Diary 2017. 8
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8月11日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第223弾! 2017年8月11日(金)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第223弾! 2017年8月11日(金)たかやん

夏休み22日目
久しぶりに懐かしいメンバーが我が家に集合した。直人、夏香、つぐみ、めぐ、亮そして紀。みんなでよく食べ、よく語り・・・最後に歌を歌うことに・・・紀と二人でギターを弾こうとしたのだが・・・コードが思い出せない。「大丈夫、父やんなら指が勝手に動くはず」と紀は言うが、どうしても思い出せない。紀はスラスラ弾くのに・・・その音楽についていけない・・・(紀はきっと、ずっと練習してたんだな・・・それに引き替え、俺は何もしてこなかった・・・・)紀のギターに合わせて、みんなが楽しそうに歌い始めた。僕一人がその輪に入れずに・・・泣きそうになって、目が覚めた。ココアが僕のお腹の上で寝ていた。今朝の4時過ぎのお話。

5時半過ぎ
200mの決勝を見た。ハキーム選手は残念ながら7位だったが、3年後のオリンピックでは期待できそうである。そして、彼の隣にジャスティンが並んで走っている姿を想像するのだ。二人が並んで決勝を走り、そしてリレーで一緒に走る・・・そんなことを夢見ている。

夏期講習
「政府の詐術」   佐藤 優 まさる(東京新聞 本音のコラムから・・)
政府が沖縄県民の生命と安全を考えていないことがよくわかった。米軍普天間飛行場所属の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが5日、豪州で墜落し、乗員3人が死亡。2日後、沖縄でオスプレイが飛行を再開した。
 <当初は、米軍が日本政府の飛行自粛要請を無視し、飛行を強行したとみられていた。だが、そうではなかった。政府は「運用上必要な物を除く」との条件を付けていたのである。これでは、飛行再開を米側に捉したも同然だ>(9日「琉球新報」社説)。
 軍用機を遊びで飛ばすことはない。運用に必要だからオスプレイは飛んでいるのだ。「運用上必要なものを除く」という条件を普通の言葉に言い換えれば「どうぞ自由に飛んで下さい」ということだ。前出の「琉球新報」社説は、政府の姿勢を<気脈を通ずる日米両政府が「運用上必要なものを除く」との条件を意図的に付けた可能性がある。「日米共犯」の飛行再開は看過できない。強く抗議する。オスプレイの飛行再開の口実を米側に与えていたことを直ちに説明しなかった小野寺五典防衛相の姿勢は不誠実極まりない。小野寺氏が国内での飛行自粛を米軍に求めたのは、要請自体が目的だったと疑わざるを得ない>と厳しく指摘する。その通りだ。政府は拙い詐術で沖縄人を騙そうとした。このツケは高くつく。
(作家・元外務省主任分析官)
*オスプレイMV22の危険性は昔から言われていた。「欠陥ヘリ」と米国では言われているのだ。米海兵隊が2010〜12米会計年度にアフガニスタンに配備した航空機12機種のうち、ヘリ機能を持つ6機種のなかで、垂直離着陸型輸送機MV22オスプレイの運用率が1・02%と極端に低く、ほとんど使われていなかったことが分かっている。MV22オスプレイの事故の割合は、全12機種平均の約41倍と突出している。

教師を目指す人へのメッセージ
第十七歩 「感想」
「義務教育」という言葉を使って、子どもを縛ろうとしてはいけない。「君たちは学校に来なければいけないんだ。義務教育なんだから…。」という教師が存在するのは事実である。行きたくないけど、「義務教育」だから行かなくてはいけない。そういう子供達が増えてしまうのだ。だから僕は「権利教育」なのだといった。『君たちには権利しかない。義務などはないのだ。だから学校に来る義務などないのだよ。大事なのは君たちに学校で勉強する権利があるということ。そしてその権利は誰にも奪うことなど許されないのだ。』僕はそう言い続けてきた。『その大切な授業を邪魔することは誰にもできない。いいね?』人が必死で聞こうとしている授業を邪魔することはいけないことだ。それを「義務教育」という言葉で説明してはいけない。「権利教育」という言葉で説明すると子供達は納得する。

第一「義務教育」というと、いかにも授業がつまらなそうだ。つまらない授業をしても「義務」だから「我慢」して勉強をしなくてはいけない。そういう教室が目に浮かんでくる。違うのだ。授業は楽しくなくてはいけない。子供達がワクワクしなくてはいけない。分かるように仕組まれてなくてはいけない。「授業」とはそういうものなのだ。勿論毎回そういう授業にするのは難しい。クラスに40人もいれば色んなことが起きる。でも…少なくても、そういう授業にしようとする努力を教師はしなくてはいけない。

教師という仕事の恐いところは、去年と同じことをしていても飯が食えることである。去年から何の努力をしていなくても、給料は上がっていく。分からない授業をして、子供達が苦しんでしても、「授業をちゃんと聞いていないからだ!」と生徒のせいにする教師は多い。僕は空き時間に授業を聞きにいったことが何度もあるが、それこそ授業のレベルは1から10まであった。こどもの目を見もしないで授業を淡々と進めている人も随分いた。自己満足型授業である。多いのは、子どもが質問すると「話を聞いていないからだろう!」と怒るタイプ。責任転嫁型授業である。いずれにしても、基本的には分からないのは授業のやり方に問題があるのだ。

ではどうするか…。子供達に毎回「感想」を書いてもらうのだ。50分授業の最後の五分は「感想タイム」。最初の五分で子供達を引き付け、40分集中させて、最後の五分は感想。僕の場合はこれが一番上手くいった。勿論授業は自分で作っていく方が面白いから色々やってみるのがいいだろう。同じパターンは子供達を安心させるが、飽きさせることも事実である。時々刺激を与えることも大切だと思う。それこそ、子供達の目を見ていれば自分の授業のレベルが分かるし、自分の授業に何が足りないかが分かるようになるのだ。子どもの目にやる気が無かったら、こどもにやる気が無いのではない。自分の授業が下手糞なんだ、そう思った方がいい。少なくてもプロの教師はそう思わなくてはいけない。勿論感想に点などつけてはいけない。「つまらない!」「わからない!」と書かれても怒ってはいけない。それをありがたく受け入れなれないようではプロにはなれない。お客様の声を大切にすることを忘れてはいけないのだ。こども達の感想は僕たちへの「通知表」なのだ。
*授業の感想は今も書いてもらっている。それがまた面白いのだ。毎日の感想が、毎日の僕の通知表である。

開いた口がふさがらない
閉会中審査の茶番劇を見ている国民の不快指数が上昇し続けている。野党が要求した証人は全て拒否、ごまかし通す気が見え見えである。内閣改造とやらで、防衛大臣は確かに交代したが、「無能」から「危険」に交代しただけのこと。

子宮頸がんワクチン1347 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1
川遊びですから、子どもたちは川で遊ぶ訳です。普段はないようなものを使って遊びます。その仕掛けは大人が作ります。何往復もして、大人はちょっぴり疲れますが・・・・

今日の写真2.3
その大人もこの日はカヌーで遊びました。栄治や宣樹の中に「子ども」の表情が見えて、笑いました。いつまでも「遊び心」を持った大人でいたいものです。二人ともいい顔していたなあ・・・
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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8月12日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第224弾! 2017年8月12日(土)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第224弾! 2017年8月12日(土)たかやん

夏休み23日目
夏休みということで、久しぶりにマンハッタンにいる。セントラルパークで日本人の観光客に声を掛けられた。どっかで見た顔だなあ・・と、思ったら新垣結衣で・・・どうも彼女は英語が全く話せないらしく・・・ストロベリーフィールズまで案内する。それで終わる筈だったのだが、彼女が「お昼一緒に食べませんか」と誘ってくれて・・・断る理由もないので、二人でレストランへ。そこで彼女が何を注文するのかと思ったら・・・「チキンラーメン!」『マジか!じゃあ・・・俺も・・・チキンラーメン!』と言ったところで、「ドッキリ!でした!!」と見たことのある顔が笑って・・・こんなこと有るわけがないだろ・・・と思ったところで目が覚めた。今朝の5時頃のお話。

激痛
右足の薬指が腫れて痛い。何が起きたのかは分からないのだが・・兎に角、腫れている。歩くと激痛で・・・靴を履くともっと激痛で・・・この状態では走るのは勿論、テニスが出来ないわけで・・・困った、困った。痛風?リュウマチ?骨折?・・・なんだろね。

7キロ
それでも湿布を貼って7キロ走ってみた。そしてベンチをやって腹筋・背筋をやって・・・これで8月に入って26キロである。お風呂に入って、出てきたらまた激痛・・・どうすりゃいいのさ、俺の人生・・・弱った、弱った・・・。

教師を目指す人へのメッセージ
第十八歩 「懐かしい学級通信1」
1995.6.30 『一生懸命』幻の学級通信第62弾! 2年1組から
一日に12回
「人は誰でも1日に12回抱きしめられるべきです。生きていくためには最低4回。健全な心のために8回。元気でいるためには12回。ドラッグ(麻薬)よりもハグ(抱きしめ)を。」天声人語にね、こういうのが載ってたよ。と吉沢先生。『わかるなあ、それ。』「1日12回だよ。」『うーん、抱きしめられたい!』「言葉でもいいんだって…・。」『そうだよね。優しい言葉って、そうだよね。』「絶対必要だよね。」『子供達の事も抱きしめなきゃ。自分も抱きしめられたいけど。』「うん。」最近吉沢先生とやさしい言葉について語ることが多い。この間なんか夜電話で30分も話してしまった。朝「おはよう!」『ジャンボ!』と笑顔でしてくれる子供達の挨拶も、僕にとっては「抱きしめ」なのかも知れない。もっともっと、笑顔でいよう。もっともっと、子ども達と語ろう。もっともっと、抱きしめてあげよう…。うーん。1日12回。
これは今から7年前のお話。吉沢先生は本当に優しい先生で、この時の話はよく覚えている。1日に12回、僕らは子供達を抱きしめているだろうか……。いやいや自分の子供でさえなかなか抱きしめてはいないのだ。子供と一緒にいないとなかなか子どもが見えない。一緒にいても見えないと、誉められないし、抱きしめられない…。

テニスの世界では一人のコーチが見ることのできる生徒の数は16人と言われているが、今の学校は1クラス当たりの生徒数がまだまだ多いのである。確かにそうなのだ。その人の能力にもよるだろうが、1クラスに40人の子ども達はやはり多いと思う。修学旅行や体育祭や合唱祭のような行事では多い方が面白い。しかし、一人一人に目がいくかと聞かれると、やっぱりNOなのである。

「学校とテニスを一緒にするな!」という人もいるだろうが、子どもの可能性を引き出すということに関しては同じである。Educationを教育ではなく、「開智」と訳すのが本当だという人がいたが、その通りだと思う。自分の考え(自分の考えが無い場合は学校の考え)を子ども達に押し付け、育てようというのでは困るのである。1日に12回。半分は親に頼むとしても、6回くらいは学校で抱きしめてあげたいものである。教師は子供達が傷つく言葉を僕らは知らず知らずのうちに、あるいは意識的に使っている。そのエネルギーを「抱きしめ」の言葉を話すことに使おうではないか。勿論本当に抱きしめてあげてもいい。言葉で抱きしめてもいい。表情で抱きしめてもいい。歌で抱きしめてもいい。子供たちは一日に12回、抱きしめられる権利を持っているのだから・・・。

そんなことをしたらセクハラになるのでは・・・そう思う人もいるだろう。大丈夫だ。卒業式の日に担任と抱き合って泣く子供たち。それを見て「セクハラだ。」という人はいない。要はその時の雰囲気なのだ。子供たちと自分の信頼関係なのだ。信頼関係がないのに抱きついたらいけない。それこそセクハラである。心配な人は言葉で抱きしめればいい。

子宮頸がんワクチン1348 
打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1
小松原さんの投網を見学する次郎と七風です。この場所は野寺公園の少し上流です。

今日の写真2
投網を打つ菅谷さんです。笑うのは、この投網に「文句」を言う人が毎年いるのです。「投網やっていいのかよ!」と橋の上から叫んだりします。答えは「いいんだよ!」です。佐藤さんも菅谷さんも小松原さんも「漁業権」を持っています。漁業権を持っている人はどうやってアユを採ってもいいのです。違法なのは「漁業権」がないのに、釣りをする人達です。

きょうの写真3
僕らの川の先生です。本当に毎年お世話になっています。どこかで恩返しをしないと・・・罰が当たりそうです。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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8月13日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第225弾! 2017年8月13日(日)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第225弾! 2017年8月13日(日)たかやん

夏休み23日目
台風の影響でぼくらは千歳空港で足止め。しょうが無いので幸弘(北大庭球部の2年先輩)と二人でベンチで寝ることに・・・寒いなあと思ったら、幸弘が僕の毛布も持っていっちゃっていた訳で・・・「あ、悪い、悪い!」『もう・・・』
急に場面は変わり、市内6つの中学校の校長の内、4人と教育懇談。メンバーは川島勝治とタムソンと菅野先生と金子先生と僕。「やっぱり学力を上げるには普段の授業を充実させることが一番だよね!」と意見が一致。「新座中の校長って誰だっけ?」「甲神先生ですよ」「そうだった!明日会いにいくから嵒は大丈夫。」「あと一人は誰?」「・・・っていうか、金子先生、現場に戻ったんですね?」「えっ?」「えっ?」そこで目が覚めた。惜しい!
もう少しで嵒と会えたのに・・・。

激痛2
右足の薬指が今日も痛い。困ったねえ・・。来週、病院で診て貰おうっと。足の指1本でこれだけ辛いのだから、他のちゃんとした病気の人はもっともっと辛いんだろうなあ・・・。

8キロ
今日も湿布を貼って8キロ走ってみた。足は痛いのだが、段々麻痺してくるのだ。走って、ベンチはパスして・・・腹筋・背筋だけやって、お風呂で世界一周のトレーニングをやって家に戻ったのだった。これで8月にはいって34キロ。足が痛いけど・・明日も走るか!

教師を目指す人へのメッセージ
第十九歩 「学校という狭い世界」
学校という社会は狭い。教師という職業が難しいのは、学校以外の社会を知らない教師が無限の可能性を秘める子供達と接するところにある。どこかで浪人したり、留年したりしている教師はまだましなほうだ。現役で教師になったりすると、小学校1年生から「学校」という社会しか知ら無い訳だから困ったことになる。「学校」の価値観は社会では通用しないと思った方がいい。
 例えば修学旅行でこんなことがあった。僕のいた新座市ではほとんどの学校が奈良・京都への修学旅行だった。それも旅行業者にお任せのお金のかかる旅行だった。その事に疑問をもった友達が林間や修学旅行を生徒に企画させようとした。(一部の私立では当たり前のことなのだが・・・)国民自然の家を利用し、バスの手配から何からみんな子供達でおこなったのである。その結果、2泊3日のクラスごとの分泊の林間学校は3500円しかかからなかった。しかも、自由時間はたっぷりあり、ご飯はお代わり自由で美味しくて…。彼は修学旅行にも同じ事をやろうとした。分泊の修学旅行である。生徒たちも自信を持っていた。「次ぎは修学旅行だ!」と。しかし、教育委員会から横やりが入る。校長が呼ばれ指導を受ける。「三中だけ特別なことをやってもらっては困る。」という訳である。そして彼は校長に指導を受ける。結局彼は「修学旅行を自分達の手で!」と約束した子供達に、涙の敗北宣言をするのである。子どもと親に圧倒的に支持された有能な教師が、こうやって「不適格」の烙印を押されてしまったのだ。
切符を買う手数料は11%。一人50000円の旅費だと一人当たり5500円の手数料を業者に払うということらしい。切符を買うだけで・・・・。自分達で東京駅に買いにいけば、ただなのにだ。
 旅行業者は林間学校や修学旅行の手数料が大切な。教師の方も一度業者と馴染みになると、公私の区別がなくなってくる。例えば職員旅行や校長会の旅行などは、かなりの割引やお土産がついてくる。その分は子供達から、というシステムなのだが・・・・それが分からない。林間や修学旅行の下見もそうである。至れり尽くせりの下見に教師達はコロリとやられる。美味いものを食べさせてもらい、お土産をたくさんもらって、おまけに旅行の計画まで立ててもらえるのだからたまらない。自分達は楽な思いをして、その分を子供達からぶん取るという構図が「教育」な訳はないのだが…。
そして僕が一番嫌いだったのは旅行当日の「接待」である。修学旅行の夜、子供達には「早く寝ろ!」と怒りながら、自分達は「反省会、打ち合わせ」と称して飲むのである。僕は修学旅行の夜、子供達と語るのが好きだった。子供達と夜を徹して語るチャンスはめったにない。そういうチャンスを飲み会で潰してしまうのだから始末に終えない。挙げ句の果てに酔った勢いで寝ない子供達を怒り、廊下に正座させたりするのだからどうしようもない。
 しかし、学校ではどうしようも無い方が普通で、普通な方がどうしようもなくなったりするのだ。学校という社会は狭い。その狭い社会で当たり前のことは、子供たちが出て行く実社会では通用しない。朝早く学校へ来て怒られる子供たち。「朝練の時間は7時半からだ!」という教師。どうして「頑張るなあ・・・7時半からの練習なのに1時間も前から来ているのか・・」と誉められないのだろう。
*修学旅行の話はかなり前の話。僕も手数料の話は教えて貰うまで知らなかった。林間学校も修学旅行も業者を通さなければかなり安上がりにできるのは間違いない。教育の目的が「自立」だとすると、子どもたちの手で「林間学校」を成功させた僕の親友は「真の教育者」だった。しかし、彼は手作りの「修学旅行」をやろうとして潰されてしまった。そういう有能な教師を潰すから、新座の学力は上がらない訳で・・・勿体ないことをしたものである。

母さんの手
久しぶりに母さんの手を握った。温かくて、そして柔らかかった。それに比べて、僕の手は冷たくて、ガサガサで・・・申し訳ない気持ちになったのだった。
子宮頸がんワクチン1349 
痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1
2016年の2月のとある日・・・我が家は勿論、完全禁煙なのですが・・・我が庭で喫煙している不良が3人。「先生!」と呼ばれている五中4期生の智、同じく10期生のエイト、そして我が息子の太陽です。「お前ら5分間、深呼吸するまで絶対に入ってくるんじゃねえぞ!」と僕。紀、安孝、ヒロミ、賢二、東、龍ちゃん、嵒・・・僕の周りは煙草をスパっと止めた人間が多いのですが・・・あ、嵒は生きている間は吸っていたけど・・・この子達も止めないかなあ・・・家族と自分自身の健康の為に・・・

今日の写真2
僕は話すのが好きな人間です。マイクを持つと離さないタイプです。カサジや俊さんほどではないことが最近分かってきましたが・・・だから、駅ではマイクを持ちません。勝手に口が動くのが怖いのです。何を言い出すか分からないから・・・我慢しているのです。

きょうの写真3
この写真も2016年2月のとある日・・・ひばりヶ丘北口です。こういう向きで立つことは余りありません。多分、土曜日の夜・・・0時前の僕だと思います。この写真があるということは、僕の後ろに誰かが居てくれたということです。本当に幸せなことです。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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8月14日 (月)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第226弾! 2017年8月14日(月)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第226弾! 2017年8月14日(月)たかやん

夏休み24日目
久しぶりのPTA総会である。いったい何年ぶりだろう・・・もう二度とやるまい・・・そう決めていたのに、自分が議長をやっている。男性が手を挙げた。(お、栄治だ・・・)
「PTAは任意団体ですよね」『はい』「それを保護者全員に周知しましたか?」『はい』「どうやって?」「私は知りませんでした」(おいおい、栄治・・・)『3月の段階で全家庭に通知しましたが・・・行ってませんか?』「来てません!」「うちも来てません!」
『マジか!』「会長!どう責任とってくれるんですか?」「会長!」「会長!」「会長!」
(ちょっと待ってよ!俺が会長だっけか・・・俺、いつPTAに入った?)「ちゃんと答えてください!」『あのう・・・』「家計が苦しいのに、PTAに毎年5000円も払えるか!!」「そうだ、そうだ!!」『5000円?』(5000円は高くねえか!!)「消費税10%を入れたら5500円だぞ!」(消費税がいつ10%になったの?)気が付くと汗びっしょりだった。ふーっ!会長じゃなくてよかったあ・・・今朝の4時前のお話。

激痛3
右足の薬指が今日も痛い。でも、我慢することにした。我慢してパソコンに向かう。そして8月号の作成に取りかかったのだった。

0キロ
という訳で、今日はジムもお休み。只管パソコンに向かっていた訳で・・・議会報告と塾の準備、そして一般質問の準備で午前中が終わったのだった。

お墓参り
午後から我が家全員(ひとみ、空、ココア)で所沢に向かった。ひとみのお祖父ちゃん、お祖母ちゃんのお墓参りである。みんなで手を合わせて・・・お母さんの手料理をご馳走になった。ココアは行きはどこへ連れて行かれるのか心配だったようだったが・・・帰りはすっかり安心したみたいで可愛かった。昔、北海道旅行に行ったときにココアを何日かお母さんに預けたことを覚えているのかも知れない。僕に似て、繊細な神経を持っているココアである。

教師を目指す人へのメッセージ
第二十歩 「切り札」
どんな学校にも生徒指導の「切り札」と呼ばれるものがある。例えば職員室への呼び出しだったり、校長の説教だったり。そして保護者の学校への呼び出しだったり…だけど「切り札」を早すぎる段階で使ってはいけない。そりゃあそうだ。切り札なのだから・・。そんな当たり前のことが分かってない学校が多い。僕が最後にいた二中では「自転車で登校」しただけで、親を呼び出していた。誰にも迷惑をかけずに、(そりゃあ自転車の置き場で多少迷惑をかけたかもしれないが…)誰を傷つけた訳でもないのに、いきなり親を呼び出すのだ。たかだか「校則」を破っただけで「切り札」を使ってしまったら、本当に人に迷惑をかけた時はどうするのだ。そして人を傷つけたり、自分を傷つけようとしたりした時はどうするのだ。本物の教師は「校則」を破られたことに感情的になってはいけない。大切なのは「規則」ではない。「マナー」である。教師達の言い分は「みんなが同じ事をやったらどうするの?」である。答えは簡単。「自転車置き場を作ればいいのだ。」交通事故は登校時だけに起こるだけではない。放課後だって日曜日だって起こる可能性があるのだ。そんなことをいっていたら高校も自転車通学ができなくなってしまう。そんなに交通事故が心配なら教師達も車での登校をやめたらいい。自分にはできないことを、生徒達にやらせてはいけない。煙草についても同じだ。子供達に「煙草は吸うな!」と本気で言うなら自分達も「禁煙」するくらいの信念がなくてはいけない。子供達は「本気」を見抜く才能を持っている。本気で怒れば必ず通じるものなのだ。「煙草は吸うな!」といいながら自分達は、休み時間に職員室でコーヒーを飲みながら煙草をプカプカ吸い、子供達の前に煙草臭い息で登場する。そういうセンスのなさを疑うのである。教師の煙草の臭いは間違いなく生徒を不快にさせる。煙草を吸わない同僚も、勿論同じだ。鈍感な教師達はそういうことにも気づかない。妊婦がいても平気で喫煙する職場があったりしたのだからひどい。これはもう学校以前の問題だろう。「規則」ではない。「マナー」なのだ。去年の1月から学校の敷地内は「禁煙」となったらしいが、教師たちが隠れて吸っていることは生徒達も知っている。自分達は「法律」という「ルール」をしっかり守っているから、(守っていないことも勿論あるくせに。)おまえらも「校則」という「ルール」を守れ!と言う。そこには人を思いやる「マナー」という考えは存在しない。そして一方で「ルール」といいながら「体罰」を含め、「汚い言葉」で子供達に暴力を振るう自分達には寛容である。プロの教師はそうであってはいけない。学校は楽しいところでなくてはいけないのだ。教師だけが楽しくて、子どもをいじめてストレスを解消するところではないのだ。学校に「取り締まり系」の教師はいらない。子供達の目を見ないで、服装は髪型にしか目がいかないような三流の教師になってはいけない。この学校は厳しいのだ。と本気でいうなら、まず自分達に厳しくなれと言いたい。勉強で厳しく鍛えようとするなら、教師はその何倍も勉強して自分を鍛えなくてはいけない。生徒に理解できない授業をすることがレベルの高い授業ではないのだ。生徒が理解できるような授業をすることがレベルの高い授業なのだ。そして生徒が勉強を楽しむことこそ大事なことなのだ。
切り札は最後に取っておこう。そしてできるなら、その札は最後まで使わないでおきたいものだ。切り札は子どもが泣く札でなくてはいけない。それでこそ、切り札なのだ。
*先生達には随分と厳しい言葉に聞こえるかも知れない。しかし、「先生」「先生」と言わることに慣れ、周りにイエスマンしかいなくなると、自分に正面から物を言う人を避けたくなるものなのだ。でも、「先生」と呼ばれる人の人生で必要な人とは自分の為に駄目なところをダメと言ってくれる人なのだ。そういう人が周りに居ないと、伸びないのである。 
僕の場合は高邑新太郎、神バア、嵒、敞一カ、(みんな死んでしまったが・・)山口常義、川西龍一、横山幸弘、島至、島ヒロミ・・・馬場英幸、三吉賢二、山崎久美子、田中幸弘、木村俊彦、長久保大樹・・・そして、沢山の教え子達がそれに当たる。ただ、ダメというのではない。僕の為にダメ!そう言ってくれる人が自分の人生には大切なのだ。


子宮頸がんワクチン1350 
痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1.2.3
黒目川の掃除をはじめて9年目に入りますが・・・一番腹が立つのが煙草の吸い殻だとすると、二番目が「犬の糞」です。飼い犬の糞を放置する神経が分かりません。きっと家庭でも学校でも「きまりを守る」「法律を守る」ことだけを教えられ、「マナーを守る」ことを教えられなかった人達が煙草のポイ捨てをし、犬の糞を放置できるのでしょう。僕は思うのです。「愛国心」というのは、自分の国を汚さないことだと・・・・自分の国の国土を汚さず、自分の国の国民に嫌な思いをさせない・・・それが愛国心の根っこになければ、本物ではない。そう思うのです。だから・・・原発で福島を日本を汚染させて平気な輩には「愛国心」の欠片もないし、子宮頸がんワクチンの副反応で苦しむ少女達に寄り添えない輩にも「愛国心」の欠片もないのです。勿論、国民を「戦争」に引きずり込もうとする輩に「愛国心」など1ミリもないのです。

*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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8月15日 (火)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第227弾! 2017年8月15日(火)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第227弾! 2017年8月15日(火)たかやん

夏休み25日目
何故か新宿区PTAの「教育講演会」に講師として呼ばれた。教育講演会で話をするのは、立教大学から呼ばれて以来のことだ。あの時は池袋のタッカーホール・・・今回は区民会館。「実は僕は昔、この辺りに住んでいたんです」「百人町では評判の悪ガキで、PTAのおばちゃん達からは毛嫌いされていたんですよ」というと、そのPTAのおばちゃん達が大笑いして・・・緊張がとけたのだった。どうやら半分は小中学校の先生らしく・・・教育講演会なので「クラスと部活と授業で一番大切なのは何だと思いますか?」「授業です」「では、その授業にどれだけの準備をしていますか?」「ベテランになると余りしなくなりますよね」「授業ノートをつけていますか?」「子どもたちにノートを取らせるんだから、自分もノートを取らないと・・・なかなか伸びませんよ」「大事なのは兎に角授業です!」「同じ学校でいい授業をやっている先生の授業を盗まないとダメです」そんな話をして、質疑に入った。「高邑先生は今おいくつですか」「43です」そう言ってから・・・(あれ?俺の歳って43だったっけか・・・?)そこで目が覚めた。なんかリアルな夢だったなあ・・。

7キロ
昨日サボってしまったので、今日は7キロ走ってみた。腫れていた左足も大分良くなって、痛みが感じられないくらいになったのだ。痛みがないって・・・幸せなことだったんだよねえ。忘れちゃいけないね。痛みが無い幸せを・・・。これで8月に入って41キロ。100キロ行くかなあ・・・

終戦記念日
天皇の言葉を走りながら聞いた。心に沁みる言葉だった。嘘つき総理大臣の言葉には何も感じなかったが、天皇の言葉には「心」がこもっていた。国民に対する「愛」が溢れた言葉だった。そして「戦争」を二度としてはいけない!という強い願いが感じられた言葉だった。

被爆
核兵器による被爆は日本だけかと思っていたが、核実験をしていたアメリカや北朝鮮でも一般人が「被爆」していたことを知って、何とも言えない気持ちになった。中国人を殺す為に作られた旧帝国陸軍の「毒ガス兵器」も又、核兵器と同じように、作成に携わった日本人の死者も数多く出している。広島・長崎は勿論、日本全土への無差別空爆で多くの一般市民が殺されたが、日本もまた中国の重慶では無差別空爆を行い、罪のない一般市民を無差別に殺している。殺されるのはいつも弱い側である。戦争の一番の被害者はただの市民なのだ。国会議員が列を作って靖国に行く・・・・彼らには一番の被害者のことは念頭にないのだろう。高邑新太郎の弟の登は今でもフィリピンのルソン島に眠っている。靖国に高邑登の魂はいない。
 

教師を目指す人へのメッセージ
第二十一歩 「最初が肝腎」
「最初が肝腎」とよくいう。確かにその通りだ。しかしその肝腎を間違えてしまっている教師達がたくさんいる。「1年生の1番最初にびしっとルールをたたきこまないと。」と主張する教師達のことである。「チャイム着席」「ジャージでの清掃」「中学生らしい頭髪」「中学生らしい服装」とにかく最初にビシッと教え込まなければ、あとが大変である。と彼らはいう。答えはNOである。「1年生の1番最初にかわいがること。」それが大切なのだ。僕は21年間担任をやってきたが、ただの一度も1年生で担任をした子供達から暴力を振るわれたことはない。しかし、テニス部の子達と戦ったことはある。子どもたちに対する接し方が違ったのである。僕はクラスの子供達は徹底的に可愛がった。小学校でどんなに優秀な子であっても、どんなに悪いことをしてきた子であっても関係なく一日目で「名前」を呼んで握手をしてきた。掃除も一緒にやったし、家庭訪問にはその日の子供達全員を車に乗せて、ワイワイガヤガヤ話をしながら行ったものだ。給食は毎日くじを引いて、ジャンケンで片付けをして、昼休みは一緒にサッカーをやる。毎日帰りの学活ではギターを弾いて一緒に歌を歌う。そしてテスト前には「朝勉」で一緒に勉強し、テストも一緒に受けた。勿論、怒ることもある。泣かすこともある。だけど、1年の終わりにクラスが解散する時にはみんなで泣くのだ。
そういう子供達の中に徹という子がいた。中2、中3は僕のクラスから離れ、接触する機会が少なくなった子である。その子が3年生になり、ちょっとしたワルになった。身長、体重も僕をはるかに越え担任の教師に対してもひどい態度を取り、弱い生徒に対する態度も酷かった。そういう時に僕は彼とぶつかった。何が原因かは覚えていないが、昇降口で僕は彼の胸ぐらをつかんでこういった。『徹!なにやってんだよ。お前は!』「…・・」彼は泣きはじめた。僕より背もでかいし、力もある中3がまるで中1の子どものように泣くのを見て、僕は彼が愛しくてしょうがなかった。そして自分のやり方が間違っていなかったと確信した。子供達の心は僕と出会った時のままだったのだ。彼はそれから落ち着いた生徒になっていった。一方で五中のテニス部の子供達とは違う接し方をしていた。僕が部活動で子どもを「名前」で呼ぶようになったのは五中の終わり頃になってからで、それまでは全部「苗字」で呼んでいた。僕に対しては全て敬語を使わせていたし、接し方もほとんどが命令調で暴力的だったのだ。要するに五中の子供達はクラスと部活で全く違う僕を両面から見ていたことになる。ただキツイトレーニングは一緒にやったし、遊ぶ時はあそんだから最後はやっぱり泣けた訳だ。でも僕に対して力で向かってくる子は思い返すとみんな五中テニス部の子供達だった。勿論、素手で一対一で戦ったし、気合で一度も負けなかったし、今ではみんな笑い話なんだけれど、「最初が肝腎」なんだとやっぱり思うのだ。怒らなくてはいけない時はある。そこを逃してはいけない。怒るには気合が必要だ。ネチネチだらだら怒ってはいけない。怒ったら、さっぱり忘れてしまうぐらいの技量がなくてはいけない。それができないのだったら、怒らない方がうまく行くかもしれない。昔は学校に一人や二人、怒るのが名人という先生がいた。今はあまり見当たらない。自信のない人は鏡の前で練習することだ。気合を込めてイメージトレーニングをすることだ。笑顔も怒る顔も練習で作れるのである。

四字熟語
中学生の最後は四字熟語のお勉強。『何もしないで、毎日ぶらぶらと暮らしていること』という問題に「ニート!」と答えたのは1年生の女の子。『四字熟語だっつうの!上手いけどね・・・』「えへへへへ」『僕が好きな女性のタイプです。美しい瞳と白く綺麗な歯並びのことを・・・』「美人薄命じゃなくて・・・明、明、明・・・」『明眸皓歯』「あ、それ!」中学生と四字熟語・・・なかなか面白いわ。

子宮頸がんワクチン1351 
痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1.2.3
戦争が終わって72年が経ちました。沖縄には多くの米軍基地があります。日本人の我々が入れず、アメリカ人が入れる場所が数多くあるのです。何が「日本を取り戻す!」だ。安倍晋三はいつもかけ声だけ。本気で取り戻す気があった、とっくにアメリカから沖縄を取り戻している筈です。僕らは沖縄に行って、沖縄の人達がどう感じているか・・・肌で感じてきました。沖縄は怒っています。「金じゃないよ」「沖縄を返せよ」「綺麗な海を汚すなよ」
沖縄はそう言って怒っていました。中学校の修学旅行・・・僕が一番感動したのは二中の広島への修学旅行でしたが、沖縄への修学旅行も今の子どもたちにはいいと思います。沖縄の痛みを感じられる大人になって欲しいですから・・・。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・


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8月16日 (水)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第228弾! 2017年8月16日(水)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第228弾! 2017年8月16日(水)たかやん

夏休み26日目
久しぶりのクラス会。15歳だった中学生が30歳になったのだから・・・時が経つのは早い。「先生!」『ヒーコ!』「先生」『ハマベ』「たかむら!」『あはははは・・オケイ!』
僕と8歳しか違わない妹達と久しぶりの再会である。「先生」『コモ!』「先生!」『猛』「たかむら!」『友和』そうだった。最初の子達は俺のこと、普段は呼び捨てにしてたっけ・・・「先生ってさ、女子では誰が一番可愛かったの?」とハマベ。『みんな可愛かったよ』「またまたあ・・・」「俺たちには言ってたよね・・・」『シッ!』「え?誰々?」「どうせヒーコでしょ?」『いやあ、みんな可愛かったってば・・・』「嘘だね」『嘘じゃない!』「嘘だね」『嘘じゃない!』「嘘だね!」『嘘じゃないっていってんだろっ!!』その声で目が覚めた。今朝の4時過ぎのお話。

11キロ
今日は塾もお休み。雨が降っていたのでジムで11キロ走ってみた。そしてベンチと腹筋・背筋。お風呂で世界一周のトレーニング。これで8月に入って52キロ。100キロ行くといいんだけど・・・

教師を目指す人へのメッセージ
第二十二歩 「ノート勉」
子供たちに力をつけるには、いいフォームで勉強することを教えなくてはいけない。それには「ノート勉」がいい。ノート勉は簡単だ。まず授業に集中してノートを取る。目いっぱい部活をやって、疲れていても寝る前に枕元にその日のノートをちょいと並べる。そして目を閉じて授業を思い出すのだ。そして思い出せたら寝てしまう。思い出せなかったら、ノートを見て思い出すのだ。記憶は寝ることで“長期記憶”になることが確かめられている。その脳の仕組みを利用するのだ。そして朝・・・目を覚ましたら、また昨日の授業を思い出すのだ。これを“思い出し勉”という。このノート勉の効果は絶大である。嘗ての教え子で、この勉強法で学年で一番になり、浦和高校でも一番になり東大へ行った子がいた。安くて、時間が節約できて本当にいい勉強法だと思う。このノート勉が出来るようになると、自然に授業に集中するようになる。「授業に集中しなさい!」と言っても、子供たちはなかなか集中できないものだ。だけど「ノート勉は楽しいぞ!この勉強法は科学的根拠があって、しかも時間はかからないんだ!」というと、子供たちはやり始めるのだ。そして自然に授業に集中するという訳だ。
ノートの取り方も色々ある。“マインドマップ”を描いたり、絵を入れてみたり、色々工夫してノートを取ることで、脳はどんどん進化していく。自分が黒板に書いたままのノートを見てもつまらない。それは写しただけだから・・・・。だけどそれが変化して子供たちの中で消化しているのを見るのは楽しい。だからなるべく授業中に子供たちのノートを見ることだ。たくさんのノートを見て、良いノートがあったら、みんなの前で大声で誉めることだ。ユニークなノートがあったら誉めることだ。よく「ノート点検」をする教師がいるが、あれはよくない。第一にノート勉の権利を奪っている。仮にAを付けたとしても、教室でみんなの前で誉めたことと比べたらたいしたことはない。子供たちは教師に誉められるのを待っている。Aという数字で誉めるのと、教室でみんなの前で誉めるとでは全然違うのである。「ノートを提出しないと減点です!」などと言っている教師はアマチュアだと自分で言っているようなものだ。普段の授業の中で子供たちの生のノートを見ていないのだから・・・・プロの教師は“授業”というドラマの中で子供たちの変化を見なくてはいけない。そういう意味では教師は舞台俳優でもある。舞台で発言した台詞は訂正できないのだ。授業は舞台。真剣勝負なのである。そういう意味でも教師は“役者”なのだから、目にはいつも力がなくてはいけない。舞台で目が死んでいたら観客は幻滅してしまう。観客はお金を払って来ているのだ。そのお客を楽しませるのがプロなのだ。三流の役者でも毎回一生懸命演じていれば二流になる。そして魂をこめれば一流になっていく。授業の中で子供たちのそばに行くチャンスを逃してはいけない。どんどんノートを見に行くことだ。そしてどんどん誉めることだ。そしてひどいノートがあっても他の子と比較してけなしてはいけない。その子のノートの変化をみるのだ。どんなに汚いノートでもその子に真剣に接していれば、ノートはどんどん変化していく。それが面白いのである。舞台は毎日ある。だけど同じ舞台は二度とない。
*授業でどれだけ子どもたちを見ることができるか・・・今も昔も、大事なことは同じである。外見ばかり気にして、本質を見失ってはいけないのである。
子宮頸がんワクチン1352 
痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1.2.3
「市民と語る会」には色々なことがありました。4人でスタートして、3人になって・・・今は2人ですが、沖縄に行ったこの時は3人でした。視察に行って、肩を組んで写真を撮る人って、余りいないでしょうねえ・・・。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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8月17日 (木)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第229弾! 2017年8月17日(木)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第229弾! 2017年8月17日(木)たかやん

夏休み27日目
五中の屋上の掃除。用務員さんと僕と次郎の三人で掃除。その用務員さんが凄いのである。兎に角、英語に強いのだ。例えば、掃除をしながら僕が「operate」と言うと 「操作する」「perceive」と言うと「知覚する」「require」「要求する」「extinct」「絶滅した」僕が何を言っても、全て答える訳で・・・・次郎も「凄え!」と驚いていた。
そして、同窓会。「久美ちゃん、久しぶり!」「たかやん、元気だった?」「お、先生」「昭・・・元気なのか?」「とうやん!」「賢一!久しぶり!」「先生!」「道哉」
「よっ!」「オタンコ!」「ひさしぶり」「英樹!」「先生」「ババツ」「うーす!」「正美!」よくもまあ、これだけ集まったものだ。所沢チーム、全員集合じゃないか・・・
てか・・・何で久美子がいるの?!そこで目が覚めた。今朝の3時過ぎのお話。

9月号
午前中、9月号の作成に取りかかった。8月号はほぼ完成したので、9月号に取りかかったのである。駅立ちをいつにするか・・・それが問題である。

7キロ
今日もジムで7キロ走ってみた。ベンチと腹筋・背筋。お風呂で世界一周のトレーニング。これで8月に入って59キロ。100キロ行きそうな気がしてきた。

教師を目指す人へのメッセージ
第二十三歩 「僕の失敗」
最初に担任した五中の3年4組でのことだ。何月頃だったか、女の子達4人(美春・里美・恵子・きよみ)が授業をサボっていなくなったことがあった。僕は空き時間に子供たちを捜しに行った。彼女達は戸田建設のアパートの屋上にいた。『何やってんだ!心配したぞ!』と僕。すると彼女達からこういう言葉が返ってきたのだ。「あたし達のことを先公が心配する訳ないじゃん!」「なんであんたがあたし達の心配するわけ?」
『俺は・・・・俺はお前達の担任だー!馬鹿やろーっ!』僕はどうしたらいいか分からず、彼女達を置いたまま学校に帰ってきてしまった。
そして隣に座っていた3組の担任の帯刀先生に『こういう時、どうしたらいいんですか?』と聞いたのだ。そうすると帯刀先生はこう言った。「あんたに分かったら俺達やあ飯の食い上げだよ。」そしてニヤッと笑って僕に煙草を差し出したのだ。僕は煙草をやめていた。
中学生に「煙草を吸うな!」という以上、自分が吸っていたらしめしがつかないと思っていたのだ。だけど・・・僕はその一本を吸ってしまった。一服すると確かに少し落ち着いた気分になった。
 それがきっかけで、僕はハイライトを一日50本吸うようになってしまった。人間は弱いなあって思う。僕は彼女達のことはそれから先もずっと分からなかった。考えて見れば当たり前なのだ。23年しか生きていない男が、それも男だけ3人の兄弟の中で育った男が15歳の女の子達の気持ちが分かるわけがないのだ。それでも卒業式の日にみんな泣いて抱き合えたのも、彼女達が結婚式に僕を呼んでくれたのも、あの時、彼女達から逃げなったからだろう。全然分からなくても、分かろうとするエネルギーがその時の僕にはあったのだ。
 同じクラスの話だ。掃除の時間に2階の僕の教室から雑巾が落ちてきたことがあった。それを見て激怒したのが、4組の副担の大熊先生。この大熊先生は恐くて有名な英語の女の先生だったのだが・・・・「誰だーっ!雑巾を落とした奴は!」と叫び、僕のクラスまで職員室掃除の生徒を行かせ、落とした子を職員室に連れて来させたのだ。そして僕の目の前でいきなり訳も聞かずにバシッっと本で文子の頭を叩いたのだ。(助けて!)という目の文子。  だけど・・・僕は情けないことに、大熊先生が恐くて何も言えなかった。僕が担任なのに、僕の前で行われている理不尽なことから自分の生徒を救うことができなかった・・・。その時の文子の僕を見る目を僕はずっと忘れられないでいる。そして今でも後悔しているのだ。
自分のクラスの子を救えなかったら担任の資格はないと。
 それから僕は戦うようになった。どんなことがあっても担任している子達の側になっている自分がいた。勿論悪いことしたときは一緒に謝った。職員室前に一緒に並んで正座もした。文子の時のように後悔したくはなかったのだ。もう自分の子達に二度とああいう思いをさせてはいけない。僕はそう思ったんだ。
*1年目は何もできなかった担任だった。出来たのは子どもたちと一緒に勉強して、一緒に遊ぶことだけ・・・2年目からは、子どもたちを守れる担任になれたと思っている。最初の4組の子達は、本当に弟、妹のような存在だった。彼らのお陰で今の僕がいる。それだけは確かなことだ。

アルファベット
今までアルファベットが書けなかった子が、遂に全部書けるようになった。もう泣きそうになった。計算が全くできなかった子が・・・出来るようになった。また泣きそうになった。出来ないことが出来るようになる・・世界陸上や甲子園の感動よりも感動している自分がいる。子どもたちの笑顔が眩しかった。

階段
「あのね、学年によって通っていい階段が決まっているのね」「それさあ、マジで本当の話なの?」「マジだよ」「うちの学校もそうだよ」「それさあ・・・おかしいよ。間違ってるよ!」「でも、そうなんだもん」「俺がいた時代には五中も六中も二中もそんなルールはなかった。三中も四中もなかったと思うよ」「新座中は?」「うーん、多分ないんじゃないかなあ・・・俺たちの時代にはね」「いつから、そんなになったのかなあ・・・」「ってか、そんなことやっていたら、学校が荒れるだろう・・・」「もう荒れてるよ」「だろうねえ」「え?そういうものなの?」「ああ、そういうものだよ」「へえ・・そうなんだ」「ああ、そうなんだよ」「階段も廊下も学年に関係なく自由に歩けない学校がいい学校な訳がないだろう!」「そっかあ・・」「先生達に自信があったら、そんな糞ルールは作らないだろうが・・・」「へえ・・」「自信がないのかなあ・・先生たち」「いや、誰かがそういう糞ルールを作ったんだよ。それを破る根性がないだけじゃないの?」「たかやん、面白いね」「面白くねえよ。俺は本気で心配なんだよ。そんなことに神経使っている後輩たちが・・・馬鹿じゃねえのか!!」「馬鹿?」「ああ、いい先生一杯いるのに・・・勿体ない・・・」「いい先生いるんだ」「いるさ!」「いるの?」「ああ、俺が習いたいくらいの先生もいるよ」「そうなんだ」「誰?」「例えば・・・」「例えば・・・」
階段の話から、盛り上がる中学生達。マジで階段は勘弁だぜ。そんな糞みたいなルールより、もっと授業に力を入れて欲しいものである。部活では3学年混ざってやっているのに、階段や廊下じゃあ禁止?・・・その理由を誰か教えてくれ!!ってか、そんな糞ルールを作ったのは誰?そいつの名前を教えてくれ!!

子宮頸がんワクチン1353 
痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1
3年前の僕の誕生日の川掃除です。左が文夫(五中4期生)で右が哲雄(五中7期生)です。哲雄は最近、忙しくてなかなか来られません。

今日の写真2
久しぶりに紀(五中3期生)が我が家に来てくれて・・・お母さんと対面。紀は我が家に2年間居候をしていたので、家族そのものなんです。紀に会いたいなあ・・・

今日の写真3
左から、僕(五中1期生〜10期生の担任)直弘、文夫(五中4期生)、哲雄(五中7期生)
賢二、祐晴(五中4期生)です。多分、写真を撮ったのは智(五中4期生)だと思います。
*この日記を読んだ全ての人が幸せな気持ちになりますように・・・

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8月18日 (金)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第230弾! 2017年8月18日(金)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第230弾! 2017年8月18日(金)たかやん

夏休み28日目
陸上の全国大会に来ている。この糞暑い夏に走るのだから、見る方も走る方も大変である。
昔から走るのは得意だったが・・・まさか、全国大会で自分が走ることになるとは・・・周りに知っている顔は誰もいない。知っているのは顧問の潤先生と星ティーだけだ。走る前に先生達のところに行き、アドヴァイスを貰う。やはり顧問の先生の顔を見ると安心する。スタートラインに立つと心臓がバクバクしてきた。「on your mark」「set!」(え?俺の種目は3000mなんだけど・・・100mにも出るんだっけか?!)そこで目が覚めた。今朝の4時過ぎのお話。

9月号
昨日に引き続き、9月号の作成に時間を使った。そして、ジムへ。今日も7キロ走って、ベンチと腹筋・背筋。お風呂で世界一周のトレーニング。これで8月に入って66キロ。腹筋・背筋がかなり楽になってきた。

教師を目指す人へのメッセージ
第二十四歩 「絶対評価」
僕は「授業態度」を評価に入れたことはない。それは自分が中学時代の苦い思い出があるからだ。西戸山中学校の二年の時のことだ。理科のテストで僕は満点を取った。学年で一人だけだった。西戸山中学校は新宿では有名なモデルスクール。越境通学が3分の1もいた学校だった。ようするに頭のいい奴がたくさんいたのだ。その西戸山で、学年で一番を取ることはたとえ一教科でも、僕にとっては奇跡だった。通知表は当然5。そう思っていたら・・・・・評価は4だった。「授業態度」が原因だった。佐久井先生という奈良女子大を出た女の先生は授業態度にうるさかった。僕は余りにも注意されたので、頭にきて理科を勉強しまくって、その先生をやり込めるという遊びを始めたのだ。その結果テストはできたのだけれど・・・・。結局、授業態度に対する報復だった。僕はその通知表を母親の前で燃やしてしまった。だから理科の教師になった時に「授業態度」を評価にいれる教師にだけはなるまい、そう決めたのだ。ではどうやって評価するか。そうテストの結果だけで評価するのだ。だから1学期の授業のはじめに僕はこう言っていた。「テストの平均が90点を超えたら、誰でも5です。授業中に寝ようが、僕と喧嘩をしようが、必ず5をあげます。70点を越えたら誰でも4です。・・・・・・」そしてその通りに評価した。どんなに授業態度が良い子でも、1点でも足りなければ容赦なく4をつけたし、僕に喧嘩をうってきた子でも基準を超えれば間違いなく5をつけた。「相対評価」が当たり前の時代だったから、同僚から色々言われることもあった。でも、公立高校へ提出する内申以外はこの「絶対評価」を通し続けた。そしてそれは子供達に信頼される一つの要素になった。“自分の好き嫌いを評価に入れない。”という信頼である。
今の子供達の話を聞くと、相対評価の時代は勿論、絶対評価になった今でさえ、教師の「感情点」「好き嫌い」が評価に入っている。ノートを提出しなければ「減点」。チャイム着席をしていなければ「減点」授業中騒いだら、テストがよくても平気で「1」「2」をつける。そういう教師がたくさんいるらしい。そもそも子供達の評価に「1」「2」が多いということは自分の授業が下手糞だということなのだ。それがわかっていないアンポンタンが多すぎる。平均点が低いと喜ぶ教師も結構見てきたが、どういう神経をしているのかと思ってしまう。最近新座のある中学校で国語の教師が1年生の五割程度の生徒に「1」をつけた。僕の感覚では「1」というのは音楽で言えば「お前は歌うな!」という数字だ。美術で言えば「お前は描くな!」という評価だと思っている。子供たちにはそれくらいのショックをうけるのだ。絶対評価になって、他市の評価は「4」と「5」がやたらと多くなっていると言われている今、いくら力がないからといって、そこまでやる必要があるのだろうか。力が無かったら、力をつけてあげるのが教師だと僕は思う。1をつけられた子達は今は2年生。もうすぐ3年生になる。本当に心配だ。僕の塾にも小学校で習った漢字が読めない中学生はいる。だから練習するのだ。小学校の漢字からやり直す。そしてできたら誉めてあげる。漢字が読めるようになると、本も好きになってくる。ただ「本を読め!」と言っても子供たちは本を読まない。読めないのだ。まず、読む力をつけてあげなくてはいけないのだ。いくら絶対評価でも、プロの教師は気安く「1」をつけてはいけない。
*「内申」を振りかざす学校が多い。「内申」を生徒指導の武器に使ってはいけない。授業が荒れるのは自分の授業が下手くそだからだ。内申で子どもたちをコントロールする・・・・荒れている学校では特にその傾向が強い。困ったものである。それでは何のために教師になったのか分からないし、子どもたちからしても、嫌な記憶しか残らないだろう。中学時代は人生に一度だけ。それも3年間しかない。中学校は教師も生徒も楽しいところじゃなくっちゃ!!

後輩
北大テニス部の後輩二人が我が家に遊びに来てくれた。学年は4つ下なので、現役の頃は会っていないのだが・・・同じコートで汗を流した訳で・・・あっという間に、親戚みたいな感じになってしまった僕らだった。

時間の無駄
単語を覚えたかどうかはテストをしてみれば分かる。漢字を覚えたかどうかも、テストをすれば直ぐに分かる。ああ、それなのに、それなのに・・・今の中学校の先生達は「夏休みの宿題に単語や漢字を何個書け!」という課題を出すのだろう。もう覚えてしまった単語を何個も書かなければいけない子達の気持ちを考えたことがあるのかな。もう覚えてしまった漢字を何個も書かなければいけない子どもたちの気持ちと、彼らの時間を考えたことがあるのかな。頑張った子達は課題なんか見なくても、テストでいい点数を取るから直ぐに分かる。 課題を提出したって、テストで書けなければアウトじゃあないのか・・・大事なのはどれだけ書いたかではなく、どれだけ書けるか!ではないのか・・・子どもたちは我慢して頑張っているが・・・俺が中学生だったら、反乱を起しそうだ・・・。

子宮頸がんワクチン1354 
痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。

今日の写真1
僕の選挙。最後の演説は「三吉自動車」の前と決まっています。20時ギリギリまでここで演説をして、マイクを使っての選挙が終わります。

今日の写真2
そして、少し休憩してからひばりヶ丘北口に向かいます。このシルエットは多分、ゆりちゃんだと思います。中学校1年生の時から、10年以上、僕の「一生懸命」を毎回受け取ってくれている女の子です。

今日の写真3
六中の緑ジャージの由香です。僕が36歳の頃の教え子です。いつも「たかやーん!」と満面の笑みで来てくれます。1年間、理科を教えただけなのですが・・・
*この日記を読んだ人が幸せな気持ちになりますように・・・

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8月19日 (土)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第231弾! 2017年8月19日(土)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第231弾! 2017年8月19日(土)たかやん

夏休み29日目
授業中、彼女が手話で僕に「一緒に帰らない?」と言ってきた。勿論、僕は「いいよ」とサインを送って・・・先週、二人だけで決めたサインは20種類以上。僕の親友にも彼女の親友にも秘密。そう、僕らは誰にも知られずに、密かにつき合っているのだ。僕は「漢江のあの橋で会おう」というサインを送り、僕らは別々に下校して、無事に落ち合った。僕らは「僕らの未来」の話をはじめ・・・そのうち、彼女が僕の肩に寄りかかってきて・・・それだけでも、僕の心臓はバクバクしているのに・・・彼女は僕の首筋にキスをしてきた。僕の体には電気が走り・・・どうしたらいいのか分からなくなって・・・次の瞬間、彼女の顔をチラッと見ると・・彼女の目は赤くなって、歯の方は犬歯が伸びて・・、綺麗な彼女は吸血鬼になっていた!僕は彼女がもの凄く綺麗だから、それでもいい・・という気持ちと、いや、まだ死にたくないという気持ちが複雑に交互して・・・どうしようもない自分がいて・・・その時、気が付いたのだ。漢江って・・韓国だよね。俺はいつから韓国の高校生になったの?そこで、目が覚めたのだった。今朝の4時過ぎのお話。

8月号・9月号・通告
昨日に引き続き、8月号を書き直し、9月号を作成し、通告を考えて・・・そして、ジムへ。今日も7キロ走って、ベンチと腹筋・背筋。お風呂で世界一周のトレーニング。これで8月に入って73キロ。行けそうな気がしてきたぞ。

教師を目指す人へのメッセージ
第二十五歩 「ホモサピエンス」
僕の理科の授業で最初にする話は決まって「ホモサピエンス」の話だった。
『この地球上には何種類の人種がいると思う?』と子ども達に尋ねるのだ。子ども達は「黒人、白人、黄色人種で三種類!」とか「アメリカインディアンの赤色を入れて4種類!」だとか言い始める。そこでこういうのだ。『1種類なんだよ。』『ホモサピエンスという1種類しかいないんだ。』『染色体の数は46本。』『黒人も白人も中国人も朝鮮人もみんな同じなんだよ。』そしてこう続けるのだ。『だから“教養”のある人は人種差別っていうのはできないんだ。みんな同じ人種なんだから・・・・できる人は“無知”な人なんだよ。そういう人たちは人種が1種類ということを知らない人なんだ。知らないから人種差別ができるんだよ。』『勿論男も女もホモサピエンス。まったく同じ人種なんだ。だから男女差別する人も教養のない人なんだなあ・・・』『お年よりも子どもも、障害のある人も、みんな同じホモサピエンス。だからそれを差別する奴らはおお馬鹿野郎なんだ。』という話だ。最初の授業というのは結構子ども達の心に残るものである。理科の楽しさを伝えると同時に自分の考え方を話す。それが大事なのだ。実はこの話は石神井高校の長島先生の授業のパクリである。(子ども達は僕の創作だと信じている。)最初の授業で印象に残っていたので、遠慮なく使わせてもらった。そういい話はこうして語り継がれていくのだ。僕のこの話も僕の教え子達がパクッて語りついているはずだ。
そしてもう一つ。『人は死んだらどうなる?』「星になる。」『本当?』「嘘」『いやそれが本当なんだ。』「どうして?」『地球の寿命はあと50億年と言われているんだ。』「50億」『多分、みんなは死んでいる。僕は生きているかも知れないけど。』「嘘!」『僕らの地球は死ぬ前に赤色巨星になるって言われているんだ。』「ふーん」『オリオン座のベテルギウスのようにね。』「へえ・・・」「太陽はやがて今の火星の軌道よりも大きな星になって、勿論地球はその中飲み込まれてしまう。つまりみんな一つの星になるんだ。」「ふーん。」『人類は太陽系から脱出することはできないから、みんなその地球でさよならなんだ。』「へえ。それで・・?」『みんな無機物になってね。一つの星になっちゃうでしょ?』「・・・・」『宇宙はビックバンで一つの大きな星の固まりからできたと考えると、僕らは最初も一つの星から生まれたって考えられるよね。』「うん」『ようするにだ。僕らは一つの星から生まれ、やがては一つの星になっていくんだ。』「わお。」『大好きな人も大嫌いな人もみんな同じ星になる。』「嫌だ!」人は星から生まれて星になる。子ども達はこういう話が大好きである。こういう話をしてから「天体」の授業に入ると子ども達は星に興味を持つようになるのだ。空に輝く星達が自分達の仲間なのだから・・・・・。
そしてクラスでいじめの問題が発生した時にこういうのだ。『お前は馬鹿だね。教養がないね。頭の悪い大人達と同じだね。ちょっと人と違っているからって・・・そんなことして良い訳?』『理科の授業で何を教わったんだ?』『ホモサピエンスだろ?』『星の話だろ?』
『ふざけるな!この馬鹿野郎!!』『お前はそれでも俺のクラスの生徒か!このアンポンタンが!』『腐った大人たちの真似をするんじゃない!』と僕は大声で怒鳴る。その日の為の布石という訳ではないが、そういう日は必ず来る訳で・・・・。子ども達はそういう言葉で納得するのだ。ホモサピエンス。これを読んでいるあなたにも是非この話をパクッて欲しい。
*KKKもネオナチも教養がない人間の集団ということだ。だって、白人も黒人も僕らもみな同じホモサピエンスなんだから・・・・

ゲリラ豪雨
夕方、久しぶりに西東京市の歯医者へ。空と僕の定期検診に向かったのだが・・・それが又ゲリラ豪雨と重なって・・・僕らはびしょ濡れになって歯医者さんのドアを開いた。すると、綺麗な歯科衛生士のお姉さんが「どうぞ」と白いタオルを出してくれて・・・感動したのだった。そして、「歯磨きは98点です!」と褒められ、マウスピースも「毎晩使っていて、これだけ綺麗にしている人はいませんよ」と褒められ・・・「綺麗だね」って褒められて幸せになる女性の気持ちが少し分かったような気がした。あんまりなかったものなあ・・「綺麗」って言われることは・・・

子宮頸がんワクチン1355 
痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。国民を守る岩盤規制があれば、彼女達は苦しまなくて済んだのだから・・・

今日の写真1
突然ですが、北海道にいる弟のヨコチンです。いつも僕を応援してくれています。

今日の写真2
突然ですが、妹のスンミです。僕にこんな可愛い妹がいるって、知らなかったでしょ?

今日の写真3
三兄弟が久しぶりに集まって、こうやって写真を撮るのはいつになるでしょうねえ。

*この日記を読んだ人が、幸せな気持ちになりますように・・

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8月20日 (日)  『一生懸命』幻のたかやん日記  第232弾! 2017年8月20日(日)たかやん

『一生懸命』幻のたかやん日記  第232弾! 2017年8月20日(日)たかやん

夏休み30日目
夏休みが終わり、2学期の最初の授業が始まった。『はい、みんな宿題出して!』「えーっ!」「宿題出さないって言ったじゃん!」「そうだ、そうだ」「そんなこと言ったっけ?」「言ったよ!」「なんだよ、嘘つき!」「信じられない!」「こんな授業やってられっか!」「そうだよ、みんな出て行こうぜ!」『あ、いや・・ちょっと待て!』「校庭でサッカーやろうぜ!」『あれ・・・俺も入れて・・・』職員室に戻ると、みんなが怖い顔をして僕を見ている。「なんの授業ですか?」『あ、いや・・理科の・・・』「理科の授業で校庭でサッカーやらしてるんですか?」『あ、いや・・そうじゃなくて・・・』「じゃあ、何なんですか!」
『まだ、8月だから、夏休み中じゃないですか・・・』先生達の顔が一気に笑顔になった。「そうでした。まだ8月中でした。」その時、後ろから金子校長の大きな声がした。「違います!今年から8月29日から2学期なんです!」『えっ!そんな馬鹿な!』「全教職員に伝えた筈です!」『いや、俺は聞いてませ・・・聞いてたような気も・・』そして職員室から加藤教頭が「校庭でサッカーをしている3年1組の諸君、今すぐ職員室前に来ななさい!」と絶叫したのだ。(やばい!!このピンチをどうやって乗り越えたらいいんだ!!)そこで目が覚めた。僕は汗びっしょりになっていた。今朝の3時半過ぎのお話。

準備
明日から夏期講習が再開される。午前中はその準備で忙しかった。少しだけ庭でテニスをして、お昼過ぎ、ジムに行って・・・7キロ走って・・・ベンチと腹筋・背筋をやって、お風呂で世界一周のトレーニングと英語の暗誦をやって、家に戻ってきたのだった。8月に入って80キロ。残り20キロで目標の100キロに到達である。家に戻ってから、また準備。朝霞の川遊びにも、脱原発ウォークにも行けず、母さんの所にも行けず・・・只管パソコンに向かっていたのだった。


教師を目指す人へのメッセージ
第二十六歩 「副担」
僕は二十一年間、ずっと担任をしてきたので副担の仕事をしたことがない。だから副担の気持ちもよく分からない。副担といっても実に色々で、担任のサポートをしてくれる人から邪魔をしてくれる人まで本当に様々だった。一番感動したのは宮下先生が副担になったとき。僕より5年先輩の体育の先生なのだが、あっという間に新学期の事務的なことをやっておいてくれるのだ。新学期の担任は名簿を作ったり、教室の整備をしたり、学級通信を書いたり、それこそ何とかいいスタートを切ろうと必死になる。出席簿、学級保健簿、生徒指導票・・・そういったものを副担が作ってくれたら・・・これはもう万々歳である。宮下先生はそういうことを実にさりげなくやっておいてくれる先生だった。そして学期末の通知表。今はパソコンにデータを打ち込んでというパターンが多いようだが、昔は全部手書き。勿論所見は担任が書くのだが、それ以外のところは全部宮下先生がやっておいてくれるのだから嬉しかった。
僕がいないときにクラスで問題が起きても、「たかやんだったら何ていうかな?」「あたしは知らないわよ。担任はあたしじゃないんだから。」と言って、子ども達と僕との関係を大事にしてくれた。そして女の子達が僕にもいえないことがあると、宮下先生に相談に行っていたらしい。
一方で、事務的なことは何でも副担の仕事にしようとする担任もいる。もともとは担任の仕事なのだから、それはいただけない。担任と副担、お互いを思いやらないといい関係にはならないのだ。どんな人間関係も同じだと思うけど・・・・
僕は一度も副担をしなかった。僕にとってクラスというのは「生きがい」そのものだったから。僕が管理職試験を受けなかった理由は「担任」ができないから。校長になっても
「担任」ができて、「授業」ができて、「部活」ができるというのなら、今頃は校長をやっていたかも知れない。僕は部活人間のように言われていたらしいけれど、それは違う。僕はクラス人間である。テニス部とクラスとどちらを取るといわれたら、間違いなくクラスを取るタイプなのだ。それは通信にも表れている。学級通信「一生懸命」は毎日発行できたが、部通信「ボール行きます!」は年間70号がいいところだった。学校に自分の「学級」があるということは、学校に自分の「家族」がいるということだ。だから僕は教師という職業を続けられたのだ。
僕には副担という仕事はできない。そういう能力に欠けているのだ。だから担任を持たない学年主任にも教頭や校長にもなれない。そういう意味では実に幸せな教師人生だったと思う。21年間、僕には「家族」がいた。そう不思議なことがある。「家族」の名前は忘れないということ。顔も名前もみんな覚えている。何十年経っても忘れないから不思議である。自分の学生時代の友達は忘れているというのに・・・・担任というのはそれほど子ども達にのめり込んでいくものなのだ。
*僕は校長にはなる気も無かったし、ならなくてよかったと思っているが・・・後輩達、特に優秀な後輩達にはなって欲しいと思っている。だって、校長がダメだと学校全体がダメになる訳だから・・・

子宮頸がんワクチン1356 
痛みのある人生を生きるのは辛い。打つまでは健康そのものだった女子中高生達の苦痛の叫びが届かないようでは人間ではない!「精神的なものじゃないの?」「摂取により健康被害が生じたとは言えない」という医者や国は、「いじめがあったとは認められない」という、どこかの学校や教育委員会と同じで、被害者に寄り添う共感能力に欠けている。自民党の人相の悪い国会議員達と同じだ。副反応に悩む子達は運動もできなければ、学校にも通えないのだ。恋をして、悩むことも出来ないのだ。それは人生を奪われたのと同じ事。そういう悲劇を繰り返してはならない。戦争も原発事故も同じ。共謀罪や規制改革とやらで人生が台無しになるのは、いつも弱者なのである。国民を守るための「安全第一」という「規制」を壊してはならない!それが岩盤規制であることこそ、今の日本にとって必要なことである。子どもたちを守る規制がしっかりしていれば、この悲劇は起こらなかったのである。

今日の写真1
たかやん塾の卒業生の二人です。五中の陸上部です。まさか空の部活の先輩になるとはこの頃は思っていませんでした。本当に頑張り屋の素敵な先輩達です。

今日の写真2
久しぶりに幸弘の写真を見つけました。本当にいい奴で、僕は大好きでした。幸弘と新座の未来を語った日のことは今でも覚えています。

今日の写真3
小学生の低学年の頃の空です。小さくて、可愛かった空も今は靴のサイズが27センチになりました。靴は可愛くないですよ、26.5の僕より大きいのですから・・・でも身長はまだ低いので、可愛いです。

*この日記を読んだ人が今日一日、幸せな気持ちになりますように・・・


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