Diary 2009. 4
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4月11日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第100弾! 2009.4.11(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第100弾! 2009.4.11(土)   たかやん

鰹節
我が家の朝ご飯は鰹節を削ることから始まる。面倒くさそうだけれど、ほんの1分で美味しい鰹節ができる。だしとしては最高。朝から幸せな気分になれるのだ。


空と母さんと三人で花を買いに行った。芝桜、マリーゴールド、トマト・・・・10個ほど鉢植えを買ってきた。「空が水をあげて育てる!」と張り切る空。綺麗なお花が大好きな空。朝起きたら庭に飛んでいきそうである。

スウェーデン
太智が来年の1月にスウェーデンへ行く。「経営学と政治学を勉強してきます」と太智。「でも授業は全部英語なんです。それが心配で・・・」「大丈夫だよ。太智ならできるって」もし今の僕が太智の歳だったら・・・間違いなく留学しているだろうなあ・・・。スウェーデンは学費がタダなのだ。絶対に行くね。

第九歩 「空き時間」
空き時間というのはなかなかいいものだ。理科の場合は実験準備というやつがあるが、一度準備してしまえば、あとはみな同じな訳だから、その時間はまあ自由ということになる。職員室でお茶を飲んで話し込むのも悪くはないし、疲れた時は冷房の効いた保健室で一休みなんていう人も中にはいる。僕は何をしていたかというと、他の授業に参加していることが多かった。一番多いのが「体育」だ。きっかけはこうだった。「高邑先生のクラスに体育嫌いの生徒が入ります。体育が嫌で学校を休みます。」そういう連絡が入ったのだ。僕は体育のK先生と相談して、自分の空き時間を全て自分のクラスの体育と重ねることにした
のだ。そして1年間体育の授業を子供達と一緒に受けたのである。結果はどうだったかというと、皆勤である。彼は一度も学校を休まなかった。そして体育の授業も…・・。そして僕はこの1年間で子供達と「体育」を一緒にする快感に目覚めてしまったのだ。サッカーは勿論、鉄棒も水泳もバスケットも持久走も運動能力テストもすべて子供達と一緒にやった。これが楽しいのだ。子どもと同じような気持ちで授業を受けられるのが嬉しかった。体育の授業の後の授業のけだるい事なんかも十分に味わった。
週に23時間とか24時間とか結構苦しい時期もあったが、18時間とか20時間くらいだと空き時間もかなりある。体育以外の授業を覗くのも面白い。学年の先生達と仲がよかったせいもあるが、予告無しに教室に入り、生徒と一緒に授業を受けるのが好きだった。ノートを持ち込んで一緒に勉強するのだ。勿論手を挙げて質問もする。休みのこどもの席に座り、反対サイドから見る授業は、自分の授業を鍛えるのにも役に立った。要するに授業の主役は子供達なのである。子供達の気持ちを分からないで授業をしてはいけないのである。「分からない。」のは子どもが授業をちゃんと聞いていないからではなくて、自分の授業が下手糞だからだということを分かっていなくてはいけない。
それ以外の空き時間、僕はよく英会話の練習に使った。最初は英語科の先生をつかまえて、NHKのラジオ講座を一緒に暗誦してもらった。そして次にはAETをつかまえて、話込んだ。これを年間通してすると英語の力がかなりつく。そしてAETにパーティーに招待されるようになり、AETの悩みを聞くようになり、どんどん友達が増え、ますます英会話が好きになる。不思議なもので、担任や顧問が英語が好きになるとそれが子供達に影響するのである。教室やテニスコートでNHKのテキストが頻繁に見受けられるようになるのだ。AETが教室に遊びに来て、テニスコートに遊びに来て、子供達と自然に仲良くなっていく訳だ。そして子供達はもっともっとAETと英語で話したいという思いが強くなっていく…・。僕はそういう風に空き時間を過していたような気がする。勿論年休を取った先生がいる時は代わりにその教科の授業をしたり、理科の授業をしたりもした。それはその時の雰囲気なのだ。「空き時間」1週間に5時間あれば1ヶ月では20時間。1年では240時間。夏休みや冬休みがあるからそうはいかなくても、結構な時間になるものな
のだ。空き時間を有効に使おう。僕らは「給食」という時間で昼を拘束されている代わりに、空き時間という時間があるのだ。

写真はカット

僕の親友二人。ヒロミとスティーブ。スティーブがタイへ行ったときは泣いた。今でも時々電話やメールで会話をしている。
* 僕にはネイティブの友達がわんさかいる。彼らの疑問、そして悩みは共通している。新座市の英語教育は彼らには不評なのである。英語の先生達にも不評な今のシステムをいったいいつまで続けていく気なのだろう。その経費は全て新座市民の税金なのだ。1年間で7000万円以上・・・10年でいくらだ?少なくとも。教える側が「このシステムならいけます」「こういう風に教えられるのは幸せです」「楽しみです」と思うようなシステムじゃないとその効果は見込めないだろう。僕は空を使って、新座市の英語教育よりもNHKの基礎英語を使った勉強のほうが上であることを証明してみせよう。少し時間はかかるかも知れないが・・・幼稚園児が中学生よりも英語を話せたら・・・流石に何も言えないだろうから・・・・
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4月12日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第101弾! 2009.4.12(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第101弾! 2009.4.12(日)   たかやん

95歳
拝島の信子伯母ちゃんのお見舞いに、兄貴と母さんと三人で出かけた。伯母は95歳。母さんより11歳年上である。去年までは元気だった伯母がベットの上で寝ていた。殆ど動けない状態で、声がうまく出せない。それを見た母さんは、ショックでご飯を食べられなくなった。ずっと元気だったから、予想外の弱り方にショックだったのだろう。病院の帰りには福生の礼子叔母ちゃんのところへ・・・。礼子叔母ちゃんもいつの間にか80歳。二人とも母さんにそっくりで、僕ら兄弟が大好きなおばさん達。みんな若くて綺麗だったのに・・・いつの間にか80歳と84歳と95歳・・・僕が55歳になるわけである。

レッドクリフ
久しぶりにテレビで映画を見た。赤壁の戦い・・・自分の息子の名前は、諸葛亮孔明から貰った。そう言えば昔、最後の中学校で校長からこう言われたことがあった。「君のことだから三国志を読んだことがあるだろう。君はまるで項羽だ。」「(はて、三国志に項羽とは・・)」僕は黙って聞いていた。どうやら校長は三国志を読んだことがないらしかった。そんな懐かしいことを思い出しながら、僕はレッドクリフを見ていた。

駅立ち
明日はひばりが丘で駅立ち。もう寒くないから、防寒の心配はないだろう。5時55分だともう明るいはず。そして新しい子ども達とも会えるはずだ。楽しみである。

教師になりたいと思っている人へのメッセージ
第十歩 「ピグマリオン」
「ピグマリオン効果」という心理学用語を知っているだろうか?教師や親やコーチが子供達と接する時に「この子は凄くいい子だ。」「物凄い才能がある。」「将来有望だ。」と本気で思うことで、子供達が本当にそういう風に変化していくということが頻繁にあるというのだ。勿論僕はそれを実践してみた。そして「ピグマリオン効果」はいたるところで力を発揮したのだ。この効果の味噌は本気でそう思い込むことである。そうでなくても本気でそう思い込むと、段々子供達はいい方向に変化していくのだ。

例えばこういうことがあった。どうしようもない問題児がいた。小学校からの札付きのいじめっ子だ。母子家庭だったのだが、お母さんはいつも学校に呼び出せれては先生に怒られていた。2歳違いのお姉さんがいた。そこで僕はこう思い込む。(こいつはいい奴だ。元気がよくてこどもらしい子どもだ。テニスをやらせたらきっといい選手になる。)悪いことなど全て忘れる訳だ。そして職員室掃除にきたお姉ちゃんにふと漏らすのだ。「あの子はいい。実にいい目をしている。テニスやらせたらきっと凄い選手になる。」廊下で会うたびに「いいよ、君の弟は…」とお姉ちゃんの友達に聞こえるようにいう。彼がテニス部に入りたいといってきたのはそれから2週間後のことだった。そして彼は本当に凄い選手になったのだ。大事なのは何度も言うようだが、本気で思い込むこと。本気なのだから自分が漏らす言葉はいいことばかり。それがまわりまわって子どもの耳に入るという訳。それを聞いた子どもは勿論やる気満々になる。その先生を好きになる。その効果は計り知れない。

ところが、学校の先生はこの逆をしてしまうことが実に多い。「逆ピグマリオン」だ。小学校で悪いと評判になると「この子は悪い子だ。」と決めつける。そう思い込むから漏れる言葉は悪い言葉ばかり。その言葉がまわりまわって子ども自身の耳に入る。それを聞いた子供達は「あの先公の野郎…」となり、ますます悪くなっていく訳だ。

ただピグマリオンに頼っただけでは事は上手くいかない。ピグマリオンは子どもをこっちに向ける第一歩にしか過ぎない。その後に、その子供達をしっかりと見守ることが大事だ。そして今度は本当にいいところを誉めるのである。おだてるのと本気で誉めるのとは違うのだ。出来ていないのに「出来たね。」「凄いね。」といわれても子どもは嬉しくはないのだ。出来なかったことを出来るようにしてあげなくては本当に誉めることはできない。そしてその技術こそがプロのテクニックなのだ。子供達に自信をつけてあげよう。それには多少の苦しさはつきものだ。その苦しさと一緒に向き合おう。そして一緒に乗りきるのだ。その方法はたくさんあるだろう。自分だけの方法を考えるのも面白いし、人のテクニックを真似るのもいい。いいものは全て盗めばいい。本物のプロは自分のテクニックを隠しはしない。誰にでも喜んで教える。教えるけどなかなか真似ができない。そういうものなのだ。だから人に隠すような技術は本物ではない。そんなものは真似る必要もないのだ。プロになりたければ誰が本物なのか自分の目で見分けなくてはいけない。貴方の周りには必ず何人かのプロの教師がいる。子供たちに対する表情や言葉でその人はすぐに分かる。その人は温かい目と温かい言葉を持っているから・・・・。

(写真はカット)

前列左から3番目が、僕の敬愛する河合隆慶先生。プロ中のプロだった。僕はこの先生とであったお陰で、明るい人生を歩くことができた。
* もう直ぐ月曜日になる。本格的に授業が始まるだろう。ピグマリオンを知っている先生と知らない先生とではどれだけの差がつくだろう・・・・子どもたちの人生にとって、決定的な違いがでてもおかしくない。学校が楽しくて、楽しくてしょうがないようになるか・・・それとも行きたくない場所になるか。それは担任の先生、顧問の先生にかかっている。
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4月13日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第102弾! 2009.4.13(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第102弾! 2009.4.13(月)   たかやん

5時
窓を開けると外はもう明るい。昨夜寝たのが遅かったので、少し頭がボーっとしている。顔を洗って、髭を剃って、台所のゴミを綺麗にして・・・ゴミだし。あっという間に5時45分になった。

5時55分
ダッシュでひばりが丘へ。朝だというのに風が暖かい。少し汗をかいて駅前に立った。

マスク
まだ花粉症が終わらない。例年、ゴールデンウィークが終わる頃に終わるのだ。それでも今朝はマスクをはずしてみた。くしゃみをしたらごめんなさい!だ。

完売
8時半、今日もチラシが完売?した。終わってから階段を上がり、捨てられているチラシがないか確認したが、「無し」。このところ、僕のチラシがゴミになることはなくなってきている。嬉しい限りである。

ゆりちゃんとるーちゃん・・・
久しぶりにゆりちゃんに会えた。中学生の女の子が、毎回僕のチラシをもって行ってくれるのだから嬉しい。そして高校生になったるーちゃんと駅で初めて会った。友達と楽しそうに会話しながらの登場だった。順子にも会えた。元気そうで安心した。宏美にも会えた。ちょっと疲れ気味だった。哲也にも会った。少し太った。淳一にも会った。秀和にも会った。・・・今日も数え切れないほどの教え子達と会えて幸せだった。

第十一歩 「怒るときは本気で」
ピグマリオン効果を信じるのは簡単だが、実践するのは結構難しい。「表情」に気持ちが表れてしまうからである。本当に信じていると思い込んでも、何かあると(ああ、やっぱりこいつは駄目なのかも…)そう思うことはある。そういう時に表情に出てしまうのだ。子供達は大人の表情を読む天才だ。子供達の目をごまかすのは簡単にはいかない。トレーニングが必要になってくる。人間、嫌なことがあった時に、嫌な顔をするのは簡単である。誰でもできる。プロは嫌なことがあった時に、上手くいかない時に、嫌な顔をしてはいけないのだ。だから表情を作る練習をしなくてはいけない。毎日鏡の前に立ち、自分の表情のチェックをするのだ。そして嫌なことがあった時のことを想像し、そしてその時にどんな顔をしたらいいか自分なりに考える訳だ。そういう意味では教師は「役者」だ。子供達の前で毎日教師を演じている訳だから・・・・。

1組で嫌なことがあったとする。一瞬の嫌な顔はしょうがないだろう。だけどそれを引きずってはいけない。次の授業は2組だ。1組であったことは忘れてしまうことだ。ニコニコ顔で教室のドアを開けるのだ。役者が違う番組に出演していると思えばいい。1組と2組では違う顔をしていいのである。子どもが違うのだから当たり前だ。勿論成績の付け方は同じ方がいいだろう。しかし授業のやり方や表情は違ったっていいのである。子供が違うということはそういうことなのだ。だから、家で何か大変なことがあってもそれを学校に持ち込んではいけない。子供達に会う前に心を決めて、「おっはーっ!」と先に挨拶しよう。

そしてこれは大事なことだが、怒る時は本気で怒らなくてはいけない。子供たちの心に響く怒り方をしなくてはいけない。少なくても本気で怒っていると感じさせなければ怒る意味がない。だからつまらないことで怒ってはいけないのだ。「スカートが短い。」とか「髪の毛の色が茶色い。」とかいうことで本気で怒る人達が沢山いる。困ったものだ。彼らは生徒達が弱いものいじめをしたり、危険なことをした時に本気を出せなくなるのだ。スカートや髪の毛がどうしても気になるのなら、「僕はそういうの嫌いだ。」と言えばいいのだ。自分が「好きじゃない。」ことを伝えればそれでいいのだ。それを職員室に呼び出したり、ひどい時は親を呼んだりするからおかしくなるのだ。親に会いたければ自分から出かけることだ。学校に親を呼び出して上手くいったことなど見たことがない。学校に親を呼ぶということは「学校では手におえません。」と宣言しているようなものだ。「貴方の育て方が悪かったからこうなったんだ。」と言いたいのだろうが、それは違う。学校に呼び出されるのは大抵が母親だ。母親だけに責任をなすりつけてしまってはいけない。母親だけで子どもを育てている訳ではない。父親もいるし、祖父母に育てられていることもある。それぞれの家庭で違うのである。どうしても親と話をしたければ自分の方から出向いていく。「家庭訪問週間」の家庭訪問では家庭のことは分からない。15分や20分でその家庭が見えたら超人である。何か問題が起きた時にこそ、じっくりと、本当の意味での家庭訪問をするのだ。そして決して嫌な顔をしないこと。それがプロとしての基本である。そして怒る時は子供たちがひっくり返るくらいの怒り方をしよう。

* ゴミ箱をひっくり返す。賞状をびりびりに破く。ラジカセを粉々に砕く。マンガ本をストーブに突っ込む。真冬に学生服の上からバケツの水を浴びせる。・・・どれもやったことがあるが、本気で怒ることが大事。掃除をしなくて、ゴミ箱。クラスがまとまらなくて、(いじめがあって)賞状。合唱コンクールで練習しなくてラジカセ。授業中の漫画でストーブ。学校で喫煙でバケツ・・・・・。どれも大声で本気で怒ったけれど、親には知らせなかった。こんなことでいちいち親に通報していたら、中学校ではやっていけない。細かいことは気にしない。大声で怒って、終わり。それが役者ってものさ。そんな先生ばかりでも困るだろうが、うるさいおばさん型の先生が多すぎると・・・学校は壊れていくものだ。

東久留米
明日は東久留米。5時55分から8時半までやります。みなさん、よろしくです。
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4月14日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第103弾! 2009.4.14(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第103弾! 2009.4.14(火)   たかやん

寝坊
ビックリした。目が覚めたのが5時半近くだったのだ。僕が目覚ましに反応しないことは珍しい。花粉の薬のせいかも知れないが・・・・ああ、びっくらこいたあー。

5時55分
車で東久留米へ。5時55分よりも少し前に到着する。どういう訳だか、体中が痛い。筋肉痛か、それとも風邪か。8時半までやったが、途中で何度もストレッチ。ひばりが丘と違って、時々暇になるのが東久留米のいいところ。

700部
それでも何とか650部が無くなった。完売とはいかなかったが、ホッとした。今日は特に小中高生で持っていってくれた子が多かった。六中の1組の子達も、この4月から高校生。笑顔で挨拶をしてくれ、そして僕のチラシを手に登校していった。

ハグ
久しぶりに奈月に会って・・・ハグ。元気を貰った。ハグはいい。するほうも、されるほうもない。お互いに元気をあげあうのだ。

ゴミゼロ
ひばりに続き、最後にエスカレーターで上まで行って、チラシがゴミになっていないか確かめてきた。東久留米市の人たちが間違えて持っていって、ポイ・・・何てことは全く無くて、ゴミになったチラシはゼロ。気持ちよく終了したのだった。

花粉
スギ花粉は終わったよ!という人がいるが、僕はまだ駄目である。鼻が詰まり息ができない状態なのだ。目の痒みは治まったのだが、息ができないほうが、ちと辛い。喉が腫れて、声がでなくなってきた・・・とほほほほほ。

教師を目指す人へのメッセージ

第十二歩 「骨折」
僕は21年間の教員生活で計5回骨折した。サッカー、バスケット、水球、プロレスごっこ…子ども達と遊んでいると、本当に骨が折れるものだのだ。そして生徒を骨折させたことが1回。それは1年2組の教室での出来事だった。何のことで怒ったか、全く覚えていないのだが、とにかく誰か男の子に僕が腹を立てて、手に持っていたバレーボールをその子に向かってスパイクしたのだ。そのボールはその子から外れて全然関係のない女の子の方に飛んでいった。そしてそのボールをよけた手にボールが当たったのだ。その子は「痛い!」と言ってうずくまり…僕はその子を連れて病院に行った。結果は骨折。今考えると本当にひどい話である。たまたまその子のお父さんが学校の先生で、お母さんも僕のことをいつも応援していてくれた人だったから、「しょうがないよ、たかやん。」で終わってしまったが、今ならそうはいかないだろう。仮に怒らせた当人の男の子に命中したとしても、許される事ではない。本当に自分が情けなくなる。子供は大人が考えているより弱いのである。その事を知らないと、大怪我をさせることもあるのだ。

僕は空手を習ったことがある。教え子と一緒に道場に通った。毎日毎日殴る、よけるの連続。不思議なもので、毎日そういう練習をしていると誰かを無性に殴りたくなってくるのだ。ある日、学校で教え子がふざけて僕の顔にパンチを出した。僕は反射的にパンチをよけて、カウンターを一発。その子は吹っ飛んでしまった。それ以来僕は空手が恐くなってやらなくなった。試験の時にこういう子がいた。「たかやん、俺のこと殴ってよ。俺絶対合格したいから、ここで気合を入れて欲しいんだ。」3年の冬。その子は自分の偏差値のはるか上の高校を受験しようとしていた。『そんなこといっても、無理だよ。一発ずつ殴るならいいけど…』僕がそういうとその子はそれでいいという。しょうがないので一発気合を入れてやった。そうアントニオ猪木のようにぱしっと…。そしてその子の番。ホイと言って顎を出すと、その子はそこをめがけてビンタ。ところが手の付け根がまともに入り、僕は首の骨がずれてしまった。子供は思ったよりもひ弱だし、思ったよりも殴るのが下手だということを知った僕であった。

ある時子ども達とプロレスごっこをしていた。こっちは一人で向こうは三人。そういう時は気を付けなくてはいけない。僕はスピニングトーホールドなる技を掛けられ、ギブアップしたのだが…それでも子ども達は僕の足を回しつづけ…僕の股関節は外れてしまったのだった。この脱臼は痛かった。しばらく子ども達とサッカーが出来なかったから…。

いくら子供でも複数人と戦ってはいけない。子供達は思ったよりも手を抜くことが下手である。そのことを知らないと、怪我をするのである。最近の子ども達は骨がもろい。校庭に手をついただけで骨折した子がいた。病院でレントゲン写真を見せられて驚いた。老人のようなスカスカな骨なのだ。その子の家の冷蔵庫には信じられないくらいの量のソフトドリンクが入っていた。インスタントラーメンが大好きなその子はその後食生活を変える事で、骨が丈夫になっていった。家庭訪問をしたら、その家の食生活を見てこよう。何度もいうが、子供は「よい言葉とよい食事」で育っていくのである。

*最後の言葉が大事。子どもは「よい言葉と、よい食事で育つ」のだ。でもね、これは大人も同じなのよ。大人だって、「よい言葉とよい食事」があれば、どんどんいい人間になっていくのだ。それに「いい運動」がつけば、健康も手に入れられる。よい言葉と、よい食事には「愛情」が不可欠。「よい言葉と、よい食事」はお金で買えそうで、買えないところがいい。金は持っているが、よい人間じゃあない人たちはごまんといる。金はなくても、愛情をいっぱい感じ、そして周りに感謝して、いい人間になりたいものである。

雨天中止
明日は志木で駅立ち。でも朝、雨が降っていたら・・・・中止の予定。二中のみんな。ごめんね。
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4月15日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第104弾! 2009.4.15(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第104弾! 2009.4.15(水)   たかやん

下弦の月
4時47分。外を見ると下弦の月が南の空に輝いていた。そうだ・・朝練に行く時間だ・・・。六中のテニス部時代を思い出した。昨夜は遅かったし、体は疲れていたけれど、当時の子ども達の頑張っていた姿を思い出して、気合を入れた。「継続は力なり」口で言うのは簡単。実行あるのみだ。

5時50分
志木駅に到着。例によって、トングとゴミ袋を持って南口へ・・・。主にタバコの吸殻を拾って、さあ駅立ち開始!志木駅は久しぶりなので、ちょっとした恐怖心があった。それでも最初の30分は順調。前に住んでいたマンションのサッカー少年のI君をはじめとする笑顔にも会えて幸せだった。

ハグ
6時半頃、塾生だったなつみとハイタッチし、そしてハグした。女子高生と朝からハグしている変なおっさん・・・そんなイメージである。7時半頃には二中の3年2組の晶子とも軽くハグ。彼女達も卒業してもう11年になる。志木にきてよかった・・・そう思う瞬間である。

育ち
見知らぬ小中学生に「おはよう!」と声をかける。すると、自然に綺麗な挨拶をする子達がいるのである。本当に育ちがいいのだと思う。感じのいい子どもたちの後ろの、彼らを育てた親を感じる瞬間である。

傑君
「あれ?」「おはようございます!」と、登場したのが並木傑議員。「これ息子」と傑君そっくりの息子さんを紹介しれくれた。それがまた本当に似ているのだ。親子っていいなあ・・そんなことを感じた瞬間だった。

大佑
志木駅というと、平松大佑・・・そういうイメージがある。選挙前に、一緒に駅立ちしたときのダブルスコアーを思い出しながらチラシを配った。大佑は志木駅で900から1000は配るはずだ。僕は彼の半分どころか三分の一・・・。人と比べちゃあいけない。そう思いながら、2時間・・・・時々泣きそうになりながら頑張ったのだった。

教師を目指す人へのメッセージ
第十三歩 「掃除」
トイレ掃除に燃えた時があった。メチャクチャ汚かった外トイレをみんなでぴっかぴかにした。便器の中に手を突っ込んできれいにした。何度も顔に得体の知れないものがひっかかった。トイレの前で取った写真がある。みんな笑顔一杯だ。子供達は実は掃除が好きなのだ。仕事が好きなのだ。それを好きにするか、嫌いにさせるかは教師の言動にかかっている。

「清掃点検」に燃えている学校があった。毎日美化委員がチェックしてまわる。駄目なところに×をつけていく…。体操服に着替えてないと、×をつける。掃除をしているかいないかではなくて、体操服に着替えているかどうかで判断する。教師も「なんで制服なんだーっ!」と怒鳴る。これは教育ではない。勿論ある程度学校はきれいになるだろう。だけどだ、学校をきれいにするのが目的ではないはずだ。もしそうなら、業者を雇って掃除をしてもらえばいいのだから。

実は最初の内、僕は子供と一緒に掃除をしなかった。先輩の先生に習って、掃除を監督していた。「清掃点検」の片棒を担いでいたのだ。ある時S先生とM先生という二人の先生と同じ学年になった。その先生達はあたり前のように毎日子供達と一緒に掃除をしていた。子供達が遊んでいても、その二人の先生は黙々と掃除をしいていた。僕は子供達と一緒に掃除をするようになった。半袖短パンで額に汗しながら一緒に雑巾がけをはじめた。すると子供達も同じように膝をついて拭き始めたのだ。今まで足で拭いていた子供達が雑巾がけの楽しさを一緒に味わい始めたのだ。子供達は雑巾がけのテクニックと楽しさを伝授されてなかっただけだった。雑巾の濯ぎ方、絞り方、姿勢そしてかけ方…やって見せればみんなできるのだ。それから教室とトイレがどんどんきれいになっていった。きれいにすればする程愛情が湧いてくる。子供達は段々教室を汚さなくなった。「物にも心がある。」ということを感じ始めたのだ。「物にも心がある。」それは僕が父から教わったことの一つだ。小さい頃からよくそう言われたものだ。「新しいものがいいものではない。」「大事に使えば使うほど、物だって嬉しいんだ。」僕はその言葉を子供達に伝えた。本物だと思ったから…。

「清掃の時はジャージに着替えること。」そういうルールをいくら作っても、子どもの心は教育できないのだ。一生懸命掃除してきれいにしても、清掃時間内に終わらなかったので×などというのは教育ではない。トイレの便器にへばりついたババ糞をきれいにするのに時間をかけて何が悪いのだ。掃除は毎日のことである。毎日のことだからチャンスは広がる。子供達に大切なことを伝えるチャンスが広がるのだ。自分の国を汚さない子供を育てたい。自分達の地球を汚さない子供達を育てたい。それには心を育てるしか方法はないのだ。「取り締まり」ではポイ捨ては無くならないのだ。子供たちに掃除をやらせたかったら、やらせないのも一つの手だ。ダラダラしていたら一人だけで掃除をするのである。楽しそうに且つ必死にやるのだ。当然帰りの学活は遅くなる。だがそれを一週間も続けていると、子供達の方から「あたし達にもやらせて!」と言って来る。『やる気の無い奴はいらない。』「やる気あるから、やらせて!」という会話になるだろう。それから掃除のテクニックを教えるのだ。箒や雑巾の使い方を子供たちは知らない。そこまでいけば教室はあっという間にきれいになっていく。
* 子どもたちが黒目川にゴミを捨てていく。大人はタバコをポイ捨て、子どもはお菓子のゴミをポイ捨て・・・そこには家庭の躾も学校の清掃教育も感じられない。心を育てなければいけない。自分の国を汚さない、それも愛国心だろう。自分の街を川を汚さない。その当たり前のことを子どもたちの心に刻み込むことこそが、教育なのだ。大人がポイ捨てすれば子どもたちも真似をする。大人がゴミを拾えば、子どもたちもそれを真似をする。全てが大人にかかっているのだ。掃除好きな子どもを育てたければ、大人が掃除を好きになるしかない。子どもはルールや言葉では育たない。大人の後姿で育つのである。こどもは大人の鏡なのだ。さて、これを読んでいるあなたの後姿は、どんな後姿なのだろう・・・そして僕の後姿はどんなだろう・・・一度後ろから見ないといけないな。

新座駅
明日は新座駅の予定です。昨夜寝たのは1時過ぎだったので、今夜は0時くらいには寝るようにしたいものです。凄く疲れていたのですが、昨夜買った鼻への塗り薬が効いたらしく、夜中に鼻で呼吸できるようになったら、かなり元気になりました。駅立ちに燃えるみなさん、お互いに頑張りましょう。駅立ちの前に、少しだけ駅を綺麗にして、そして通勤の方たちが元気になるような、そんな朝の挨拶をしていきましょう。たかやん


4月16日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第105弾! 2009.4.16(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第105弾! 2009.4.16(木)   たかやん

油断大敵
目覚ましがなる前に目が覚めた。外は真っ暗・・・3時半だもの・・・。しょうがない、もう少し寝よう!そう思ったのが間違いだった。次に目が覚めたのは5時半。マジ?5時55分に間に合わないかも・・・・

5時55分
新座駅で掃除をしていた。そう、間に合ったのだ。今朝はトングではなくて、箒と塵取りで掃除。かなりのゴミを集合させたので、気持ちよく挨拶ができたのだった。

婦警さん
駅前交番の婦警さんが声をかけてくれた。どうやら初めて僕の駅立ちに遭遇したらしく、多分、変なおっさんだと思ったのだろう・・・・ジャージでやる人は全国でも珍しいと思うから・・・でも、とっても感じのいい婦警さんで、僕は笑顔になったのだった。

二中サッカー部
どこかで見たことがある笑顔だった・・・そうだった!二中サッカー部の大島君だ。僕が二中を去ろうと決心したのは6月。僕が二中を辞めると決めたのだが、一番の心残りはサッカー部。ずっと練習に出ていたらきっとやめられなくなる・・・そう思った僕は、愛するサッカー部の練習に全く出なくなった。3年生は勿論、2年生も1年生も可愛くてしょうがなかったのに・・・。そんな馬鹿顧問だった僕に、笑顔で挨拶をしてくれたのが大島君だったのだ。僕は嬉しくて、嬉しくて、暫く笑っていたのだった。

命の応援団
「Iの娘です!」「え?ああ、そう言えば似ている!」命の応援団のメンバーIさんのお嬢さんが声をかけてくれた。もの凄く綺麗な女性が声をかけてくれて、内心ドキドキしていた。そして、やっぱり暫くニヤニヤ笑っていた、たかやんであった。

駅立ち
こうして月曜日に始まった駅立ちの4日間が終わった。体はきつかったが、心はかなり元気になった。明日からはポスティング。そっちも頑張るとしよう。

教師を目指す人へのメッセージ
第十四歩 「道徳の授業」
僕は道徳の授業が好きだった。宗教、哲学、心理学の本を読みまくり、感動したことを子供達に話すのが好きだった。職員室の片隅にある「道徳の本」を使って授業をしたことは一度もない。やはり自分で消化したものでないと、人に伝えるのは難しいものなのだ。
教員になったばかりの頃は、「道徳」の時間を持て余していた。何をしたらいいか分からず、「席替え」の時間に使ったり、「体育祭」や「合唱コンクール」の練習に使ったり…。だから子供達も道徳の時間は息抜きの時間くらいにしか考えていなかったと思う。

道徳というのは「人の生き方」を教える時間だと思っている。人生は楽しいだけではない。苦しい時もたくさんある。その苦しい時にどう考えて生きていけばいいのか…その答えが道徳の中にあると思う。僕は学校の道徳の教科書は使ったことがないが、自分だけの道徳の教科書はたくさん使った。ある時は死んだ父の「詩集」がそうだったし、ある時は星野富広の「絵と詩」がそうだった。自分の心が動かない教科書で子どもを教育することなど不可能なのだ。自分が感動して、涙が出たものが本物の教科書なのだと思う。

涙と言えば、授業で子供達が泣いた時、僕は物凄いショックを覚えた。勿論理科の授業ではない。国語の授業を受け持った時の話だ。僕の副担任の国語の先生が切迫流産で数週間学校を休んだことがあった。その時に代わりに「国語」の授業をやったのだ。丁度「詩」の授業だった。僕は父の詩集を教材にした。そして僕自身の書いた詩も…。その授業で子供達が泣いたのだ。授業で子供達が泣く…僕には想像できないことだった。理科の実験で子供達がどんなに感動しても、涙を流す子はいない。それが国語の授業ではたくさんいたのだ。

もう一つの涙は「歌」である。僕はギターを弾くのが好きで子供達の前でよく歌を歌った。子供達も一緒に歌った。毎日のように歌った。その歌をクラス解散の時に歌うのである。卒業式の時もあれば、終業式の時もある。歌った歌であればあるほど、子供達は涙を流す。歌で記憶が蘇るのだ。勿論結婚式でもそうだ。中学を卒業してから10年以上過ぎていても、心がその歌を覚えているのだ。それに比べて理科の授業を覚えている子の少ないこと。僕の授業は「詩」や「歌」に完全に負けていたのだ。

そして最後の涙は「言葉」だ。言葉の力を侮ってはいけない。良い言葉は子供達に力をつけるが、悪い言葉は子供達から自信と可能性を奪っていく。子供達は大人の言葉で自信を深め、大人の言葉で傷ついていく。プロの教師は自分の言葉に責任を持たなくてはいけない。ヤクザのような言葉を使う体育の教師をたくさん見てきたが、学校にはヤクザはいらない。子どもの可能性を奪い、傷つけるだけなら教師をしている意味がない。言葉の力は強い。良い意味でも悪い意味でも強い。プロの教師はそのことを肝に銘じていなければいけない。貴方の言葉で人一人の人生が決まってしまうことがあるのだから…。
本を読もう。子供たちに「良い言葉」という栄養を与えるために本を読もう。そして自分自身も元気になろう。「良い言葉」は大人でさえ元気にする力を持っている。どんどん本を読んで、その言葉を探そう。「本を読みなさい!」と言っても子供たちは本を読むようにはならない。本を読む楽しさを教えれば、子供たちは本を読み始めるのだ。
*悩みに悩み、苦しみに苦しんだとき・・・僕は本を読みまくった。半年で600冊くらいは読んだ記憶がある。今日も10冊ほど本を買ったが、本は心の栄養になるのである。本で元気になるのなら安いものだ。しかも使い捨てではない・・・何度でも栄養を与えることができる。携帯できて、早送りもまき戻しも一時停止も自由。電気代も食わず、環境にも優しい・・・。子どもたちを本好きの人間にしたいものである。  たかやん


4月17日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第106弾! 2009.4.17(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第106弾! 2009.4.17(金)   たかやん

4時55分
外はかなり暗い。天気が悪いのだ。まずメールのチェックをし、次は新聞で目を覚ます。森田健作の「完全無所属」は自民党の常套手段。それを知らない市民のほうがおかしいんじゃあないのか。なんていうのは言いがかりか・・・。新座市議会選挙でも自民党の人たちは、全員「無所属」なのだ。自民党と胸を張れないところが、日本の政治のおかしいところ。オバマが「民主党」を名乗らないで大統領選をやるようなもの。自民党は自民党とハッキリいい、民主党は民主党とハッキリ胸を晴れるような政治が正しい。その点、公明党と共産党はハッキリしていて分かりやすい。本当の無所属から見るとそんな感じかな。

新座市政
森田健作より、さらに分かりにくいのが新座市政だ。3月議会で予算を含む「市長提出議案」に対し、殆ど質問することなく、その全てに賛成したのは「自民」「公明」「刷新の会(民主・無所属)」の3会派。市長選では田中幸弘を応援した民主党議員はどこへ行ったのだろう・・・市民がそう思うのは当たり前だ。よく「共産党は何でも反対する」と言う人がいるが、実は「何でも賛成」の方が困るのだ。いいものは賛成する。駄目なものは反対する。それが議会の役割なのだから・・・。26人の議員のうち、19人が市長提出議案に対し「何でも賛成」じゃあ市長はなかなかやめられない・・・。僕が市長なら、間違いなく次もやる。

議案説明会
新座市には他市にはない「議案説明会」なるものがある。全て賛成の会派は議会の前に市長から、議案の説明を受けるのである。前もって議案の説明を受けるのだから、“何かあったらその場で言ってね。議会では反対しないでね。”と、言うことになる。何でも賛成の会派と執行部との「忘年会」もある。「歓送迎会」などもあると聞く。市長だけでなく、部長達執行部と議会がどんどん仲良しになっていく・・・。議場で厳しい追及ができないのは当たり前か・・・。仲のいい友達を追及するのは誰だって大変だもの・・・。市長が選んだ部長達は市長には逆らえないだろう。こうして市民の要望とはかけ離れた政治が行われていく・・・そう考えるのは僕だけだろうか。少なくとも朝の5時から、そんなことを考えるのは僕だけだろうなあ・・。

ユニクロ
母さんが「ユニクロへ行きたい」というので、東久留米のユニクロへ行った。ところが店が開いてない。開店時間は11時なのに僕らが行ったのは10時半だったのだ。花屋さんで時間を潰して、再びユニクロへ。すると開店を待っていたおっさんがタバコを吸いながら車から降りてきた。(こいつタバコ捨てるな・・・)と思った瞬間、おっさんはタバコを道路に捨てた。「何で、タバコを道路に捨てるかなー!!」と後ろから大声を出す僕。驚いて、僕の顔を見るおっさん。コソコソと逃げるようにユニクロに入っていく。そして僕もユニクロへ・・・おっさんは僕の顔を見るたびに、逃げるように移動して・・・どこかへ行ってしまった。日本中にこういうオッサンがいるのだ。愛国心の欠片もないオッサン達が、この国を汚していく。

教師を目指す人へのメッセージ
第十五歩 「給食」
給食を馬鹿にしてはいけない。何と言っても人生の三分の一の食事が給食になるのだから…。この給食を美味しく食べるか、嫌嫌食べるかでは教員人生が変わってしまうくらい影響があると思わなくてはいけない。不思議だったのは牛乳だ。僕は中学生の頃、給食室の前に残っていた古い牛乳を飲んで食中毒症状を起こして以来、牛乳は飲めない体だったのだ。高校でも大学でも、もういいだろうと思って牛乳を飲むと…ピィーピィーだった。それがどうだ、教員になった瞬間から牛乳を飲んでも平気になってしまった。学校の牛乳は薄いという噂もあるが、とにかく僕はプロ意識が牛乳を平気にさせたのだと思っている。

僕のクラスでは給食は毎回くじを引いて決めていた。中学生になると「好きな人と食べたい。」という子が多いのだが、それは許さなかった。そして給食中はとにかく子供達と話をした。同じテーブルに座った子全員と必ず話をすることにしていた。

給食が終わるとジャンケンである。片付けをジャンケンで決めるのだ。それもサンマーといって、3回負けると負けというルールで遊ぶ時間を作った。勿論自分が負けたら片付けをしなくてはいけない。僕がたまに負けると子供達は大喜びだ。これは決して平等な結果にはならない。負ける子はよく負けるし、勝つ子は良く勝つ。それでいいのである。

僕のクラスはお代わりもジャンケンだった。男の子だけとか、力の強い子だけがお代わりをするようなクラスはいただけない。いつもジャンケンということになれば、女の子も力の弱い子も十分に戦えるという訳だ。結果は平等でなくてもいいのだ。みんなが平等に戦えれば……。

給食で気をつけなければいけないのは、アレルギーである。中には痙攣を起こす子もいるから、決して無理強いして食べさせてはいけない。お弁当を持ってくることもOKなのである。みんなと同じものを食べることを強制したら、軍隊か刑務所になってしまう。みんなと同じ物が食べられることは幸せだということはできるが…。

僕らが言えるのは「好き嫌いなく食べるのがいいね。」「おいしい、おいしいって思って食べよう。」「最低20回は噛んでたべよう。」くらいである。学校で食生活の躾はできないし、してはいけない。食べ物に感謝する気持ちを育てたければ自分がそうすることだ。給食の味は栄養士によって、物凄く違うことがある。そういう時は諦めが肝心である。じたばたしても味覚というのは変化するものではない。同じ材料を使っていても味が変わるのが料理だ。自分で調味料などを用意して、何とか切り抜けることを考えよう。教室にトースターを置いておくのも良いかもしれない。パンの添加物はトーストすることでほとんどが飛ぶらしい。自分の健康は自分で守るという姿勢を子供達に見せなくてはいけないのだ。

添加物の事は子供達におりを見て話をしよう。子供は「良い言葉と良い食べ物」で育てられる権利があるのだ。子供達の健康を蝕む添加物にはいつも注意を払っていなくてはいけない。ビタミンの話も、ミネラルの話しも給食の度にすればそれは立派な教育になるのだ。

「給食」の時間は楽しい。子供たちと同じ席について、同じ目線で話ができる時間だから・・・。この時間を無駄に使ってはいけない。チャンスは毎日くる。それを逃してはいけないのだ。

*チャンスは毎日くる。そうチャンスは毎日来ている。そのチャンスをつかまないと、子どもたちの心はどんどん遠くへ行ってしまう。「子ども達と過ごす時間がない」という話を聞く。確かに、昔の僕らより子どもたちと過ごす時間は少なくなっている。くだらない仕事が増えているのだからしょうがない。それでも、給食は一緒に食べられるはずだ。「同じ釜の飯」を食うのである。その感覚が大事なのだ。「給食と昼休み」こそ、神様が下さった時間なのである。


4月18日 (土)   『一生懸命』幻のたかやん日記 第107弾! 2009.4.18(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第107弾! 2009.4.18(土)   たかやん

川越からのメール

たかやん様
たかやんのように、市民に情報を流すために駅立ちをする議員は選挙だからといってあわてて駅立ちするわけじゃないから、市民からも「ご苦労様」って言われると思うのですが、
どうも「駅立ち」を選挙のために立つものだと思っている議員もいてそのようなことをするから「選挙の時だけ笑顔だね」なんて市民に言われちゃうのです。そうなると益々、議員全員の信用が落ちてしまうわけです。熱意のない議員を選んでしまう市民にも責任がありますけどね。

川越は今日(16日)が臨時議会です。午後からですので、傍聴します。新座は24日ですか〜、予定があって傍聴できません。残念。議会報告見ました。「市長の公用車をやめれば」・・・という財源確保はいいですね。市長も市役所職員も議員も市民に対するサービス業ですし、
いろいろと支出を削って、市民サービスすることは大切です。もしも新座市役所と○○市役所が並んで有って、市民が好きな方を選べたら、サービスの良い自治体を選ぶでしょう。
今住んでいるところから、なかなか引越しができないから、住んでいる市の市役所を選ぶしかないわけです。○○スーパーと△△スーパーのどちらに買い物に行くかといえば、安くて、品物が良くて、消費者のことを考えてくれるスーパーが好きです。

* 川越で一番有名な主婦からこんなメールがきた。僕も昔は「駅立ちって選挙運動みたいで嫌だなあ」そう思っていた。だから駅に立つことなど一度もしなかったのだ。それを教え子に怒られた。「たかやんは何もやってない!」「全然駄目だよ!」「がっかりしたよ!」「よしだよしのりを見ろ!」僕は教え子の一言で目が覚めた。そう自分の考えを発信しなきゃ駄目だと・・・・。自分を応援してくれている人にちゃんと報告をしなくてはと・・・。教え子達に恥ずかしくない活動をしないと・・・。そう思ったのだ。僕の駅立ちは3年後の選挙運動などではない。1年前の選挙で応援してくれた方たちへの、5年前に僕に投票してくれた方たちへの、そして9年前に落選した僕を応援してくれた方達へのお礼なのだ。そして、議員として当たり前の仕事なのだ。

4月号
そんな訳で、4月号の作成に取り掛かっている。書きたいことは山ほどあるので、紙面は直ぐに埋まってしまう。でも、自分が言いたいこと、書きたいことばかりじゃあ読んでも詰まらないだろうから・・・いろいろと考えてしまうのである。

落合川
ママと空を連れて自転車で落合川へ遊びに行った。丁度「川塾」を友達がやっているところだった。綺麗な川に綺麗な芝・・・子どもたちが川辺で遊ぶその場所は、我が家から10分のところだ。あんなに近いところに、子どもたちの天国のような場所がある。地震が来ても、あそこの水を沸かして呑めば大丈夫。落合川の水は、それほど綺麗だった。

教師を目指す人へのメッセージ
第十六歩 「職員会議」
最初の年、僕は職員会議でほとんど発言できなかった。ただただ先輩達の議論を聞いていただけだった。唯一発言したのがソックスのこと。当時、僕の学校では「女子のソックスは三つ折りのこと。」という、訳の分からないルールがあったのだ。いくらなんでもそれはひどいと思って、勇気を出して手を上げたのだ。『どうして、ソックスを三つ折りにしなくてはいけないのですか?』すると僕の大好きな女のG先生がこう言ったのだ。「三折りの靴下のことをソックスというんです!」それで終わりである。僕は職員会議での初発言をこうして撃沈されてしまったのだ。

僕のいた埼玉の公立の中学校では未だに「少し許すと、どんどんだらしなくなる…限度が無くなる。」という考え方への信仰がある。例の「服装の乱れは心の乱れ」という標語を金科玉条のように唱えている人達はたくさん存在している。そこから僕の一番嫌いな言葉「共通理解、同一行動」という言葉が生まれてきたのだと思う。彼らは生徒に同じように接しなさいと言う。その前にルールを守らせるということに対してはみんなで共通理解しましょうね、という訳だ。前にも書いたが、これが恐いのである。この考え方が教師から人間味を奪い、生徒の心をぎゅうぎゅうに縛ってしまうのである。少し考えれば当たり前のことなのだが、不思議なことに、長年学校にいると、その考え方に疑問を感じなくなる人が多くなっていくのだ。国会中継もなかなか滑稽で面白いことがあるが、職員会議をテレビで中継したら、かなりの視聴率を稼ぐのではないかと思う。少なくても「金八」よりは面白いと思う。それほど中身のない議論がされることが多い。

一番忘れられないのは最後の二中で新しい部活動を作ろうとしたときだ。『硬式テニス部を作りたいのですが。』「8年前の職員会議で新しい部は作らないと決めたので無理です。」『今、ここにいない人達で決めたことに、何故我々が従わなくてはいけないんですか?』「原案通りでお願いします。」『コートも予算もいりません。やりたい子達がいます。やらせてください。』「原案通りでお願いします。」今でもその時のことを思い出すと腹が立つが、要するに管理職の考え一つなのだ。職員全体の考えで物事が決まっていくのではなくて、管理職の頭の中で物事が決められていく。管理職とその取り巻き連中の「飲み会」で学校のことが決められてしまうのはたまらない。そんな馬鹿な・・・でもそういう学校はたくさんあるのだ。管理職が子供達の方を向いて能力の高い場合はいいが、子供達の方など全く見ていなくて能力が無いと、こういう職員会議になってしまう。要するに結論が先に出ている訳だ。議論しても無駄だから、誰も発言しようとしないし、「原案賛成!」とゴマをする奴がかわいがられるという仕組みが出来上がっていく。反対に逆らうと、報復人事などが待っていたりするから恐ろしい。この当たりも最近の国会と同じである。逆に自由にものが言える学校はいい。先生が伸び伸びしていれば子供達だって、伸び伸びする。当たり前のことだ。最初の職員会議でその雰囲気はつかめるはずだ。学年会議も一緒。自由にものを言えないような雰囲気の時は管理職に問題があると思っていい。そう学級会議だって同じだ。力の強いボスのいいなりになるようなクラスや学年、そして学校は御免だ。
*そういう意味では新座市議会の方がギチギチの学校より、はるかに進歩的である。僕は一人会派だけれど、弱いものいじめをするようなレベルの人はいないし、僕の発言はきちんと保障されている。僕が発行する報告も自由だ。勿論、市長や教育長とも議場では対等に議論できる。それを止めることは誰にもできない。僕のボス市長でもましてや教育長でもない。会派のボスもいない・・・これも一人会派のいいとろである。先生達が教室でボスになることはあるだろう。けれども、子供たちの発言を押さえ込むような、そんなボス先生にはなって欲しくない。子どもたちを押しつぶし、力を引き出すことができなかった先生が、管理職になったら最悪である。自分のイエスマンだけを可愛がる先生が校長になったら・・・教育が終わってしまう。


4月19日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第108弾! 2009.4.19(日)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第108弾! 2009.4.19(日)   たかやん

5時
ひとのラケットで試合をした。場所は朝霞のオムニコート。しかもシングルス。体が思うように動かない。しかも相手は知らない女・・・・いや、綾瀬はるか。まさかね・・・。見とれているうちにパスをスカスカ抜かれて、4−6で負けた。握手しようとネットへ近寄ったところで目覚ましの音。目が覚めてしまった。綾瀬はるか・・・テニスの後は食事に誘って・・・その後は・・・目覚ましの時間を少し遅らせておけばよかった。

6時
庭の花たちは朝露で濡れていた。今朝も母さんと黒目川に「散歩&ゴミ拾い」。母さんと二人、気持ちのいい時間を過ごした。

春の野に出て
五中・六中時代、この時期になると理科の授業で数時間は黒目川に散策に来ていた。ヒメオドリコソウ・カラスノエンドウ・ナズナ・ハルジオン・ホトケノザ・スズメノカタビラ・・・・目立たない「雑草」にも名前があることを知る子どもたち。黒目川で過ごした時間の感覚は今でも覚えている。空の誕生日には植物図鑑でも買ってあげよう。そして一緒に黒目川の草花の勉強をしよう・・・

紙に書いときな!
6歳の誕生日に「DSが欲しい!」と空。長男の亮で苦い思い出がある僕は、「ゲームは買わない」と言うが、空はあっちこっちでお願いをしていたらしい。所沢のお母さん(空のおばあちゃんにDSのソフトをまず買ってもらい・・・)におねだりし、母さんにはDS本体を買ってもらう約束を取り付けていた。そして昨夜、「パパ、DSっていくらするの?」「DSは高いよ」「480円くらい」「うーん、もうちょっと高いかな」「じゃあ、800円くらい?」「800円じゃあ買えないよ」「じゃあいくらなんですか」「2万円くらいかな」「おばあちゃん、2万円だって、忘れないように紙に書いときな!」「馬鹿、お願いしているのに・・・・忘れないでくださいね。だろ!お願いしますだろ?」「・・・・・お願いします」もう直ぐ6歳になる空。知恵はついてきたが、日本語はまだ幼稚園レベル。幼稚園児だから当たり前か・・・・。

通告
ちと早いが、6月議会の通告書を作成した。あと一月あるので、色々と修正されるだろうけれど、作っておけば安心だ。今のところ質問項目は7項目。今回もメールでの通告にしよう。

自転車掃除と英会話
庭で自転車の掃除をした。ただ磨くのはもったいないので、英語のテキストを置いて、暗誦しながら掃除をした。議会報告のポスティングにもテキストを持って行こうっと・・・。

ポスティング1
午前中は空と二人で歩いてポスティング。天気はいいし、空のスイミングの仲良しと会えたし、楽しい、楽しいポスティングだった。天気がいいと、外にでている人も多く、見知らぬ人にも「読んでください」と手渡した。その中に「こんにちは!」と向こうから笑顔で挨拶をしてくれた男性がいた。(ん、どこかで会った気が・・・)「あ、こんにちは!」と僕。「いつも駅で配っている方ですよね。」「あ、はいそうです。」「頑張ってください」「ありがとうございます!」こういう瞬間が堪らないのである。

ポスティング2
午後からは空と自転車でのポスティング。「ワオーン!」と突然犬に吠えられ、顔が引き攣る親子。「ああ、びっくりした!!」と言いながら、「もう一度、見てくる」と犬の方に行く空。午後のポスティングも楽しかった。

教師を目指す人へのメッセージ
第十七歩 「感想」
「義務教育」という言葉を使って、子どもを縛ろうとしてはいけない。「君たちは学校に来なければいけないんだ。義務教育なんだから…。」という教師が多く存在するのは事実である。行きたくないけど、「義務教育」だから行かなくてはいけない。そういう子供達が増えてしまうのだ。だから僕は「権利教育」なのだといった。『君たちには権利しかない。義務などはないのだ。だから学校に来る義務などないのだよ。大事なのは君たちに学校で勉強する権利があるということ。そしてその権利は誰にも奪うことなど許されないのだ。』僕はそう言い続けてきた。『その大切な授業を邪魔することは誰にもできない。いいね?』人が必死で聞こうとしている授業を邪魔することはいけないことだ。それを「義務教育」という言葉で説明してはいけない。「権利教育」という言葉で説明すると子供達は納得する。

第一「義務教育」というと、いかにも授業がつまらなそうだ。つまらない授業をしても「義務」だから「我慢」して勉強をしなくてはいけない。そういう教室が目に浮かんでくる。違うのだ。授業は楽しくなくてはいけない。子供達がワクワクしなくてはいけない。分かるように仕組まれてなくてはいけない。「授業」とはそういうものなのだ。勿論毎回そういう授業にするのは難しい。クラスに40人もいれば色んなことが起きる。でも…少なくても、そういう授業にしようとする努力を教師はしなくてはいけない。

教師という仕事の恐いところは、去年と同じことをしていても飯が食えることである。去年から何の努力をしていなくても、給料は上がっていく。分からない授業をして、子供達が苦しんでしても、「授業をちゃんと聞いていないからだ!」と生徒のせいにする教師は多い。僕は空き時間に授業を聞きにいったことが何度もあるが、それこそ授業のレベルは1から10まであった。こどもの目を見もしないで授業を淡々と進めている人も随分いた。自己満足型授業である。多いのは、子どもが質問すると「話を聞いていないからだろう!」と怒るタイプ。責任転嫁型授業である。いずれにしても、基本的には分からないのは授業のやり方に問題があるのだ。

ではどうするか…。子供達に毎回「感想」を書いてもらうのだ。50分授業の最後の五分は「感想タイム」。最初の五分で子供達を引き付け、40分集中させて、最後の五分は感想。僕の場合はこれが一番上手くいった。勿論、授業は自分で作っていく方が面白いから色々やってみるのがいいだろう。同じパターンは子供達を安心させるが、飽きさせることも事実である。時々刺激を与えることも大切だと思う。それこそ、子供達の目を見ていれば自分の授業のレベルが分かるし、自分の授業に何が足りないかが分かるようになるのだ。子どもの目にやる気が無かったら、こどもにやる気が無いのではない。自分の授業が下手糞なんだ、そう思った方がいい。少なくてもプロの教師はそう思わなくてはいけない。勿論感想に点などつけてはいけない。「つまらない!」「わからない!」と書かれても怒ってはいけない。それをありがたく受け入れなれないようではプロにはなれない。お客様の声を大切にすることを忘れてはいけないのだ。こども達の感想は僕たちへの「通知表」なのだ。
*この感想には評価の仕方が関係ある。「絶対評価」は勿論のこと、授業態度や感想の内容では評価はしないという安心感がないと、子どもたちは本当のことを書いてはくれない。定期テストで平均90点以上取ったら、誰でも必ず「5」。70点以上は「4」・・・・そういうハッキリとした基準を前もって宣言しておき、その通りに評価することで、子供たちの本音が聞けるのだ。自分の言うとおりに勉強しようが、子どもたち独特のやり方で勉強をしようが、結果がでればよし。そういう太っ腹な態度で子どもたちと接することが大事だ。最近流行の「家庭学習ノート」なるものには大いに疑問を感じる。家庭学習ノートを書いて提出することが「勉強」だと思っている子達のなんと多いことか・・・・。あまり勉強ができなかった先生が考えた方法だろう。少なくても賢い先生の考えた方法ではないはずだ。


4月20日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第109弾! 2009.4.20(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第109弾! 2009.4.20(月)   たかやん

舞ちゃん
6年生になった舞ちゃんに久しぶりにあった。久しぶりなので、僕らの会話は超猛スピード。「たかやん、最小公倍数が分からないの」「そっかあ・・・例えばだよ。8と12だったらいくつかな・・・・」車を運転しながら、二人で算数の勉強をしたり、羞恥心のメンバーのCDの話をしたり・・・・本当に楽しいひと時だった。

痛っ!
石神小に着き、舞ちゃんを下ろそうとしたときのことだ。舞ちゃんもいつの間にか6年生・・・「おいおい・・重くなってないだろうなあ・・」と僕。「えへへへへ」と舞。「首に手を回してね」「あい」「よいしょ!」と持ち上げたのだが、少し滑って・・・舞ちゃんを持ち直そうとしたとき・・・車のとがった部分に激突した。「ガオー!」激痛が走るが、まさか舞ちゃんを落とすことはできない。必死に堪えて・・・・舞ちゃんを車椅子に乗せる。体を鍛えないといけないな・・・そう思ったのだった。

家庭学習ノート
新座の学校では家庭学習ノートなるものが流行している。ノートに問題を書き、答えを書いて机に向かっていれば安心する。それじゃあ、まるでアホな母親の心理である。新座の中学校が県のトップの学力を誇っていたとき、「家庭学習ノート」は存在しなかった。そんなものに時間を使って、本気で自分の頭を使わないようになっているから、子どもたちの学力は下がってきているのである。勉強のできなかった先生達が、自分達のやり方を子ども達に押しつける。子どもたちは成績が下がってはいけないと、懸命に時間を使って家庭学習ノートなるものを提出することが勉強だと思い込む。そうして全体の学力は下がっていくのだ。「家庭学習ノートをやるな!」と、言っているのではない。やるとしたら、頭をつかってうまくやろうよ。と、言っているのだ。同じ字をノートに何十回も書いて覚える・・・そんな頭の悪い勉強法を信じてはいけない。脳みそに定着しない勉強法は時間ばかり食う「嘘勉強法」である。授業中からノートは写してはいけないのである。板書から一度は目を離して、頭に記憶させてから書く。それが脳みそを使うということだ。黒板に書いてないことも、重要だと思った説明はどんどん書き込んでいく・・・。余白を残して書くのは勿論だが、後で見たくなるようなノートにしなくてはいけないのだ。(塾日記から)


第十八歩 「懐かしい学級通信1」
1995.6.30 『一生懸命』幻の学級通信第62弾! 2年1組から
一日に12回
「人は誰でも1日に12回抱きしめられるべきです。生きていくためには最低4回。健全な心のために8回。元気でいるためには12回。ドラッグ(麻薬)よりもハグ(抱きしめ)を。」
天声人語にね、こういうのが載ってたよ。と吉沢先生。『わかるなあ、それ。』「1日12回だよ。」『うーん、抱きしめられたい!』「言葉でもいいんだって…・。」『そうだよね。優しい言葉って、そうだよね。』「絶対必要だよね。」『子供達の事も抱きしめなきゃ。自分も抱きしめられたいけど。』「うん。」最近吉沢先生とやさしい言葉について語ることが多い。この間なんか夜電話で30分も話してしまった。朝「おはよう!」『ジャンボ!』と笑顔でしてくれる子供達の挨拶も、僕にとっては「抱きしめ」なのかも知れない。もっともっと、笑顔でいよう。もっともっと、子ども達と語ろう。もっともっと、抱きしめてあげよう…。うーん。1日12回。
これは今から7年前のお話。吉沢先生は本当に優しい先生で、この時の話はよく覚えている。1日に12回、僕らは子供達を抱きしめているだろうか……。いやいや自分の子供でさえなかなか抱きしめてはいないのだ。子供と一緒にいないとなかなか子どもが見えない。一緒にいても見えないと、誉められないし、抱きしめられない…。

テニスの世界では一人のコーチが見ることのできる生徒の数は16人と言われているが、今の学校は1クラス当たりの生徒数がまだまだ多いのである。確かにそうなのだ。その人の能力にもよるだろうが、1クラスに40人の子ども達はやはり多いと思う。修学旅行や体育祭や合唱祭のような行事では多い方が面白い。しかし、一人一人に目がいくかと聞かれると、やっぱりNOなのである。

「学校とテニスを一緒にするな!」という人もいるだろうが、子どもの可能性を引き出すということに関しては同じである。Educationを教育ではなく、「開智」と訳すのが本当だという人がいたが、その通りだと思う。自分の考え(自分の考えが無い場合は学校の考え)を子ども達に押し付け、育てようというのでは困るのである。1日に12回。半分は親に頼むとしても、6回くらいは学校で抱きしめてあげたいものである。教師は子供達が傷つく言葉を僕らは知らず知らずのうちに、あるいは意識的に使っている。そのエネルギーを「抱きしめ」の言葉を話すことに使おうではないか。勿論本当に抱きしめてあげてもいい。言葉で抱きしめてもいい。表情で抱きしめてもいい。歌で抱きしめてもいい。子供たちは一日に12回、抱きしめられる権利を持っているのだから・・・。

そんなことをしたらセクハラになるのでは・・・そう思う人もいるだろう。大丈夫だ。卒業式の日に担任と抱き合って泣く子供たち。それを見て「セクハラだ。」という人はいない。要はその時の雰囲気なのだ。子供たちと自分の信頼関係なのだ。信頼関係がないのに抱きついたらいけない。それこそセクハラである。心配な人は言葉で抱きしめればいい。
*抱きしめ・・・ハグ。日本には余りない習慣だが、欧米では当たり前のこと。カナダに行ったときのことだ。ニューヨークへ飛ぶときに、空港まで送ってくれたカナダ人の女の友達が、僕のことを抱きしめてくれた。そう、まるで母親のように・・・・。僕はその1回のハグで安心してニューヨークへ行けたのだ、「抱きしめ」の力はもの凄い。学校にこそ、そういう力が蔓延してほしいものである。僕は「駅立ち」で毎回誰かとハグしているが、それは学校時代にそうしてきたからなのだ。男も女も関係ない。抱きしめは大事である。




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