Diary 2011. 7
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7月21日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第201弾!  2011.7.21(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第201弾!  2011.7.21(木)   たかやん

教師を目指す人へのメッセージ9 空き時間
空き時間というのはなかなかいいものだ。理科の場合は実験準備というやつがあるが、一度準備してしまえば、あとはみな同じな訳だから、その時間はまあ自由ということになる。職員室でお茶を飲んで話し込むのも悪くはないし、疲れた時は冷房の効いた保健室で一休みなんていう人も中にはいる。僕は何をしていたかというと、他の授業に参加していることが多かった。一番多いのが「体育」だ。きっかけはこうだった。「高邑先生のクラスに体育嫌いの生徒が入ります。体育が嫌で学校を休みます。」そういう連絡が入ったのだ。僕は体育のK先生と相談して、自分の空き時間を全て自分のクラスの体育と重ねることにした
のだ。そして1年間体育の授業を子供達と一緒に受けたのである。結果はどうだったかというと、皆勤である。彼は一度も学校を休まなかった。そして体育の授業も…・・。そして僕はこの1年間で子供達と「体育」を一緒にする快感に目覚めてしまったのだ。サッカーは勿論、鉄棒も水泳もバスケットも持久走も運動能力テストもすべて子供達と一緒にやった。これが楽しいのだ。子どもと同じような気持ちで授業を受けられるのが嬉しかった。体育の授業の後の授業のけだるい事なんかも十分に味わった。
週に23時間とか24時間とか結構苦しい時期もあったが、18時間とか20時間くらいだと空き時間もかなりある。体育以外の授業を覗くのも面白い。学年の先生達と仲がよかったせいもあるが、予告無しに教室に入り、生徒と一緒に授業を受けるのが好きだった。ノートを持ち込んで一緒に勉強するのだ。勿論手を挙げて質問もする。休みのこどもの席に座り、反対サイドから見る授業は、自分の授業を鍛えるのにも役に立った。要するに授業の主役は子供達なのである。子供達の気持ちを分からないで授業をしてはいけないのである。「分からない。」のは子どもが授業をちゃんと聞いていないからではなくて、自分の授業が下手糞だからだということを分かっていなくてはいけない。
それ以外の空き時間、僕はよく英会話の練習に使った。最初は英語科の先生をつかまえて、NHKのラジオ講座を一緒に暗誦してもらった。そして次にはAETをつかまえて、話込んだ。これを年間通すと英語の力がかなりつく。そしてAETにパーティーに招待されるようになり、AETの悩みを聞くようになり、どんどん友達が増え、ますます英会話が好きになる。不思議なもので、担任や顧問が英語が好きになるとそれが子供達に影響するのである。教室やテニスコートでNHKのテキストが頻繁に見受けられるようになるのだ。AETが教室に遊びに来て、テニスコートに遊びに来て、子供達と自然に仲良くなっていく訳だ。そして子供達はもっともっとAETと英語で話したいという思いが強くなっていく…・。僕はそういう風に空き時間を過していたような気がする。勿論年休を取った先生がいる時は代わりにその教科の授業をしたり、理科の授業をしたりもした。それはその時の雰囲気なのだ。「空き時間」1週間に5時間あれば1ヶ月では20時間。1年では240時間。夏休みや冬休みがあるからそうはいかなくても、結構な時間になるものな
のだ。空き時間を有効に使おう。僕らは「給食」という時間で昼を拘束されている代わりに、空き時間という時間があるのだ。

お父さん!
お風呂の中で・・・「お父さん、お母さん浮気しているかも知れないよ」と空。「なんですと、それは聞き捨てならないな」と空父。「あのね、お母さんね、前からお父さんよりも好きな人がいるって言ってたよ。」「ありゃ・・・それって、空のことじゃあないのか?」「空のことじゃないと思う。」「ふーん・・・」お母さんが浮気ねえ・・・そりゃあ一大事である。お父さん、ピーンンチ!

2700m
今日の空はハードな一日を過ごした。朝はピアノに燃え、午前中はテニスに燃えた。1時からは塾で燃え、夏休みの宿題プリントを全部終わらせた。3時過ぎからはアトリエで燃えて、作品を完成させた。そして5時半から7時過ぎまでスイミングクラブで2700m泳いだのである。忙しくて、昼に素麺を食べただけで・・・プールの前も何も食べず・・・それで2700mも泳いだのだから、もうフラフラの状態で・・・本当に頑張った一日だった。

痛い
空父は5時半からピアノの練習をし、6時から英会話のトレーニングをし、痛み止めを飲んで、空にテニスを教え・・・午後からは小学生の塾2クラスに燃えた。そして、プールに行き・・・空の泳ぎを観察してメモり・・・また中学生の塾に燃え・・・痛み止めが切れて・・・左胸が痛い・・・可哀そうな空父であった。とほほ。

今日の写真1
新品のラケットに新品のシューズでサービスを打つ空です。完全にフットフォールトですが、なかなかのセンスでした。テニスをしたい!と初めて言ってくれた空。やっと家族みんなでテニスができるようになりました。

今日の写真2
集中する「たんぽぽ」の子ども達です。集中できなかった子が集中するようになると、予想以上に伸びることがあります。それを頻繁に見れることが幸せです。

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7月22日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第202弾!  2011.7.22(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第202弾!  2011.7.22(金)   たかやん

教師を目指す人へのメッセージ9 ピグマリオン

「ピグマリオン効果」という心理学用語を知っているだろうか?教師や親やコーチが子供達と接する時に「この子は凄くいい子だ。」「物凄い才能がある。」「将来有望だ。」と本気で思うことで、子供達が本当にそういう風に変化していくということが頻繁にあるというのだ。勿論僕はそれを実践してみた。そして「ピグマリオン効果」はいたるところで力を発揮したのだ。この効果の味噌は本気でそう思い込むことである。そうでなくても本気でそう思い込むと、段々子供達はいい方向に変化していくのだ。

例えばこういうことがあった。どうしようもない問題児がいた。小学校からの札付きのいじめっ子だ。母子家庭だったのだが、お母さんはいつも学校に呼び出せれては先生に怒られていた。2歳違いのお姉さんがいた。そこで僕はこう思い込む。(こいつはいい奴だ。元気がよくてこどもらしい子どもだ。テニスをやらせたらきっといい選手になる。)悪いことなど全て忘れる訳だ。そして職員室掃除にきたお姉ちゃんにふと漏らすのだ。「あの子はいい。実にいい目をしている。テニスやらせたらきっと凄い選手になる。」廊下で会うたびに「いいよ、君の弟は…」とお姉ちゃんの友達に聞こえるようにいう。彼がテニス部に入りたいといってきたのはそれから2週間後のことだった。そして彼は本当に凄い選手になったのだ。大事なのは何度も言うようだが、本気で思い込むこと。本気なのだから自分が漏らす言葉はいいことばかり。それがまわりまわって子どもの耳に入るという訳。それを聞いた子どもは勿論やる気満々になる。その先生を好きになる。その効果は計り知れない。

ところが、学校の先生はこの逆をしてしまうことが実に多い。「逆ピグマリオン」だ。小学校で悪いと評判になると「この子は悪い子だ。」と決めつける。そう思い込むから漏れる言葉は悪い言葉ばかり。その言葉がまわりまわって子ども自身の耳に入る。それを聞いた子供達は「あの先公の野郎…」となり、ますます悪くなっていく訳だ。

ただピグマリオンに頼っただけでは事は上手くいかない。ピグマリオンは子どもをこっちに向ける第一歩にしか過ぎない。その後に、その子供達をしっかりと見守ることが大事だ。そして今度は本当にいいところを誉めるのである。おだてるのと本気で誉めるのとは違うのだ。出来ていないのに「出来たね。」「凄いね。」といわれても子どもは嬉しくはないのだ。出来なかったことを出来るようにしてあげなくては本当に誉めることはできない。そしてその技術こそがプロのテクニックなのだ。子供達に自信をつけてあげよう。それには多少の苦しさはつきものだ。その苦しさと一緒に向き合おう。そして一緒に乗りきるのだ。その方法はたくさんあるだろう。自分だけの方法を考えるのも面白いし、人のテクニックを真似るのもいい。いいものは全て盗めばいい。本物のプロは自分のテクニックを隠しはしない。誰にでも喜んで教える。教えるけどなかなか真似ができない。そういうものなのだ。だから人に隠すような技術は本物ではない。そんなものは真似る必要もないのだ。プロになりたければ誰が本物なのか自分の目で見分けなくてはいけない。貴方の周りには必ず何人かのプロの教師がいる。子供たちに対する表情や言葉でその人はすぐに分かる。その人は温かい目と温かい言葉を持っているから・・・・。

タイミング
誉めるのにはタイミングが大事だと思う。傍で見ていて(継続的に)今、伸びている!と、本人も感じる時がある。その時こそが誉め時だ。誰だって、誉められれば嬉しいが、(ああ、この人は、僕(私)のことをよく見ていてくれる!)そう思っただけで、その人についていこう・・・という気になるだろうし、好きにもなるだろう。人間は好きな人の言葉が大きなエネルギーになるのである。テニスもピアノも人生もタイミングって大事だよねえ・・。

痛み止め2
よくはわからないが・・・痛み止めのお陰で、痛みは少し弱くなってきたきがする。体のどこかが痛いというのは辛いことだ。おじいちゃん、おばあちゃん達が「膝が痛い」「腰が痛い」と嘆く気持がよく分かる今日この頃である。

音楽
空は今日もピアノを弾き、(なんの勉強をしているのかな?)と思ったら、音楽の記号を覚えていた。僕も音楽は大好きなのだが・・・空のそれは、僕のそれを遥かに超えるようだ。空父は今日もピアノに向ったが・・・亀のような進歩である。それでも昨日の自分よりもピアノが上手になっていることは確かである。なでしこ、なでしこ!

今日の写真
六中の2年2組の写真です。聡と正紀・・・二人とも立派な社会人です。まさか聡が警視庁に勤務するとは・・・誰も思ってなかったですねえ。おっと、本人は喜んでも警視庁からクレームが来たりして・・・本人が大丈夫なら大丈夫ですよねえ・・・ね、聡?

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7月23日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第203弾!  2011.7.23(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第203弾!  2011.7.23(土)   たかやん

初200M個人メドレー
今朝の朝練で、空は初めて200M個人メドレーを泳いだ。100Mの個人メドレーから卒業し、これからは200Mとなるのだ。4種目全てである程度のタイムがでないと、進級できない仕組みで・・・今朝も必死になって、泳いでいる姿に感動した空父であった。

世界水泳
「明日が楽しみ!」と空。「え?何かあったっけ・・地デジ移行の日だけどさ・・・」「世界水泳だよ。」「あ、そっかあ・・ビデオに撮らなきゃね!」「うん」今までテニスの試合やサッカーの試合を録画したことは何度もあるけれど、水泳を録画しようとおもったことは一度もない。でも、今回の世界水泳はビデオを撮って研究・・・そんな感じなのだ。オリンピックとピアノコンサート・・・空がどっちの道を進むのかはわからないが・・・今できることを精一杯やればそれでいいと思う。

教師を目指す人へのメッセージ11
ピグマリオン効果を信じるのは簡単だが、実践するのは結構難しい。「表情」に気持ちが表れてしまうからである。本当に信じていると思い込んでも、何かあると(ああ、やっぱりこいつは駄目なのかも…)そう思うことはある。そういう時に表情に出てしまうのだ。子供達は大人の表情を読む天才だ。子供達の目をごまかすのは簡単にはいかない。トレーニングが必要になってくる。人間、嫌なことがあった時に、嫌な顔をするのは簡単である。誰でもできる。プロは嫌なことがあった時に、上手くいかない時に、嫌な顔をしてはいけないのだ。だから表情を作る練習をしなくてはいけない。毎日鏡の前に立ち、自分の表情のチェックをするのだ。そして嫌なことがあった時のことを想像し、そしてその時にどんな顔をしたらいいか自分なりに考える訳だ。そういう意味では教師は「役者」だ。子供達の前で毎日教師を演じている訳だから・・・・。

1組で嫌なことがあったとする。一瞬の嫌な顔はしょうがないだろう。だけど直ぐに切り替えるのだ。勿論、それを引きずってはいけない。次の授業は2組だ。1組であったことは忘れてしまうことだ。ニコニコ顔で教室のドアを開けるのだ。役者が違う番組に出演していると思えばいい。1組と2組では違う顔をしていいのである。子どもが違うのだから当たり前だ。勿論成績の付け方は同じ方がいいだろう。しかし授業のやり方や表情は違ったっていいのである。子供が違うということはそういうことなのだ。だから、家で何か大変なことがあってもそれを学校に持ち込んではいけない。子供達に会う前に心を決めて、「おっはーっ!」と先に挨拶しよう。

そしてこれは大事なことだが、怒る時は本気で怒らなくてはいけない。子供たちの心に響く怒り方をしなくてはいけない。少なくても本気で怒っていると感じさせなければ怒る意味がない。だからつまらないことで怒ってはいけないのだ。「スカートが短い。」とか「髪の毛の色が茶色い。」とかいうことで本気で怒る人達が沢山いる。困ったものだ。彼らは生徒達が弱いものいじめをしたり、危険なことをした時に本気を出せなくなるのだ。スカートや髪の毛がどうしても気になるのなら、「僕はそういうの嫌いだ。」と言えばいいのだ。自分が「好きじゃない。」ことを伝えればそれでいいのだ。それを職員室に呼び出したり、ひどい時は親を呼んだりするからおかしくなるのだ。親に会いたければ自分から出かけることだ。学校に親を呼び出して上手くいったことなど見たことがない。学校に親を呼ぶということは「学校では手におえません。」と宣言しているようなものだ。「貴方の育て方が悪かったからこうなったんだ。」と言いたいのだろうが、それは違う。学校に呼び出されるのは大抵が母親だ。母親だけに責任をなすりつけてしまってはいけない。母親だけで子どもを育てている訳ではない。父親もいるし、祖父母に育てられていることもある。それぞれの家庭で違うのである。どうしても親と話をしたければ自分の方から出向いていく。「家庭訪問週間」の家庭訪問では家庭のことは分からない。15分や20分でその家庭が見えたら超人である。何か問題が起きた時にこそ、じっくりと、本当の意味での家庭訪問をするのだ。そして決して嫌な顔をしないこと。それがプロとしての基本である。そして怒る時は子供たちがひっくり返るくらいの怒り方をしよう。
楡庭会
横浜の剣山というところで、素敵な女性に声をかけられた。(あれ、どこで会った人だったっけ・・)「北大ですよね・・」「あ、はい。ああ・・・」「楡庭会で何度か・・・」「ああ・・・・」僕は彼女の名前が出てこなくて・・・でも、彼女は「たかむら君よね」とちゃんと僕の名前を覚えていてくれて・・・「父の可愛い後輩ですもの・・・」そうなのだ。僕の北大の大先輩のお嬢さんだったのだ。何度かテニスをして、何度か同じ空間で飲んではいたけれど・・僕の名前まで覚えていてくださるとは・・・本当に感激したのだった。彼女はどうみても40代にしか見えず・・・僕よりちょっと上だと聞いて、ビックリしてしまった。

一花ちゃん
あざみ野の駅で可愛い女の子と会った。まだ1歳ちょっとの女の子で、名前は一花ちゃん。僕は空が1歳の頃を思い出して、ニヤニヤ・・・一花ちゃんは僕を見てニコニコ。思わずお母さんに話しかけ・・・電車も一緒に乗り、電車の中でもずっとお母さんと喋り続けながら、一花ちゃんとハイタッチして遊んだ空父であった。それにしても、一花ちゃんの笑顔は可愛かった。疲れがいっぺんに飛んでしまうような・・・そんな笑顔だった。ここに写真を載せられないのが残念である。

今日の写真
昔から貧乏性の僕は昼ごはんに500円以上のものをなかなか食べられませんでした。最近では1000円以上のものになってきたのですが・・・・この三色丼は1250円。論外なのですが・・・思い切って、食べてみることにしました。残り少ない人生ですから、美味しいものを食べてもいいんじゃあないか・・・そんな風に思ったのです。本屋だと8000円とかでも平気で使う癖に・・・食べ物にはお金を使えない(子ども達に食べさせるときは別ですが・・・)・・・本当に貧乏に育ってしまったのですねえ・・・。三色はカニとウニとイクラでした。まあ本当に美味しかったですねえ・・・。

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7月24日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第204弾!  2011.7.24(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第204弾!  2011.7.24(日)   たかやん

痛み止め
朝から痛み止めを飲んでしまった。ご飯も食べずに痛み止め・・・それくらい痛かったのだ。痛いのはいかん・・・痛くならないように、体を鍛えなきゃいかん。食べ物に気をつけなきゃいかん。それにしても痛み止めって効くもんだねえ・・・。

こういう時は
やらなくっちゃいけないことが山ほどある時は・・・片付けをするに限る。片付けて、片付けて、片付けて。整理して整理して整理して・・・すっきりした気持になると、何から手をつけたらいいかが見えてきたりする。自分ひとりでできないときは、誰に相談したらいいか見えてきたりする。こういう時は・・・

教師になりたい人へのメッセージ12 骨折
僕は21年間の教員生活で計5回骨折した。サッカー、バスケット、水球、プロレスごっこ…子ども達と遊んでいると、本当に骨が折れるものだのだ。そして生徒を骨折させたことが1回。それは1年2組の教室での出来事だった。何のことで怒ったか、全く覚えていないのだが、とにかく誰か男の子に僕が腹を立てて、手に持っていたバレーボールをその子に向かってスパイクしたのだ。そのボールはその子から外れて全然関係のない女の子の方に飛んでいった。そしてそのボールをよけた手にボールが当たったのだ。その子は「痛い!」と言ってうずくまり…僕はその子を連れて病院に行った。結果は骨折。今考えると本当にひどい話である。たまたまその子のお父さんが学校の先生で、お母さんも僕のことをいつも応援していてくれた人だったから、「しょうがないよ、たかやん。」で終わってしまったが、今ならそうはいかないだろう。仮に怒らせた当人の男の子に命中したとしても、許される事ではない。本当に自分が情けなくなる。子供は大人が考えているより弱いのである。その事を知らないと、大怪我をさせることもあるのだ。

僕は空手を習ったことがある。教え子と一緒に道場に通った。毎日毎日殴る、よけるの連続。不思議なもので、毎日そういう練習をしていると誰かを無性に殴りたくなってくるのだ。ある日、学校で教え子がふざけて僕の顔にパンチを出した。僕は反射的にパンチをよけて、カウンターを一発。その子は吹っ飛んでしまった。それ以来僕は空手が恐くなってやらなくなった。試験の時にこういう子がいた。「たかやん、俺のこと殴ってよ。俺絶対合格したいから、ここで気合を入れて欲しいんだ。」3年の冬。その子は自分の偏差値のはるか上の高校を受験しようとしていた。『そんなこといっても、無理だよ。一発ずつ殴るならいいけど…』僕がそういうとその子はそれでいいという。しょうがないので一発気合を入れてやった。そうアントニオ猪木のようにぱしっと…。そしてその子の番。ホイと言って顎を出すと、その子はそこをめがけてビンタ。ところが手の付け根がまともに入り、僕は首の骨がずれてしまった。子供は思ったよりもひ弱だし、思ったよりも殴るのが下手だということを知った僕であった。

ある時子ども達とプロレスごっこをしていた。こっちは一人で向こうは三人。そういう時は気を付けなくてはいけない。僕はスピニングトーホールドなる技を掛けられ、ギブアップしたのだが…それでも子ども達は僕の足を回しつづけ…僕の股関節は外れてしまったのだった。この脱臼は痛かった。しばらく子ども達とサッカーが出来なかったから…。

いくら子供でも複数人と戦ってはいけない。子供達は思ったよりも手を抜くことが下手である。そのことを知らないと、怪我をするのである。最近の子ども達は骨がもろい。校庭に手をついただけで骨折した子がいた。病院でレントゲン写真を見せられて驚いた。老人のようなスカスカな骨なのだ。その子の家の冷蔵庫には信じられないくらいの量のソフトドリンクが入っていた。インスタントラーメンが大好きなその子はその後食生活を変える事で、骨が丈夫になっていった。家庭訪問をしたら、その家の食生活を見てこよう。何度もいうが、子供は「よい言葉とよい食事」で育っていくのである。

地デジ
今日から完全移行・・・我が家はケーブルテレビと契約しているので、前のテレビでもそのまま写る。笑えるのは、そのケーブルテレビと一度契約して、やめた場合・・・ちゃんと写るのである。それにしても、テレビが見れなくて悲しい思いをしている人が沢山いるのではないだろうか・・・。お金のある人には痛くも痒くもないが・・・お金の無い人には地デジは致命的である。アナログも残せよ!と言いたい空父である。

世界水泳
北島の泳ぎを見た。家族みんなで見た。個人メドレーでバックからブレストへのターンが横向きだったのに驚いた。バタフライで息継ぎを横でしている選手もいた。空と一緒に食い入るようにテレビを見た。録画したから、スローで再生してみよっと・・・。

今日の写真
五中の10期生の林間学校だと思います。一番左がマーシャル。本当にマーシャルアーツをやる男で・・・一度体育館で戦ったことがあり、腕を打撲してしばらくテニスができなかった記憶があります。もの凄く強かったけれど、頭もかなりいい先生でした。一度みんなで学力テストをやったことがあって、マーシャルは2番でした。一番は勿論空父です。中学生のジャージが似合う空父でした。おほほほほ。

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7月25日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第205弾!  2011.7.25(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第205弾!  2011.7.25(月)   たかやん

教師を目指す人へのメッセージ13  掃除
トイレ掃除に燃えた時があった。メチャクチャ汚かった外トイレをみんなでぴっかぴかにした。便器の中に手を突っ込んできれいにした。何度も顔に得体の知れないものがひっかかった。トイレの前で取った写真がある。みんな笑顔一杯だ。子供達は実は掃除が好きなのだ。仕事が好きなのだ。それを好きにするか、嫌いにさせるかは教師の言動にかかっている。

「清掃点検」に燃えている学校があった。毎日美化委員がチェックしてまわる。駄目なところに×をつけていく…。体操服に着替えてないと、×をつける。掃除をしているかいないかではなくて、体操服に着替えているかどうかで判断する。教師も「なんで制服なんだーっ!」と怒鳴る。これは教育ではない。勿論ある程度学校はきれいになるだろう。だけどだ、学校をきれいにするのが目的ではないはずだ。もしそうなら、業者を雇って掃除をしてもらえばいいのだから。

実は最初の内、僕は子供と一緒に掃除をしなかった。先輩の先生に習って、掃除を監督していた。「清掃点検」の片棒を担いでいたのだ。ある時S先生とM先生という二人の先生と同じ学年になった。その先生達はあたり前のように毎日子供達と一緒に掃除をしていた。子供達が遊んでいても、その二人の先生は黙々と掃除をしいていた。僕は子供達と一緒に掃除をするようになった。半袖短パンで額に汗しながら一緒に雑巾がけをはじめた。すると子供達も同じように膝をついて拭き始めたのだ。今まで足で拭いていた子供達が雑巾がけの楽しさを一緒に味わい始めたのだ。子供達は雑巾がけのテクニックと楽しさを伝授されてなかっただけだった。雑巾の濯ぎ方、絞り方、姿勢そしてかけ方…やって見せればみんなできるのだ。それから教室とトイレがどんどんきれいになっていった。きれいにすればする程愛情が湧いてくる。子供達は段々教室を汚さなくなった。「物にも心がある。」ということを感じ始めたのだ。「物にも心がある。」それは僕が父から教わったことの一つだ。小さい頃からよくそう言われたものだ。「新しいものがいいものではない。」「大事に使えば使うほど、物だって嬉しいんだ。」僕はその言葉を子供達に伝えた。本物だと思ったから…。

「清掃の時はジャージに着替えること。」そういうルールをいくら作っても、子どもの心は教育できないのだ。一生懸命掃除してきれいにしても、清掃時間内に終わらなかったので×などというのは教育ではない。トイレの便器にへばりついたババ糞をきれいにするのに時間をかけて何が悪いのだ。掃除は毎日のことである。毎日のことだからチャンスは広がる。子供達に大切なことを伝えるチャンスが広がるのだ。自分の国を汚さない子供を育てたい。自分達の地球を汚さない子供達を育てたい。それには心を育てるしか方法はないのだ。「取り締まり」ではポイ捨ては無くならないのだ。子供たちに掃除をやらせたかったら、やらせないのも一つの手だ。ダラダラしていたら一人だけで掃除をするのである。楽しそうに且つ必死にやるのだ。当然帰りの学活は遅くなる。だがそれを一週間も続けていると、子供達の方から「あたし達にもやらせて!」と言って来る。『やる気の無い奴はいらない。』「やる気あるから、やらせて!」という会話になるだろう。それから掃除のテクニックを教えるのだ。箒や雑巾の使い方を子供たちは知らない。そこまでいけば教室はあっという間にきれいになっていく。

掃除の心
教室をトイレを綺麗にしていくことの楽しさを教えることが大事なんだろうなあ・・・それにはまず先生が掃除を好きにならないとね。掃除は義務ではなくて、権利なんだ!くらいのことを言えるようになるといいな。毎月河掃除をしているが、楽しい以外のなにものでもないもの・・・一度参加すると、みんなその楽しさにはまっていくのである。掃除の心は伝染するのである・・・。ふふふ。
物にも心がある
小さい頃、父さんに教えてもらったこの言葉は僕の子ども達に受け継がれている。「新しい車が欲しいね。カーナビが付いたやつ」とひとみ。「お金がないから・・無理かなあ・・」と僕。「この車を捨てちゃあだめだよ。この車の部品を生かすならいいけど・・・」と空。そらはカルディナを家族の一員のように思っているのかも知れない。兎に角、「大事に大事に使おうよ」と言うのだ。新しいものがいいものではない・・・・空はそう言っているのだ。物にも心があることを小さいうちからわかっている空である。

メダル
世界水泳を見た。リポーターの質問に頭にくる。選手の気持などおかまいなしなのだ。どれだけの苦しい練習をしてきたのか・・・その段階から見てきたら、あんな質問はできないだろう。世界水泳に出るような選手は、想像できない程練習してきたはずだ。8歳の空が3000m近く泳ぐのだから、何万mという単位で泳いできたはずだ。それがタッチの差で負ける・・・微妙なリズムのずれで負けるのである。確かに結果は大事だ・・・でも、テレビの前にいる人間はそればかりを求めている訳ではない。世界水泳に出ることがどれくらい大変なのか・・・彼らがどれだけ頑張ってきたのかを知りたい人間もいるのだ。メダルが取れたら大騒ぎ。決勝に残れなけりゃあ相手にもしない・・・そんな報道をしているテレビ局からは、原発の正しい情報なども出てこないだろうと思ってしまうのである。

今日の写真1
どうも自分の中では神さんがこの世にいないような気がしていません。神さんが亡くなってもう随分経つのですが・・・時々声は聞えてくるし、僕が苦しいときは応援してくれている・・・そんな気になるのです。好きだということは恐ろしいことで・・・何をされても、何を言われても、それが全部僕に対する愛情に感じるから不思議です。だから、きっと子ども達も僕と同じように“神宮司チョップ”をくらっていたのでしょう。ピアノが下手糞だった神さん。それでも1000人の五中生は校庭が揺れる程の大声で校歌を歌ったのです。

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7月26日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第206弾!  2011.7.26(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第206弾!  2011.7.26(火)   たかやん

教師を目指す人へのメッセージ14 道徳
僕は道徳の授業が好きだった。宗教、哲学、心理学の本を読みまくり、感動したことを子供達に話すのが好きだった。職員室の片隅にある「道徳の本」を使って授業をしたことは一度もない。やはり自分で消化したものでないと、人に伝えるのは難しいものなのだ。
教員になったばかりの頃は、「道徳」の時間を持て余していた。何をしたらいいか分からず、「席替え」の時間に使ったり、「体育祭」や「合唱コンクール」の練習に使ったり…。だから子供達も道徳の時間は息抜きの時間くらいにしか考えていなかったと思う。

道徳というのは「人の生き方」を教える時間だと思っている。人生は楽しいだけではない。苦しい時もたくさんある。その苦しい時にどう考えて生きていけばいいのか…その答えが道徳の中にあると思う。僕は学校の道徳の教科書は使ったことがないが、自分だけの道徳の教科書はたくさん使った。ある時は死んだ父の「詩集」がそうだったし、ある時は星野富広の「絵と詩」がそうだった。自分の心が動かない教科書で子どもを教育することなど不可能なのだ。自分が感動して、涙が出たものが本物の教科書なのだと思う。

涙と言えば、授業で子供達が泣いた時、僕は物凄いショックを覚えた。勿論理科の授業ではない。国語の授業を受け持った時の話だ。僕の副担任の国語の先生が切迫流産で数週間学校を休んだことがあった。その時に代わりに「国語」の授業をやったのだ。丁度「詩」の授業だった。僕は父の詩集を教材にした。そして僕自身の書いた詩も…。その授業で子供達が泣いたのだ。授業で子供達が泣く…僕には想像できないことだった。理科の実験で子供達がどんなに感動しても、涙を流す子はいない。それが国語の授業ではたくさんいたのだ。

もう一つの涙は「歌」である。僕はギターを弾くのが好きで子供達の前でよく歌を歌った。子供達も一緒に歌った。毎日のように歌った。その歌をクラス解散の時に歌うのである。卒業式の時もあれば、終業式の時もある。たくさん歌った歌であればあるほど、子供達は涙を流す。歌で記憶が蘇るのだ。勿論、結婚式でもそうだ。中学を卒業してから10年以上過ぎていても、心がその歌を覚えているのだ。それに比べて理科の授業を覚えている子の少ないこと。僕の授業は「詩」や「歌」に完全に負けていたのだ。

そして最後の涙は「言葉」だ。言葉の力を侮ってはいけない。良い言葉は子供達に力をつけるが、悪い言葉は子供達から自信と可能性を奪っていく。子供達は大人の言葉で自信を深め、大人の言葉で傷ついていく。プロの教師は自分の言葉に責任を持たなくてはいけない。ヤクザのような言葉を使う教師をたくさん見てきたが、学校にはヤクザはいらない。子どもの可能性を奪い、傷つけるだけなら教師をしている意味がない。言葉の力は強い。良い意味でも悪い意味でも強い。プロの教師はそのことを肝に銘じていなければいけない。貴方の言葉で人一人の人生が決まってしまうことがあるのだから…。
本を読もう。子供たちに「良い言葉」という栄養を与えるために本を読もう。そして自分自身も元気になろう。「良い言葉」は大人でさえ元気にする力を持っている。どんどん本を読んで、その言葉を探そう。「本を読みなさい!」と言っても子供たちは本を読むようにはならない。本を読む楽しさを教えれば、子供たちは本を読み始めるのだ。

秋田からのメール
日記を読んで、つい… マーシャル先生 懐かしいです…
"マーシャルアーツからのあだ名"だったのですか!?給食のピーナッツバターの包装袋の子供の絵に似てる(たしかマーシャルビーンズという名前でした)からマーシャルと呼ばれていたのだと思っていました あの体格は凄かったですよね!何故ギタークラブ担当だったのでしょうね お兄ちゃんみたいな先生でした… オードリーの春日みたいに胸を張って歩く先生でした… 話し掛けると『なんだい?』と笑顔で聞いてくれる先生でした…
男子が喧嘩を吹っ掛けようとすると、手の指をポキポキと鳴らして『いつでもかかって来い』な先生でした… やっぱり素敵な先生でした…会いたいなぁ たかやんの怪我の場所
ビックリ!首と股関節! やっぱりだ!自分で驚いてます 。先生って体を張っているのですね… 私は"先生達は大人で、傷付いたり、悩んだり、落ち込んだりなんてしないんだ"と思っていました。

一年生の時の担任、K先生に私は酷いイジメをしました。毎日毎日…イジメをしました…。何故あんな事をしてしまったのか… 今想像すると自分が恐ろしいです。K先生は教室に入るのが辛かったはずです… それなのに卒業式の日に私を待っていてくれて「平川、卒業おめでとう!」って言って下さいました… 私はその言葉を聞いた瞬間に「先生、ごめんなさい!」と言って大泣きし、K先生にしがみついて謝りました。K先生も泣いていました。

『教師を目指す人へのメッセージ』も感動しながら読んでいます。
教師を目指していない人にも、是非じっくりと読んで頂けるといいなぁ…と思っています。 また長々とすみません たかやん日記が楽しみな 実佳でした  おやすみなさい

みかちゃんへ
毎日、日記を読んでくれてありがとう!マーシャルもK先生もいい先生でした。もう少し仲良くしたいなあ・・・と、思っていたら転勤されて、残念だった記憶があります。マーシャルは確かにオードリーの春日に似ていましたね。足が頭の上まで上がって、“踵おとし”ができる春日ですが・・・。彼は強かったから、僕のように怪我はしなかったでしょうねえ。K先生のお家に一度遊びに行った記憶があります・・・直ぐ顔が真っ赤になる、可愛い先生でしたよね。隣のクラスが1組で、やりにくかったんじゃあないかなあ・・・。“教師を目指す人へのメッセージ”は自分で書いたものですが、面白いので日記に連載しています。自分がどんな教師だったのかを思い出して・・・ちょっと恥ずかしいです・・・独りで悩んでいる先生(誰でもいいけれど)や先生を目指す人の役に立てたら嬉しいです。
                                たかやん
許す心
韓国ドラマを見ていたら・・・「お前はずっと憎しみや怒りや悲しみを持ち続けて生きていく積りか!」と主人公が諭されるシーンがあった。「お前はいい生き方をしてこなかったな」とも言われるのである。僕は毎日、基本的に幸せに生きてきたが・・・どうしても忘れられない怒りもあるのである。自分がされた仕打ちに対する怒りはもう殆ど忘れているのだが・・・子ども達がされた仕打ちに対する怒りは・・・忘れてはいけないとも思っているのだ。正解はどっちなのだろう・・。怒りを忘れていいのか、忘れてはいけないのか・・・。許す心か・・・うーむ。まだまだ人間ができてないなあ・・・。

今日の写真1
台風の日の東門です。この夏休みに僕と純一が立っているこの場所が削られて・・・道路が拡幅されます。去年から訴えていたことが実現するのです。でも、道路が広がっても車は今まで通り走る訳で・・・2学期も気を抜かないで、純一と順子と3人で見守りを続けたい。そう思っています。

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7月27日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第207弾!  2011.7.27(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第207弾!  2011.7.27(水)   たかやん

教師を目指す人へのメッセージ15  給食

給食を馬鹿にしてはいけない。何と言っても人生の三分の一の食事が給食になるのだから…。この給食を美味しく食べるか、嫌嫌食べるかでは教員人生が変わってしまうくらい影響があると思わなくてはいけない。不思議だったのは牛乳だ。僕は中学生の頃、給食室の前に残っていた古い牛乳を飲んで食中毒症状を起こして以来、牛乳は飲めない体だったのだ。高校でも大学でも、もういいだろうと思って牛乳を飲むと…ピィーピィーだった。それがどうだ、教員になった瞬間から牛乳を飲んでも平気になってしまった。学校の牛乳は薄いという噂もあるが、とにかく僕はプロ意識が牛乳を平気にさせたのだと思っている。

僕のクラスでは給食は毎回くじを引いて決めていた。中学生になると「好きな人と食べたい。」という子が多いのだが、それは許さなかった。そして給食中はとにかく子供達と話をした。同じテーブルに座った子全員と必ず話をすることにしていた。

給食が終わるとジャンケンである。片付けをジャンケンで決めるのだ。それもサンマーといって、3回負けると負けというルールで遊ぶ時間を作った。勿論自分が負けたら片付けをしなくてはいけない。僕がたまに負けると子供達は大喜びだ。これは決して平等な結果にはならない。負ける子はよく負けるし、勝つ子は良く勝つ。それでいいのである。

僕のクラスはお代わりもジャンケンだった。男の子だけとか、力の強い子だけがお代わりをするようなクラスはいただけない。いつもジャンケンということになれば、女の子も力の弱い子も十分に戦えるという訳だ。結果は平等でなくてもいいのだ。みんなが平等に戦えれば……。

給食で気をつけなければいけないのは、アレルギーである。中には痙攣を起こす子もいるから、決して無理強いして食べさせてはいけない。お弁当を持ってくることもOKなのである。みんなと同じものを食べることを強制したら、軍隊か刑務所になってしまう。みんなと同じ物が食べられることは幸せだということはできるが…。

僕らが言えるのは「好き嫌いなく食べるのがいいね。」「おいしい、おいしいって思って食べよう。」「最低20回は噛んでたべよう。」くらいである。学校で食生活の躾はできないし、してはいけない。食べ物に感謝する気持ちを育てたければ自分がそうすることだ。給食の味は栄養士によって、物凄く違うことがある。そういう時は諦めが肝心である。じたばたしても味覚というのは変化するものではない。同じ材料を使っていても味が変わるのが料理だ。自分で調味料などを用意して、何とか切り抜けることを考えよう。教室にトースターを置いておくのも良いかもしれない。パンの添加物はトーストすることでほとんどが飛ぶらしい。自分の健康は自分で守るという姿勢を子供達に見せなくてはいけないのだ。

添加物の事は子供達におりを見て話をしよう。子供は「良い言葉と良い食べ物」で育てられる権利があるのだ。子供達の健康を蝕む添加物にはいつも注意を払っていなくてはいけない。ビタミンの話も、ミネラルの話しも給食の度にすればそれは立派な教育になるのだ。

「給食」の時間は楽しい。子供たちと同じ席について、同じ目線で話ができる時間だから・・・。この時間を無駄に使ってはいけない。チャンスは毎日くる。それを逃してはいけないのだ。
*確かに給食の時間は楽しかった。誰も独りで食べることのないように・・・みんなが楽しく食べられるようにさえ気をつかうことが一番大事なのだと思う。食事は家でも学校でも外でも・・・楽しいはずのものだから・・・。
27日の午後練(2250m)
1.フリー
2.板フリー(バタ足)
3.フリーで休憩
4.ドルフィン平and片手バタandバタフライ
5.背伸びバックand片手バックandバック

6.平泳ぎ
7.バタ足平and片手フリーandフリー
8.バタフライandフリー
9.バックandフリー
10.平泳ぎandフリー

11〜21.板フリー で休憩

22.23.25m板フリー×2 28.73
24.クールダウン
25.26.バタ足平×2
27.片手フリー右左
28.片手フリー左右
29.30.フリーで休憩

31.32.フリー
33.34.フリー
35.36.フリー
37.38.フリー
25m 20.75 22.02
21.28 22.02 で休憩

39.40.フリー
21.13  22.17 22.05 22.22

41.42. 21.62 22.51 21.96 21.14
で休憩

43.フリー 
44.45.クールダウンで2250m

今日の午後練はフリー(自由形)の練習が多かった。この間の大会では50mを40秒で泳いだので、30秒台で泳ぐことが空の新しい目標になった。25mの記録は飛び込みなしの記録なので、20秒をコンスタントに切れるようになれば、40秒も切れるはず・・・。
* 相変わらず左胸が痛いが空のメモを付けるのは楽しい。仕事も大事だが、家族のことが一番大事。

高い・・
夏休みといえば夏期講習。普通の塾は“かきいれ時”である。だが、「たかやん塾」には特別な夏期講習はない。1週間で何万もかかる講習が“本物の学力”をつけるとは思えないからである。お金を払って塾へ行けば勉強ができるようになる。と、思ってはいけないように、夏期講習にも気をつけなければいけない。修学旅行並みの合宿もまた同じである。普段の練習が一番大事。スポーツも勉強も同じである。

一緒に寝よ!
お風呂の中で「お父さん、今日は3人で一緒に寝よ!」と空。「ああ、いいよ」最近、ちょっと泣き虫の空。お母さんだけじゃあ足りなくて、お父さんまで必要になったらしい・・・。
こんなことを言ってくれるのもあと少し。甘すぎるのはよくないかも知れないが、自分も幸せを感じるのだから・・・・今日は早めに寝ることになりそうだ・・・

今日の写真
前にも書いた記憶がありますが、僕のヒーロー星野正照伯父です。陸軍中野学校出身の伯父は明治大学時代にはスキーのジャンプで日本一になった人で、剣道の達人であり、空手も柔道も高段者という超人でした。高校1年生の時に初めてスキーに連れて行ってもらって、その日の内にパラレルが綺麗にできるようになったのもこの伯父のスパルタ指導のお陰でした。今日は礼子おばちゃん(正照伯父の奥さん、母さんの妹)のことを思い出したので、久しぶりに天国にいるヒーローのことを思い出したのです。

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7月28日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第208弾!  2011.7.28(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第208弾!  2011.7.28(木)   たかやん

西戸山
久しぶりに新宿に行った。我が母校西戸山小学校の祝典に参加したのだ。新座市からは僕の親友のY校長も参加していて・・・・忘れているかと思った西戸山の校歌を僕は子ども達と一緒に歌ったのだった。覚えているものなんだねえ・・小学校の校歌。
富士のたかねを仰ぎ見る 明るい窓の春秋に 文化の恵み身に受けて 強く正しくほがらかに のびる我らがよろこびの 歌ごえひびけ 西戸山。  
戸山ヶ原をふるさとと さかえる街のあけくれに 肩くみかわす友と友 理想の丘をめざしつつ 進む我らがよろこびの 足音ひびけ 西戸山。

研究授業
指導案ができてなくて、困っていたら柴崎先生と久保先生と川崎先生が助けてくれた。実験の準備もみんなでやっておいてくれて・・・ああ、なんていい仲間なんだろう・・・そう思ったところで目が覚めた、今朝の空父であった。

教師を目指す人へのメッセージ16 職員会議
最初の年、僕は職員会議でほとんど発言できなかった。ただただ先輩達の議論を聞いていただけだった。唯一発言したのがソックスのこと。当時、僕の学校では「女子のソックスは三つ折りのこと。」という、訳の分からないルールがあったのだ。いくらなんでもそれはひどいと思って、勇気を出して手を上げたのだ。『どうして、ソックスを三つ折りにしなくてはいけないのですか?』すると僕の大好きな神宮司先生がこう言ったのだ。「三折りの靴下のことをソックスというんです!」それで終わりである。僕は職員会議での初発言をこうして撃沈されてしまったのだ。

僕のいた埼玉の公立の中学校では未だに「少し許すと、どんどんだらしなくなる…限度が無くなる。」という考え方への信仰がある。例の「服装の乱れは心の乱れ」という標語を金科玉条のように唱えている人達はたくさん存在している。そこから僕の一番嫌いな言葉「共通理解、同一行動」という言葉が生まれてきたのだと思う。彼らは生徒に同じように接しなさいと言う。その前にルールを守らせるということに対してはみんなで共通理解しましょうね、という訳だ。前にも書いたが、これが恐いのである。この考え方が教師から人間味を奪い、生徒の心をぎゅうぎゅうに縛ってしまうのである。少し考えれば当たり前のことなのだが、不思議なことに、長年学校にいると、その考え方に疑問を感じなくなる人が多くなっていくのだ。国会中継もなかなか滑稽で面白いことがあるが、職員会議をテレビで中継したら、かなりの視聴率を稼ぐのではないかと思う。少なくても「金八」よりは面白いと思う。それほど中身のない議論がされることが多い。

一番忘れられないのは21年目の学校での初めての職員会議。新しい部活動を作ろうとしたときだ。『硬式テニス部を作りたいのですが。』「8年前の職員会議で新しい部は作らないと決めたので無理です。」『今、ここにいない人達で決めたことに、何故我々が従わなくてはいけないんですか?』「原案通りでお願いします。」『コートも予算もいりません。やりたい子達がいます。やらせてください。』「原案通りでお願いします。」今でもその時のことを思い出すと腹が立つが、要するに管理職の考え一つなのだ。職員全体の考えで物事が決まっていくのではなくて、管理職の頭の中で物事が決められていく。管理職とその取り巻き連中の「飲み会」で学校のことが決められてしまうのはたまらない。そんな馬鹿な・・・でもそういう学校はたくさんあるのだ。管理職が子供達の方を向いて能力の高い場合はいいが、子供達の方など全く見ていなくて能力が無いと、こういう職員会議になってしまう。要するに結論が先に出ている訳だ。議論しても無駄だから、誰も発言しようとしないし、「原案賛成!」とゴマをする奴がかわいがられるという仕組みが出来上がっていく。反対に逆らうと、報復人事などが待っていたりするから恐ろしい。この当たりも最近の国会と同じである。逆に自由にものが言える学校はいい。先生が伸び伸びしていれば子供達だって、伸び伸びする。当たり前のことだ。最初の職員会議でその雰囲気はつかめるはずだ。学年会議も一緒。自由にものを言えないような雰囲気の時は管理職に問題があると思っていい。そう学級会議だって同じだ。力の強いボスのいいなりになるようなクラスや学年、そして学校は御免だ。
* 随分昔に書いた文章だと思うが・・・今にも通用しそうで怖い。押さえつける環境でいいものが生まれてくる訳がない。それは企業でも学校でも家庭でも同じだろう。ある程度のルールやマナーは当然として・・・自由にものが言えない環境でなければ、人は幸せにはなれないし、人を幸せにすることもできない。自分の脳みそや自分の心を開放する為にも、人は押さえつける習慣から脱しなければいけないのだ。

16本
今日の空の練習はきつかった。全部で2600m泳いだのだが、その中に50mフリーが連続16本あったのだ。50mを16本で800m。10秒休んではどんどん泳いでいく訳で・・・途中、1分程の休憩が2回入ったが・・・空はよく頑張ったと思う。そして最後の16本目をかなり速く泳いだ空にコーチの雷が落ちた。「空、何で3秒も速いんだ!」要するに力を残して泳いでいたということを見抜かれたのである。僕も全ての泳ぎを記録していたが、確かに15本の平均より16本目は3秒速く泳いでいたのだ。Nコーチは実によく子どもを見ている。そして、叱るところは叱り、誉めるところは誉めるのである。だから、子ども達からも親からも信頼されているのである。


世界水泳、50mバックの寺川さんの涙が素敵だった。10年という年月が強調されていたが、彼女が泳いできた時間はもっと、もっと長いだろう。小さい頃から泳いで世界の舞台に立ってから10年なのであって、小さい頃から吐くような練習をしてきたはずだ。あの世界水泳にでた選手はみんなそうだろうし・・・あの大会に出られなかった選手達も、きっとそうなのだ。そんな選手達の汗と涙をみんな集めて流した涙・・・僕にはそんな涙に見えたのだ。    

今日の写真
我が母校、新宿区立西戸山中学校の校歌です。小学校の6年間と比べて3年間しか歌わなかったので、全部は覚えていませんでした。1番は何とか思い出せたのですが、2番は・・・
ここまでくると高校の校歌も調べてみたくなり・・・我が母校都立石神井の校歌で検索すると・・・ありました!応援団で気合を入れて歌ったはずですが・・かなりあやしかったです。

“緑なす ここよ武蔵野 萌え出づる 叡智の園生 若き子の 望みは高く
誠もて 真理を窮む これぞ理想 われらが希求

梅にほふ 学びの庭に すがすがし 大気のかをり かぎりなき 真澄の空に
あふぎみる富士の高嶺よ これぞ誇り われらが象徴

さんらんと 自由の光 みちあふる 文化の泉 おお石神井 われらが母校
新しき 世紀の朝に 眉あげて ともに進まん これぞ誓ひ われらが生命”


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7月29日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第209弾!  2011.7.29(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第209弾!  2011.7.29(金)   たかやん

トルコ行進曲
空が今一生懸命練習しているのがトルコ行進曲。何度も何度も練習してはDSに吹き込み、「ばばに聴かせるんだ!」と張り切っている。今日は水泳の練習もなく、雨なので予定していたポスティングもなく・・・親子で朝からピアノに向っているのだった。

2本の電話
昨日は新座市教委と2回話をした。1本は向こうからの電話であり、1本はこちらからかけたものだった。電話でも人柄はわかるわけで・・・実に気持のいい対応だったので、爽やかな気分で受話器を置いた空父であった。

字幕
韓国ドラマを見ていると、空が字幕を読んでいく・・・なかなか難しい字も想像して読んでいて・・・「お前、よくそんな字が読めるねえ・・・」と感心している空父である。

ふるさと新座館
今年度の普通交付税が見込みより6億多く、臨時財政対策債も見込みより9億多く見込まれていることがわかった。合計15億の増ということで・・・新座市は凍結していた“ふるさと新座館”の建設(建設費約15億)に取り掛かるようである。この財政難の時代に「箱物」ですか・・・・教育にも保育にもお金をかけなきゃいけないところは山ほどあるのに・・・ため息がでる空父である。

教師を目指す人へのメッセージ17 義務教育
「義務教育」という言葉を使って、子どもを縛ろうとしてはいけない。「君たちは学校に来なければいけないんだ。義務教育なんだから…。」という教師が存在するのは事実である。そうすると、行きたくないけど、「義務教育」だから行かなくてはいけない。そういう子ども達が増えてしまう。だから僕は「権利教育」なのだといった。『君たちには権利しかない。義務などはないのだ。だから学校に来る義務などないのだよ。大事なのは君たちに学校で勉強する権利があるということ。そしてその権利は誰にも奪うことなど許されないのだ。』僕はそう言い続けてきた。『その大切な授業を邪魔することは誰にもできない。いいね?』人が必死で聞こうとしている授業を邪魔することはいけないことだ。それを「義務教育」という言葉で説明してはいけない。「権利教育」という言葉で説明すると子ども達は納得する。

第一「義務教育」というと、いかにも授業がつまらなそうだ。つまらない授業をしても「義務」だから「我慢」して勉強をしなくてはいけない。そういう教室が目に浮かんでくる。違うのだ。授業は楽しくなくてはいけない。子供達がワクワクしなくてはいけない。分かるように仕組まれてなくてはいけない。「授業」とはそういうものなのだ。勿論毎回そういう授業にするのは難しい。クラスに40人もいれば色んなことが起きる。でも…少なくても、そういう授業にしようとする努力を教師はしなくてはいけない。

教師という仕事の恐いところは、去年と同じことをしていても飯が食えることである。去年から何の努力をしていなくても、給料は上がっていく。分からない授業をして、子供達が苦しんでしても、「授業をちゃんと聞いていないからだ!」と生徒のせいにする教師がいる。僕は空き時間に授業を聞きにいったことが何度もあるが、それこそ授業のレベルは1から10まであった。こどもの目を見もしないで授業を淡々と進めている人も随分いた。自己満足型授業である。多いのは、子どもが質問すると「話を聞いていないからだろう!」と怒るタイプ。責任転嫁型授業である。いずれにしても、基本的には分からないのは授業のやり方に問題があるのだ。

ではどうするか…。子供達に毎回「感想」を書いてもらうのだ。50分授業の最後の五分は「感想タイム」。最初の五分で子供達を引き付け、40分集中させて、最後の五分は感想。僕の場合はこれが一番上手くいった。勿論授業は自分で作っていく方が面白いから色々やってみるのがいいだろう。同じパターンは子供達を安心させるが、飽きさせることも事実である。時々刺激を与えることも大切だと思う。それこそ、子供達の目を見ていれば自分の授業のレベルが分かるし、自分の授業に何が足りないかが分かるようになるのだ。子どもの目にやる気が無かったら、こどもにやる気が無いのではない。自分の授業が下手糞なんだ、そう思った方がいい。少なくてもプロの教師はそう思わなくてはいけない。勿論感想に点などつけてはいけない。「つまらない!」「わからない!」と書かれても怒ってはいけない。それをありがたく受け入れなれないようではプロにはなれない。お客様の声を大切にすることを忘れてはいけないのだ。こども達の感想は僕たちへの「通知表」なのだ。

今日の写真1
道場に建設予定の大型パチンコ店は、基礎ができたのでしょうか・・・こんな感じになっていました。地元には「マンションが建つのでよろしく」と言ったそうですが・・・酷い話です。明日は仲間と打ち合わせです。

今日の写真2
どこだと思いますか?ここは新宿区立西戸山幼稚園です。僕が50年以上前に遊んだ園庭なんです。西戸山幼稚園は今年が創立50周年。僕がいた時代は西戸山青空保育園だったそうです。

今日の写真3
僕を笑顔で迎えてくれた先生方です。50年以上前のアルバムを探してくれて・・・僕は担任の高橋先生と再会しました。園長先生だった関先生や丹治先生とも再会できたのです。本当に素敵な先生方でした。ありがとうございました!!

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7月30日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第210弾!  2011.7.30(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第210弾!  2011.7.30(土)   たかやん

知事選
明日は埼玉県知事選挙・・・でも、選挙という雰囲気がない。選挙カーも廻って来ないし、駅に行っても誰もいない・・・。埼玉県は広いから仕方がないが・・・やはり遠い存在に感じてしまう。

教師を目指す人へのメッセージ 一日12回

「人は誰でも1日に12回抱きしめられるべきです。生きていくためには最低4回。健全な心のために8回。元気でいるためには12回。ドラッグ(麻薬)よりもハグ(抱きしめ)を。」
天声人語にね、こういうのが載ってたよ。と吉沢先生。『わかるなあ、それ。』「1日12回だよ。」『うーん、抱きしめられたい!』「言葉でもいいんだって…・。」『そうだよね。優しい言葉って、そうだよね。』「絶対必要だよね。」『子供達の事も抱きしめなきゃ。自分も抱きしめられたいけど。』「うん。」最近吉沢先生とやさしい言葉について語ることが多い。この間なんか夜電話で30分も話してしまった。朝「おはよう!」『ジャンボ!』と笑顔でしてくれる子供達の挨拶も、僕にとっては「抱きしめ」なのかも知れない。もっともっと、笑顔でいよう。もっともっと、子ども達と語ろう。もっともっと、抱きしめてあげよう…。うーん。1日12回。
これは今から7年前のお話。吉沢先生は本当に優しい先生で、この時の話はよく覚えている。1日に12回、僕らは子供達を抱きしめているだろうか……。いやいや自分の子供でさえなかなか抱きしめてはいないのだ。子供と一緒にいないとなかなか子どもが見えない。一緒にいても見えないと、誉められないし、抱きしめられない…。

テニスの世界では一人のコーチが見ることのできる生徒の数は16人と言われているが、今の学校は1クラス当たりの生徒数がまだまだ多いのである。確かにそうなのだ。その人の能力にもよるだろうが、1クラスに40人の子ども達はやはり多いと思う。修学旅行や体育祭や合唱祭のような行事では多い方が面白い。しかし、一人一人に目がいくかと聞かれると、やっぱりNOなのである。

「学校とテニスを一緒にするな!」という人もいるだろうが、子どもの可能性を引き出すということに関しては同じである。Educationを教育ではなく、「開智」と訳すのが本当だという人がいたが、その通りだと思う。自分の考え(自分の考えが無い場合は学校の考え)を子ども達に押し付け、育てようというのでは困るのである。1日に12回。半分は親に頼むとしても、6回くらいは学校で抱きしめてあげたいものである。教師は子供達が傷つく言葉を僕らは知らず知らずのうちに、あるいは意識的に使っている。そのエネルギーを「抱きしめ」の言葉を話すことに使おうではないか。勿論本当に抱きしめてあげてもいい。言葉で抱きしめてもいい。表情で抱きしめてもいい。歌で抱きしめてもいい。子供たちは一日に12回、抱きしめられる権利を持っているのだから・・・。

そんなことをしたらセクハラになるのでは・・・そう思う人もいるだろう。大丈夫だ。卒業式の日に担任と抱き合って泣く子供たち。それを見て「セクハラだ。」という人はいない。要はその時の雰囲気なのだ。子供たちと自分の信頼関係なのだ。信頼関係がないのに抱きついたら・・・これはいけない。それこそセクハラである。心配な人は言葉で抱きしめればいい。一日12回・・・大人も子どもも12回が味噌である。
*今日は何回抱きしめただろう。そして何回抱きしめられただろう・・・。多分、10回
以上は抱きしめたし、抱きしめられたと思う。母さんとも電話で話をしたし、所沢に行っている空ともひとみのお母さんとも話した。ひとみとは随分語った一日だった。

今日の写真1
新宿区立西戸山小学校の朝礼台です。「こんなに小さかったっけ・・・」というくらい、小さく見えました。小学生の僕には随分大きく見えた朝礼台だったのです。後ろの絵は僕らの代かその前の代くらいの卒業記念作品です。もう50年くらい前の作品ということになります。歴史を感じますねえ・・・。

今日の写真2
西戸山小の校庭は人工芝でした。柔らかくて、なかなかいい感じでした。これなら裸足でも思い切り走れるなあ・・と思いました。隣の新宿西戸山中学校とは完全に繋がっているのにも驚きました。昔、中学校のプールが小学校の校庭にあったのですが・・・その間にあった道路がなくなり、中学校の校庭になっていました。

今日の写真3
久しぶりに新大久保の駅前にも行ってみました。兄の達矢と競争して、兄が車にはねられた場所から撮影してみました。新大久保は変わっていました。お店はハングル文字で溢れ、昔あったお店は殆ど無くなっていました。「今度は電車で来ようね・・」と車で来たことをちょっとだけ後悔した僕らでした。

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