッシュして、救急隊と警察に状況を説明した。
その車はわき見運転か、居眠りかで左のガードレールにぶつかって、その反動で中央分離帯に激突したらしい。後続車の反射神経がよくて追突しなかったからよかったものの・・・ひどい事故になるところだった。僕達自身「もかなりヤバイ?」危機一髪だった。

黒部の山
富山には昼過ぎに着いた。街はどんどん変化していくが、何十年も前から変わらないのが黒部の山。昔と同じように真っ白な黒部の山が僕達を迎えてくれた。

掃除、炊事、掃除
半年も人が住んでいなかった家にしては、まあまあ家の中は綺麗だった。それでも今年の冬は豪雪。家の周りにはその名残が・・・・水道管は破裂し、ガスボンベのカバーは押し潰され・・・・家の中の大掃除が始まった。車は半分しか運転していないので、それほど疲れてはいなかったが、限られた時間の中で、お袋にとって快適な空間を作ろうと兄弟力を合わせて働いた。

少年犯罪
「ともや、最近の子ども達はキレやすいんか?あんた学校の先生やったがやろ?」と叔母。「確かに食事の問題とかあるし、そういう傾向もあるけれど、結局は大人の真似じゃないかな。」「そいがけ?」「昔は、こんな事件あまりなかったよ。」「そんなことはないよ。あったけど報道されなかったのさ。」「そういうもんかね?」
岐阜での事件はまた「少年犯罪か」という印象を与えた。だけど、どんな少年犯罪でも結局は大人の犯罪を真似ていると僕は思うのだ。子ども達は毎日のように大人の「殺人事件」のニュースの中で暮らしている。大人の作ったゲームの中で「殺人」を繰り返し、大人の作った煙草を吸い、大人の作った薬を飲み、大人の作った廃屋で遊ぶ。そして大人が作らなくなった栄養の無い朝ごはんを食べ(あるいは食べない)、大人が作った添加物だらけの食事をして生きているのだ。子どもがおかしいというのは簡単。その子達の親が悪いというのも簡単。中2の女の子の命は戻らない。悲しい事件である。



4月23日 (日)  「たかやん議員日記」2006.第113弾!

「たかやん議員日記」2006.第113弾!   4月23日(日)

千葉7区
大接戦で民主党が勝った。自民党と公明党の公認候補を破ったのだから面白い。小沢一郎効果なのだろう。選挙の面白さと恐ろしさを感じた一日だった。立候補した時点では「負け戦」になると誰もが思っていたはずだ。それが大逆転して勝つのだから・・・・・・。
26歳の最年少の国会議員はこれからドキドキの毎日だろう。選挙は面白くて、そして恐い。

岩国
岩国市長選でも自民党候補が負けた。米軍の部隊移転に反対する旧市長が当選したのだ。住民が反対しても無理やり推し進めていく自民党のやり方にNOと言ったのだと思う。自民党の数の論理が少しずつ壊れ始めてきている・・・・。

40年
親友の祐二と久しぶりに会った。いつもすれ違いで、暫く会っていなかったのだ。祐二とは小学校3年生くらいからの友達。東京からきたひ弱な少年は田舎の悪ガキと友達になり、一気に逞しくなっていった。「ぼく」と言っていた僕は、富山では「おら」と自分のことを呼ぶようになった。祐二と僕は毎日のようにプールで遊び、山のスイカを盗み、畑のトマトを盗み、川で魚を獲って遊んでいた。

不良
祐二は不良だったから、中学生の時から煙草を吸っていた。(僕は21歳まで吸ったことがなかった。)でも祐二は今でもお酒を殆ど飲まない。僕は受験生の頃毎晩飲んでいたから、やっぱり不良だったのかも知れない。そんな不良が僕の前では煙草に火を付けなかった。「ともやが煙草アレルギーと聞いたら、吸えんわなあ・・・」と我慢してくれたのだ。「お前いい奴だな。」と僕。そしてお酒を飲めない祐二の代わりに祐二の奥さんが「銀盤」の一升瓶を持ってきて、冷酒をつきあってくれた。
西戸山小学校、中学校の友達と全く会っていない。今でもあそこに住んでいる友達はいるのだろうか。高校、大学の友達とは最近よく会うようになったが、小さい頃の友達は本当に限られてしまう。
「祐二、お袋のことよろしく頼む。時々顔を出してくれ!」「おう、わかった。」我が家と祐二の家は70M位の距離。毎朝、お袋が散歩するコースの途中に祐二の家があるのだ。


4月24日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第114弾!

「たかやん議員日記」2006.第114弾!   4月24日(月)

お墓
兄貴と二人でお墓の掃除をした。田んぼの真ん中に我が家のお墓はある。雑草を取って、軽く掃除して、手を合わせて帰ってきた。

お袋の涙
去年は「早く舟見に帰りたい。」と言っていたお袋が、今年は「帰りたい」と一度も言わなかった。大分気が弱くなってきているのだ。もしかしたら新座の方が居心地がいいのかも知れない・・・・。毎回、帰るときは僕らの手を握って涙ぐむお袋。今回はその目が少し弱弱しく感じた。

何度
「あと何回この道路を走るんだろうなあ・・・」「そうだな。」兄弟でお袋を迎に行き、兄弟でお袋を送りに行く。そんな毎年の行事だが、あと何年続けられるのだろ・・・ふとそう思った。お袋が元気でいてくれて、僕らも元気じゃないとこの行事はできない。何度でもこの行事ができるように体には気をつけないと。お袋に負けないように・・・・。

お名前は?
「パパ!おかえりー!」玄関を開けると、空が飛びついてきた。兄貴が帰ろうとすると、「パパは行かないで!」と心配そうな空。しばらく会えなかったから寂しかったのだろう。鱒寿司をみんなで食べた後、「お名前は?」と聞くと「たかむら そらです。」と初めて答えた。「いくつ?」という質問には「にさい」とこたえられるのだが、今まで「お名前は?」という質問には全く反応できなかったのだ。「たかむら そら」はもうすぐ3歳になる。僕と49歳の差。空が僕の歳になると、僕は101歳。その時は僕が「たかむら ともやです」と答えているのだろうか・・・・。あと半世紀、元気に生きなければ・・・・。

英語の問題
小学校からの英語必修が話題になっている。僕が憧れていた鳥飼久美子さんは「日本語で考える教育こそ」大事なのだ、と反対している。語学は必要になればできると僕は思う。そりゃあ僕だって5ヶ国語くらい話せたらいいなと思う。日本語、英語、韓国語、スペイン語、中国語。その5つの言語を自由に使えるようになることが僕の夢だ。だけど日本語と英語以外、殆ど伸びないのは必要がないからだ。使うことがない言語を勉強するのは難しい。そういう意味では、子ども達は苦しい環境にある。英語を使うのは、何といっても英語のテストな訳で・・・そのテストにリスニングがあるとなれば、リスニングのトレーニングは必要なことになるから勉強するしかない。スピーキングのテストはないからやらない、となるわけだ。自分の周りに英語でしかコミニュケーションが取れない環境があれば、子供たちも自然に英語を学ぶだろう。だけど、使う環境がなければ言語を習得するのはよほどの動機が無い限り、無理だと思う。「将来、言語学者になる」「英語の先生になる」「ビジネスの世界で生きるために、今から英語を勉強する」「ハリウッド映画に出演する」そういう子供たちであれば、モチベーションは続くかも知れない。大人が社会に出て、必要にせまられて必死になって勉強するように、子供たちの社会にそういう環境があればいいが、今は日本語だけで充分なのだ。しかも、算数もあれば漢字も覚えなくてはいけない訳で・・・・読み書き算盤の基本に力を入れないで、語学の習得に時間をかけることには僕も疑問を感じている。そりゃあ、国のトップや会社のトップになるエリートには必修科目だとは思うが・・・・。もう一つは先生の問題だ。子ども達は「先生」の能力や人柄に左右されて英語を好きになったり、大嫌いになったりする。優秀な先生を揃えることが大事なのだ。そういう先生が日本全国にそんなにいる訳がない(新座市内にも・・)・・・・英語を母国語とするというだけで、英語の先生になっているのが今の日本の現状だろう。それは僕ら普通の日本人が世界中に散らばって、日本語の先生になるようなものなのだ。
もう一つは今の公立小中学校の「学校崩壊」や「学級崩壊」の問題。そういう状態のまま「英語教育」に走ることは即、失敗を意味する。優秀な英語の先生がいても、素敵なAETがいても、結果は失敗になりかねないのだ。
西戸山中学校1年生の時の英語の授業には緊張感と感動があった。北大1年生の時のドイツ語の授業には緊張感も感動もなかった。今、英語はなんとか話すがドイツ語は全く駄目。話したいとも思わない。早稲田大学で講師をやっている姪はドイツ語を話すが、その気が知れない。最初に会った先生の影響は大きいのだ。全部を先生のせいにしようとも思わないが、大いに影響があるのは事実である。
英語が大好きな僕が疑問に感じているのだから、英語嫌いの人はもっと感じているに違いない。




4月25日 (火)  「たかやん議員日記」2006.第115弾! 

「たかやん議員日記」2006.第115弾!   4月25日(火)

一日に何度も・・・
朝、昼、晩とお袋と電話で話をしてしまった。「朝ごはんちゃんと食べた?」「お昼は何食べたの?」「テレビのリモコンは小さいほうだよ。」「空の誕生日のお祝いありがとう」「夕飯は何を作った?」まるで僕がお袋で、お袋が可愛い息子のようだ。お袋のいた部屋がガランとなり、家全体が寂しくなった。

給食のなめこ汁
そんな馬鹿なことが・・・・と思う人もいるかも知れないが、僕も昔職員室でお茶にママレモンを入れられたことがある。僕の場合は余りにも苦くて、吐き出したのだが、その女の子も中三だった。その場で滅茶苦茶怒ったのだが、数日後自転車置き場でその子は泣いていた。「どうしたの?」と聞くと「お母さんに会いたい」という。彼女は本当のお母さんに会いたかったのだ。まだ若かった僕は、どう対応したらいいか分からず、オートバイの後ろにその子を乗せて、我が家に連れていった。お袋と親父と一緒に夕飯を食べて、また家まで送っていった。「家族一緒に御飯を食べたことがないんです。」とその子が言ったからだ。
その子は僕が「お茶入れてくれる?」とたまたま職員室で聞いた時にいたずらをしたのだが、今回の薬はなかなか計画的だ。先生の気を引きたいという気持ちは今も昔も変わらないが、その気の引き方には大分違いがあるようだ。お茶にママレモンもひどいが、なめこ汁に薬はもっとひどい。なめこ汁にチョコレート(なめこに似た奴)くらいにしておけばいいのに・・・そういうセンスがないのだなあ・・・

JR西日本
あれからもう1年が過ぎた。国鉄時代にも事故はあった訳だが、今回のような儲けを追及した結果の事故は無かったと思う。会社の体質はなかなか変わらないだろう。日本航空が次々と何やらやらかすのも、会社の体質なのかも知れない。みんなで気をつけないと・・・・。

幼児とお年寄りと女性と
幼児がマンション?から投げ下ろされて殺されたり、71歳の老人が高校生に殴り殺されたり、この国はどうなっているんだ!と嫌になってくる。ホームレスの人を殺す「遊び」さえあったし、「おやじ狩り」という言葉もあった。女性を襲うスポーツマン集団や大学生達もいた。加害者はバラバラだが被害者はいつも弱い人たちと決まっている。
ふと政治がそうしているのではないかと思う。お年寄りや障害を持った人たち、そして未来を担うこともたちに優しい政治をしているのだろうか・・・・答えはハッキリNOだ。政治がそうだと、日本の国全体にそういう雰囲気がいきわたるのは当たり前だ。国民に愛国心が無いのも、少年犯罪がひどいのも、憲法や教育基本法が悪いのではなくて、今の政治が悪いのではないのか・・・。
勝ちとか負けとか、人の命の尊さに差があるような雰囲気を作っているのはいったい誰なのだろう。何かあると学校や家庭のせいにするけれど、本当は政治が悪いから、世の中が悪くなるのではないだろうか・・・・。その政治を作っていくのは国民だ。投票率が100%になったら、100%に近づいたら・・・・うーん、80%でもいい。それくらい盛り上がったら、一気に変わっていくと思う。


4月26日 (水)  「たかやん議員日記」2006.第116弾! 

「たかやん議員日記」2006.第116弾!  4月26日(水)

米軍に3兆円?
ニュースで阿部官房長官が出ていた。「米軍再編成に日本が3兆円負担せよ」という米政府。米海兵隊のグアム移転の59%(7000億円)負担だけでも頭がどうかしていると思うのに、この国の指導者達はどうなっているんだと思った。
一方で韓国・中国に対しては国民感情を逆なでするようなことをしておいて、アメリカに対しては「おもいやり」。本当の思いやりは自国民に対してのものであって欲しい。日本の民が地震や災害(耐震偽造マンションも含めて)で苦しんでいる時にこそ、「思いやり予算」を組んで欲しいと思う。子供たちや先生の学習環境を整備することに、病気の人や過密な勤務の医者や看護士の為に、介護福祉の充実の為に僕らの税金を使って欲しいと思うのだ。

共謀罪
どうしても治安維持法を思い浮かべてしまう。盗聴機が溢れているという今の世の中で、相談しただけで捕まってしまうのではお酒も飲めない。冗談で言っても警察がそう判断しなければ捕まるのでは治安維持法と変わらない・・・・。「君が代」を歌わなけりゃ処分されるし、「憲法第九条」は変えてしまおうとしているし、中国や韓国に対しては強気だし・・・・「愛国心」は強制しようとしているし、アメリカに尻尾を振っている以外は戦前に戻そうとしている気がする。

携帯
今25歳の子供たちが中学校2年生の時、初めて給食の時間中にポケベルが鳴ったのを覚えている。「誰だあ?」「あたし、たかやんごめんなさい。」そんな会話があった。当時学校の公衆電話には生徒が列を作り、駅前の公衆電話でも若者が電話のボタンを押す姿が見られた。そういう僕自身も骨折で入院した時はポケベルを持っていた気がする。
手紙には長い待ち時間があった。相手が書いた時間は何日か前という時間差が楽しかった。ポケベルにも待ち時間があったが、携帯のメールにはそれが殆どない。大人の場合は仕事中は見なかったり、車の中に置き忘れたり、マナーモードで気付かなかったり・・・・と色々ありそうだが、子供たちにはそれができない。授業中でも携帯し、深夜でも相手に返事を返す。
メールで告白し、メールで別れる。恋愛も簡単になってきた。僕等が悩みに悩んで、自分の気持ちを伝えようとしていた時代とは恋愛のスピードも格段に違うのだ。僕らの時代に無かったものが溢れる世界で子ども達は生きている。
携帯、ゲーム、酒・煙草の自動販売機、ドラッグ、コンビニ、インターネット、添加物だらけの食べ物・・・・
確かに世の中は便利になったが、子供たちが失ったものも大きい。
田んぼと畑、雑木林、綺麗な海、空、空き地、国産の安全な食べ物、ガキ大将、家族の会話、手紙、方言、敬語、近所の恐いおじさん、おせっかいなおばさん、学校の先生との信頼関係、読書の時間・・・・・
勿論今でもそういうもを持ち続けている幸せな子供たちもいるだろうけれど・・・。


4月27日 (木)  「たかやん議員日記」2006.第117弾! 

「たかやん議員日記」2006.第117弾!   4月27日(木)

久しぶりの市役所
議会便りの校正の為に久しぶりに市役所へ。最近髭を剃ってなかったので、議会事務局のIさんに「汚いかなあ、この髭・・・」と聞くと「そんなことないですよ」「どうしたんですか?」と笑いながら肯定。髭を剃ることに決定した。
前から頼んでおいた机が入ったのだが、余りにも汚い机なので驚いた。ガッカリしている僕をみて、「別の机に代えましょう」と言ってくれ、かなり綺麗な机に代えてもらえることになった。議員の控え室は僕達の職場。色んな人が訪ねてくるわけだから、やはり小ぎれいにしておかないと・・・・。

遠足のお菓子
市民の方から「遠足のお菓子を禁止している小学校があるんです。」「新座市の学校はみんなそうなのですか」という話をきいた。指導課長に控え室から電話をすると「学校長の判断ですから・・・」というつれない返事。さすがに遠足のお菓子のことを議会では聞きたくはないので、「他の学校の状態も調べておいてください」とお願いした。見学場所によってはお菓子は駄目というところもあるだろうが、普通の遠足でお菓子が禁止というのは理由が分からない。我慢大会のような遠足なのかなあ・・・・

遠足の思い出
あれは森林公園への遠足だったかな。それとも宮沢湖だったかな。2年生のH子という女の子が山道の途中で意識がなくなった。彼女は「若年性糖尿病」という病気だったのだ。僕は彼女を背負って、山道を数キロ歩いた。僕の背中で飴をしゃぶっているうちに意識がだんだん戻ってきたH子。みんなが羨ましがる中、ソフトクリームを食べて完全復活。担任はバテたが、僕に付き合って一緒に歩いてくれた子達との連帯感、そして何よりH子に対するみんなの思いやりとその病気に対する知識を得たことが収穫だった。僕はその遠足で我慢してはいけないこともあるんだ、ということを学んだのだった。

ホリエモン
久々に登場したホリエモン。拘置所の中で200冊の本を読んだという。3ヶ月で200冊・・・僕も昔そのペースで本を読んだことがある。自分の人生に疑問を感じて、片っ端から読み漁ったのだ。彼は語学の本もたくさん読んだらしいが、僕はそういう余裕はなかった。「宗教」とか「哲学」とか・・・そういう本が多かった。麦飯と運動ですっかり痩せて健康的になったホリエモン。それにしても3億円の保釈金というのは凄い。

完璧
中一の男の子が初めてアルファベットの大文字、小文字を全部書けるようになった。nとhの区別ができなかったり、gやjが上に乗っかったり・・・僕らには当たり前のことが、子供たちには辛いことがある。でも「まいっか・・・」と妥協せず、「完璧」を求めてよかった。その時の笑顔がたまらないのである。
昔bとdの区別が出来ない中学校2年生がいた。後で猛勉強し自力で大学に入ったが、そういうことで随分損をしたと思う。最初に完璧にしておくことで、後が楽になることはたくさんある。子供たちに基礎を完璧にすることの大切さを教わった気がする。


4月28日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第118弾! 

「たかやん議員日記」2004.第118弾!  4月28日(金)

政務調査費
今日も議会事務局へ。政務調査費の決算報告書の提出期限だったのだ。領収書を3枚貼って3枚の書類を提出した。新座市の政務調査費は月額20000円。(一人当たり年間24万円)研究研修費、調査旅費、資料作成費などに項目がわかれている。市によっては年間400万円を越えるところもあるから驚きだ。本や新聞は勿論、パソコンやボイスレコーダーなども買うことができる。語る会では3月分の政務調査費で文具と本を買わせてもらった。埼玉県議の政務調査費(県政調査費)は年間600万円。報告も杜撰なことから第二報酬と呼ばれているらしい。議員になるまで僕はそういうことも知らなかった。

遠足
昨日、遠足のお菓子のことで教委の指導課長に質問した時の答えが「校長の判断ですから・・・」。そういう答えは議会の中でも多いのだが・・・・・。僕がいたころの中学校では考えられないことだ。校長(あるいは教頭)は遠足については行くが、遠足の方針は学年の教師集団が決めるのであって、その内容に校長や教頭が口を出すことはなかった。最終的な学年会議に一度は顔を出すことはあっても、準備の段階ではまずノーコメント。目的、行き先、旅行会社(バス会社)、全て学年の教師集団が学年会で決定していた。だからある学年で中心的な先生が「今回の遠足はお菓子無しでやりましょう!」と言いだし、それにみんなが同調すればその遠足に限っては「お菓子なし」ということはあるかも知れない。だけど学校の方針でお菓子がなし、校長の方針でお菓子がなしというのは聞いたことがない。子供たちの代表とお菓子の金額やお小遣い、持ち物などについて「話し合い」をしてお互いに妥協していくところが面白いのであって、一方的に「禁止」を上から言うのではそういう面白みがないのだ。それでは生徒達の「自主性」などは育つはずもなく、ただただ先生の言うことを素直に聞く子ども達が育っていくだけだろう。そして校長の顔色をうかがう先生ばかりになってしまうのでは・・・・と心配するのである。

お風呂の中での会話
空「ハックション!」父「Bless you」空「Thank you!」父「You’ re welcome」ニコッと笑う空。「空、いつ覚えたの・・そんなこと」「パパ、チチね、よしのせんせいだいすき」「そう、かいやせんせいは?」「かいやせんせいもだいすき」「じゃあ、いのせんせいは?」「いのせんせいもだいすき」「いとうせんせいは?」「だいすき」「くろさわせんせいは?」「くろさわせんせいもだいすき!」今日2歳の空は初めて背泳ぎの練習が楽しかったらしい。始めの頃は泣いてばかりいたのに・・・今日はお風呂の中で何度も何度も潜ってみせた。水泳教室の先生方のお陰である。2歳の空は今日が最後。ちょっぴり寂しい気がする。


4月29日 (土)  「たかやん議員日記」2006.第119弾! 

「たかやん議員日記」2006.第119弾!  4月29日(土)

公園
今日はおじさん達相手にテニスの練習をした。中学生と同じような練習を軽くやったのだが・・・・おじさん達は完全にアップアップしていた。

昔は・・・
今日近所のある方に「昔は厳しかったんですってね」と言われた。「いや、大昔は厳しくやりましたけど、六中ではそうでもありませんでしたよ。」と僕。「中学生はある程度厳しくしないと駄目ですよ!」「はあ・・・」厳しくても楽しければOKかな?

3歳の誕生日
空が三歳になった。「おなまえは?」と聞くと「たかむら そら です」と言えるようになった。「いくつですか?」と聞くと「にさいです」というから「きょうから さんさいなんだよ」と教えた。
誕生日ということで、池袋のサンシャインへ行った。玩具の電車や汽車を見に行ったのだ。トーマスの玩具の列車に乗るのに20分待たされるとは思っていなかった。やっと乗ったと思ったら、「またのる!」と空。もう一度トーマスに乗り、最後は30分並んで新幹線に乗った。人ごみに疲れて帰りの車の中で鼾をかいて寝る空。もう少し大きくなると玩具じゃあ納得しないのだろうなあ・・・そんなことを思いながら空の寝顔を時々見ていた。

井上康生
空が生まれた日は柔道の日本選手権のあった日。井上康生が三連覇した日に空は生まれた。前から好きだったのだが、それから何があっても応援するようになった。今年の大会には参加していなかったが、来年こそ復活優勝をして欲しい。スポーツ界にはスーパースターが必要なのだ。そしてスーパースターの復活がおっさん達を勇気付けるのである。


僕が小学生の時になりたかったのは「お肉屋さん」「タクシーの運転手」「プロ野球の選手」「医者」だった。絶対なりたくない職業が「先生」と「政治家」そして「作家」。勉強はできなかったし、政治家はみんな悪い奴だと思っていたし、学校の勉強で一番嫌いだったのが作文だったからだ。その内の二つを経験してしまうのだから人生は恐い。
高校時代は「船乗り」もいいなあと思っていた。海ならどこまでも泳げると思っていたからかも知れない。今小学生からやり直せたら「パイロット」もいいなと思う。世界中の国へ行けるし、色んな国の言葉を話すチャンスがあるから・・・。空は将来何になるのだろう・・・。「何屋になってもかまわん、ただ人をくさしてメシを食うような曲学阿世だけにはなってくれるな!」とは死んだ父さんの遺言だが、僕は空に何を伝えるのだろう・・・・。雪や亮には何を伝えようとしてきたのだろう・・・・。


4月30日 (日)  「たかやん議員日記」2006.第120弾! 

「たかやん議員日記」2006.第120弾!   4月30日(日)

ゴールデンウィーク
「9連休なんですよ。」という会社もあるらしい。ゴールデンウィークがスタートした。今朝は5時過ぎに起きて、6時過ぎに家を出た。幸弘との待ち合わせは6時15分。今日は「団子売り」のアルバイトの初日である。
教員と塾の講師、うどん屋と議員しか経験のない僕は「団子売り」にもちょっと心が動いたのだ。幸弘に「誰か学生いないかなあ・・・」と頼まれていたのだが、ゴールデンウイークに暇な学生は余りいるはずも無く・・・・責任を取って、自分でやるしかないかと腰を上げたのである。僕は学生時代のバイトの経験も実は殆どない。高校時代の郵便局の年賀状の配達と大学時代の家庭教師以外はバイトらしいバイトはしたことがないのだ。

「いらっしゃいませー!」「団子はいかがですかー!」「はい、いらっしゃい!炭焼き団子はいかがですかー!」と声を出し続けるようなバイトは初めてなのである。

小金井公園
大泉の中央公園がスキスキに感じるくらい、人が集まっていた。親子連れ、若いカップル、・・・ジョギングする老若男女で公園はごったがえしていた。二、三歳の子どもを見ると、空を思い出して思わず笑ってしまう自分がいた。それにしてもこれだけの人が集まるのだからいい公園なのだろう。新座の総合運動公園も見習わないといけない。

焼き団子は思うようには売れなかった。僕は見習いだし、初めてのことだからよく分からなかったのだが、売れるときは400、500、700と信じられないくらい売れるらしい。1本300円の大き目の焼き団子が9時半ごろから4時半ごろまでで丁度100本。それでも最後の1本が「ケヴィン」という4歳の男の子に買われていったときは、本当に嬉しかった。この世界で売れ残りが無いということはいいことなのだ。

お客様
今日学んだことはみんな「お客様」だということ。幼児からお年寄りまで、僕らのお団子を買ってくれる人たちはみな大切なお客様だということだ。学校に行けば、お客さんが黙って40人待っていてくれる教師だった僕にとって、朝から晩まで苦労して呼んだお客様は新鮮だった。

連帯感
僕らの隣りは生ビールを売っていた。彼はヘビースモーカーらしく、時々「すいません、ちょっと吸ってきます」と居なくなる。その時は僕等が「生ビールいかがですか!」とビールを売るのだ。今日は生ビールもかなり売れていた。どの店も10万以上の売り上げだったらしい。僕らの店を除いては・・・・

70年
僕らの団子が売れなかった理由は目の前に70年続いた老舗の団子屋がいたからだ。その団子は400以上売れていたから、その団子屋がなかったら・・・僕らもそれ以上売れていたかも知れない。でも演出は流石70年の老舗である。僕らの取ってつけたような店舗とは桁違いだった。

足が棒
一日たっていたので、足が棒になった。声も出して本当に疲れた。一日働いて5000円だったけど、何だかとってもいい経験ができたと思う。


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