Diary 2006. 4
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4月1日 (土)  「たかやん議員日記」2006.第91弾!

「たかやん議員日記」2006.第91弾!  4月1日(土)

朝練
新豊テニスクラブで後輩のNと久しぶりの朝練。練習をした後、シングルスを6−3で、その後ダブルスも6−3で、気持ちよく朝練を終える。テニスがいいのは、二人居れば直ぐにできること。4人いれば勿論ダブルスができるし、たくさん居ればわいわい練習ができる。勿論テニスコートがないと無理なのだが・・・・北大のテニスコートはオムニになったし、石神井のコートも今度オムニになる。オムニのコートは膝に優しい。若者が世界で戦うには不利かも知れないが、おっさん達にはいいのだ。もう少しテニスをやりたいな・・・・そう思う今日この頃である。

バイク
50ccのバイクが故障したので、五中時代の教え子の弟のバイク屋さんに直してもらった。昔は400ccのバイクに乗っていたのだが、保険は高いしスピードはでるしで250ccに変えたのが10年ほど前。それもスピードが出て危険だなあ・・・そう思っていた時に丁度盗まれてしまった。ちょっと悔しかったけど、「神様が危ないからやめろよ。」と言っているのだと思うことにして、それ以来大きいバイクには乗っていない。50ccと自転車があれば大抵のところへは行けるのだ。

花見
夕方から東久留米の公園で花見をした。ビールを片手にテニスを見ながら、一早と二人だけの花見である。そこへサトコも登場して・・・・五中のことを思い出しながらの楽しい花見だった。

語る会
3月議会が終わったので、語る会の報告会を行った。人数が少なかったので、炬燵に入っての報告になった。語りに語って、塾をでたのは12時前。自転車で走る水道道路は歩道の整備が虫食い状態で、結構危険だった。

議会報告
今度の報告が通産で9号。今週中に何とか完成したいと思っている。いつも字ばかりだから、写真も入れたものを作りたいなと思う。


4月2日 (日)  「たかやん議員日記」2006.第92弾! 

「たかやん議員日記」2006.第92弾!  4月2日(日)

親友
空を連れて、親友のお見舞いに行った。東京女子医大は懐かしい場所にあった。手術は成功して、本人も「元気よー!」「もう暇すぎる。早くテニスがしたい!」と笑顔で安心した。


風に舞う桜の花びらを見て「パパ、雪が降ってるよ!」と空。なるほど雪が降っているようにも見える。なかなかいいセンスだなと思った。

15階
川崎のマンション。中野島には昔通ったことがある。陵平のマンションの10階から下を見た時も、足が竦むような感じがしたが・・・・9歳の男の子の気持ちや家族の気持ちを思うと、どうしようもない気持ちになる。本当に安心できない世の中になってきたと思う。子供がいくつになっても安心できない・・・・・品の無い国になってきたというか・・・・犯人は41歳の無職。仕事を持っていたら、こういうことは起こらなかったのかも知れないが、仕事の無い辛さを弱いものに向ける神経がおかしい。

4月
新しい学年が始まる4月。先生も生徒も保護者も緊張する4月。そんな4月が僕は好きだ。必ず新しい出会いがあるから・・・・。自分が生徒の時も、教師になってからも、そして塾を始めてからも、新しい出会いにはいつもワクワクする。学校でも市役所でもきっと明日からはそういう雰囲気が溢れるのだろう・・・。特に新しく先生になった新任の先生達は内心ドキドキしているに違いない。そのドキドキをずっと持ち続けて欲しいと僕は思う。教える技術やテクニックはどんどん進化して欲しいが、気持ちのドキドキだけはいくつになっても持ち続けて欲しいのだ。4月に先生達に会う子供たちのドキドキはきっとそのドキドキに近いから・・・・・どんなにツッパッている子供たちでも内心は期待と不安でドキドキしているのだ。


4月3日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第93弾! 

「たかやん議員日記」2006.第93弾!  4月3日(月)

春の嵐
空の具合がおかしいので、また小児科へ行った。思ったよりも混んでなくて、5分くらいで診察してもらった。外は春の嵐。目が開けられないくらいの風が吹いていた。季節の変わり目になると、空は咳をする。喘息の咳になるまえに先生に診て貰ったのだった。

いいかげんめざめなさい
ソファーで本を読んでいると、空が「いいかげんめざめなさい」と起しにきた。どうやら阿久津まや先生の言葉を覚えてしまったらしい。「女王の教室」の音楽がかかると、空は「あ、先生だ!」と叫ぶ。天海祐希は僕も好きな女優なのだが、空は僕以上に気に入っているらしい。彼女がどんなコマーシャルに出ていても、「あ、せんせいだ!」と叫ぶのである。

カイゼン
どうも空の風邪がうつったらしく、一日体調がおかしかった。そこでカイゼン。何もする気にならなかったのだが、整理整頓をしていると不思議にやる気がでてくる。読みかけの本を見つけたり、やりかけの仕事を思い出したり・・・・どうやら頭の中もカイゼンされていくらしい。

携帯
中学生や高校生と携帯でメールをすると、きりがないくらい返事が返ってくる。一往復でいいのに・・・だから大抵こっちからメールをやめることになる。携帯のメールでも、そんなにはやく返ってくることを期待していないことが多い。議会の癖で着信音は消えていることが多いので、携帯が鳴っていることに気づかないことも多い。(最近では控え室に携帯は置きっぱなしが多い。)携帯を携帯していないのである・・・。

パソコンのメール
3月議会を何人かに報告した。こういう時に手紙よりもメールは便利である。携帯のメールは打ち込むのが面倒くさいが、パソコンのメールは長い内容を簡単に打つことができるから。勿論同じ内容を書くわけではないが、安く大量のデータを送れるところがいい。

手紙
それでも大事なことはやはり手紙の方がいい。自分の字で相手に気持ちを伝えることができるから・・・・メールでは伝わらないことも伝わる気がするのだ。時間は作ればあるものだ。テレビを見なければ、手紙を書く時間くらい簡単にできる。


4月4日 (火)  「たかやん議員日記」2006.第94弾! 

「たかやん議員日記」2006.第94弾!   4月4日(火)

歯磨き
日にちを一日間違えて歯医者さんへ行った。予約制なのに、「今日はお掃除だけなので、大丈夫です!」と笑顔でやってくれた。その歯科衛生士さんは僕の歯を真っ赤に染めて、そしてこうやって歯を磨くんですよ。と僕の歯を磨いてくれた。説明をしてくれることはよくあることだが、実際に僕の歯を全部磨いてくれた人は彼女が初めてである。歯ブラシは少し小さいほうがいいということも、今日初めて知った。これから歯磨きが少し楽しみである。

面接
今日は塾で面接があった。中学校2年生になるMちゃんと一緒に計算をやった。お母さんも一緒にやった。すると卒業生のWが登場し、「僕も一緒にやります!」と割り込んできた。そして僕はWに負けた。「お前、練習してただろ?」「はい。毎日・・・・」「この野郎・・・・」「毎日の法則です。」Wもこの4月から進学塾の先生。なんでみんな塾の先生になるかなあ・・・・学校の先生になって欲しいな。新座の・・・・。

城島
マリナーズの城島がホームランを打ったらしい。僕は昔から彼のファンである。いつも明るく堂々としているところが好きだ。これから暫くメジャーに注目かな・・・

駅立ち
川越の友達にメールしたら、「週に4日は駅立ちしているよ。」と返事があった。こりゃ負けてられん!そう思った。議会報告を完成させて、早く駅立ちせなあかん・・・・・。

惻隠の情
「国家の品格」を読んだ。小さい頃、僕が受けた教育に流れているものが、そこにはあった。貧しかったけど、品のある教育を受けていたのかも知れない。忘れていたものが何なのかを思いださてくれた気がする。



4月5日 (水)  「たかやん議員日記」2006.第95弾! 

「たかやん議員日記」2006.第95弾!  4月5日(水)

喘息
空の咳がひどくて、朝までずっと抱いていた。小さい頃の兄貴の喘息を思い出していた。僕は目も悪くないし(長兄は生まれつき目が悪い)、喘息もない(次兄は小児喘息)。亮(長男)のように心臓も悪くない・・・何だかみんなに申し訳ないと思った。さすがに少し寝不足かな・・・

おにいちゃん
空を連れて議会事務局へ行った。新しいメンバーの方達に挨拶をした。二人とも感じのいい方達だった。空を見て「顔のこのあたりが似てる。」とTさん。「目はきっとお母さん似ですね。」
大佑が登場して、空と何やら会話をしていた。「おじちゃんにバイバイは?」というと「おにいちゃんだよね?おじちゃんとおにいちゃん。どっち?」と大佑。すると空は「おにいちゃん」どうやら2歳の子どもには、おじちゃんではなくて、おにいちゃんに見えるらしい。僕と大佑の歳の差と大佑と空の歳の差は同じ(25歳)。二人を見ていて何だかおかしくなってしまった。俺も今度大佑から「お兄ちゃん」と呼んでもらわないと・・・。

将棋
今日は小中学生達と将棋を指した。王様と歩三枚で戦ったり、飛車角桂香を落としたり・・・・あの手、この手で彼らに「やる気」を起こさせる。邑家は昔から皆将棋が強くて、一番弱いのが僕。死んだ親父は3段。長男は5段、次男は初段・・・叔父は親父と同じくらい強かった・・・・。そんな中で、僕が生き残るには・・・周り将棋やお金将棋、はさみ将棋しかなかった訳で・・・僕は将棋なんか大嫌いだった。それが変化したのは六中時代の1年目。雨が降って、テニス部の子達が理科準備室に遊びにきていた。丁度囲碁将棋クラブの将棋の駒がたくさん置いてあって、子供たちがそれで将棋を始めたのだ。
「たかやん、将棋できんの?」と言われ、「そんなもんできるに決まってんだろ?」と言って、やってみると確かに強い。要するに見よう見まねで将棋を覚えていたのだ。ところが一番強い子には負けてしまった訳で・・・・悔しくなって、その日に本屋で行って、「ジュニア版将棋入門」という本を買って勉強した。それから子供たちには殆ど負けなかったと思う。理科準備室では英語のH先生ともたくさん将棋を指してもらった。当時は教師達にもそういう余裕があったのかも知れない。
二中時代、教育実習生が僕のところに来たことがあった。僕達はいつも理科準備室で将棋を指していて、実習生担当の教務主任からよく怒られた。放課後真面目に教育を語り、そして将棋を指していた僕らには、何で怒られるのか意味が分からなかったのだが・・・・。僕は「俺に勝ったら全部Aにしてやる」と約束をして・・・・理科の実験の合間に将棋、授業準備の合間に将棋。結局Jは一度も僕に勝てなかった。それでも彼の評価は全部A。彼は授業も上手だったが、子供たちの中に入るのが上手だった。ふざけた教師とふざけた教育実習生だったが、ふざけた教師はその後学校を辞め、ふざけた実習生はその後、東大の大学院に進学したのだった。


4月6日 (木)  「たかやん議員日記」2006.第96弾!

「たかやん議員日記」2006.第96弾!  4月6日(木)

西武線
空が電車に乗りたいというので、家族三人で西武線に乗って遊んだ。お陰で空は大満足。僕も沢山本を読めて満足・・・奥さんも美味しいランチが食べられて満足。そんなミニ遠足だった。鷺宮、上井草、武蔵関・・・田無・・・何年振りだろう・・・。所沢駅の汚なくて狭い通りが、綺麗になって人で溢れていたのには驚いた。

パスタ
最初に入ろうと思ったお店は禁煙席がなかった。僕らはそれだけで勿論パス。折角の食事を煙草の煙と一緒に食べるのは御免だ。その代わりに入ったお店は感じのいいウェイトレスがたくさんいるお店で、パスタもなかなか美味しかった。

春休み
明日から入学式という子供たちもいて、今日が最後の春休み。またしても勉強より将棋に燃えてしまった。囲碁や将棋をしていると脳みそを使っているのがよく分かる。麻雀も使うけど、使い方が違うのだ。勉強のウォーミングアップに囲碁、将棋というのはなかなか効果があるのだが、今日はウォーミングアップだけで終わってしまったかも知れない。

小沢と菅
勿論、僕が好きなのは菅直人の方だが、民主党を変えるには小沢一郎かなとも思う。ただ「改革、改革」と言いながら、庶民を苦しめている小泉純一郎のようになっては困る。庶民の生活が豊になり、安心して暮らせる世の中にする為の改革なのだ。かえって庶民が苦しむようなものは改革でも何でもない。自由民主党というくらいで、民主党が政権をとっても、そんなにいいことはないかも知れないが・・・・ちょっぴり期待するのが人情ってものなのだ。

学校指定靴の思い出
六中に赴任した年。1年2組で記念撮影をしていたら、隣に座っている子達が同じ靴を履いていた。「あれ、おそろいじゃん。」というと「何いってるのたかやん、みんな同じだよ!」と言われ、周りを見ると確かに全員同じ。これは五中では無かったことなので、ビックリした。その学校指定靴、体育の授業でも強制されていて、運動部の子ども達はみんな「足が痛くなる。」とぼやいていた。テニス部の子ども達はテニスシューズを履いて登校。勿論体育の授業にテニスシューズという子供たちもいた訳で・・・・「指導しにくいから、指定靴を徹底させてください。」と体育の先生からも注意があった。学年会で「足の形は色々です。足にあった靴を履くのがスポーツの世界では当たり前なのに、指定靴で運動をやるのはおかしいと思います。」と発言したら、完全に浮いてしまった。でも子供たちの健康には変えられないと、悪役になることを引き受け、100名を越えるテニス部員に「テニスシューズで登下校せよ!」と指令を出した。それまでは学校のワルだけが指定靴を履いてこなかったのだが、100名を超える1年生達が指定の靴を履かないで登校したのだから、学校は乱れに乱れた。2,3年生にも指定靴を履く生徒はいなくなり、「指定靴」は自然に消えて無くなったのだった。その当時の制定靴のスポーツ屋さんには恨まれたかも知れないが、子供たちの健康のことを考えると、「ルールを守ることが大事」などとは言ってられなかったのである。今朝の朝日新聞に同じような記事が載っていたので、思い出したのだった。


4月7日 (金)  「たかやん議員日記」2006.第97弾! 

「たかやん議員日記」2006.第97弾!  4月7日(金)

退院
親友が退院するというので、東京女子医大まで迎えに行った。目白通りを親友の息子の車で走る。子宮癌で子宮が無くなった親友は「残っていた卵巣も取ったの。」と言っていた。三人の子供たちを片方だけの卵巣で産み、そして育てあげていたのだ。「桜が綺麗ね。」そう大泉学園の駅前の通りにはまだ桜が綺麗に咲いていた。曇り空だったけど、とっても綺麗に見えた、今日の東京の空だった。

スカートの思い出
靴のついでに思い出すのはスカートのこと。当時の六中は上級生になるとスカートの丈が長くなり、先生達は指導に手を焼いていた。そこでテニス部の女子に出した指令が「膝より短いスカートを穿いてこい!」。50名を越えるテニス部女子が膝上のスカートを穿いてきて、学校はパニックになった。学校の決まりには「長いスカートを禁じる」項目はあったのだが、短いスカートを禁じる項目はなかったのだ。たったそれだけのことで、学校から長いスカートは殆ど無くなった。長いスカートなど東京ではとっくに終わっていたのだが、田舎の子ども達はそれがツッパリの最前線だと思っていたのだ。

ベストの思い出
五中にはベストを常時着用するという規則は無かったので、六中に来て、夏でもベストを着用するという習慣には驚いた。寒いから着るのがベストだと思うのだが、六中の子ども達は夏でもベストを着ていた。そこで1年2組の子供たちに「男子も女子もネクタイはするな!女子はベストを持ってくるな!」と指令を出した。朝礼の時、僕のクラスだけは真っ白で目立ちに目立っていた。3年生のツッパッた女の子が1年2組に怒鳴り込んできた。「何であんた達はネクタイしないんだよ!」「1年の癖に生意気なんだよ!」とうちのクラスの女の子を蹴っ飛ばした。するとその子は3年生の女の子の顔を張り飛ばしたのだ。六中はまたしてもパニックになった。今でいうクールビズをやったのだが、当時は誰も認めてはくれなかった。子供たちが暑くて具合が悪くなることよりも、つまらない規則を守ることの方が大事だと信じていたのかも知れない。

小沢と菅
小沢一郎が民主党の党首になった。人相が悪かった小沢一郎が最近大分よくなってきていると感じる人も多かったと思う。問題はこれからだ、権力を握ると小泉純一郎のように最悪の人相になるかも知れない。権力を握った時に、いい人相になるリーダーを人々は求めていると思う。理論で人は幸せにはなれない。人は人によって幸せになるのだ。


4月8日 (土)  「たかやん議員日記」2006.第98弾! 

「たかやん議員日記」2006.第98弾!  4月8日(土)

妙高
今日から妙高の友達の家に行くはずだったのだが、色々あって来週に延期。ということで久しぶりに朝からテニスとサッカーをやった。テニスでアップしてからのサッカーだったのだが・・・・・思い切りのダッシュに体がついていけない。なかなかいいヘディングがあったのだが、相手の好守に阻まれ、逆に綺麗なヘディングを決められて、久しぶりに完敗したのだった。

いづみ
サッカーの帰り道、バス停に立っている女性を見て驚いた。(いづみだ!)六中の最初の卒業生でバスケット部の頑張り屋だったいづみが立っていたのだ。彼女は子ども達への「読み聞かせ」を全国的に展開している子で、そのことが朝日新聞に大きく取り上げられたことがある。中学生の時は勉強もバスケットもいつも本気のおちびちゃんだった。バスケットの市大会で初めて3中に勝ったときは、テニス部全員で応援しに行って、みんなで足を踏み鳴らして応援し、注意されたっけ。いづみと会うのは卒業以来、だけど僕が車を止めて「いづみ!」というと「たかやん!」と何のためらいもなく、車に乗ってきてくれた。「よく分かったね?」「だって全然変わってないんだもん。」「いづみも直ぐわかったよ。」
「実はオーストラリアに住むんです。」といづみ。旦那さんのご両親がオーストラリアに住んでいるらしい。そういえばいづみは学年でトップクラスだったし、特に英語は学年でトップの成績だったと思う。もうすぐ引越しだそうで、今日会えなかったら一生会えないところだった・・・・。今日はそんな不思議な再会があったのである。旧姓佐藤いづみ。僕の自慢の教え子である。

テニス
最近の運動不足を解消するために、いづみをひばりヶ丘に送ったあとにまたテニスをした。新豊テニスクラブのメンバー達とシングルスを1試合とダブルスと1試合。両方とも快勝して気分良く家に帰った。

お風呂の中での会話
空とお風呂に入っていたら「パパ、なにのみますか?」と聞くから「コーヒーお願いします。」というと「コーヒー?こうちゃがおいしいですよ。」「はい、どうぞ・・・」と空。「ああ、おいしかった。」「ごちそうさまでした。」本当によく喋る。
そんな空が頭からお湯をかけて頭を洗えるようになったのには驚いた。ちょっと前までお湯をかけると泣いていたのに・・・・。子どもは毎日毎日成長しているのだなあ・・・・。



4月9日 (日)  「たかやん議員日記」2006.第99弾! 

「たかやん議員日記」2006.第99弾!  4月9日(日)

3時起き
今日は3時に起きて、ためていた録画を見ながら勉強した。英語、朝鮮語、スペイン語をやっているうちに夜が明けた。たまにはこういう朝もいい。語学は楽しいが時間がかかる。英語でいくら本が読めても、日本語で読むスピードの方がはるかにはやいと思う。朝鮮語やスペイン語は片言で話せたとしても、本は全く読めない。残りの人生の長さを考えると、語学に時間をかけていていいのかなあなどと思うこともある。ま、楽しければいいのだが・・・・語学は使うチャンスがないとつまらない・・・。

おばあちゃん
最初の教え子の博昭のお母さんといなげやでばったり会った。「あらま、いくつになったの?おばあちゃんですよ。」と空に話しかける。「もう直ぐおじいちゃんもやってくるよ。」といつの間にか僕のお袋になりきっていた。僕が23歳の時に会った子達も今はもう43歳。今年は44歳になるはずだ。妹のいずみちゃんも、もう41歳・・・・13歳だったのに・・・・。もう29年も経っているのだ。

年金
「わずかな年金からも税金を取ろうっていうんだからひどいわよ。」とおばあちゃん。「あんたなんとかしなさいよ。」とはっぱをかけられた。

公園
今日も東京の公園に行った。砂場で遊び、ブランコ、滑り台、汽車の屋根の上で遊び、400Mトラックを2周走って、最後に橇で滑って帰って来た。駐車料金が300円かかったけど、楽しいひと時だった。こういう公園が新座市にあったらなあ・・・。毎回そう思っている。

入学式
明日は新座市の小中学校の入学式。去年は八石小と五中へ行った。今年はどこへ行こう・・・。まだ行ってない学校へ行きたいなと思うのだが・・・・。


4月10日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第100弾! 

「たかやん議員日記」2006.第100弾!  4月10日(月)

入学式
大和田小学校の入学式に出席するために、旧川越街道を自転車で走った。反対側から小学生達が歩いて下校してくる。畑中や野火止8丁目の子ども達は、毎日この通りを1時間近くかけて通学していているのかと思うと、可哀そうになってきた。

正門
門の前では記念写真を撮ろうと、長い列ができていた。あと4年すると空とあそこで写真を撮るのかなと思った。

校庭
少し時間があったので校庭を散歩してみた。確かに狭い。隣にある畑が校庭になったら・・・誰でもそう考えると思う。

教育長
控え室は新教育長の金子先生の前だった。先生から「教育長」の名刺を頂いた。僕は名刺が切れていて・・・「初仕事ですか?」と聞くと「いやいや、土日も色々なところへ呼ばれて・・・」教育長になると土日も仕事、大変らしい。その上議会で僕のようなのにガンガン言われたら・・・・疲れるだろうなあ・・・

君が代
来賓は殆ど・・・保護者は過半数・・・教職員も殆ど、「君が代」を歌っていた。主役の新入生には歌っている子達はいなかったと思う。僕は歌ったことがないので、今回も歌わなかった。父親が戦争に行っている世代で「君が代」を思い切り歌える人たちは、余りいないのではないだろうか・・・と僕は思っている。

日の丸
国旗に礼をせよというのなら、せめて壇上の日の丸くらい、本物の旗にしたらどうなのだろう。ベニア板に描かれた日の丸に、ペコペコ頭を下げている姿は何かがおかしい・・・


子供たちが歌った。「大きな栗の木の下で」は可愛かった。新入生も可愛かったが、一緒に踊っていた6年生の子達が可愛かった。

多動?
気になったのは、マイペースな子達がたくさんいたこと。先生の話を聞きもしない、先生の方を見もしないでお喋りし続けていた子達がかなり・・・・。手足をブラブラ・・・体の動きを止められない子達もかなり・・・栄小や八石小の入学式では見られなかった光景だったので、ちょっと気になった。僕自身、そういうタイプだったと言われているが・・・。

体育館
大和田小学校の体育館は狭いけど明るかったのだが、二中の体育館は広くて暗かった。緞帳や紅白幕が古くて、入学式なのに全体的に暗い感じがした。音響機器もどうやら調子が悪いらしい・・・・教育予算の削減はこういうところにも影響しているのだ。

校歌
大佑と二人で校歌を歌った。歌詞を見れば、今でもちゃんと歌える。大佑は何も見ないで歌っていた。流石、3年間生徒だったことだけのことはある。

返事
来賓紹介の時、僕は何も言わずに立ち上がり、礼をしただけだったのだが・・・・殆どの人たちが「はい!」と大きな声で返事をして立ち上がっていた。僕が学校サイドの人間だったら、来賓に返事をさせるようなことはしないのだが・・・・新入生の呼名のようで、何かがおかしい。

小林先生
久しぶりに小林先生にお会いした。理科の授業を何度も見ていただいた記憶がある。6月議会の前に一度、新座の教育を語れたら・・・そう思っている。今度の議会では小林先生とのやり取りもあるのだろうか・・・少しだけ楽しみである。

表情
入学式なのに、子供たちの表情が少し暗かったような気がした。「緊張しているんじゃない?」とN議長が言っていたが、毎年新入生を見てきた僕としては、少し気になるところである。「起立」「礼」の繰り返しで疲れてしまったのかも知れないが・・・・

校長室
二中の校長室で久しぶりにA子のお母さんに会った。懐かしくて、色々と話し込んでしまった。僕の最後のクラス3年2組の子達も、もう23歳。社会人2年目の子達が多い。


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