Diary 2018. 3
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3月31日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第90弾! 2018年3月31日(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第90弾! 2018年3月31日(土)   たかやん

川掃除のお知らせ
来月の川掃除は4月22日(日)の予定です。栗原1丁目公園に9時集合です。途中までの参加も途中からの参加も大歓迎です。雨で中止になっても5時から石神集会所で反省会があります。持ち物は黒目川を綺麗にして、”綺麗な黒目川を子ども達に残したい”という心だけです。多くの方の参加をお待ちしています。  連絡先 090-6497-5737 たかやん

朝勉44
今朝も数学。高校時代にサボってばかりいた数学に今頃向き合っている自分が不思議である。勿論、受験生の時は数学に絶対的自信を持っていたのだが・・・高1・高2の時の数学は完全にアウトで・・・学年でペケから6番だったのだから酷い話で・・・

朝練
高校の先輩、宮下さんと8時から朝練をした。風もなく、清々しい天気で・・・・宮下さんとの試合は0−6,2−6で完敗。シングルスの試合勘が全く残ってなくて・・・・そんな僕と練習をしてくれた先輩に感謝、感謝である。

夕練
買い物の後、二人でコートへ。二村さんと小熊さんが「試合をしましょう」と声を掛けてくれて、そのまま試合(6−2)。楽しかったのだが、コートサイドで煙草を吸っている人がいて・・・苦しかった。煙草を吸うのは自由だが、食べているときと運動している時の煙草の煙は避けようがないので勘弁である。その後はコートを移して・・・練習しようとすると、みっちゃんが声を掛けてくれて・・・水橋さんとみっちゃんチームと試合(3−6)をしたのだった。

激痛
その後、少し練習をしたのだが・・・足に激痛が走り・・・歩くだけでも痛くて困った。朝練が今の僕には少しきつかったのかも知れない。

正人
18時からは正人の整骨院へ。自転車で1分で行けるので、楽チンである。ゆっくり1時間は体を解して貰ったのだが・・・痛みはなかなか引かず・・・


足は痛くても、脳みそは元気な訳で・・・夜も高校数学に燃えてみたのだった。夕飯は餃子。夕飯の後は読書・・・・自分とは違う人の脳みそを借りて、物事を見るのは楽しい訳で・・・

第七歩 「共通行動」(旧ホームページ、教師を目指す人へのメッセージから)
自分の事を「先生はね」と一人称で呼んではいけない。中には「校長先生はこう思います!」とか恥ずかし気もなくいう校長がいるが、あれはかなり恥ずかしい。「先生は…」と自分で言う人はそう呼んで欲しいのだ。「先生!」と呼んで欲しいからそういうのだ。僕は職員室でも「タカヤン!」と呼ばれていた。すると怒る人がいるのだ。職員室でそういう呼び方をするな!と怒る訳である。大きなお世話である。教師はあだ名で呼ばれて一人前なのだ。「職員室では、生徒は後ろのドアから入る事。」と決めた学校があった。前には校長教頭、教務主任がいるというのが理由である。
生徒と共通の言葉を持ち続けた校長は「いつでも校長室に遊びにきてね!」と子供達に伝える。この差は大きい。自分が偉いと思うような管理職は学校には必要無いのだ。学校に必要なのは子供達の言葉を話せる先生である。
 今の学校には「取り締まり系」の先生が多すぎる。校則を取り締まることなど素人でも出来るということが分かっていないのだ。「共通理解」「共通行動」それが大事だという学校があった。みんなで同じことをする事が大切なのだ、という訳である。一見もっともだが、実はそのことほど危険な事はない。自分が生徒であるとしよう。朝から友達の事で悩んでいる。そういう時に会う先生みんなから「お前、名札がついてないな!」と言われたらどう思うのだ。嫌いな先生ならまだいい。好きな先生からも「お前、名札がついてないな!」と言われたら、子どもは学校に来たくなくなるだろう。でも、自分の好きな先生が「おはよう!どうした?元気がないぞ!何かあったか?」と笑顔で聞いてくれたら、子供達はどんなに嬉しいだろう。プロは子供達の目を見て言葉を選ばなくてはいけないのだ。
 今、小学校でも中学校でも「朝の挨拶運動」なるものをしている学校がある。校長やPTAのお母さん達が朝、校門に立って「おはようございます!」というあの運動である。選挙運動じゃああるまいし、いかにも不自然なことなのに、それが子ども達を変えると信じている人達がいる。自分が生徒の気持ちになれない人達である。要するにプロではない訳だ。挙げ句の果てに服装のチェックをする人までいるからどうしようもない。
「朝の挨拶運動」は自己満足以外のなにものでもないのだ。「校則」では人間は教育できない。中学校の校則などは世の中にでれば全く通用しないものなのだから…・。子供達に教えなくてはいけないのは「きまり」ではなくて「マナー」である。これは日本中どこへ行っても通用する。(世界は広いから通用するとは限らないが…・。)「校則」に目くじら立てる先生が、「いじめ」を見逃すのだ。子供達の「目」を見ていないからそういうことになるのだ。プロはいつでも子供達の目をみていなくてはいけない。「共通行動」というなら、そういうことに「共通行動」を取って欲しい。
 プロの教師は自分のことを「先生」と呼んではいけない。「私」や「僕」や「俺」という日本語があるではないか。「俺」が悪い言葉などと言ってはいけない。地方へ行けば「おら」は男女共通の立派な一人称である。子供たちから「あだ名」で呼ばれるようになろう。そしてそのあだ名を好きになろう。自分が好きになるようなあだ名を付けてもらおう。
*いよいよ明日から新年度が始まる。41年前の僕はこの日、工事中の五中の校庭に立っていた。すると、工事のおじさんが「僕もこの学校に入るの?」と聞いてきたから『はい』と答えた。生徒ではなく教師だとは思いもしなかったのだろう。教師1年目、僕はよく中学生と間違われていた。子どもの中に入っていると、親も気づかないくらい同化していたのだ。だから猛彦と暴走族の取り締まりで捕まった時、「どっちが教師で、どっちが生徒だ」と聞かれたのだろう。23歳の僕はこの日、ワクワク、ドキドキしていた・・・数日後、まさか3年生の担任になることなど、夢にも思っていなかった。人生、分からないものである。

打ってはいけない!2191
「子宮頸がんワクチンは唯一がんを予防できるワクチンです」そういう人が未だにいる。確かに製薬会社はそう言って売り込んだ。所謂ロビー活動である。しかし、ワクチンの効用書にはそうは書いてないし、それを証明した人は誰もいない。検診で十分に防げる癌とも言われているのだ。一方でワクチンの副反応の被害は甚大である。痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういうひどい目にあうのは、いつの時代も弱者なのである。グローバリスト達から国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!岩盤規制が今の日本には必要なのだ。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのだから・・。

今日の写真1
最後に試合をしてくれた水橋さんとみっちゃんです。今回は逆転負けしましたが、楽しい試合でした。煙草臭くなかったしね。

今日の写真2
母さんの住んでいるサニーライフの前の桜です。

今日の写真3
空が描いたレディー・ガガです。ササさっと描くのでですが、結構似ていて笑えます。僕にはこういう才能がないですねえ・・・もし、あったら・・・授業で爆発していたと思います。子ども達に受けていたでしょうねえ・・・。蟻の絵は上手いんですけどね・・・。

この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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