Diary 2019. 5
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5月11日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第131弾  2019年5月11日(土)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第131弾  2019年5月11日(土)  たかやん

川掃除のお知らせ
明日12日(日)黒目川の川掃除を行います。9時に栗原1丁目公園(栗原橋から見て下流右側にある公園)に集合です。途中までの参加も途中からの参加も歓迎です。栗原1丁目公園から馬喰橋まで土手を掃除し、馬喰橋から川の中と土手に別れ、神宝大橋まで遡り、そこで休憩。そこから栗原一丁目公園に戻ります。11時くらいになる予定です。軍手、トング、ゴミ袋はこちらで用意します。気楽に参加してください。夕方17時から石神集会所で反省会があります。今回は川口市議会選挙の反省会も兼ね、ゲストも来ます。どなたでも気軽に参加できます。参加希望の方は090−6497−5737 たかやんまで。

駅立ちのお知らせ
昨日10日(金)の志木駅南口での5時半〜8時半の駅立ち、無事に終わりました。来週13日(月)がひばりが丘北口で5時〜9時、14日(火)が清瀬駅南口で5時55分〜8時半、15日(水)が清瀬駅北口で5時55分〜8時半、そして、16日(木)朝霞台駅に5時55分〜8時半に久しぶりに立つかも知れません。駅立ち仲間のみなさん、よろしくお願いします。

朝勉458
今朝も5時半起き。空を東久留米に送り、朝練に向かう。久しぶりにテニスである。
向かう途中で五月号の暗唱をする。今日は最低限の朝勉であった。

4セット
8時から、宮下さんと練習し、それからシングルスを2セット、ダブルスを2セット部通しでやった。シングルスは駄目だったが、ダブルスは絶好調で、高邑・宮下で6−0、6−0で
勝利したのだった。サービスを鍛えれば、シングルスでも勝てそうである。

保護者会
午後からは空の高校の保護者会。高校の傍の交差点を歩いていると、車からクラクションを鳴らされた。(ん?どうした?)と車を見ると・・・斎藤一男先生と奥さんが笑っていた。こんな場所で・・・・凄い偶然である。『コロッケパーティーやろうねえ!』と僕は手を振ったのだった。
2時から全体会があり・・・話は一応聞いていたのだが・・・・僕はそこでも、隙間時間に5月号の暗唱に燃えたのだった。
それから、学級懇談会があり、空の担任の先生の話を聞いて、少し安心した。空の担任の先生は30歳で、教科は理科。僕の半分未満の若さであるが、しっかりとした口調で話をしていたので安心した。

PTA
そして、PTAの役員決めがあった。クラスで4人立候補しなければならないらしく・・・僕は最初に「PTAは全員加入が原則ですか。それとも任意加入ですか」と聞いた。すると、先生は「強制ではありません。」と言うので、やってもいいかなあ・・・と、どうしても決まらなかったら立候補しようと思っていたのだが、空のクラスは4人立候補する人が出て・・・めでたく懇談会は終わった。他のクラスでは「出席した人の中から決めるのはおかしい」と主張する人がいて、来週またやることになったとか・・・小中学校だけではなく、高校でもPTAの役員決めは担任の先生にとって、「悩みの種」らしい。しかも、1年生で役員になると3年間やるというのだから大変である。


夜は塾。テスト前につき、希望する中学生が集まった。数学・英語・社会・理科の質問に片っ端から答えていく。それだけで、90分があっという間に終わってしまったのだった。


教師を目指す人へのメッセージ   第418弾!   いじめ2

 さて、昨日の続きです。新設校の1年目。五中の3年4組の担任になった僕に、「学級経営」のアドバイスをしてくれた先輩はいませんでした。当時の五中は「クラスのことは担任に任せる」「他のクラスのやり方には口を出さない」という暗黙のルールがあったのです。それは、「新座中」と「三中」で学級経営や生徒指導のやり方が全く違っていたことも関係あるかも知れません。先輩達もまた「新設校」でどうしたらいいのか、悩んでいたに違いないのです。“新任に3年生の担任と2学年の理科をやらせる“という、信じられないような「いじめ」も実は、先輩達に「余裕がなかった」からだと、最近になって気がつきました。当時の僕には30歳の立派な「先輩」でも、今の僕から見たら30歳の「若造」です。二つの学校が合わさるという、非日常のことが起きたのですから、1年生の担任以外は先輩達だって「命懸け」だった筈です。特に、3年生の担任は・・・神さんも含めて、必死だったと思います。4組の僕にアドバイスをする余裕がなくて当たり前だったのです。
 アドバイスは教科でもありませんでした。まあ、兎に角「自学」するしか方法がなかったことも、それ以降の自分の理科教師としての成長を考えると、正解だったような気がします。
 更に考えると、初代校長だった敞一郎もまた、新設校の五中を何とかしなきゃいかん!という思いで、必死だったと思うのです。23歳の僕にとって、父親のようだった敞一郎だって、今の僕より20歳も若かったのですから・・・若造です。新任の僕に任せて「学級崩壊」したりしたら、とんでもない「責任」を負わなくてはならなかったと思うのです。
 しかも、その若造は1年で五中を去り、「教育長」になってしまったのですから、24歳の僕が敞一郎に向かって「ふざけるな!」と校長室で怒鳴ったことも頷けます。たったの1年で五中の基礎を作り、「後はお前たちに任せた!」敞一郎はそう言って、五中を去って行ったのです。新任の僕に3年生の担任をやらせておいて、「じゃあねえ」と行ってしまった苛めっ子校長に泣いて怒った当時の僕の気持ちは、敞一郎に伝わったでしょうか・・・。
 ここ二日の題は「いじめ」でしたが、こうして書いてみると、客観的には100%「いじめ」ですが、当時の僕も、僕を「優しく」育ててくれた「先輩」達も、「いじめ」という認識はなかったのだと思います。そして、その「優しさ」が今の僕を育ててくれたのだと思い、感謝しているのです。敞一郎先生・・・ありがとうございました!いつも「校長」とか「敞一郎」とか呼んで、生意気いって、すみませんでした。

今日の写真1
今朝、僕と一緒にテニスをやってくれた仲間達です。

今日の写真2.3
たかやん塾を卒業した「イケメン兄弟」です。立派になって、笑顔で登場してくれました。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・


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5月12日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第132弾  2019年5月12日(日)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第132弾  2019年5月12日(日)  たかやん

川掃除のお知らせ
本日12日(日)黒目川の川掃除無事終わりました。みなさん、ありがとうございました!来月の日程が決まりましたら、またここに書きますね。

駅立ちのお知らせ
明日、13日(月)がひばりが丘北口で5時〜9時、14日(火)が清瀬駅南口で5時55分〜8時半、15日(水)が清瀬駅北口で5時55分〜8時半、そして、16日(木)朝霞台駅に5時55分〜8時半に久しぶりに立つかも知れません。駅立ち仲間のみなん、よろしくお願いします。

朝勉459
今朝は5時半起き。空も久しぶりの水泳の大会で早起き。「陸上より緊張しない」そう言っていたのだが・・・空ママが空を立教に送っていく間、少しだけ勉強。川掃除の準備をする。

9時
朝ごはんを食べて、川掃除に向かった。庭の戸が大規模改修工事の影響で少ししか開かなくて・・・リヤカーを出すのに苦労した。何とかリヤカーを出して、栗原一丁目公園に行くと・・・一早と良太君が待っていた。良太君は清瀬からの初登場で・・・いつものメンバーを紹介して・・・みんなで「自撮り」して、川掃除がスタートしたのであった。

自動販売機
掃除をはじめて90分。いつものように神宝大橋で休憩する筈だったのだが・・・自動販売機が故障していて・・・水分補給ができなかった。残念!でも、多くの人が声を掛けてくれて、小学生の女の子も参加してくれて・・・天気もよく、とてもいい川掃除が出来たのだった。

ソファーベッド
新しいソファベッドの配達が予定よりも早く来て・・・ちょっと焦った。でも、実に手際よく設置してくれたので・・・午後からの塾の時間に間に合ったのだった。


2時。2時半からだよーっ!と念を教えおいたのに2時に来てしまうのだから、困ったものだ。それでも、30分遅れて来るよりはいい訳で・・・2時から、受験生との塾がはじまった。
そして、2時半に他の子達が集合し・・・本格的にスタート。そこで凄い質問が飛んできた。「ねえ、ねえ。京都・奈良って何県?」『はい?どういう意味よ。』「だから、京都・奈良は何県にあるのかな・・・と、思って。」『・・・・47都道府県言ってみろ!』「北海道・青森・秋田・岩手・仙台・・・」『ちょっと待ったあ!!仙台は市だろうが!!』「あ、そうだった?」『そうだったじゃ、ねえだろう!!』長い間、色んな子達を教えてきたが・・・「ねえ、ねえ。京都・奈良って何県?」っていう質問は初めてである。親の顔が見たいぜ・・・笑

5時
反省会がはじまった。良太が一番で来て、貢、一早と集まって来て・・・・反省会がはじまった。文夫、直弘、宣樹、賢二と集まって・・・マーちゃん、博さん、関口さん夫妻と参加者が増えて・・・
あっという間に楽しい時間が過ぎて行って・・・僕らは解散したのだった。それにしても、いい仲間達である。


教師を目指す人へのメッセージ   第419弾!    指導死

 「また起きたのか?」教師の「不適切な指導」のために生徒が自ら命を絶つ「指導死」のことだ。連休明けのことだ。連休明けの5月7日の本紙夕刊が報じた。茨城県高萩市の市立中三年の女子生徒が自宅で自殺。自筆で残したメモに、所属する卓球部顧問の男性教師が、部活動中全部印に対し「ばかやろう」「殺すぞ」などと発言したほか、物を床に投げつけたことなどが記されていたという。
 教諭も大筋で事実関係を認め「行き過ぎた指導だった」と話した。市教委は第三者委員会を設置して、教師の指導と生徒の自殺との因果関係を調べる方針だという。
 思い出されるのは、2012年に大阪市立桜宮高校のバスケット部の主将だった顧問の男性教諭から日常的に暴力を受け、それを苦に首つり自殺した事件だ。この事件の教訓が、高萩市の中学校では全く生かされていなかったのだろうか?
 こうした事件が起きると「不適切な指導」とか「行き過ぎた指導」とかいう言葉が使われるが、理不尽な暴力や暴言はそもそも「指導」の名に値しない。およそ人間に対する行為として許されることではない。生徒は教師の奴隷でもなければ家畜でもない。人間なのだ。子どもの権利条約を引くまでもなく、生徒にも人権がある。生徒の人権を尊重しない者に教師の資格はない。
前川喜平 (現代教育行政研究会代表)  東京新聞5月12日朝刊 本音のコラムより
*前川喜平のコラムが好きです。彼の教育問題のコラムは実に的を得ています。共感するところが多いのです。
指導死は体罰によってだけ起こるものではありません。教師の言葉や態度によっても起きます。それが分からないと、いつまでも「指導死」は続きます。教師の冷たい言葉は子ども達の「心を殺す」のです。それを繰り返された子ども達は自ら死を選ぶのです。
「虐められて」死を選ぶ子ども達も、半分は教師が殺したようなものです。「虐め」を見てみぬふりをしたりするのは論外ですが、気が付かない場合も教師としてはアウトです。
子ども達の表面ではなく、目や表情を見て生きてください。髪の毛の色やスカートの長さは素人でも見分けられますが、子ども達の目の輝きや表情の微妙な違いは、本物の教師にしか分かりません。偽物が多くなってくると、子ども達は苦しくなってきます。みなさんは本物の教師になってくださいね。

今日の写真1
今日は朝からもの凄くいい天気でした。川掃除日和でしたねえ。川掃除日和ということはテニス日和でもあるのですが・・・流石のテニスも黒目川には勝てないのです。

今日の写真2
新しいメンバーが参加してくれての川掃除はいいものです。栄治や宣樹が良太のように初めて参加してくれた日のことを思い出しました。

今日の写真3
反省会の最終系です。みんな明日はやいので、早目に解散したのだった。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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5月13日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第133弾  2019年5月13日(月)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第133弾  2019年5月13日(月)  たかやん

駅立ちのお知らせ
本日13日(月)がひばりが丘北口で4時45分〜9時の駅立ち、無事終わりました。明日14日(火)が清瀬駅南口で5時55分〜8時半、15日(水)が清瀬駅北口で5時55分〜8時半、そして、16日(木)朝霞台駅に5時55分〜8時半に久しぶりに立つかも知れません。駅立ち仲間のみなん、よろしくお願いします。

朝勉460
今朝は3時13分起き。何をやっているんだか・・・。目覚まし無しで起きてしまうところが、ひばりが丘の力である。それだけ、会う人が多いのだ。ワクワクした気持ちで目が覚めてしまうのだから、まるで小学生である。そして、例によって「英会話」の5月号の暗唱をしながらの駅立ちになったのだった。

4時40分
予定の5時より少し早かったのだが、幟やホワイトボードやポスターをセットする時間があるので、4時40分に北口に着いた。そして、4時45分から今朝の駅立ちがはじまったのだった。5時までは暇だったので、テキストを暗唱しながら・・・それでも10人の人が「一生懸命」を手にしてくれた。最初の1時間は100人のペース。それから、暫く30分で100人ペースで「一生懸命」を手にして貰ったのだった。

笑顔
今日は空の同級生や陸上部の子達と会うのが楽しみだった。「あかり!」「お、上君」「お、みさきちゃん」「さいらちゃん」「りなー」「えいと君」「すずちゃん」「りん君」「さらちゃん」「だいむ」「りくー」「りの!」「かのん」「ゆきな」・・・・次から次と知っている笑顔が登場してくれて・・・本当に楽しかった。勿論、五中時代の教え子達の笑顔や友達の笑顔とも会えて・・本当に幸せだった。

マナー
その集団は7時前に登場した。某スポーツクラブの若者たち3人が、突然ティッシュを配り始めたのだ。しかも、僕の目の前で・・・何の断りもなく・・・常識では「ここいいですか」とか「おはようございます」「こっちの方でやりますね」とか、挨拶があるものなのだが・・・何と、僕の目の前2.5mのところで元気よく配り始めたのだった。そして、彼らは8時になると、やはり何の断りもなく去って行った。駅に立っていると、当然ティッシュ配りのお兄さんやお姉さんに会うのだが、こんなにマナーが出来ていない集団は初めてだった。

無言
それでも、僕は何も言わず、彼らがいない時と同じように駅立ちを続けた。彼らがいても、「一生懸命」を手にしれくれる人達は変わらなかった。困ったのは向こうから歩いてくる人の顔が少し見にくかったことかな。最初は少しイラっとしたが、その内、僕の代わりに元気に「挨拶」をしてくれ、「頭を下げて」くれていると思うようにしたら・・・なんか楽しくなってきたのだった。

雪と亮
久しぶりに雪と亮にも会えた。息子が先に来て、娘が後に来た。二人に「行ってらっしゃい!」と言えたこと。二人から「行って来まーす!」と言って貰えたことが幸せだった。

9時
10時半から塾があるので、予定通り9時で終わりにした。片付けをしていると、「下さい」と若い子が声を掛けてくれた。そして最後に「一生懸命」が更に3部売れたのだった。こうして4時間15分の駅立ちは無事終わったのだった。天気も体調も良かったので楽勝だった。次回は9時半までやるかな・・・気候がいいので、5時間くらいは立てそうな気がするのである。真冬の駅立ちを考えると10倍楽な気がした今日の駅立ちであった。

三吉自動車
ひばりが丘の帰りには必ず賢二のところに寄ることにしている。三吉自動車の向かいのお米屋さんが嵒の教え子なので、「一生懸命」を届けているのだ。ところが肝心の賢二の事務所にはマメタしかおらず・・・誰にも会えなかったのだった。

10時半
塾がスタートした。英語だけの集中授業である。これがまた楽しい訳で・・・あっという間に時間が過ぎていった訳で・・・眠気もぶっ飛んだぞと。

打ち合わせ
午後は大規模改修の打ち合わせ。忙しいねえ。


夜は塾。とんでもな質問に「神対応」しながら(笑)、3時間の中学生達との時間は流れていった訳で・・・・

教師を目指す人へのメッセージ   第420弾!    今学校で1

文化祭のテーマが「今学校で」になった。舞台発表の抽選に漏れた1組はパネル展示をやることになったのだ。テーマは「今学校で」体罰・規則・いじめの3班に分かれ、現在の五中が(広い意味では中学校、あるいは学校)が抱える問題を考えようというのだ。1組のことだから、先生達が喜ぶような発表はしないと思うが、好きなようにやるがいい。ただし、真剣にだ。そして、自分達の発表には責任を持ってだ。全員が協力してやれば何も言うことはない。賞状はいらない。受けを狙うことはない。

体中が痛い
体育祭の綱引きの後遺症が痛い。体の右側の筋肉がビリビリ痛いのだ。でも、昨日は頑張った。午後、部活を目いっぱいやり、クタクタになったところへ「今夜はナイター練習がありますよ」と卒業生から電話。夕食もそこそこにナイター練習へ。そこでも全力を出し切った。シャワーを浴びて23時。それから貴光と二人で貴博を探しに行った。結局、手掛かりはなく・・・貴光が帰ったのが1時過ぎ。ハッと気がついたら朝。座椅子で座ったまま寝ていた。首が痛い。(貴博はどこで寝たんだろう・・・寒い思いをして寝てるんじゃないのかなあ)朝練・・流石にいけなかった。五中10期生の2年1組の学級通信より
*また、五中の学級通信に戻りました。この時だったんですねえ、貴博が家出して・・・貴光達も行き先が分からなくて・・・慢性的寝不足状態だったようですね。働き方改革とか言っていますが・・・クラスの子が家出したら、探すしかない訳で・・・超過勤務手当とか何とか、そんなことはどうでもいいことです。貴光との捜索が夜中の1時まで続いたことに驚きますが・・・貴博の担任と親友ですからねえ・・・今でも同じことをやるでしょうね。僕が貴光なら・・・。みなさんには勧めませんが・・・・。

今日の写真1
久しぶりの4時45分でした。3時過ぎに起きたのですから、それくらいに始めないと罰が当たります。涼しくて、気持ちのいい朝でした。絶好の駅立ち日和って奴ですね。

今日の写真2
こんな感じで、幟、ホワイトボード、ポスターを設置しました。少しは「駅立ち」の雰囲気がでてきてませんか。応援団が喜んでくれたら、それでよしです。

今日の写真3
久しぶりに実の娘とのツーショットです。余り「似ている」と言われたことはないのですが、どこか似ているんでしょうか・・・。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・



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5月14日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第134弾  2019年5月14日(火)  たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第134弾  2019年5月14日(火)  たかやん

駅立ちのお知らせ
本日14日(火)清瀬駅北口での5時半〜8時半の駅立ち、無事終わりました。明日15日(水)は清瀬駅南口で5時55分〜8時半、明後日16日(木)は朝霞台駅に5時55分〜8時半で立つ予定です。朝霞台は本当に久しぶりです。駅立ち仲間のみなん、よろしくお願いします。

朝勉461
今朝は4時半起き。昨日が3時13分だったので、少しゆっくり起きられた気がした。今日の朝勉は「英会話」。清瀬駅北口だったので、ほぼ3時間びっしり「暗唱」に集中できたのだった。

5時半
東久留米まで送ってもらって、電車で清瀬に向かった。大きな幟は持たず、ホワイトボードとポスターだけをセットして、5時半からの駅立ちがはじまったのであった。ひばりが丘は30分で100部という流れがあるが、ここは5〜6分で1部が当たり前で・・・その比はひばりが丘の20分の1でしかない。しかし、少ない人だからこそ、その時の喜びは大きい訳で・・・

完全無言
今日の駅立ちは完全に「無言」を貫いた。僕を待っていてくれる人達だけの為に立ったのである。ある。英語を暗唱しながら、只管前方からくる顔だけに集中したのだ。だから、目の前にマイクを持った人が7時から8時まで演説をしても、僕の駅立ちは何も変わらず・・・終わってみれば、一束の「一生懸命」が無くなっていたのだった。


そんな無言の駅立ちをしていても、奴はやってきた。無言で腕組みをしているのに、わざわざ近づいてきて、「じゃまなんだよ」とかすかに聴こえるように言ってきたのだ。僕は奴に向かって、Spit it out! Turd face!と聞こえるように言ったのだった。

勘違い
清瀬に立つ場合、月曜日に北口、火曜日は南口に立つようにしていたのだが、勘違いして・・・北口に立ってしまった。
当然のように清瀬の市議会議員とバッティングしてしまった。それでも、1時間演説を聞いて、なるほどねえ・・・そういう言い方をするのか・・・と、勉強になったのだった。笑ったのは「増え続ける社会保障の為に、消費税増税はしょうがない」という話。消費税の目的は法人税と金持ちの減税である。社会保障費に回る訳などないのだ。増え続ける社会保障費をどんどんカットしているのは当たり前のことなのだ・・・そう突っ込みたくなったが、英語と前から来る人の表情に集中したのだった。


8時半で切り上げ、また西武線で東久留米まで戻ってきた。車で迎えに来てもらって、我が家へ。ココアが尻尾を振って出迎えてくれた。それからダッシュで朝ごはんを食べて・・・9時半からの塾の準備をしたのだった。

酷い教師
9時半からの高1の娘との2時間は実に幸せな2時間だった。「酷い女の先生がいたの」『どんな風に』「あのね、体育館で座っていたらね。ラインから出てるって背中を蹴ったの」
『そんなアホ教師がいるんかい!』「うん、ルールを守らないからって」『馬鹿過ぎる。ルールっていうのは、誰の為に、何の為にあるかが大事なんだよ。例えば交通ルールは人の命を守る為にあるんだよね。歩行者も車に乗っている人も自転車も。全ての人の命を守る為に出来ているんだ。だから、守らなきゃ駄目だよね。でも、髪の毛の色とか、スカートの長さとか、靴の色とか・・・誰の為にあるルールだろうね。ましてや、ラインをはみ出して座るな、なんていう糞ルールはどうでもいいルールだ。それを破ったからって、蹴るっていうのは、教師としてというより、人としてアウトだ。』「そうだよね!同じように蹴られた子が沢山いて、一人の男子は“やってられっか”って怒って、帰っちゃったんだよ。」『そりゃあ、怒るわ。生徒が正しい!』「だよねえ」そんな話をしながらも、「今日ね、よく知らない人に自販でジュース買ってきてって頼まれたのね、そうしたら、友達が“自分で買ってこいよ”って言ってくれたの」「私のイヤホンも取り返してくれたの」と、嬉しそうに話す娘。中学時代には担任からも顧問からも友達からも裏切られ、人間不信に陥っていた心優しい娘が、高校に行き、同じような目に合っていた仲間と出会って、自分の居場所を見つけたのだ。
 僕らは二人でレポートを進めながら、なんとも言えない、幸せな時間を過ごしたのだった。
この心優しい娘が3年間で高校を卒業できるように、力の限り応援していこう。そして、娘の「青春」が幸せな記憶に残るように、一緒に歩いていこうと思う。


夜も塾。質問の嵐に次々と答えた3時間があっという間に終わった。駅立ちの3時間も楽しいけれど、塾の3時間は本当に楽しい。教師を辞めて21年が過ぎたけれど、今でも子ども達と一緒に生きられる自分は幸せだなあと思うのである。

戦争
維新の若造が「戦争発言」で除名された。しかし、国会議員は辞職しないらしい。維新はイメージダウンを避ける為に「離党」を認めず、「除名」したのだろうが・・・維新や自民には同じような意識の議員が多くいるのではないだろうか。恐ろしいことである。

教師を目指す人へのメッセージ   第421弾!    今学校で2

捜索隊
昨夜はご苦労様でした。7時半から9時半まで、よく頑張りました。大泉学園、保谷、ひばりが丘と3チームに分かれての作戦はなかなかだと思ったのですが、うまくいかなかったね。『絶対来るなよ!女は足手まといになるから』と言っておいたのに来た、貴美加と晶江、ご苦労様。ま、二人だけだったから、よかったけれど・・・もし、沢山来ていたら、心配の種が増えるところでした。部活が終わってから、一人でひばりが丘へ行ってくれた暢英、ありがとう!疲れていたのに大変だったろう。
「今度いつ行く?」「明日の朝?」「明日の夜?勿論、毎日行くよね」みんなの言葉には頭が下がります。『だって、もう直ぐ試験だよ。大丈夫か?』「へーき、へーき」
昨夜はハプニングもありました。そう、例のジャコビニ流星群のような人工衛星の大気圏突入を目撃したのです。もしかしたら、ひばりが丘チームだけかも知れませんが、それはとても綺麗な、不思議な光景でした。
最後にうちに集まって、ワイワイ、ガヤガヤと話をして、「えーっ、ふーちゃん、まさか五中ジャージで行ったの?」「そうだよ」「えーっ!それでパチンコ屋に入った訳?」「そう、お兄さん達にチラチラ見られちゃったよ」『大体、こいつは夜の7時半と朝の7時半を間違えるんだから・・・』話をしている内に俺は寝てしまって、目が覚めたら誰もいない。でも、外に出たらまだ何人か残っていた。もう10時近かった。どうも気持ちがスッキリしないので、それから黒目川の方へぶらっと行き・・・卒業生の家にふらっと寄り、話をしている内にまた眠ってしまって・・・・気がついたら3時。根性で家に帰り、座椅子に座っていたら、また眠ってしまい・・・朝。そして6時過ぎからテニス。この一週間、まともに寝ていない。でも、貴博のことを考えると・・・昨夜も寒かった。スキー用のジャンパーを着た程だ。貴博はこの寒い夜をどうやって過ごしているんだろう・・・。
*五中10期生の2年1組の『一生懸命』 1985年10月9日 から

今、こんなことをやったら、市教委から呼び出しがかかるかも知れません。その前に校長室に呼ばれるでしょう。しかも、こうして「学級通信」に書いて証拠を残しているのですから大変です。2年1組の親は勿論、校長も学年主任の神さんも「捜索隊」のことは知っていたということです。非常識だとは思いますが、家出して学校に来られなくなった友達の「捜索」はわがクラス全員の問題だったのです。
貴博はその後、大泉のヤクザの家に居ることが分かり、僕らは真夜中に救出に向かいました。『貴博を返せ!』「てめえは誰だ!」『俺は担任だ!!』「・・・・」
貴博は我が家で温かいお風呂に入り、温かいご飯を食べ・・・クラスに戻ってきました。貴博も貴光も立派な大人になりました。遠い昔の、懐かしい思い出です。

今日の写真1
時計の写真を載せるのは、記録に残す為です。どこの駅に何時から何時まで立ち、どれくらいの「一生懸命」が無くなっていったのか・・・記録を残すのです。

今日の写真2
清瀬駅北口のホワイトボードとポスターです。大きな幟は無しでしたが、気がついてくれる人は気がついてくれる訳で・・・初めて「一生懸命」を手にしてくれた人は3人でした。

今日の写真3
7時から8時までの1時間はこんな光景が僕の1,5m先にありました。小さな幟は大きな幟に隠され、ホワイトボードも演説の陰になって・・・それでも、なんとも思わなくなりました。色んな笑顔に会えたから・・・・幸せな3時間でした。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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5月15日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第135弾  2019年5月15日(水) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第135弾  2019年5月15日(水) たかやん

駅立ちのお知らせ
本日15日(水)清瀬駅南口での5時半分〜8時半の駅立ち、無事終わりました。明日16日(木)は朝霞台駅に5時55分〜8時半で立つ予定です。朝霞台は本当に久しぶりです。駅立ち仲間のみなん、よろしくお願いします。これで8分の7が終わりました。後、8分の1です。本当に久しぶりの朝霞台・・・他の駅より短い時間ですが、ちょっと緊張するかも知れませんね。

朝勉462
今朝は4時半起き。清瀬駅南口も無言の駅立ちだったので、ほぼ3時間びっしり「暗唱」に集中できたのだった。それでも予想以上に「一生懸命」は消えていった訳で・・・「久しぶりーっ!」と言ってくれた人も多く・・・ちょっと反省したのだった。

5時半
車で清瀬駅南口へ。清瀬で初めてのポスターと大きな幟を立てての駅立ちがスタートした。涼しくて、気持ちのいい朝だった。1年間の駅立ちの中で、一番いい季節である。こういう季節に立てないと・・・後がキツイんだよねえ。

完全無言2
今日の駅立ちも完全に「無言」を貫いた。ライバルは誰もいなかったのだが、前から来る人の表情と英会話の暗唱に集中した3時間だった。

京子
久しぶりに京子に会えた。六中緑ジャージの3年1組の京子である。今朝もかなり早い時間に、向こうから手を振って笑顔で登場してくれたのが嬉しかった。朝から京子とハイタッチできて、とっても幸せな担任であった。

先生!
後ろから声を掛けられた。振り向くと涼さんが立っていた。涼さんは現役の小学校の先生なのに、僕のことを「先生!」と呼んでくれているのだ。もう先生でも何でもないのに・・・。それにしても、「先生」という言葉に反応してしまう自分がおかしい。もう、辞めてから21年も経っているのに・・・・。塾の子ども達は僕のことを「先生」とは決して呼ばない。みんな「たかやん」である。


久しぶりに妹の笑顔に会えた。真由美・・・僕の妹であり、英語の先生でもある存在である。二つ年下なのに、実年齢より軽く10歳以上若く見えた訳で・・・・兄としては、それが嬉しかった。

S
空と同じ高校に通う子達は直ぐに分かる。バックパックにSの文字が入っているからだ。そこで、ふと面白いことに気がついた。我が家は家族全員が頭文字Sの高校に通っていたのだ。雪も亮も空父も空母も空も・・・仮に空が第一志望の高校に受かっていたとしても・・・やっぱりS高校だった訳で・・・我が家の高校はS高校に限る?

NHK
しかも、空が行きたい大学に行くと・・・空ママ、空父、空でNHKになることにも気がついた。3時間の駅立ちで、暇だとこんな詰まらないことにも気がついてしまうのである。


駅立ちの後は今日も塾。10時半からは大学入試の為の英語に、マンツーマンで燃えたのだった。3時間の駅立ちの後だけれど、昨日もやったので慣れてきたぞ・・・。

アイスクリーム
ひとみと二人で母さんのところへ。嬉しそうな母さん。「お煎餅が食べたい」『ごめんねえ。お医者さんに止められているんだよ。』「・・・・」残り少ない母さんの人生。好きなものを食べさせてやりたいのだが・・・。それでもハーゲンダッツの抹茶アイスを食べて、笑顔になった母さんであった。

Training
録画しておいた韓国ドラマをみながら、ランニング、チューブトレーニングなどをやった。テニスがなかなか出来ないので、家の中で走るしかない訳で・・・・。少し出てきたお腹を引っ込めないとね。格好悪い体形は御免である。


夜は塾。最初はマンツーマンの社会と理科。試験2週間前なので、問題集をガンガン進めていく。時差の問題の簡単な解き方を教えると、あっという間にマスターしてくれた。いい感じである。そして、後半は集団での塾。英語と数学と理科に燃えたのだった。

教師を目指す人へのメッセージ   第422弾!    ごめん!

 「ありがとう」と「ごめんなさい」が上手に言えない子が増えてきたような気がします。その理由は・・・・簡単です。子ども達の周りの大人が「ありがとう」と「ごめんなさい」を言うのが下手糞になってきたのです。子ども達は大人の背中を見て育ちます。
子ども達は親を選べません。「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えない親に育てられた子には、あなた方教師が背中で教えるしかありません。「ありがとう」と「ごめんなさい」が上手に言えない子は、辛い人生を送ることになるからです。
「ありがとう」と「ごめんなさい」が上手に言える人の周りには「幸せな人」が集まりますが、人に「ありがとう」と「ごめんなさい」を強要する人の周りには「幸せ」は寄ってきません。
 子ども達には人は誰でも間違える。大人も間違えるのだから、子どもは間違えて当たり前だということを教えなければなりません。間違えたら、心から「ごめんなさい」を言えば、周りは勿論、自分も気持ちよく前に進めることを教えて欲しいのです。
 「ありがとう!」は「ごめんなさい」よりも簡単な言葉ですが、それさえも言えない大人しか周りにいると・・・子ども達も言えなくなります。
「ありがとう」は大安売りしていいのです。毎日、毎日、どれだけの「ありがとう」を言えるかで人生が決まります。
 駅に立っている僕は「ありがとう」「ありがとうございます」を何百回と言います。そして、時々「ごめんなさい」も・・・
 そうこうして10数年が経ったのですが・・・僕の「ありがとう」と同時に沢山の「ありがとう」も言って貰えるようになりました。駅での出会いの瞬間に「ありがとう」『ありがとう』とお互いに「ありがとう」の気持ちをぶつけられるのですから、どんなに寒い日でも心はポカポカになります。「ありがとう」には人を幸せにする力があるんですね。子ども達のどんな小さなことにも、「ありがとう」と言うことで、子ども達も「ありがとう」が自然に口から出る大人になっていくのではないでしょうか。毎日が「ありがとう」勝負ですよ。そして、失敗した時こそ、上手に「ごめん」を言える先生になってください。


今日の写真1
清瀬の駅に初めて立った「たかやんマーク」幟です。僕からこう見えるということは、向こうから歩いてくる人には「たかやん」とは読めなかった筈ですが・・・マークは見えたと思います。

今日の写真2
駅に向かう人からは、こんな風に見えていたんですねえ。確かに、何かいつもとは違う雰囲気にはなっていたでしょうね。

今日の写真3
母さんはアイスクリームを食べながら、半分眠っていました。母さんがこの瞬間を幸せに感じていてくれたら、それでいい。そう思う息子なのです。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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5月16日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第136弾  2019年5月16日(木) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第136弾  2019年5月16日(木) たかやん

駅立ちのお知らせ
本日16日(木)朝霞台駅での5時半分〜8時半の駅立ち、無事終わりました。これで今回の駅立ちは全て終わりました。思いがけない人と会えて、幸せな3時間になりました。

朝勉463
今朝駅立ちをしながらの「英会話」を3時間・・・そう言いたいところなのだが、朝霞台の人の多さは予想以上で・・・右に左に正面と3方向から来る人の顔に集中していたら、それどころではなくなった。まあ、30分くらいは出来たんだけれどね・・・。

5時半過ぎ
いきなり、右方向からカズが登場した。僕も驚いたが、カズも驚いて・・・最初のツーショットを撮ったのだった。それから、五中、六中、二中、塾の卒業生、五中の先生達・・・・本当に色んな人と会えた訳で・・・まあ、5分に1人くらいの割合だったんだけど、驚きの連続だった訳で・・・

完全無言3
勿論、今日の駅立ちも完全に「無言」を貫いた。それでもポスターや幟で僕に気づいてくれた人も多く・・・実に有意義な駅立ちだったぞ。


大きな幟が風に靡いて、通行の邪魔になる時間帯もあって、申し訳なかった。少し場所を考えないといけないな。

8時半過ぎ
幟を畳んで、帰ろうとしている時に、目の前に笑顔が現れた。「久しぶり!」「おーっ!」それは、小学校の頃から中三まで塾に通ってくれていた遥香だった。遥香はもう大学生になっていて・・・最初にカズ、最後に遥香に会えて、本当に幸せに幸せな駅立ちになったのだった。

8か所
東久留米東口、保谷駅北口、新座駅南口、志木駅南口、ひばりが丘北口、清瀬駅北口、清瀬駅南口、朝霞台・・・8か所で立てたのは、天気に恵まれたことと、体調に恵まれたことが大きい。駅に立つと分かるのだが、天気に恵まれないと駅に立つことはできない。そして、自分自身の体調に恵まれないと、やはり3時間〜4時間の駅立ちには耐えられないのである。今回はその両方に恵まれた。そして、多くの人の笑顔と「ありがとう」に励まされたことが大きい。誰に何を言われても、人相のいい人達の「笑顔」と「ありがとう」が僕を強くしてくれる。そして、次の駅立ちパワーの源になってくれるのだ。


夜は塾。試験が近づいてきたので、みんな集中していた。子ども達が集中する顔が好きだ。集中力がある子は必ず伸びる。その伸びを見ることが出来るのだから、幸せである。

教師を目指す人へのメッセージ   第423弾!   職員会議

文化祭の反省で1組の詩のことを散々言われた。「担任の指導が全く入ってない」「自由と規律をはき違えている」「生徒指導に対する挑戦だ」「もの凄い悪影響がある」「生徒指導がやり辛い」「この始末をどうつけてくれるのか」
(後略)

山手線
久しぶりに山手線に乗ってビックリした。銀色になってんだもん。俺の小さい頃、山手線は茶色だった。それからオレンジになり、黄色になり、緑になった。池袋へ行って緑色の電車に乗ろうとしたら、「埼京線」ときた。あれえ・・と思っていたら、銀色の山手線が来た。山手線をヤマノテセンと読むか、ヤマテセンと読むか、話題になったことがあるけれど、俺はヤマテセン派だ。正しくはヤマノテセンらしいけれど、俺はヤマテセンが好きだ。ヤマテセンに銀色は似合わない。

宇人の赤ちゃん
昨夜、宇人に赤ちゃんが生まれた。廊下ですれ違った時、『おめでとう!』と言うと「うん、ありがとう。やっと、つかえてたのが出たよ」と言って、本当に嬉しそうに笑った。『名前は?』「まだ決まってない」(ははあ。。。きっと男の子の名前しか考えてなかったんだな)

1985年   文化祭の後の新座五中2年1組の「一生懸命」から
*(後略)にしたのは、僕の言葉遣いが酷いからです。・・・きっと、1組の子達の本音で書いた詩が分かって貰えず、頭に来て書いた文章なのでしょう。文化祭までの過程を知らないのに、何を言ってやがる・・・そう思ったのだと思います。でも、汚い言葉は誰が読んでも気持ちが悪いのでカットしました。当時のヤマテセンは銀色だったんですね。
宇人の赤ちゃんはもう大きくなったんでしょうねえ。あれから34年も経っているのですから・・・

今日の写真1
5時半過ぎに登場したカズです。空が小さい頃、カズの家族と我が家とみんなで新潟に旅行に行きました。みんなでテニスをやったり泳いだりしました。懐かしい思い出です。

今日の写真2
五中7期生、3年8組の米(よね)です。米の子もカズの子も空と五中では同級生というのが面白いですね。僕が米と出会った時は、二人とも髪の毛はフサフサでしたが・・・
今はツルが二羽・・・

今日の写真3
たかやん塾の卒業生の遥香です。小学校の終わりから「たかやん塾」に通い始め、中学時代は部活動と勉強を両立して、ずっとオール5でした。暫く会ってなかったのですが、大学生になっても笑顔は小学生の時のままでした。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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5月17日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第137弾  2019年5月17日(金) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第137弾  2019年5月17日(金) たかやん

朝勉464
その電話は賢からだった。「もう1時間もみんな待ってますよ。まだですか?」『ああ、悪い、もう着いたよ。今そこに向かってる。』今日は東北大との定期戦。それなのに後輩達を待たせて遅刻してしまった。新宿駅で切符を買おうとするが、小銭がなく・・・ホームを間違えダッシュする。しかも、ラケットをどこかに忘れてきてしまった。冷や汗が出た。
『誰か、ラケット貸してくれ!』そこで目が覚めた。賢は五中テニス部の教え子。東北大との定期戦なのに・・・夢の中ではラケットを忘れてしまったということだけに集中し、賢のことは気がつかなかった。新宿駅というところも・・・・不思議な夢だった。目が覚めたのは4時。駅立ちがなくても、自然に目が覚めるようになってしまった。でも、よかった。ラケットを失くしてなくて・・・朝勉は6時から7時まで。今日も英語しかできなかった。とほほほほ。

7時20分
久しぶりに空を東久留米に送っていく。昨日から我が家の車は車検で・・・代車で送っていった。駅に向かう人の顔を見ると、知っている顔が何人もいた。空は勉強も水泳も頑張っている。昨夜も帰ってきたのは22時過ぎ。机に向かっている時間も多くなってきた。

人権作文
9時から久しぶりに鍼。駅立ちで疲れた体を鍼で癒したのだった。特に右膝に痛みがあり・・・そこで話題になったのが「人権作文」。どうやら、小学生に「人権」の何たるかの授業もせずに「人権作文を書いてこい」という宿題が出ているらしい。作文が大の苦手だった僕には、小学生達の「悲鳴」が聞こえてくる。人権作文を書いて欲しければ、「人権」と「作文」の授業をちゃんとやることだ。人権と言いながら「子どもの権利条約」を理解できていない教師が多くないか・・・・?

朝練
明日の朝は前から約束していた朝練。本当なら今日も練習をしたかったのだが、膝の痛みが気になったので、完全休養日に。体のどこかに痛みが出ると、「健康」であることの有難みが分かるのである。

高齢者
最近、高齢者による事故が増えてきた。65歳の高齢者になってしまった自分としては、微妙な気持ちになる。65歳でも、頭と体を鍛えた65歳もいれば、何もせずに「老化」してしまった65歳もいるだろう。65年も生きていれば、体力にも知力にも判断力にも「差」が出るのは当たり前である。それを一括りに「高齢者」と呼ぶのはどうなのかねえ。
免許の更新時に「運動能力テスト」「交通ルールのテスト」に加えて「学力テスト」なんかをしてくれれば、40代は勿論、30代くらいまでには勝てそうだ。それにしても、いつの間にか「高齢者」の仲間入りとは・・・・とほほほほ。いずれにしても気をつけないといけない。高齢者が運転する車と自分自身の運転に・・・・。


夜は塾。今日も英語だけに集中した3時間である。教えるということは、それだけ自分が勉強していないといけない訳で・・・歳など取っている暇はないのである。今日もマンツーマンで頑張った二人であった。

教師を目指す人へのメッセージ   第424弾!     作文

 僕は作文が苦手な子どもでした。大の苦手でしたから、学校の先生に一度も褒められたことはなく、自分には作文を書く力がない・・そう思いこんでいました。僕が作文を書けない、一番の理由は本を読んでなかったからだと思います。本を1冊も読んでなかった子が文章を書ける訳がなかったのです。両親も兄も読書家でしたから、家には本が溢れていましたが、僕は完全にアウトドア派というか、体育会系というか・・・外遊び専門の子だったのです。
 漢字も読めず、字は汚く、作文を書く要素が一つもない・・・それが小さい頃の僕でした。今の時代の埼玉に生きてなくてよかったと思います。当時の新宿の小学校には全員提出の「人権作文」なんていう宿題はありませんでしたから・・・。
そもそも、小学生の僕には「人権」の意味は全く理解できなかったでしょう。
 作文を書けない子には「作文の書き方」を教えてやることです。「何枚以上」ではなく、「短くてもいいから、自分の言葉を文章にする」ことを教えてやってください。「人権」の意味も分からない子に、「何枚以上」という宿題を出すのでは、子ども達から「作文力」を奪ってしまいます。「宿題」を出す以上は、その作文を添削して、「指導」しなくてはなりません。「何枚以上」という制約を付けるのであれば、添削する量も増えるという覚悟が必要です。その覚悟がないのなら、「何枚以上」という制約をつけてはいけません。文章の良し悪しと「長さ」は違うのです。「人権」のことを本気で教えたいのなら、教師が「人権」を学ぶ必要があります。県教委や市教委から学校に「課題」が出されているのかどうかは知りませんが、常に子どもの側に立って、考えて欲しいと思います。
 作文が大の苦手だった子が、今は毎日文章を書いています。僕の文章が上手かどうかは、人によって評価は違うと思います。ただ、毎日書いていれば、誰かの力になることもあるでしょう。誰かに僕の考えが伝わることもあるでしょう。僕は僕の子ども達(本当の息子達と沢山の教え子達)の為にこの日記を書いています。彼らが大きくなって、何かにぶつかった時・・・生きるのが苦しくなった時、僕の書いた文章を読んで、また歩きはじめてくれたら幸せです。

今日の写真1
昨日の朝霞台での駅立ちも5時半からのスタートになりました。7時から8時に立つ人が多いのですが・・・一度5時半からやると・・・7時からはとてもやれません。

今日の写真2
朝霞台に初めて立った、「たかやん幟大」です。朝霞の人達は「何じゃこりゃ!」と思ったでしょうねえ。ふざけた幟です。たかやん?あのマークは何?ですよねえ・・・。

今日の写真3
最初、ポスターはこの向きに置かれていましたが・・・直ぐに、向きが右方向に変わりました。そのせいかも知れませんが、僕から見て右方向から来る方に「一生懸命」を多く持って行ってもらいました。バス停は左側なので、不思議でした。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・


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5月18日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第138弾  2019年5月18日(土) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第138弾  2019年5月18日(土) たかやん

朝勉465
5時・・・久しぶりにゆっくり起きた。たまには、ちゃんと寝ないとね。そして、今日も1時間英語だけの朝勉になってしまったのだった。

7時5分
久しぶりに空を東久留米に送っていく。8分の電車に乗りたいと言っていたのだが・・・駅に到着したのが8分。空は階段をダッシュで駆け上がっていったのだが・・・間に合わなかっただろうねえ・・・。

8時
恒さんとの朝練がはじまった。両膝にサポーターを巻いて、慎重にやっていたのだが・・・突然、痛めていた右膝ではなく、左ひざの筋肉に激痛が走り・・・練習は中断。それから、自分でテーピングを巻いて・・・練習を再開。半ちゃん・たえちゃんチームとダブルスをやり、岡さん・洪さんチームと戦って、2連勝したのだった。

準備運動
今日の失敗は準備運動をちゃんとしなかったこと。五中、六中でテニスをしていた時は、子ども達と一緒に必ず体操をしていたのだが・・・このところ、トレーニングは勿論、練習前の準備運動までスキップしていたのだ。気温が高くても、筋肉は温まってなかったのだろう。
ショートテニスはしていたのだが、それだけでは不十分だったのだ。高齢者は準備運動と整理運動をしなければならないのである。とほほほほ。


午後は塾。試験前なので中学1年〜3年までが集まって、テスト勉強に燃えた。1年生は初めての定期テストなので、試験勉強のやり方(問題集のやり方)を教えた。質問が飛び交い、アイヌ語の話をして・・・あっという間の3時間が過ぎたのだった。

通告
6月議会の通告の締め切りが23日なので、少し練ることにした。質問が多くなり過ぎないように、9月議会、12月議会も見据えての質問になりそうである。

174弾!
一昨日、駅立ちが終わったばかりだが、174弾の作成に取り掛かり始めた。書きたい・・と、思ったことを書かないとね。「一生懸命」は僕の生きた証だから・・・。

教育講演会
夕方からは東京での教育講演会に参加。4時間半の時間があっという間に過ぎていった。何歳になっても学ぶことの大切さを再確認したのだった。

教師を目指す人へのメッセージ   第425弾!     キノッピー

 昔、五中に木下保則という先輩がいました。子ども達は「木の先」と呼んでいましたが、僕は「キノッピー」と呼んでいました。僕が最初にキノッピーを意識したのは印刷室でした。僕の「一生懸命」と最後まで張り合えたのはキノッピーだけだったのです。当時の五中で年間100号を超える担任は僕とキノッピーしかいませんでした。
キノッピーは僕より8歳年上だったのですが「お、高邑さんは頑張るな」「たかやんには負けられないな」「今回の一生懸命はなかなかいい内容だな」とか言って、いつも褒めてくれました。
次にキノッピーを意識したのは、僕のクラスの国語をキノッピーが受け持ってくれた時です。「たかやん!キノッピー、何を言っても怒らないんだよ」子ども達はそう言ってました。「お、そういう考え方もあるな」「お、そうか、そうか、なるほど・・それもあるな」国語の授業を覗きに行くと、キノッピーは子ども達の考えを一度も否定しなかったのです。勿論、色んな意見を最後には正解の方向に持っていくのですが、どんな意見にも耳を傾け、否定しない授業に子ども達ははまりました。みんな、キノッピーが大好きになりました。そして、国語の成績が上がりました。そう、子ども達のA10神経群が反応したのです。
僕が六中に異動し、6年が過ぎた頃、キノッピーは六中の校長に赴任しました。
そして、着任早々3年生の暴行事件があり・・・、キノッピーはテレビカメラの前で謝罪しました。立派な謝罪会見でした。その事件には色々な布石が重なった悲劇だったのですが、キノッピーはまず被害者の子どもと保護者に寄り添い、そして、加害者のこどもと保護者にも寄り添いました。さらに、その子ども達の担任にも寄り添ってくれたのです。懐の広い校長でした。
キノッピーは毎朝、六中の周りのゴミを拾う校長でした。当然、硬式テニス部の子ども達の朝のゴミ拾いも目撃します。「朝が早すぎる!」と怒られていた子ども達は、突然「テニス部は頑張るな!」「テニス部は偉いな!」と誉められるようになります。校長と用務員さんから褒められるようになると・・・テニス部は「強い」だけではなく、「部活の見本」となっていったのです。そうして、六中硬式テニス部は「全国大会で優勝」します。
勿論、キノッピー校長は応援に来てくれました。僕は校長になっても、「キノッピー」と平気で呼んでましたし、キノッピーも僕のことを「おお、たかやん」と呼んでくれていました。僕と亮がホームレスになった時、「俺の家に住め」と家に呼んでくれたのもキノッピーでした。結局、パジェロを選択したのですが、そのことは今でも感謝しています。
僕らの関係は僕が教師を辞め、キノッピーが学校教育部長になっても変わりませんでした。
キノッピーは陵平の時も、テレビカメラの前に立ちます。二中の校長でも教育長でもなく、学校教育部長のキノッピーが謝罪会見をしたのです。僕は陵平の事件を調べている内に、陵平の両親の前で涙を流した人が二人いたことを知ります。一人は当時の学年主任、そして、もう一人が学校教育部長のキノッピーでした。陵平の苦しみを、陵平の両親の苦しみを想像するだけで、涙が出て来たのだと思います。キノッピーはそういう先生でした。
僕は21年間の教員人生で、キノッピーのような本物に出会って、そして愛されて、本当に幸せでした。
 
今日の写真1
膝の調子が万全ではなく・・・2試合とも苦戦しました。それでも石神井ペアーは2連勝。楽しい試合でした。

今日の写真2
久しぶりいダンロップのボールをネットで買ったのですが・・・こんなマークがプリントされていて驚きました。

今日の写真3
テニスが終わると、駐車場でポッキーが待っていてくれました。尻尾を振って来てくれるポックンの優しい目にいつも癒されているのです。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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5月19日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第139弾  2019年5月19日(日) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第139弾  2019年5月19日(日) たかやん

朝勉466
5時半・・・「夜中、ずっと喋ってたよ。六中がなんとか、かんとか・・・」『あっ、そう・・・』思い当たらなくもない・・そんな夢を見ていた気がする。少し寒気がしたが、気のせいだと思うことにして・・・・そこから英語と高校数学を少々。高校生たちも来週からいよいよテストがはじまる訳で・・・

二項定理
塾の卒業生から数学の質問がラインで来る。二項定理を思い出し、ラインで解答を送信する。中学生達からもラインで質問が来る。朝から忙しいのである。

174弾
午前中は174弾の作成と通告の作成に燃えてみた。と、言っても・・・かなりいい加減で、録画しておいた韓国ドラマを見ながらの作業だった訳で・・・本番は月曜からの3日間である。

まずい!!
亮と二人で母さんのとことへ行った。「食事がまずい」「もう食べたくない」「お煎餅食べたい」「今、果物何が出てる?」と食べ物に対する要求が凄かった。そりゃあ、そうだ。寝ているだけ、なのだから、一番楽しみなのは食べること。人生の最後に食べたいものを食べたい筈だ。久しぶりに、大正女の「頑固な意地」を見たような気がした。


夜の7時からは塾。中学生達が続々とやってくる。彼らの質問に即座に答えるのが僕の仕事である。そして、勉強の楽しさとやり方を伝授するのが僕の本当の仕事なのだ。


教師を目指す人へのメッセージ   第426弾!    考えない場所

 子ども達が「宿題」「課題」の多さに苦労している話は何度も書いてきました。ずっと「教育」に携わってきた者として、みなさんには「宿題」「課題」の目的は何なのかを自分で考えられる教師になって欲しいと思います。
 子ども達の学力に「格差」があることは、若いみなさんにも分かると思います。中学校では勿論、小学校でも学力格差は広がっているのが現状です。その子ども達に「同じ課題」を「大量」に出していることが問題なのです。
 子ども達の脳は「出来ないことが出来た時」に喜びます。だとしたら、「出来る問題」を大量にやらされる「出来る子」にとっては、「課題をやる」ことは人生の貴重な時間の「無駄遣い」にしかなりません。その一方で、「出来ない子」にしてみれば、大量の分からない問題と向き合わなくてはならないのですから、「夢も希望もない」状態になりながら、「勉強の苦しさ」をただただ味わうことになります。
 どちらの子の脳も「喜ぶ」状態にはなりません。「やらされる勉強」では、子どもは伸びないのです。精神的に苦しいことに「耐えられる子」を大量に作り出すことが、その「目的」であれば、そういう意味のない「課題」も、何かの役には立つのかも知れません。
しかし、新しいアイデアや新しい仕組みを考えられる子ども達は育たないでしょう。弱者に思いやりのある人に育つはずもありません。精神的に苦しいことに「耐えられる子」が弱者の気持ちを推し量ることができるようになるかと言えば、大いに疑問だからです。
子ども達には色々な可能性があります。「音楽」の勉強をしたい子もいれば「芸術」に興味のある子もいるでしょう。「保育」や「医学」を目指す子もいれば、「教育」や「体育」を人生の目標にする子もいるはずです。今はネットの時代です。自分が学びたいことはいくらでもパソコンからも学べる時代なのです。子ども達が自分で学ぶことができるのに、その機会と時間を奪うことは「教育」ではありません。
 学校という場所が「考えない」場所になって欲しくありません。教師が「課題や宿題」の目的を「考えず」に、今までやってきたからと「大量に出す」・・・子ども達は「内申が下がるから」と何も「考えずに」宿題・課題をやるのでは、「学力向上」など夢の又夢なのではないでしょうか。
 これからの日本には多くの課題があります。自分の脳みそで考えられない馬鹿な政治家達に任せていたら「農業」や「水」が外資に売られてしまいます。
「学校」までも狙われているのですから、恐ろしい時代になりました。「格差社会」に生きる子ども達には「経済的徴兵」さえ待っているかも知れないのです。AIに負けない子ども達にするには、今こそ「学校」が「考える場所」にならなければなりません。
教師を目指すみなさん、そう思いませんか。


今日の写真1
いつの頃からか、新座駅で会えなくなった正一さんと今回、朝霞台で会えて、本当によかったです。会えなくなった人にまた会えたのですから、もう朝霞台はずっと続きます。

今日の写真2
久しぶりに遠さん(五中8期生テニス部)にも会えて嬉しかったです。「あれ!どうしちゃったんですか?」と遠さん。『遠さんに会いたくてさ・・・・』「えーっ!」

今日の写真3
食べたいものが食べられない!と、怒る母さんでしたが、いつものようにSNOWでツーショットを撮ると・・・笑ってくれました。本当は母さんが好きなものを食べさせて、笑顔にしたいのですが・・・・。もし自分だったら・・・「最後に好きなもの食べてから死にたい!」「死んでもいいから食わせろ!」そう言うんだろうなあ・・・

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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5月20日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第140弾  2019年5月20日(月) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第140弾  2019年5月20日(月) たかやん

朝勉467
5時、清々しい気持ちで目が覚める。そのまま、朝勉に・・・こういう日は仕事が捗る訳で・・・朝からいい感じである。

7時過ぎ
空を東久留米まで送り、戻ってきたところで、ランニングしていた一久とバッタリ。中学時代と何も変わらない笑顔を見て、幸せな気持ちになったのだった。
それから、朝ごはん。どうやら体調は戻ったらしい。中高生の定期試験直前である。病気などしている暇はないのである。

8時半
玄関の片付け開始。大きな荷物を庭に移動していく。庭のドアから入らないものは、家の中を通して運んだのだが・・・ココアが興奮して、玄関から脱走。油断も隙もありゃしない。2時間後。誰の力も借りずに、移動が完了したのだった。


10時半からは塾。気合を入れて、英語に集中した。英検は来月。数少ないチャンスはものにしないといけない訳で・・・。

通告原稿
6月議会の通告原稿を書いている。質問の数が8つ・・・悩むねえ・・・。でも、締め切りは23日。まだ時間はある訳で・・・せめて7つに絞りたいのだが・・・。無理だろうなあ・・・。

174弾!
そして、174弾・・・。これは、特に締め切りはないし、全て自分に直球で返って来るから気楽である。問題は衆参同時選挙だ。これが7月にあるとなると・・・ま、いっか。俺は俺のリズムで、気にしないで駅に立つとしよう。


夜は塾。前半は個別で後半は集団。個別は個別の面白さと難しさがあり、集団は集団で面白さと難しさがある訳で・・・どっちと向き合っても、幸せな自分がいる訳で・・・今日は新しく「体験」に来た子がいて、更に楽しかった訳で・・・

21年間
面白いのは、「たかやん塾」はずーっと「生徒募集」「宣伝」をしていないということだ。それでも毎年「体験」に来てくれる子達が何故かいるといるのだ。塾に来る子達とその親の「口コミ」だけが頼りという、何とも頼りない、しかし、有難い方法でずっと、たかやん塾は21年間も「存続」しているのである。感謝、感謝である。


教師を目指す人へのメッセージ   第427弾!    感心・意欲・態度

 中学校の通知表には「感心・意欲・態度」という欄があります。みなさんは何を基準にそれを評価しますか。授業中の挙手や発言の回数、提出物の内容・・・そんなもので「感心・意欲・態度」を評価しようとしたら、プロの教師としてはアウトです。子ども達は「関心・意欲」があるから、手を挙げたり、発言をしたり、提出物を出すのではないからです。多くの生徒が「関心」も「意欲」もないけれど、「内申」の為に手を挙げ、発言をし、提出物をだすのです。これ、ちょっと考えると分かることです。
 プロの教師は授業という時間と空間の中で、子ども達の「関心・意欲・態度」を評価できなければなりません。授業で子ども達と向き合ってない教師は、数えられる「挙手」や「発言回数」提出物などでしか評価できなくなるのです。それは、生徒にとっては勿論、教師にとっても不幸なことです。
 「関心・意欲」があるのに、手を挙げたり、発言できない子など山ほどいます。「感心・意欲」があるのに、提出物が出せない子だっています。「関心・意欲・態度」をそんなもので測れると思っていること自体が教育者としてはアウトです。
 「関心も意欲」もある30点の子に、Cを付けていませんか。「関心も意欲」もない80点の子にAを付けていませんか。
 そもそも、生徒に感心や意欲がないのは、自分の授業が「詰まらないから」だ。そう思ったことはありませんか。「いい授業」をすれば、子ども達は自然に「関心」を持つはずです。あなた方が「いい授業」をすれば、子ども達は「意欲」を見せる筈です。
 もし、どうしてもそこを評価するのなら、「あなた方は子ども達に関心を持たせるような授業をしたか」「あなた方は子ども達に意欲を持たせるような授業をしたか」ということを「評価」すべきだと思うのです。詰まり、通知表に沢山のAを「関心・意欲・態度」の欄に付けた人が、いい授業をしたことになり、沢山のCを「関心・意欲・態度」に付けた人は、授業が下手糞ということになります。僕は息子の通知表をそういう風に見ていました。
 一番無能な教師は「気に入らない」生徒にそこでCをつけます。「授業態度が悪い」「普段の生活態度が悪い」そんな理由でCを付けられた子達がその教科を好きになることは、まずないでしょう。折角、絶対評価になったのに・・・CどころかBが1つでもあったら「5」はつかない。そんなルールを決めている学校もあるようですが、誰だってテストで90点以上取ったら、「5」の資格はある筈です。子ども達みんなに「5」の力がつくようにするのは大変かも知れません。でも、そうなるように工夫するのが「本物の先生」だと僕は思います。クラス全員に「5」の力を付けるには、どうしたらいいのか・・・そう考えて授業やテストをしていくと、「課題」「宿題」や「提出物」は学校から無くなっていくのではないでしょうか・・・・。(明日に続く)

 
今日の写真1
旧庁舎の控室の僕の机です。空の絵がいつも僕の心を癒してくれていました。そして、この絵は今も僕の控室に貼ってあります。

今日の写真2
母さんの笑顔はいつ見てもいいものです。94歳になっても、僕を幸せな気持ちにしてくれるのですから、本当に偉い母さんです。困るのは、小さい頃からの母さんの教育で、虫を殺せない大人になってしまったことです。テニスをしていても、コートにいる虫たちを潰さないように気を遣っている自分がいます。我が家に入ってきた虫たちも、僕に見つかると外に解放されます。ひとみに見つかると、瞬殺されますが・・・

今日の写真3
塾の風景です。中一・中二・中三が揃っています。5教科×3学年=15教科・学年の質問が飛び交います。僕は一度も座ることなく、動き回り、ノートや問題集をチェックし、ホワイトボードで説明をし続けるのです。楽しいですよん。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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