Diary 2006. 7
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7月21日 (金)  「たかやん議員日記」2006.第202弾! 

「たかやん議員日記」2006.第202弾!   7月21日(金)

出発
事件は空の一言で始まった。「はがいたい・・」『どこが痛いの?』「ここがいたい」と口の中を指す空。空には虫歯がないはずなのに・・・と思って、喉の奥を見ると・・・のどの周りが赤い。『ママ!これはお医者さんに行かないと駄目だ!』まだ荷物の準備もできていない状態だったのだが、兎に角医者に予約を入れて、僕らは必死になって動き始めた。
12時に出発しないと飛行機に間に合わない・・・・残った時間は2時間半。空を小児科に連れて行き、宅急便で荷物を送り・・・タクシーを呼んで・・・部屋を片付け・・・戸締りをして・・・
ところが小児科が混んでいて、なかなか順番が回ってこない。『事情を話して、何とか先に見てもらえるように頼んでみたら・・・』「わかった。頼んでみる」

11時10分、幸弘から電話がかかってきた。「もう札幌?」『いや、これから行くんだよ。』忙しくてバタバタしていたのだが、何故か幸弘の声を聞いていたら落ち着いた。何とかなるような気がしたのだ。

空達がお医者さんから帰ってきたのは11時55分だった。一時は僕一人で行くことも考えたが、僕らは無事に出発することができた。

電車
空は大好きな電車に乗りご機嫌。靴を脱いで窓の外を眺める。池袋で乗り換えて、品川へ・・・品川でまた乗り換えて、やっと羽田に・・・その間、ずっと楽しそうだった。

発券機
初めてクレジットカードでチケットを買ったので、搭乗券をどうやって買ったらいいか分からなかった。最初は自分ひとりでやってみたのだが、どうもうまくいかず・・・ANAの人に聞いて、無事に搭乗券を買うことができた。手荷物を預け、軽い昼ごはんを食べて飛行機に乗った。

怖いから寝る
飛行機が動き始めて、離陸してすぐ・・・・空は「怖いから寝る」と言って、本当に目を閉じてしまった。思ったよりも高いところを飛んでいると気づいたのかも知れない。僕は本を読み、空は僕に抱かれてずっと眠っていた。

山の手
路加子さんが円山公園のバス停まで迎えに来てくれた。バスの中で少しぐずっていた空は「おばちゃん」に会ってご機嫌。山の手の路加子さんの家に着くと、2階の窓から茂男君が手を振って、僕らを笑顔で迎えてくれた。茂男君は北大テニス部の1年後輩。卒業して以来の30年振りの再会だったのだが、顔は昔のまんまだった。

マジック
H家にはマジックという黒くて大きなラブラドール・リトリーバーがいて、空は大興奮。「わんちゃんのところへいく」とマジックを追い掛け回していた。

秘書
びっくりしたのは茂男君が昔、参議院議員の秘書をしていたということ。永田町に5年もいたらしい。首相官邸にも何度も行ったことがあるといっていた。話しは盛り上がりかけていたところで、空が「パパとねる」と呼びにきて・・・・僕は空に「クリスマスキャロル」の絵本を読みながら、空を寝かしつけたのだった。       たかやん


7月22日 (土)  「たかやん議員日記」2006.第203弾! 

「たかやん議員日記」2006.第203弾!   7月22日(土)

札幌西高
山の手の茂男君の家から自転車で坂を下る。札幌西高は茂男君達の娘の真帆の母校。まるで大学のような雰囲気の綺麗な校舎の中に私服姿の高校生達が次々と吸い込まれていく。どうやら「夏期講習」に来ているらしい。真帆もそうやって勉強して、現役で北大の医学部に入ったのだろう・・・・。

北大のコートに点いたのは8時半前。丁度東北大の練習が始まったときだった。「こんちは!」学生達の笑顔の挨拶が嬉しかった。去年の仙台で見た顔、今年の春あった顔がたくさん見える。

僕はレギュラー数人と話をした後、早速東北大の練習を見に行った。少しでもデータを集めておかなくては・・・

9時半。試合はミーティングもなく始まった。(あれ?去年は監督がいろいろ話してから始まったのだが・・・)おじさんの出番がひとつ減った。彼らの緊張を少しでも解くのがおじさんの仕事だったのだが・・・

最初で最後の対抗戦という4年生の気持ちはなんとなく分かる。僕も1年生の最初の試合は何がなんだか分からず、東北大の石川・石川に緊張したまま完敗したから・・・やはりダブルスNO3の二人の動きがかたい。練習からガチガチで試合でもかわいそうな位動けてなかった。

30年振り
僕達のひとつ上の先輩達が「同窓会」でテニスコートに集合した。13人の懐かしい顔がコートに現れた。意識の底で忘れていた名前が浮かんできた。鈴木さん、本名さん、八木橋さん、小林さん・・・・・ペアだった田村さんや、同じ下宿だった吉野さん、一緒に遠征をした松浦さんも登場し一気に盛り上がった。今日はみんなで小樽へ行き、秦野さんのお墓参りをして泊まるのだそうだ。

ヴァモス!
試合の方はダブルスのNO2とNO1がともに勝って、2−1で北大がリード。ポイントになったNO2の試合ではエフドゥーと僕はネットの裏に陣取り、桑野・大久保ペアーを応援した。「ヴァモス!」とエフドゥーが叫ぶ!スペイン語でcome on!と言っているのだ。桑野・大久保のペアーが勝負を決めたとき、僕とエフドゥーはハイタッチして喜んだのだった。

応援規制
東北大の選手が僕や高田さんの応援を気にしているのは、去年から分かっていた。学生達のリズムとはちょっとずれた応援なので、気になるのかも知れない。「コートの後ろから声を出さないでください。」『なんでよ。学生達はコートの中でいいたこと言っているのに、OBは外から声を出してもいけないんか!』しかし北大のキャプテンからの伝言となると、無視もできない。おじさん達は殆ど拍手だけの応援になってしまったのだった。

高田屋
夜は東北大の先輩達と一緒に駅前の高田屋で飲んだ。年の若い順に挨拶となって、僕は一番最初に挨拶をした。52歳で一番若いのだから、応援のOB達の平均年齢の高さがわかる。そこに電話があって、「空がパパと寝ると言ってきかないの」『わかった。今から帰るよ。』自転車でダッシュして茂男君の家に帰る。空はグースカ眠っていた・・・・。

長袖
今日の札幌は本当に涼しかった。半袖では寒くていられないほどの涼しさだった。3時を過ぎた頃から僕はウォームアップの上下を着て応援していた。新座の暑さが懐かしいくらい涼しかった。     たかやん


7月23日 (日)  「たかやん議員日記」2006.第204弾! 

「たかやん議員日記」2006.第204弾!   7月23日(日)

あまりにもあっけなく・・・・
ダブルスは2−1でリードしたのだが、シングルスの6,5,4,3が立て続けにやられ、対抗戦の勝負はあっけなくついてしまった。シングルスの2,1はストレートに勝っただけに残念だった。

プレッシャー
4年生と2年生。常識的に考えると4年生の方に経験があり有利なのだが、ことこういう試合に関しては4年生の方にプレッシャーがかかるものなのだ。そしてチームとしてもチャンピョンチームの方にプレッシャーがかかる。北大のチームはそのことに気づいてなかった。「相手のチームで去年も出場した選手は二人しか残っていない・・・」「こっちは二人抜けただけ・・・」「普通にやれば負けるはずがありません」東北大の2年生の選手達は初出場だったが、実にのびのびと自分のテニスをしていた。春の学生王座、七大戦で力をつけていたのだ。そこが今回の勝負の分かれ目だった気がする。北大のNO1,2の4年生はそのプレッシャーを楽しみ、自分のテニスをしていたが、チーム全体でそれができていたら・・・・結果は違ったものになっていただろう。「東北大は死に物狂いでくるぞ!」と現役の諸君には伝えていた。去年の北大がそうだったように・・・・「普通にやれば負けるはずがありません」と気持ちが受身になってしまったのかも知れない。でもそれも経験なのだ。東北戦で人生が決まるわけではない。そこから何を学ぶかが大切なのだ。勝って泣いて、負けて泣いて・・・緊張して、緊張して・・・泣けるような練習、試合をしてきたことが素晴らしいのだと思う。

監督?
試合が終わって「応援ありがとうございました!」と挨拶にくる選手がいて感動した。負けてしまった桑野も、最高の試合をして勝った大林とも力いっぱいの握手をした。そして入山選手のお父さんまで僕のところに挨拶に来てくれて・・・隣にいた本物の監督の横山さんが「本物の監督は誰?」とちょっとスネていた。『しょうがないですよ。そういう風に見えてしまうんだから・・・にじみ出た風格ってやつかな?』「おかしいなあ・・・」他の先輩達にちょっと悪いなと思っていたら、最後に現役の諸君全員からの挨拶があり、ほっとしたのだった。

ラーメン
余りにも早く試合が終わってしまったので、僕は自転車で茂男君の家に戻った。そしてみんなで赤いBMに乗ってラーメンを食べに行った。僕らが学生の頃にはなかったラーメンがたくさんあって、ちょっと感動した。味噌、辛みそ、しょう油、和風、とんこつ・・・僕らは5種類のラーメンを楽しんだのだった。

絵本
今日も絵本を読んで空を寝かしつけた。驚いたのは、僕は絵本を読むのが意外に上手だということ。時々ママが割り込んできて、声優のような声をだすのだが・・・・僕も結構その気になって絵本を読んでいた。「声を出して絵本を読む」ことは僕らにとってもいいことなのかもしれない。

真帆4歳の日記
幼稚園に行かなかった真帆はお母さんの路加子さんと毎日勉強していたらしい。其の時の真帆の日記を見てびっくり。そこにはこう書いてあったのだ。
I caught a cold, so I stayed home. Daddy and mammy went to the Chuo Library and rented 4 picture-books for me.
風邪をいつひいたのか・・・図書館の本がが有料だったかどうかなんて関係なく、4歳の日本のこどもがこのレベルの英語を書けるということに僕は衝撃を受けた。中学生だってあやしいものだから・・・・路加子教育ママに色々教えてもらおっと・・・・     たかやん




7月24日 (月)  「たかやん議員日記」2006.第205弾!

「たかやん議員日記」2006.第205弾!   7月24日(月)

サーバー
H家の朝は早い。今朝も5時にはみんな起きていた。出張の茂男君と二人で昨夜UPそこねた「議員日記」をUPしようと試みるが、サーバーの調子が悪いらしくどうしてもHPを見ることができなかった。

エアポート
路加子さんに札幌駅まで送ってもらい、8時40分発のエアポート(快速)に乗る。恵庭駅には20分ほどで着いた。駅前のバスに『このバス市役所に行きますか?』と聞くと「市役所の裏に行きます。」というので乗り込んだ。すると・・・・「勘違いしていました。このバスは行きません。ここで降りてください。この道を真っ直ぐ行けば市役所です。お代は要りません。」と途中で降ろされてしまった。

約束
10時に約束したのだが、早めに出ていたので尽いたのは9時過ぎ。どうかな?と思ったが中島興世さんは9時半に「どうぞ。」と言ってくれた。

中島興世
凄い人だった。いづみから聞いていた話以上の人だった。僕はどんどん話しに引き込まれ、興世さんも僕の話に「面白いですね」と聞き役にまわってくれ・・・・僕らは9時半から11時半前まで、2時間近く話し込んでしまったのだった。僕は興世さんの爽やかなエネルギーと確かな“知恵”を吹きこまれて市長室を後にした。“中島興世”のサイン入りの本を手にして・・・・・

30年振り
市役所から展久にメールをした。「15分くらいでいくから・・・」とメールが帰ってきた。市役所の玄関で待っていると「たかむら?」とおっさんに声をかけれた。「おう、久しぶり!」30年振りの再会だった。

水産孵化場
展久に道立水産孵化場を案内してもらった。僕が一度は夢見たことのある仕事を彼は卒業以来している。僕は学生の頃、テニスばかりしていて・・・成績があまりにも悪く、彼らが行った“増殖”学科には行けなかったのだ。まあ大学でも落ちこぼれだった訳・・・・それで教師になったのだからよかったのだけれど・・・・

釜飯
展久は午後に休暇を取ってくれ、僕らはゆっくり話をした。釜飯を食べながら今までの30年間を話し、今の自分達を話した。

ガーデニング
恵庭市のガーデニング熱は凄かった。「ここ日本なの?」というような家がたくさんあった。展久の車で僕らは恵庭中を探索したのだった。

支笏湖
それから僕らは千歳に向かった。「サケの故郷館」に行ったのだ。そこでは懐かしいサケ・マス類と亀、そして川の中が見られる仕掛けがあって楽しかった。展久が「支笏湖でも行くか?」と聞くので『うん、行こう!』と支笏湖へ・・・・そこは僕らが入学した時、テニス部で新入生歓迎コンパ?が行われたところで、34年前と変わらない景色がそこには広がっていた。あの時、バスで行ったのか・・・日帰りだったのか、泊まったのか・・・何も覚えていない。覚えているのは支笏湖畔でジンギスカンを食べながら、お酒を飲んで・・・・

お迎え
札幌駅には全員でお迎えに来てくれた。昨夜は何度も夜泣きした空が嬉しそうな顔で僕を待っていてくれた。

散歩
お風呂の前にマジックと一緒に3人で散歩をした。「三角山公園」まで行き、そこで暫く遊んだ。この三角山には昔叔父さんが住んでいた。兄貴達は大きかったから遊びに来たのだが、僕だけ来られなかった場所だ。当時三角山には叔父さんの家しかなかったと言っていたが、今は大高級住宅地。大きな庭付きの個性ある家が建ち並んでいる。

島耕作
夕食後、本棚から「取締役島耕作」を取り出して読んだ。なかなか面白くてすっかりはまってしまった。帰りまでに全部読まなくては・・・・

豪雨
札幌は今日も天気がよく、そして涼しい。本州が豪雨で大変なのはニュースで知っているが、申し訳ないくらい爽やかな天気である。              たかやん


7月25日 (火)  「たかやん議員日記」2006.第206弾! 

「たかやん議員日記」2006.第206弾!   7月25日(火)

公園
「草笛公園」「白銀公園」「こだま公園」朝から3つの公園をはしごした。最初の草笛公園には小さな川が流れ、その上につり橋がかかっていた。空はつり橋に大興奮。ママがわざと揺らす度に「キャーキャー」叫んでいた。
つり橋の向こうは坂になっていてシロツメクサが群生していた。それ以外のところは木屑が敷き詰められていて、歩くとフカフカしている。「冬の間は小さな子ども達のゲレンデになるのよ」と路加子さん。『いいなあそれ・・・・』小さなゲレンデで子ども達がスキーをしている光景が目に浮かぶ。

マジックは子ども達の人気者。「さわっていい?」と小さな子ども達が来ては、マジックを撫でていく・・・・
「桑の実、美味しいよ」と路加子さんが木に登り、桑の実を取ってくれた。本当に甘くて美味しかった。
空はそれからブランコに一杯乗って大満足。次の公園に向かったのだった。

白銀公園は小学校の横の公園。やはり芝とシロツメクサが公園全体を覆っている。フィールドアスレチックのような遊具があり、僕らはそれにぶら下がって遊んだ。

最後のこだま公園は最近できたばかり・・・・小さな子ども達が砂遊びしていた。その中の2歳の女の子がマジックを触りにきた。「エレナは犬が大好きなんです」とエレナのママ。空はエレナではなく、エレナのママが気に入って「おねえちゃんのところへいく」とさかんにアタックしていた。

教育談義
午後は2年先輩の横山さんと「教育談義」。彼はシックハウスの権威で北海道だけはなく、全国的に有名な建築家である。僕らはこれからの「教育」を3時間近くかけて語ったのだった。

テニスコートの土手
北大テニス部にはつまらないルールがある。コート脇の土手を降りたり、登ったりしてはいけないというルールだ。『そんな決まりあったっけ?』「昔からあったさ」『記憶にないなあ・・・』「お前は昔からルール破りだったんだよ」『だって、意味ないでしょ?』「そりゃま、そうだけど・・・」
僕は今回、そのルールを3回ほど破ってみた。その結果・・・・僕は今世紀最大の絶不調に陥り、悦木・横山6−2エフドゥー・たかむら。野呂・石原6−3横山・たかむらと負け続けたのだった。今度からは土手ではなく、階段を使おうと心に決めた、たかやんであった。

宴会
それから横山さんの会社で学生達と宴会。空は大好きな「いくらのお寿司」を食べてご機嫌だった。空とママは路加子さんに迎えに来てもらって・・・・僕らは「男の会話」を真夜中まで楽しんだのだった。悦木・入山・蒲池・大久保・野呂・石原そして横山さん。楽しい時間をありがとう。

入山へ
是非先生になってください。お前のような男が学校には必要です。テニスはとってもエッチだけど、根は純情で真っ直ぐな男だと確信しました。是非テニス部の顧問になって、君のテニスを未来の子ども達に教えてください。              たかやん




7月26日 (水)  「たかやん議員日記」2006.第207弾! 

「たかやん議員日記」2006.第207弾!   7月26日(水)

再びサーバー
HPを見ることができない。どうやらまたサーバーの調子がまたおかしいらしい。うーん、困った。

お腹がいたい・・・・
空の調子が悪い。うんこがでないのだ。環境が変わったせいか、夜泣きも多く親子で寝不足になっている。今朝も「パパだっこ」とベタベタくっついている。「パパがあまいから・・・」とママに言われるが、そんなこと言われても・・・ねえ・・・

農試公園
自転車が無料で借りられる公園に出かけた。テニスコートもあり、水遊びもできる。前回は大喜びで自転車をこいでいた空だが、今日は駄目。少しこぐと「おなかがいたい」と抱きついてくる。

河本先生
あまりにもひどいので小児科によった。もう診察時間をとっくに過ぎていたのだが、河本先生は快く引き受けてくださった。「どうせ旅行だろう」「連れまわしているだろう」「蕁麻疹がでるのは自家中毒の一歩手前だぞ」「ゆっくり寝かしてあげな」「浣腸だ」「ほい、おしまい」「心配ないよ」

玉のような・・
空は泣きながら、玉のような?うんこを産んだ。こんなものが詰まっていたら・・・食欲もないし、動きたくもなくなる・・・そう思えるようなうんこだった。直後の昼ごはんから元気な空に戻り、すっと昼寝をしてそして僕らはまた公園に向かったのだった。

発寒河畔公園
4人で公園のコートへ・・・。ここでもマジックは人気者。マジックを撫でようと、女の子達が集まる。空は小さな女の子達と仲良くなり、「おねえちゃん、おねえちゃん」とついて回ってご機嫌。僕らは安心してテニスを楽しんだ。そこの1面のコートはアスファルトでできているのだが、イレギュラーはしないしタダだし・・・管理の必要がないので、管理人も居ないわけで・・・大人から子どもまで自由に使っている。
要するに自分達の良識で交代していくわけだ。僕らも「ボールを使ってください」とボールを提供し、20分後に練習に入ることに成功したのだった。新しいグリップテープを巻いて打ってみると、なかなか調子がいい。(これだったか・・)
空もラケットを握り、ボールを打った。「上手!」「凄いね、空」とママも大喜び。空は調子に乗って片手で打ち始めた。うんこが出ると体が軽くなるのだろう・・・。めでたし、めでたし・・・

ブランコ
「空がブランコに乗りたがっているんだけど、お兄さん達がずっと乗っていて・・」とママ。『まかせておけ』と空を連れてブランコへ。『すいません。ちょっと代わってもらえませんか?』彼らは無言でブランコから降りた。意外な反応だったので、ちょっと驚いた。大学生らしい二人だったのだが・・・

包丁
「この包丁研いでもらったら、本当によく切れるの」と路加子さんが嬉しそうだ。イカ刺しを作りながら、しきりに包丁を誉める。茂男君も揃っての久しぶりの夕食は会話もはずんで楽しかった。空がよく食べるのでみんなビックリ。「やっぱりでるものがでなかったんだね」「いい顔してるわ」空はホッケでご飯を一杯食べたあと、パンも食べたのだった。


7月27日 (木)  「たかやん議員日記」2006.第208弾! 

「たかやん議員日記」2006.第208弾!   7月27日(木)

あっという間・・・
『もう1週間たったんだ・・・はやいなあ・・』「だねえ・・」茂男君と路加子さんは例によって5時起き。僕らは6時過ぎに起き、こんな会話になった。

お兄ちゃん
空はどういう訳か、茂男君のことを「おにいちゃん」と呼ぶ。路加子のことは「おばちゃん」だから不思議だ。そしてマジックのことは「わんちゃん」。やっとみんなに慣れてきたのに、もうお別れだ。

9時
最後の日もテニスをしようということになって、僕らは朝ごはんも食べずに(フルーツだけ)コートに向った。昨日も練習したそのコートに、昔あの鈴木貴男も来て、練習していたというのだから驚きだ。中学時代の鈴木貴男は見たことがあるが・・・小学校時代の彼を見てみたかった。

発寒川
空はサンダルを履いて川の中に入っていった。近くで小学生達が「やまめ」を釣っていた。バギーで赤ちゃんを連れたお母さん達も川べりで話し込んでいる。そんな優しい川が公園の脇を流れていた。

バイキング
路加子さんが「パンのバイキングを食べよう!」というので、みんなで行ってみた。パンとサラダとスープとジュースで960円分食べるのは大変だ。幼児は無料という魅力もあったのだが・・・僕は適当に食べてお終い。おばさん二人は食べすぎ、「胃がもたれたあ・・・」と暫く調子が悪いようだった。(女は欲張り・・・)

図書館
午後は休みを取ってくれた茂男君と二人で市内の図書館をまわった。まわりながら、懐かしい場所(昔住んでいたところ)に行ったのだが・・・・景色が変わりすぎて・・・三十数年の時の流れを感じてしまった。札幌の図書館はどこも立派だった。どの図書館でも若者達が真剣な顔をして勉強していた。あの中に未来の北大生や東大生がいるのだろう・・・みんなとっても素敵な顔をしていた。新座でもそういう若者の姿を見たいものだ。

お好み焼き
茂男君は大阪出身。路加子さんの作ったお好み焼きはかなり美味しかった。空も沢山食べたし、僕らも大満足。おばさん二人は焼酎で乾杯し、僕と茂男君は麦茶で乾杯したのだった。

千歳空港
茂男君が千歳まで送ってくれた。空港で空をトイレに連れて行こうとすると、「たかやん!」という声がする。(え?)応援団長の一早がピシッとスーツ姿で向こうから笑顔でやってきた。「飛行機のチケットが取れなくて、8時半発の飛行機なんです」と一早。札幌に来ていることは知っていたが、まさか会えるとは思っていなかったので、もの凄く嬉しかった。

ウォッシュレット
空はまだズボンを脱がないとオシッコができない。そこで車椅子用のトイレを使うことにした。中に入るとウォッシュレット付きの立派なトイレがあった。空にオシッコをさせたら、急にうんこがしたくなって・・・・「どうしてそんなにウンコがでるの?」「毎食後にしてるでしょう?」と奥さんに言われ『そんなこと人前で言うなよ!ウォッシュレット
見たら、条件反射でうんこしたくなっただけだろ・・・』僕らの会話を聞いて、茂男君も
路加子さんもかなり笑っていた。

おばちゃん
最後の最後に空が路加子に抱っこされた。「おばちゃん、だっこ」と自分から抱っこを要求したのだ。パパにはちょっと恐かったけど、空には優しかったおばちゃんだったなあ・・・

おちる!
飛行機に乗ると空と同じくらいの子が「ひこうきやだー!おちるー!おちるー!」と大声で泣き続けていて参った。「こわいー」と泣くならいいのだが、「おちるー!」と叫ばれると・・・周りの人たちの顔が段々引きつってくるわけで・・・・彼は1時間15分の約半分の時間を泣き叫んでいたのだった。

バス
一早や幸弘の言ったように、羽田からはバスで行くのが正解だった。空は飛行機の中では眠った状態だったのだが、電車に乗った瞬間「ママだっちゅ!」と言い出して・・・・ママはママで「気持ち悪い・・・」と吐く寸前だったらしく・・・朝霞台に着くまでは大変な状態だった。それを救ってくれたのが「代わりましょうか?」と席を譲ってくれた若い女の子。見かけはちょっと派手な子だったのだが、彼女は実に爽やかに席を譲ってくれたのだった。

20000
応援団のHPへのアクセスがいつの間にか20000を超えていた。札幌で会った先輩が「お前とは毎日会っている気がする」と言っていたが、きっと僕のHPを毎日のように見てくれているのだろう。本当にありがたいことだ。

茂男君と路加子さんへ
7日間、本当にありがとう!空もひとみも「また行きたい!」と言っていますので、迷惑でしょうが、これからも宜しくお願いします。マジックにも「ありがとう!」と伝えておいてください。そして真帆によろしくね。      たかやん、ひとみ、空


7月28日 (金)  「たかやん議員日記」2006.第209弾! 

「たかやん議員日記」2006.第209弾!   7月28日(金)

嬉しいメール
六中の最初のクラス(1年2組)の究からメールが来ていた。もう30歳になっているはずだが、僕の心の中ではいつまでも13歳のままのイメージだ。恐ろしく頭のいい子で、一緒にいるのが楽しかった記憶がある。きっかけは究の弟の宙にひばりヶ丘で朝会ったこと。やっぱり朝、駅に立つといいことがあるのだ。究と会うのが今から楽しみである。

ジャンクメール
札幌から帰って来て、メールをチェックしたら・・・ジャンクメールが200通以上あって参った。いつもはそれ程気にしないのだが、さすがにちょっと頭にきたのだった。

カビ
久しぶりに塾を開けたら・・・どうもかび臭い。窓を全開にして、授業の前に大掃除をした。梅雨には換気が大事なのだ。

子ども達のエネルギー
勿論、空からももらっているが、塾の子達からもらうエネルギーもかなりの量だと思う。今日の塾でも、不思議なエネルギーをもらった。学校時代はそのエネルギーの渦の中にいた訳で・・・「先生っていうのは、あまり年を取らない職業ですね。」と言われるのは、そのせいかも知れない。

3年2組
「たかやん!あたし誰だか分かる?」『分かる訳ないだろー!』「友里だよ。覚えてる?3年2組の友里」『覚えてるさ、そりゃあ。』「本当、今ね、英里と真澄と晶子といるの。代わるね。」「もしもし・・・誰だか分かる?」『真澄?』「違うよ、英里だよ」『・・・・・』「もしもしタカヤン?だーれだ?」『真澄?』「晶子だよ。元気?」(言った順番にでてこいよ)『うん、この間お母さんに会ったよ。』「タカヤン?」『真澄だな』「そうだよ。元気?あたしね、幼稚園の先生やってるんだよ。」『へー!』「こんどクラス会やろうね」『うん、やろう、やろう。直ぐにやろう!』
僕の最後の卒業生たちからの電話は本当に嬉しかった。僕が最初に立候補して落ちたとき、僕の10円のポスターに「たかやん頑張れ!3年2組一同」と落書きをしてくれた子供たち。ポスターに落書きをすると怒られるらしいが、そんなことを気にしないで、僕を応援してくれた子供たち。彼女達ももう25歳になろうとしている。彼らと一緒に僕は中学校を卒業したのだ。僕の最後にふさわしいクラスだったなあ・・・・あのクラスの合唱は間違いなく新座市で一番綺麗だった。早くみんなに会いたい。他のクラスも合同でいいからやろうよ。クラス会。    たかやん


7月29日 (土)  「たかやん議員日記」2006.第210弾! 

「たかやん議員日記」2006.第210弾!  7月29日(土)

朝の公園
すっかり公園が好きになった空。眠くても朝の公園に「いく」という。「たいようとブランコであそぶ・・」と楽しみにしていたのだが、太陽がこなくてがっかり・・・。それでもボール拾いを手伝ったり、ボールを集めて色々な図形を作ったりして、2時間コートの中で遊んだのだった。後半には久しぶりに幸弘も登場。奥さんの直子さんがテニスコートにデビューしたのだった。

朝刊
朝日新聞のbe on Saturdayにまた鍛治さんが載っていてびっくり!今度は写真入りで・・・懐かしい顔が元気そうに写っていた。少し白いものが見えるが、とても54歳とは思えない。さすがに僕らのスーパースターである。テニスの世界ではかなり有名だったが、まさか世界レベルで有名になるとは思わなかった。それもパズルの世界で・・・・石神井の同窓生達はみんな喜んでいるだろう。特にテニス部の卒業生は・・・。

中体連と生徒指導
朝日の朝刊に「眉毛そっていたから・・・負け」という記事が載っていた。バトミントンの県大会の準々決勝で、試合に勝った選手が眉毛を剃っていたという理由で負けになり、団体戦の勝敗も覆ったというものだ。
県中体連が大会前、髪を染めたり、眉を剃ったりするなど「周りに不快感を与える服装」をした場合は、出場を認めない場合もあると、各校に知らせていたという。
そういう中体連の考え方の方がよっぽど「周りに不快感を与えている」と僕は思う。僕は髪を染めるのは大嫌いだし、眉を剃るのも大嫌い・・・でもそれとこれとは違う。そもそも試合をやらせておいて、勝ったら「眉毛そってる!」と本部にクレームをつけていく根性の汚さの方がよっぽど「不快感」を感じさせる。大会運営サイドが一度認めたから試合にでられたはずなのに・・・。それを勝負だけさせておいて・・・ひっくり返す。ドーピングじゃああるまいし・・・。スポーツマンシップに反するのはクレームをつけた学校サイドと大会運営をしていた中体連である。

昔、全国大会の前に中学生達を連れて市役所にいったことがあった。そうしたら県の中体連の偉い人が「お前ら、髪の毛を結べ!」と怒鳴ったのだ。その当時の五中は校則が比較的緩やかで、髪の毛のことなどうるさくいう先生は殆どいなかったから、子ども達はビックリ!「たかやん、もう帰ろうよ」「おかしいよ、全国大会へ行くから誉めてもらえるとおもったら、怒鳴るんだもん」「あのおじさん、頭おかしいよ」「失礼だよ。いくらあたし達が子どもだからって・・・」と子供たち。態度が悪いというのならまだ分かるが、姿勢よく話を聞いていた子ども達に向かって、初めて会った人がいきなり「髪の毛を結べ!」とは・・・・僕はそれから中体連が嫌いになった。そういう体質は今でもあるのだなあ・・・新聞を読んでいてそう思った。

語る会
今日は畑中から3人、新堀から1人という「語る会」だった。夏祭りや大会と重なってしまい、少し寂しい「語る会」だった。それでも内容はなかなか充実していた訳で・・・来月も、その次も、コツコツと「語って」いきたいと思う。   たかやん


7月30日 (日)  「たかやん議員日記」2006.第211弾! 

「たかやん議員日記」2006.第211弾!   7月30日(日)

オープンキャンパス
塾の卒業生で蕨高校へ行ったMから電話があった。「たかやん?今北海道なんです」『俺も27日まで札幌にいたんだよ』「そうなんですか。オープンキャンパスで来ているんですけど、どこを見たらいいんですか?」『今、どの辺りにいるの?』「正門を入ってすぐのところです」『文学部の裏にテニスコートがあるから、そこで入山か大久保を探して、昼飯でもおごってもらえ!』「本当ですか?」『大丈夫、俺の名前出せば案内してくれるよ』「わかりました」
残念ながら入山も大久保もその時コートにいなかったのだが・・・・教え子達が自分の通った高校や大学を目指してくれることは、本当に嬉しい。勿論「教師」という職業を選んでくれることも嬉しい。それにしても札幌まで行くとは・・・Mらしい。でもあのキャンパスを見たら、「絶対に行ってやる!」と思うから正解かも知れない。北大の校内から見る空は青く、そして高い。

赤い車
空が赤い車を見るたびに「あ、おばちゃんだ」と叫ぶ。札幌ではその赤い車に大分お世話になった。路加子さんの運転はかなり乱暴で、僕らは後ろのシートで前にのめったり、跳びあがったり・・・・狭い路をかなりのスピードで走るので、大丈夫かしらん・・と心配だった。その点、茂男君の運転するもう一台の赤いBMは安心して乗ることができた・・・・。車の運転にはその人の性格がでるからなあ・・・。
「次に買う時は赤にしない?」『うん、買えるときがあったらね。』我が家の車は40万で買った中古のカルディナ。あと10年はもってもらわないと・・・・あれを赤く塗るのも手か・・・。

絵本
今日も空に絵本を読んだ。「三匹の子豚」をママが読んでいるのを、空と一緒に笑いながら聴いていたら・・・一緒に眠ってしまった。絵本はいい。テレビの音と違って、生の人の声はきっと心をリラックスさせるのだろう。スッと眠りの世界に入っていけるのだ。母親や父親が間違いなく自分の方を向いていると感じる瞬間でもある。そういう積み重ねが親子の関係を作っていくのだろう。僕は雪と亮にどれだけ本を読んだことがあっただろう・・・なんだか申し訳ない気持ちで一杯になる。


今朝の夢も亮とサッカーをしている夢だった。お袋の夢も見ないし、娘の夢も見ない。空の夢も見ない・・・でも二日に一度は亮が僕と一緒に、元気にサッカーやテニスをしている夢を見る・・・不思議だ。          たかやん


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2006/7
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