Diary 2009. 4
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4月21日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第110弾! 2009.4.21(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第110弾! 2009.4.21(火)   たかやん

パーセントと割合
今朝は舞ちゃんと算数の勉強をしながら学校へ行った。算数の苦手な舞ちゃんだが、ちょっとコツを教えるとなかなかいい筋をしていることが分かった。手は思うように動かないが、頭は動くし、言葉も何とか出てくる・・・・。できないことが、できるようになることは誰にとっても嬉しいこと。障害があるもないも関係ない。年齢にも関係ない。
「たかやん、今日はね学力テストなんだよ」「あ、そっかあ・・全国統一学力テストか・・」「そう、それ・・・あたしね、算数は何点でもいいんだけど、国語は満点取りたいんだ・・」「そっかあ・・頑張ってね」今日のテスト、舞ちゃんとさなちゃんは別室での受験になるらしい。二人とも頑張れ!

疑問
全国統一学力テストには大いに疑問を感じる。私立の学校で不参加を決めたところは、僕と同じ疑問を持ったからではないかと思う。市長が替わった犬山市は残念ながら学力テストに参加となった。それでも自分達で採点するなど、国を相手にイエスマンにならないところが犬山市らしい。あのテスト、各学校で採点すれば安上がりに済むし、答案の返却も早くなり、テストの目的にかなうのである。新座市教委も大いに疑問に感じて欲しいところだ。授業時間を潰してのテストなのだから・・・・。

友達
午後に友達が遊びに来た。若いけれど自分の意見をしっかりもっている友達だ。考え方は違ってもいいのだ。自分の考えをしっかりと持っている人間に僕は魅力を感じる。「熱」のある人間に僕は魅力を感じる。いくつになっても友達っていいなあ・・と思う。

教師を目指す人へのメッセージ
第十九歩 「学校という狭い世界」
学校という社会は狭い。教師という職業が難しいのは、学校以外の社会を知らない教師が無限の可能性を秘める子供達と接するところにある。どこかで浪人したり、留年したりしている教師はまだましなほうだ。現役で教師になったりすると、小学校1年生から「学校」という社会しか知ら無い訳だから困ったことになる。「学校」の価値観は社会では通用しないと思った方がいい。

例えば修学旅行がある。僕のいた新座市ではほとんどの学校が奈良・京都への修学旅行だった。それも旅行業者にお任せのお金のかかる旅行だった。その事に疑問をもった友人が林間や修学旅行を生徒に企画させようとした。(一部の私立では当たり前のことかも知れない。そういう学校があると聞いている。)国民自然の家を利用し、バスの手配から何からみんな子供達でおこなったのである。その結果、2泊3日のクラスごとの分泊の林間学校は3500円しかかからなかったのである。しかも自由時間はたっぷりあり、ご飯はお代わり自由で美味しくて…。彼は修学旅行にも同じ事をやろうとした。分泊の修学旅行である。生徒たちも自信を持っていた。「次ぎは修学旅行だ!」と。しかし、教育委員会から横やりが入る。校長が呼ばれ指導を受ける。「三中だけ特別なことをやってもらっては困る。」という訳である。そして彼は校長に指導を受ける。結局彼は「修学旅行を自分達の手で!」と約束した子供達に、涙の敗北宣言をするのである。子どもと親に圧倒的に支持された有能な教師が、こうやって「不適格」の烙印を押されていくのである。

切符を買う手数料は11%。一人50000円の切符だと一人当たり5500円の手数料を業者に払っていることになる。切符を買うだけでだ。自分達で東京駅に買いにいけばただなのにである。原因は旅行業者との癒着にある。

旅行業者は林間学校や修学旅行の手数料が大切なのだ。一度業者と馴染みになると、公私の区別がなくなってくる。例えば職員旅行や校長会の旅行などは、かなりの割引やお土産がついてくる。その分は子供達から、というシステムなのだがそれが分からない。林間や修学旅行の下見もそうである。至れり尽くせりの下見に教師達はコロリとやられる。美味いものを食べさせてもらい、お土産をたくさんもらって、おまけに旅行の計画まで立ててもらえるのだからたまらない。自分達は楽な思いをして、その分を子供達からぶん取るという構図が「教育」な訳はないのだが…。そして僕が一番嫌いだったのは旅行での「接待」である。修学旅行の夜、子供達には「早く寝ろ!」と怒りながら、自分達は「反省会、打ち合わせ」と称して飲むのである。僕は修学旅行の夜、子供達と語るのが好きだった。子供達と夜を徹して語るチャンスはめったにない。そういうチャンスを飲み会で潰してしまうのだから始末に終えない。挙げ句の果てに酔った勢いで寝ない子供達を怒り、廊下に正座させたりするのだからどうしようもない。

しかし、学校ではどうしようも無い方が普通で、普通な方がどうしようもなくなったりするのだ。学校という社会は狭い。その狭い社会で当たり前のことは、子供たちが出て行く実社会では通用しない。朝早く学校へ来て怒られる子供たち。「朝練の時間は7時半からだ!」という教師。どうして「頑張るなあ・・・7時半からの練習なのに1時間も前から来ているのか・・」と誉められないのだろう。
*「家の子の担任休んでばかりなんです。自習ばかりなのに、誰も先生がつかなくて・・・」「先生の平均年齢高すぎませんか」議会では市教委を追及してばかりの僕が、こういうときは学校側に立とうとするから不思議だ。「新座の学校はレベルが低すぎる」と東京の奴に言われると、本当にムカっとくる。ふざけんなよ!今に見ていろよ!と心の中で言う。何を言われても、僕は新座の学校が好きなのだ。だから空も新座の学校に行かせると思う。そして、新座の学校が県でも国でもトップになるように応援したいと思うのだ。五中も六中もそして二中も・・・新座中も三中も四中も・・・僕は涙がでるくらい好きなのだ。


4月22日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第111弾! 2009.4.22(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第111弾! 2009.4.22(水)   たかやん

いい天気
最近は5時でも明るくなってきた。昨日の雨が上がり、朝からいい天気である。体にいいものを食べ、体にいい運動をし、心にいい言葉をたくさん浴びたい一日である。食べ物には少しお金がかかるが(野菜中心なのでそれ程高くはない)、後のものは全てタダでできること。健康に生きるのに、お金はかからない。心にいい言葉は自分で言えばいいのだから・・・。

基礎英語
朝6時から45分間は基礎英語の時間。基礎英語1は空と基礎英語2は塾の子達とやっているので、聴くことにしている。最近の基礎英語はスピードもなかなかのもの。英語耳を鍛えるにはいいと思う。英語だけの講座も欲しいところだが、日本の小中学生には十分いけてるプログラムだと思う。

花粉と運動
少し花粉が楽になってきた。薬はまだ飲んでいるが、外でもマスクをしなくなってきたのだ。これからは運動の季節である。現在の体重は71.8キロの体脂肪率17.8。体重は67キロに、体脂肪率は15以下に落としたいと思っている。体を軽く、柔らかく、健康な状態に戻そうと思う。

編集後記
今日は議会便りの編集後記の締切日。初めてメールで原稿を送ってみた。今回の編集後記は「観光新座よりも環境新座、教育新座を。保谷・朝霞線、新座駅北口区画整理よりも保育園の新設、増設を市民は望んでいる。」

タイマー
英語講座を聞き逃さなくなってきた。これはタイマーの力が大きい。携帯のタイマーは本当に役に立つのだ。

還暦
親友が還暦を迎えた。彼女と出会ったのは今から18年前。当時は42歳だった。それから僕の人生には彼女は欠かせない人になった。彼女には時々アドヴァイスをもらう。僕には年上の、そんな素敵な女の親友がいる。

教師を目指す人へのメッセージ
第二十歩 「切り札」
どんな学校にも生徒指導の「切り札」と呼ばれるものがある。例えば職員室への呼び出しだったり、校長の説教だったり。そして保護者の学校への呼び出しだったり…だけど「切り札」を早すぎる段階で使ってはいけない。そりゃあそうだ。切り札なのだから・・。そんな当たり前のことが分かってない学校が多い。僕が最後にいた学校では「自転車で登校」しただけで、親を呼び出していた。誰にも迷惑をかけずに、(そりゃあ自転車置き場で多少迷惑をかけたかもしれないが…)誰を傷つけた訳でもないのに、いきなり親を呼び出すのだ。たかだか「校則」を破っただけで「切り札」を使ってしまったら、本当に人に迷惑をかけた時はどうするのだ。そして人を傷つけたり、自分を傷つけようとしたりした時はどうするのだ。本物の教師は「校則」を破られたことに感情的になってはいけない。大切なのは「規則」ではない。「マナー」である。教師達の言い分は「みんなが同じ事をやったらどうするの?」である。答えは簡単。「自転車置き場を作ればいいのだ。」交通事故は登校時だけに起こるだけではない。放課後だって日曜日だって起こる可能性があるのだ。そんなことをいっていたら高校も自転車通学ができなくなってしまう。そんなに交通事故が心配なら教師達も車での登校をやめたらいい。自分にはできないことを、生徒達にやらせてはいけない。煙草についても同じだ。子供達に「煙草は吸うな!」と本気で言うなら自分達も「禁煙」するくらいの信念がなくてはいけない。子供達は「本気」を見抜く才能を持っている。本気で怒れば必ず通じるものなのだ。「煙草は吸うな!」といいながら自分達は、休み時間に職員室でコーヒーを飲みながら煙草をプカプカ吸い、子供達の前に煙草臭い息で登場する。そういうセンスのなさを疑うのである。教師の煙草の臭いは間違いなく生徒を不快にさせる。煙草を吸わない同僚も、勿論同じだ。鈍感な教師達はそういうことにも気づかない。妊婦がいても平気で喫煙する職場があったりしたのだからひどい。これはもう学校以前の問題だろう。「規則」ではない。「マナー」なのだ。去年の1月から学校の敷地内は「禁煙」となったらしいが、教師たちが隠れて吸っていることは生徒達も知っている。自分達は「法律」という「ルール」をしっかり守っているから、(守っていないことも勿論あるくせに。)おまえらも「校則」という「ルール」を守れ!と言う。そこには人を思いやる「マナー」という考えは存在しない。そして一方で「ルール」といいながら「体罰」を含め、「汚い言葉」で子供達に暴力を振るう自分達には寛容である。プロの教師はそうであってはいけない。学校は楽しいところでなくてはいけないのだ。教師だけが楽しくて、子どもをいじめてストレスを解消するところではないのだ。学校に「取り締まり系」の教師はいらない。子供達の目を見ないで、服装は髪型にしか目がいかないような三流の教師になってはいけない。この学校は厳しいのだ。と本気でいうなら、まず自分達に厳しくなれと言いたい。勉強で厳しく鍛えようとするなら、教師はその何倍も勉強して自分を鍛えなくてはいけない。生徒に理解できない授業をすることがレベルの高い授業ではないのだ。生徒が理解できるような授業をすることがレベルの高い授業なのだ。そして生徒が勉強を楽しむことこそ大事なことなのだ。
切り札は最後に取っておこう。そしてできるなら、その札は最後まで使わないでおきたいものだ。切り札は子どもが泣く札でなくてはいけない。それでこそ、切り札なのだ。
*取締り系の教師はいらない・・・そう書いたが、いてもいいとは思うのだ。だけどみんなが取締り系になったら駄目だよ、そう言いたい。家に帰ったら、小言をいうお母さんばっかりだったら、子どもはおかしくなってしまうと同じだ。先生みんなが同じ事をいうような味気ない学校はいらない。「人はみんな違う価値観がある」ことを多感な時期に教えなくてどうするのだ。ものを盗んだり、人を傷つけたりすることと、学校の校則を守らないことは同じではないのだ。学校の校則は社会には通用しない。そんなものを社会にでる子どもたちに押し付けるほうがどうかしているのだ。


4月23日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第112弾! 2009.4.23(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第112弾! 2009.4.23(木)   たかやん

5時
朝の空気が清清しい。今日もいい天気だ。朝刊には千葉市長逮捕の記事が・・・・。政治と金か・・・・嫌だねえ。

臨時議会
明日は臨時議会。税条例の改正と21年度、一般会計補正予算が議題だ。補正は「けやきの家」の整備、1億1000万と農作物直売所管理の90万。そして中学校の扇風機設置工事の1150万円の三つ。9時〜議運だ。8時半には市役所に着くように行こうと思う。

草薙
酒を飲み、真夜中に裸で騒いではいけない。どうやら国民的スターが一夜で隕石となって落下してしまったようだ。大学の友達に五稜郭で同じようなことをやって捕まった奴がいたが、新聞にも載らなかったような気がする。(いや、載ったかも・・・)スターだから落ちると辛いのであって、最初から地面に足をつけている我々にしてみれば・・・・ストレスがあったのかねえ・・・なんて会話になったりする。特にスマップのファンであるお袋は彼には同情的で・・・「別に凄く悪いことをやったわけじゃあないわよね」「もっと他に悪いことをしている人は沢山いるわ」という感じ。スマップはどうなるのだろうねえ・・。

おんぶに肩車
「パパ、肩車して!」「パパ、おんぶして!」幼稚園から帰ってきた空が、色々要求してくる。「パパ、ちょっと来て!」「いいから来て!」と自分の部屋に呼びつける・・・。普通呼びつけるのは父親のはずなのだが、我が家では「パパちょっと来て!」は日常茶飯事だ。お風呂に入っても主導権は空。「今日は○○で遊ぶよ」と決めるのは空。僕は「九九を全部言えたらいいよ」と少しは反撃するが、いつも空のいいなりになってしまう。

教師を目指す人へのメッセージ
第二十一歩 「最初が肝腎」
「最初が肝腎」とよくいう。確かにその通りだ。しかしその肝腎を間違えてしまっている教師達がたくさんいる。「1年生の1番最初にびしっとルールをたたきこまないと。」と主張する教師達のことである。「チャイム着席」「ジャージでの清掃」「中学生らしい頭髪」「中学生らしい服装」とにかく最初にビシッと教え込まなければ、あとが大変である。と彼らはいう。答えはNOである。「1年生の1番最初にかわいがること。」それが大切なのだ。僕は21年間担任をやってきたが、ただの一度も1年生で担任をした子供達から暴力を振るわれたことはない。テニス部の子達と戦ったことはある。接し方が違ったのである。僕はクラスの子供達は徹底的に可愛がった。小学校でどんなに優秀な子であっても、どんなに悪いことをしてきた子であっても関係なく一日目で「名前」を呼んで握手をしてきた。掃除も一緒にやったし、家庭訪問にはその日の子供達全員を車に乗せて、ワイワイガヤガヤ話をしながら行ったものだ。給食は毎日くじを引いて、ジャンケンで片付けをして、昼休みは一緒にサッカーをやる。毎日帰りの学活ではギターを弾いて一緒に歌を歌う。そしてテスト前には「朝勉」で一緒に勉強し、テストも一緒に受けた。勿論怒ることもある。泣かすこともある。だけど、1年の終わりにクラスが解散する時にはみんなで泣くのだ。
そういう子供達の中に徹という子がいた。中2、中3は僕のクラスから離れ、接触する機会が少なくなった子である。その子が3年生になり、いわゆるワルになった。身長、体重も僕をはるかに越え担任の教師に対してもひどい態度を取り、弱い生徒に対するイジメも始まった。そういう時に僕は彼とぶつかった。何が原因かは覚えていないが、昇降口で僕は彼の胸ぐらをつかんでこういった。『徹!なにやってんだよ。お前は!』「…・・」彼は泣きはじめた。僕より背もでかいし、力もある中3がまるで中1の子どものように泣くのを見て、僕は彼が愛しくてしょうがなかった。そして自分のやり方が間違っていなかったと思った。子供達の心は僕と出会った時のままだったのだ。彼はそれから落ち着いた生徒になっていった。一方でテニス部の子供達とは違う接し方をしていた。僕が部活動で子どもを「名前」で呼ぶようになったのは後半になってからで、それまでは全部「苗字」で呼んでいた。僕に対しては全て敬語を使わせていたし、接し方もほとんどが命令調で暴力的だったのだ。要するに子供達は全く違う僕を両面から見ていたことになる。ただキツイトレーニングは一緒にやったし、遊ぶ時はあそんだから最後はやっぱり泣けた訳だ。でも僕に対して力で向かってくる子は思い返すとみんなテニス部の子供達だった。勿論素手で一対一で戦ったし、気合で一度も負けなかったし、今ではみんな笑い話なんだけれど、「最初が肝腎」なんだとやっぱり思うのだ。怒らなくてはいけない時はある。そこを逃してはいけない。怒るには気合が必要だ。ネチネチだらだら怒ってはいけない。怒ったら、さっぱり忘れてしまうぐらいの技量がなくてはいけない。それができないのだったら、怒らない方がうまく行くかもしれない。昔は学校に一人や二人、怒るのが名人という先生がいた。今はあまり見当たらない。だったら家で鏡の前で練習することだ。気合を込めてイメージトレーニングをすることだ。笑顔も怒る顔も練習で作れるものなのだ。
役者
教師は役者でなければいけない。授業は舞台そのものだ。そして、ある時は父親役になり、ある時は母親役にもなり、そして兄貴にもなる・・・勿論、悪役にだって進んでなるのだ。子ども達のためになら、どんな役者にでもなってやる!それくらいの気持ちで子どもたちの前に立つことだ。そう毎日が舞台なのだ。同じ舞台は二度とない。子どもたちとの一日、一日を大切にして欲しい。


4月24日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第113弾! 2009.4.24(金)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第113弾! 2009.4.24(金)   たかやん

臨時
今日は臨時議会。いつものように歩きか自転車で行こうと思ったのだが、空が遠足で、ママがテニスの試合。空を幼稚園へ送り、そのまま市役所に行くことになった。

ゴミ
車を運転しているときは、流石にゴミに集中はできない。それでも、時々目に入ってくるゴミの場所は覚えた。次の機会には拾ってこようと思う。

議運
9時からは議運。市長と二人の部長も参加して、今日の臨時議会の進め方の打ち合わせをした。

本会議
9時40分に本会議が始まった。新執行部は全部で9人。フレッシュな顔ぶれが前に並んだ。

全協
本会議の後は全員協議会。5つの議題についての質問と答弁があった。語る会は勿論、どの会派からも活発に質問がでていた。10時18分。共産党の小鹿議員の質問の最中に執行部で居眠りをしている方が1名。最前列だったので、かなり目立ったなあ・・・。

おいおい・・・
新座市は緊急雇用対策で「カーブミラーの点検や清掃」の事業を創出し、19名を募集したが7人の実績しかなかった。そのことに僕はこう質問した。そういう目立たない仕事もいいけれど、道路や公園、河川などの清掃業務は考えられないか。「観光新座」なのだから、市民も喜ぶと思うがどうか・・・。それに対する市長の答弁は「道路や公園などは町内会などのボランティアの心で清掃をするという方針なので、そういう考えはない」というもの。僕は道路も河川もボランティアで掃除をしているが、そんなものでは追いつかないほど新座市内は汚れているのだ。ボランティアをやっていない人には分からないかもしれないが、その答弁にガッカリしてアホ臭くなり、それ以上の質問をやめてしまった。カナダのトロントへ行ったことがあるが、ゴミが殆ど落ちていない。市の職員がまるで東京ディズニーランドのように片っ端からゴミを拾ってあるくのである。勿論、市民にもゴミを捨てない意識が強くあるのだが・・・・観光都市新座とは雲泥の差なのである。観光都市新座は掛け声だけ、市長には本気で新座市を綺麗にしていこうなどという気持ちがないことがよーくわかった。

うどん
昼ごはんは久しぶりに外に出た。きんぽう食堂の下にある「うどん屋」さんに行ったのだ。そこには僕の教え子達が3人も働いていて・・・もの凄く美味しい「肉汁てんぷらうどん」の中を食べたのだった。だけど、中は多すぎた・・・午後の議会で眠くなるのではと心配になった。

テレビの力
臨時議会の傍聴は一人。午後になってお休みになる方たちが増殖。最大瞬間睡眠数は7名に・・・1階のテレビには議場全体を映し出すことを提案したい。

教師を目指す人へのメッセージ
第二十二歩 「ノート勉」
子供たちに力をつけるには、いいフォームで勉強することを教えなくてはいけない。それには「ノート勉」がいい。ノート勉は簡単だ。まず授業に集中してノートを取る。目いっぱい部活をやって、疲れていても寝る前に枕元にその日のノートをちょいと並べる。そして目を閉じて授業を思い出すのだ。そして思い出せたら寝てしまう。思い出せなかったら、ノートを見て思い出すのだ。記憶は寝ることで“長期記憶”になることが確かめられている。その脳の仕組みを利用するのだ。そして朝・・・目を覚ましたら、また昨日の授業を思い出すのだ。これを“思い出し勉”という。このノート勉の効果は絶大である。嘗ての教え子で、この勉強法で学年で一番になり、浦和高校でも一番になり東大へ行った子がいた。安くて、時間が節約できて本当にいい勉強法だと思う。このノート勉が出来るようになると、自然に授業に集中するようになる。「授業に集中しなさい!」と言っても、子供たちはなかなか集中できないものだ。だけど「ノート勉は楽しいぞ!この勉強法は科学的根拠があって、しかも時間はかからないんだ!」というと、子供たちはやり始めるのだ。そして自然に授業に集中するという訳だ。
ノートの取り方も色々ある。“マインドマップ”を描いたり、絵を入れてみたり、色々工夫してノートを取ることで、脳はどんどん進化していく。自分が黒板に書いたままのノートを見てもつまらない。それは写しただけだから・・・・。だけどそれが変化して子供たちの中で消化しているのを見るのは楽しい。だからなるべく授業中に子供たちのノートを見ることだ。たくさんのノートを見て、良いノートがあったら、みんなの前で大声で誉めることだ。ユニークなノートがあったら誉めることだ。
よく「ノート点検」をする教師がいる。あれはよくない。第一にノート勉の権利を奪っている。仮にAを付けたとしても、教室でみんなの前で誉めたことと比べたらたいしたことはない。子供たちは教師に誉められるのを待っている。Aという数字で誉めるのと、教室でみんなの前で誉めるとでは全然違うのである。「ノートを提出しないと減点です!」などと言っている教師はアマチュアだと自分で言っているようなものだ。普段の授業の中で子供たちの生のノートを見ていないのだから・・・・プロの教師は“授業”というドラマの中で子供たちの変化を見なくてはいけない。そういう意味では教師は舞台俳優でもある。舞台で発言した台詞は訂正はできないのだ。授業は舞台。真剣勝負なのである。そういう意味でも教師は“役者”なのだから、目にはいつも力がなくてはいけない。舞台で目が死んでいたら観客は幻滅してしまう。観客はお金を払って来ているのだ。そのお客を楽しませるのがプロなのだ。三流の役者でも毎回一生懸命演じていれば二流になる。そして魂をこめれば一流になっていく。授業の中で子供たちのそばに行くチャンスを逃してはいけない。どんどんノートを見に行くことだ。そしてどんどん誉めることだ。そしてひどいノートがあっても他の子と比較してけなしてはいけない。その子のノートの変化をみるのだ。どんなに汚いノートでもその子に真剣に接していれば、ノートはどんどん変化していく。それが面白いのである。舞台は毎日ある。だけど同じ舞台は二度とない。
*あら・・・昨日の日記にも同じようなことを書いた気がする。五中時代、一番前の席で綺麗なノートを書く女の子がいた。彼女は本当に授業に集中し、僕の話に耳を傾けていた。そして驚くほど綺麗なノートを取っていたのだ。彼女は「御茶ノ水」に進学した。やっぱりノートの力は凄いと思った。一方で祐二という男の子は僕の授業で一度もノートを取らなかった。1年生のとき「何でノートを取らないの?」と聞くと「真剣に聞いているから」と答えた祐二。「あ、そう」と僕。彼は1年から3年まで理科だけはずっと5だった。そういう子もいるから学校は面白いのだ。


4月25日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第114弾! 2009.4.25(土)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第114弾! 2009.4.25(土)   たかやん


大型連休の初日は雨。ゴールデンウィークだと浮かれている人たちにはいい雨だろうし、仕事ができないと落ち込んでいる人たちには悲しい雨。僕の場合は浮かれてはいないし、落ち込む暇もないので、ただの雨。

深谷市
「今月いっぱいで副市長と教育長の専用公用車を廃止すると発表した。市長専用車についてはリース契約が残っているため、しばらくは利用するが、契約期間内での廃止も検討する。」そういう新聞記事が川越の友達から送られてきた。僕の議会報告3月号で提案したことを深谷市はもう実現するのだ。深谷市にできて、新座市にできないことはない。みんな自家用車を持っているのだから、自分で運転すればいいし、それが駄目なら市役所の前のタクシーを使えばいいのだ。6月議会の一般質問の通告書に書いたとおりに質問しよう。

草g2
どうやらこのスターは地球に激突する寸前に世論(ファンの力?)で空に舞い戻りそうである。自民党の鳩山さんは「最低の人間」と言ったようだが、彼が最低ならどこかの企業から違法な献金をしっかりもらっている政治家達は「最低の人間」のはるか下の極悪人だろう。そのもっと下で蠢いているのが、子どもを殺す親たちである。草g剛は確かに恥ずかしいことをしたかも知れないけれど、人として許せないようなことはしていない。地デジのコマーシャルが没になるらしいが、地デジそのものが没になった方が国民のためかも知れない。

みどりジャージ
家の前のウェルパークで六中緑ジャージのMさんに会った。家でパソコンを見ると、同じ学年の華からメールが来ていた。華は卒業するとき、僕の下駄箱の裏に「たかやん、愛してる!」と落書きしていった女の子である。その落書きは僕が六中を去るまでそのままだった。今日はみどりジャージを感じた一日だった。

古都
そう言えば昨日は岡山の古都からメールが来ていた。古都は六中最初の赤ジャージで、1年2組。僕を含めて、沢山の人間の運命を変えた女の子である。卒業式の日に体育館の壇上で「私にはお父さんがいません。たかやんが私のお父さんです」古都はそう言った。久しぶりの娘からのメールは本当に嬉しかった。

教師を目指す人へのメッセージ

第二十三歩 「僕の失敗」
最初に担任した3年4組でのことだ。何月頃だったか、女の子達が4人授業をサボっていなくなったことがあった。僕は空き時間に子供たちを捜しに行った。彼女達はあるアパートの屋上にいた。
『何やってんだ!心配したぞ!』と僕。すると彼女達からこういう言葉が返ってきたのだ。「あたし達のことを先公が心配する訳ないじゃん!」「なんであんたがあたし達の心配するわけ?」『俺は・・・・俺はお前達の担任だー!馬鹿やろーっ!』僕はどうしたらいいか分からず、彼女達を置いたまま学校に帰ってきてしまった。
そして隣に座っていた3組の担任のベテランの帯刀先生に『こういう時、どうしたらいいんですか?』と聞いたのだ。そうすると帯刀先生はこう言った。「あんたに分かったら俺達やあ飯の食い上げだよ。」そしてニヤッと笑って僕に煙草を差し出したのだ。僕は煙草をやめていた。中学生に「煙草を吸うな!」という以上、自分が吸っていたらしめしがつかないと思っていたのだ。だけど・・・僕はその一本を吸ってしまった。一服すると確かに少し落ち着いた気分になった。
それがきっかけで、僕はハイライトを一日50本吸うようになってしまった。人間は弱いなあって思う。僕は彼女達のことはそれから先もずっと分からなかった。考えて見れば当たり前なのだ。23年しか生きていない男が、それも男だけ3人の兄弟の中で育った男が15歳の女の子達の気持ちが分かるわけがないのだ。それでも卒業式の日にみんな泣いて抱き合えたのも、彼女達が結婚式に僕を呼んでくれたのも、僕が彼女達から逃げなったからだろう。全然分からなくても、分かろうとするエネルギーがその時の僕にはあったのだ。

同じクラスの話だ。掃除の時間に2階の僕の教室から雑巾が落ちてきたことがあった。それを見て激怒したのが、僕の副担の大熊先生。この大熊先生は恐くて有名な英語の女の先生だったのだが・・・・「誰だーっ!雑巾を落とした奴は!」と叫び、僕のクラスまで職員室掃除の生徒を行かせ、落とした子を職員室に連れて来させたのだ。そして僕の目の前でいきなり訳も聞かずにバシッっと本で頭を叩いたのだ。(助けて!)という目の文子。だけど・・・僕は情けないことに、その大熊先生が恐くて何も言えなかったのだ。僕が担任なのに、僕の前で行われている理不尽なことから自分の生徒を救うことができなかった・・・。その時の文子の僕を見る目を僕はずっと忘れられないでいる。そして今でも後悔しているのだ。

自分のクラスの子を救えなかったら担任の資格はないと。それから僕は戦うようになった。どんなことがあっても担任している子達の側になっている自分がいた。勿論悪いことしたときは一緒に謝った。職員室前に一緒に並んで正座もした。文子の時のように後悔したくはなかったのだ。もう二度とああいう思いをさせてはいけない。僕はそう思ったんだ。
*何があっても他の先生に殴らせてはいけない。殴る必要があるときは、担任が自分で殴るのだ。殴るなんてトンでもない・・・それなら叱ればいい。他の先生に叱らせてはいけない。自分が本気で叱ることだ。自分のクラスの子供たちを学年のほかの先生達に叱らせてはいけない。集団で叱る(いや怒るだなあ)のが一番いけない。担任が叱っても、子どもたちには他の先生という逃げ道がある。それでいいのだ。そのときは自分が嫌われてもいいのだ。兎に角、その子どもたちに本気でぶつかっていくことだ。子どもたちは大人が思っているようにおかしくはなっていない。ちゃんとまともな心を持っている。それを開けられないのは、教師の力が足りないからだ。人としての力が足りないからだ。


4月26日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第115弾! 2009.4.26(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第115弾! 2009.4.26(月)   たかやん

水元公園
心配していた雨が上がり、午前中から葛飾区に出かけた。五中時代の教え子に呼ばれて、水元公園のこども祭りに行ってきたのだ。

350円
大泉から外環に乗った。いつもは500円の外環が350円。たったの150円だが、儲かった気分になるから不思議だ。

時速80キロ
空が生まれてから、スピード違反をしたことが殆どない。今日も他の車が100キロを軽くオーバーして走る外環で、僕は80キロ以下をキープして走った。その僕の車をもの凄いスピードで追い抜いた黒い車が、覆面パトカーに捕まっていた。

新居
快治の家は新築の2階建て。ロフトがついていて、なかなかお洒落な家だった。階段のない我が家で育っている空は、その階段を上ったり、降りたり・・大忙し。慶子ちゃん手作りのパンとパスタで腹ごしらえした僕らは、快治の7人乗りの車で公園に向かった。

数万人
多分、数万人という単位の人で公園は溢れていた。お祭りの規模がもの凄いのだ。公園全体が水と芝と木々で出来ている水元公園。空たちは木工細工、輪投げ、太鼓、ペットボトルロケットと遊びに遊んで、お菓子を貰って、大喜び。最後にカキ氷を食べて、みんなご機嫌だった。

辛!
慶子ちゃんは早めの夕飯まで用意してくれた。そのうどんの美味しかったこと。元うどん屋がいうのだから間違いない。その調味料の辛かったこと・・・。「狂辛唐辛子」という唐辛子は美味しかったけど、本当に辛かった。

4月号
よしのり君からメールがあった。明日は朝霞台で駅立ちをやるらしい。凄いなあと思う。僕は朝霞台でやったことは一度もない。僕の4月号は連休明けにひばり、東久留米、志木、新座で配布予定である。

教師を目指す人へのメッセージ

第二十四歩 「絶対評価」
僕は「授業態度」を評価に入れたことはなかった。それは昔の苦い思い出があるからだ。中学校二年の時のことだ。理科のテストで僕は満点を取った。学年で一人だけだった。僕の中学校は新宿区立西戸山中学校。新宿では有名なモデルスクールだった。ようするに頭のいい奴がたくさんいたのだ。その西戸山で学年一番を取ることはたとえ一教科でも、僕にとっては奇跡だった。通知表は当然5。そう思っていたら・・・・・評価は4だった。「授業態度」が原因だった。佐久井先生という奈良女子大を出た女の先生は授業態度にうるさかった。僕は余りにも注意されるので、頭にきて勉強しまくって、その先生をやり込めるという遊びを始めたのだ。その結果テストはできたのだけれど・・・・。結局、授業態度に対する報復だった。僕はその通知表を母親の前で燃やしてしまった。だから理科の教師になった時に「授業態度」を評価にいれる教師にだけはなるまい、そう決めたのだ。ではどうやって評価するか。そうテストの結果だけで評価するのだ。だから1学期の授業のはじめに僕はこう言っていた。「テストの平均が90点を超えたら、誰でも5です。授業通に寝ようが、僕を殴ろうが必ず5をあげます。70点を越えたら誰でも4です。・・・・・・」そしてその通りに評価した。どんなに授業態度が良いい子でも、1点でも足りなければ容赦なく4をつけたし、僕に喧嘩をうってきた子でも基準を超えれば間違いなく5をつけた。「相対評価」が当たり前の時代だったから、同僚から色々言われることもあった。でも、公立高校へ提出する内申以外はこの「絶対評価」を通し続けた。そしてそれは子供達に信頼される一つの要素になった。“自分の好き嫌いを評価に入れない。”という信頼である。
今の子供達の話を聞くと、相対評価の時代は勿論、絶対評価になった今でさえ、教師の「感情点」「好き嫌い」が評価に入っている。ノートを提出しなければ「減点」。チャイム着席をしていなければ「減点」授業中騒いだら、テストがよくても平気で「1」「2」をつける。そういう教師がたくさんいるらしい。そもそも子供達の評価に「1」「2」が多いということは自分の授業が下手糞だということなのだ。それがわかっていないアンポンタンが多すぎる。平均点が低いと喜ぶ教師も結構見てきたが、どういう神経をしているのかと思ってしまう。最近新座のある中学校で国語の教師が1年生の五割程度の生徒に「1」をつけた。僕の感覚では「1」というのは音楽で言えば「お前は歌うな!」という数字だ。美術で言えば「お前は描くな!」という評価だと思っている。子供たちにはそれくらいのショックをうけるのだ。絶対評価になって、他市の評価は「4」と「5」がやたらと多くなっていると言われている今、いくら力がないからといって、そこまでやる必要があるのだろうか。力が無かったら、力をつけてあげるのが教師だと僕は思う。1をつけられた子達は今は2年生。もうすぐ3年生になる。本当に心配だ。僕の塾にも小学校で習った漢字が読めない中学生はいる。だから練習するのだ。小学校の漢字からやり直す。そしてできたら誉めてあげる。漢字が読めるようになると、本も好きになってくる。ただ「本を読め!」と言っても子供たちは本を読まない。読めないのだ。まず、読む力をつけてあげなくてはいけないのだ。いくら絶対評価でも、プロの教師は気安く「1」をつけてはいけない。
*この文章は数年前のものだが、今でも当てはまることはたくさんの学校であると思う。教師はいい役者にならなきゃいけないが、生徒のほうにも「役者」はいるのである。教師の前では「いい子」を演じきる名優に騙されてはいけない。学級委員や生徒会長が裏ではいじめっ子だった・・・なんて話はざらにある。大人の世界でもその類の名優は多い。しかし、そういう役者はどんどん貧相な顔になっていく。学校という世界に政治の世界にもそういう顔はゴロゴロしている今の日本である。自分の顔だけには責任を持ちたいものだ。いい顔の先生に育てられた子ども達にその人相は伝染していく・・・。


4月27日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第116弾! 2009.4.27(月)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第116弾! 2009.4.27(月)   たかやん

酒酔い運転
いけないとは思っていたのだが、飲んだ勢いでバイクを運転してしまった。しかもノーヘルで・・。駅前の警察官が僕に気づく・・・交番の警察官が歩いてやってくるのが見えた・・・バイクを乗り捨て、コンビニに逃げ込む・・・「逮捕する!」(まずい!これじゃあ草gと同じだ・・・スマップの仲間になんと言い訳したらいいんだ!まてよ・・俺はいつからスマップになったんだ。あれ?俺の頭、長髪だぞ・・・・)「逮捕する!」「あいや、ちょっと待って・・お願いだから・・・」「逮捕する!」走り出すと、風のように速い。バイクに飛び乗って逃げ出す僕。後ろからはパトカーのサイレンが・・・・踏み切りの遮断機をブッチギリ、20m近く跳んだ!!そして横転!!そこで目が覚めた。勿論、布団の中で横転していた私。昨日は日曜日だったので、寝る前にちょいと一杯。布団の中での酒酔い運転じゃあ、流石に捕まらんだろうね。

基礎英語
今朝もいい天気で爽快に目が覚めた。暫くして、ラジオを付けて基礎英語を聴く。塾の子供たちも一緒に聞いているはず・・・そう思って耳を澄ませていると・・・楽しい気分になってくる。五中や六中で子ども達と基礎英語に燃えていた時代が懐かしい。

朝の庭で・・
「パパ!ひまわりの種から芽が出てるよ!」「本当だ・・・」「パパ!こっちのにも一杯でてるよ!」「凄いねえ・・・お水あげよっか・・・」「うん、お花に沢山ご飯あげないとね。」そして水をまき終わった後、花たちに手を合わせる空。「何してんの?」「お花さんたちが元気に育ちますように、お祈りしているんだ」「ふーん、そっかあ・・きっと大きくなるよ」
何気にちょっと優しい空であった。


我が家に飛び込んできた虫たちは、大抵の場合無傷で外に放されることになっている。しかし蝿だけは・・・・そう思って殺しにかかろうとすると、「パパ、逃がしてあげて!」と空。「殺さないで!」と言われると、殺せないのが人情ってもので・・・昨日は蝿まで無事に逃げ延びたのであった。

保育料補助金
昨日、葛飾区の教え子に聞いた話。「幼稚園の保育料は補助金が三分の二、区からでるので、個人負担は三分の一でいいんです。」「え?新座市は年間3万円でっせ」・・・「子育て支援に、それ程の差があるの?」聞いてはいたけど、それ程の差があるとは・・・。

保育料補助金2
それで調べてみた。東京都の場合、700万円の年収で妻、子一人と場合にもらえる金額は・・・
1位が江戸川区の31万2000円。新座市の10倍以上なのである。2位が葛飾区で23万9196円。3位が生まれ故郷の新宿区で22万2000円。もう馬鹿馬鹿しくてお話にならないほど、東京は「子育て支援」に本気なのだ。

私立幼稚園入園料補助金
ついでに私立幼稚園の入園料の補助金も調べてみた。ちなみに、新座市はゼロ(今年度から5000円)である。同じように700万円の年収でのランキングである。
1位は品川区と大田区の10万円。2位が世田谷区の9万円。そして3位が新宿区と江戸川区の8万円なのだ。つまり、江戸川区で幼稚園に入る子達の親や入園料に8万。そして保育料の補助として年間31万2000円、計39万2000円の補助金がもらえるのである。新座市との差額は実に36万。定額給付金など屁みたいなものだ。新座市は子育てに冷たいということが、この補助金にもよくあらわれている。

ご飯だけか・・
夕方、僕と一緒にお風呂に入っていた空、「ママ!ご飯なあに?ラーメン?」「違うよ。ご飯だよ」「なんだ、ご飯だけか・・・」と呟く空。風呂の中で大笑いする僕。平和だなあ・・。

教師を目指す人へのメッセージ
第二十五歩 「ホモサピエンス」
僕の理科の授業で最初にする話は決まって「ホモサピエンス」の話だった。
『この地球上には何種類の人種がいると思う?』と子ども達に尋ねるのだ。子ども達は「黒人、白人、黄色人種で三種類!」とか「アメリカインディアンの赤色を入れて4種類!」だとか言い始める。そこでこういうのだ。『1種類なんだよ。』『ホモサピエンスという1種類しかいないんだ。』『染色体の数は46本。』『黒人も白人も中国人も朝鮮人もみんな同じなんだよ。』そしてこう続けるのだ。『だから“教養”のある人は人種差別っていうのはできないんだ。みんな同じ人種なんだから・・・・できる人は“無知”な人なんだよ。そういう人たちは人種が1種類ということを知らない人なんだ。知らないから人種差別ができるんだよ。』『勿論男も女もホモサピエンス。まったく同じ人種なんだ。だから男女差別する人も教養のない人なんだなあ・・・』『お年よりも子どもも、障害のある人も、みんな同じホモサピエンス。だからそれを差別する奴らはおお馬鹿野郎なんだ。』という話だ。最初の授業というのは結構子ども達の心に残るものである。理科の楽しさを伝えると同時に自分の考え方を話す。それが大事なのだ。実はこの話は石神井高校の長島先生の授業のパクリである。(子ども達は僕の創作だと信じている。)最初の授業で印象に残っていたので、遠慮なく使わせてもらった。そう、いい話はこうして語り継がれていくのだ。僕のこの話も僕の教え子達がパクッて語りついているはずだ。
そしてもう一つ。『人は死んだらどうなる?』「星になる。」『本当?』「嘘」『いやそれが本当なんだ。』「どうして?」『地球の寿命はあと50億年と言われているんだ。』「50億」『多分、みんなは死んでいる。僕は生きているかも知れないけど。』「嘘!」『僕らの地球は死ぬ前に赤色巨星になるって言われているんだ。』「ふーん」『オリオン座のベテルギウスのようにね。』「へえ・・・」「太陽はやがて今の火星の軌道よりも大きな星になって、勿論地球はその中飲み込まれてしまう。つまりみんな一つの星になるんだ。」「ふーん。」『人類は太陽系から脱出することはできないから、みんなその地球でさよならなんだ。』「へえ。それで・・?」『みんな無機物になってね。一つの星になっちゃうでしょ?』「・・・・」『宇宙はビックバンで一つの大きな星の固まりからできたと考えると、僕らは最初も一つの星から生まれたって考えられるよね。』「うん」『ようするにだ。僕らは一つの星から生まれ、やがては一つの星になっていくんだ。』「わお。」『大好きな人も大嫌いな人もみんな同じ星になる。』「嫌だ!」人は星から生まれて星になる。子ども達はこういう話が大好きである。こういう話をしてから「天体」の授業に入ると子ども達は星に興味を持つようになるのだ。空に輝く星達が自分達の仲間なのだから・・・・・。
そしてクラスでいじめの問題が発生した時にこういうのだ。『お前は馬鹿だね。教養がないね。頭の悪い大人達と同じだね。ちょっと人と違っているからって・・・そんなことして良い訳?』『理科の授業で何を教わったんだ?』『ホモサピエンスだろ?』『星の話だろ?』
『ふざけるな!この馬鹿野郎!!』『お前はそれでも俺のクラスの生徒か!このアンポンタンが!』『腐った大人たちの真似をするんじゃない!』と僕は大声で怒鳴る。その日の為の布石という訳ではないが、そういう日は必ず来る訳で・・・・。子ども達はそういう言葉で納得するのだ。ホモサピエンス。これを読んでいるあなたにも是非この話をパクッて欲しい。
*ホモ・サピエンス・・・パワハラやセクハラが大好きな大人達にも、この話は知っていて欲しいところだ。昔から教養のない人間がいじめを始めるのである。社会的地位と教養は関係がない。社会的地位が高い割には、人相の悪い連中が世の中にはうんざりするほどいる。残念ながら、学校にも政治の世界にも、いい人相と悪い人相が混ざり合っている。これからの子どもたちのために、いい人相の割合を増やしていくことが、とっても大事なことなのだ。


4月28日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第117弾! 2009.4.28(火)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第117弾! 2009.4.28(火)   たかやん

定額給付金
申請書が我が家に届いた。早速書いて提出した。定額給付金ほど馬鹿馬鹿しいものはない・・・。国民から集めたお金を、選挙前にみんなにばら撒いたのだから・・・。経済対策が聞いて呆れる。金持ちは使うだろうし、ちょっと貧乏人は貯めるだろう。そして本当に貧しい人たちは借金の返済や生活費に消えてなくなるのかも知れない。本はと言えば、俺達の税金。貰うのか、貰わないのか・・・使うのか、使わないのか・・・どうしようが大きなお世話。

ツケ睫毛
郵便局へ行く途中のお話。僕が歩いていると、向こうのほうから自転車に乗った若いおかあさんが僕にニコっと笑う。(え?知らない人だなあ・・・ちょっと可愛いけど・・・まいっか、挨拶はしておこう・・)と笑い返した。すると、彼女は僕の方によってくるではないか・・・(おいおい、どうした・・あれ?)知らないと思っていた彼女は、なんとうちのママだった!!「気がついてなかったでしょう?」「ああ、全然誰だか分からなかった・・・・」「ひどい・・・」「そんなツケ睫毛してるから分からないんだよ」「ちょっとショック」「予想外の方向から来たしね。」「全然分からなかったっていうのが、ちょっとショック・・」
郵便局からは仲良く帰ったのだが、まさかママに気づかないとは・・・とほほほほ。

平泳ぎ
遂に平泳ぎでもヘルパーなしで25m泳げるようになった空。これで背泳、クロールと合わせて3種目、自力で泳げるようになったのだから凄い。僕は、田舎の川で泳ぎを習ったので、幼稚園のときは、犬掻きぐらいしかできなかった気がする。小学校では平泳ぎと潜水が専門。それ以外の泳ぎ方は教師になってから、水泳部と一緒に練習してできるようになった。五中の水泳部は関東・全国に出場するようなチームだったので、子どもたちに教えてもらったのだ。空はこれからバタフライに挑戦する。小学校に上がる頃にはきっと泳げるようになっているだろう・・・。子どもたちの能力って本当に凄いと思う。それを引き出すコーチの能力もまた凄いと感心するのである。

九九
6歳の誕生日前に「九九」を完全制覇した空。あっという間に覚えるかと思ったが、使わないと忘れていく訳で・・・結構時間がかかった。お風呂の中ではよく遊ぶが、「九九遊び」の成果がやっと出たという感じ。亮ともお風呂の中では頭の中でよく将棋を指したが・・・・最後のほうは僕がついていけなくなっていたっけ・・・。子どもたちの頭は本当に柔らかい。

教師を目指す人へのメッセージ
第二十六歩 「副担」
僕は二十一年間、ずっと担任をしてきたので副担の仕事をしたことがない。だから副担の気持ちもよく分からない。副担といっても実に色々で、担任のサポートをしてくれる人から邪魔をしてくれる人まで本当に様々だった。一番感動したのは宮下先生が副担になったとき。僕より5年先輩の体育の先生なのだが、あっという間に新学期の事務的なことをやっておいてくれるのだ。新学期の担任は名簿を作ったり、教室の整備をしたり、学級通信を書いたり、それこそ何とかいいスタートを切ろうと必死になる。出席簿、学級保健簿、生徒指導票・・・そういったものを副担が作ってくれたら・・・これはもう万々歳である。宮下先生はそういうことを実にさりげなくやっておいてくれる先生だった。そして学期末の通知表。今はパソコンにデータを打ち込んでというパターンが多いようだが、昔は全部手書き。勿論所見は担任が書くのだが、それ以外のところは全部宮下先生がやっておいてくれるのだから嬉しかった。
僕がいないときにクラスで問題が起きても、「たかやんだったら何ていうかな?」「あたしは知らないわよ。担任はあたしじゃないんだから。」と言って、子ども達と僕との関係を大事にしてくれた。そして女の子達が僕にもいえないことがあると、宮下先生に相談に行っていたらしい。
一方で、事務的なことは何でも副担の仕事にしようとする担任もいる。もともとは担任の仕事なのだから、それはいただけない。担任と副担、お互いを思いやらないといい関係にはならないのだ。どんな人間関係も同じだと思うけど・・・・
僕は一度も副担をしなかった。僕にとってクラスというのは「生きがい」そのものだったから。僕が管理職試験を受けなかった理由は「担任」ができないから。校長になっても「担任」ができて、「授業」ができて、「部活」ができるというのなら、今頃は校長をやっていたかも知れない。僕は部活人間のように言われていたらしいけれど、それは違う。僕はクラス人間である。テニス部とクラスとどちらを取るといわれたら、間違いなくクラスを取るタイプなのだ。それは通信にも表れている。学級通信「一生懸命」は毎日発行できたが、部通信「ボール行きます!」は年間70号がいいとこだった。学校に自分の「学級」があるということは、学校に自分の「家族」がいるということだ。だから僕は教師という職業を続けられたのだ。
僕には副担という仕事はできない。そういう能力に欠けているのだ。だから担任を持たない学年主任にも教頭や校長にもなれない。そういう意味では実に幸せな教師人生だったと思う。21年間、僕には「家族」がいた。そう不思議なことがある。「家族」の名前は忘れないということ。顔も名前もみんな覚えている。何十年経っても忘れない。それが不思議だ。自分の学生時代の友達は忘れているというのに・・・・担任というのはそれほど子ども達にのめり込んでいくものなのだ。
*優秀な先生達が新座市の教壇から去っていった。博子先生、ジャイアン、ワニ、ウッシー、みち先生・・・重一郎・・・そしてもっちゃん。なんでみんな途中でやめたかなあ・・・俺が言うのもなんだけど、子どもたちのためには居て欲しかった先生たちばかりだ。




4月29日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第118弾! 2009.4.29(水)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第118弾! 2009.4.29(水)   たかやん

6歳の誕生日
6年前の今日、朝の8時に空は生まれた。6年前も今日と同じように雲ひとつない爽やかな朝だった。夕方には、あの井上康生が全日本選手権で優勝し、僕らを祝福してくれた。その日からずっと晴れの日が続いてきたわけじゃあない。苦しいことも、悲しいことも沢山あった。それでも、この6年間は僕の人生の中で一番穏やかな日々だった気がする。

豚インフルエンザ
メキシコ発のインフルエンザへの対応が鈍い。仮に強いウィルスではなかったとしても、万が一のことを考えてトレーニングしておかないと、取り返しがつかなくなる。日本でもあのスペイン風邪では48万人が死んだと言われているのだ。

体罰
小学生の男の子が数人で女の子を蹴り、それを注意した先生を2回蹴飛ばして逃げた。追いかけて捕まえた先生が胸ぐらを掴んで壁に押し当て「もうすんなよ」と怒った。この事件が最高裁で「体罰にあたらない」と判断されたようだ。
小学校2年生で体の大きな男の先生を蹴飛ばすのだから、腕白小僧である。ADHDの可能性もある。それでも女の子を蹴飛ばしたのだから、親は謝まることを教えなくてはいけない。注意した先生も蹴飛ばしたのだから、そのことも親は謝まることを教えなくてはいけない。そして先生のほうも、小学校2年生の男の子のしたことなのだから、ちょっと行き過ぎでした・・・そう謝ることだ。みんなが悪いのはこちらでした。そうすることで裁判などにはならないのだ。心的外傷後ストレス障害(PTSD)は恐いが、昔の子供たちは多かれ少なかれ、父親に対してあったのではないかと思う。僕の兄貴などは親父に窓から外へ放り出されたり、金槌で眼鏡を割られたりしていた・・・その親父もじいちゃんに雪が積もる屋根に放り投げられたというのだから、多分心的外傷後ストレス障害(PTSD)になっていただろう。「地震、雷、家事、親父」・・・その全てが心的外傷後ストレス障害(PTSD)の源になり得る。小さな子たちのストレスを取り去るためにも、「ごめんなさい」という言葉が大事なのだと思う。

挨拶
我が塾にも色々な子どもが来る。「挨拶」が自然にできる子もいれば、全くできない子もいる。靴を揃えて脱げる子もいれば、揃えることが習慣になっていない子もいる。僕はどちらかというと、小さい頃からシャイなところがあって・・・元気よく挨拶はできない子どもだった気がする。そんな僕の遺伝子を持ち、そんな僕に育てられた子達は、もしかしたら外で元気よく挨拶できてないのではないか・・・そういう心配もしてしまう。人としての最低限のマナーは家庭の責任だと思うのである。

教師を目指す人へのメッセージ

第二十七歩「アダルトチルドレン」
機能不全な家庭に育ち、自分や自分の周りの人たちに問題を引き起こし、生きづらさを抱えている人のことをアダルトチルドレン(AC)という。機能不全の家庭というのは要するにこどもを傷つける家族のことで、例えば虐待の起こる家族、仲が悪く怒りの爆発する家族、愛の無い冷たい家族、秘密があまりにも多い家族、親とこの関係が逆転している家族、子どもを過度に甘やかし、溺愛する家族。依存症にとらわれている家族のことをいうんだそうだ。
実際、僕の周りにはアダルトチルドレンがたくさんいるし、アダルトチルドレンになりそうな子供たちもたくさんいる。それだけ機能不全な家庭がたくさんあるということで、多分その率は年々増え続けるのではないかと思う。
「自分が父親の代わりになれれば・・・」そう思ったことは何度もあるし、実際そのつもりで子供たちと接したこともある。でもどんなにそう思っても、父親にはなれないし、幼児期の記憶まで消すことはできないというのが結論だ。
僕らにできることは自分の子どもをアダルトチルドレンにしないこと。それしかないと思う。「教育は愛」だし、子ども達は「教師」との出会いで素晴らしい奇跡を起すものだが、それでも家庭の力はそれ以上に影響を及ぼすということを肝に銘じておいたほうがいい。
だからといって、何でも家庭のせいにするのはいけない。家庭で苦しいからこそ、学校では心が開放される子達もたくさんいるのだから。
* 機能不全な家庭・・・嘗ての我が家こそ、「機能不全」だったのではないか・・・最近、そう思うようになった。娘が中3の受験のときに、家族がバラバラになったのだから「機能」などしていなかったに違いないのだ。上の娘も、そして息子もなかなかのDNAを持ちながら、「機能不全」の家庭に育ってしまったために、もがき苦しんできたのではないか・・・そんなことを考えてしまう。
昔、娘に手紙を貰った。「父やんは世界一の先生かも知れないけれど、父親としては最低です」手紙にはそう書いてあった。娘がそう思うのだから、僕はきっと最低の父親だったのだろう。そして最低の夫だったとも思う。どんな理由があったとしても、子ども達に申し訳ない気持ちで一杯になるのである。


4月30日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記 第119弾! 2009.4.30(木)   たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記 第119弾! 2009.4.30(木)   たかやん

毎日ご苦労様です!
母さんと黒目川に散歩に行くと、「毎日ご苦労様です!」と言われた。「あ、いや毎日じゃあないんですよ」それでも「毎日ご苦労様です!」と犬を抱いたおばあちゃん。ありがたい言葉だなあと思った。僕は益々やる気になり、そして黒目川は少しずつ綺麗になっていく・・・。

議会報告
我が家のポストに「吉田よしのり」通信の第134号と「しまの加代」を育てる会ニュースの第38号が入っていた。確か平松大佑レポートも40号が発行されているはず。議会報告の内容はそれぞれ、色々だからいいとして、やはりちゃんと発行している人たちには一目も二目も置きたいところだ。特に「吉田よしのり」通信の134号には感心する。彼は僕よりも4年早く議員になっているから、市議会議員時代を入れると12年と2ヶ月議員をやっているはずだ。12×12=144なのだから、ほぼ毎月「吉田よしのり」通信を発行していることになるのだ。最近は僕も毎月発行しているが、やっている人でなければ分からない苦労もある訳で・・・。134という数字に、発信することの大切さを、よしのり議員から教えてもらっている気がするのである。

43弾
4月30日号が完成した。なんとか43弾までこぎつけたという感じである。議会報告でいつも苦労するのは写真。文章よりも写真である。文章はいくらでも自分の頭の中で作れるが、写真はそうはいかない。いい写真がなければどうしようもないのだ。愛用のデジカメを持ち歩いていても、いつもいい写真が撮れるとは限らないわけで・・・・

教師を目指す人へのメッセージ
第二十八歩   お話の力
子どもの前に立って、お話をする。簡単そうで難しいことである。人生経験の少ない若い先生には語れることが少ないかも知れない。それでもお話はしなくてはいけない。自分が実際に経験したことを、そして本や映画で学んだことを・・・・。それがあなたを成長させるのは間違いないから・・・。
お話をするのに、下を向いたり、黒板の方を見たりしながら・・・という人は余りいないだろう。子ども達には自分の目を見せ、自分の気持ちを伝え、そして子ども達の目を見て、反応を見ることが大事なのだ。

僕は最初の1年間、特にその半年間。教室へ行くのが怖かった。45分(当時は45分授業だった)授業が長く感じてしょうがなかった。大学を卒業したばかりで3年の担任になり、しかも2年生1クラスを持っていた僕に、余裕は全然なかったのだ。だけど、そのことが次の年からの「お話」の種になるのだから面白い。苦しいことがあれば、それは「お話」になる。悲しいことがあれば、それが「お話」になる。勿論、嬉しくて感動したことも、立派な「お話」になっていくのだ。

前にも言ったが、授業は“舞台”なのだ。あなた方は役者で、生徒は観客。それを忘れてはいけない。よく、授業に集中していないと怒る先生がいるが、あれはおかしい。自分の話がツマラナイということに気が付いていない。生徒が集中できないのは99%、先生達の力不足である。

何度か無言で授業をしたことがあった。黒板で言葉を伝えながら、一言も発しないで授業をやったのだ。教室は静まり返った・・・・。たまにはそういう舞台も面白い。そういう遊びもまた大事なのである。

お話上手な先生は生徒を惹きつける。惹き付けられた生徒は、間違いなくその教科を一生懸命勉強するようになる。まずは先生を好きにしてしまうことだ。しかし、決して生徒に媚を売ってはいけない。実力で好きにしてしまうこと。それがポイントだ。そこを勘違いすると大変なことになる。生徒は大人をよく見ているから・・・。

周りの先生が「学校のルール」や「決まり」にうるさいとしよう。「授業の受け方や態度」に成績を影響させていたとしよう。それを真似てはいけない。教師がメダカ症候群になってはいけない。そんな役者はあなたの周りにゴロゴロいるだろう。そんな役者はもう必要ないということだ。大根役者になってはいけない。誰でも演じることができるような役者は大根役者そのものだ。若くても、自分にしかできない役を演じることだ。それが出来るようになれば、子ども達一人一人の個性も認められるようになる。それが出来なければ、子ども達の違いにも気が付かないヘボ役者になってしまう・・・・。若くても、それだけは分からなくてはいけない。

いじめを確認することはできませんでした。などという教師達は、そういう教師集団なのだ。みんなと同じ言葉を言って、平気でいる集団は生徒の目の変化に気付かない。生徒の変化に目がいかない教師ほど、役に立たない教師はいない。
「生徒の目を見て、話をする」この当たり前のことを忘れてはいけない。子ども達は「本気」を見抜く天才だ。あなたたちも天才たちから毎日見られるのだから・・・。
* 天才の目
プロの教師の目は子どもたちの色々な心を見抜くが、子どもたちもまた、教師の色々な心を見抜くものなのだ。しかもこっちは一人に対して、あっちは数十人。注目のされかたが違うのである。天才の目を甘く見てはいけない。彼らは僕達のちょっとした仕種も、かすかな匂いも、そして洋服のセンスまで知りつくしている。タバコを吸っている先生達は女子生徒にどれだけ嫌われているか分からないと思う。彼女達は特別なセンサーを持っているのだ。


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