Diary 2019. 7
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7月31日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第212弾!  2019年7月31日(水) たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第212弾!  2019年7月31日(水) たかやん

川遊びのお知らせ
来週8月4日(日)に毎年恒例の「わいわい川遊び」を行います。9時半受付開始。10時スタートです。栗原一丁目を中心に、川掃除をした後、魚とり教室、お魚教室、ボート、カヌー遊び、スイカ割などで午後3時くらいまで、半日楽しみます。お昼には石神集会所で“子ども食堂”やります。「冷や麦」「ソーメン」などが無料で食べられます。(50名まで先着順)参加希望者は090−6497−737 たかやんまで。

朝勉538
空の熱は37度まで下がった。空ママは今日も夜中に何度も起きていた。今朝も5時過ぎから朝勉。6時から7時までは子ども達と一緒にラジオ講座に燃えたのだった。

朝ごはん
久しぶりに家族みんなで揃って朝ごはんを食べた。韓国ドラマを見ながら「ああだ」「こうだ」言いながら食べる朝ごはんはいつもよりも美味しく感じたのだった。

母さんの味
いよいよ明日から納骨の儀式がはじまる。母さんの部屋に母さんが居なくなる・・・それだと、「お母さん、おはよう!」も「お母さん、ただ今!」も「お母さん行って来まーす!」「お母さん、おやすみ!」も出来なくなるので・・・・母さんにだけ断って、母さんの骨を少し貰うことにした。そして、骨を拾うことができなかった空と二人で、母さんの小さな骨を瓶に詰めたのだった。
骨を移動していると、どうしても母さんの骨が細かくなって・・・テーブルに落ちる訳で・・・その小さな、小さな骨を、僕はふと食べてみたくなり・・・口の中に入れると・・・コリコリと音がして、僕の胃の中に入っていった。母さんの味は無味だったけれど・・・僕の体の一部になるかと思うと、ちょっと嬉しく、そして美味しく感じたのだった。ふふふ、これからは母さんの一部が俺の体の一部になるんだぜ!
生きた母さんを食う訳にはいかないけれど、骨になった母さんなら・・・なーんてね。俺が死んだら、俺の骨も誰かが食べてくれるかしらん・・・いやあ。全然いいけれど、そんなことしなくて・・・・。あ、雪も亮も空も無理しないでいいからね。勿論、猛や紀や久美子たちもね・・・。


夜は塾。個別の塾の90分の中身は濃い。集団が薄い訳ではないが、個別は濃い。それでも、独りの時に何をどう過ごすかで結果は大きく変わる訳で・・・・。僕の「やる気」が子ども達に伝染することを祈るばかりである。
後半は集団の塾。二年生が多い日である。中学生は2年生が一番伸びる時期のことが多く・・・教える方も気合が入るのである。俺の「気合」が伝わってくれるといいのだが・・・。今日はよく笑った。俺の頭で笑い、俺の話で笑う。「笑う門には福来る」である。

教師を目指す人へのメッセージ    第497弾!     鼻血

 その男の子は中学校2年生の冬、ストーブの上に沢山の画鋲を並べました。そして、熱くなった画鋲をストローで持ち上げて・・・男友達の背後から忍び寄り、肩を叩いたのです。熱くなった画鋲は友達の頬にあたり、「あっちっち!!」。その子はクラスの男子全員にそのいたずらを繰り返しました。
 そして、彼が次にやったことは・・・雑巾を灯油にタプタプに浸して・・・ストーブの上に乗せることでした。雑巾に含まれていた灯油はストーブの中へ・・・そしてストーブの熱で気化し・・・ドカーン!!ストーブの蓋が飛びました。「誰だ!こんなことをやったのは!」その男の子は隣のクラスに逃げ込んだのですが、音楽の先生に捕まりました。そして、思い切りビンタされたのです。
 「やったのはお前だな!」ビンタ!「ふざけるな!」ビンタ!「あたしがこんなに殴ったのは初めてだよ!」ビンタ!彼は鼻血が出るまで音楽の女の先生に殴られました。
 その話は学校から家に連絡されました。それを聞いたお母さんは、その子の寝込みを襲い、鼻血が出るまで殴り続けました。
 そして、次の日から彼は朝から晩までびっしり、校長室で勉強させられたのです。1週間、母親の監視の下で・・・・・それでも、先生達から「お前は高校に行けないぞ」とだけは言われませんでした。彼も先生達に報復しようとは思いませんでした。運動神経が抜群だった彼だったら、先生達のビンタもお母さんのビンタも躱すことなど簡単だったのに、彼はそうしませんでした。勿論、反撃することもしませんでした。きっと鼻血が出るまで殴った、音楽の女先生とお母さんから本物の「愛情」を感じていたからでしょう。
 そして、超問題児の彼は3年生になりました。同じ学年の隣のクラスにはビンタをした音楽の女先生がいました。彼は大学を出たての若い男の先生のクラスになりました。その先生が初めてクラスに入ってきた時、(こいつはチョロいな)と彼は思いました。そりゃあそうです。喧嘩で負けることのなかった彼には怖い者などなかったのです。喧嘩上等、腕っぷしには自信がありました。スーツ姿で現れたヒョロヒョロの担任など、どうにでもなる。そう思ったのです。彼は担任のことよりも、初日に新座中と三中と合体した新設校の五中を締めることの方が大切だったのです。
 そう、彼の名は一瀬猛彦、彼の担任の名は高邑朋矢、鼻血が出るまで殴った音楽教師の名前は・・・勿論、神宮司久子です。昭和51年の冬、52年の春のお話です。

今日の写真1
大昔のたかやん塾です。小学校低学年の空がいます。小学生だと小さいので、6人座っても楽々できたんですね。中学生だとこうはいきません。

今日の写真2
その頃の旧庁舎での出欠ボードです。懐かしい名前があります。大佑、清さん、平八さんの名前も見えます。

今日の写真3
その頃の僕のホームです。何が面白くて撮ったのかと思ったら、アクセス数が141414だったんですね。因みに今は306060です。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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