Diary 2004. 12
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12月11日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第269弾! 

「たかやん議員日記」2004.第269弾!  12月11日(土)

インフルエンザ
昨日から体調がおかしかったのだが、今朝はピークが来た。頭がボーっとしてふらふらだった。でも夕方からは友達と会う約束があったから頑張って治すことにした。

友達とは久しぶりに会った。3人とも元気そうだった。新座の中学校のことをよく知る友達から僕は色んな話を聞いた。
新座の中学校の教師達がかかえるストレスの話を聞いた。自分の気持ちをストレートに子ども達にぶつけていけないもどかしさの中で、苦しんでいる先生達の姿が目に浮かんだ。上からの押し付けで、やりたくないことを子ども達にしている先生たち・・・辛いだろうなあと思う。55歳になると昇給がストップする話も初めて知った。ボーナスも給料も昔より下がっているということも聞いた。「邑さん、やめたい人がたくさんいるよ。」管理職と子ども達の間に入って、苦しんでいる先生達の姿が見えてきた。

僕は好きなように生きてきた。五中時代はいい管理職に恵まれ、学年の中間達にも恵まれた。五中が創立の時からいたのだから、自分自身が「五中」そのものだった。六中時代は色々あったけど、自由にものは言えた。いい仲間もたくさんいたし、いい管理職にも恵まれた。職員会議で意見が激突しても、仲間は仲間だった。少なくても教師と生徒が一緒に泣ける学校だった。だから僕は今でも五中と六中は大好きである。いつでもどこでも「五中と六中の校歌」は日本で一番上手く歌える自信がある。

二中は違った。上から一方的にものを言われ、そして意見をいうと生意気だと潰された。だけど僕には子ども達がいた。僕と同じ感性を持つ子ども達がたくさんいた。僕は彼らに救われ一年間なんとか生きることができた。
今の季節は朝勉をしていた。五中でも六中でもしていたように、二中でも子ども達と朝早く教室に来て勉強していたら・・・・管理職に怒られた。二中の教師と二中の生徒が二中の教室で朝勉強して怒られたのだ。「他の先生達の許可を取ったのか?」というのが理由だった。どうやら学年の歩調を乱したということらしい。「同一歩調、同一行動」を僕はしていなかったらしい。
俺は体育大学で育っていない。「同一歩調、同一行動」そんなのは無理だ。自由な学校で育ったのだから・・・・。大学は体育会だったけどそういう先輩はいなかった。先輩達は僕らより教養があったから尊敬されたのだ。
でも分かって欲しい。僕は二中が嫌いな訳じゃあない。あの時の二中の雰囲気が嫌いなだけなのだ。子ども達は最高だった。僕は二中の子ども達が大好きだったのだ。

息苦しい
いつから新座の学校がこんなに息苦しくなってきたのだろう・・・・。ルールを守ることが命を守ることよりも大切になってしまったのだろう。

僕は茶髪は嫌いだ。化粧する女の子も嫌いだ。だけど、その子達が学校に来たら、喜んで教室に入れる。だって学校が好きでくるのだから・・・・。「茶髪は嫌いだよ。似合わないよ。」とは言うけれど、「ルールを守らないのなら帰れ!」とは言わない。授業中に騒いだら「お前達に人の勉強する権利を奪う権利はない!」とつまみ出すが、どんな格好をしていようがそれでは判断しない。「人を外見で判断してはいけない。」というのは小さい頃から両親に嫌というほど言われていたことだ。僕には学校のルールより、両親の教えの方が大事だ・・・。ルールは正しくないことがあるが、両親の教えはいつも正しいし、世界中のどこででも通用する。

今日は新座の中学校の色々な話を聞いた。新座中、二中、三中、四中、五中、そして六中。僕が知らない話をたくさん聞いた。もうすぐみんな定年だから僕に話をしても「報復人事」の対象にはされないだろう。それとも六中のテニス部の顧問達をみんな他市へ飛ばしたように、邑の仲間はみんな飛ばすのだろうか・・・
新座の先生達。僕と会っても笑顔で話しをしないように。どこかに飛ばされてしまうかも知れないから・・・・。冗談ではありませんよ。本当に気をつけてくださいね。と言っても何十人も飛ばすのは無理だろうけど・・・・。

新座の先生たちはいつからものを言えなくなってきたのだろう。いつから・・・・僕はその答えを知っている。


12月12日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第270弾! 

「たかやん議員日記」2004.第270弾!  12月12日(日)

華氏911
前から見たいと思っていた映画を家で見た。インフルエンザでダウンできるのも今日が最後だから・・・・。
僕はあの9.11の一週間あとの9.17からニューヨークにしばらくいたからあの時の光景や匂いが蘇ってきた。一週間近くたっていたのに、ワールドトレードセンターがあったところからは、はまだ炎が見えたのだ。まるでマンハッタン全体が煙に包まれているようだった。スタッテン島から見たマンハッタンはツインタワーが綺麗に消えていた。僕の知っているマンハッタンはもう無くなっていた。

あの映画を見るとどうして「イラク戦争」が起きたのかがよく分かる。戦争を支持した連邦議員の息子達の中でイラクへ派遣されたのはたった一人という事実も頷ける。戦争で犠牲になる人は無知で貧しい人が大半なのだ。そういう意味ではイラクで殺されたイラク人もイラクで戦死したアメリカ人も同じ被害者だ。戦争へ行かせる側は「愛国心」を叫び、自分の国を守る為にと戦争を支持する。イラクが大量破壊兵器を持っていようがいまいが関係ない。アルカイダと関係あろうがなかろうがどうでもいい。石油の為に儲けの為に戦争を継続することが大切なのだ。
そういうアメリカの為に日本が自衛隊を派遣している・・・・。戦争をすると儲かる人間が派遣に賛成し、無知な人たちがそれを後押しし、そして無知で貧しい人たちが何も知らずに危険な目に合いに行く。戦争はそういうものだと思う。

考えても見て欲しい。自分の息子や娘が戦争へ行くということは、誰かの命を奪うか、奪われるかのどちらかだ。相手の命を奪えば・・・自分の魂も削られていく。自分の命が奪われれば、相手の魂を削りながら死んでいく。それが「愛国心」だとしたらそんなものは糞食らえ!だ。僕は亮や空を人殺しにする為に育てたくはないし、誰からも殺されたくはない。太平洋戦争であれだけの人が死んだばかりなのに・・・・もう日本人はそれを忘れようとさせられている。亮や空がもし戦争へ行くのなら、僕は自分が代わりに志願する。何歳になってもあの子たちを戦争に行かせるわけにはいかない。あの子達の為になら自分の命は惜しくない。自分が行って、誰にも銃を向けないで、そして黙って殺されてもいい。息子達を戦争へ行かせる訳にはいかない。「イラクへ自衛隊を派遣」することに賛成するのなら、自分が行くことだ。自分の子どもや孫を行かかせる事だ。それが出来なければ、それは口だけの愛国心だ。自分の家族を愛せない人間に国を愛せる訳がない。愛国心っていうのは、人を愛することだ。どこかの国を攻撃することではない。そしてその攻撃している国のいいなりになることではない。自衛隊の向うべき国は日本だ。イラクではない。自衛隊を必要としている人たちは日本にたくさんいるのだ。そして派遣にかかる費用を台風や地震の被災地に回せば、どれだけの人が喜ぶだろう。税金の使い方が間違っているのだ。


12月13日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第271弾!

「たかやん議員日記」2004.第271弾!  12月13日(月)

議場のルールまたは慣習
色々あるのだが、まず席に着くと自分の札を立てなくてはいけない。3月と6月議会はそれを忘れて、いつも文さんや幸弘に「札立ててないよ。」と教えてもらっていた。流石に12月ともなるともう大丈夫・・・そう思っていたら、またこの間の初日でやってしまった。

議場は割と自由に退席できる。そんな馬鹿な、と最初は思ったが、特に一般質問の時はみなさん気楽に外にでている。実は僕も今日、急にお腹が痛くなって退席した。インフルエンザだろう。議場の脇のトイレはウォッシュレットなので助かった。あと署名議員は退席できないというルールがあるので、今回の署名議員の幸弘の代わりに議会事務局にコピーをとりに行くので1回、書類を提出するので1回退席した。

野次はいけないことになっているらしいが、実際にはベテランほど野次るので、多分いいことになってしまったのだと思う。僕はまだ野次の野の字も言っていない。今のところは・・・・・

議長が「・・・・に意義ありませんか?」というとベテラン議員が「なーし!」と叫ぶ。それが結構面白くて、僕は最近『なーし!』と大声を出すことが多い。

携帯電話の持込もいけないことになっているらしいが、実際にはかなりの議員が持ち込んでいる。今まで何度も音を聴いているから・・・・そう中学生とやっていることはあまり変わらない・・・・。居眠りもあるから丁度良い勝負かも知れない。

議場に入る時、出るときに頭を下げる人が多い。僕は人には下げるけど議場に礼をしたことはない。

バッチを付けないと入れないと聞いていたが、結構つけてない人もいる。それで注意された人を見たことはない。

発言するときは最初は議長席の前の演台で話をする。二度目からは自分の席に立ってマイクで話す。なんで立つのかは知らない。

市長は常に前の演台で話をする。助役も収入役もそうだ。だけど教育長以下部長はみな自分の席のマイクで話す。何故だかは知らない。


いよいよ
明日は4度目の一般質問である。今回も勿論「教育一本」だが、初めて市長にも答弁を要求してみた。志木市長がえらく「教育」に熱心なので、新座市長の考え方も聞きたくなったのだ。教育長の考え方は大体分かっている積りだ。議事録を読んで感じることは「質問」と「答え」がかみ合ってないことが多いということ。意識的な答弁漏れなのか、無意識なのか・・・・子ども達に対する考えかたが180度違うのだから、本気でずれているのかも知れない。

明日は僕の一般質問。きっと陵平が議場の上から応援してくれるだろう。物を言うことができなくなった彼の代わりに、僕はみんなに伝えなくてはいけないことがあるのだ。新座の子ども達とそして、新座の先生達の為に・・・・。


12月14日 (火)  「たかやん議員日記」2004.第272弾! 

「たかやん議員日記」2004.第272弾!  12月14日(火)

新座中3年2組の子ども達へ
僕のホームページを読んでいる方から「こういうことを書かれると子ども達のやる気がなくなる。」という注意を受けました。その文章は多分この文章です。

「新座中、3年2組の「英会話」の授業を見た。子ども達の寸劇の発表だった。・・・・・。ガラス事件があったので少し心配していたのだが、子ども達は落ち着いて勉強していた。そう言えば前に来た時もこのクラスは落ち着いていたっけ・・。さて肝心の英会話の授業の方はというと・・・。少しがっかりした。先生達の表情も、子ども達の表情もよかったのだが・・・・子ども達の発音がひどいのだ。新座中には僕が目標とする英語のスーパースターが何人かいるので、ちょっと驚いたのだ。「国際化教育特区」の前の彼女達の英語の授業は、それは、それはレベルの高いものだった。大量の予算を使っているのに、英会話のレベルが返って下がってしまっているのだ。17日にも研究発表があるらしいから、その時にまたじっくり見ようと思った。」

僕は前にも君達のクラスへ行ったことがあります。クラスの前に僕の大好きな詩が貼ってありましたからよく覚えています。きっと素敵な担任の先生なんでしょうね。会わなくても分かります。
その時も君たちは落ち着いて授業を受けていました。みんなとてもいい目をしていました。さて、あの時の英会話の授業ですが・・・・よかったですよ。僕もかなり笑いましたから・・・。自分達で作った会話。なかなかいい感じでした。だけど発音は駄目でした。折角一生懸命やっていたのに、もったいない。僕はそう思ったんです。新座中の英語の先生達のレベルは新座一です。いや埼玉一かも知れません。ALTのカルビン?先生も教え方が上手です。英会話の先生もお上手でした。だけど君達はちょっといけません。僕が君たちの担任でも同じ事をいいます。もったいないですよ。あれだけの先生達の発音を真似しないのは・・・・。折角いい環境に居るのだから、もっともっと先生達の発音に注意して英語を勉強していって欲しいのです。そういう意味であの文章を書きました。どうかそれを分かって欲しいと思います。

僕のホームページを見たら、逆にやる気を出してください。僕は新座の全小中学生を応援しています。そして新座の全小中学校の先生たちを応援しています。ですから、今度会った時は練習の成果を見せてくださいね。今のレベルはどうだっていいんです。練習してそのレベルを上げることが大切なんです。 

そして今度坊主頭の僕が君たちのクラスへ行ったら、是非声をかけてください。「たかやん!」って。そうしたらきっと『あいよ!』ってこたえますから・・・・・
    12月14日  たかやん

一般質問
今日の展開は予想していなかった。4年前の10月2日の全校集会での様子をみんなに伝えたくて、陵平のおとうさんの隆志さんの言葉を読んでいたら、涙がこみ上げてきてしまったのだ。陵平を亡くして、何が何だか分からない、もうどうしようもない中で・・・・だって次の日だから・・・・こういう言葉を二中の子ども達と先生に伝えていたんだから・・・・

隆志さんの言葉はあの時の生徒と先生と政江さんしか知らないのだ。教育委員会も初めて聞く言葉だろう。勿論議員の人たちも・・・・そして新座市民も・・・・
いきなり泣いてしまいそうになったので、僕はちょっとリズムがおかしくなってしまった。そして時間のことをすっかり忘れていると・・・議長の三村さんが「邑議員、時間大丈夫ですか?質問全部できますか?」と声をかけてくれた。前にもあったのだが、議長にはいつも助けてもらっている。今回ももし議長の機転がなかったら、僕は質問を全部終わらせられないで終わってしまったかも知れない。議長、ありがとうございました。

僕と教育長の議論は相変わらず噛み合わず、平行線だった。その詳しい様子はまた全文このホームページに載せるので読んでください。

実は僕は今回で陵平のことに対する質問はやめようと思っていた。市議会便りでの掲載も別のものにしようと思っていた。だけど、あの言い訳だけの答弁を聞いていたら、ここでやめたらまた同じようなことが新座の子ども達に降りかかるかも知れない。そう思ったのだ。子ども達の誰かが、陵平のようになるのはもうやめて欲しいから、次回もこの質問を続けようと決めた。

教育委員会は嘘が多すぎる。前回の議会中、議場で直接部長に「新座市の小学校全部の6年生の英会話の授業を見せて欲しい。全中学校の2,3年生の英会話の授業を見せて欲しい。」とお願いした。「分かりました。」という気持ちのいい返事をもらったのだが・・・・連絡は未だにない。そのことを今日議場で教育長に直接尋ねると「私は全く聞いていません。」とのことだった。部長の言葉を信じた僕が馬鹿だったのか、教育長の言葉が違うのか、僕には分からない。でも真実は一つしかない。僕はちゃんと手続きを踏んだのに一つの授業も見ることができなかったということだ。それに対する答弁もくるくる変わって、どっちが正しいのか、わかなくなった。結論としては僕は議員なのだから「議会事務局」を通して申し込んでくれということらしい。それが正しい手続きなら、部長は9月の時にそれを言うのが筋だ。それを了解しましたといっておいて、一度の連絡もしないのは一般の世界では通用しない。相手がちょっと前まではただの教員だった、新人議員だからいいやと思ったかどうかは分からないが、僕を馬鹿にしていることは確かである。だから僕はこのエネルギーを次回の質問に使うことにしたのだ。

新座市の中学校の生徒指導には「物差し」がない。規則は全部規則で同じ。どんなにささいなことでも「悪い芽」だから摘まないと、という発想。子ども達が息苦しくなって当たりまえだ。子ども達の学習権よりも学校のきまりが大切だと本当に思っていたとしたら、教育委員会はいらない。何の為の教育委員会だかわからない。

陵平はサッカーをしていて相手のユニフォームをちょっと引っ張っただけだ。それなのにレフリーはいきなりレッドカードを出した。それだけではなくこう言ったのだ。「他にもユニフォーム引っ張った奴いるだろう?そいつの名前をいえ。」
レッドカードを出した理由はこうだ。前からずっと注意していただろう。ユニフォームを引っ張るなと。・・・・陵平は初めてそのファールをおかしたのに、いきなりレッドカードを出され、全教師に「キャプテンマーク」をつけているのにと叱られ、反省文を書かされ、いきなり親に連絡され、そして学年集会で決意表明をやらされるということを母親から聞かされたのだ。

それでもこの教師集団の生徒指導に問題は全くないと言い切るのだから凄い心臓だ。今までその指導で何も問題は起きなかったのだから、指導方法には問題は見当たらない。そう新座の教育長は思っている。
だから今でもお菓子を学校に持ってきただけで、親が学校に呼び出されている中学校がたくさんあるのだ。みなさん、そんな新座の中学校に子ども達を通わせたいですか?教師だって間違えるんですよ。教師である前に人間ですから。いいんです。間違えたって。間違えたらごめんなさいといいなさい。そう先生たちは教えているのに、未だに誰一人としてごめんなさいを言えない。そんな大人達を子ども達は信じられますか?


12月15日 (水)  「たかやん議員日記」2004.第273弾! 

「たかやん議員日記」2004.第273弾!   12月15日(水)

今日はまず9月議会での「一般質問」の様子をごらんください。新座市教委教の信じられない答弁をじっくり読んでください。ではどうぞ。


◎高邑朋矢議員

〇議長(三村邦夫議員) 続いて、11番、高邑朋矢議員の一般質問を許可いたします。
 11番、高邑朋矢議員。
   〔11番(高邑朋矢議員)登壇〕
〇11番(高邑朋矢議員) 11番、高邑朋矢です。通告書に従って質問させていただきます。
 第1番目ですけれども、国際化教育特区、英会話のことについて質問します。新しい試みがスタートして1学期が終わりましたけれども、現在の状況、1学期の状況を伺います。
 資料要求として1学期の研修会、5月と7月に行われたということなのですけれども、そのとき出された意見、それから国際化教育特区関係の予算と学校図書との契約内容、これを資料要求しておりますので、よろしくお願いいたします。
 英会話のプログラムが、新しいプログラムがスタートして1学期が終わりました。私も幾つか授業を見させていただいて、いろんな人たちの声を聞く機会が非常に多くあります。ところが、残念ながら余りいい声が聞こえてきません。例えば小学校の先生からは、低学年の子供たちはとてもいいと、楽しそうにやっていると。先生も一緒になって、踊ったりしながらやっていれば、それでいいと。ところが、高学年になると、なかなかそうはいかないと。それから、インプットの時間というのがあるのですけれども、これはもう毎日なのです。その時間がどうしても小学校ではとれない。とれないために長い休み時間、20分休みというのでしょうか、それがあるそうなのですけれども、そのうちの半分をインプットの時間に使っている。そうすると、もう子供たちは遊びたくて遊びたくてしようがないのに、無理やり英語を聞かされている、こんな状態で果たして効果があるのか、そういう声なども聞きました。
 それから、中学校の先生なのですけれども、中1はいいと。だけれども、中2の子たち、あるいは中3の子たち、これはもう授業に全くなっていないと。廊下に出て話をしている子もいると、こういう状況があるのだということをぜひ伝えてほしいというふうに私に言ってこられました。
 それから、英語の助手の方です。やはり突然そういう学校に入って、余り教員としての経験がない方が英会話を教えるということで、AETとチームを組んで頑張っておられるわけですけれども、かなりしんどいと。子供たちが、英会話に取り組むという姿勢が見られないと、非常につらいという声も聞いています。
 それから、子供たちはやはりいろいろで、普通の英語の授業よりも発音がきれいなので、とても楽しいという子もいますし、何を言っているのかわからないという子もいます。これは、子供たちはいろいろなのです。
 一番大きなポイントとなると思われるAETの方たちからも大分意見を聞いたのですけれども、やはり小学校の低学年はいいけれども、高学年は非常に厳しいだろうと。それから、中学生になると、このシステムでは英会話ができるようになるとは思えないということをはっきり言われているのです。AETの方たちも、それぞれ自分たちのいろんな手法みたいなものを持っていまして、いろいろ研究されているわけですけれども、同じプログラムということで同じことの繰り返しをやると。これで本当にやれるのだろうかというような声がたくさん私に聞こえてきました。今私は、3月の議会のときにも言ったと思うのですけれども、英会話やることは 賛成なのですけれども、委託をするということを非常に疑問に思っているのです。要するに、現場にいる人が子供たちの様子を見て、プログラムをどんどん変更していくというのが基本的な姿ではないかと思うのです。新座市の英語の教員たちは、かなり有能な方たちもいますので、独自のプログラムを作成することは可能だと思いますし、それからAETの方たちにも何人も会いましたけれども、かなり優秀な方が多くて、やる気もあるわけです。ところが、みんな同じプログラムでこれをしなさいと、ただ繰り返しなさいと、そういう授業をやらされていることに、かなりの人がやっぱり苦痛を感じているというか、これはうまくいかないのではないかと思っている。そういうことを教育長はどういうふうにお考えでしょうか。委託をずっとこれ続けていくというお考えなのでしょうか、それをちょっとお聞かせください。
 それから、やはり多額の予算を組んで新しいプログラムができたわけなので、積極的に授業を公開してもらいたいと思うのです。2学期には、すべての学校で授業公開をやるということで、これはとても結構なことだと思うのですけれども、授業はやはりふだんの授業が一番大事なのです。公開授業というのは、私も長い間学校にいましたので、やはり特別な日なのです、特別な授業をやってしまうのです、どうしても。学校も突然きれいになってしまいますし、廊下に掲示物がなかったものが突然あったり、それから花が飾られたり、1時間目が突然清掃の時間になったり、いろんなことが実は行われるわけです。だから、それはふだんの授業とはやはり違うと思うのです。やっぱり私たちは毎日の授業を見せてもらいたいと、こう思っているのです。でも、なかなか見せてもらえません。何回か教育委員会を通して授業を見たいのだということを言っても、公開授業があるので、公開授業を見てくださいと、そういう言われ方をしてしまいます。
 私は、文教経済常任委員ですので特に思うのですけれども、せめて我々にはふだんの新座市の学校の様子を、特にこの英会話に関しては見せてくれてもいいのではないかなと思うのです。そういうおつもりがありますでしょうか、その辺をちょっとお聞きしたいと思います。
 2番目ですけれども、小中学生の学力低下が今全国的に叫ばれているところなのですけれども、新座市はどういう状況でしょうかということを伺いたいと思います。資料要求として、ちょっと訂正をお願いしたいのですけれども、今年度の学校別進学状況と、これはわかるわけないので、昨年度です。それから、進学先中、高等学校名、過去20年間と書いてありますが、5年間しか保存していないということで、5年間の公立中学校への進学率というのを資料要求しました。
 これは、どういうことかというと、やはり今新座市の公立の学校が市民の皆さんにどういうふうに見られているかということ、ここすごく大事なことだと思っています。やはり私立に負けないような学校にしようということで、私は随分昔笠原議員たちと一緒に頑張ってきた記憶がありますし、どうしたら私立や国立に子供たちが流れないで、新座市の学校って本当にいい学校だねと言って通ってくるか、これを考えることは物すごく大事なことだと思っています。
 それで、この間の体力テストの結果を見たのですけれども、新座市の子供たちの体力の平均は県に比べて非常に低かったのに驚いたのです。特に中学生は、ほとんど負けっ放しというか。学力の方も非常に心配になってくるわけです。それで、資料の中で学校別にどういう状況になっているのかということを要求したのですけれども、私は学校名すべて公表すべきだと思っています。個人名は、もちろんそれこそプライバシーの問題がありますので、公表すべきではないと思いますけれども、学校別にどういう学校に進学していったのか、どういう平均点だったのか、そういうことは市民にとってはとても貴重な情報なので、ぜひそれを公開していただきたいというふうに思います。
 三つ目は、3度目の質問になりますけれども、大貫陵平に対する質問です。何で引き続き言うかというと、3月、6月と質問してきて、いろんな資料もいただいたのですけれども、答弁もいただいたのですが、全く納得できない答弁、あるいは資料の積み重ねというふうに私には感じられるのです。それは、私だけではなくて、陵平の両親ももちろんそういうふうに感じているわけで。
 最初に陵平のお父さんのメールをちょっと読ませてもらいたいと思います。「改めて資料を読み返してみると、いろいろなことが当時そのままのリアリティを持ってよみがえってきました。陵平の死後、繰り返し学校や市教に対して働きかけていたのは、陵平以外のあの出来事の当事者、つまり一緒にお菓子を食べていたとされる子供たちが、決して陵平と同じ道をたどらないように万全の措置をとってほしいということだったのです。陵平が帰ってくることはない、だからこそほかの同じ体験をした子供たちがこれからきちんと生きていけるように、あるいは陵平のことを知った二中の子供たちが余分な負荷を背負わずに済むように、学校や市教諭の立場からできるだけのことをしてほしいという切実な願いがあったのだと思います。言葉が至らなかったり、思いが高ずることで誤解を生じたりとさまざまなことがあったかもしれませんが、一貫した思いは、同じ思いをほかのだれにも味わってほしくないということでした。
 そういった意味で、所沢高校の出来事はショックでした。あの問題をカンニングの是非という視点を持ち込んで論ずるのはナンセンスです。唯一の正しい視点は教師の暴力です。教員は、警察官ではないというごく正常な認識さえ持てれば、これはだれにでもわかっていただけることと思います。もし陵平の死に関して、私たちが働きかけたことが実を結び、いわゆる指導が子供たちの生きる力を奪わないようにするにはどうしたらいいのかということを教員が、教育委員会が真剣に考え、次の指導へと生かされていったのなら、所沢高校の出来事は起こらなかったのではないかと思います。そういった意味で、所沢の出来事は私の責任であり、新座市の責任であると思っています。
 陵平以外の20人の子供たちのメンタルなケアをすぐにでもという私の声に対し、校長も市教委も、そして教育長も言っていました。専門家に相談したが、20人の子供たちに対してほかの子と違う対応をするのはよくないという判断だったと。少なくとも私の知る限りの心理学の知識では、どこをどうひねってもそんな答えが出るはずはないのですが。そして、もう一つ、当時の学校の指導に問題がないというのなら、それなりの調査をして、何らかの裏づけをとって、そういった判断を下すべきであり、その基礎資料が一切オープンにされないのは、公害裁判などの例をとっても根拠のない主張と言わざるを得ません。校長に1度質問したことがあります。どういった調査をしたのですかと。これは、アポなしで押しかけていって話をしたときのことです。各担任から話を聞いていますと言ってメモを出してきました。子供たちがよく使うような、要するにカラフルな模様のついたメモ帳の切れ端です。種類の違う用紙が七、八枚重ねられていました。校長がそれを読み上げました。よく聞き取れない部分があったので、もう一度読んでもらえるようにお願いしました。明らかに最初のときと違う答えが返ってきました。もう一度読んでくださいとお願いすると、さらにしどろもどろになって、直後にもう時間がないのでと言って部屋を出ていってしまいました。個人的な感情ですが、何といっても悔しいのはこういった心ない人たちに陵平を二重三重に凌辱されることなのです。」これが、陵平のお父さんの隆志さんから来たメールなのです。
 私は、前回学校側と教育委員会の1か月間の具体的な動きという資料を要求しました。今皆さんのお手元にも多分あると思うのですけれども、なぜこれを要求したかというと、この1か月というのは、陵平の両親にとって非常に重大な意味を持つ1か月だったと思います。指導のやり方だとか、そういったことにもちろん疑問を感じていますし、それが原因だと今でもしっかり思っているわけですけれども、亡くなってしまった陵平はもうどうしようもないわけです。だけれども、その後1か月で何度も息子を殺されているような、そういう感覚を両親が持っていくわけです。これは、明らかに学校と教育委員会の対応がまずかったのではないか、私はそういうふうに思っているのです。それで、資料を請求しました。1か月間の学校長、担任の具体的な動き。具体的というのは、いつ、だれが、どこで、どれだけの時間、どんなことをしたのかというのが具体的なという意味だと思うのですけれども、この資料には具体的な動きがほとんどないのです。
 例えば10月1日に弔問とあります。校長等と書いてありますけれども、まずほかの人はだれなのでしょうか。それから、これ何時に行ったのでしょうか、10月の1日。それから、臨時職員会議がその日にありますけれども、これも何時から何時まで行われた会議なのでしょうか、そういったことがわかりません。
 それから、10月2日、緊急全校集会とあります。これ、私見ていて非常に疑問に感じたのは、これ2学年で起きたことなのです。2学年で起きたことを全校集会、子供が亡くなったわけですから全校でやるのはわかるのですけれども、学年集会というのが書いていないのです。本当に学年集会は行われなかったのでしょうか。私の経験からいくと、こういうことはあり得ないのです。全校集会があったら、必ず学年集会があるはずなのです。やはり自分たちの学年で起きたことですから、当然学年の子供たちを集めて話をするというのが普通の学校のやることなのです。その学年集会ということが、この資料の中に載っておりません。これは本当なのかしらと、こう思います。
 それから、10月4日、校長の出張。これは前回金子先生にいろいろ校長の出張がどこだったかという話をお聞きしたのですけれども、議事録を見ても4日の出張については何もないのです。どこに行った出張なのでしょうか、時間は何時から何時までの出張だったのでしょうか。
 それから、これを見ますと、校長が1日から8日まで毎日弔問に行っているわけなのですけれども、6日の日が抜けているのです。6日の日は行かなかったのでしょうか。
 それから、8日の日に突然弔問に行かなくなっているのですけれども、これはなぜでしょうか。
 それから、12日、これ結構大きなポイントとなる職員会議なのですけれども、これは職員会議は何時から何時まで行われたのでしょうか。それから、12日にファクスの受信というのがあります。情報提供を求められる。そこから、ファクス、ファクスとずっと続くわけですけれども、何で急にここに来てファクスの質問が来るようになったのでしょうか。
 それから、16日、校長出張という、これもちょっとわからないのですけれども、どこに何時の出張なのでしょうか。
 それから、19日の陸上大会の引率ということなのですけれども、これも時間がありません。どこに何時の出張なのでしょうか。
 それから、23日の職員会議についても、具体的な時間というのが書いてありません。私は、時間というのは物すごく大事だと思っているのです。要するに、陵平が亡くなって、1人の13歳の命が亡くなって、どれだけ職員が真剣に話をしたのか。そういうことというの物すごく大事だと思っているのです。ですから、ちゃんと時間を教えてもらいたいと思います。
 それから、25日に朝霞地区に引率というふうに後で金子部長の方から言われたのですけれども、この資料に載っていないわけです。これも時間を教えてもらいたいし、何でこういうことが載っていないのかということが、そもそも非常に疑問です。
 それから、2枚目の皆さんの方は裏側になると思いますが、教育委員会の具体的な動きで10月1日に弔問とありますが、これはどなたが行かれたのでしょうか。それから、いつ行かれたのでしょう。
 それから、10月2日に事故調査について協議とありますけれども、これはどこでどれだけの期間行われたのでしょうか。
 それから、10月5日、教員から事情聴取と書いてありますけれども、これもどこでどんな先生が呼ばれて、そしてどれだけの時間行われたのでしょうか。
 それから、10月20日に面談の申し入れをされて、23日に面談の日時を伝えるが都合がつかないと、こういうふうに書いてあるのですけれども、これなぜでしょうか。普通面談の申し入れをして、日時を伝えて都合がつかないということはないと思うのです。
 それから、10月25日、両親との面談、これはどなたが出席されたのでしょうか。
 それから、31日の両親との話し合い、これも両親と学校と教育委員会と書いてありますが、これはどなたが出席されたのでしょうか。人数も全く書いていません、時間も書いてありません。
 それから、20日の両親との面談のことですが、これ教育委員会のどなたが面談の申し入れをされたのでしょうか、それをお聞きしたいと思います。
 それから、ちょっと議長にお願いなのですが、これは非常にやはり落ちがある資料だと思うのです。やはり議会に出す資料というのは、もうちょっと正確で、ちゃんと要求どおりの資料を出してもらいたいと思うのです。その辺を議長から教育委員会の方にぜひ言っていただきたいと思うのですけれども。
 以上、1回目の質問を終わります。
〇議長(三村邦夫議員) 高邑議員、資料については、事前に本人と執行部と調整していただかないと、それが通常のしきたりになっていますので。
 皆さん、議員からの資料請求の場合は、必ず執行部と調整していただいているので。
   〔「前回用の資料ですので、その部
     分についてちょっと」と言う人
     あり〕
〇議長(三村邦夫議員) ですから、これについてあなたが……
   〔何事か言う人あり〕
〇議長(三村邦夫議員) では、後ほどまた。
 答弁できますか。
   〔「資料要求は待ってください」「休
     憩してもらって」と言う人あり〕
〇議長(三村邦夫議員) ちょっと待ってください、今資料要求されておりますので。

  ◎資料提出要求

〇議長(三村邦夫議員) お諮りいたします。
 ただいま、11番、高邑朋矢議員から資料の提出要求がありましたが、これを市長に求めることにご異議ありませんか。
   〔「異議なし」と言う人あり〕
〇議長(三村邦夫議員) ご異議なしと認めます。
 よって、ただいま高邑議員から提出要求のありました資料の提出を市長に求めることに決しました。

  ◎資料配付

〇議長(三村邦夫議員) ただいま要求されました資料が送付されましたので、配付いたします。
   〔事務局職員配付〕
〇議長(三村邦夫議員) 暫時休憩いたします。
   休憩 午後 1時32分

   再開 午後 1時57分
〇議長(三村邦夫議員) 休憩前に引き続き会議を開きます。
 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 大変貴重な時間をありがとうございました。今後連絡を密にしまして、資料に十分注意したいと思います。
 それでは、ご質問いただきましたことについてお答えを申し上げます。
 まず、英会話の件であります。委託を続けていくのかどうか。学校図書(株)、松香フォニックスの方へ委託したわけでありますが、これを続けていくのかどうか考えをというご質問であります。松香フォニックス研究所は、小中学校の英会話学習に関する研究の蓄積が大変あります。現在東京都の稲城市、あるいは県内では戸田市などもこの松香フォニックスをアドバイザーとして実際に実績を上げているところであります。また、松香フォニックスは英語の発音とつづりの関係を合理的に整理して教える指導法で、新座市でも中学校の英語教員の中にはこれを活用している教師がおります。研修を委託するに当たっては、単に指導者としてということではなくて、適切な英会話教材の選択と活用や、小学校1年から中学3年までの系統的なカリキュラム作成など、これは学校と教師と指導主事も一緒になって共同で行っておりまして、より効果の高いものを目指すように編成をしたところであります。こういうことで、丸投げみたいなやり方ではなくて、学校の意見を十分生かして、それをもとにしながらカリキュラムの編成をしてきたということで、ご理解を賜りたいと思います。
 あと、その他につきましては、学校教育部長から答弁を申し上げます。
〇議長(三村邦夫議員) 学校教育部長。
〇学校教育部長(金子広志) 英会話教育につきまして答弁をいたします。
 ご承知のように、小中学校で実施されております授業、教育活動につきましては、教科あるいは領域、道徳や特別活動につきましては、文部科学省の学習指導要領に基づいて実施しているわけでございますが、この英会話教育につきましては、本市が初めての試みと。しかも、全市的に行う初めての試みということで、松香フォニックスの今までの実績をおかりしまして、指導を進めておるところでございます。
 実績、今までの状況はどうかというご質問でございますけれども、4月に始まって1学期が終わり、2学期に入った状況でございまして、その間さまざまな問題も、課題も出てまいりました。この課題につきまして、長期の休み期間中を利用しまして教職員の研修等を行って、教職員一人一人の指導力の向上に資してきたというのが現状でございます。
 統計等を見ますと、小学校の段階では大変導入してよかったと、子供も喜んで英会話の時間を期待しているというような数値も出ております。ただ、初めての試みということで荒野に道路をつけるようなものでございまして、さまざまな困難があります。こういった困難な状況を一つ一つ取り除きながら、長期の展望に立って新座市の英語教育の向上に努めてまいりたいというふうに考えております。
 以上です。
〇議長(三村邦夫議員) 学校教育部長。
〇学校教育部長(金子広志) 学校公開についてご質問がございました。大変失礼いたしました。
 私どもは、学校公開ということについては、年間を通じて保護者の皆様あるいは地域の皆様には、授業参観日という形で公開を心がけておりますし、また11月の第1週におきましては、教育週間ということで皆さんに学校の教育活動をごらんいただいているということでございます。
 文教経済常任委員会の議員におかれましては、4月から5月にかけまして学校を見たいというような要請がございましたので、その都度学校の都合等をお聞きして公開をしてきたというようなことでございまして、決して門を閉じているとかということではございません。
 ただ、それが日常的に続いていきますと、学校もさまざまな行事等が予定され、計画されておりますので、学校等に支障のないような、教育活動に支障のないような形で公開をしていくということで、私どもは決して門を閉ざしているわけではございません。十分要請にこたえていきたいというふうに考えております。
〇議長(三村邦夫議員) 学校教育部長。
〇学校教育部長(金子広志) それから、高邑議員の教育問題の1か月の学校の具体的な動き、あるいは教育委員会の具体的な動きについてご質問がございましたので、お答え申し上げます。
 前回の資料につきましては、時間等は記入してございません。これは、そこまで職員会議の時間等まで私ども記入する必要はないというふうに判断をしたわけですけれども、ご質問がありましたので、わかる範囲でお答えをしたいと思います。
 まず、1点目ですが、10月1日の弔問にはだれが行ったかということでございますが、この弔問につきましては教育長が行っております。また、校長も行っております。
 それから、臨時職員会議は何時から何時までかということでございますが、9時から10時まで開催をされたということでございます。
 それから、10月3日の臨時保護者会、これは何時からということでございましたが、これは16時から実施をいたしました。
 10月4日、水曜日の臨時学年会議につきましては、17時30分から実施をしております。
 10月4日の校長の出張の内容でございますけれども、南部地区道徳教育研究協議会運営委員会、浦和市民会館に出張しております。
 翌5日、木曜日、校長出張は、新人市大会、新人戦が秋にございまして、この新人戦の市大会、それから定例校長会議が市役所で実施されました、ここに出張をしております。
 10月12日、職員会議は15時30分から17時までということです
 10月13日の校長出張、これは校長研究協議会、大正小学校、現在の新座小学校で実施をされました。その後、小中高連絡協議会が新座市民会館でございましたので、そこに参加をしております。
 10月16日の校長出張ですが、進路講演会講師打ち合わせ、これは場所は埼玉県PTA教育研究所に行っております。
 それから、10月19日校長出張、新人陸上競技大会、新座市民総合運動公園で行われました。
 それから、10月23日の職員会議、これは15時34分から16時20分まで実施をいたしました。これは学校の中でございます。
 それから、抜けておりまして大変失礼いたしましたが、私が6月に答弁いたしました10月25日の出張になりますが、この資料から抜けておりましたが、10月25日出張しておりまして、これは内容は新人戦朝霞地区予選会、これは朝霞市の総合体育館で開かれました。
 それから、その後南部中学校長会全体研修会に出席をしております。
 続きまして、裏面でございますけれども、教育委員会の具体的な動きということでご質問がございましたので、引き続きお答え申し上げます。
 10月1日の弔問につきましては、教育長が行っております。
 それから、2日、校長と事故調査について協議ということがありますが、これはこのことを受けて市内の校長が招集されまして、臨時校長会議が開催されました。命の大切さに係る指導の徹底ということで教育長から話があったわけですけれども、その後に校長と教育委員会で協議をしております。
 それから、10月20日、金曜日、面談の申し入れをされるということは、教育長へ面談の申し込みがあったということでございます。
 それから、10月23日の資料で面談の日時を伝えるが都合がつかない、なぜ都合がつかないのかというご質問でございますが、これは出張がこの時期たび重なりまして、大変校務多忙ということでございまして、どうしても時間的な都合がつかなかったということでありました。
 10月25日、水曜日、両親との面談ということでございますが、だれがどこで行ったかということでございますが、市役所で当時の部長、それから指導課長がおおむね1時間懇談をしたということでございます。
 10月31日の火曜日、両親との話し合いということでございますが、このときは17時30分から部長、指導課長が同席をして話し合いが実施されたというでございます。
 以上です。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 最初に英会話ですけれども、松香フォニックスのことなのですけれども、松香フォニックスが発音とつづりのことについて大分研究をされているということは、私も現役のときから知っておりました。
 六中の当時セサミルームというのを初めてつくりまして、ジェフリー・ポイントンというAETの先生と岸辺先生という先生と、この松香フォニックスはいいねという話をしながら一緒につくった記憶がありますので、松香フォニックスが発音とつづりの関係において非常に効果的であるということは、私も知っております。ですけれども、このプログラムで初めての試みだから、多少のことはしようがないというようなご意見だったと思うのですけれども、その実績があるところがプログラムをつくって、これだけ結構厳しい状態が実際にあるということを、やっぱりもっと認識していただきたいと思うのです。この資料の中では、余りマイナス的な意見がなかったので、これはちょっとこの資料は本当かしらと思ってしまうのですけれども、困難がつきまとうと、だけれども困難を切り開いていくのは松香フォニックスではなくて新座市の教員なのではないでしょうか、新座市のAETなのではないでしょうか。いろんな問題があると、ではまた松香フォニックスに頼んでちょっと直してもらおうではなくて、実際に現場で働いている人が、子供たちと実際に接している人が、その困難を何とか乗り越えていこうというふうに考えるのが、筋ではないかと思います。
 プログラムの変更というのは非常に難しいと思うのです、一度決めてしまうと。ですけれども、自分たちでつくったプログラムであれば簡単に変えられるわけですから、委託料で100万円近くかかっているわけです。これやはり大きいと思いますし、AETの給料も全部合わせるとやっぱり1億円以上のお金がかかっているわけですから、やはりちょっとこれは考えていただきたいと思います。
 それから、授業公開のことですけれども、日常的に続くと学校が困ると、これはもちろんわかっています。私は、別に毎日その学校へ行くとか、そういうことを言っているわけではありません。23校もありますので、1校ずつ回っていっても次に行くのは1か月後なわけです。だから、授業公開日に行くということももちろん考えていますけれども、もう少しふだんの授業というものをやっぱり市民にも、もちろん私たちにも公開していただけたらなと、そういうふうに思っています。
   〔「通告書のどこに書いてあるんで
     すか、それ関連質問じゃないん
     ですか、議長」と言う人あり〕
〇11番(高邑朋矢議員) それから、前回の資料が非常に不備があったというふうに私が思ったので、今回こういう質問したのですけれども、時間的な内容だとか、今この時点で出すのは非常に困難ということであれば、後でまた資料を出していただきたいと思います。
 今わかる範囲の中でちょっとお聞きしたいのですけれども、まずこの1か月の間、両親は学校あるいは教育委員会と全然話し合いができなかったわけです。その理由が、大変な出張があるとか、学校の用事があるとか、葬儀があるとかという理由で1か月間ほっぽっておかれた形なわけです。でも、今の答弁でもあったのですけれども、校長が新人戦の引率をすると。これ、私の感覚から言うと、これはあり得ないのです。校長が、新人戦の応援に行くというのはあります。だけれども、生徒を連れて引率をしていくというのは、これはおかしいのではないか、本当に引率したのでしょうか。引率というと、生徒を連れて自転車、あるいはオートバイで一緒に行くのを引率と私は認識しているのですけれども、そういうことがあったのでしょうか。
 それから、10月20日に教育長に面談の申し入れをされるということなのですけれども、なぜ教育長がその面談に応じられなかったのでしょうか。普通教育長に面談申し込みされたら教育長が当然出ていくと思うのですけれども、なぜ部長と課長が対応されたのでしょうか。
 ここに名刺があるのですけれども、臼倉教育長の名刺なのですけれども、1日の日に弔問に訪れたときに何かあったら何でも言ってくださいということを教育長言われているのです、ご両親に。ところが、10日の日に陵平のお父さんの隆志さんが面会を申し込むと、11日には、女性の職員から今週も来週も多忙のため会えないと、こう言われてしまいます。再度申し込みますと、今度は返事がないと。やむなく12日から二中にファクスで質問を実は始めているのです。この不備というのは、実は学校だけではなくて教育委員会の方にもこの資料は大分不備があると私は思うのですけれども、3回目にやっと面談の申し入れが認められるというか、ただ教育長はそこには出席はされないと。23日になぜ会えなかったかというと、留守電に部長と次長が本日10時よりお待ちしていますと、いきなり留守電にきょうの10時から待っていると言われても、これはやはり無理ではないかなと思うのです。それに対して、隆志さんが電話をすると、なぜ教育長が出られないのかと、こういう電話をすると、このようなケースでは教育長がお話しすることは慣例にありませんと、こういう言い方をされます。1日の日には、何でもおっしゃってくださいと言って、両親は非常に苦しい状態の中感激するわけなのですけれども、後は全然面会をされない、これはどういうことなのでしょうか。そのあたりを教育長自身からお答えいただきたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) どこまでが質問か、ちょっとわかりませんけれども、再度のご質問にお答えをいたします。
 一番最後の方の最初の1日に私が弔問をいたしましてお悔やみを申し上げ、確かに何でもお申しつけくださいということを申し上げました。それは、しっかりと覚えております。それを私がすべて受ける、受け付ける、相談に全部乗るというそういうシステムではなくて、教育委員会はそのために事務局ありますから、こういういろいろなことが起こった場合には、例えばこのことは学務課の対応、このことは指導課の対応、あるいはこのことは生涯学習課の対応と、こういうふうにいろいろと対応が分かれまして、そしてその期間を通して話がある程度進んで、肝心なところでは私が出ていくというのが普通のやり方です。それでなければ、私としてはとても全部対応はできません。
 そういうことで、逐一報告を受けたりして、そのたびに私の方からは職員に指示を出して相談の繰り返しをしたということでありまして、主な窓口は当時の学務課長がいたしました。学務課長です。学務課長がすべてをいたして、私の方に報告があって、私の方からまた学務課長がそのことを意を酌んで相談したと、こういう経過であります。私が直接そういう窓口になるということは、ほとんどないと言っていいかなと思います。何でも言ってくださいと言ったのは、そういう意味でお聞きしたことを私はすべて職員を通して聞いておりまして、それを通してまたお返事をしているということであります。
 それから、校長の引率でありますが、これはいろんな意味がありまして、校長はこの大会の会長もやっていまして、引率も含めながらこの大会の責任者でもあったりした立場でありました。そういうことで、校長はこの大会に出席したということであります。
 1か月の間教育委員会と保護者との話し合いが行われていないのではないかという、こういうご質問でありますが、ちょっとデータが十分そろっていないのでわからないのですけれども、そういうことで窓口は学務課長ということで受けるものは大体受けているように承知をしておりますが、ちょっと正確には資料が今手元にないので、推測になってしまいますけれども、そういうことであります。
 それから、ふだんの授業を見たいということでありますけれども、これは当然手続を踏んでもらってごらんになってください。部長の方からもありましたが、学校のいろいろな事情がありますからして、事前に手続をいただければと。いつでも公開いたしますし、いろいろな方がこの授業を見たいという方が見える場合もあります。すぐ都合がつく場合には、学校はすぐ公開をいたしております。
〇議長(三村邦夫議員) 学校教育部長。
〇学校教育部長(金子広志) 英会話の指導についてお答え申し上げます。
 新座市の英会話の授業、指導計画でございますけれども、これは実際は松香フォニックスというところで提携をしながら進めてきたわけですけれども、実はこの前に新座市教育委員会としてマップスという指導の計画がございまして、これらをもとにしながら新座市独自のものを編さんをしてまいったわけです。議員ご指摘のように、低学年の児童生徒はこの英会話の授業を大変楽しみにしております。それは、私どもがとった統計からも明らかでございますが、学年が上がるに従ってややそういった傾向が減少するということも認識しておるところです。
 これらを克服するためには、やはり教員一人一人の英会話に対する理解を深めるということと同時に、学校全体で例えば教室の表示なりを英語表示にするとか、いろんなやっぱり工夫が必要かと思います。あるいは、掲示板に英語コーナーをつくったり、あるいはコミュニケーションができるような行事を設定したりして、子供たちの意欲を喚起していくということが大事かなというふうに思います。
 私どもは、この会社に丸投げをするというようなことはございませんし、これからも協議をしながら新座市独自の英会話の指導計画、あるいは授業の計画等を作成をしていくということで、大変私どもも意欲に燃えておりますので、どうぞご理解のほどお願いしたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) まず、授業の件ですけれども、手続を踏めばいつでも公開するというふうに受け取ってよろしいわけですね。
 これは、教育委員会を必ず通すということでしょうか、学校長に直接ということでしょうか、その辺ちょっとお聞きしたいと思います。
 それから、教育長が直接窓口になるわけではないと、なるほどなと思ったのですけれども、なぜそれが2月5日に教育長は市役所で両親と面会をされていると思うのですけれども、これはどうしてお会いになられたのでしょうか。教育長は、原則的に会わないというのに、なぜお会いになったのでしょうか。
 それから、1か月たって両親との話し合いが行われました。やっと学校と両親が話すチャンスができたわけです。校長は、ここでこういうことを言っているのです。「先ほど申し上げましたとおり、職員会議も10日まで持てないような現状でした」、臨時の職員会議が持てているのです。「それは、3日、4日、5日、6日は新人戦ということで、一番早い職員会議で事情事実を説明し、これから私たちが取り組むべきことは何か、あるいはお父さん、お母さんからいただいたことは何だろうかと、私たちはこれから二中をどうするかことについての最初の会議を持てたのは10日だということを、まずご理解いただきたいと思います。それから、11日、12日と会議を重ねていったのですが、その後も先ほど申し上げましたとおり、16日、23日と会議を重ねて、陵平君の死をむだにしないために私たちがもう一度共通理解をしていくということにこれだけの日数を要してしまったということをまずおわびするとともに、ご理解いただきたいと思います」、これは教育委員会の立ち会いの会議で、10月31日に行われた東北コミセンでの話し合いなのです。
 要するに、1か月間両親に何があったのかということを説明するのに、会議は10日まで持てなかったからだと、そして出張が多かったからだと、こういうことを校長は言っているわけです。ところが、1日にちゃんと会議は行われています。会議録も私は持っています、議事録を持っていますけれども、非常に短時間の会議なのですけれども。
 それから、2枚目のプリントを見ていただきたいのですけれども、10月5日に教員からの事情聴取ということで、そこで教育委員会は事実をもう把握しているはずなのです。これは、もう事故が起きたときには、早く調査をしなければ記憶がどんどん薄れていきますから、これは当然の措置だと思います。10月5日に、もう既にわかっている、少なくとも学校側は10月1日にもう会議を開いていて、何があったかをちゃんと話し合っているのです。それなのに、なぜ31日まで両親に何も伝えるということをしなかったのか、これがどうしても私は納得できないことなのです。事実がわかっていて把握をしていながら、なぜ両親の問いかけに対してしっかりと向き合わなかったのでしょうか、それを教えてください。
 それから、先ほど、多分答弁漏れだと思うのですけれども、学年集会というのは本当になかったのですか。これは、わからないということなのでしょうか。非常に大きな問題だと思うのです、学年集会というのは。
 10月2日の全校集会のときに、両親は実は担任の先生に学校で何があったのでしょうかと聞かれるのです、わかりますか。陵平君に一体何があったのでしょうか、担任の教師に聞かれるのです。10月1日の会議でこういう指導があって、こういう事故が発生しましたということを職員会議で話し合いをしているのです。しているのに10月2日の緊急全校集会では、担任の教師が学校で何があったのでしょうかと両親に聞くのです。こういうことを通して不信感がどんどん、どんどん募っていったのだと思うのです。この学校の対応、これは間違っていないですか。教育長に会いたいと言ったら、会えばいいではないですか、どうして子供の命が一番大事だと校長会でも発言されている臼倉教育長が会うという、両親の会いたいというその気持ちにこたえられなかったのでしょうか、非常に私はそこが疑問なのです。
 それほど忙しい何か用事があったということですか、その辺をお聞きしたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度のご質問にお答えをいたします。
 学校で1か月の問題がまず1点出ておりますけれども、1か月その事故調査にかかったということでありますが、この学校で一番調査で難しかったのは、この事故が学校で起こったことであったら、何月何日どこでどうなってどういう状況で起こったという事実を全部把握することができます。学校で何があったのだということを調べてくれと言われますと、何をどういうふうに考えたらいいか大変難しい問題です。要するに、こういうことが起こった原因が学校にありはしないかという、こういう調査になります。これが、非常に難しくて、だれに聞いても明快な答えを出せる人はもちろんいませんし、いなかったし、もしやこういうことかな、そういえばこういうことかなと、そういうことがありはしないかということで、何度もそういう声があるかどうかよく調べてくれということは、教育委員会は何回も指示をいたしました。その間、学校でいろいろと原因を調べましたけれども、結果的には学校はこれに直接関係するようなことは考えられないという結論であります。そういうことを含めまして、時間がかかった。このわからないものの原因を追及するというのは、大変な時間を要することだと思います。そういうことを含めまして、実際に時間がかかったということが1か月であります。
 それから、私が会わなかったということは先ほど申し上げたのですけれども、話は全部報告を受けておりまして、その報告を受けながらお話をする必要のあるときには私が出ますよということはいつも言っておりまして、そして話を受けて状況を見ながら、またはこういう解決をしないまま出ても話が何も進まないなという状況のときに話が出ても、何ら意味がないし、少しでも何かの像が出てきたときに、あるいはお互いの考えがまとまってきたときに、私が出てお話をし合うということが普通の一般のやり方であります。今回もそういう方向でやってきたので、別に特に拒否をしたとか、そういう意味ではないことはご理解いただきたいと思います。
〇議長(三村邦夫議員) 学校教育部長。
〇学校教育部長(金子広志) 学年集会の件、ご質問にお答えしますが、今私どもが手持ちの資料におきましては、学年集会を開いたというような記録がございません。ですから、学校の全体の集会が開かれたというふうに理解をしております。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) 学校で起きた事故であったら調査は簡単だったのだけれどもと言うのですけれども、学校で何かあって学校で死ぬ子は余りいないのです。学校でいじめがあって、学校で死ぬということは私は余り聞いたことないのです。死んだ場所が問題ではなくて、学校の中で何があったかが問題なのではないですか。
 所沢高校の校長は、お母さんへのメール、ご迷惑かけました、ごめんなさいというメール、それから学校で2時間、5人の先生が指導をしたということ、それだけで力がなかったと反省をしているのです。たったそれだけのことで。
 陵平の場合は、反省文と遺書が同時に置いてあるわけです、同じ部屋に。これは、警察官がそれを発見して、それで新聞社に流れたのだと思うのですけれども。しかも、担任の先生から電話がかかって1時間もたたないうちに亡くなっているという事実があって、それで学校は無関係というような判断を下す神経が私にはわからない。それに時間がかかったのですと言うけれども、学校側は違った言い方をしているではないですか。学校側は、会議があって、いろんな主張があって、それにこたえられないと。今教育長は、学校に関係ありはしないかという調査をしていたのに時間がかかったと、こういう言い方をしているわけです。それで、学校に関係がないという根拠は何ですか。どこをどうしたら学校に、その当時の指導に関係がないということが断言できるのですか。
 教育長は、ちょっと失礼なのですけれども、中学校に何年おられましたか。中学校での経験、中学生を相手にした経験は何年おありですか、お願いします。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 最初に、中学校の教員の経験は、臨時の経験が半年あります。それだけです。あとは、小学校です。
 学校に関係ないという判断をどうしたかというでありますが、実際問題原因がどうしてもわからない、学校として指導してきたことをすべて洗い直しました。それは、これまでずっとやってきたことと同じことでありまして、一つの学校の指導のあり方の方法を踏襲しただけであります。特に、このときだけ新しいことをやったわけではありませんし、またこういう指導を何か守らなかったり、あるいは問題行動を起こしたりした場合には、こういう指導を受けるということを生徒はもう承知をしている、みんな学校では承知をしている、そういう指導方法をとっております。したがいまして、ふだんのそのままの指導方法をとったので、後は原因が考えられない。したがって、学校は特に関係ないと、こういうふうに判断したところであります。
〇議長(三村邦夫議員) 11番、高邑朋矢議員。
〇11番(高邑朋矢議員) さっき、ちょっと学年集会を開いていないという答弁だったのですけれども、学年集会開いています。同じ日に。金子学校教育部長よろしいですか、学年集会を開いています。臨時学校集会の後に学年集会やっています、やはり。
 原因がわからない、今までやってきてだれも亡くなっていない、だれもそういう事故がなかったから、この指導の仕方は間違っていない、原因ではないというのは、全然論理的ではないと思うのです。中学校の経験がないということなのですけれども、中学校2年生でリーダーと言われる子たちのプレッシャーというのは物すごいのです。所沢高校の3年生も受験ということがかかわっていなかったら、ああいう結果にはならなかったと思うのですけれども。今子供たちが先生たちの前で物すごいプレッシャー、内申とか物すごいプレッシャーの中で生きているわけです。
 特にこの担任の先生は、私の片腕がもがれたようだ、なくしたようだという言い方をされるのですけれども、その先生の片腕となって、生徒と教師の間にあって働くリーダーたちにとっては、学校の教師から否定をされるということは、これはこれはとてもきついことなのです。その心情が全くわからないというのは、これはおかしいのではないですか。幾ら中学校を経験していなくても、そのぐらいのことはわかってほしいと思うのです。子供たちは非常にきつい状況の中に置かれています。今までそれで問題がなかったから、今回事件が起きたことは問題がないのだ、関係がないのだという、そういう考え方で本当に新座市の教育界のリーダーをやられているのですか。新しくだれかが何か起きたら、今までこういうことはなかったから、それは学校には関係ないやという、そういう論法でずっといきますか、本当に。その割には、すぐに指示を出していますね。カウンセリングマインドですか、それに基づいた生徒指導をやるようにと。
 何で学校が関係ないというのに、校長は8日まで、ずっと毎日毎日、毎日毎日弔問に行くのですか。学校が関係なかったら、行く必要ないではないですか、教育長はどうして行かれたのですか、弔問に。市内23校の生徒が亡くなったときには、必ず弔問に行かれるのですか。今まで行かれていますか。学校に関係がある、事故の責任は学校にあると思ったから、こういう行動をとられたのではないのですか、もう一度答弁してください。
〇議長(三村邦夫議員) 教育長。
〇教育長(臼倉正堯) 再度の質問にお答えをいたします。
 教育長の弔問、なぜ行ったのか。これは私は現在の在籍している子供たちが亡くなったときには、ほぼ90%以上の弔問をいたしております。1回だけ、これまで10年間のうち行けなかったときがあった。それは、出張中にあったことでしたので、帰れなかった事情があって行けなかった。あとは、全部ほとんど出ております。ということで、別に特に今回これだけ行って何かという、そういうあれは一切ございません。とにかく、私の責任における中の大事なお子さんのかけがえのない命を落とされたわけですから、これは当然弔問に行くというのが私の考えでありまして、弔意をあらわしてきたということであります。
〇議長(三村邦夫議員) 以上で、11番、高邑朋矢議員の一般質問を終わります。


12月16日 (木)  「たかやん議員日記」2004.第274弾! 

「たかやん議員日記」2004.第274弾!   12月16日(木)

陵平のお母さんからのメール

今日もたくさんの大切なものを私はいただきました。

「陵平の言いたかったことを伝えられるのは、ぼくしかいない。」
4年前のあのハイチュー事件を心底考え抜いた、高邑さんの「決意」を感じました。

10月2日の全校集会。あの日の天気は記憶にありませんが、あの日の体育館での風景は今でも忘れません。議場で、4年前のあの風景を鮮やかに思い出していました。そして、突然子どもを亡くした親の、狂ってしまった心も一緒に思い出していました。

高邑さんの意表をついた質問には、驚いてしまいました。そして、感性の深さ、豊かさを感じます。(これは毎回感じています。)私自身の感性をも磨かせてもらっているような、そんな感じがしています。

私の母は、今夜も言っていました。「陵平がそこにいるのに(和室で横たわっているのに)、よく出かけることができる、と思っていたよ。あの時は、必死だったんだね。ふつうじゃ考えられないことだよ。我が子のためにできる精一杯のことをやったんだね。あの子は、たくさんのことを人に残していったね。すごい子。」

陵平の父親にも電話で議会報告をしました。涙でうまく伝えることができませんでしたけど。「高邑さんに、ありがとうと伝えてほしい。」と言っていました。

4回の積み重なった一般質問、全体を思い返します。高邑さんは、いつも正直で、率直で、大切なことを語り続けたと思います。

大人たちだって時には間違います。
間違ったら、「ごめんなさい。」と言えばいいし、反省して、改善すればいいのに。
たったそれだけのことなのに。とりとめもなく感想をつぶやきました。

議会後、佐野さんとゆっくり話して、心がずいぶん落ち着きました。
今日は、久しぶりに陵平に会えたような感じがしています。
ありがとうございました。そして、お疲れ様でした。

おおぬき まさえ



そして命の応援団のさのさんからのメールです。

私は2回目の議会傍聴でしたが、やっぱり疲れましたね。何にもしていないのに、聞
き漏らすまいとする意思は体中の筋肉をものすごく働かせていたようです。疲れたけ
ど、徒労によるものではなく、次につながるものだと感じているので、また心と体を
柔軟にして傍聴に行きたいと思います。今回の傍聴で改めて、陵平さんの言いたかっ
たことの一言でも、思いの一片でも、私なりに一所懸命自分で見つけて、自分の言葉
で、人に伝えていきたいと思いました。
議会で問い続ける高邑さんや傍聴する政江さんの姿に、人が正直に誠実に勇気をもっ
て生きる意味を教えられます。
高邑さんが読んでくれた、全校集会の隆さんのメッセージは私も初めてちゃんと聴き
ました。高邑さんも声が詰まっていましたが、当然ですよね。私もやっぱり涙が止ま
りませんでした。かけがえのない愛する人を突然奪われた思いを自分に起こった事と
して一人でも多くの人に身近に感じてほしいと願わずにはいられませんでした。
前回も高邑さんの質問は良かったけど、今回はさらに良かったです。感性に響くっ
て、本物だからですよ。とかく、議会は理性が優先されるのかもしれないけど、その
もとにあるのは感性だと思います。こんなふうに本物の感性を結集していくと、共感
・賛同する人につながるはず! と確信できる瞬間でした。

あきらめずにそれぞれのやれるこ
とを継続していく事で、仲間を・分かる人を・おかしさに気づく人を増やしていきた
いと、思います。
それにしても、あの見事な「たかやん節」をあそこだけで終わらせるのはもったいな
いですね。今日、気づいたんですが、記者席が前回も今回もがら空きでした。各社に
アプローチしてみても…なんて思ってしまいましたが、次回はどうかな?
市役所からの帰りにとりとめもなく政江さんと話せたことも私にとっては癒し?のひ
と時でした。
とにかく、おふたりにありがとうです。愛と勇気をたっぷり感じました。お疲れ様で
した。

        さのいくこ





こうして日記を書いていて、不思議なことがあります。4年前、僕は陵平のことを知りませんでした。この事件のことは新聞で知ってはいたけれど、詳しいことは何も知らなかったのです。僕の質問に「うんざり」していた議員や教育長の方が知っていたのです。

僕は朝日新聞で「命の応援団」の記事が紹介されていて・・・何か電流のようなショックを感じて僕はでかけました。そして応援団のメンバーの前で「学校に、二中に責任がある。」「学校が陵平を殺した。」そう断言したのです。
その一言が原因で僕は六中のテニス部のコーチを辞めさせられました。六中テニス部を潰しにきたのです。「邑を辞めさせないのなら、テニス部を潰す。」顧問も子ども達も無視した異常なやり方でした。僕は六中テニス部の存続の為にテニスコートへ行くことをやめました。僕の引退と同時に1年生の入部が認められました。議会でも取り上げられましたが、教育委員会も議員も実際のテニス部の練習を見ないで、人から聞いた話で議論するので、驚きました。僕とテニス部の子ども達はあの時の六中の校長と教育委員会に夢を奪われたのです。全国制覇するのではという子ども達は県大会の決勝にも進めずに引退していきました。

朝日新聞は僕が「教員」になることを決意させた新聞です。あの時も雷に打たれたようなショックを感じました。そして今度もまた僕の人生を決定ずけるようなきっかけを作ったのが朝日新聞なのです。

二中の教師達が誰一人事実を語らない時に、二中の内部を語れるのは・・・・そう僕しかいませんでした。PTAの人たちも内部の本当のことは見えていないものです。職員室の雰囲気、教室での生徒と教師のやり取りは教師にしか分かりません。

だから陵平が天から僕を見つけてくれて、そして朝日新聞を読ませて、そして六中のテニス部事件をエネルギー源にして、僕が教育委員会と対決することを企画したのではないか・・・・今、そんな気がしているのです。僕達に意地悪をさせたのも陵平なのかも知れないと思うようになりました。

そもそも二中であんな意地悪をしなければ・・・六中のテニス部の子ども達にあんなにひどいことをしなければ・・・僕は教育委員会と対決しようとは思ってないでしょう。

子ども達の夢を壊した大人達。そして子どもの命を大事に考えない大人達を僕は許せないのです。僕の質問に正面から答えようとせず、僕に学校の授業すら見せようとしない。それがまた僕のエネルギーの源になるのだから不思議です。      たかやん




12月17日 (金)  「たかやん議員日記」2004.第275弾!

「たかやん議員日記」2004.第275弾!  12月17日(金)

数の論理
12月議会が昨日夜の9時に終わりました。
新座市議会は新明会11、公明党7、共産党6、刷新の会5、そして革新無所属1の計30人で構成されています。当たり前なのですが、最大会派と公明党が組むと18人。どうあがいても議決をひっくり返すことはできません。不思議なのは共産党と公明党の関係です。公明党が出した議案に共産党は賛成することもあるのですが、共産党が出した議案には公明党はまず賛成することはありません。公明党だけでなく最大会派もそれに同調しているようで、素人に毛の生えた僕としては不思議でたまらなく見えます。市議会では共産党が一番発言します。特に笠原議員の話は説得力があり、聞いていてまるで「社会の授業」を受けている生徒のような気持ちになります。反対に最大会派はこの1年間で一番発言しませんでした。一番力がある会派なのに一番発言しない・・・力があるから発言しないのかも知れませんが・・・僕には理解できないことでした。議場は議論する場のはずなのに、議論をしないでただ立ったり座ったりでは議場の意味がありません。新座市の財政はこうして悪化の一途とたどっていったのですから、それを変えるにはこの「数の論理」を変えていくしかないのかも知れません。勿論議員定数を減らすという作戦もあります。財政難ですから、それもいいアイデアだと思います。

研究授業
昨日、部長から「明日の授業は主任研修会なので遠慮してください。また別の機会を設定しますから。」という話をされた。(ありゃ、またかいな・・・)と思ったが『了解しました。』と返事をした。僕は特定の学校にこだわっているわけではない。新座市の全部の学校の様子を知りたいだけである。新座市民の目となって、見てきたいだけなのだ。実際の学校の様子を見ないで「新座の教育」を語ることはできない。いいものは良い。悪いものは悪い。それが分かる確かな目を持っていると自分では思っている。悪いから駄目だとか、良いから何でもOKと言っているわけではない。悪かったらどうやってよくしていこうとみんなで考えようというのだ。よかったら、みんなにそれを広めようというのだ。授業を見て、良くないのに「よくやっていた。」というのは誉めているのとは違う。それは「煽てているのだ。」できなかったことができるようになったとき、人は誉めることができるのだ。それにはまず悪いところは悪いと伝えなくてはいけないと僕は思っている。人はできないことができるようになることに喜びを感じるのだ。学びの楽しさを感じるのだ。

刷新の会
今回の議会でも5人全員が「一般質問」をした。僕ら新米三人組も三人三様の質問をしたのだ。僕は相変わらずのマイペースだったが、羽根善保はかなりいい感じで質問していたと思う。議場だと緊張気味のことが多いのだが、今回は控え室の雰囲気をだして大いに質問していたのだ。一番若い平松大佑議員も質問したり、意見を言ったり発言することが多かった。加藤文保、田中幸弘両先輩は流石だった。四人に学ばなくてはいけないことがたくさんあると思った、たかやんであった。

人相
この人はどういう人かわからない・・・・。そういう時、僕はその人の人相で判断する。そしてそれは大抵当たる。人の生き方は相に出てしまうのだ。表面的は笑いはかえって人相を悪くしていく。そして人相は変化していくから面白い。人相の面白いところは社会的地位とか経済状態とかとは関係がないということ。どんな生き方をしているかにかかってくるのだ。お金がなくてもいい人相の大人になりたいと思うたかやんである。


12月18日 (土)  「たかやん議員日記」2004.第276弾! 

「たかやん議員日記」2004.第276弾! 12月18日(土)

言葉
教育実習に行った函館中部高校の教頭先生から言われた言葉は「君達の授業は確かにひどいものだった。だけど、君たちには僕達にはないものがある。それは言葉だ。生徒と共通の言葉を君たちは持っている。我々教師が失ってしまった大切なものを君たちは持っている。是非それを失わないで欲しい。その言葉をどうか持ち続けてください。」というものだった。僕は教頭先生のその言葉だけを頼りに子ども達と一緒に歩いてきた。だから50歳になった今でもその言葉を僕は持ち続けていると、自分では思っている。子ども達との共通の言葉は決して上から言う言葉ではない。命令ではない。指示でもない。相手をコントロールしようという言葉ではない。自分の気持ちを相手に伝える言葉なのである。そして相手の気持ちを自分が知る為の言葉なのである。

市議会議員として今の僕ができることはほとんど無いだろう。一般質問でどれだけまともなことを言っても、結果は最初から決まっているのかも知れない。だけど僕はこれだけは失うまいと思っている。それは一市民としての言葉だ。新座を愛する一市民としての感性を僕は持ち続けたい。そう思っている。議会では非常識なことでも、市民の感覚からすると当たり前のこともある。僕は市議会議員をあと何年続けられるか分からないけれど、この「言葉」だけは持ち続けなくてはいけないと思っている。そうあの教頭先生の言葉のように・・・。

五人組
今日は刷新の会の忘年会だった。みんなで楽しく飲んだ。二次会はジョナサン。田中幸弘はアンミツ。平松大佑さんはバニラアイス。羽根善保はドリンクバー。僕はパフェを頼んだ。ここでは普段の議員活動での疑問点をぶつけあった。この会派のいいところはいいたいことを言うことだ。勿論年齢も経験も関係ない。色々参考になることを教えてもらっていい勉強になった。三次会は田中幸弘と語った。これがまた楽しかった。今夜はいい夢が見れそうである。


12月19日 (日)  「たかやん議員日記」2004.第277弾!

「たかやん議員日記」2004.第277弾!  12月19日(日)

筋肉痛
二日続きの朝サッカーでやや体の節々が痛い気がする。昨日今日と元気な男の子達が多く、みんなでちょっとエキサイトしていた。弾丸シュートをお腹で受けたり、逆に相手の顔面にシュートしたり・・・・・誰かがムキになると、みんなそれがうつって・・・・まるで中学生のように燃えてしまったのだった。

挨拶
公園に散歩に来る方たちから笑顔つきの挨拶をしてもらえるようになった。管理人のおじさんには勿論みんな大声で「おはようございまーす!」。タダで使わせてもらっている代わりに元気のいい挨拶とゴミ拾いをさせてもらっているのだ。


このところ涙もろくなってきた。チェ・ジュウの涙のせいかも知れない・・・。昨日は教え子のお墓参りに行って・・・少し泣いてしまった。二郎はまだ35歳だった。奥さんと小さな女の子二人を残して逝ってしまった。死因は陵平と同じ。バイクで車にはねられて、死んでしまった。二郎はサッカー部のセンターハーフで、それは、それは元気な奴だった。兄貴の直弘は大人しい子だったが、弟は兄貴と性格が正反対。もうやんちゃ坊主もいいところだったのだ。そんな二郎のお墓の前で直弘と立つことになるとは・・・順番が逆だろ?二郎。

お袋
富山からお袋が帰ってきた。兄貴が迎えに行ってくれたのだ。暖かくなるまで畑中の僕の家で過ごす事になっている。色々話をするのが楽しみである。


12月20日 (月)  「たかやん議員日記」2004.第278弾!

「たかやん議員日記」2004.第278弾!  12月20日(月)

市民相談
今日は市民からの相談が2件あった。一つは「堀の内球場の公園の木製の遊具が倒れ掛かっていて危険です。何とかなりませんか?」という話だった。早速みどりと公園課に電話をして一緒に見に行ってもらった。なるほど木製の遊具の柱の四本の内の一本が根っこの方で折れていた。子ども達は危険が好きだから、この遊具でどんどん遊ぶだろう。
ところが堀の内球場の担当はスポーツ振興課だった。同じ公園でもスポーツ施設に併設されていると担当する課が違うらしい。みどりと公園課の方がスポーツ振興課に連絡して、安全対策を十分にとってくれることになった。子ども達が怪我をしてからでは遅い。市役所にはこういう素早い対応が大切なのである。

もう1件はY小学校の担任の先生についての相談。教師の言葉の暴力といったところだろうか・・・小学校でこの「言葉の暴力」に会うと、子ども達はかなり辛い状況に追い込まれる。ほとんどが学級担任と生活を共にするからだ。だがこれは直接話を聞いてみないとなんともいえないことなので、まずは話を聞くことになった。
中学校にだってこの「言葉の暴力」は多い。陵平がいい例である。教師達は気がつかなくても子ども達の心が傷ついていることがあるのだ。何ということのない言葉でも繰り返されると、とてつもなく強い言葉になって心に残ることもある。大勢の人間に言われると、弱い言葉でも強く聞えてくる。ましてや担任が強い言葉で言えば、小学生にはかなりの負担になるのだ。中学生だってそうだ。そういう僕だって、もしかしたらたくさんこどもたちを傷つけてきたのかも知れない。言葉にはそういう危険がいつもつきまとうということだ。勿論職場の中で教師同士で傷つけあうこともたくさんある。管理職による言葉の暴力もあげればきりがない。「自分が偉いと思うようになると、人を傷つける言葉が多くなっていく。」といった人がいたが、本当にそうかも知れない。

思い出
子ども達に昔の僕の授業を覚えているか?と聞くとほとんどの子達が「覚えてない。」という。これは教師にとっては結構きつい言葉だ。「お話は覚えているよ。」「サッカーやったよね。」「歌を歌ってくれた。」「天体観測は覚えている。」「黒目側へ行ったよね。」子ども達の思い出は授業以外のことばかり・・・。(ん?授業中のことかも・・・)
僕だって、大好きだった先生の授業の中身はほとんど覚えていない。覚えているのは、その先生が僕にどんな言葉を言ってくれたかということだけだ。そしてその時の先生の表情・・・これを覚えているのだ。

「英会話の先生が今月でやめちゃうんだって!」「大好きだったのに・・・」「一番発音がきれいな先生だったのに・・・」どうやらF中の英会話の先生のことらしい。確かに笑顔の素敵な先生だった。「あの先生、超いいよー。」子ども達の言葉が耳に残っている。先生、お疲れ様でした。お元気で。


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