Diary 2019. 6
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6月21日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第172弾  2019年6月21日(金) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第172弾  2019年6月21日(金) たかやん

川掃除のお知らせ
今月6月の黒目川の川掃除は23日(日)です。今のところ、やる予定です。朝の9時に栗原一丁目公園に集合です。そこから、馬喰橋まで遊歩道を掃除します。馬喰橋から川の中に入り、土手を掃除しながら川を遡ります。栗原一丁目公園でごみを下ろし、さらに神宝大橋まで、土手、遊歩道、川の中を同時に掃除していきます。そこで、休憩して水分を補給したら、また栗原一丁目まで土手と遊歩道を掃除し、栗原一丁目公園でゴミを下ろして終わりです。トング、ゴミ袋、軍手はこちらで用意します。途中までの参加も途中からの参加も大歓迎です。午後5時から石神集会所で反省会があります。反省会だけの参加も大歓迎です。
連絡先 090 6497 5737 たかやん  まで。

駅立ちのお知らせ
6月の駅立ちは24日(月)からの予定でしたが、変更の可能性が出てきました。少しお待ちください。

朝勉498
今日は5時過ぎから母さんの隣で朝勉。女学校に行けなかった母さんはよく「英語がやりたかった」と言ってたっけ・・・母さんの分もやらないとね。

6時過ぎ
母さんの病室から家に戻って、空を東久留米に送る。今朝もギリギリのところで階段を掛け上がり、何とか間に合ったらしい。1分早く家を出ればいいのにねえ・・・。

ストレッチ9日目
こんな状態でもストレッチは続いている。脹脛と膝裏が痛い。それでも、少しずつ体が柔らかくなってきているのが分かるから楽しいのである。

個室
母さんの部屋が個室になったので、結構自由に話ができる訳で・・・兄貴と亮とこれからのことを色々話すことができた。

人工心肺
母さんは自分が人工心肺を付けることを嫌がっていた。しかし、もし付けていなかったら・・・母さんの手の温もりを感じることは、もう出来なかったはずだ。痛々しい母さんの姿を見ながら、「早く楽にしてやりたい」という自分と「もう少し一緒にいたい」という自分が交互にやってくるのだった。


今日も夜は塾。7時から10時まで、英語漬けの塾。これがまた楽しい訳で・・・・この時間は母さんのことをちょっと忘れるのである。


教師を目指す人へのメッセージ   第458弾!     合唱コンクール2

・アッピールが上手くいってよかった。歌も今までで一番よかったと思う。(丈隼)
・みんな思い切り歌えてよかったと思う。僕も力を全部だして満足できた。(恒介)
・自分なりに、精一杯歌えたと思う。(努)
・6組に勝つかが心配だったけど、悔いはないので、後は結果を待つだけだ。(舞子)
・最後の合唱祭であがらずに歌えてよかった。(理幸)
・本番も練習と同じように声が出ていてよかったと思う。クラスアッピールでは練習あまりしてないんで「ラブストーリーは突然に」の部分なんて、歌う人はあまりいないだろうと思っていたら、そうでもなかった。まあよくできたと思う。(翔)
・舞台のそでに居る時、凄くドキドキしていたけど・・・舞台に上がって、アピールをやり終えた時は既に緊張していなかった。だから、いつもの練習のどおりに指揮のめぐみを見るようにして、一生懸命歌った。(美緒)
・いい体育祭だった。満足感でいっぱいだった。(靖人)
・今まで練習してきたが成果が昨日発揮されたと思う。とてもまとまりのあるクラスだと思った。素晴らしい合唱祭だった。(悟)
・練習の時は高い音がなかなか出せなかったけど、本番の時は精一杯歌えたのでよかったです。大地讃頌も最初のうちは声が小さかったけど、段々声が出て来たのでよかった。(智亮)
・今までこんなに一生懸命やったことはなかった。でも昨日は今まで練習してきた中で最高の出来だったと思う。(尚子)
・この3年間で一番よかったと思う。学年合唱もクラス合唱も・・・・(愛梨果)

〇そして昼休み、僕らは抱き合って喜び、そして涙を流して・・・・笑った。

*読んでいたら、二中の3年2組の子ども達の笑顔が浮かんできた。僕の「一生懸命」はタイムマシーンなのだ。15歳の子ども達の笑顔が見えるから不思議である。

今日の写真1.2.3
ココアは母さんにもよくなついていました。動物好きな人って、動物からも好かれるんですね。ココアを見ていても、母さんのことを思い出してしまうから不思議です。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・


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6月22日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第173弾  2019年6月22日(土) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第173弾  2019年6月22日(土) たかやん

川掃除のお知らせ
今月6月の黒目川の川掃除は23日(日)でしたが、今回は中止にします。申し訳ありません。来月はまだ未定ですが、決まり次第連絡します。

駅立ちのお知らせ
6月の駅立ちは24日(月)からの予定でしたが、変更の可能性が出てきました。少しお待ちください。今のところ、五分五分です。

朝勉499
今日も5時過ぎから朝勉。5時50分、空の水泳の大会が川口であるので、外環を走り、久しぶりに青木町総合運動公園に向かう。懐かしい公園で空を下ろし、新座に戻ったのだった。

入稿
こんな状態で入稿もどうかと思ったが、174弾!を入稿した。石神3丁目にある印刷所にデータを渡す。これで月曜日からの駅立ちに間に合いそうである。

朝練
空は大会、そして僕はテニス。こんな時だからこそ、一生懸命生きなきゃと思う。僕らが幸せなことが、母さんの幸せだから・・・今日も宮下さんと練習をし、シングルスをやって、ダブルスをやって・・・幸せな時を過ごしたのだった。

ストレッチ10日目
いつの間にか、ストレッチも10日続いている。これで少しは怪我をしなくなるかも知れない。健康寿命を延ばす為のストレッチである。

堀之内病院
昼ご飯の後、空ママと二人で病院へ。院長先生と人工心肺をどうするか・・・相談をする。母さんは、人工心肺を嫌がっていた。父さんが最後、生かされていたのを一番間近で見ていたからだろう。「絶対に嫌」と言っていた母さんが、人工心肺を付けている。それが可哀そうでならない。
そして、母さんは人工心肺から自発呼吸に切り替わった。勿論、酸素は鼻からも口からも供給されている。人工心肺によって、無理やり呼吸することが無くなったということだ。母さんの凄いところは、最初の内は酸素濃度が下がったのだが、徐々に上がり始めたのだ。僕は少し安心して、我が家に向かったのだった。


来週から期末テストが始まる中学校があるので、夜は塾。「お母さん大丈夫なの?」「無理しないで」と子ども達も気を遣ってくれる。『大丈夫だよ。』『お袋が塾は休むなって言ってるんだ。』「そうなの?」『きっと、そう思っているから・・・』『塾が終わったら、朝まで一緒に居るから大丈夫だよ。』「うん」そして、今日も子ども達との2時間はあっという間に過ぎていったのだった。

22時半
堀之内病院に到着。兄貴と亮とバトンタッチ。また母さんと二人だけの時間がはじまる。これで母さんの隣に寝るのは3日目である。母さんは人工心肺を付けている時よりも、楽そうな表情をしている。優しい顔をしている。やはり、自発呼吸にしてよかったと思った。
明日は5時半に起きて、また空を川口に連れていく・・・

おかあさーん!
個室だから、思い切り「おかあさーん!」と呼ぶことができる。いい年をして、「おかあさーん!」って呼べるのは、お母さんが生きていてくれるからだ。いくらなんでも、死んでしまったら、大声で「おかあさーん!」とは呼べないだろう。もう少しだけ、おかあさーん!って呼ばせてね、おかあさん。

寝息
人工心肺のプシューっという音の代わりに、母さんの静かな寝息が聴こえてくる。母さんの寝息を聴きながら、僕もそろそろ眠るとしよう・・・。明日は5時半にここを出ていかないとならないのだ。

教師を目指す人へのメッセージ   第459弾!     提出物3

 期末テストが終わったばかりの学活。いろいろ考えて教室へ行くと、何やらやっている子が多い。テストが終わったばかりだというのに、数学の問題集をやっている子、社会の問題集をやっている子、そして国語ノート。『何やってんの?』「提出、明日までなの」『なんだそりゃ。』そこで黒板に締め切りが近い提出物を書き出してみた。
数学・・問題集、締め切り、今日。社会・・問題集、締め切り、今日。技術・・テスト、明日。体育・・レポート、締め切り、明日。美術・・作品、締め切り、明日。家庭科・・パンツ、締め切り、明後日。国語・・ノート2冊、締め切り、今日。社会・・新聞、締め切り、明後日。技術・・キーホルダー、締め切り、?・・・
『凄いねえ。地獄だねえ。こりゃ。』「どうしよう」『やるっきゃないか・・』「ノート忘れてきた」「俺も・・」『家に帰って取って来い!』「いいの?」『いいさ。』「怒られるよ」『大丈夫。気をつけて行ってこいよ。』悟、翔、正昭、寛、彰宣、健一の6人が次々と巣立って行った。それにしても問題集の答えを写すだけという虚しい作業を見ていると、こっちまで虚しくなってくる。『答え書き込んだら、もう使えないじゃん。』僕は問題集を使う時『答えは直接書かないこと。別の紙にやって分からなかったところをチェックして、最低三回はやるんだよ。』と言っているから、こういう光景を見ていると、勿体ないなあと思ってしまう訳で・・・900円の問題集も3回やれば2700円の価値があるのだ。そう思わない?
2日〜5日は三者面談。凄いストレスだろうなあ、子ども達。「どうしよう、終わんない」「どうしよう、できない」尚の悲鳴が聞こえる。尚子はロッカーの中に入れておいた問題集が無くなったから悲惨だ。そう言えば、くるみのハーフパンツも家庭科室から消えたっけ・・・

給食当番
余りにもみんなが忙しそうだったので『よーし、当番は俺がやる』「いえーい!!」ということになって、久しぶりに帽子を被り、白衣を着た。「何かやりますか」と手伝ってくれたのは宏佑。二人でペアになって、カレーライスをよそった。そして、翔と学も白衣を着て手伝ってくれて・・・今日は6クラスで1番で給食がスタートした。(いつもはペケ)
『暫く、俺がやってやろっか・・・?』と呟く担任であった。
〇『一生懸命』幻の学級通信 第138弾!  新座二中3年2組 1997年11月19日から

*そう、この時に初めて出会ったのです。管理的な「教育とは程遠い課題」というやっかいな奴に・・・二中の子達は本当に可哀そうでした。同じ中学生でも五中と六中の子達に「課題」はありませんでしたから・・・でも、理科はないでしょう?そうなんです。1教科でも無くすことは出来るんです。いいことは、どんどん真似してくださいね。

今日の写真1
今朝、僕の相手をしてくれた仲間達です。みんな殆ど同じ年代で(ちょっとは違うけれど)いいライバルでもあるのです。そして、お母さんを亡くした経験を話してくれて・・・僕の気持ちを楽にしてくれるのです・・・。

今日の写真2
人工心肺を外したところです。今までお世話になった人工心肺が少し寂しそうにも見えます。それでも、母さんの顔は少し穏やかになったように感じます。母さんの苦しい顔は見たくない息子です。

今日の写真3
お母さんの体調が一番分かるのが、空ママです。「いつもより体温が高い」とか「いつもより顔色がいい」とか、僕ではパッと分からないことが分かるから不思議です。脳梗塞で倒れた母さんとずっと一緒に暮らしてくれた空ママにも感謝、感謝です。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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6月23日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第174弾  2019年6月23日(日) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第174弾  2019年6月23日(日) たかやん

駅立ちのお知らせ
明日24日(月)からの駅立ちですが、まだ微妙です。今は行く気満々なのですが・・・天候と母さんの状態によって、延期の可能性もありです。両方とも良好であれば、5時〜9時でひばりが丘北口に立ちます。というか、天気図を見る限り、明日の駅立ちは延期になりそうです。母さんが明日は行くな・・・そう言っている気がします。

朝勉500
母さんの横で寝たのが1時半くらいだったか・・・夜中に何度も目が覚めて・・・4時半から少しだけ朝勉。そして、5時半過ぎ・・・空を迎えに我が家に戻ったのだった。

川口
今日も水泳の大会の空。僕が寝不足で「酷い顔」をしているという理由で、心配した空ママが助手席に乗ってくれて、川口に向かったのだった。確かに助手席で機関銃のように話されると、眠くはなくなる訳で・・・行きも帰りも、安全運転で乗り切ったのだった。

堀之内病院
母さんが1人の時間が長いと不安なので、一人で堀之内病院へ。夜中にずっといるので、看護師さんとも顔見知りになって・・・「お母さん、さっき少し血圧下がりましたが、今は安定しています」と教えて貰う。病室に入って、数値を確認すると・・・酸素濃度は少し下がっていたが、後は安定していて、ホッとしたのだった。
 そして、母さんの傍に暫くいて・・・・我が家に向かったのだった。


今日の塾は13時から・・・。母さんの状態を見て、その時間なら、多分大丈夫だろう・・・といういい加減な判断だったのだが・・・・子ども達は今日も集中して頑張ってくれた訳で・・・やった甲斐があったのだった。

空腹時血糖値
このところ、アルコールを全く飲んでないせいか、食前血糖値の値がいい感じである。105、108、110・・・

ストレッチ11日目
今日で開脚ストレッチも11日。そろそろ習慣になってきたかも知れない。いい感じである。

堀之内病院2
今日3回目の堀之内病院。空ママと二人で行くと、兄貴が来ていた。そして、暫くして兄貴が買い物に行くと・・・珍しく千葉の上の兄貴も来て、そこに長男の亮が来て・・・母さんからすれば、最高の舞台だった筈だが・・・母さんは今日も踏ん張り・・・僕らは兄貴を駅に送り、同時に空を迎えに行って・・・一日が堀之内病院ではじまり、堀之内病院で終わる感じである。

看護師さん
今日の担当も優しい看護師さんだった。母さんを着替えさせた時に、「背中にも水が溜まってて、可哀そうでした。」そう言って、悲しい目をしてくれた。人生の最後に、そういう人達に世話をして貰って・・・母さんは本当に幸せだと思う。勿論、それを見ている僕も・・・・

教師を目指す人へのメッセージ   第460弾!   ボール生きます!

返信その1
練習時間が長すぎると思います。集中してやれば、もっと短くしてもいいのでは。(大庭)

*本当にその通りです。私ももう若くはないので、休みたいと思うことが多いです。日曜、休日の無い人生は10年以上・・・バカですよね。日曜日、朝から晩までやって、日当は500円。8時間で計算すると時給は62.5円。あ〜あ、アホくさあ。でも、この子とももう1試合、この子とももう1試合とやるうちに日が暮れてしまう。その連続です。チームをいくつかに分ければ可能だし、有能な上級生が育ってくれれば可能ですが、教える人間が1人だけではちょっと苦しいですね。

その2
いつもお世話になっています。今、テニスに夢中になっています。勉強の方は今一つ・・・ですが。今は朝早く自分で起きて、一生懸命テニスに通う姿は我が子ながら感心しています。
(並木)
*何かに夢中になっている人間っていい顔していますよね。勉強もその内、夢中になりますよ。

ジュニアの時代
僕が硬式テニスをはじめたのは16歳の春。1年365日練習して、苦しいtrainingに耐えて、都の6位までいったけど、中学時代からやっていた子には勝てなかった。例外はあるかも知れないけれど、やっぱり小さいうちからやっていた方がどうやらいいらしい。
六中でも増田、半田、久松、玉木といった子達が小学生の頃から六中の練習に参加して、今の高1の子達に随分可愛いがらていたが、その子達が今度は可愛いがる方になっているのだから、時間が経つのは早い。

今、六中の練習に参加している小学生は島こころちゃん(小6)一人。時々、高邑亮(小2)が来るが、あいつはまだお味噌。少し寂しい気がする。出来たら小学生教室を毎週日曜日にやれたらと思うのだが、人数があまり沢山来過ぎても大変だし・・結局、口コミでということになる。あと男子4人、女子3人は欲しいところです。

僕もいつまでの六中に居られる訳ではないから、テニスをやりたい子がいたら、小学生だろうが、他の中学生だろうが、高校生だろうが、教えたいのである。
昔、松岡修造を育てた飯田藍先生に、五中(六中)の子ども達は随分教えて貰った。僕自身も何度も無料で教えて貰った。沢山の子達にテニスを教えること。それが愛先生への恩返しだと思っている。
『ボール生きます!』幻の庭球部通信 第3弾!  新座六中 1991年から・・・・

*部活通信も出していたんですねえ。すっかり忘れていました。読んでいて、六中と慶応普通部で対抗戦をしていたりしたことも思い出しました。試合結果には懐かしい名前が沢山出てきて・・・子ども達と僕との試合結果も出てきて・・・若い頃の自分を思い出しました。生意気だったけど、部通信の内容が一方通行でなくてよかったと思います。この時、出てきた二人の子達は二人とも「立派」な社会人になりました。社会に出ると、我武者羅に練習をしたことが生きるのかも知れませんね。確かに練習のやり過ぎだったことは間違いないのですが・・・・。

天気予報
天気図を見ても、天気予報を見ても明日の雨の確率は高そうです。朝の4時の段階で雨だったら・・・明日のひばりが丘は来週7月1日(月)に延期したいと思います。

今日の写真1
僕が二十台の頃の写真です。兄貴が持ってきてくれました。母さんがふっくらとしています。僕はこの笑顔にずっと育てられていたのです。

今日の写真2.3
ちょっと前の写真なのですが・・・・いい笑顔です。もうこの笑顔を見ることはできないし、母さんの優しい声を聞くこともできません。それでも、母さんの愛は僕の心で生き続けているし、僕の子ども達の心の中で生き続けるのだと思います。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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6月24日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第175弾  2019年6月24日(月) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第175弾  2019年6月24日(月) たかやん

駅立ちのお知らせ
6月の駅立ちは本日24日(月)からの予定でしたが、雨の為に延期しました。明日25日(火)は東久留米東口で5時半〜8時半の予定です。変更の可能性ありです。

朝勉501
川口からの帰り道。生で「英会話」を聞いた。今日の朝勉はそれだけ。15分間だけの朝勉になったのだった。

7時
堀之内病院で母さんの状態を確認する。酸素濃度も血圧も安定していたので、安心して家に戻ったのだった。

9時半
再び堀之内病院へ。母さんの呼吸が荒い。摂取できている酸素濃度が低くなってきたので、濃度を上げて貰う。

自発呼吸
母さんの息遣いは激しくなっている。6月24日(月)午前11時15分現在、脈拍76、最高血圧78、最低血圧31・・・と下がってきた。人工心肺を外して2日目、自発呼吸に切り替え、頑張る母さんに、看護師さん達からも「生命力ですね」と驚きの声が上がっている。ずっと自慢の母さんだったけど、最後の最後までやっぱり凄い人だ。

母さんの背中
僕の一番昔の記憶は・・・猛おじちゃんに怒られて、泣いていたら、おじちゃんに「泣くな」と怒られて・・・もっと泣いて・・・そんな僕を母さんが負ぶって、「大丈夫」「大丈夫」と裏にあったプラタナスの木の下で言ってくれたこと。母さんに負ぶさりながら、僕はこの人に守られているんだ・・・そう思った記憶がある。何をやっても母さんだけは僕の味方でいてくれる・・・そう思って安心した自分いた。

末っ子の特権で、僕は最後まで母さんと一緒に寝ていたと思う。といっても、小学校の低学年だとは思うが・・・お風呂にも3年生くらいまでは一緒に入っていた。父さんと入ると、髪の毛の洗い方が雑で、母さんだと優しかったので、母さんと入る方が好きだった。

そんな母さんだったが、母さんの財布から50円を盗んで、お菓子を買って・・・それが何故かバレた時は怖かった。物差しかなんかで、思い切り叩かれた記憶がある。お母さんの財布から、お金を盗ったらいけない!そう身に染みたのだった。


夕方
院長先生が来てくれた。『どれくらい持ちますか?』と聞くと「1日・・・・」。94年以上生きてきた母さんの命があと1日で消えてしまう・・・。はやく楽になって欲しいという思いと、まだ逝かないで欲しいという気持ちが交互にあらわれて・・・・


夜は塾。母さんはきっと塾の時間は頑張ってくれるはずだと信じて、3時間、子ども達と向き合う。「ねえ、2011年に起きた地震って関東大震災だよね?」と聞く中学生。『あのねえ・・・それは東日本大震災でしょうが!!』
塾の途中で携帯が鳴った。兄貴からの電話だった。「急げ」「早く来い」という電話だったのだが、授業を続けた。子ども達を放り出して、駆けつけて欲しいとは、母さんは絶対に思ってないから・・・・子ども達も「行けば」「終わりにしていいよ」と言っていたが、『いいんだ。きっちりやるぞ!明日もちゃんとやるからな!』「・・・・・」

母の温もり
僕が母さんに会ったのは10時半をかなり回った頃だった。母さんはもう息をしていなかった。でも、母さんの顔を両手で鋏んで、オデコとおでこをがっちんこすると・・・母さんの温もりが伝わってきた。そして、僕は母さんの耳元で母さんに囁いた。『お母さん、遅くなってごめんね。』『お母さん、よく頑張ったね。』『おかあさん、ありがとうね。』『お母さん!!』長女と長男が見ていたので、小さな声で、僕は母さんにお別れをしたのだった。

打ち合わせ
東上セレモニーの車が迎えに来て、僕らは堀之内病院の方達にお礼を言って、東上セレモニーに向かった。そこで、お通夜と告別式の日程を決め、火葬場を決め・・・更に詳しい打ち合わせを明日の午前中にすることを決めて、家に戻ったのだった。

真夜中の会話
空は寝てしまったが、空ママと二人で母さんの話をした。「畑中の家で、パリパリ蕎麦の作り方教えて貰ったんだ」と空ママ。我が家に来た当時、母さんはよく料理を作っていた。

ストレッチ12日目
母さんがいない世界での初めてのストレッチになった。こんな時でも習慣になっていると、出来る訳で・・・・


教師を目指す人へのメッセージ   第461弾!   母の教え

母さんから友達のことで怒られたことはありません。どの家の子と遊んでも大丈夫。近くの朝鮮人部落の子と仲良くなって、遊びに行っても、その子が遊びに来ても、全然平気でした。朝鮮人の「バタ屋」のおじさんから「甘食」を貰った時も、「ありがとうございます」って言って、食べさせてくれました。そういう背中を見て育ったから、僕には国籍による偏見が全くありません。どの国にもいい人と悪い人がいる・・・そう教わったのです。

僕は百人町では名の知れた悪だったので、母さんはとても苦労していたと思います。ただ、高い木に登って、遊んでいたときに・・・PTAのおばちゃんたちが「あんな高い所に登ったら危険です。」「辞めさせてください」と我が家に抗議した時、「子どもは木から落ちません」そう言って、僕の木登りを笑って見ていてくれたのです。きっと、自分自身もお転婆で、木登りが大好きだったからでしょう。それで、高い所に滅法強い子が出来上がったのだと思います。

母さんには絵の才能がありました。小学校の時の通知表が「全甲」なのだから、字も上手、絵も上手、音楽も出来て、体育は最高だったのでしょう。僕が残念に思うのは、母さんのその「才能」を受け継いでないということです。僕が母さんから受け継いだのは「運脳能力」と「音楽のセンス」だけで、あとは全くの不器用な少年でした。母さんのDNAをもう少し受け継いでいたら・・・もう少しまともな大人になっていたかも知れません。

ただ、「弱い者苛めをしない」「小さくても、生き物を殺さない」という心は、モロに受け継ぎました。理科の教師でしたから、解剖で多くの蛙達を殺しましたが、解剖の後は「頂きます」と食べることにしていたのも、母さんの影響だと思います。勿論、「弱い者苛め」だけはしたことがありません。小さい頃から、誰かを「虐め」たり「ハブる」ことはしたことがないのです。仮に自分が「ハブられ」ても・・・・僕をハブった子が「遊ぼ」「入れて」と言ってくれば、断ったことがないのです。それが僕の子どもの頃からの生き方でした。

母さんは、西戸山小学校のママさんバレ―チームに入り、活躍していました。全国大会にも出たことがあり、「最高齢の選手」として、新聞に載ったこともあります。同時にPTAでも子ども達の為に、ピアノの先生を呼んで「オルガン教室」を作ったり、講師を読んで、お母さん達の勉強会(婦人学級)を開催したりしていました。そして、テレビ局に呼ばれ、田中角栄と対談をしたのです。田中角栄幹事長と一緒にブラウン管に写る母さんを見て、誇らしかったのを覚えています。

母が亡くなって・・・母の教えをいくつか思い出してみました。
〇生き物を殺さない。
〇ごみを捨てない。
〇弱い者苛めをしない。
〇人を家柄や学歴で見ない。
〇人を外見(服装)で見ない。
〇人を国籍で見ない。
〇学べることは幸せなことだと意識する。
〇自分の人生は自分で決める
〇食べ物を大切にする。
〇絶対に戦争はしない。
〇職業に貴賤は無いことを意識せよ。
〇どうせやらなきゃならないことは、自分から進んでやる。

今日の写真1.2.3
すべて、2年前の母さんとの写真です。92歳ということです。今日、気がついたことがあります。近所で歩いているおばあちゃんを見つけると、温かい気持ちになる自分がいるのです。自分の足で歩いているおばあちゃん。カートを押しているおばあちゃん。みんな可愛く見えて、抱きしめたくなります。お母さんが居ない世界の第1日目が終わりました。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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6月25日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第176弾  2019年6月25日(火) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第176弾  2019年6月25日(火) たかやん

駅立ちのお知らせ
6月の駅立ちは本日25日(火)東久留米東口で5時半〜8時半の予定でしたが、延期しました。今週の駅立ちは、来週に延期したいと思います。

朝勉502
2時間くらいしか寝ていない、ボーっとした頭で「英会話」をやる。しかし、何をやっても頭に入らず・・・とほほほほ。情けないなあ。

東久留米
本当なら立っている場所に、空を送っていく。駅立ちは誰もしていなかった。
家に戻って、朝ごはん。ダッシュで総合運動公園に向かう。中三の娘が800Ⅿに出るのだ。娘が必死に走る姿をカメラに収めて、東上セレモニーに向かったのだった。

打ち合わせ
東上セレモニーでお通夜と告別式の打ち合わせをした。内容によって、余りにも値段が違うのに驚いた。贅沢なものは御免だし、かと言って、母さんの最初で最後の葬儀である。みすぼらしいものにはしたくない訳で・・・。悩みに悩みながら、色々と話を詰めていったのだった。

市役所
それから市役所に行き、死亡届を出して、火葬許可証を貰ってきた。命が1つ消えるということは本当に大変なことなんだなあ・・・


ノンアルコールで疲れを癒して・・・再び、陸上競技場へ。今度は1500mのレースの応援に・・やはり、五中のウニフォームを見ると、熱が入る訳で・・・・撮影しながら、大声で応援したのだった。

ストレッチ13日目
母さんがいない世界でもストレッチは出来る訳で・・・・。いい習慣は大事にしたいとねえ。

教師を目指す人へのメッセージ   第461弾!   母の教え

母さんから友達のことで怒られたことはありません。どの家の子と遊んでも大丈夫。近くの朝鮮人部落の子と仲良くなって、遊びに行っても、その子が遊びに来ても、全然平気でした。朝鮮人の「バタ屋」のおじさんから「甘食」を貰った時も、「ありがとうございます」って言って、食べさせてくれました。そういう背中を見て育ったから、僕には国籍による偏見が全くありません。どの国にもいい人と悪い人がいる・・・そう教わったのです。

僕は百人町では名の知れた悪ガキだったので、母さんはとても苦労していたと思います。高い木に登って、遊んでいたときに・・・PTAのおばちゃんたちが「あんな高い所に登ったら危険です。」「辞めさせてください」と我が家に抗議した時、「子どもは木から落ちません」そう言って、僕の木登りを笑って見ていた母でした。きっと、自分自身もお転婆で、木登りが大好きだったからでしょう。それで、高い所に滅法強い子が出来上がったのだと思います。

母さんには絵の才能がありました。小学校の時の通知表が「全甲」(今でいうオール5かな)なのだから、字も上手、絵も上手、音楽も出来て、体育は最高だったのでしょう。僕が残念に思うのは、母さんのその「才能」を受け継いでないということです。僕が母さんから受け継いだのは「運脳能力」と「音楽のセンス」だけで、あとは全くの不器用な少年でした。母さんのDNAをもう少し受け継いでいたら・・・もう少しまともな大人になっていたかも知れません。

ただ、「弱い者苛めをしない」「小さくても、生き物を殺さない」という心は、モロに受け継ぎました。理科の教師でしたから、解剖で多くの蛙達を殺しましたが、解剖の後は「頂きます」と食べることにしていたのも、母さんの影響だと思います。勿論、「弱い者苛め」だけはしたことがありません。小さい頃から、誰かを「虐め」たり「ハブる」ことはしたことがないのです。仮に自分が「ハブられ」ても・・・・僕をハブった子が「遊ぼ」「入れて」と言ってくれば、断ったことがないのです。それが僕の子どもの頃からの生き方でした。

母さんは、西戸山小学校のママさんバレ―チームに入り、活躍していました。全国大会にも出たことがあり、「最高齢の選手」として、新聞に載ったこともあります。同時にPTAでも子ども達の為に、ピアノの先生を呼んで「オルガン教室」を作ったり、講師を読んで、お母さん達の勉強会(婦人学級)を開催したりしていました。そして、テレビ局に呼ばれ、田中角栄と対談をしたのです。田中角栄幹事長と一緒にブラウン管に写る母さんを見て、誇らしかったのを覚えています。

母が亡くなって・・・母の教えをいくつか思い出してみました。
〇生き物を殺さない。
〇ごみを捨てない。
〇弱い者苛めをしない。
〇人を家柄や学歴で見ない。
〇人を外見(服装)で見ない。
〇人を国籍で見ない。
〇学べることは幸せなことだと常に意識する。
〇自分の人生は自分で決める
〇食べ物を大切にする。
〇絶対に戦争はしない。
〇職業に貴賤は無いことを意識せよ。
〇どうせやらなきゃならないことは、自分から進んでやる。
僕が子ども達に教えてきた、全ての元は「母の教え」にあるような気がします。

今日の写真1.2.3
すべて、2年前の母さんとの写真です。92歳の時の母ということです。今日、気がついたことがあります。近所で歩いているおばあちゃんを見つけると、温かい気持ちになる自分がいるのです。自分の足で歩いているおばあちゃん。カートを押しているおばあちゃん。みんな可愛く見えて、抱きしめたくなります。お母さんが居ない世界の第1日目がこうして始まりました。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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6月26日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第177弾  2019年6月26日(水) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第177弾  2019年6月26日(水) たかやん

駅立ちのお知らせ
6月の駅立ちは本日26日(水)保谷駅北口で5時半〜8時半の予定でしたが、延期します。今週の駅立ちは、全て来週以降に延期したいと思います。

母の葬儀のお知らせ
式場 東上セレモニーホール新座
住所 新座市野火止7−3−32
電話 048 483 7350
お通夜 6月28日(金)18時〜
告別式 6月29日(土)11時30分〜
*母のことをよく知っている、近親者のみで行います。

朝勉503
今朝も勿論、英会話。英語しかできないのかねえ・・・。弱ったなあ。頭を使う気にならないあたし。

東久留米
7時過ぎ。いつもより早めに空を東久留米に送る。階段を駆け上がる空の後ろ姿に「がんばれーっ!」と声を掛けたのだった。

日米安保
トランプが「日米安保破棄」に言及したらしい。それも米国に不平等だと言う。結構なことである。アメリカに不平等だと言うのなら破棄すればいい。日本は万々歳である。日本はやっと独立できる。アメリカの軍用機が日本の空を自由に飛び回ることがなくなり、沖縄は勿論、日本全国の米軍基地が国有地になれば、どれだけ有効活用ができるだろう。アメリカにくれてやる防衛費を日本の自衛隊の為に使えばいいのだ。自衛隊は本当の意味での自衛隊になり、我々の防衛意識も高まるに違いない。中国人に我々の土地を「爆買い」されても平気ではいられなくなるはずだ。TPPやFTAで国民が失うものが大きすぎることにも気がつくだろう。中国・ロシア・韓国・北朝鮮に対する外交も、安倍晋三では全く駄目だということを国民は知ることになるだろう。日米安保を破棄したいとアメリカの大統領が言ってくれているのだ。こんなチャンスは滅多にないぞ。日米安保条約を破棄すれば、日米地位協定は自動的に破棄される。日本の未来は明るいぞ!米軍と戦い、本土で沖縄で南方で日本の為に命を捨てた若者たちの魂も、やっと鎮まることだろう。

ストレッチ14日目
開脚ストレッチをはじめてから2週間経った。明日からは別のストレッチが増える。少しずつ開脚への道が開けている気がする。気がするだけだけどね・・・。

遺影
母さんの遺影をどうするか・・10年間くらいの写真から見つけようとしていたら・・・写真の数が膨大であることに気がついた。チェックした写真の数は・・多分1万以上。1日以上かけて、目が霞むくらい、写真を探したのだった。

写真
懐かしい写真が山ほど出てきた。嵒とのツーショットもあった。空達が小1の頃の可愛い、可愛い写真だけで数百枚は出てきた。母さんのお陰で、懐かしい人たちに出会えたのだった。

教師を目指す人へのメッセージ   第462弾!  キャッチボール

 返信3
いつもありがとうございます。一にテニス、二にテニス、三にテニスの毎日。どうしてこんなに熱心になれるのか、ただただ感心するのみです。よーく聞いてみると、サッカー、手つなぎ鬼、大縄跳びと楽しいことが沢山あるとか・・・。昨年より、外に働きにでるようになり、練習試合も休日以外は見に行けないのが残念です。これからもよろしくお願いします。(中田)
*私もテニスに燃えてみたいですね。もう一度。3年生の担任ですから、仕事は山のようにありますし、楽しい授業もやらないかんし、学級通信は毎日書くことになっているし、クラスの子との将棋もせんならんし・・でも、やることやって、テニスをやると、これがまた楽しい訳で・・・お休みの日、是非いらしてください。先日の練習試合では、斎藤さんご夫妻、道下さん御一家、伊藤さんも御一家で見に来られて、とても嬉しかったです。半田さんは毎日曜日、お弁当を届けるついでに1時間くらいは見ていかれます。もう4年もです。ありがたいことです。

いつもお世話になります。良治の方はのんびり屋で自分のペースでしか動かないので、もう近頃は私も何も言いません。言っても動じないからです。寝る時間もとても遅いのですが、かえっていいのかなとも思っています。こんな生徒で先生もきっと大変なことだと思います。どうぞ、よろしくお願い致します。*先生自筆の「ボールいきます!」に宏治の方が感激していました。(浅沼)
*兄弟って違うんですよねえ。勿論、似ているところもたくさんあるけれども、全然違う。性格もテニスのプレースタイルも・・・将棋は良治の方がちょっと強いかな。

子どもが大変お世話になっております。本人は毎日頑張ってテニスをしております。どうぞよろしくお願い致します。(沢野)
*テニスのセンスはいいですよ。あと5キロ痩せたら言うことなしです。私も5キロ減らしたいと思っていますので、今日から早速みんなを道連れにして、ランニングをはじめましょう。毎日3キロ走れば、3か月後には5キロ減。ふふふ、楽しみです。

つぶやき
このところ、朝練の申し込みがない。やる気がないのか、嫌われちゃったのか・・・春は直ぐそこ。練習の結果は直ぐには出ないぞ。
1981年   2月7日 新座第六中学校 幻の庭球部通信から

学級通信も部通信もみんなでキャッチボールができるといいですよ。信頼関係はちょっとしたキャッチボールで生まれるのです。

  
今日の写真1.2.3
遺影候補1番から順番に並べてみました。どういう訳だか、紀とのツーショットの笑顔が一番に見えるんですよねえ。2番目はひ孫とのツーショット。3番目は僕とのツーショットで・・・背景もいいのですが・・・明日の午後4時に決まります。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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6月27日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第178弾  2019年6月27日(木) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第178弾  2019年6月27日(木) たかやん

駅立ちのお知らせ
本日27日(木)は新座駅南口で、明日28日(金)は志木駅南口で5時半〜8時半の予定でしたが、来週以降に延期します。

朝勉504
今朝も英会話だけ。それも余り頭に入って来ず・・・弱ったねえ。

東久留米
7時過ぎ。今日も駅立ちをせずに、空を駅に送る自分がいる。昨夜の写真の捜索で寝不足である。お袋の葬儀が無事に終わるまでは無理だよねえ。


前から昭と練習する約束をしていたので、この日を選んで練習をすることに。東久留米に迎えに行くと久しぶりの昭の笑顔が近づいてきた。大学時代はライバルだったのだが、今ではダブルスのパートナーである。練習の途中で昭に母さんのことがバレてしまい・・・「お前そんな大変な時に俺と練習なんかしていいのか」と昭。『いや、塾も普通にやっているし、母さんは俺が元気にやっている方が喜ぶに決まっているから・・・』と言うと、「94歳かあ、立派だなあ」と昭に言われて、気が楽になった。僕らの世代の母親、父親は戦争を体験している世代。生きていれば90歳前後なのである。お母さんが生きている仲間たちの方が少ない訳で・・・母親を亡くした先輩達から、心構えを教えて貰うことが多い訳で・・・。
さて、試合の方はボロボロだった。寝不足で足が動かなく・・・昭の調子はなかなかのもので・・・明日、誕生日の昭に、3セットもプレゼントしてしまったのだった。とほほほほ。

ストレッチ15日目
開脚ストレッチをはじめてから2週間。新しいストレッチがきつい。痛いのである。

16時
東上セレモニーで最終打ち合わせがはじまった。次男と三男の僕の二人で、色々なことを決めなくてはいけない。母さんは派手な葬儀は望んでなかったけれど、みすぼらしいのは可哀そうだし・・・色々と悩むのである。


夜は塾。期末テスト真っ最中の中学生達が集合してきて、超満員になった。今日も色々と笑わせてくれたが、「1972年に田中角栄が中国に行って実現した声明はなにか」という質問に「第一生命」と真顔で答えた子がいたのには、笑った。

教師を目指す人へのメッセージ   第463弾!   頑固おやじ
返信5
部活中心の生活で練習がないと家で何をしたらいいか分からず、ボケーっとしている娘です。する事、言う事、考える事が全て乱暴になり、これも余裕がないと考える父親と衝突してしまいました。現在、父に遠慮しながら、好きな部活にいっているようです。「上手になりたい。」「強くなりたい」「試合に勝ちたい」と言いながらも、テニスに全面的に打ち込めない状況にあり、あとは本人が父親を納得させる程に心を磨かなければいけないようです。これだけ打ち込めるものがある中学時代は羨ましいと思っている母親です。テニスが大好きで楽しいという娘にほっとしています。1年間で随分上手くなりました。(大岡)

*頑固おやじ大好きです。それぞれの家庭のやり方があっていいと思います。学校なんかに合わせる必要はないのです。朝練にしたって、午後練にしたって、各家庭の「ここまで」があっていいと思います。みんなと同じである必要はありません。
〇ここに出て来る女の子はその後、小学校の先生になりました。東久留米で立っていると、素敵な笑顔で登場してくれます。一度、彼女の授業を見てみたいですね。

返信6
いつもお世話様です。1月27日、寒い一日でしたが、対慶應戦に皆さん一生懸命でした。親子とも恥ずかしがり屋が手伝って、応援しにくいものですが、上手に試合をしている子どもを見て、感心しました。他の方もお誘いすれば良かったと反省しています。
*お茶がとても美味しかったです。ありがとうございました。(道下)
〇この男の子は高校で単複埼玉チャンピョンになりました。僕が行きたかった、インターハイ、国体に行ってくれました。今は埼玉県警で立派にやっています。テニス一緒にやってみたいなあ・・・。

昨日は久しぶりに充実した一日だった。朝練に燃え、授業をやり、学級通信を書いて、高校訪問をして、午後練に気合を入れて、卒業生の一久と9時まで練習し、一久の家で1時まで話し込み、2時に帰って来て、手紙を書いて、英会話やって、詰め将棋を10題解いて、ワインを飲んで寝たのが3時。いやあ、久々に充実してたわ。心がとても爽やか。
〇なんちゅう生活をしていたんだろう・・・すっかり忘れていました。でも、気分よく書いていることは伝わってきます。今から28年前。37歳の頃の私です。
若いみなさんも、爽やかにいきましょう!!

  
今日の写真1
僕は選挙の最終日、いつもひばりが丘の三吉自動車前で最後の演説をするのですが、いつも聞きに来てくれました。来年の2月は母さんがいない初めての選挙になります。隣に写っているのは川口の藤田貢です。

今日の写真2
六中テニス部の部長で「たかやん塾」の考え方を受け継ぎながら、九州で塾をやっている航が帰ってきた時も、母さんは笑顔で歓迎してくれました。

今日の写真3
直ぐ上の兄達矢です。サニーライフでも病院でも、一番母さんの傍に居てくれました。小さい頃はおっかないお兄ちゃんでしたが、本当に頼りになるお兄ちゃんです。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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6月28日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第179弾  2019年6月28日(金) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第179弾  2019年6月28日(金) たかやん

朝勉505
今朝は経済と英会話。短い時間だが、集中してやった訳で・・・・

東久留米
7時過ぎ。空を東久留米に送る。東口駅前では共産党の永田まさ子市議が演説をしていた。いつもは火曜日なので、「参議院選挙」がはじまっているのだと思った。

無期限謹慎
反社会的勢力と闇営業をしたとして、お笑い芸人達が「無期限謹慎」という処分を受けている。それなら「消費税」やら「TPP」やら「規制緩和」やら「働き方改革」やら「移民受け入れ」やらで反国民的政策を行い続けている、安倍自民にも「無期限謹慎」といきたいところである。


喪主
生まれて初めて喪主になった。三人兄弟の末っ子なのに・・・・。「朋矢がいい」ということになって、喪主になった。「喪主様」「喪主様」とあちこりで呼ばれて、サインをしたり、注文したものの確認をしたり・・・・お寺のお坊さんに挨拶をしたり・・・そして、駆けつけてくれた教え子達と「受付」の打ち合わせをしたり・・・・色んな人と挨拶をして・・・
とうとう、母さんのお通夜がはじまった。

笑顔
僕が撮った写真がいっぱい飾って。あった。どれも笑顔一杯の写真で・・・とっても温かい気持ちになった。そして、花いっぱいの祭壇が・・・

住職
富山県から来てくれた関口さんに喪主としてご挨拶した。母さんのことをよくしっているお坊さんで、舟見の家の子ともよく知っている関口さんと話をしていたら、心がほんわかした気持ちになった。

納棺式
髪が洗われているとき、母さんはとっても気持ちよさそうにしているように見えた。それだけ穏やかな顔だったということだ。丁寧に母さんの顔に薄化粧をしている方達を見ていると、サニーライフでも堀之内病院でも「高邑さんは大人気なんですよ」と言われていたことを思い出した。母さんは最後までみんなから愛されて幸せだったと思う。

市長
「近親者のみの会葬」だったのだが、一番最初に駆けつけてくれたのは市長の並木傑さんだった。傑さんは母さんに会っているのだ。そして、副市長の山崎さん、語る会の俊さんも来てくれて、凄く嬉しかった。

金髪
五中4期生の昭弘とあっちゃんが受付をしてくれた。そこに金髪の美佐緒が登場して、3人での受付に・・・美佐緒は関西のある高校の体育の先生で、それを空に言うと、かなりうけていた。現役の高校生と現役の高校の先生は笑顔でツーショットの写真を撮ったのだった。

お通夜
そしてお通夜がはじまった。僕とひとみと空が前列に座り、僕の後ろに亮と雪という面白い座り方になった。お通夜がはじまった。お寺のお坊さんのお経を聞いていたら、少し悲しくなってきたが、母さんの笑顔を見ていたら、とてもお通夜の気分ではなく・・・従弟の正樹ちゃんの髪型が「内田裕也に似ている」と思ってしまってからは、笑いを堪えるのが大変だった。


その瞬間は突然やってきた。金子先生、久仁代さん、カサジ、陽子、大輔・・・そして大佑の姿を見つけ、ちょっと危なかったのだが・・・・五中8期生の快治母さんを見つめる顔を見て、その後ろに紀の姿を見た時、涙が溢れだした。隣のひとみもすすり泣き、その隣の空も・・・・

空の涙
お通夜が終わって、ふと空を見ると、泣きはらした目をしていて・・・それを見ているだけで、胸が一杯になった。「お母さん、雪にも亮にも、そして空にも愛されてよかったね。」
僕はそう呟いたのだった。

真優の涙
式場に上がって来られなかったのが真優。母さんのところに何度も一緒に行っていたので、逆に会えなかったのだろう。僕は駐車場まで降りて行って、思い切り真優を抱きしめたのだった。真優の涙もきっと母さんに届いているだろう。

法の涙
突然、法子が目の前に現れてビックリした。法子は太陽と同じ、「たかやん塾」の一期生である。その法子が僕の顔を見るなり、オイオイ泣き始めて・・・僕は法子を思い切り、抱きしめたのだった。

直子と久美子
賢一、道哉、正美、賢二、いのけん、美香・・・五中4期生の子達が続々と来る中、直子と久美子が最後に登場。親族控室に来てくれて・・・何と23時前まで一緒に居てくれた。久美子が高1の時に、「毎日八石荘に行ったよね」『え?そうだったっけ?あゆみのところ?』「そう」「あたしは行ってないよ」と直子。『なんで高1の久美子と俺が毎日一緒にいた訳?』「あたし達テニスやってたでしょ」そう言えば、久美子と直子は高1の時、五中テニス部に入っていたんだった。そんな馬鹿な・・・でも、本当の話で・・・直子と久美子のテニスのフォームを思い出したのだった。ある時期、一緒にいると・・・「親族」になるのよねえ。二人は最後まで兄貴達やおじちゃんの話し相手になってくれたのだった。

控室
実はこの控室、前にも来たことがある。実に豪華な控室である。部屋が4部屋あって、綺麗なバストイレがついていて・・・10人以上は楽に泊まれる・・・そんな控室に来たのは「嵒」の葬儀の時だった。僕は嵒の隣に寝て・・・次の日の告別式で甲神家に弔辞を任されたのだった。今の時間は夜中の2時・・・少し寝るかな・・・


教師を目指す人へのメッセージ   第464弾!   ノート勉強法

返信7
芙美子がいつもお世話様です。兎に角、毎日が勉強そっちのけのテニス一筋。部活に入部したての頃は、親は色々と面くらいました。今は本人任せ。テニスの素質はないけれど、部活の先生や仲間に恵まれ、テニスに励んでいるので、何よりも幸せ・・・と感謝しています。どうぞよろしくお願いいたします。
*素質がなければ、もうとっくに1年生に抜かれていると思います。テニスの素質は体力や運動能力だけではありません。忍耐力や集中力といった精神力も素質なのです。

返信8
いつもお世話になっています。毎回、部通信楽しみにしています。名指しでの一言は、とても本人の励みになると思います。部活内での色々なエピソード等もたくさん載せて頂きたいと思います。毎回の試合結果も楽しく拝見しています。今年の「ボールいきます!」には高邑先生の敗戦特報が載るのではないかと期待しています。みんな頑張ってください。(島)
*私は女の子に一度だけ負けたことがあります。高二の時でしたから、教えてから5年目でした。スコアーは5−7。マッチポイントを取られたことも一度だけあります。中村純子19歳。中三の時でしたから、教えて3年目。島茜がいつ私を倒すか、今から楽しみです。今まで全中のチャンピョンや県の高校NO1には負けてませんから、私に勝てば全国クラスです。頑張ってください。期待しています。

ノート勉強法
塾に行く暇も金も無く、それでも勉強だけはしっかりやりたいあなたへ。
一日5分〜10分で出来る勉強法を教えます。
まず、授業に徹底的に集中します。分からなければ手を挙げて質問することは言うまでもありません。テニスで言えば、アプローチショットを打ち、ネットへ出る勇気と同じです。その時習ったことは、その時に覚えてしまうくらいの目で授業に集中します。テニスで言うと、常にボールを見続ける目です。そして、家にノートだけは必ず持って帰ります。(教科書はいらない)寝る前、枕元にノートを置き、目を閉じて、今日一日習ったことを思い出します。(あれ、何だっけ)と思ったら、ノートを見ます。見て確認したら眠ります。たったそれだけのことですが、お風呂の中で思い出したり、朝、起きた時にもう一度やれば、パワーは倍増します。本当にこれだけのことを毎日続ければ、定期テストは勿論、学力テストも授業もバッチリです。私自身、この方法で偏差値が40〜75に・・・30以上上がりました。この勉強法をはじめたのは中二の時でした。

*これも六中テニス部の「ボールいきます!」です。テニスと勉強と両立させた子達も沢山いました。ノート勉のお陰かな・・と思っています。


今日の写真1
母さんの笑顔一杯の写真です。全て僕が撮った写真です。

今日の写真2
その写真の前でピースをする喪主です。お通夜でピース・・・ありえなーい!でも、母さんは喜んでいる筈です。駆けつけてくれた姉のヒロミと子ども達、そして法子です。

今日の写真3
受付けをしてくれた、五中4期生の昭弘、あっこ、美佐緒、道哉です。感謝、感謝です。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・


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6月29日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第180弾  2019年6月29日(土) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第180弾  2019年6月29日(土) たかやん

朝勉506
6時過ぎ・・・目が覚めて、「経済」のお勉強。場所は親族控室、みんながまだ寝ている間の朝勉である。

お風呂
控室には超豪華なお風呂があって・・・僕は頭をバリカンで刈って、髭を剃って・・・お風呂に入った。何だか立派なホテルに泊まっているような、そんな錯覚におちいったのだった。

朝ごはん
近くの星野コーヒーまで歩いて行った。猛おじちゃんと玲子おばちゃんと兄達矢と長男亮の5人である。僕はコーヒーとトーストのモーニングサービスを選択したのだった。

10時過ぎ
富山の法福寺から来てくれた、関口住職が「引導を渡す」儀式をしてくれました。兄達矢と二人だけで見守りました。

喪主2
喪主は忙しい。係の人は兎に角「喪主様」「喪主様」と言ってくる訳で・・・「あだ名を喪主様にしよう」という兄貴。勝手にしてくれい!!

猛彦と友和
昨夜は五中1期生の猛彦と友和も来てくれた。僕と8歳しか違わない教え子達である。友和は「365日の内、360日は先生の家にいたんだ」と言っていたが、友和も猛彦も、本当に我が家に居る時間が長かった。そして、母さんのことも父さんのことも知っている子達である。15歳の子達がもう57歳になるのだ。母さんが94歳になる訳である。

宏美と真由美
告別式には五中4期生の宏美と真由美も来てくれた。2年持ち上がった子達は本当に近い存在な訳で・・・有難かった訳で・・・担任は幸せである。

喪主の挨拶
議会と同じで、勿論、原稿などはない。ただ、今回の挨拶で普通の喪主がしないことを僕は考えてはいた。随分前から考えてはいたのだが、木曜日の夜にやることを決めた訳で・・・・それをパソコンでやるか、スマホでやるか、果たしてやれるのか・・・担当者に相談してみなければ分からなかった訳で・・・・母さんの半生を語った後、僕は徐にスマホを取り出した。そして、3月20日のサニーライフの母さんの部屋での僕と母さんの会話を流しはじめたのだ。母さんが「今度生まれ変わったら、学校の先生になる」と僕に言った時の二人の会話である。母さんと僕の会話を聴いて、あちこちで泣く人が続出した。というか、話をしている当の喪主もそれを聴きながら泣いていた訳で・・・・何とか、いい告別式が出来たと思っている。

帰りのバスの中で・・・
火葬場からの帰りのバスの中、大声で話をし続ける「おじさん」が一人。ヨレヨレのスーツに汚れた靴。母さんの葬儀だというのに、何ていう格好で来るんだ!ま、それはまだいいとして・・・・詰まらない話を延々と聞かされる僕らは、苦痛でしかなかった。だって、俺は遺骨を抱えているのだから・・・「がはははは!」と笑う声に、俺と亮はうんざり。母さんが死んだというのに、いったい何が楽しいと言うのだ・・・
そして、僕は母さんの遺骨に話しかけていた。「お母さん、煩くてごめんね」「本当に恥ずかしいね」「でも、お母さんは優しいから、きっと笑ってるんだよね。」僕らのイライラはピークに達していたが、母さんはそれでも笑顔のままでいてくれた。

帰宅
そして、母さんは我が家に戻ってきた。久しぶりに自分の部屋に帰って来たのだ。
『お母さん、帰ってきたよ。』『お帰りなさい、お母さん。』写真の中の母さんはいつも笑顔だ。母さんの隣には、この写真を撮った時一緒だった、紀がいる。そして、黒目川の遊歩道の桜と僕がいるのである。


クタクタになってバタンキューといきたいところだが、「期末テスト前」の子ども達を放っておくことは出来ない訳で・・・夜は塾。しかし、頭の回転が鈍くなっていたらしく、数学の糞簡単な連立方程式をホワイトボードで解いていると・・・「たかやん、それ間違ってる・・・」『お・・・』「たかやんが間違えた!!」と、みんな大喜び。1万回やっても間違えようのない問題で間違えた訳で・・・・「睡眠負債」とはこういう状態を言うのだと思った。


教師を目指す人へのメッセージ   第465弾!   3分

 我が塾にはストップウォッチがあります。「エレベーター計算」をやるときに、3分を測る為です。「足し算」「引き算」「掛け算」「割り算」のどの計算も「3分」が制限時間になります。3分という負荷を掛けることで、子ども達の「集中力」が鍛えられます。スタートは4桁の計算を出来る子は「1分」を切るようになります。どんな子でも「3分」を切れるようになり、そして「自分の記録を更新していくこと」で、自信がついていきます。
 ここで注意しなくてはならないことがあります。それは、どんな子であっても「否定」しないことです。3分どころか、4分、5分でも出来ない子がいる。中学生でも高校生でも3分を切れない子はいます。ストップウォッチは我が塾の必需品ですが、使い方を間違えるとそれは「凶器」になります。
 教え子の娘が小学生になりました。担任の女性の先生は「体育の着替え」や「帰りの支度」などにストップウォッチを使い「3分間で出来なければ駄目」と、小学1年生に毎日プレッシャーをかけているのだそうです。「規律が第一」と小学校1年生から鍛えている積りになっているのでしょう。「帝国陸軍」の教官にでもなった気でいるのでしょうか。
 その先生はこの酷暑の中、「トイレに行きたくなるから、水は2口まで」と制限をかけています。「無知」もここまでいくと、言葉がありません。トイレに行かせないのは「体罰」以外の何ものでもありません。我慢することが「美徳」とでも思っているのでしょうか。
恐ろしいのは、こういう教師の存在を認めている学校があるということです。親からクレームが来ても、「子どもの立場」で考えられず、「教師の立場」や「学校の対面」を優先しているのです。僕が校長であれば、速攻で指導を入れ、心が入れ替わらなかったら、担任を外します。こういう教師が「虐め」を誘発し、「不登校」の原因にもなるのです。
 昔の話ではありませんよ。今、現在のK小学校のお話です。皆さんは、こういう馬鹿教師にはならないでくださいね。「規律」と称した「虐待」ですから・・・・。


今日の写真1
引導を渡す儀式をしているところです。富山から来てくれた関口住職には感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。四十九日もよろしくお願いします。

今日の写真2
孫のあきです。高校1年生になりました。昔の僕とよく似ています。地頭がいいので、将来が楽しみです。

今日の写真3
右からイトちん、安孝です。五中の10期生のテニス部です。安孝は舟見の家にも行ったことがあるので、母さんに対する気持ちは大変なものがあります。優しい教え子達に感謝、感謝です。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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6月30日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第181弾  2019年6月30日(日) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第181弾  2019年6月30日(日) たかやん

駅立ちのお知らせ
明日、予定していたひばりが丘北口での5時〜9時の駅立ちですが、朝の5時6時の予報が雨の確率が高いので、延期の可能性が高いです。参院選が近づいているので、益々立ちにくくなりますねえ・・・。

8月2日
母さんの四十九日は富山で行います。それまでは我が家にいるので、会いたい人は是非来てください。前もって連絡をくれると有難いです。

朝勉507
6時過ぎ・・・目が覚めて、今日は「英会話」の暗誦。覚える量が大変なことになって、僕の脳みそは限界にきている。

7時過ぎ
姪達が母さんに挨拶しに来るというので、急いで用意する。完全に睡眠負債になっているが、姪達の母に対する「優しい気持ち」を考えると、休んではいられない。本当に優しい家族なのである。ここ数日間、バタバタしていた上に、雨だったので母さんの部屋に洗濯物が大量に干してあったりで・・・急いで片づけたのだった。

買い物
空とひとみが上野まで買い物に行くというので、東久留米まで送っていった。その帰りにビバホームで低い椅子とクッションを買った。母さんにお線香をあげる為の準備である。

14時
博子さんが綺麗なお花を持って、お線香をあげに来てくれた。僕と同じ年で、お母さんを見送った経験のある博子さんは、長い間、手を合わせてくれたのだった。そして、僕らは自分達の母親について、語ったのだった。

お迎え
西武線で事故が起きたとかで、上野に行った空達は、東武東上線で帰ってきた。志木駅まで迎えに行き、その後いなげやに買い物に行った。いなげやのポイントが5000円を超えていたので、その5000円で国産牛を買って、ちょっとだけ幸せな気持ちになった訳で・・・・

貴美加
五中10期生の貴美加が家族4人でお線香をあげに来てくれた。「お通夜と告別式に行けなくてごめんね」と貴美加。そんなことより、母さんの顔を見に来てくれた貴美加一家の気持ちが嬉しかった。感謝、感謝である。

治部と光さん
石神井高校のテニス部の同級生、治部(石田秀之であだ名が治部)と2年先輩の丹羽光さんが、母さんの葬儀に来てくれた。光さんは僕の西戸山小中の親友の丹羽創のお兄さんで、石神井高校テニス部の2年先輩のインターハイ選手である。光さんのお母さんは僕の母さんもよく知っているのだが、まさか葬儀に駆けつけてくれるとは・・・治部は治部で暫く会っていなかったのに・・・・二人にはビックリである。そして、感謝の気持ちで一杯である。


そして、夜は塾。朝からひっきりなしに動けることが幸せである。一度でも休んだら・・・起き上がれないという自信がある。(笑)今日も3学年揃ってのテスト対策となった訳で・・・幸せな2時間があっという間に過ぎていったのだった。

ユンケル
2年生男子のお母さんから「ユンケル」の差し入れがあった。肉体疲労時の栄養補給という奴である。早速、飲み干して・・・元気になったのだった。

教師を目指す人へのメッセージ   第466弾!   担任の仕事

さて、昨日のK小学校のストップウォッチ先生の続きです。ストップウォッチ先生は、まず、最初の懇談会で保護者にこう話しました。
「自分はとにかく忙しいので、子供達に話かけられても聞いていられない、なので家で子供達の話を聞いてやってください。」と。
 “全く理解できない発言です。子ども達の話しや困ったことをきくのが担任の役目なのに
それを最初から放棄しているのです。「とにかく自分の手を煩わすことはしないでくれ」そう言われた保護者たちが、そのストップウォッチ先生に不信感を持つのは当たり前です。それがベースにあると基本が雑になるのは当然ですね。そのくせ、自分のクラスの生徒は優秀だと言われたいので、まず規律を徹底してまもらせているのです。軍隊のように子たちを教育していく”・・・保護者達にそう思われても仕方ありませんね。
 ここからが問題です。「虐め問題」「虐待問題」と一緒で、管理職がその実態を把握しながら、放置するか、それとも子ども達を救い出すか・・・それこそが、管理能力の別れ目です。無能な管理職は「隠ぺい」を考え、「波風立たない」ようにしようとします。保護者の対応を教頭に丸投げする校長もいます。自分が対応して失敗すると、自分の評価が下がる、だから教頭に振るのです。
ストップウォッチ先生を担任にしてしまった責任は管理職にありますが、ストップウォッチ先生のような人ほど、子どもの前の顔と管理職の前の顔が違います。それが分からないようでは、管理職の能力もストップウォッチ先生レベルですが・・・。
ストップウォッチ先生を採用した市教委にも責任はあるのですから、自分の評価など気にせずビシっと指導すべきです。それでこそ、校長の評価は上がります。
 「自分はとにかく忙しいので、子供達に話かけられても聞いていられない、なので家で子供達の話を聞いてやってください。」そんなことを平気で保護者に言える教師は新座には勿論、日本中、いや世界中どの国にも必要ありません。僕は新座で21年間、中学校の教員をやってきました。心の中でそういうことを思っていた教師はいたかも知れませんが、保護者の前でそういう言葉をいってしまうような馬鹿教師は見たことも聞いたこともありません。
 ストップウォッチ先生に『お前が忙しかったら、俺はその10倍は忙しかったぞ!』そう言ってやりたいくらいです。「忙しい」と言っている人ほど、能力がないってことなんです。ま、本当に忙しくても、子ども達と一緒にいる忙しさを楽しむのが教師の仕事です。このストップウォッチ先生のように子ども達と一緒に生きることが嫌いな人は「教師」という職業を選んではいけないのです。「先生」「先生」と呼ばれるうちに、自分が偉いと「勘違い」する「馬鹿の典型」です。これから「教師を目指す」あなた方はそういう「馬鹿」にだけはならないでくださいね。「人の振り見て我が振り直せ」ですよ。

*ストップウォッチ先生へ
僕は子ども達を虐待する教師は決して許しませんが、「悩みを相談する」後輩にはちゃんとアドヴァイスします。「失敗したことを認め」「やり直す勇気を持った」後輩を見捨てることはありません。クラスや部活での「虐め」は絶対に許しませんが、その子がどんなに他の子を苛めたとしても、その「虐めっ子」が独りぼっちになったとしたら、生まれ変わろうと本気で思ったら・・・その子を見捨てることをしない・・・それが僕の生き方でした。人は誰でも変わることができます。あなたのようにまだ若い人であれば、いくらでも変わることができるのです。あ、若いというのは僕より若い・・・という意味です。
変わるのが無理であれば、教師はやめてくださいね。それが世の為人の為です。

今日の写真1
今朝の血糖値は97でした。昨夜もノンアルコールビールを飲んで寝たからかも知れませんね。

今日の写真2
姪の家族が、母さんに挨拶をしてくれているところです。明日、宮崎に帰る前に母さんに「さよなら」をしてくれたのです。

今日の写真3
一番下の子が僕に抱っこさせてくれました。しかも、かなり長く・・・無邪気な赤ちゃんに好かれるということは・・・僕に邪気がない・・・そう思うことにしましょう。久しぶりに赤ちゃんを抱っこできて、幸せでした。これも母さんのお陰です。姪と母さんに感謝、感謝。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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